第二章 最初の出会い
第三話
 
  ロマリアの城にある尖塔の監獄。そこに自分を救ってくれた青年が囚われていると聞き、レフィルは門番の制止すら振り切ってその場を訪れていた。果たしてそこにいた青年は数々の責苦を受けて老人のようにやつれていたが、それでもなお力強い光を宿した瞳で、自分に会いに来た少女を見ていた。

「どうやら、誰かしらから事情を聞いたらしいな。」
「……。」

 カンダタ盗賊団の手先という不名誉な肩書の下に捕まった自分を、わざわざ門番を押しのけてまで訪ねてくることから、レフィルがそれ程に思い詰めていることもそれを裏付ける事実を知ったことも、容易に察することができた。
「何を泣いてるんだよ。こうなる事を選んだのは俺の方なんだ。お前が気にすることじゃないだろう?」
「……。」
 ロマリアの騎士達から追われているにも関わらず、魔道士達の炎に焼かれて意識を失ったレフィルを危険を省みずに教会まで運んだ所を囚われの身となった。レフィルはその教会の神父からそう聞かされていた。
「流石にあのときは驚いたがな。まさかあんなボロボロの体で、俺のナイフだけを正確に弾き飛ばしたんだからな。」
「や…やっぱり、わたしなんかのせいで……。」
 生きることだけを願って必死に前に進むために意識を支えていたために、そのようなことは記憶に残らなかった。詳しいことはともかく、直接的にも青年の道を妨げてしまった事実を受けて、レフィルは力なく項垂れた。
「気にするな。お陰でつまらん血で俺の手を汚さずに済んだんだからな。」
 だが、自らを責める彼女を他所に、青年の方は返って業を背負わずに済んだことに対してささやかながら感謝の念すら抱いていた。
「でも、どうしてわたしを?」
 それでも、これだけで危険を省みずに助ける理由とは成り得ない。こうした気持ちをそのまま伝えるように、レフィルは青年にそう尋ねていた。

「全部押し付けられたまま死ぬのは、お前としても嫌だったろうからな。」

 女でありながらの勇者オルテガの後継者としての道。だが、そこを歩むレフィルの表情は困惑に曇っているのが青年には容易に感じ取ることができた。
「どうして、それを…?」
 確かに、父が死んでから否応なく歩まされる道が誘う先をレフィルは心の底から憂いていた。そんな気持ちを彼はあのときどうやって知りえたのだろうか。「押し付けられた」とまではっきりと言い当ててのけた青年に、レフィルは疑問を覚えていた。
「…さあな。…で、今度は俺がドジ踏んでこのザマ…と笑い話にもなりやしない。」
「わ…笑い話なんかじゃ……無実の罪で裁かれてしまうかもしれないのに…!!」
 問いかけに答えずに、青年は自らが置かれている立場を自嘲的に一人ごちつつ首を振る様子に、レフィルは思わず声を荒げながら鉄格子に手を掛けた。助けることはおろか、隔てられたまま近づくことすらも出来ず、苛立ちは深まるばかりであった。
「だが、悪い事に俺がさんざん暴れまわったのは事実だ。誰も信じちゃくれないだろうさ。」
「…そ…そんな……。」
 無実…そして自らの身を守るためとはいえ、ロマリア城下町で一騒動を引き起こしてしまった今、まともな釈明の機会を与えられる望みは限りなく薄い。そんな馬鹿を見ようとしている青年を前に、レフィルは絶望を感じて絶句していた。
「ここにお前が来てどうにかなる問題じゃない。だから、急いでここを出ろ。変な疑いを掛けられる前にな…」
「…わ…わたしは……!」
 今ここでレフィルが擁護しようとも、逆に彼女まで異端扱い遭ってしまうのは間違いない。だが、自分のせいで捕まってしまった青年の脱出を促す言葉を聞き入れることもできず、レフィルはその場でたじろいでいた。
「いや、もう遅いか……」
「…??」
 だが、突然何を思ったか青年は先とは打って変わって諦めにも似た感情を乗せつつそう呟いていた。

「いい加減に出てきたらどうだ?そこにいるのは分かってるんだ。」

 そして、疑問に目を瞬かせているレフィルの後ろの方へとその緑の瞳を向けながら、そこにいる誰かを呼んだ。


「ハッハッハ、ばれておったか。」


 すると、聞き覚えのある男の声が、牢の入り口の方から聞こえてきた。
「お…王様!!?」
 程なくして、この牢に相応しくない人物の登場に、レフィルは素っ頓狂な声を上げていた。現れたのは、王冠を戴き紅いマントを羽織ったこのロマリア国王その人に間違いなかった。
「あ……あの…」
「よいよい、楽にしとれぃ。しかし…こうもあっさり見つかってしまうとは、ワシも落ちたのぉ。隠れんぼなんぞ離れて久しいからの。」
 牢という立ち入りを禁じられた場に足を踏み入れた所を見られてしまい、慌てて言葉を絞り出さんとするレフィルを、王は実にあっさりと制していた。その表情からは彼女を咎める様子など微塵も感じられなく、彼は青年が閉じ込められている独房へとゆっくりと歩み寄った。
「威厳もくそもあったもんじゃないな…。」
「おーっと、王たるワシにそんな口を利いていいのかのぉー?」
「ふん…今更同じことだ。それで、何の用だ。」
 先程も感じた王の妙に気が抜けた様子にレフィルが呆気にとられている一方で、青年は彼がわざわざこんな場所に訪れていること自体に疑問を覚え、そう尋ねていた。
「なに、ほんの戯れじゃよ。」
 すると、王はマントの裏に隠していた右手を青年の前にちらつかせた。
「……お、おい。それは……」
 ちゃらんという音が牢獄内で静かに鳴るのを聞き、青年は思わず目を見開いた。
「王様…!」
 レフィルもまた、驚きながらもどこか歓喜を帯びた声を上げていた。それは、この牢獄を開く鍵であった。
 王は悪戯が成功した子供のような不敵な笑いを浮かべながら、その鍵の一つを青年の牢の扉の穴に差し込んだ。



 今日もまた日が暮れて、ロマリアの空が夜の帳に包まれる。街灯には火が灯されて、夜になってこの町に至ったものの標となり、または夜に潜む者達を厳しく見張る兵士達の明かりとなっている。

「…よ…よかったです…ね…。」

 泊まることになった宿屋の食堂で、レフィルは目の前の人物にぎこちなくそう告げていた。
「どうだか…な……。」
 その当人、先程まで牢に捕らえられていた青年もまた、どこかやり難そうにそう返していた。
「「………。」」
 互いに不器用な言葉を交わして、二人の間にまた沈黙が訪れる。緊張のためか、レフィルにはこの時の一瞬が妙に長く感じられた。
「まさか、お前についていくことになるとはな…。」
 言葉が続かなくてどこか慌てたレフィルの様子を察し、青年は自分から話題を切りだしてやった。
「あ…ご、ごめんなさい。わたしが余計なことをしたせいで…」
「いや、あんたのせいじゃないだろう。自分だって無事じゃ済まないだろうに、あの王がわざわざ…」
 あの後、王は青年を縛る鎖も一つ一つ丁寧に解いていき、彼が持っていた荷物も全て返した。そして、レフィルと共に金の冠を取り返し、青年自身の潔白を示すことを条件に、彼を解放した。
 政治に対して物臭な嫌いがある王の性格は広く知れ渡っており、今回の件も大きく響いてしまう可能性は否めない。
「でも、きっと分かっていたんだ。最初から……」
 それでも、レフィルは危険を承知で正しい道を選んだ王に、改めてその人としての大きさを感じずにはいられなかった。

「ホレスさんが無実だって……」

 カンダタ盗賊団の一員と間違えて、ロマリアの騎士団によって囚われてしまった冒険者の青年―ホレス。
 銀髪は邪魔にならない程度に適度な長さで切られ、飾り気と言えるものは何もない。短髪と言う程でもなければ、長く伸ばされてもいない。
 緑の瞳を湛えた両目はしっかりと物を見定めるように開かれており、生気に溢れている。ひそめられている白い眉とその間に斜めに走る薄い傷痕、右頬に残る十字傷は、これまでの苛烈な生き様を物語っているようにも取れ、彼の意思と裏腹にその力強さを示している。
 そして、使いこまれて所々が擦り切れている黒い外套の下に、分厚く作られた紅蓮の防護ベストを着込み、腰のベルトには邪魔にならない程度に幾つかの小さな袋が取り付けられている。その中で一際大きく、そして頑丈に作られた大きな袋が異様に見える。
 疑いを掛けられて追われながらも、最後まで生き抜いた強さは、年若くもまさしく熟練の冒険者のそれであった。

「ああ、お前のお陰だ。お前がいなければ王も手の出しようがなかっただろうからな。」
 今こうして思い切ったことをしてのけたロマリア王と言えども、レフィルというきっかけが無ければホレスを救うことはできなかっただろう。如何にホレスと言えども、あの獄中では身動き一つ取れず、打つ手はなかった。
「でも、金の冠を取り返さない事には……。」
 縛を解かれはしたが、今もまだ終わっていない。金の冠を取り返す任を終えないことには自由にはなれない。もしも逃れようとすれば、自分を逃がした王がその責を負うばかりでなく、ホレス自身も今度こそ居場所を失うことになる。そして、レフィルも……。
「安心しろ、王もお前も放っておく真似はしない。金の冠など、俺が必ず奪還してやるさ。」
 それを見越して余計な心配をかけまいとしてのことか、ホレスは自信を示すようにそう告げていた。
「……。」
 レフィルはその言葉に、ホレスの実直な心意気を感じ取り安堵を覚えるも、同時にカンダタ盗賊団に立ち向かおうという明確な意思を表していることに不安を覚えるという、矛盾した気分を覚えていた。
「それで、大丈夫なのか?その怪我は。」
 ふと、ホレスは包帯が巻かれたレフィルの左腕を見てそう尋ねていた。このロマリアに辿りついたやいなや受けた炎で負った大火傷の凄惨さは、応急処置を施したホレスだからこそ知っている。今もとても動かせる状態にはなかった。
「そっちが利き腕なんだろう?」
「……え…えっと…」
 そして、レフィルが背負った剣の鞘の向きからも、どちらが利き腕であるかも察しがついていた。肯定し切れていないように曖昧に戸惑うレフィルの姿に一瞬疑問を覚えるも、剣を握る手に傷を負っていては戦力の大幅な低下と言わざるをえない。
「どのみち行く他ないが、カザーブまでの道のりは長い。無理はするなよ。遠慮はいらない、俺に任せてくれ。」
「…はい。」
 それでも前に進もうとしているレフィルを止める資格はない。ならばせめて、目的を共にする者として手を差し伸べるだけである。二人がゆっくりと話し込んでいる内に、いつしか辺りは更に静まり返っていた。


 翌朝……

「おはようございます、ホレスさん。」

 空が明るくなり始めた中でも、高くそびえる城壁の境界によって日の光は遮られている。そんな早朝のロマリアの町で、レフィルは待ち人を迎えていた。
「早かったな…。じゃあ出発しようか。」
 現れたのは、旅支度に身を包んだ銀の髪の青年―冒険者ホレスの姿だった。
「よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくな、レフィル。…ん?」
 他愛もなくも、改めて旅を共にする仲間として言葉を交わして、二人は前に歩みを進め始めた。その中で、不意にホレスがどこか違和感を感じて耳に手を添えていた。
「ホレスさん?どうかしたので……きゃあっ!?」
「!」
 それを見て不思議に思ったレフィルが尋ねようとした瞬間、不意に彼女は何かに足を取られて勢いよく地面に倒れ込んだ。
「下か!?…ん?」
 転んだレフィルの足元の敷石が外されて、その下に穴が続いているのが見える。どうやらレフィルは不意に浮き上がったその敷石に躓いて転んでしまったのだろう。程なくして、穴の中から何かが出てくる音がホレスの耳に届いた。

「…む?」

 そこには、幼い外見の赤い髪の少女が泥だらけの顔を覗かせて首を傾げていた。
「「………。」」
 あどけなさとは裏腹に表情は人形のように動かず、その緑の瞳はホレスを真っ直ぐ捉えて離さない。一体何があったか分からぬまま、ホレスもまた思わず目の前の少女を見返していた。

「モグラ?」

 しばらくの静寂の後、穴の中の少女が、ぽつりとそんな言葉を零していた。
「……………。」
 穴の中から出てきたからモグラだと言いたいのか、それとも別の何かの意味があるのか。

「帰ったか……。」

 一体何が言いたいのか分からぬままに黙って成り行きを見守っていると、少女は敷石を持ち上げつつ、再び穴の中へと帰っていった。後にはただ、石畳だけがそこにあった。
「……大丈夫か?」
「…いたたた…お…思いっきり頭打っちゃった…。」
 この奇妙な瞬間が終わりを告げると共に、ホレスはレフィルへと手を差し伸べて助け起こしてやった。サークレットに守られてはいるものの、頭に受けた衝撃はかなりのものであったらしく、レフィルは痛そうに顔を歪めながらしきりに頭をさすっていた。
「なんだったんだ?」
 外された敷石は元に戻されて、子供一人が現れたことなど微塵も感じさせない。だが、先程までのあの眼差しはいくら頭を振るったところで忘れられそうにない。
 何だか訳の分からぬまま、二人はただただ顔を見合わせていた。