第二章 最初の出会い
第五話
 
 

 円状に続く回廊。外を隔てる窓ごしに遥か下にある地上が見える。天上の世界とは程遠くとも、この高みから眺める大地は、また違った格別なものがある。
 その回廊の中を、数人の青年が歩いている。古き塔を訪れる旅行者のような身なりではなく、簡素ながらも動きやすく作られた身軽な服装。それは、彼らがここを安住の地と定めたことを意味するようにも見えた。

「あのおっかねぇ騎士団に続いて、今度は勇者サマかよ…。」

 その一人が、気だるそうにそう言葉に出していた。気の抜けたような一言の中に、理不尽に迫りくる脅威に対して疲弊し切った思いが込められている。
「けどよ、女だって言うぜ?」
「……マジかよ?」
 勇者、それもあのオルテガの子が来ると言う知らせを聞けば、畏怖を覚えるのも当然とも言える。だが、途方に暮れる中で一人が発した意外な情報に、皆は目を丸くしていた。
「だけど、余計とんでもねえ奴だったらどうするよ…?どっかのじゃじゃ馬みてぇによ。」
「いや、あいつが言うには気弱だったとよ。」
 剛勇で知られるオルテガの子が、まだ年端もいかない少女であるという事実が、皆にあらゆる想像を与える。女だてらに父の道を継ぐからには、それに類する力と覇気を持っているのだろうか。それとも、女の身であるが故に父の才を継ぐことができなかったのだろうか。はたまた……
「いずれにしても、やり難いじゃねえか…。」
「そろそろ来てもおかしくねぇとは思うけどよ。どうしたもんかね。」
 論じたところで無為なことを語った末に、結局女子供を相手にしたくない自分達に気がつく。どう転んだところで、義賊の下に集った男として、譲れないものがあった。

「!」

 事もなげに談じる中で、不意に吹いた異質な風が、彼らの感覚に訴えかけた。
「この足音…おれらのモンじゃねえな…?誰だっ!?」
「おい、後ろだ!!」
 あるはずの無いものが、侵入者の存在を知らしめる。それと共に、本来担っていた巡回の役割へと立ち返り、気を張り詰めた。誰かが発した警鐘に、皆がすかさず後ろへと振り返る。

「消えゆく漣よ、静寂を導かん。ラリホー!」

 その瞬間、鈴の音のように澄んだ声で静かに唱えられる詩の響きが聞こえ、視界を紫の小波が覆い始めた。
「な…に…っ!?…や…べぇ……」
「…ぐぅ…。」
 今にも静まらんとする波に身を委ねるうちに、その流れに意識がさらわれていく。やがて地に膝を屈して、ゆっくりと眠りの淵へと落ちた。彼らが最後に見たものは、目の前に手向けられる白く長い五本の指であった。それは、男のものにしては、余りに細かった。


 与えられた眠りに抗うように完全に体を横たえることはせず、膝を屈して座り込むようにして意識を失っている。その姿勢は、先程までの戦いを躊躇っていた者達とは到底思えぬ程の執念を醸し出している。義に生きる首領を持てば、おのずと付き従う者達もまたそれに感化されることになる。彼らこそが、噂に名高いカンダタ盗賊団の一員であった。

「やった…!」
「…よし、上出来だ。」
 自らが放った呪文が功を奏したことに、レフィルは思わず歓喜の声を上げていた。まともに彼らと戦いあっていては、命のやり取りをすることにもなっていただろう。それを避けられるのであれば、この上なく好ましいことである。
「先を急ぐぞ。」
 カザーブ南西に位置するシャンパーニの塔。天を指し示すような円錐状にそびえ立つ尖塔はところどころが苔生しており、古き時代からずっとここに建っていたことを知らしめている。中はところどころに真新しい敷石などによって補修が加えられており、人の気配が感じられる。

「…魔物が!」

 しかし、長い間人の手から離れたことによってか、ごく浅い層は魔物の巣窟となっていた。その脅威は、今もレフィル達に降りかからんとしている。レフィルが小さく叫ぶと共に、ホレスは後ろへと注意を向けた。
「ギズモか…。」
 実体を持たぬはずの雲が意志を宿し、こちらに敵意を向けてくる。そのような風体の魔物が音もなく迫り、ホレスの目の前で漂っていた。
『メラ』
 不意に、こちらが攻撃を仕掛けるより先に、ギズモが呪文を唱えてきた。
「ちっ…!」
 自分に向けて飛んでくる小さくも力を集められた火の玉が、獲物を焼き尽くさんと牙を剥く。至近距離から放たれた火球をかわす術はなく、ホレスは右手で外套を掴みつつ振り払った。
「ホレスさん!」
 打ち払われた火球が爆ぜて外套を焦がし、灰となった欠片が風に乗って散っていく。
「だったらこっちも…!立ち込める霧よ、心の目を塞げ!マホトーン!」
 それを見るや否や、レフィルは膨れ上がる思いに身を委ねるままにすぐさま呪文を唱えていた。紫色の霧がギズモを包みこみ、再び集められようとしていた呪文の力を封じ込める。再び攻撃しようとした瞬間は一転して格好の隙となり、ホレスが力任せに振るった拳によって、ギズモは一撃で霧散して消えた。
「…大分慣れたみたいだな。」
「ええ。でも…まだ、使い始めたばかりだから…。」
 魔封呪文―マホトーン。先のラリホーの呪文と共に、ホレスが与えた魔道書に記されていた呪文であった。契約を交わして間もないにも関わらず、その力を十分に発揮できたことには互いに満足していた。それでも、本当の意味で体得するのは時間が掛かりそうであることを自覚して、レフィルは小さく溜息をついていた。
「それより、怪我は…あれ?」
「問題ない。あの程度の呪文ならどうにかさばけるさ。」
「す、すごい……。」
 ギズモからメラを受けたはずのホレスの拳は、火傷一つ負っていなかった。どう見てもまともに受けたはずの中で、一体どう防いだのかは知るところではなかったが、レフィルは思わず舌を巻いていた。
「……しかし、やけに静かだな。まだどこかに隠れているかもしれない。用心して…っ!?」
 盗賊達を眠らせ、魔物を倒したことにより、辺りで蠢く者達の気配は消えていた。これより進む先へと耳を澄まそうとしたその時……
「…な、何だ!?後ろから…!!?」
「……!!」
 突然、何者かが後ろからこちらに向かってくるのを感じ、ホレスは驚愕に顔を歪めつつ振り返っていた。

「おおおおっ!!」
「俺達ゃカンダタ盗賊団!!」
「人様のシマを荒らそうとはいい度胸してるなぁっ!!」

 先程眠らせた盗賊団の手の者と同じ匂いを纏った者達が、騒々しいまでの大声を上げながら、物凄い勢いで突進してくる。
「ちっ!次から次へと!!」
 見回りの男に続いては塔に住まう魔物、そして後ろからの急襲。一難去ってまた一難とはまさにこのことだろう。ホレスは思わず舌打ちと苛立ちの声を零していた。
「ギ…ギラっ!!」
 身を竦ませる程の雄叫びと、鬼気迫る表情が恐怖を呼ぶ。迫り来る彼らに怯えを露にしながら、レフィルはギラの呪文を唱えた。眩い光と共に発せられる炎の波が地面を伝うと共に、大きく競り上がって炎の壁となって、彼女に仇なす脅威の行く先を阻む。
「そんな炎がなんだーっ!!」
「根性で乗り切れええっ!!」
「うぉおおおおっ!!」
 だが、事もあろうか、男達はレフィルが築いた焦熱の壁を突き破るようにして自ら飛び込んだ。
「…え…ぇえええっ!?…そ、そんな…っ!?」
 守勢に回るべくして張った炎の帳など、彼らの根性とやらで容易く抜けられるとでもいうのか。体の随所に火傷を負いながらも、その勢いのまま尚もこちらへ向かってくる彼らを前に、レフィルはただただ愕然としていた。
「恐ろしい奴らめ、だが…!」
 飛んで火にいる夏の虫、という言葉を知らんばかりの無鉄砲者達にホレスもまた畏怖を覚えるも、既に次の機を掴んで体は前に進んでいた。
「ぐぅっ!!」
「げはっ!!」
「うぎゃっ!!」
 男達が飛びかかろうとしたその瞬間、鉄拳が彼らを打ち据えた。
「無謀だったな。」
 喧嘩にも近い荒い動きではあったものの、数ある修羅場をくぐり抜けた中で纏った気迫を以って、ただ力任せに殴り倒すその動作を刹那とも思えるほんの短時間で行ってのけた。それは、ホレスの持つ冒険者としての度胸がなせる技と言えるだろうか。
「「お…お師様ぁ……」」
「…?」
 ふと、ホレスによって倒された男達が揃って力ない声で、誰かの名を出しているのが耳に入る。
「えっと…」
「何だったんだ…。」
 師、と言われたもののそれは一体何者だろう。この者達をこれ程までに駆り立てるものの正体が知れず、レフィル達はただ首を傾げるしかなかった。


「そろそろ塔の最上部に着くな…。」

 それから、小競り合いは殆ど起きることはなく、レフィル達はシャンパーニの塔の外側に続く螺旋状の階段を昇りつめた。
「これは…」
 その終わりに見たのは、一段と開けた空間にだった。塔の下部とを隔てる床は、半ば広間のようでもあった。その中心に、更に塔が続いている。
「……当たりだな。やはり、シャンパーニの塔を…。」
 端には割れた食器や薄汚れて破けた布くずなどの他愛なくも、本来ここにないはずの品が無造作に打ち捨てられており、何者かがここに住んでいることを示している。既に、相手はすぐ近くにいる。そう確信できた。

「…な、何だっ!?変な奴らが来たぞ!?」

 ふと、近くから誰かがそう叫ぶのが耳に入る。塔を囲む広間に、数人の男が佇んでいる。
「片方が女って事は…本当に来たのか?どうする…?」
 レフィルの姿を見るなり、ざわめきが彼らの中へと広がる。
「とりあえず親分に報告だ!」
 下にいるはずの仲間が来ないということも、彼らの不安を掻き立てる。この不測の事態を起こす程の実力者を相手に、正面から戦う気も起きない。彼らは逃げ去るようにして中央の塔へと走って行った。
「……どうやら、向こうの耳にも入っていたようだな。」
「ええ…。あの先に、大盗賊カンダタが…。」
 片方が女、と言うことは、既にレフィルがオルテガの娘として、金の冠を奪還しにきた勇者として盗賊団の耳に入っていたのだろう。そして、彼らが向かった先には、彼らが親分と崇める豪傑・大盗賊カンダタが待ち構えている。金の冠もおそらくはそこに……。

「…!」

 注意を払いながらゆっくりと前に進める最中、ホレスが突然足を止め、床の一端へと素早く振り返る。耳に届いたのは、床下からの石が擦れ合う音だった。
「…誰だ!!出て来い!!」
「…え!?」
 何者かが気配を消して、自分達を影から見ている。そうと気づくとすぐに、ホレスは音がした場所目掛けて一つの小袋を投げつけた。弛んだ紐の隙間から、妖しく光る粉が零れ落ちる。吸い込むだけで感覚の自由を奪うとされる、護身用の劇薬の一つ、毒蛾の粉だった。
「メラ」
 それが床へと落ちようとした直前、その床から呪文の声がすると共に、小さな火球が袋目掛けて放たれた。毒蛾の粉は一片残らず焼き尽くされて、灰燼と帰した。
「来るか…!?」
 こちらが打った手に動じることなく応じた手腕に、ホレスの手が緊縛したように握り締められる。程なくして、火球が飛んできた場所にあたる敷石が外されて、ゆっくりと持ち上げられていく。相手が呪文の使い手である以上、迂闊には飛び込めない。

「バシルーラ」

 だが、そこで足を止めたのが命取りであった。
「きゃっ!!」
「レフィル!!」
 続けて唱えられた呪文が、その力を示す。不意にレフィルの体が浮き上がり、塔の壁に勢いよく叩きつけられた。
「いたたた…って、ええええっ!?」
 思い切り体を打ちつけたことによる内側からの鈍い痛みに喘ぐ暇もなく、続いて上の方から壊れたタンスや椅子などのガラクタ同然の品が大量に降ってくる。
「…きゃああああああっ!!」
 唐突なことだらけで、次から次へと迫る突然の災厄に思考が付いていかない。レフィルは成す術もなくガラクタの山に呑み込まれたた。
「罠か…!?くそ…っ!!」
 余った器材や捨てるはずのもので作った質の悪い罠とはいえ、確実に嵌める術があればその効果は十二分に発揮される。自分達がここに来ることが知られているかもしれない以上、罠の一つや二つは覚悟していたつもりだった。だが、その思惑すらあざ笑うような鮮やかな罠の極め方に、ホレスは思わず舌打ちしていた。

「大成功。」

 いつしか、敷き石は完全に外されて、その中から先程バシルーラを唱えた張本人がその姿を現していた。抑揚のない声色でありながらどこか満足した様子で、彼女はただ、ぽつりと一言呟いていた。。
「お前は…!?」
 穴から顔を覗かせるあどけない顔。その瞳は、あの時と同じようにこちらをしっかりと見つめている。ホレスもまた、あの奇妙な時間の中で出くわしてしまった珍妙な少女を、忘れられずにいた。

「ムー。」
「…な…何?」

 そんな彼女が、また一言何かを語り始める。何の意図があるのかを読み取ることができず、ホレスは思わず一歩後ろに下がっていた。本能的な恐怖とはこのことなのかもしれない。
「私はムー。はじめまして?」
「………???」
 ムー―それが彼女の名前であるらしい。小首を傾げて問い掛けるような物言いに、ホレスは何も返すことができなかった。

 穴の中から這い出て、ゆっくりと塔の床へと降り立つ。携えていた黒い三角を思わせる円錐状の帽子を、赤く長い髪を生やした頭へと載せる。子供を思わせる小柄な外見でありながら、顔に浮かべる表情は乏しい。それでも、目に宿る光はどこか活気に溢れているようにも思える。
 周りで何が起ころうとも自らが思うように行くがために、常に異彩を発し続けている小さな魔法使い―ムー。彼女は最初の出会いの時と同じ鏡のように澄んだ双眸で、ただホレスを見つめていた。