冒険ばとん そのに
何ももっていません
 
 木の枠組みによって窓に留められたガラスを通じて差し込む陽光が、白い布へと差し掛かり、照らし出すものへと温もりを与えていく。

「ねえ、ホレスはどうして旅をしているの?」

 そうした母の胎内にも似た快適な寝床の内に身を委ねる中で、少年は、傍らに座る綺麗な金髪の少女―ディルジにそう尋ねられた。

「多くのものを知り、手に入れる。ただ、それだけだ。」

 それに対するホレスの答えは、至極単純にして深いものであった。

「よく分からないけど、たった一人でえらいわねぇ。」

 ディルジもまた、少年の言葉に込められた意味を捉えかねていたが、それでも目的あって彼が旅している事をどことなしに感じる事ができた。
 そもそも、ホレスの答えは旅に身を置く冒険者のみが返しうるものではない。探し求める事は、何も旅だけに限られたものなどではなく、この世を彷徨う多くの者が常々行ってきた事と言える。だからこそ、違和感なく伝わったのかもしれない。
 少なくとも、旅を始めてから一年程度を過ごしただけの、若輩の冒険者の未熟を感じさせないものであった。

「あら、あなたの着ていたものならそこにかけてあるわよ。随分ボロボロだったから、少し直させてもらったけど。」

 ふと、ディルジはホレスへとそう告げていた。
 時折しきりに自らの衣服を改めるその様から、少年が思うところをすぐに察した一言だった。
 指差された方を見やると、橙に染め上げられた厚手の旅装束と裾と袖元が擦り切れた黒の外套が壁に架けられている。死の猟犬によって傷つけられたはずの三筋の跡は綺麗に縫い合わされていた。
 また、その下には丁寧に畳まれた黒の上着とズボンと、脚絆や手甲と言った身につけていたものが安置されている。

「そうか…。すまないな、余計な手間をかけて…」
「もう、余計って何よ。可愛くないわねぇ。」

 行き倒れたところを助けてもらったばかりか、衣服を整えてまでくれた事に感謝の念を覚える。
 が、素直に礼を告げるつもりが、要らぬ事まで零してしまった事が少々気になったのか、ディルジは腰に手を当てて怒った様な仕草を見せた。

「着替えたら少し待ってて。ご飯にしましょ。」

 だが、すぐに温かな笑顔へと表情を戻しながら、彼女は少年へとそう告げて、部屋の中から去っていった。
 その姿に、彼は微かにはるか昔に感じた温もりを感じた様な気がした。



「…これで、全部か。」

 ディルジがまとめておいてくれた衣服を身に付けながら、少年は袋の中に収められた手持ちの品を改めた。

―手ぶらと変わりないか、これは。

 樹海を彷徨う中で、武器や薬草などの道具や食糧までも尽き、残っているのは僅かばかりの路銀だけであった。
 おそらく大きな町の市場辺りにまで行けばまたそうした品を買い揃える事もできるかもしれないが、それまでは恐らくこの何もない状況を切り抜けなければならないだろう。

―さて、どうしたものか…。

 せめて食糧だけでも調達しない事には、この先の旅は厳しいものとなるだろう。

―いずれにせよ、動かない事には始まらないか。

 とりあえず、一度旅の中での食糧を用意してくれる様に頼み込んでみよう。そのための見返りを求められるならば、相応の事は覚悟しているつもりだった。
 或いは行き倒れた自分を勝手に助けたあのお節介な少女ならば、言わずとも勝手に用意してくれるかもしれない。
 いつしか辺りに漂う香ばしい匂いを感じながら、彼は部屋から出ようとした。 

「…ん?」

 だが、そのとき遠くの方から何か物音が聞こえてくるのを感じた様な気がした。

―……大勢の足音?それに…

 その耳は、確かに樹海の内に切り開かれた辺鄙な里へと忍び寄る者達の気配を感じ取っていた。そして、急速にここに近づいてくる様な、段々と大きくなる一人の荒い吐息と、土を蹴る靴音。

― 一体何が…?

 その穏やかならぬ予感を漂わせている物音を前に、少年は戸惑いを隠せずに様子を伺いながら、ディルジの待つ食卓へと歩みを進めた。


「逃げろ、ディルジ!人攫いどもが来るぞ!!」


 程なくして、扉が乱暴に開け放たれた音と共に、怒声にも似た男の切迫した叫びが、少年の耳を強く打った。

「おじさん!!」

 同時に彼が目にしたものは、駆けつけてきた中年の男の来訪への驚きのあまり、手にした焼きたてのパンを取り落としそうになっている、金の一つ結びの若い女の姿であった。