何処へと 第二話



 大樹の麓に苔生した白い祭壇と女神像。マイラの村のはずれに位置する精霊神の社の向かいに、それを見守る者が住まう小さな小屋が建てられている。恵みを失い、日に日に衰弱していく木々と同じように、確実に朽ちゆく様を露わにしていた。

「しばらく見ないうちに、随分と荒れ果ててしまったわね……。」

 長い時を封印の内で過ごした果てに、ようやく帰りついた故郷に懐かしさを抱きながらも、枯れ続けるように弱っていく現実もまた受け入れざるを得ない。数十年、それも大魔王の闇の帳に包まれる中での変化はその過程を追わずにいた彼女にとっては、全く違うものとしか思えなかった。
「やはりゾーマが来る前はもっと豊かな場所だったようだな。」
「そうね。ホレスさんも随分とこの世界に慣れてしまったようだけど、こんな所に人が住めること自体がおかしいのよ。」
 救世へと乗り出さんとして、内に宿した精霊神ルビスごと封じられてしまった巫女・クリス。旧き時代の最後――闇の帳に鎖されるまでは、諍いこそありながらも大地そのものには活気が満ちていたことを彼女は一番鮮明に憶えていた。
 逞しく生きる人の姿――ホレスを初めとする外の世界からやってきた旅人然り、アレフガルドで今尚力強く生き続ける者達然り。如何なる状況でも生き抜かんとする彼らの逞しさに感銘を受けながらも、この過酷な環境にいつまでも耐えられるはずもないと知っていた。
「滅んだ国やら村なんか幾らでも見てきた。そう考えれば今更な話だ。」
「随分広い所を旅してきたのね。」
 異界すらも旅してきたホレスにとって、既に今のアレフガルド以上に荒廃している地など数える程であれ目にしてきた。決して良いものを語るわけでもない抑揚から、それらの結末の多くがより凄惨なものであるとおのずと知ることができる。
「そろそろだろう。どうやら、先客が来ていたようだが、今はいないらしいな。」
 その内訳の多くを語るより先に、ホレスは近くから人の気配を察してそちらに振りかえっていた。

「クリス!!」

 先んじて知った物言いを怪訝に思うのも束の間、彼女の名を呼ぶ老いた女の声が強く耳に届いていた。
「……お母様?お母様なのね?」
 幾分変わっていたとしても、クリスにはそれが二十年の間待ち続けてきた母の声であるとすぐに知ることができた。
 程なくして、慌ただしく駆け寄る音と共に一人の老婆が姿を現した。クリスと同じ白を基調とした衣装でありながら、経年と闇の世界の中で随所が痛み、純白だった頃の面影は既にくすんでいる。そうしたかなりやつれた姿ではあったが、そのしわだらけの顔には涙と共に生気が満ち溢れている。
「そうだよ!光が見えたからもしかしたら、って思ったら……!」
「…………。」
 ルビスを解き放った時に見えた懐かしい白光。巫女の一族として生きてきた老婆――クリスの母にはその意味する所がすぐに分かった。
「ごめんなさい、私がもっとしっかりしていれば……」
「何言ってんだい!無事に帰って来てくれただけで母さん嬉しいよ!」
 娘が精霊神の巫女の務めを全うしようとして大魔王の手に堕ちたと知った時の嘆きが大きいからこそ、この奇跡にも近しい現実に感謝せずにはいられないのだろう。成す術もなく封じられたことを自責する娘に、母はただただ再会の喜びだけを向けていた。
「……ありがとう。でも、本当にゾーマを前に私達は何もできなかったわ。」
 母の純粋な思いを受けて嬉しく思いながらも、クリスはそれでも言わねばならないとばかりに話を切り出した。
「アルトももういない。彼もまた、王者の剣に選ばれし者だったのに。」
「以前の勇者のことか?」
 この世界が鎖される前にも、大魔王ゾーマに立ち向かう者達がいたことは以前から聞いていた。その語り方から、奇しくもそれが、精霊神ルビスとその巫女たるクリスの間近で繰り広げていたことが全てを語らずとも窺うことができた。
「幼いころから本当に大切な人だった。彼には古の血は無かったけど、紛れもない勇者だったわ。だから、ゾーマからも背を向けずに結局……」
 人の身では到底叶わぬ相手に挑んだ勇気は紛れもなく真の勇者のものに違いない。最後には大魔王に葬り去られたが、伝説の武具こそあれ満足な資質も無しに己の志一つで戦い抜いた彼のことを、クリスは深く心に刻み込んでいた。それ故に、その悲しみも未だ拭いきれていない。
「でもね、お母様。私、会ったの。ずっと昔からの縁で結ばれたあの人と……。」
 だが、切なげに過去を語るのも束の間、一転して嬉しそうに語り始めていた。その喜々とした様子は、待ち望んでいた者との出会いを果たした表情だった。

「まさか……――――ト様?」

 この上なく輝かしい喜びを露わにするクリスの前に一体どれだけ心打たれるような人物が現れたのだろうか。古よりの掟に従って生きる巫女の末裔として浮かぶ名の一つを、母は小さく口にしていた。
「正確にはちょっと違うけれど、やっぱりあの人と繋がりのある人だったらしいわ。だから、ルビス様はあの鎧を託したわ。」
「本当かい!?だったら、今度こそこの世界に光が……!」
「ええ、きっと……」
 精霊神を讃えるために語り継ぎ続けてきた神話が、今まさに現実のものとなろうとしている。役者は違えど、古代の神々の流れを汲む勇者が現れたことに光明を見い出すことができた。神に近しき者が身に着けていたとされる武具の最後の一つ“光の鎧”も、ようやく彼の手に渡ることとなった。

「これもあんたがたのお陰だよ!ありがとう!!」

 精霊神と共に封じられた家族が長い年月を経て帰りつき、大魔王の闇を払うべく勇者も動き出すことができる。全てが上手い方向へと向かいつつあることに、母は感極まって奥に控えた来訪者へと詰め寄らんばかりの勢いで礼を告げていた。
「気にするな。俺達もどのみち通るべき場所だったらに過ぎない。」
 対して、相変わらず悪戯に感謝されるのが性に合わないように、青年――ホレスは素っ気なくそう返していた。通り道を往くだけで予想もしなかった事象に立ち会い、結果このようなこととなっているのも、大魔王の下に向かう途中に過ぎない。

「ホレスさん、あの人に――サイアス様に会ったら伝えてほしいの。きっと私の下に戻って来て、って。」

 踵を返すホレスの背に、クリスは最後にそのような言伝を頼んでいた。
――精霊神め、一体何をさせるつもりだ。
 新たに出会った愛する者にして、人々の希望足りえる勇者。それはかつてレフィル達の前に幾度か現れて、時には往く手を阻んできたサマンオサのサイアスだった。頑なに勇者であろうとする節を見せてきたが、旅の最後でバラモスに自ら引導を渡してから、興を失ったかのように表舞台から去って行ったはずの彼が、今では精霊神の巫女と精霊神から希望を託されている。
 彼女達が最後に何を望んでいるのかを掴み切れず、ホレスは一抹の不安を憶えていた。



 樹林の奥深くからでも、この鬱蒼とした闇の世界の内に似合わぬ喧騒が伝わってくる。
 北西の空の闇の間から差した懐かしい光を目にし、精霊神ルビスが解放されたと口々に噂する。この時より、村の各所にある店屋や工房にはこれまでにない程の活気に満ちた賑わいや仕事の音が聞こえ始めていた。

 マイラの西に佇む温泉旅籠の主が故郷で生業としてきた技を生かして営んでいる武具工房の鍛冶場もまた、轟々と唸る竈の音の中にあった。

「さて、こんなものでいいだろう。」

 仕事場の片隅に置かれた品々を見ながら、鍛冶師の男はその最後の一つを鞘に収め、一息ついていた。
 一行がマイラへと帰りつくなり、彼らからの武具の修繕の依頼を請け負うこととなった。それらに触れている内に、おのずと彼らがくぐり抜けた戦いの凄まじさを知ることとなった。
「ホレスさん程のヤツが致命傷食らうって、とんでもねぇ相手だったみてぇだな。」
 身のこなしと頑健さにおいて優れたホレスをもあわや死の淵へと追い落とさんとした武闘家バナン。ムーの竜化の強大な力も受け付けず、終始彼女を翻弄し続けた魔道士サファラ。そして、三人を同時に相手にしてのけて、ホレスの破壊の鉄球の鎖を一撃で断ち斬りほかの品々にも拭えぬ焦げ跡を残した獄炎の使い手たる剣士にして、魔王の眷属・バロン。
 彼らとの戦いで、三人の武具の殆どに傷痕と言うべきものが残されることとなった。
「ああ、だが、こちらにも手は残されている。」
「そうさね。伊達に神の武具と呼ばれちゃいねぇってな。」
 単一とはいえ、並の強度ではない破壊の鉄球の鎖でさえも、バロンの振るう炎の剣の一閃で容易く断ち切られている。だが、その彼と剣を交えて尚、レフィルとホレスがそれぞれ携える剣と盾は何事もなかったかのように健在だった。特に、レフィルの王者の剣に関しては、カフウが独自に手掛けた鋼鉄製の柄が炎によって溶融した跡を色濃く残しているのに対し、オリハルコンでこしらえられた刃の方は比類なき使い手との戦いの後にも関わらず毀れ一つない状態だった。
 まさに人の手では到底届かない強さを持つ二つの武具であり、大魔王の下に向かうにこれ以上のものはない。

――今のあなたには、その王者の剣など何の役にも立たない。あなた自身が本分を尽くしたところで、応えてはくれませんよ。

 だが、その一方でレフィルの脳裏にバロンの言葉が呼び起こされた。未だに相性の悪さに剣そのものの純粋な強さを持て余している中で、その指摘は深く心に刻み込まれていた。必死になって振るっている内に確かにバロンとの戦いを切り抜ける秘技を与えてはくれたが、それでも今も尚自分を認めていないような気がしてならなかった。
「あの……あ、ありがとうございました。」
 困惑の内心が膨れ上がるままに、レフィルは思わず不安を乗せたような歯切れ悪くカフウへと話かけていた。だが、言いたいことの要領をいまいち自分でも得られずに、その口からは当たり障りのない言葉しか出てこなかった。
「礼なら精霊神様にでも言ってくんな。」
「え?」
 言葉を濁したとはいえ、あくまで偽りない感謝の意を受けて、カフウは自嘲的に薄く笑いながらそう切り返していた。
「その剣は確かにおれが打った。だが、おれが作った剣じゃねえ。」
「ああ、俺もやっぱりんな感じがするんだよな……。」
 返礼と共に渡される王者の剣を再び受取りつつも、言わんとしている意味を解せない様子で首を傾げるレフィル。そんな彼女を傍目に、カフウは言葉を続けていた。
 共に打っていたカンダタをも困惑させた違和感の正体。何故自分達が手がけた剣であるはずなのに、最後まで自分のものだったと胸を張って言えないのか。“作った”のではなく、“作らされた”。そう感じさせるものを宿すのは素材たるオリハルコンにあるのか、それともその後身たる王者の剣たらしめる要素がそうさせているのか。
「お前さんにしか使えない剣なんて、話が出来すぎちゃいねぇかってよ。」
「おいホレス、お前も扱えるよな。」
 ここにいる限りでも皆が剣の使い手と呼べる実力者であるにも関わらず、まともに操れる人間は殆どいなかった。鍛冶師でありながらも剣術の心得があるカフウや元より比類なき戦士の資質を持つカンダタでさえも、王者の剣の特異性は手に負えぬものだった。
「一応は。だが、俺もどうやらこの気まぐれ剣には嫌われているらしくてな。」
 剣である以上、相性の良い者も多少なりとも存在していたが、やはり手にした時の違和感を払拭することはできなかった。あらゆる呪いや呪文に対して並はずれた抵抗力を持つホレスでさえ、剣の拒む意思とも呼ぶべきものを明確に感じ取っていた。

「そのくせ盾には好かれてるとか、なんだか中途半端だな。」

 一方で勇者の盾は、その名と程遠いはずの彼と共にあり続けてきた。光の手の者たる資質も持たず、世界を救うということひとつに頓着さえしない彼に力を貸している。
「知らないな。何故こうなったことやら。」
 王者の剣と同じく使い手を選ぶと言える程の極端な性質を考えると、やはり各々に意思とも呼ぶべき指向性があることを鑑みずにはいられない。
「いっそ嬢ちゃんに持たせてみりゃあ様になると思うんだけどよ。」
 一方で、レフィルは持ち前の剣技を鈍らせることなく王者の剣を操っている――言うなれば、レフィルは剣を扱うことを許されているとも言える。ホレスが剣に疎まれると言うのであれば、それを存分に扱える彼女の方が、神の武具に対して求められる資質を有している可能性があるのではないか――そのような思い当たりから、カンダタはぽつりとそう零していた。
 二つの神の武具が揃いながらもそれら両方を同時に操ることを、王者の剣が完成した時点で考慮しなかったのは今更ながら不思議な話であった。
 カンダタの促すような言葉のままに、ホレスは勇者の盾をレフィルに渡していた。
「これが、勇者の盾……」
 アレフガルドの内での戦いで幾度も自分を守ってくれたホレスを支え続けた最強の盾。激戦を潜り抜けてきたにも関わらず、金色の不死鳥の紋章があしらわれた蒼く広い表面には傷一つついていない。強さの程は目の当たりにしてきたが、ここまで間近に目にすることはレフィルには初めてのことだった。

「え?」

 感慨に耽ることも束の間、手に取った盾を持ちかえて右手に構えるとともに、鞘に納めたままの王者の剣から違和感を感じていた。
「共鳴しているの……?」
 思わず剣の方も手に取ると、その例えようのない不思議な気配は更に増していた。バロンに致命傷を負わせた時とは異なり、神の武具自身が表立って力を見せる様子はない。それでも、手にしている内に妙な一体感を感じ始めていた。
――なんだか、また流されてしまいそう……。
 このとき、レフィルは悪しき者を討つべくして天より授けられたこれらの武具で魔の者達と戦った時のことを思い返していた。もう自ら認めないとは言え、レフィルにも勇者としての――バロンの言を借りるならば光の手の者としての資質は残されている。それによって王者の剣を自在に従えるだけに御することができ、バラモスブロスを退ける決定打を与えることができた。かつての旅の終わりに、闇の衣がもたらす怒りに任せるままに魔王バラモスを死の淵にまで追い込んだ時とは丁度好対照に見えた。
 王者の剣は、再製されるより前にあったかつての大魔王との戦いでは、勇者共々呆気ない末路を辿ることとなった。そして、バラモスを倒せるだけのあの力も、元を辿ればゾーマが与えたものでしかない。
 何より最も大きいのは、いずれの力も、神に準ずる者達より与えられたものであり、レフィルの意思そのものへと働きかける程の影響力を持っていることは間違いなかった。すなわち、手にしてから即座に己のものとして操ることができたのも各々の神性がなせるものだった。
 
 手に取った二つの神の武具を眺めるレフィルの姿は、双手にそれぞれたたずむ剣と盾を本来あるべき姿――神の武具の操者の下に還したようにも思わせる。

「お、嬢ちゃんになら両方まともに扱えそうじゃねえか。」 

 己の予想通りにそうして自然に王者の剣と勇者の盾を構えている彼女に自らの思惑と違わぬ姿を感じて、カンダタは実に満足気にそう零していた。
「嬢ちゃんぐらいの凄腕にそいつらときたら、まさに鬼に金棒って感じだぜ。」
「はい、でも……強い防具があれば心強いのは彼も同じなんです。」
 カンダタも驚嘆する程のそれぞれの強度や性能は元より、純粋な相性もよく合っていることはレフィルが一番実感していた。そう知ってなお、彼女は気が進まぬ様子で首を横に振るだけだった。
 ホレスが見出してより、勇者の盾はずっと彼の身を守り続けてきた。類稀な程に強靭な体力と素早い身のこなしに加えて、最強の盾を手にしている以上、アレフガルドの闇の手のものといえども正面から太刀打ちできない。そして、豪胆なようで肝要な場面では慎重さを失わぬ柔軟な立ち回りも、その安定した戦力を更に確固たるものとしており、生命力を削った極限状態で魔王の影を倒すという活躍も見せている。
 宝物への頓着を見せるホレス本人は元より、レフィルもまた仲間を守る防具として、盾は彼に持っていて欲しいと思っていた。
「ま、こんなくそ重い盾で大丈夫ならいいんだけどよ。」
「はい。これぐらいのほうが攻撃にも扱いやすいですし。」
「へっ、嬢ちゃんも随分とアグレッシブになったもんだなぁ。」
 まともに戦えぬ程に衰弱していた日々から立ち返ったことにより、ラダトームの町で急遽揃えることとなった装備の一つ――オーガシールド。金色と深緑の光沢をもつ二種類の金属で拵えられた重厚な盾。大きさ相応の重量がありながらも、強度だけでなくあらゆる耐性を兼ね揃えた、盾そのものの性能としては人間が手がける品の中で最も高いと言える名品の類だった。
 そのような癖のある品でありながら、難なく操って見せるレフィルの技量と女性らしからぬ膂力。オルテガの子として受け継いできた資質を、この旅の中で見事に磨き抜いてきたことに、カンダタは純粋に感銘を受けていた。そして、前に進むために迷いを振り切る術を得たように心の成長も感じることができた。

「まぁ、無理はするなよ。お前さんのためにも、こいつのためにもな。」
「…………はい。」

 武具の修繕を行うのもつかの間、先に取った休息のような余裕もなく、すぐに発たざるを得ない。そんな彼女の意を慮り、カンダタはその双肩に手をぽんとおいてやりながら、旅の無事を祈る言葉を告げていた。
 闇の脅威を食い止めて、再び世界に平穏を取り戻すだけではなく、生還できてようやくレフィルにも新たな望むべき機会が与えられる。決して犠牲になどなってはならないという思いが、伝わってくるようだった。