第二章 最初の出会い
第八話

 古き時代より建ち、今も尚その偉容を大陸西の平原に見せているシャンパーニの塔。その今の主である盗賊団の首領―覆面と緑のパンツのみのレスラーのような出で立ちの筋骨逞しい大男。彼が奪ったとされるロマリアの国宝―金の冠を取り戻すべくやってきた勇者の仲間―銀の髪を持つ痩身の冒険者。
 彼らは金の冠を巡って、この塔の広間で熾烈な戦いを繰り広げた。
 

「終わった、か……。」

 そして、その勝負はついに決した。キラービーの麻痺毒の針によって動きを封じられ、床の上で悶えるカンダタを見下ろして、ホレスはふぅ…と溜息をついていた。
 こちらの攻撃がまるで通じぬ程の腕力の差。振るわれる拳は掠めただけで傷を負わせる程の威力で、背負った大柄な大斧も飾りに見えてしまう。これだけの実力差がありながら勝つことができたことに、奢りを抱けるはずもない。ただ勝つための執念に身をたぎらせた末に訪れた結果に、幸運を感じざるを得ない。
「………。」
「レフィルか……。」
 傍らで見ていた少女―アリアハンの勇者・レフィルがいたたまれなくなって黙したまま歩み寄る姿を認め、ホレスもまた静かに向き直った。
「どうして…こんなになるまで………。」
 床は砕け、戦いの中で微かに零れた血で紅い斑点が幾つも付いている。命のやり取りにすら至らぬ程のやり取りの結果に過ぎぬはずが、それはまさに修羅場とでも言うべき凄絶な光景であった。
 その戦いの中にいた二人の男もまた、それぞれ浅くない傷を負っている。仲間であるホレスが負った傷も目も当てられぬ程のものであったが、対するカンダタもまた、手傷というべき傷を受けている。
 小さなきっかけから始まったはずが、何故こんなことになってしまったのか。レフィルは思わず悲嘆に暮れそうになっていた。
「……我ながら、愚かなことだと思ったさ。」
 あちらも元より力比べをする程度の心持だったのだろう。それをわざわざこのような泥沼の戦いへと持ち込まんとしたのは自分だったのかもしれない。レフィルの責めるような言葉に、ホレスもまた自らその愚を認めていた。

「だが、ここで勝たないことには…っ!!」

 それでも、勝たなければならない理由がある。それを口にしようとした直前、不意に息を詰まらせるようにして言葉が止まった。
「…ホレスさん!!」
 同時にバランスを崩して前のめりに倒れようとする青年を、レフィルはすぐに体ごと受け止めていた。
「………く、そ…少しばかり喰らい過ぎたな…。」
 抱き止められるような形で支えられる中で、ホレスは苦しそうに咳き込みながら弱々しくそう毒づいた。
「喋っちゃだめ!!……す、すぐに手当しないと!」
「……。」
 カンダタの重みある拳の衝撃を受けて当然無事でいられるはずもなく、その体は既に限界に達していた。手を放せばそのまま崩れ落ちてしまう程に、ホレスの体からは力が抜けていた。
 命にも関わる程の思わぬ深手を負ってしまった仲間の青年を前にして、レフィルは己の意思に反してただただ動揺し、動くことすらもままならなかった。

「ベホイミ」

 我を失わんばかりの焦燥が慌ただしくレフィルの意識を掻き乱す中、突如としてただ一言の少女の声がぽつりと告げられた。
「……え?」
 それを発したのはレフィルではなかった。思わず後ろを振り返ると、あの赤髪の少女がじっとホレスを見つめているのが見えた。
―ベホイミの呪文を…?
 無機質にして、感情の籠らない淡々とした声色で紡がれた言霊。それは、ホイミの上を行く上級の回復呪文―ベホイミのそれに相違なかった。小さな手のひらが傷ついた青年の体に触れると共に、暖かな光が痛みを和らげていく。そして光が収まる頃には、深手を負っていたはずのホレスの体は嘘のように治っていた。
「お前………。」
 己にも負担の大きいはずの回復呪文を、先程まで敵でさえあった自分に対して躊躇なく使った意図が読めない。そうして呆然としているホレスを、ムーの緑の瞳がじっと見つめている。その内に灯る光には、どこか満足したとも取れる何かが感じられるような気がした。

「キアリク」

 いつともなく、今度はカンダタの方へと向き直り、続けて回復呪文を唱えていた。
「…ふぃー…危ねぇ……。サンキュー、ムー。」
 呪文の効力が及ぶにつれて、カンダタを襲う麻痺毒の作用が弱められ、徐々に感覚が体へと戻っていく。
「にしても……無茶しやがるな、お前…。」
 起き上がりつつムーに礼を告げたのも束の間、キラービーの毒針を引き抜きつつそれを刺した張本人へと呆れたように話しかける。特に殺し合いをするつもりなどなかったが、明確なルールが定められているわけでもない。
 だからといって確実に勝つために毒針という危険な武器も躊躇いなく用いた青年の魂胆に、カンダタはただ背筋が凍るばかりであった。一歩間違えれば致命傷にもなり得たかもしれない。
「ま、面白ければ何でもいいけどな。はっはっは!」
「……二度とごめんだ。」
 その一方で、久々に骨のある相手と出会えたことへの喜びも忘れはしなかった。自分ばかりでなく、その前のムーの力にも屈せずに戦い抜ける程の実力も心意気も有する冒険者とそう出会えるものではない。
 純粋な力を求めるが故に、今の命がけの戦いですら楽観視できるようなカンダタの価値観に、ホレスはどうしても付いていけなかった。
「そもそも、”アレ”がなければ、こんなことなんか…」
 だが、如何に無駄な戦いを避けようとも、この茶番には必ず乗らなければならない理由があった。
「何か言ったか?」
「…あんたには関係ない。気にするな。」
 思わず言葉に出してしまったその思惑に、カンダタが怪訝な顔をして問うも、ホレスは結局心中を語ることはなかった。所詮、他人には関わりのないことに過ぎない。それを伝えるような素気ない言葉の意図を知り、カンダタはそれ以上何も聞かずに頷いた。

「で、嬢ちゃんが今回の勇者サマってか。」

 先程まで拳を交えた青年とのやりとりがひと段落ついた所で、今度は共にやってきた勇者の娘の方に興味が向いた。
「…はい。」
 問われて、レフィルは少しの間を置いて返礼した。
 アリアハンの勇者として旅立つことを強いられたとはいえ、己の心はそれを否定している。何よりその称号に相応しいだけの力もなく、まして自ら勇者を名乗るつもりは元よりない。そんな葛藤が、カンダタの一言の発する意味を更に深めるような気がしてならず、まるで試されているようにも聞こえてしまう。

「おい!金の冠をこっちに持ってこい!!」

 そうしてうつむくレフィルを横目に、カンダタはいつしかこの場に集まってきた部下達へとそう命じていた。
「でも…アレはルースのヤツが……。」
「ま、いいだろ。あいつの事だから後で喧しくなるだろうが、所詮自業自得ってヤツだ。こいつが受けたとばっちりを思えばな。」
 部下達の物言いから、金の冠を奪った張本人は今この場にはいないらしい。彼らが躊躇いを見せる傍で、カンダタはホレスを指差しながら金の冠を催促している。最初に出会った時に言及されずにいたことから然程ではなかったものの、とばっちり―ロマリア兵が執拗に捕まえようとしたことから、或いはそのルースという人物がホレスと似た部分があるのかもしれない。

「こいつが金の冠ですぜ。受け取ってくだせえ、勇者様。」

 暫くすると、部下の一人が金の冠を持って戻ってきた。カンダタが認めた相手に対する敬意を込めているのか、恭しくも飾り気のない仕草で、金の冠を差し出してくる。
「でも…それを手放したらカンダタさん達にも迷惑が…。それに、義賊だ…って王様も仰ってましたから…だから……」
 しかし、レフィルはそれを受け取ることに躊躇いを隠せなかった。
 国宝である金の冠があるからこそ、ロマリアはそれ以上の介入はできずにいた。だが、もしあの大臣がまた「国家の名誉にかけてカンダタ盗賊団を殲滅する」、とでも言い出したらと思うと、今手放すのは良策ではない。
「義賊だぁ?あの道楽野郎がそう言ってやがったのか。…ったく、仕事しろってんだ。」
「道楽って……。でも、王様は……」
 カンダタ盗賊団を目ざわりなものとしか見ずにピリピリとした険悪な様子を醸し出していた大臣と裏腹に、終始のんびりとしながらもその本質を認めていたロマリア王。王の意思が前面に押し出されれば、先の不安も間違いなく無くなることだろう。

「ま、それはそれとしてだ。嬢ちゃん、あんた迷っちゃいねえか?」

 そんな自分達にどうにもならぬことを心配する方向に話が進まんとするのを遮るように、カンダタはまた一つレフィルへと問い掛けた。
「随分と泣きたそうな面してるからな。ずっとそんなんじゃ気がもたないぜ。」
「それは……」
 先に想定していた恐ろしい最悪の事態を零したことからも、レフィルが何か深い嘆きの内に囚われていることはすぐに察することができた。女性にしては背丈も高く、細身ながらも一目見れば勇者としての風格を備えていると錯覚させるその容姿も、カンダタにとっては何かに怯え続ける小さな少女としか見えなかった。
 人の心を知るが故に賞賛を集め、いつしか義賊と呼ばれるようになった男の目は確かなものであり、レフィルは何も言えなかった。
「まあ、誘いの洞窟をたった一人で抜けてこれただけでも十分強いこたあ分かるんだけどよ……なんつーか、アレだ。あんまり思い詰めるんじゃねえぜ。」
「………。」
「だからってワケじゃねえが、無茶はすんじゃねえぞ。」
「はい…。」
 冒険者としてまだ未熟ではあるものの、既にこの大陸を旅するに窮さぬ程の実力を身に付けている。だが、やはり常々葛藤を抱き続け、心身に負担を強い続けているのは見ていて痛ましい。想像を絶する重圧の下に生ずる凝りを解してやるように、カンダタはレフィルへと優しく告げていた。
「それに、お前さんにだって仲間がいるじゃねえか。一人で背負う必要なんかどこにもねえだろ?」
 ここまで来れたのはレフィルだけの力ではない。強敵との戦いでさえ臆することなく挑み進み、最後には打ち勝ってみせた剛胆なる銀髪の青年。カンダタの目には、彼がレフィルのこの上なく心強い味方であると信じて疑いようがなかった。
「あ…実は……その…」
 だが……レフィルが歯切れ悪く話した事情を聞いた途端、カンダタは目を見開いた。
 ホレスがここまでレフィルと共にいたのはあくまでロマリア王との義理あってのことでしかなく、レフィルの仲間と呼べるものではない。

「何ぃっ!?じゃあ何か!?まさかこれから一人で出歩こうってんじゃねえだろうな!?」

 彼が仲間でないのであれば、この後レフィルはただ一人で旅を続けることになる。それも、この旅路などと比べものにならぬ程に厳しい道が待ち受けているだろう。
「…でも、そうするしかない…。誰かを巻き込むわけには……。」
「あのな……」
 勇者オルテガですら成し得なかった魔王討伐の任自体が死出の旅に等しい。周囲の重圧によって半ば押し付けられるような形でそれを負わされたのが嫌だからこそ、他の者にも同じ道を歩ませたくはない。
 そんな思いから、己の自分自身の苦しみを返って増やしてしまっている少女に、カンダタは呆れにも似た感情が浮かんできた。
「一人での旅などお前にはまだ無理だ。それは俺がよく知っている。」
 それを代弁するように、傍らに立つホレスがそう告げた。冒険に必要な知識も実力も既に幾分有しているのも目の当たりにしてきたが、それでも旅立ちからまだ一月すらも経たないかその程度の経験しかない。更には、明確な指標すらない望まぬ旅路の中で自らをいつまでも支えていられる程に強い心を持たぬことも既に見抜いていた。
「……ああ、お前ももう三年くらい冒険者やってたってな。…三年、には思えねぇけどよ。」
「知って…いるのですか?」
「おうよ、まだまだ若くてヒヨッ子のはずなのに色々とやっているみたいだぜ。」
 その慧眼を裏付けているのは、ホレス自身が経た濃密な経験だった。僅か三年の間で、カンダタの耳にも名が届いていることからも、若くして優秀な冒険者であると知られていることが窺える。
「何たって、北のノアニールの村に掛かってた呪いを解いたのもコイツだって聞いたぜ。ほれ、こんなんだってあるくらいだしな。」
 そして、彼が最近上げたとされる成果も、既に人々の間で知れ渡っていた。

〜ノアニールの村、長き眠りより覚める〜
 北西に住まうエルフなる者達の手に掛かって、十数年もの年月もの間覚めることのない眠りの中であることを強いられたノアニールの村。その忌まわしき呪いがついに解かれた。
 ただ一人眠りに落ちずに済んだとされる村の長の話によれば、北の地を訪れた一人の冒険者が来て暫くした後、彼が携えて戻った不思議な粉が撒かれたその時、村人達は目覚めたと言う。
 眠りに就いていた者達は、時を止められたように眠らされた当時のままの姿であった。このような残酷な蛮行に及んだエルフの動向には、今後も注意する必要がある。

 旅人の会カザーブ支部発行

「そんなことまで……。」
 カンダタが見せた紙面が示す内容。その中にホレスの名が特別に載っているわけではない。しかし、既にカザーブ周辺ではホレスが成したものとして噂になっていた。まさか、大勢の人々が住まうひとつの村の運命すら変えてしまうとは。それを聞かされて、レフィルはその実力を改めて思い知らされた気がした。

「まぁ、ともかく今は仲間を探しな。それが今のあんたに必要なんだ。」

 確かに、彼ほどの者が共にいてくれるのであれば心強いことこの上ないが、今後の行く道次第ですぐに別れることになってしまうだろう。
「でも……」
 その力に頼ってきた自覚があるからこそ仲間の必要性は感じていたが、己の旅の目的に付き合わせてしまうことに相変わらず大きな抵抗を感じさせられる。レフィルはやり切れないようにカンダタから目を逸らした。

「………。」

 ふと、顔を背けた先に緑の双眸がじっとこちらを見上げているのが見える。
「ムー…?」
 それは、カンダタ盗賊団の下に身を寄せる魔法使いの少女であった。感情を映さないにも関わらず、向けられる好機の眼差しが逆により強いものであることを容易に察することができた。
―まさか……
 最初に出会ったその時から、ムーはこちらに敵意ではない別の意図―何かを期待するような視線を向けていた。そして今の話の流れと合わせて得られた一つの結論が頭を過った。

「私が最初の仲間になる。」
「…!」

 そして、その予感に違わぬ言葉が、ムーの口から発せられた。 
「ちょ…ちょっと待って!あなたはカンダタさんの……」
 今このまま一人でいてはいけないのは分かっているが、いざその申し出を聞くとやはり仲間を受け入れる資格などないように思わされる。そんな思いが、反射的にレフィルを駆り立てて反論させていた。
「俺は別にいいぜ。こいつの呪文の力は見ただろ?嬢ちゃんの役に立つはずさ。」
 だが、その庇護者であるカンダタ自身は逆に面白そうにそう言っていた。
「え?」
 唐突な旅立ちの申し出に全く驚かぬカンダタの反応は、レフィルにとって予想外なものであった。
「こいつ自身も前々から旅に出たがってたからな。色々と迷惑を掛けるかもしれねぇが、ぜひ連れてってやってくれや。」
「………。」
 最初の最初で滑稽な言い合いをしていたことも、ムーとカンダタが互いに心を許し合っている証のように思えてならない。
「よろしく。」
 そんな二人を自分のためなどに引き離して良いものか、レフィルには分からなかった。だが、自ら同行を申し出て、更には親分の許しまで得た彼女を置いていくことこそ、悪い気がしてしまう。

「ありがとう…。」

 表情を浮かべずとも差し出された小さな手は、これから旅を共にする仲間の善意を求めてやまない。先程見せた実力とは裏腹な無邪気な仕草を見てようやく微笑を見せながら、レフィルはムーの手をしっかりと握りしめた。
 ただ一人で旅立つこととなり、これから先も一人旅を続けようとした中で、レフィルはついに仲間を得ることができた。

「で、ホレス。お前はどうするつもりだ?」

 新たな縁に感謝するようにレフィルとムーが手を交わしているのを横目に、カンダタはホレスへとそう尋ねていた。
「また旅に出る。俺はまだ、行かねばならないところがある。」
「嬢ちゃんのことはいいのか?」
 曖昧な言葉で濁しているものの、カンダタはすぐにホレスの意図を察した。経緯は知る由もないが、出会ってから多少なりともの拭いきれぬ興味をレフィルに対して抱いている。
「………。」
 見透かされたように問われて、微かに迷ったようにホレスは顔を小さく歪めていた。追い詰められた果てに英雄を継がざるを得なくなった境遇を目の当たりにした時から、単なる赤の他人として割り切れなくなるものが心の内に芽生えていた。それでも、本来行くべき道にそぐわぬものであるならば、共に歩むことなどできない。
「ま、それがお前の生き方なら止めやしないけどよ。勇者サマに付いてって悪いこたぁねえとは思うぜ。ゆっくり考えな。」
 珍しく心の迷いを表層に零すホレスへとそう告げながら、カンダタは励ますような仕草でその肩を軽く叩いた。どのような道を選んだとて、後悔のないように生きる。正しい道を己の指針で決め、ひたすら冒険者として生きてきたホレスだからこそ、ここまで迷ったのは初めてのことだった。
「ホレスさん……。」
「とりあえず、ロマリアまで共に戻ろう。事が収まった今、俺もあの王に顔を会わせなきゃならないからな…。」
 金の冠を手にした今、ロマリア王の下に向かわなければならない事情は変わっていない。その間の旅の中で、果たして答えが出るだろうか。少なくとも今はまだ、断ずることはできずにいた。

「さて、こいつも付いてくワケだし、きっちりと支度しとかねえとな。」

 ここから旅立つのはレフィル達だけではない。これまで苦楽を共にしてきた少女もまた、彼らについてシャンパーニの塔を出ようとしている。それを送り出す役目を果たすかのように、カンダタはそう言い放った。
 その声色には、僅かな寂しさと己の道を歩もうとしていることへの好ましい気持ちが入り混じっているようにも感じられた。
「私がいなくて大丈夫?」
「なーに、呪文の使い手ぐらい他に幾らでもいるんだ。俺だってベホイミくらい使えるしな。」
 魔法使いを名乗る程の力を持つムーが出て行くことで、当然穴が生じてしまう。それを僅かに憂う様子を見せるムー本人に、カンダタは周りにいる手下達を見回しながら、安心させるようにそう告げていた。
 彼女には及ばずとも、呪文の使い手としての役割をこなせる者は盗賊団の中にまだ何人もいるようだ。更には意外なことに、カンダタ自身もまた回復呪文の心得があるらしい。

「ああ、それと…いざというときは、分かっているな。」

 ふと、カンダタは何かを思い立ったように更にそう付け足していた。
「分かっている。必ず呼ぶから。」
 それに対し、ムーはすぐさまそう返していた。
―呼ぶ…?
 傍から聞いていれば、単に旅先での仲間の身を案じる言葉に過ぎないが、ホレスにはその中に予想を超える何かがあるような気がしてならなかった。元より、行く先も知れぬ旅の中で”呼ぶ”こと自体が、考えてみれば想像に難い。
 さり気ないようで、意味深に交わされる二人の言が意図するものは、果たしてどのようなものであろうか。
「ま、何にしても気ぃつけてな。」
「ありがとう、カンダタ。」
 いずれにせよ、彼らの間に深い絆があることは疑いようもなかった。ひとときの別れを前にして、互いを気遣う二人の姿は、紛れもなく”家族”のそれであった。


 明くる日の朝早くに、レフィル達はシャンパーニの塔を出発した。カンダタ盗賊団の面々も、ムーの旅立ちを見送るべく、静まり返った空の下へと集まっている。やがて、ロマリア城を目指して歩む三人の姿は、地平線の彼方まで広がる草原の彼方に紛れて消えた。

「にしても…あの娘が今度の勇者サマか…。」

 ムーを旅立たせるきっかけとなった、アリアハンの少女。その姿が、カンダタの脳裏から離れずにあった。
 氷のように静謐で物静かな面持ちと背丈の高さが与える冷厳な印象と裏腹に、未だ世間知らずで不器用な一面や他者を慈しむ優しい心も見せ、歳相応の娘とさして変わりないように見えた。
「やっぱり、オルテガとは全然違うのな……。」
 レフィルの力の源泉とも言える父にして、世界に名を轟かせた勇者オルテガ。カンダタの知る彼も戦士の鑑とも言える程の堂々たる姿であり、その血を引く娘であるレフィルとは対照的とも思える程の違いであった。そうした姿形を抜きにしても、英雄としての道を望まぬ心を露にしているレフィルと、勇者としての実績を重ね続けてきたオルテガとでは、心持ちから違うのは明らかである。そう考えると何故か可笑しく感じられて、カンダタは思わず笑いを零していた。