第二章 最初の出会い
第七話
 
 
 その男の登場によって、場の空気が一瞬にして静まり返る。周りに吹き荒ぶ風の音もまた、どこか遠くから聞こえているように感じられる。

「どうしたよお前ら?俺様の格好よさに痺れて言葉も出ねぇってか?」

 言葉も発せずにいる者達を見て、大男―カンダタはそう言い放っていた。言葉通り、己の魅力が成せる技と信じて疑わないのか、その声は喜ばしいように明るいものだった。
「悪趣味にも……程がある…。」
 だが、その直後に返ってきたのは、大男の思いとは全く逆の反応だった。
「何だとぉ…?」
 目を細めて呆れたように首を振る銀の髪の青年の言葉と仕草に、カンダタは己の目と耳を一瞬信じることができなかった。

「一歩間違えれば変態。」

 そうして呆然としている所に、赤髪の少女が感情を乗せぬ一言をぽつりと零していた。
「ぐぅ…っ!?」
 追い打ちを掛けるように呟かれた言葉に、言いようのないショックが襲ってくる。
「って、ごらぁ、ムーッ!!てめえまで何言ってやがる!!?」
 よく見れば今の一言を吐いたのは、仲間であるはずの魔法使いの少女、ムーであった。だからこそ、裏切りにも似た仕打ちを感じてカンダタはそう怒鳴らずにはいられなかった。
「…それとも、間違いなく??」
「……駄目だこりゃ…。だぁれも分かっちゃくれねえのな、これが漢の魅力ってモンじゃあねえか!!」
 その反論にも耳を貸さず、ますます酷い言葉を呟くムーに閉口しつつ、否定された己の魅力を全面に押し出すように身を張りながら、カンダタは訪れた二人の冒険者へとそう問い掛けていた。
―……下らない。こんな魅力なんか分かってたまるか。
 しゃかり気になって己を立てようとする盗賊団の首領に、ホレスはいよいようんざりしてきた。
 あの緑のマントの下から現れたのは、その影から見せていた大柄さに違わない筋骨隆々の巨漢であった。丸太のような四肢に山のように大きな体。隅々まで鍛え抜かれた筋肉は一片も隙もなく、賞賛に値するものだった。
 しかし、その出で立ちが問題だった。先程脱ぎ捨てた外套の下に纏っていたのは、目のみ丸く空けられている緑のマスク、腰に付けているのはマスクと同色の三角パンツ、そしてブーツに手袋。他は一切何も身に付けていない半裸の出で立ち、それは余程奇特な趣味を持たぬ限りは間違いなく”変態”としての意味しか持たぬものでしかなかった。

「すごい……。」

 そのはずだったが、ただ一人、そんな嫌悪感とは無縁の純粋に感じ入ったようにカンダタの姿を見つめる者がいた。
「…レフィル!?」
 全く意図しなかった声の主の反応に、ホレスはぎょっとしたように肩を竦ませた。あの卑猥な出で立ちを見ても、その顔には驚きも呆れもなく、ただ自然に物を見るだけの普通の表情しか映し出していない。
「え…?」
 思わず上げられた叫びに、レフィルは不可解なものを感じて振り返っていた。
―ここまで…鍛えられるんだ……。
 元よりレフィルには、カンダタの服装など眼中になかった。それよりも、人間の極限にまで挑まんとする男の肉体が鍛え上げられている様に、ただただ見入っていた。他の下賤な思いなど歯牙に掛けぬ、魔王を倒すべく力を欲する者として、ただ純粋な興味から来る気持ちでしかなかった。
「おおっ!分かってくれる奴がここに一人!!嬢ちゃん…あんたは俺の心の友だぜ…。」
「は…はあ……。」
 レフィルが向ける悪意なき視線を感じ取って、カンダタは歓喜の声を上げながら彼女へと歩み寄り、その両手をしっかりと握り締めた。感極まったような漢の熱烈な仕草に、レフィルは曖昧な言葉を返すしかなかった。
―この感じ…どこかで……
 だが、双掌から伝えられる温もりに、何か覚えがあるような気がした。覆面の隙間から覗かせる黒瞳の眼差しも、悪意などに流されはせぬ剛毅な男のものであった。カンダタその人には面識はなくも、同じような感触が、遥か昔にもあったような…。

―分かっている。それが俺ができるせめてもの……。

 そう、かつて交わされた約束の言葉と共に、同じような逞しい手に包まれた遠い日の記憶。

「いでえっ!?」
「!」

 それを思い返さんとしたその時、鎖が擦れ合う音と共に上げられた男の悲鳴によって、レフィルはふっと我に返った。手を取っていたカンダタの目が、激痛によって一瞬細められるのが見えた。
「何しやがる!!こらぁっ!!?」
 語らいに水を差すように背中を容赦なく引っ叩いた輩に振り返りながら、カンダタは怒声を上げていた。振り返った先にいたのは、侵入者の青年であった。その手には、分銅付きの鎖鞭―チェーンクロスが握られている。
「……あんたには金の冠の在り処を吐かせなきゃならないからな。」
 何が何だか、と釈然としない表情のまま、ホレスは本来の目的へと立ち返っていた。
「おい…今何て言った?」
 今彼が告げたことに、カンダタは耳を疑った。
「頭であるあんたを叩くのが一番早い。」
「はっ、こいつは面白ぇ!!やれるモンならやってみろってんだ!!」
 確かに、金の冠の在り処は自分も知っている。だが、それを自分の口から吐かせようと、しかも一番の早道と言い放ってのけた。既に実力者と知られている自分に挑もうとするのは余程己に自信があるのか、ただの愚か者なのか。だが、正面から金の冠を奪い取らんとする姿勢に半ば呆れながらも、面白いものを感じて、カンダタもまた気分が高揚していた。
「ホレスさん……」
「下がっていろ。こいつを叩きのめして金の冠を奪い返せば全部カタがつく。」
 ロマリアからの旅路、カザーブでのひととき、そしてシャンパーニの塔の陥穽、更には城下町以来の奇妙な時間。ここに至るまでに色々とあったが、ついに今回の目的を果たすための格好の標的が目の前に現れた。それを逃す手はないと、ホレスはカンダタへと対峙していた。先程の茶番にも似たやり取りの中で見せた間抜けな姿と裏腹に、幾度もの修羅場をくぐり抜けてきた大盗賊たる堂々とした威圧感が改めて感じられる。
「でも…それだけじゃ……」
「俺のことは気にするな。どうせあんなろくでもない国なんか、二度と立ち寄るつもりもない。」
「……。」
 ここでカンダタを倒して金の冠を取り返したとて、ホレスの疑いを晴らす決定的な証拠とは成り得ない。だが、ホレスにとってはそんなことは瑣末事でしかなかった。旅を続けるために、王と交わした最低限の約定のみを果たす。それだけで十分だった。逆に言えば、そうしなければならない理由がある、ということにもなるが。
 どのみち、いつまた捕まるか分からないような無茶苦茶な国などに、誰が好んで訪れようか。
「なぁるほど、お前さんもあの石頭な大臣にひでえ目に遭わされたクチか。そいつは悪いことをしたな。」
 この度の厄介事の発端となったのは、ロマリアの大臣が国宝・金の冠の窃盗事件の解決を急ぐべく、なりふり構わぬ捜査に出たことである。その強引な手法は、カンダタ達も良く知っていた。そのとばっちりを受けてホレスは強制的に監獄へと送られ、レフィルは勇者としての使命を強いられた。ここに来ざるを得なくなった事情を二人の会話からどことなく察して、カンダタは少々罰が悪そうにそう告げていた。
「あんたが気に病むことじゃない。それとも、詫びをするつもりなら今すぐ金の冠を寄越すか?」
 確かに、金の冠を盗んだがために、ロマリアの大臣の逆鱗に触れることになったのは間違いない。しかし、それに収拾を付けんとして、勝手に疑いを掛けたのは大臣の方である。だからこそ、元よりホレスはカンダタに対して怒りなど抱いていなかった。
「いーや、せっかくここまで来たんだ。それじゃあ面白かねえだろうが。さぁやろうぜぇ!!」
「……。」
 それよりも、謝るくらいならいっそのこと冠そのものを渡してくれれば話は早かった。だが、悪いことに相手にはその気はないらしく、むしろこの状況を楽しんでさえいるようだ。不敵に笑いかける大男を前に、ホレスは諦めにも似た気持ちで、無言のまま身構えていた。


「……。」

 互いに睨み合いを始め、空気が張り詰める中で、レフィルもまた黙って成り行きを見守っていた。
「戦闘馬鹿。」
「……え?」
 複雑な思いの中で動けずにいる中で、不意にあの少女が声を掛けてきた。茫然自失としている中で意識を引き戻すように突然話し掛けられて、レフィルは思わず彼女―ムーへと向き直った。

「カンダタのこと。」

 ムーが指差す先にいる巨漢、大盗賊カンダタ。侵入者である自分を当然のように助け、ムーのような若い娘をこの盗賊団に擁しているところから見ても、噂に違わない仁義の者と知れた。だが、そんな彼でも不要なはずの勝負に自ら興じようとしていたのは何故なのか。それは、或いはムーが告げた通りのこと―単に己の力を試す場を欲してのことなのかもしれない。
「たぶん、私も。」
「そ…そうなんだ……」
 その好戦的な気質は、彼と共に過ごしてきたこの少女にも影響を与えたらしい。自らを戦闘狂と称するムーを見て、レフィルは曖昧に頷いていた。あの圧倒的な力と、この無表情が醸し出す涼しげな雰囲気の差異はあまりに大きく、余計信じられない。それとも、可愛らしいはずの小動物が獲物を見かけるなり凶暴な捕食者へと転ずる様に似ているだろうか。

「あなたは、どうなの?」
「え?」

 そんなことを考えていると、今度はレフィル自身に向けてそう告げられる。真っ直ぐで澄んだ緑の瞳でじっと見つめながら、ムーは抑揚を感じさせない声色で問い掛けていた。
「あなたは勇者…でも、やっぱりちょっと違う。本当に、勇者なの?」
「……。」
 武勇を以って世界を救う勇者であるはずなのに、今起こっている戦いから目を背けんばかりの憂いを浮かべるレフィルを見て、内なる葛藤の一片を感じることができた。ムーが不思議に思って首を傾げながら尋ねるも、レフィルはただ、口を開くことを拒絶するように沈黙を返すだけだった。
 二人の少女が見守る目の前で、いつしか戦いは始まっていた。


「どうしたどうしたぁっ!?そんなモンかっ!?」

 常人の数倍の太さはあろう豪腕が振るわれる度に、暴風が吹き荒れる。それを一度でもまともに受けてしまえば、骨まで砕かれてしまうだろう。
 守ることのみに一度意識を置くことで、幾度も突き出される拳を見切る。正面から立ち向かおうとすれば、そのまま真っ向からの渾身の一撃が叩き込まれ、後ろに大きく下がれば巨体に似合わぬ電光石火の動きですぐさま追撃を掛けてくる。その恐るべき連撃を耐え凌ぐことなど、そう長くはできるはずもなかった。
「ふん…。」
 このような相手に挑んだ己の愚に自ら呆れたように鼻を鳴らしつつ、ホレスはカンダタの前に出た。即座に打ち出された一撃を前に恐れることなく前に進み、紙一重でかわす。そして、そのまま交錯してすかさず振り返り、背面から躍りかかった。
「どぉりゃああっ!!」
「ち…!!」
 だが、その背中がいつまでも無防備であるはずもない。ホレスが放った拳撃が当たる直前に、カンダタはすぐに振り向き、その丸太のような健脚で回し蹴りを繰り出した。咄嗟にかわすも、その威力で思い切り弾き飛ばされて、ホレスは大きく後ろへと下がっていた。、
「ははははっ!!そんな動きでこの俺様を捉えられると思ったかぁっ!!」
 速さならば確かにホレスに分があった。だが、それだけで背後を取れる程のものではない。
「…やはり、ダメか。仕方ない…」
 かと言って、真正面から戦って勝てる相手でもない。単なる冒険者と、己を鍛え抜いた大男の差とでも言うべきか。自慢げに笑うカンダタの声を遠くに感じながらも、己との実力差を改めて思い知らされた気がした。このまま正攻法で戦っても分が悪いのは明白だった。
「これでも、喰らえっ!!」
 ならば、その力を封じるのが先である。ホレスは腰に帯びた袋の一つの中身を取り出し、カンダタ目掛けて投げつけた。
「おっと!!斑蜘蛛糸か!!」
 斑蜘蛛糸―毒蛾の粉と同様に魔物との戦いを想定して作られ、冒険者の間で広く流通している道具の一つである。蜘蛛糸特有の粘性はそのままに、巨大な蜘蛛がより大きな獲物を捕らえるためにより頑丈になした糸。それは、魔物の動きを封じるためによく用いられていた。
 今もまた、投げ放たれたと同時に網のように広がって、カンダタを捕らえんとしている。

「そんなら俺様も使わせてもらう…ぜっ!!」

 だがその時、カンダタもまた背負っていた己の得物―巨大な大斧を手に取り、一心に振り下ろした。次の瞬間、ホレスの投じた蜘蛛の糸は斧の軌跡に沿って縦一文字に断じられ、その外にあるものもまた暴風によって引き千切られて四散した。
「く…、あれは……!?」
 巨漢である彼が手にしてようやく釣り合う程に長く太く取られた柄の先に、大雑把とも豪快とも言える程の大きさの両刃の斧が取り付けられている。その意匠は魔神を模っており、所有者にその力を与えんがしているかのような禍々しさを発していた。
「あんたも…力馬鹿か。」
 そのとんでもない得物を、カンダタは何てこともなく操っている。先に見たムーの意外な膂力にも驚いたが、呪文にすら頼ることなくこれ程の力を見せつけるカンダタには、もはや例える言葉すらなかった。或いは彼女も、この男の姿を目にしてきたがために、あのような戦い方を覚えたのかもしれない。
「はっはっはっは!!力を極めるということを馬鹿にしちゃあいけねえぜ!!」
 ホレスが零した呆れたような言葉に、カンダタが愉快そうに、そして何かを伝えるようにそう返す。その道に踏み入らぬ者が決して知らぬ領域。極められた力が如何に大きな災いをもたらすか、同じように如何なる大望を叶えうるものとなるか。そして、己に挑戦する気概を与えてくれるか。語り尽せぬ程に奥の深いものであった。

「どぉりゃあああああああっ!!!」

 不意に、カンダタが己の得物を思い切り振り回しつつ、その強靭な足腰を以って大空叩く飛び上がった。
「く…!これは…!!」
 その動きは、つい先程目にしたものに酷く似ていた。空を舞う鳥の如く華麗に宙を舞いつつ、己の全ての力を叩きつけてきた少女のあの一撃と同じ動き。荒々しさから、それと似付かぬ不格好でありながら、山のような大男が空から迫り来る重圧に感じる恐怖は比べものにならない。
 身を翻してかわした先に見えたのは、大斧に叩きつけられて砕ける塔の床であった。先程ムーが空けたそれとは比較にならぬ程に大きく穿たれている。
「だが、大雑把過ぎるな!!」
 …が、同時に大技の後に見せる隙もまた大きかった。この好機を逃さず、ホレスはカンダタの背後を取り、首筋にナイフをあてがわんとした。
「そこだぁあっ!!」
「…何っ!?」
 だがその直前に、振り向き様の一撃がホレスを痛烈に打った。常人では反応し切れず、かつ威力も狙いも落ちるはずの反撃。しかし、カンダタ程の力によって放たれた今は訳が違った。

「ホレスさん!!」

 斧から手放された拳がホレスの鳩尾を的確に捉え、その勢いのまま殴り飛ばす。喀血しながら宙に投げ出される青年の姿に、レフィルは悲痛な叫びを上げた。
「決定打。」
 無防備な所に打ち込まれた渾身の一撃を前にしては、致命傷さえも幸いと取れる程の痛手は免れ得ない。既に勝負は決したと、その場の誰もがそう思った。

「「!」」

 だが、その予想は現実のものとはならなかった。少女二人は、思わずその光景を前に息を呑んだ。
「おいおい…冗談だろ……?」
 カンダタもまた、今しがた倒したはずの青年の姿を見て、信じられぬように頭をもたげながらそう呟いていた。

「……効かないな。」

 そこにいた冒険者の青年は、あれ程の衝撃を受けて尚、膝をついてさえいなかった。床に叩きつけられる直前に、宙で身を翻して着地して、そのまま何事もなかったかのように立ちあがっている。口許に垂れる血を拭った後に真っ直ぐに見据える目には、未だに十分な程の生気が宿っている。
「マジか…?今の本気だったぜ…?」
 立っていられるはずのない程の一撃を受けたにも関わらず、気を失うどころか、倒れてすらいない。重厚な鎧を纏っているわけでもなく、まして力を受け流すような真似をしたようにも感じられない。
―おいおい…まさか、不死身とか言うんじゃねえぞ。
 手応えは十分であったにも関わらずその体は砕けた様子もなく、今も機を窺っている。真正面から耐え切ったとしか言い様のない中で、まるで何事もなかったかのように佇んでいる。そんな不可解な光景を前に、さしもの豪傑も動揺を隠せずにあった。優勢であることは変わらない、にも関わらず。
「それで倒れてたら、冒険者など……っ!」
 呆気に取られるカンダタに更に圧力をかけるように歩み寄りつつ、表情を浮かべずに冷たく告げんとしたホレスの言葉が、不意に途切れた。

「がはっ…!!」

 次の瞬間、その口から鮮血が何度も迸った。
「お…おいおい、お前っ!!やっぱり応えてんじゃねえか!!」
 先程までまるで通用していないように振る舞ってはいたが、やはり完全に受け切るには至らなかったらしい。何度も咳き込むホレスを見て、カンダタは今戦っているということすら忘れて、焦った調子でそう叫んでいた。
―どうなってやがんだ!?こいつの根性は!!
 自慢の力による攻撃を完全に受け止めることなど、最初から期待してはいなかった。それを差し引いたとしても、あれだけの力に押し潰されても意識を留めているだけで十分驚嘆すべきことである。そして、それだけに留まらず……

「…それがどうした。」

 傷ついて尚も、戦う姿勢を崩そうともしない。手負いでありながらも、その双眸に宿る表情は先程と変わらず、冷静さは失われていないことが見て取れる。
「まだ勝負は、終わって……ないぞ!」
 不意に、彼はその腰にある一際大きな袋の封を解き、その中身を一つ取り出して、そのままカンダタへ向けて投げつけた。
「げ…っ!?こいつは…!!」
 唐突に投じられた石のような物の正体、そしてその危険性を瞬時に見抜いたその時には、それはカンダタの足元に落ちて砕けた。

「どぉわっ!?」

 思わず奇怪な叫び声を上げながら下がったその時には、石が落ちた床を中心とした爆発が発生していた。爆炎が体を掠めて軽く火傷を負い、雷鳴にも似た轟音が一瞬聴覚を奪う。
「…げほっ!げほっ!!…な…なんてぇ野郎だ!!爆弾石なんか投げて来やがって!!」
 そして、爆風によって巻き上げられた異臭を纏う煙が喉を突き、カンダタは大きく咳き込んでいた。
 爆弾石―爆弾岩と呼ばれる魔物の体の一部とされる一品。そもそも爆弾岩は、危険な火薬や莫大なエネルギーを体内に貯め込むが故に、生半可な衝撃を与えるとその力を一気に解放して、手を出した者を道連れにするということで恐れられる魔物である。その欠片にもまた危険な程の力が未だに残されており、一部の冒険者はこの力を利用している。
 そんな危険な代物を、突然投げつけて来た青年の無謀さに、カンダタは思わず苛立たしげに怒鳴っていた。
「!」
 爆発が起こした土煙が視界を覆う中で、不意に正面から迫る気配を感じられる。
「何度やっても同じことだぁああっ!!」
「…ぐ…っ!!」
 今また懐に飛び込まんとするホレスに、カンダタは再び拳を振るった。上方から豪腕によって叩きつけられ、彼は呆気なく床に沈み、そのまま動かなくなった。
「全く…おっそろしいヤツもいるもんだ…」
 痛恨の一撃を許して尚も、再び事もなげに立ちあがって見せ、今もまた最後の抵抗を企んだ。更には、ムーとの戦いやシャンパーニまでの旅路で既に幾分疲弊してさえいる。一体何が彼をこうまで支えているのか。
 だが、その執念の真髄は、まだ全てを見せてはいなかった。

「……ん?」

 あの気迫に押されて、叩き伏せたところで気を抜いたのが災いして、全く気がつかなかった。そんなカンダタを、ちくりという痛覚が訴える。左肩の辺りに、微かに疼くような痛みがする…。
「な…!!?コイツ…まだ……っ!!?」
「………。」
 奇妙に思いそこを改めると、ホレスが虚ろな表情を浮かべながら、何かを突き刺しているのが見えた。不意に背後を取った敵を見て驚いたその時、それを引き剥がそうとする手から力が急激に抜け始めた。
「こ…これは…キラービーの…!!」
 山奥の辺境に位置するカザーブ村の周辺でよく出没し、レフィル達も幾度か遭遇した蜂の魔物―キラービー。その麻痺毒は幾度も冒険者達を悩ませている。カンダタもまた例外ではなく、その感覚には覚えがあった。
「げぇっ…!!…な…なんてこっ…た…!!」
 だが、しまったと思った時にはもう遅かった。毒針から注がれた麻痺毒がやがて全身に回り、その毒針を抜く前にカンダタはついに仰向けに倒れてしまった。
―……こいつは…俺様の、負け…だわな。
 体が痺れて満足に動けない中でカンダタが見たものは、ふらつきながらも尚も立ち上がっているホレスの姿であった。
 幾度なぎ倒されようとも生きている限り立ち上がり最後まで勝機を見い出し続ける相手に対して、一瞬でも慢心したのが敗因であろう。痺れに感覚が苛まれ続けるのを感じながら、カンダタは漠然とした意識の中で、素直に敗北を認めていた。