冒険ばとん そのろく
強行突破ぁ
 

  この自然の迷宮を形作る木々が落とした役目を終えた葉と小さき者達の亡骸よりなる、柔らかい樹海の土。
 初めはおぼろげにしか見えなかった足跡が、奥に進むにつれてよりくっきりと残っている。
 獣達が残した物とは明らかに違う、その様な足跡。


―ここだ、間違いない。


 無造作に打ち捨てられた、自然に還らぬ数々の品は、この辺りで人が住まう事を示唆している。
 備えなきままに旅立ってから五日、ついに少年は探し求めていた場へと辿り着いた。
 食糧が底をついて、飢えの影に脅かされながらも、力強い生を感じさせる程に、彼のその姿はしっかりとしていた。


「何だァ?どうしててめェがここにいるんだよ?」


 そのとき、僅かに疑念を帯びたどこかで聞いた様な野太い声が少年の耳に届いた。

「…!」

 すぐさま声がした方に向き直り、呼びかける者の姿を見た瞬間、少年の目が一瞬見開かれた。

 数多くの略奪を働く中の狂気の余り、醜悪に歪んだ髭面の顔に小山程の大きさもあろうかと錯覚させる、鍛え抜かれた巨躯。
 それは、紛れもなくあの里を襲ったならず者達の一人に相違なかった。

「ディルジは…どこにいる?」

 助けるべき少女はきっとすぐ近くにいるに違いない。
 その敵の姿を見てその様に確信を深めながら、少年はそう尋ねていた。

「俺様に殺されて死なずに済んだってのに、懲りねェガキだなァ。」
「………。」

 その右手に摘む様にして握られた斧によって、あのとき危うく身を二つに分かたれるところであった。
 だが、それに対して特に感情も湧き出てこないのか、少年の緑の瞳は正面に立ちはだかる大男を、静かに映しているだけであった。

「バカだなァ、全く。睨んだところで何もできねェだろうが、カスガキ。」

 あの時と同じ様に、全てを貫かんばかりに真っ直ぐに見据える彼に一度でも恐れを覚えた事が思い出されて馬鹿らしくなったのか、大男は自嘲した様に顔を歪めながら後ろをちらと見やった。
 程なくして、この場に気配を潜めていた大勢の者達が立てる音が耳に入ってくる。


「ま、せっかくここまで殺されに来たってんだ。せいぜい可愛がってやるよォオッ!!」


 緑のマントの覆面つきのフードを被り、土色の衣服を身に纏う。樹海の中に溶け込む様な出で立ちをした、十数名の道から外れた男達の嘲る様な視線が一斉に少年へと向けられる。
 この場に現れた仲間達の姿を認めて満足しながら、大男は彼に向けてそう告げながら高笑いした。


―全く、冗談じゃない…


 耳に感じる小さな違和感は既にいつからかあった様な気がした。だが、ここまで多くの者達が潜んでいるこの状況まではどうしても予測したくなかった。
 相手は人の不幸を招く悪行を平気で行える悪党の集団。体格こそまちまちであるが、残虐性が極まったその容赦のなさは、十分脅威に値する。
 略奪の中で鍛え抜かれたその力は、おそらく一人一人が少年のそれを上回っている事だろう。


「…ふん。」


 しかし、改めて思い直すと、この様な窮地もそう怖れる程のものではなかった。
 一つの誤りが決定的な破滅をもたらす死線も、これまでの戦いに比すれば今更の事に過ぎない。
 冷静に様子を伺いながら、一歩踏み出したその時であった。


「……っ!!」


 不意に、踏みしめた足元で硬いものが押し込まれる様な感覚がすると共に、少年は遠くで張り詰められていた弦が弾かれる音をその耳で聞いた。
 同時に、上の方から何かが風を切る音と共に彼目掛けて飛来し、肩を掠めてそのまま地面へと突き刺さった。

―罠か!!くそ…っ!!

 それは、置かれた引き金を引いた者自身を射掛ける弓より放たれた、一本の矢であった。

「今だ!!やっちまえっ!!」

 肩口に傷を負って激痛に顔を歪めた少年を見てそう叫びながら、大男もまた大斧を振り上げて彼に向かって襲い掛かった。

「…えぇいっ!!」

 自ら敵の陥穽へと踏み込んでしまった己に、一瞬怒りを感じた様な気がした。

―どうする…!

 だが、ここで冷静さを欠いてしまえば、それこそならず者達の思う壺である。
 矢に抉られて血が流れ出ている肩から手を離しながら、少年はすぐに立ち上がった。

「くたばれやぁ、小僧ォオッ!!」

 同時に正面から迫る大男が、既にそこまで距離を詰めていた。
 怒号とも歓喜ともつかぬ雄叫びを上げながら、手にした大斧で大地を少年ごと叩き切らんと打ち降ろす。


「…っ!!?」


 だが、次の瞬間、大男は驚愕に目を見開いていた。
 この一撃に込められた気迫は災いの暴風にも似て、逃れられ様もない圧倒的な力を以って今度こそ確実に少年の命を奪うはずであった。 

「…く…!」

 しかし、振り下ろされた斧の勢いは少年の目の前で逸れて、虚しく大地を削り取っただけであった。
 激痛と衝撃にうめきを上げる少年が掲げていたのは、何者にも看取られずしてこの世を去った冒険者の持っていた重厚な大盾であった。
 長き時を経て脆くなった表面に大斧が刻んだ傷から広がる亀裂が全面へと広がり、軋みを上げ始めている。


「…そこ、だっ!!」


 大男は斧を渾身の力で地面に打ち下ろした体勢のままただその動きを止めている。その好機を逃すはずもなく、少年はすぐさま正面に掛けた。

「うげぇええええっ!!」

 壊れ逝こうとしている大盾を、その呆然とした表情を浮かべる顔に向けて全力で叩きつけると共に、大男は奇声と言うべき悲痛な叫びを上げながら地面へと崩れ落ちた。
 その直後、少年が手にした盾はついに限界を迎えて粉々に砕け散った。

「あ…兄貴!!」
「て…てめぇ!!よくも…!!」

 自分達が慕う兄貴分たる男が、小生意気な小僧一人によって倒されたのを見て、ならず者達の顔から嘲笑の表情が消えた。

「ぶっ殺してやる!!」
「やっちまえ!!」

 そして、代わりに浮かべられた見る者をたじろがせる憤怒の形相に違わぬ勢いに任せるままに、彼らは一斉に少年に襲い掛かった。
 まとめるべき者が倒れて統率を失ったものの、相手が子供である事が男達の気に障ったのか、怒りによって力を増して更なる脅威へと転じている。
 まさに怒涛の如く押し寄せてくる彼らが至った瞬間に、常人ならばひとたまりもなく、たちまちにして原型を留めぬ程にその身を砕かれてしまうだろう。

「はっ、好都合だ…!」

 だが、それを目の当たりにしているはずの少年は、その恐るべき者達を見ても表情を恐怖に染める事はなく、そればかりか、歓喜の声すら上げていた。
 いつしか右手には、先端に紅い色の宝玉が取り付けられている檜で拵えられた杖が握られていた。

「死ねよ!!」
「おらぁっ!!」

 少年の口元が微かに歪んだそのとき、激昂した悪党達が罵言と共に剣や斧で斬りかかってきた。

「……っ!!」

 彼らが取り囲んだその中心で、恐怖のあまり息を呑む音が、怒号の内で刹那の間に鋭く鳴った。

「や…やめ…がぁあああああああっ!!」

 次の瞬間、眼前に迫る死に怯えた声と共に、つんざく様な断末魔の悲鳴が辺りにこだました。

「…!!」
「あ…兄貴っ!?」
「な…何で…!?」

 だが、そこにあったのは少年の亡骸などではなく、幾つもの傷を刻み込まれて血塗られた、あの大男の巨躯であった。
 武器を向けた相手がいつのまにか予期せぬ人物とすり替わっているのを見て、更には自らの手で兄貴分を殺めてしまった事で、人攫い達の間に動揺が走る。
 うろたえにうろたえるその様は、先程までの恐るべき殺気など垣間見せぬ程に、実に滑稽極まりないものであった。

「あのガキが、いね…ぇっ!?」

 殺すべき相手を見失い、皆が必死に辺りを見回す中、誰かが言葉を詰まらせると共に驚きに表情を染め上げた。
 つい先程兄貴分たる大男が立っていたはずの場所、そこには何故かあの少年の姿があった。
 右手にとった杖の先についている紅い宝玉から淡い光が発せられている。どうやらその杖の魔力が、今の一瞬の出来事の引き金になったのだろうと、容易に予測がついた。


「終わりだ。」


 だが、またしても小賢しい真似をした少年に復讐を果たす時間は与えられなかった。
 彼が荷物の中から取り出した一つの小さな壷が宙を舞い、ならず者達の中央へと投じられる。


「や…やべぇっ!!離れろ!!」
「…何だって…っ!?」


 それが発する危険な何かを感じ取った誰かが皆に注意を促すも既に遅く、地面へと落ちた壷が砕けて、その亀裂から閃光が走る。


「が…ぁあああああああっ!!!」
「ぎゃあああああっ!!」


 次の瞬間、壷の中に満たされた火薬が砕かれた衝撃で一気にその縛を解かれ、大爆発を起こした。
 爆音と共に広がる爆炎が、ならず者達を襲い、奔流の内に巻き込んだ。


「か…火薬壷…!…ぐ…ぁあ…!」


 激昂して皆で一斉に少年へと殺到したがために、彼らはその一点の周りに集中していた。
 その結束力が裏目に出て、少年が投げ放った火薬壷を満足にかわす事は叶わず、殆どが爆発へと巻き込まれて倒れている。


「…く…そ…!!どこに……!」


 辛うじて深い傷を負わずに済んだ者が辺りの様子を伺うも、もはやあの少年の姿を見つける事は叶わなかった。