冒険ばとん そのなな
どうみても魔王とは格が違う
 
  暗き闇を内に宿した深い森。
 だが、人より怖れられるはずのその秘境には、本来あるべき静寂などなかった。

「…私をどうする気!?」

 切り倒された木々を組んで作られた大きな小屋の中で、ディルジは目の前の男へとそう怒鳴っていた。
 逃げられぬ様足かせを付けられて、狭い一つの部屋に閉じ込められていて尚も、彼女は未だに獣同然の男達に屈する様子はなかった。。
 だが、後ろに一つ結びされた光の煌きを宿していたはずの長い金糸は、ここ数日間…今に至るまでに些かその輝きを失っている。

「さぁな。まぁテメェは随分と上玉だからなァ、何処行っても可愛がってもらえるだろうぜ?」

 彼女の怒声に対して、下卑じみた笑みを浮かべてその顔を近づけながらそう告げる大男。
 人攫いの主格たる彼のその目は悪意の闇に染め上げられたが如く、慈悲の輝きの欠片もない。鍛え抜かれた体が、子分達と同色の緑の覆面フード付きの外套と、土色の衣服を内側から押し広げ、その輪郭を露わにしている。
 己のためだけに力を振るい、そして自らのもたらす災禍によって人が悶え苦しむ姿こそに愉しみを見い出す。
 まさに、正真正銘の悪党と称するに相応しい悪漢であった。

「皆は…?皆はどうしたの!?」

 自分がこの先に辿る惨状から、同じく攫われた娘や子供達の事が脳裏を過ぎったのか、ディルジは詰め寄らんばかりの勢いでそう尋ねた。

「知るかよ。今頃親分の下で”幸せ”に暮らしてんじゃねえのか?何もできねェくせにいちいちうるせえんだよ。」

 この場には既に、男と自分以外の何者もいない。今の男の言葉も相まって、既に攫われてきた者達が、悪意の肥やしとして更なる地獄へと送り込まれた事を示しているかの様であった。

「人でなし…!」

 奪われた女子供達が感じる、家族から引き離される苦しみを、この男達はまるでわかっていない。
 自分達の悦びのためならば、力弱い者を平気で虐げ、嘆きに耳を傾ける事もない様は、まさしく人の情を忘れた者の姿に他ならない。
 だが、そうして里の者達を悲しみへと引きずり込む全ての元凶を作った男に対し、ディルジはその美しい顔立ちを怒りに歪めて、そう毒づくのが精一杯であった。

「…いい度胸だなぁオイ。」

 もはや恐怖に打ち震えるしかないはずのこの状況の中で、尚も自分達に対する憤りを露わにしてくる少女を眺め、男はどこか呆れた様な、感心した様な表情を見せながらそう呟いていた。

「けどな、そんなじゃじゃ馬じゃあ値段も思いっきり下がるってもんだ。向こうで可愛がってもらえる様に、”しつけ”しなきゃあなァ?」
「…!!」

 だが、不意に男が不敵な笑みを浮かべたと共に、ディルジの双肩にその大きな手が置かれた瞬間、彼女の顔から血の気が一気に引いた。

―い…嫌……っ!!

 己の体が男によってゆっくりと持ち上げられる事が、その企みを明確に少女に示していた。
 あくまで逆らうという自分の気質が、逆に男の気に触れてしまったらしい。
 男が本来持ちうる力による支配欲を目の前にして、ディルジはただ恐怖にすくみ上がるしかなかった。



「お…大兄貴!!大変…だっ!!」



 だが、怖れていた結果が訪れようとしたその直前に、別の男が慌てた様子でここに駆けつけてきた。

「オイオイオイ、一体なんだってんだァ!?」

 意識を外に向けると、怒号や悲鳴が上がってやけに騒がしく感じられる。
 確かにただならぬ事が起きている様だ。

「…誰か…来る?」

 それが自分達を攫った男達に明らかに害をなしていると理解して、ディルジは思わず怒号が飛び交う方に目を向けながらそう呟いていた。

「テメェは黙ってろ!!」
「…きゃあっ!!」

 少し声色に期待を乗せていた事が男の気に障ったのか、彼女は思い切り頬を張られ、床に叩き伏せられた。

「だ…駄目だ!!あのガキ…止まらねぇ!!」
「…ガキ…だとぉっ!?」

 だが、男の苛立ちを他所に、突然の来訪者は着実にこちらへと近づいてきていた。


「あ…あなた、まさか…!!」


 そして、丸太を組み上げて作られた壁が、音を立てて崩れさったその先に、ディルジは見覚えのある姿を見い出していた。


「ようやく、辿り着いたな。」

 裾が擦り切れた黒の外套の下に橙の旅装束を纏い、鈍い輝きの銀の髪をもつ少年が、周りを取り囲む人攫い達の事など気にも留めない様に、ゆっくりとこちらへと歩いてくる。
 斜めに傷跡が走るその顔立ちにはいまだ幼さを残しながらも、その目は険しく正面を見すえ、ただ悠然と近づく中でも油断ない雰囲気を醸し出していた。

「何だテメェは!!俺らのシマで何ふざけた真似を…!!」

 たった一人でこの場を目指してた少年に対し、頭目の男はそう怒鳴りつけてきた。
 ここに至るまでに、数人の仲間達が彼によって倒されている事実も相まって、心底の怒りを全面に出している。

「あんたらが売った喧嘩だろうが。俺はただ、降りかかる火の粉を払っただけの話だ。」

 だが、少年はそんな恐ろしい形相を前にしても顔色一つ変えず、ただつまらなそうにそう言い放っていた。
 この様な人里離れた樹海の最奥にいるのも、自分を助けた少女を人攫い達が連れ去ったからであり、途中で小競り合いを繰り返したのも、彼らが邪魔してきたからに過ぎない。
 元より少年には、ディルジ以外の誰にも用はなかった。ただ彼女を里に帰せればそれでよかった。

「このクソチビが!!落とし前つけやがれ!!」

 しかし、それが結果として、人攫い達との真正面からの衝突を意味する事になるのは言うまでもない。
 頭目の怒声と共に、四人の手下達が一斉に少年を取り囲んだ。


「…邪魔するというなら容赦はしない。全員徹底的に叩き潰してやるだけの事だ。」


 それでも少年は全く臆する事なく、ただ五人の人攫い達を細めた眼で見据えて、そう告げるだけであった。


「なめんなァ、クソガキァアアアアアアッ!!」


 その一言で、ついに堪忍袋の尾が切れたのか、男達の表情は、もはや悪鬼の如く凄まじいものとなった。


「ホレス!!」


 同時に少年に向けられる殺気が膨れ上がり、やがてそれは行動となって彼へと襲い掛かった。
 その様を見たディルジの叫びが、森の中に響き渡り、やがては樹海の緑の中に消えていった。