冒険ばとん そのはち
最後の苦境
僅かばかりのパンを持ち込んだだけの、五日にも渡る旅路の果てについに少年は恩人の女性の下へと辿り着いた。
だが、その終わりで待ち受けていたのは、死にも等しい程の絶望的な状況であった。
周囲を囲む屈強なる悪漢達。少年に比して体格も経験も圧倒的な違いを見せるだけの手練の集まりである事は容易に読み取れる。
そんな男達と一人でもまともに戦えば、おそらく少年の命はないだろう。
「死ねやぁ小僧ォオオッ!!」
怒号と共に、全員が彼を殺そうと一斉に動き出す。
少年に向けて、頭目を含む五人の人攫いが、手にしたクロスボウの先を向けてその引き金を引いた。
それは狙いを違える事なく、少年に向けて殺到していた。
「……。」
だが、少年は命を奪う五本の矢が迫る様を目にして尚も、微塵もその表情を歪ませる事なく佇んでいた。
そうして怖れずに、彼は目の前へと手を差し出していた。
「…ぐぇっ!!」
「!?」
直後にそこに立っていたのは、放たれた五本の矢に射抜かれて絶命している同胞の姿であった。
「…おいっ!右!!」
「…何?…っ!!」
そして、仕留めたと思っていた相手の姿が、今しがた倒れた仲間が立っていたはずの位置に不意に現れていた。
その手には、淡く紅い光を微かに帯びた檜で拵えられた杖と、見慣れた食器を大きくした様な三叉の鍬が握られている。
「ぎゃっ!!」
不意に、少年は相手に身構える暇も与えずに、すぐさま右手の鍬の先を人攫いの脇腹へと突き刺した。
その男が、激痛のあまり手放したクロスボウを、すぐさま引き抜いた鍬で回収し、手元へと手繰り寄せる。
そして、左手の杖を収めつつそれを手にとっていた。
「こいつ…っ!!」
致命傷とは至らずも、またしても仲間を傷つけられた。
残りの三人は、崩れ落ちた仲間の側に立つ敵に向けて、再び矢を放とうと構えた。
今度は先刻の奇妙な杖の力もない。次こそ確実に針鼠の様にしてやる。
「ヴィード・デラム・セロン・セヒト・リハト・メタリル・シュローレ…」
「…っ!?」
そう思っていたその時、突如として彼は咆哮を上げる熊の絵柄の巻物を片手で広げながら、何かの呪文の様な奇妙な言葉を紡ぎ始めた。
成長期に差し掛かった少年の少し低みがかった声色が、微かに光を帯びる巻物の紙面に呼応する様に、不思議に響き渡る。
同時に、彼の輪郭が徐々に周りの光景へと溶け込み始める。
「何の真似だ!?」
「えぇい!やっちまえ!!」
少年が唐突に起こした奇怪な行動と現象を前に、人攫い達は一瞬戸惑いを見せていたが、すぐにクロスボウの先を向けて、一斉に矢を射掛けた。
だが、彼はその身に帯びた不思議な光に委ねるままに、一歩もその場から動こうとしなかった。
「…!??」
「な…っ!?どうなってやがる…!?」
しかし、射られた矢はそのまま少年の体を通過して、その奥に佇む木々へと突き刺さっていた。
そして、少年自身の体には、矢の一本どころか、かすり傷一つ見受けられない。
「こっちだ。」
「…な…!?…てめ…ぇっ!?」
あたかも幻の様に矢をかわしてのけた少年の姿に完全に目を奪われていたその時、不意に後ろからその当人の声が聞こえてきた。
その右手に握られている、奪ったクロスボウの先端が、手下へと真っ直ぐに差し向けられていた。
「…ぐぁ…!!」
「…お…おいっ!!……この…野郎ぉおおおっ!!…出てきやがれ!!」
「どこだ…どこにいやがる!!」
気づいたその時には、一人の手下の右手に一本の矢が深く突き刺さっていた。
これで三人が、少年によって倒されている。
怒りに任せて再び襲い掛かるも、その攻撃は彼の幻を虚しく通り過ぎるだけだった。
「…ぎゃっ!!」
そうして的を外し続けている中で、少年が射た矢がまた一人の手下を捉えた。
それは敵の二の腕を貫いて、その役目を完全に殺していた。
「…そこかぁあああっ!!」
だが、今の一射で少年は自らの居場所をも示してしまった。
頭目は歓喜とも怒号とも知れない程の咆哮を上げながら、斧を手にして少年へと襲い掛かった。
「…ちっ!」
彼がすぐさまクロスボウで迎え撃つも、頭目は斧でそれを叩き落とした。
次いで投げはなった銀色の鍬も、振り下ろされた斧によって粉々に砕かれていた。
「終わりだなァッ!!クソガキィイイッ!!」
幾度の牽制も虚しく、勢いを殺す事なく迫ってくる。
これまで幾人もの罪無き人々を殺めてきた斧による渾身の一撃が、少年に叩きつけられた。
「でぇりゃああああっ!!」
鍛え抜かれた剛腕が操る肉厚の刃が、空間ごと全てを二つに別ち断った。
そこにそびえ立つ大樹が、斧が打ち下ろされた部位より縦に裂けて、左右に泣き別れとなり地面へと倒れた。
「…んだと…?」
だが、そこに少年の亡骸はなく、手応えも感じられない事を受けて、頭目の男は疑念と共にそう呟いていた。
文字通り、その一撃が空を切っていた事を、男はすぐに感じ取っていた。
「残念だったな。」
「……っ!!」
不意に、真後ろから何の感慨もなく発せられる少年の声を聞き、男は思わず振り返っていた。
だが、その瞬間に見えた少年の右手に取られていた弓に番えられた矢が、光の如く飛来した。
「…この、野郎…!!」
男には、突如として背後から放たれたその矢をかわす術などなかった。
肩口を射抜かれた激痛のあまり、その顔が苦悶に歪む。
それでも、男は痛手を負った事で更に怒りを深め、執念だけで体を立ち上げて尚も襲いかかろうとしてきた。
「諦めろ、あんたらは負けたんだ。」
だが、少年はそんな彼を無感情で見据えながらそう告げて、容赦なく再びクロスボウに矢を番えた。
そして、迫り来る獣の如き男へ向けて、引き金を引いた。
「…がぁあっ!!」
今度は足に矢が突き刺さり、男はバランスを崩してそのまま前に倒れ込んだ。
「…これで終わりだ。」
それを最後に、少年は武器を収めて倒れ伏した敵から踵を返して歩き出した。
もはや彼らが自分に害をなす力を残していない今、これ以上戦うつもりはなかった。