覇道を征く者 第十一話

〜最果ての地 レイアムランド 祭壇の祠〜

「そうか…。オレは……オレ達は……」

 赤い髪の少女が、自分達を救うために呼び起こした、旅の扉の示す道の果て…
 
「そうだ、ここに…既に……」

 全ての光が揃ったそのときから、ホレスは心のどこかで強くこの場所を望んでいた。手にした六色の宝玉へと目を向けながら、彼はそう呟いていた。


―まだ…出たくないの…それとも……
―…出られないの…?


「……。」
 この極寒の地でただ一つ安置されている巨大な卵。以前ここに至ったときに、レフィルがそれと触れ合った時の記憶が蘇ってくる。そのときの彼女は、実に満ち足りた顔をしていた。
「すまなかったな…レフィル。」
 だが、レフィルは今、度重なる戦いの中で力尽き、その身を氷の棺に、その心を闇の中へと閉ざしている。

「せめて…これが導く結果、そのときこそ…お前を…」

 そのあまりに理不尽な戒めから解き放ってやりたい。それが、今のホレスを動かしているものだった。




―…なに、これ…。体が……動か…ない。

―……なにも…見えない、何も…聞こえない…。

―寒い…。全てが…闇に……。


 何もかもを一様の黒へと染め上げる闇の中、彼女はその身を動かす事すらままならず、ただ深淵に向けて沈み続けていた。入り込み続ける芯から凍りつく様な寒さから身を守るものも何一つなく、体に刻まれた傷にそれを直に感じながら、レフィルは朦朧とした意識の中で揺蕩い続けていた。


―…そっか……。わたし…死んだ…、のよね……。

―……全部、遅かったんだ…。もう…わたしに……幸せも…希望もない……。


 壊れかけた体で、人の分を超えた力を使い続ければ、その先に待っているのは…存在の瓦解。魔王への強い怨みのあまり、それに気づくのが遅くなったばかりに、自分は今、滅びを迎えようとしている。


―……ホレス、ムー……。

 そして何より、全てを消し去ろうとするあまり、二人の友をも深く傷つけてしまった。その深い悔恨が過ぎると共に、レフィルの体は、心は、闇の中へと溶け込もうとしていた。


 その気持ちがありながら…あなたは何故、闇の道へと堕ちてしまったのでしょうね。


―……え?


 その最中、突然闇の中の何処かから、彼女へと何者かが問い掛けてきた。それは、聞いた事のある様な気がしてならなかった。


 私はあなたへと最後に一度呼びかけました。それが…あなたを滅ぼすと知っていたから。

―……。

 闇の力へと手を伸ばそうとしたときに聞こえてきた叫びは、確かにレフィルの記憶の中にあった。二人の友を傷つけられた怒り、何もかもを狂わせ、自分を殺そうとした魔王への憎しみ。それが、内なる”心の闇”を呼び起こし、”彼女”の制止を払いのけてしまった。


 でも、あなたはその手を闇に染めて、戻れぬ道へと足を踏み入れてしまった。


―もう…”勇者”なんて役目なんか、背負いたくなかった。そして…そんなものを作る発端となった何もかもを許せなくなった。だから…

 そして、力を手にしたとき、今まで内に秘めていた悪しき想いが前面へと押し出され、何もかも”心の闇”に、その体の全てを重ねさせていた。

―でも、もう後戻りできない…全部、無駄に終わってしまった…。

 その果てで、バラモスの渾身の一撃を引き金とした生命の喪失が待ち受けていた。力によって歪められた目的―全てに対する復讐も、叶えられずに…


 そう、確かにあなたは…取り返しのつかない事をしてしまった。何しろ、全て自分で壊してしまったのですから。


―……っ!!

 失意の内に沈むレフィルの言葉から、”彼女”は更に残酷な現実を告げていた。それは、レフィルが今まさに考えていた事と殆ど同じものだった。


 言葉が過ぎましたね。でも、あなたの事はずっと見てきました。あなたの思うところ…そして、あなたの悲しみは、よく分かっているつもりです。


―………。
 ずっと自分を見守っているというのであれば、確かにその様な事を言えるのも不思議ではない。だが、ならば”彼女”は一体何者なのか。


 では、あなたは…本当に全てを失ってしまったのですか?


 その様な事が頭の中を過ぎったそのとき、”彼女”はレフィルへとそう問い掛けていた。
―……え?


 あなたの大切なもの、本当に…あなたの中からなくなってしまいましたか?


―わたしの…大切な…もの…?……っ!?

 大切なものなど、自分の手によって失われてしまった。そう思っていた矢先に、突然…眩い光が起こり、レフィルの目が眩んでいた。

―光……?どうして…こんなところに…?

 レフィルが生み出した、彼女自身を包み込む闇に、光が差し込んでくる。それは、彼女の体を少しずつ照らし出し始めた。


 最後の最後であなたが守ったもの、それが導く答えが今……


―…わたしが……守った…もの……??

 全てを漆黒と化す闇の中に入り込んできた一条の光。それはまるで、大いなる災厄が招かれた中で、ただ一つ残った希望の様な儚くも美しい輝きだった。


 




〜最果ての地 レイアムランド 祭壇の祠〜

「…光は揃った」

 祠の中央にある祭壇に並べられている六色の宝玉を前に、ホレスはそう呟いていた。

「……これを全て捧げれば…或いは……」

 氷と闇の内で眠り続ける少女を救い出す。そのための道が、これらの光を以って拓かれる事を、ホレスは切に願っていた。レフィルもまた、このときを待っていたのだから。

「なぁ、レフィル…。」

 極寒の地で寂しく安置されている大きな卵を眺めながら、ホレスはレフィルへと声をかけた。
「この広い世界で、”たった六つ”しかない光を、オレ達が手に入れたんだ。これは…すごい事だと思わないか?」
 物言わぬ彼女に構わず、彼は言葉を続けていた。ずっと捜し求めていたとはいえ、それぞれが唯一無二の”六の光”が、今ここに揃っている。

「そうだ…、そのとき、オレはお前の事も…本当に大した奴だと思ったよ。」

 初めて出会ったそのときは、オルテガの子とは思えぬ程の頼りない存在でしかなかった。だが、最近は、自ら六の光を求めて旅を望める様になり、使命の終わりの地で、ようやくそれが叶っていた。

「だが、もっと楽に生きれば良かったんだ…。お前は…誰にも優しすぎたんだよ。」

 しかし、背負わされた宿命がもたらしたあまりにも残酷な結果は、望みの達成と同時に訪れてしまった。人の身ではバラモスを倒せず、力を求めたが故に破滅をもたらされる。自らの使命を享受できず、力に振り回されてしまうだけのレフィルには、”勇者”という肩書きは重すぎたのか。

「誰もかもが、お前に全てを押し付けていった。お前が…それに応えようとする義務はない。」

 そんな彼女に対して、人々は非情にも、魔王を討つという英雄の役目を押し付けていた。そして、レフィルにはそれを拒絶する事ができず…

「”勇者”が嫌だっていうのなら…やめてしまえばよかったんだ……!!そんなものに追い詰められてしまうくらいならば…オレも初めから…!!」

 そして、彼女はその身に余る役目を果たそうとして、結局その存在を押し潰されてしまった。望まぬ使命に向き合わせようとしたばかりに、彼女に更なる不幸を与えてしまったその事の後悔が、ホレスに襲い掛かる。

「もう…お前の心を偽る必要なんかないんだ。」

 自らの使命の中で力尽きたレフィルを見下ろしながら、ホレスは彼女を心の底から労う様にそう告げていた。体は朽ち果て、心を閉ざした今のレフィルに、ホレスの言葉は届かない。


「だからオレは、ここに…七つの光を掲げる!!!」


 それでも、まだ…やらねばならない事がある。彼は叫びながら、変化の杖を掲げた。

 その声に呼応する様に、六つのオーブが回転しながら彼の周囲を舞い始める。

「今こそ…ここの真実を!!」

 杖を振り下ろすと共に、六の光はそれぞれの祭壇に向けて飛び、やがてその内へと静かに収まった。近くの燭台に、それらと同じ色の炎が灯る。

「…そして、これがお前にしてやれるせめてもの…!!」

 次いで、彼は女王から託された光の欠片を、レフィルを閉ざしている氷の棺の上へと押し当てた。その光は、彼女の胸元に吸い込まれる様にして、穏やかに消えていった。






―明るい…。


 一様の闇の内へと入り込んだ光はだんだん大きくなり、いつしかこの虚空の中に融けゆくはずだったレフィルの体を余す事なく照らし出していた。


―満たされていく……。


 闇の中へと沈み、消えようとしていた体にあった虚無感が、光によって打ち消されている。

―あれは…?

 そして、光は暗闇の中でずっと佇んでいた、もう一つの存在を映し出していた。


 さあ、思うままに進みなさい。あなたなら、きっと……


 それを目を丸くして眺めているレフィルに向けて、”彼女”は優しくそう告げていた。
―………。
 その声に応える事なく、レフィルはただ、卵をじっと眺め続けていた。

―もうすぐ…生まれるんだね……。

 そして、引きつる様な傷が刻まれた左腕を、卵の表面へと差し出していた。その中から感じられる、微かな揺れが、温もりが、まもなく生まれる生命の存在を知らせてくる。いつしか、それを見守るレフィルの瞳には、ずっと忘れていた輝きが灯っていた。




 捧げられた六つのオーブが発する淡い光に、突如として変化が起こる。

「これは……。」

 それらは共鳴するかの様に、同じ様に振舞っている。その中で起こる更なる異変を、ホレスは感じていた。

―山彦の…音色…?それと……

 メリッサが携えていた山彦の笛が奏でる音色が、六つの光と共に辺りに響き渡り、ホレスの立つ中央に届いていた。そして…

「………ついに、来るのか…?その瞬間が…?」

 卵の内からの鼓動もまた、ホレスには感じ取れていた。そしてそれが、伝説に残る存在が蘇るそのときが近い事も…。



―なんだろう……このなつかしさは…。

 もうじき生まれ出ずる卵の中にある存在。それが何者であれ、誕生を喜ばしく感じられる心情…

―……やっぱり、この気持ちも…捨てようとしていたんだ。

 人となじめず、幾多の動物と苦楽を共にしてきたあの頃の記憶。その中で感じられた小さくも数々の喜び。

―でも、今は……いいよね…。

 ずっと忘れていたそれらは、彼女の心を形作る大切な欠片とも言えるものだった。全てを取り戻そうとして、それらを失った。だが…

―わたしがやりたい事を…思い出しても……。

 今一度、レフィルはそれら全てを思い出していた。


 主の僕たる不死鳥

 汝は新たな生誕のときを迎えん

 我ら、永きにわたり待ち続け、ここに至る

 聞き届けよ、我らが祈り


 そして、卵にさする様に触れながら、彼女はその口から言葉を紡いでいた。その声は、穏やかな風の様に暖かで、まさに祝詞と呼ぶに相応しい、清らかなものであった。


「……!」

 宝玉が奏でる音から、少女の声がその耳に届き、ホレスは目を開いていた。聞き慣れていたそれとは違う、美しい歌声。しかし…

「……お前も…見ているんだな。」

 彼には、その旋律を紡ぐ者が誰であるのか、すぐに感じる事ができた。体を氷の内に閉ざし、心を闇へと呑まれ様としている中で、レフィルもまた、子の場を見守っている。



―長かったね……。

 小さく揺れ動く卵へと、レフィルはその体を以って身を寄せる様に抱き止めながら、呼びかけ続けていた。

―…ねぇ、あなたは…いつからここにいたの?

 この様な卵が、極寒の地…それもたった一つで安置されているのは何故なのか。それよりも、一体どれだけの時間を孤独で寂しく過ごしていたのだろう。

―……さぁ、起きて。


 ときは来たれり

 今こそ、目覚めのとき

 大空は、お前のもの

 舞い上がれ

 空、高く


「……!!卵が…!」

 レフィルが歌う声にあわせて、卵の中で今、新たに誕生した生命が、目覚めのときを迎えていた。

ピシッ……!!

 卵の殻の内側から聞こえる、叩く様な音が次第に大きくなり、やがて…一筋の亀裂が表面に走った。

「…割れる……!!」

 それを前に、ホレスは目を見開きながら、ただ立ち尽くしながら見守る他なかった。



キュアアアアアアアアアアッ!!!


 そして、産声と共に、大きな卵の内にあった存在が、遂に現世へとその姿を現した。