覇道を征く者 第十話

〜魔王バラモスの城 玉座の間〜

『この力…おお、これこそが…!!』

 二人の友をその内へと引きずりこんだ、魔女の呼び寄せた蒼い歪み。それを目の当たりにして、バラモスは驚きの声に歓びを乗せていた。
「……。」
 この星の何処かへと通じる、訪れし者をそこに運び去る聖なる門―旅の扉。その大河にも似た、大いなる流れを巻き起こした少女は、今はただ、黙って眼前の魔王を睨みすえていた。
『待ちわびておったぞ…!ようやく…我が前に現れたか…!!』
 そんな彼女を前にして、思うところが止まないのか、バラモスは尚も興奮した様子で言葉を続けていた。

『緋暁の賢女…そして、蛇竜の魔女、メドラよ!!』

 そして、その悪しき伝説を創った存在―ムーの中にあるもう一人の少女の真の名前が、その口より高らかに呼び上げられていた。

『万物を司る神さえも従える力を秘めた、かの呪文の唯一にして絶対の操者。今度こそ…その力を我が手に…!!』

 一度は彼の宿敵―聖なる者として祀られている魔竜によってその道を阻まれだが、今度は何者の邪魔も入らない。彼の目指すべき覇道は、既にすぐそこにあった。世を制するとされる究極の呪文―パルプンテ。その力がまもなくバラモスの手に落ちる…。

「そんなことはどうでもいい。」

 だが、自らが危機に直面しているにも関わらず、彼女―メドラはただその一言だけでそう切り捨てていた。

「あなたが何をしたいのかなんて、私にはわからない。今はただ、カンダタを”殺した”あなたを倒すだけ。」

 その存在によって人生を狂わされたレフィルと同じ様に、彼女もまた、カンダタというかけがえのない存在を奪われた憎しみは、あまりに大きなものであった。
『ほぉ、今のそなたにもよほどあの男が大事であったか。だが、彼奴はもはやこの世にはおらぬ。弱者どもは、そなたが力を怖れるあまり、咎人の烙印を押し、あまつさえそなたの存在を排そうとさえした。そやつらがはびこる今の現世に、そなたの居場所などない。取り戻したくば…我に従い、奪い返すより他はないのだよ。』
 自由を得るために力を追い求めた挙句、メドラは得た力そのものに呑み込まれてしまった。それが悲劇を招き、彼女はその存在を記憶から抹消されている。ムーとして生きている”彼女”とは違い、今のメドラには何も残されていない。
「居場所?それはあなたが奪った。私の力が欲しい、ただそれだけのために。」
 そして、自らを取り戻そうとする中での最後の拠り所であったカンダタは、バラモスのせいでいなくなった。
 
『ならばどうする?ワシに復讐でもするか?』
「!!」

 その悲劇をもたらした者が発する言葉に、メドラは顔を上げて、一瞬その目を細めた。

「…それで終わりじゃカンダタは喜ばない。それに…きっと新しい居場所ならまた作れる。」

 しかし、それは怒りを深めるものとはならず、改めて気づかされた事が直にその口から紡がれていた。
「あの二人がいる。”あの子”が再び立ち上がったのはホレスのおかげ。”あの子”がまた元気に暮らせるのはレフィルのおかげ。」
 失った悲しみもあれば、新たに出会った歓びもある。それが、メドラの答えだった。
『…愚かな、既に替え玉めの命は尽き、かのうつけは心を乱しておるではないか。』
 しかし、それもまた失われようとしている。その事実を再び叩きつけられる。

「ホレスなら、レフィルを助けてくれる。私を…あの子を救ってくれたように…きっと。」

 だが、それすらもメドラは確証を以ったかの様にそう否定していた。
『なるほど。だが、いずれにせよ…そなたが力がワシの手に入れば、それも意味をなさぬわ。ハッハッハッハ。』
 メドラが信じたとおりに、ホレスが約束を果たしたとしても、世界を滅ぼされてしまったらもはや成す術もない。
「…そうはさせない。二人が生きている限り、あなたに世界を壊させはしない。」
 それだけは、やらせるわけにはいかない。二人の友を守ろうとする想いを胸にメドラは左手を前に差し出した。その内に、鋭い光を宿した刀身を持つ黒塗りの柄の短剣が収まった。
「最果てに伏したる数多の蠢く者共よ、汝は創世の光の奔流と化して我が元へ集え」
 その、命を奪うために作られた刃の輝きが、両の瞳にも灯ったそのとき、彼女の口より激動の序曲となる

「パルプンテ」

 そして、究極の力を秘めた扉が、その手で開かれた。

「力ある言の葉…其は悠久に残りし震撼と共に今一度轟かん」

 バラモスが次の行動に出ようとする前に、メドラは更なる詠唱を続けて、程なくして唱え終えていた。

「「万物を引き合いし見えざる力…」」

『…!!』
―これは…!!
 直後、メドラの声が、山彦が返る様に反響し始めた。

「「其は神の眷属を滅する災禍を此処に招かん」」

 それらは重ねられる波の如く融け合い、更に大きくなっていく…

『…ぬっ!!』
 そして、バラモスが上を見上げたそのとき、焼けるように赤い天の彼方から、炎に包まれた隕石が、次々と降り注ぎ始めた。それらは黒い稲妻によって砕かれた魔城へと落ち、更なる破壊をここにもたらしていた。




〜地脈の聖門〜

 澄み渡った水の如き空間が、大河の如く絶え間なく流れ続けている。その光景は、来訪者を誘う旅の扉が果たす役割を表しているかの様だった。

「…えぇい…っ!!ムー…!!」

 その流れの中に落ちたホレスは、自らの身を挺して、魔の王から自分達を逃がした少女の名を、苛立たしげに叫んでいた。
―なんだって…お前だけ…!!
 自分とレフィルがこの空間に投げ出された一方で、ムーは未だ、バラモスと対峙している。その戦いの一助となる事すら許されないこの状況に、彼の焦りは増すばかりであった。
 
「レフィルは…、…っ!?」

 共に旅の扉の中に入る事となったもうひとりの仲間―レフィルを探すべく、辺りを見回した先で見たものに、ホレスは驚きを露わに言葉を失っていた。
―これは…!!
 そこには、流れに身を任せるままに、仰向けに倒れている、竜の鎧を纏った少女の姿があった。
「……レフィル…。」
―…助けられなかったのか…。
 近づくホレスの存在にも声にも、彼女は僅かでも反応する気配はなかった。その事だけでも、絶望的な結果が頭を過ぎる。

「………。」

 眠りに就くように様にして伏せられている目が、再び開かれる事もない。その顔もまるで血の気が通っていない。まさに、生命を使い果たした抜け殻でしかないかのように…。
「…今までだって、ずっと…苦しみながら前に進んできたんだ…。」
 それは、目指してきたものとあまりに異なる結末だった。これまでの苦しみに耐え抜いて、先にあるものを信じてきた結果、彼女は全てを失おうとしている。
―どうして……。


―…今まで…本当に…ありが…とう……。



 疑念と共に、レフィルが最後に見せた儚い微笑が、記憶から鮮明に呼び覚まされる。 

「―――――っ!!お前…本当にそれでいいのか…っ!!」

 それが、ホレスの激情を呼び、彼はそれを押し殺そうと震える声で、レフィルへとそう告げていた。
―…オレ達が……いや、オレが…お前を…!!
 自らも滅ぼす闇の力を招いたのは、他ならぬ自分であり、レフィルにもそれは分かっていたはずであった。にも関わらず、彼女は最後の力で自分達を助け、礼までも告げた挙句、ギガデインの力を浴びてその命を絶った…絶とうとした。
―オレは…人を破滅に導く事しかできないのか…?


―…やっぱり、コイツは悪魔だったんだ!!
―だから言わんこっちゃない!!あれだけ始末しとけって言ったのに!!

―おうおう、この期に及んでなぁんにもできねぇんだなぁ!?バッカだなぁニンゲンってのは!!

―…ぁ…!
―ぎ……!?!


「…はっ、何をバカな…。初めから…分かっていた事じゃないか…。」
 いつか見た、破滅の光景が再び蘇ってくる。悪魔の囁きと、憎しみに任せて力を振るった先に待ち受けていたものは、愛する者達の死だけだった。それも所詮、取るに足らない事と割り切れている自分がここにいる。
「そんな下らない事なんか…何を今更。今は…レフィルを…!!」
 その出来事に対する動揺は否定できない。だからこそ、今はそれに捉われている場合ではない。

「もうすぐ…死んでしまうというのなら、それでもいい…。」

 覆せない現実を物言わずに示すかの様に静かに佇むレフィルへと、ホレスは諦めにも似た気持ちと共に語りかけ始めた。
「だが…オレはこんな結果は認めない…!!こんな終わり方…」

―お前だって…望んでいるはずがないだろう!!

 力を以って過去を清算しようとし、それによって友を傷つけて深い後悔のうちに囚われながら死んでいくレフィルの運命。それを認めるのは、如何なる理の力が強要しようとも、できるはずがない。

「レフィル…応えろ!!今一度でいい…お前は、このまま死んでは駄目だ!!」

 心の闇に墜ちたままで逝かせたくはない。ホレスはレフィルへとそう呼びかけながら、その体を揺すろうとした。

パキッ…!!

「…っ!?」

 しかし、その瞬間…彼は手のひらに引きつるような痛みを感じて、思わずその手を引いていた。
―凍って…いる…!?いや…それより…!!
 触れた右手の表面が、氷によって覆われている。いつしかレフィルの体は、棺の様な氷の内へと閉ざされ始めた。


―…みんなみんな、消えちゃえばいいんだ…。


「な…!?…何だ…!?この感覚は…!!」
 ふと、凍りついた手のひらから、何かが流れ込む様な違和感が、ホレスの内で起こり始めた。


―どうして…わたしだけが…こんな目に遭わなきゃならないの…?
―ご…めんなさい……。


「…レフィル…!?」
 それは、紛れもなく、レフィル自身の”声”だった。その声が頭の中へと直接響き渡ってくる。
「…お前は、やはり……」
 今、彼女が心に抱いているものだろうか。支離滅裂に紡がれる言葉から垣間見せられるもの…。

「…闇………」

 それはまさしく、今レフィルの周りを多い尽くしている闇そのものであった。
「オレは…どうすれば…」
 その命失われようという時になっても、理を逸する闇の力は、未だに残っているのが見える。それに苛まれているレフィルを前に、ホレスはそれ以上何もできずにいた。


――バラモスを倒して自由になるために、その子は闇の力にすがったのね…。


「…っ!?」
 その様な中、突如として、流れ続ける周囲の空間から、女の声が聞こえてきた。同時に辺りに、森と山に囲われた王城の様な光景が映し出される。
「誰だ…!?」
 その変化に、一体どの様な意味があるのか。深く激しい激情と戦っているホレスには分からず、ただ語りかけてくる女に対し、そう問う事しかできなかった。
 
――過ぎたる力は身を滅ぼす。でも、あなた達がそれを与えなければ、この子の命はなかった。
「な…何を…?」

 唐突に切り出された女の言葉、それは自分達の戦いを間近で見てきた者のそれだった。
――彼の力はあなた達も知ったでしょう?選ばれただけに過ぎないこの子―人の子が勝てる相手じゃないの。
 バラモスの圧倒的な力を前に、レフィルだけでなく、ホレスもムーも呆気なく倒されてしまった。

――だからあなた達が力を…”逸理の約”を求めたのは必然だった。

 あのままレフィル一人で戦わせていたら、今を待たずしてそのときに間違いなく命を落としていただろう。だからこそ…

――きっと、この子の事を助けて欲しいという純粋な想いに、ギアガの闇が…
「…ギアガ、だと…!?」


 我ら、神の名の元に大魔を退けし者。
 心せよ、全ての災いはギアガより出ずる。
 其は深淵に繋がり、数多の蠢く者を招かん。


 女が語るギアガという単語をホレスは確かに聞き覚えがあった。バラモスに対抗するために、ホレス達が呼び寄せ、レフィルへと与えられた力。だが、その願いに応えたのが、更なる災いの中心に連なる存在だとは。
「……いや、そんな事など…今はそれより…」
――そう。問題はそこじゃないわ。それで…あなた達の祈りによって、この子は力を得て、バラモスを超える存在となった。
 全てを捨て、その身を闇に委ねる事により、レフィルはその器を超え、魔王さえ圧倒してのけた。全力を出したバラモスとて、レフィルの最後の力を前にしては、全くの無力であったと言っても過言ではない。だが…
 
――だけど…この子はもともと限界だった。その闇の圧倒的な力を御する事ができる程、この子の体は……

「…………。」
 幾度となく傷つけられ、生命力を引き出され続けた果てに力を引き出されたその体は、溢れる力に耐え切る事ができずに壊れ果て…

――そして…悲しかった。誰よりも優しい暖かさをもつこの子の心が…砕け…て…しまう…の…は……

 そしてその心は、歓喜と絶望の狭間で軋み、やがて音を立てて砕け散ってしまった。

――ごめん…なさ…い…!私が…もっと…しっ…かりして…いたら……この子は…!!

 女もまた、その様な姿を見るにたえなかったらしく、その声を涙で掠れさせていた。
「あんたは…一体……」
 運命に翻弄され、破滅に陥ったレフィルへの心からの哀れみと、自責の念がそれから感じられた。だが、その様な心情を抱く彼女が何者であるか、ホレスには結局分からなかった。

「まさか…あんたも”勇者”…?」
――違う…。でもね、この子の辛さは…良く分かっているつもりよ。おかしな話だけれどね…。

 その言いぶりから察するに、”勇者”に直接の縁がある者ではないらしい。それでも、似たような過去を持つ者であるとすれば、彼女がレフィルに共感できたとしても、さほど不思議な話でもない。
 
「そうか…。だが、今は…」
――そうね…。体の傷…とても酷いわ。このままじゃ…二度と目覚めないまま… 

 たった三人で魔境を切り抜けてきたときに溜まった痛手の蓄積、バラモスの最後の一撃、そして…ギガデインの直撃。それらが止めとなって、レフィルは意識を手放した。もはや肉体が滅びるのも、時間の問題である。

――それに、この子の心…どんどん闇の中に溶けているわ…。それが全部なくなってしまえば……今度こそ……
「その存在が…消える……」

 ”逸理の約”がレフィルから奪ったのは、体に宿る生命力だけではない。それよりも、レフィル自身を形作る心そのものを闇に染め上げ、その内に同化させ…無に帰してしまうのも時間の問題だった。今もなお、自らへの絶望となって闇は深みを増し、その存在を包み込もうとしている。
――あなたはこの子の大切な仲間。あなたなら…或いは…。
 その闇の中から、レフィルを救い出す事ができれば、希望が見えてくるかもしれない。そう告げる声が聞こえてくる方を見ると、そこの空間が大きく歪み始めるのが見えた。中に、石で作られた壁、赤い絨毯など、王城の内装の特徴が見受けられる…。そして…

「?!」

―レ…レフィル…!?
 そこにある玉座に佇んでいたのは、深緑の王衣に身を包んでいる黒い髪の女性だった。その顔立ちは、どことなくレフィルのそれを思い起こさせる様な、儚げなものであった。まるで、徐々に薄れゆく灯火の残滓の様に。

――この子が持つ本来の心…あなたが思い出させてあげて…。

 その女性―女王からレフィルの影を感じてホレスが立ち尽くしているそばで、彼女はその手を彼に向けて差し出していた。
「これは…?」
 その内にある光が目に入り、ホレスはそのまぶしさに思わず目を背けていた。そんな彼を見て、女王は微かに笑った後、律儀に差し出された彼の手のうちに、それを与えていた。

「光……」

 手のひらの中にあるのは、柔らかな光をその内に湛えた、何かの結晶の様な物質だった。まるで、何かの宝石の欠片であるかの様な美しさだった。
「……思い出させる?オレが…何を……?」
――そう、それはあなたにしかできないの。そして…あなた自身も…
 それを最後に、歪みは掻き消えて、女王の姿と声もまた、旅の扉の流れのうちに消え去った。
 
「………。」

 女王が自分へと託したレフィルへの希望。光の欠片を眺めながら、ホレスはしばし立ち尽くしていた。

「オレ達の…旅の意味はなんだ?」
―そうだ、お前は…こんな事をしたいわけじゃないはずだ…!!

 力に任せて復讐する事も、友を傷つける事も、それを悔悟し続ける事も、ホレスの知るレフィルならば、望むはずもない。それを変えてしまったのは、闇の力だけのものではない。

「これが答えになるかは…分からない。だが…」

 彼女を救うために今なすべき事は、明確には見えていない。それでも…


「託されし光よ…、オレ達に…道を!!」


 もはや立ち止まっているわけにはいかない。ホレスは女王から託された光の欠片を掲げながら、そう叫んでいた。決して諦めないその想いに呼応する様に、光は一気に大きくなり、辺りを包み始めた。

「…!!」

 同時に、身を切り裂く様な冷たい風が、正面から吹き付けてくる。


「ここは…」


 光が収まったそのときには、旅の扉の流れは既になく、ホレスは銀嶺の中心に建つ、石造りの祠の中にいた。
 
―レイアム…ランド……。

 目の前に佇む巨大な卵を囲う様にして、六つの祭壇が立ち並ぶ。それがホレスがここに至って目にした最初の光景だった。