第二章 最初の出会い
第六話
 
 
 シャンパーニの塔の上部にある、開けた空間の上で佇む銀の青年と赤の少女。
 暫しの沈黙が、両者の間で続く。

「お前…カンダタ盗賊団なのか…?」

 ホレスは思わずその静寂を先に破り、ムーと名乗った少女にそう尋ねていた。城下で石畳の下から現れた時も、何故あのようなところから、という違和感を感じていた。だが、カンダタ盗賊団に身を投じているとは思わなかった。
「たぶん。」
「…多分?」
 思わぬ再会を前に、どうしたらいいか分からなくなっている中で、赤髪の少女がぽつりと呟く。問い掛けに対して多分、とは一体如何なる意図があるのか。余計疑問は深まる一方だった。
「……うう…ん…」
「レフィル!」
 ふと、瓦礫の山の方から、少女の呻き声が聞こえてきた。思わぬ罠に投じられて、ガラクタの中に巻き込まれてしまったレフィルの姿があった。また思い切り頭を打ってしまったのか、目を回している。
「怪我はしていない。たぶん。」
「………。」
 レフィルの方を見やる中で告げられるムーの言葉に、ホレスは一抹の不安を感じていた。多分と言い回しが余程好きなのかどうかは知らないが、どうもこの少女の言からくる意図が読み取れない。
「だから、あなたも安心して。」
 そんなこちらを余所に、ムーは右手を前に差し出した。その手の中に、三日月状の大きな飾りが先端に取り付けられた長柄の何かが収まる。鈍器を思わせる先端にはめ込まれた赤い宝玉は、宿す光を待つが如く今はただ闇を湛えるだけだった。

「バシルーラ」

 その巨大な杖のようなものをホレスの鼻先へと突き出しながら、ムーはまたあの呪文―バシルーラを唱えた。
「…む?」
 対象をその場から放り出し、彼方にまで弾き飛ばす呪文の力によって、ホレスを纏う空気は風となって飛んで行った。だが、ホレス自身は結局吹き飛ばされることはなかった。それはまるで、その呪文の影響を全く受けていないかのようであった。
「残念だが、俺にそんな呪文は効かないんだ。だから、お前に勝ち目はない。」
 呪文が効かない理由を自分でも知っているのか、ホレスは尊大にも思える程の言葉をムーに投げかけていた。


 瓦礫から必死に抜けだそうとした中で飛び込んできた光景に、レフィルは思わず動きを止めて見入っていた。
―また……?
 ギズモからの奇襲を受けた際にも、彼は確かに呪文を受けたはずだった。だが、振り払った右手には傷一つ負った様子はなかった。
「どうして…?」
 そして、今もまた同じようなことが繰り返されようとしている。しかも、今度はバシルーラさえもしのいで見せた。これだけ見れば呪文が通じないと感じてもおかしくないかもしれない。
「おー、こりゃあ…豪い目にあったな、嬢ちゃん。」
「!」
 二人がまた静かに向き合っているのを見守っていると、不意に誰かに野太い声で呼びかけられると共に巨大な影が差した。その大きな手は這いつくばるレフィルの腕を掴んでいた。


「勝ち目はない?」

 先程ホレスが発した言葉を、ムーは首を傾げながら反芻していた。浮かべているのは、相変わらずの無表情であったが、心なしか先程と様子が違うように感じられる。
「負けるのはヤダ。」
「…!!」
 刹那の間をおいて、小さくもはっきりと告げられる言葉と共に、ムーの緑の双眸がホレスを真っ直ぐに捉えた。その眼光は、執念深く獲物を追う捕食者のそれとなんら変わりはなかった。

「メラミ」

 その気迫に押されて無意識に一歩下がったのを見逃さず、ムーはすぐさま呪文を唱えた。
「…なにっ!?」
 突き出された杖の先から紅蓮の火球が唐突に飛び出す。
 先程目にしたメラの呪文よりも一段と大きく燃える炎が、矢の如き速さでホレスを掠め、通り過ぎた先にあった石の床を溶融させていた。これだけの威力を持つ上級呪文を何の苦もなく操ることそのものに意表を突かれ、ホレスの動きが一瞬止まる。
「メラ、ギラ、イオ、ヒャド…」
「く…!」
 その微かな集中の途切れを見逃さず、すかさず連撃を叩き込む。
 素早く紡がれる攻撃呪文―火炎、閃熱、爆発、氷矢。最も基本に属するとはいえ、弱い魔物ならば一撃で仕留めることのできる程の威力を有する呪文が、一斉にホレスへと襲いかかる。力任せに切り抜けようにも一気に畳み込まれて、耐え凌ぐのが精一杯だった。

「イオラ!」

 そして、止めとばかりに最後の呪文が力強く唱えられと共に、杖の先から発せられた光がホレスを狙い澄ますように閃く。
「…!!」
 ホレスに光が射かけられた瞬間、雷鳴の如き轟きと共に光が一気に膨れ上がった。瞬時にひたすら大気を貪り喰らい、極限に達すると共に解き放たれる力は常軌を逸する。爆発の上級呪文―イオラが呼び起した爆炎を避ける術などなかった。

「完全勝利。」

 呆気なく光の中に呑み込まれたホレスを見て、ムーは勝利を確信したように小さく呟きながら、杖の石突を力強く地面について胸を張っていた。負けを告げんとしていた青年は、自分が次々と放った呪文の力に翻弄されて、最後まで一矢報いることなく畳み込まれた。とどめの一撃―上級呪文の直撃を許した今、彼は無事では済まないはずだった。
 もう一人ここを訪れた勇者の少女も、最初の陥穽に呆気なく引っ掛かって動けない。爆発の余韻が未だ強く空を揺らし続ける中で、ムーただ一人だけがそこに立っていた。

「…どうかな。」
「!?」

 だが、程なくして予期せぬ男の声が、背後から聞こえてきた。
「あいにく、呪文を使う相手との戦いは慣れてるんでね。」
 振り返った先にいたのは、イオラをまともに受けたはずのホレスその人だった。爆発によって外套は最早用をなさぬ程に引き裂かれて、下部の橙の布鎧や鉄の胸当てにまでダメージが通っている。しかし、彼自身が受けた傷は致命傷とは程遠く、殆ど応えていないに等しいものでしかなかった。
「嘘?冗談?それとも、悪夢??」
 決め手を出して決着をつけたつもりが実は通用していなかったことによるショックか、あれこれ口ずさみ始める様とは裏腹に、顔は相変わらず表情を映していないところから、どこか滑稽に見える。
「……??何なんだ、また…。だが、お前の言うどれでもない。現実だ。」
 そんなムーの姿を前に呆れて嘆息した後、ホレスは絶えまなく発せられる疑問のような言葉に鋭く答えていた。己の力を過信し、その結末までも決めてしまったが故に、期待にそぐわぬ結果が返ってくると簡単に手詰まりになる。今一連の攻守もまた、それに類する典型の一つに過ぎない。
「……だったら尚更、負けたくない。」
 自らが十八番としており、己も知らぬ間に常々頼り続けてきた呪文による連撃も罠も通じなかった。それでも、勝つと明言した勝負を潔く降りる気など全くなかった。

「バイキルト」

 静かな緑の瞳が勝利への執念に一瞬燃えたように見えたその時には、彼女は次の呪文を唱えていた。攻撃呪文ではなく、己自身に施される加護の力。それを与えられた体から真紅のオーラが炎の如く立ち昇っている。
「バイキルトか…いいだろう。」
 内に眠る闘争心を掻き立てることで肉体へと働きかけ、己の力を極限まで引き出す膂力解放の呪文―バイキルト。ホレスもその力の正体は既に聞き及んでいた。それを知っているからこそ、今更臆する理由などない。バイキルトの加護を受けて少女にあるまじき禍々しいまでの気を纏いながら突進してくるムーの動きを慌てることなく見据えながら、ホレスはごく自然に身構えていた。
「…っ!?」
 だが、杖が届く距離に入る前に、ムーは一度塔の床を力強く叩きつけた。砕かれた床石が、礫となってホレスへと襲いかかる。反射的に防ごうと腕を構えた瞬間に、少女は空高く跳び上がっていた。魔法使いが身に纏うゆったりとした長衣が醸し出す淑やかさと程遠くも、天を舞う鳥のように鋭く流れるような動きは、余人の目を奪うには十分過ぎる程優美に見えるものだった。
 程なくして上方から勢いよく打ち下ろされる戦鎚の如き杖が空を押し潰さんと唸りを上げる。風鳴りの余韻が消えるのを待たずして、床石に落雷の如き衝撃が加わり、破砕音が鳴り響いた。
「何だ!?この力は…!?」
 辛うじてその一撃から身をかわしつつ思わず叫んだホレスが見たものは、階下に続く巨大な大穴だった。如何に呪文を用いた渾身の一撃と言えど、少女の力で硬い石床を打ち抜くことなどできるはずもない。
「あれはまさか…理力の杖!?」
 そんな信じられない光景に暫し目を奪われた後に、少女が手にした武器が帯びる雰囲気が変わっているのを感じられた。呪文を初めとする魔法を用いる力―言わば魔力を喰わせることで、それを力へと変換させる能を宿した魔杖の一振りがここにある。
―いや…それ以上に侮ってたな……。まさか、こんな馬鹿力だなんてな。
 如何に呪文や武器で強大な力を手にしようとも、それを支える地力が無ければ、敵に向けることはおろか、戦鎚の如き武器を振り下ろすことさえもできないはず。逆に言えば、これ程の力を振るって尚も無事でいられるだけの強さを、あのか細い少女の体に宿しているということになる。ホレスはそれを見抜いて、素直に感心さえしていた。
「だが、無駄だ!そんな力任せの戦いだったら簡単に見切れる!」
「……!」
 しかし同時に、一度見せつけられたあの力技の底はもう知れた。巨獣すら打ち倒す程の力を纏ったムーに全く恐れを見せる様子もなく、ただひたすら前に足を進めた。幾度も振るわれる暴力の嵐を尽く避け、その度にできる虚を突いて拳撃や蹴撃を浴びせる。
「ぼろぼろになってまで…あなたも勝ちたいの?」
 並の冒険者であれば、一度受けたら致命傷にさえも至るあの力を恐れて飛び込む真似などしないところで、まさかの前進を選んだ青年の豪胆を前に、ムーはなすすべもなく追い込まれていた。防いだと思われた最初の呪文の連撃でも傷を負っているはずなのに、この場を制さんとする勢いは止まるところを知らない。十二分に力を発揮できぬまま、蹴りによる攻撃を寸前で押し返しつつ、ムーはホレスへとそう尋ねていた。
「知ったことか。俺はこんな勝負なんか端から望んじゃいない。それが避けられないなら話は別、ただ前に進むだけだ。」
 問われてすぐに後ろへと飛びながら、彼はこう返した。元より戦士や武闘家などの戦いに生きる人種などではなく、一介の冒険者に過ぎない以上、他者と比することで充足を得るような勝負などに興味はなかった。だが悪いことに、今前に進むためには、ここは避けて通れない道である。だからこそ、手段を選んでいる場合ではない。それが彼の答えだった。
「わからない…。でも、そういうのは嫌いじゃない。」
「……?」
 己の強さを求めるわけでもなく、力に傾倒して生きているのとも違う。勇猛でありながらも、自分とはあまりに価値観の違う青年の考えを解することはできない。だが、そんな瑣末事などを歯牙に掛けずにただ定めた目的のために如何なる道であろうとまかり通らんとする姿勢に、自らも知らぬ間に魅力を感じていた。
「それでも、やっぱり負けたく…ないっ!!」
「…!」
 だが、今は一度始まった戦いの行方を、もちろん自分の勝ちで決めることが先であった。叫ぶように力強く言い放った瞬間、ムーの体を纏うオーラが拡散して突風と化し、その衝撃でホレスは思い切り後ろへと吹き飛ばされた。

「背徳の化身にして神の眷属たる者、其の御霊は我が身を汝が器の代と成さん」

 そして、彼女は両手で理力の杖をしっかりと握りしめながら、何かを読み上げるように言葉を紡ぎ始めた。
「…詠唱!?」
 体勢を立て直す暇もなく、感情の籠らぬ少女の声が力ある言葉を次々と唱え上げていく。上級の呪文すら既に事もなげに操った少女が初めて見せる詠唱。ここで使うはずのなかった更なる強大な力を確実に呼び起こすがために、全ての意識を集中している姿が目に映る。

「ドラゴラム」

 その果てに、導かれる答えとなる呪文の名を、ムーはぽつりと告げた。
「……っ!!」
 同時に、一瞬身を凍えさせる程の圧力が、ホレスを襲った。それに平伏されるようにして、辺りが一気に静まり返る。
「………。」
 思わず身構えるホレスを前に、ムーは静かに佇んでいる。そのまま暫しの静寂の時が流れた。
「な…何だ?」
 だが、それ以上何かが起こる気配はない。呪文の力がこの身を襲うとばかり思い、知らぬ内に恐怖を覚える中より我に返り、ホレスは思わず目を瞬かせつつ辺りの様子を窺った。時が止まったように、何もかもが動かない。呪文を唱えた少女も、瞬き一つせずにそこにいる。後はただ、風が吹く音だけがその耳を揺らすだけだった。

「魔力切れ…?」

 その時、少女が突如としてそう呟きながら小首を傾げていた。、
「……………。」
 畳み掛けるようにして用いた呪文の数々と理力の杖の解放による魔力の消費。その蓄積はあまりに大きく、これから発動するはずだった大呪文に要するだけの量すら余せなかったらしい。
「……勝負、あったな。」
「む……。」
 相手のミスによる思わぬ幸運を何とも言えない奇妙な気持ちで受け止めながら、ホレスはムーの下へと歩み寄らんとした。相手は既に呪文は使えず、残る力技も通用しない。最早この勝負の結果は見えていた。

「おっとぉ、そこまでにしてくれねえか?」
「…!」

 しかし、ムーへと手を掛けようとした次の瞬間、野太い男の声が遠くから聞こえてきた。
「レフィル!!」
 その方向へ向き直ると、緑の外套に全身を包んだ大男の手の中に、旅を共にしていた少女の姿があるのが見えた。声の主は間違いなくその大男のものだった。
「ああ、別に手ぇ出したりしねぇから安心しな。それより、このじゃじゃ馬娘とここまで渡り合うとはなぁ、やるな兄ちゃん!」
 人質に取られやしないかという心配を他所に、男はすぐにレフィルの体を手放していた。既に意識は戻っているらしく、ホレスの姿を見るなりすぐに駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
「は…はい。」
「だが、こいつ……これまでとは格が違うな。まさか…?」
 おそらく、罠に掛かったレフィルを助けたのは今現れたこの男なのだろう。一際大きめのサイズの外套に身を包んでおり、体格もかなり良いことが窺える。敵であるはずの自分達に情けをかける度量の広さもさることながら、何より外套の隙間から覗かせる黒の双眸にはただならぬ覇気が宿っている…。

「おうっ!!そうだとも!!」

 ホレスの表情に一つの結論が過ったのを見て、男は満足したように喜ばしそうに告げながら、全身に纏った緑の外套を脱ぎ去った。


「この俺こそが、正義のカンダタ盗賊団の首領、カンダタ様よっ!!」


 そして、己の誇りを振りかざすように堂々と胸を張って天に拳を掲げながら、男は高らかに名乗りを上げた。