何処へと 第一話



 地底の果てとも言うべき深い闇の中で、深い蒼の王道の左右に佇む静謐な泉に、天の果てから雫が落ちて小さな水音を奏でる。その音を踏み躙るかの如く、石の上を踏みしめる金属の脚絆の音が黒一面の空間に響き渡る。
 やがて彼が歩みを止めると共に、滅びを模るかのような黒い髑髏の意匠の燭台がその上に灯された炎を以って互いを映し出していく。その焚かれた火は、先に零れ落ちた一抹により立てられた小波が消えゆく様を照らし出していた。

『おかえりなさい、バロン。』

 最奥に続く道の先から、労うように迎え入れる意志を告げる少女の言葉が聞こえてくる。それを耳にすると共に、彼――闇の手の者の筆頭たる騎士バロンは、畏まるように生贄の祭壇の上に跪き、いつしか頭上より見下ろす漆黒の少女の黒い瞳へと視線をまっすぐに向けていた。
『その様子だと、また駄目だったみたいね。』
 この場の闇におおよそ似合わぬ穢れの一つもない純白のローブに、視線と前髪だけを残す形で身を包んでいる。解れの一つもない裾が揺らめく様は、天使のような清廉さと幽霊のような不可思議さを帯びている。
「はい、申し訳ありません。精霊神ルビスの解放を阻止することは叶いませんでした。」
 報せを受けるまでもなく、彼女は訪れた結果をおのずと知ることができた。騎士の纏う紫紺の外套の下にある名品とも呼ぶべき鎧は身体の奥深くにまで届かんばかりに大きく裂かれ、常に腰に帯びていた名剣は鞘を残すのみとなっている。
 闇の手の者有数の使い手が、滅ぼされこそせずともこの惨めな有様に恥じ入るように頭を垂れる様が、言葉なくしても十分にその意味を物語っている。
『そうね。もう少しどうにかなると思っていたけど……。』
 ルビスの復活そのものを成したのは、確かにバロンと戦った彼らであった。だが、そこに至るまでの無数の魔物、それもバロンと比肩するだけの力を持つ将までもを退けたのは、また別の男だった。
 彼が介入したただそれだけで、塔を守っていた魔物の殆どが殲滅されてしまったがために、例え力無き者であってもルビスの下へと辿りつくのは最初から容易なものとなっていた。
『半ば騙り者のくせに、すっかり気取っちゃって。愚直な輩というのも恐ろしいわね。』
 単純に勇者であろうとするなどという蒙昧で歪んだ志。それがその男を支える揺るぎなき全てだった。人々の希望となろうと言うのも満たすべき条件の一つとしか見なさず、魔物を滅ぼし尽くすことに悦びを感じ、英雄としての名を欲するだけの虚ろな存在でしかない。
 他に称されるべき者達――その一人は使命に押し潰されて絶望に駆り立てられた少女。もう一人は志半ばで倒れた中で記憶を失い、今尚身体に残る魔王への執念のみで暗躍するかつての英雄。
 彼らもまた、いつ闇に呑み込まれるか知れぬ程に儚いものかもしれない。それが例え、十分な力によって支えられていようとも……。

『……それで、みんな集まったかしら。』

 一つ物事が動いたことを受け止めて暫し物思いに耽って瞑目した後に、少女は祭壇を見回しながら静かにそう告げていた。炎によって照らされているはずの地の底の間に、黒い霞がかかったかのように暗い雰囲気がいつの間にか幾つも現れている。

「ディズ…いつまでてめぇが仕切ってるつもりだ?ああ?」

 その内の一つが、少女に詰め寄るように前に出ながら、苛立たしげに吐き棄てていた。薄い闇に覆われている奥には、巨漢と言わずとも極限まで鍛え抜かれた肉体を有した厳つい風貌の男が険しい表情でこちらを睨みつけている。
『あら、バナンじゃない。』
 男の鬼気迫る様に全く恐れを感じていないかのように、ディズと呼ばれた少女は静かにその名を返していた。今にも牙を剥かんとする魔獣の如き殺気に身を竦ませることもなく、友人に向けるような屈託のない様子で向き直っている。
『気に入らないことをはっきり言ってくるなんて、本当に分かりやすい人ね。』
「ええ。ここに来てはもはや忠義、礼節といったものは大きな意味をなさないでしょう。」
 既に闇の衣を纏い隙あらば命奪わんとばかりに過激ながらも、明確に敵意を見せる。既に多くの闇の手の者が集まる中で、それを諌める者も一人としていない。この場に彼と自分だけが取り残されたかのような静けさの中で、少女は呆れとも取れる溜息を一つついた。

《だったら、遠慮はいらないわよね。》

 不意にディズが愉悦に口元を歪ませると共に、意匠一つないくすんだ白のローブの内側から漆黒の髪が流れ落ちた。
 何気なく告げられた愉しげな言葉が、可憐な少女の声に似合わぬ程に闇の中に重く響き渡る。

「!」

 目深に被られていたローブにより隠されていた“彼女”の素顔を目の当たりにするなり、バナンは憤怒の表情を更に深めていた。だが、その膨れ上がる激情にその身が駆り出されることはなかった。
「て、めぇ……!!!」
 身を守る真似事さえせずに悠然と佇むディズの手に、鮮やかな紫を帯びた水晶がちりばめられた長剣が取られている。それらの水晶を中心として、刀身を蝕み呑み込まんばかりにその表面は紫で染め上げられようとしていた。
 おおよそそのような不気味かつ武骨な武器とは無縁のはずの白魚のようにか細い手と、床を直に踏みしめる小さな素足。そんな頼りなげな姿の少女を前にして、闇の衣の力を得て比類なき力を得たバナンでさえこれ以上何もできなかった。
《……可哀そうな人。“あの子”にずっと怯えてたのでしょう?忘れることができれば幸せだったのに。懲りることもできないなんて相当な負けず嫌いよね、あなた。》
 最奥の玉座へ連なる篝火の道を背に、ディズは照り返す光のない漆黒の瞳でバナンを見つめながら、冷笑を浮かべていた。二回り程も体躯の違う相手に対して退くバナンの憤りは増すばかりだったが、それよりも度し難い程の恐怖によって全身が震えているのが見て取れる。喉元に突きつけられた毀れた刃が、汲み取るようにしてその震えを伝っている。
 この闇に落ちる切欠となった憎悪だけを振り絞り、自分を殺した“彼女”の顔をした少女から目を背けずにいることが、バナンにとっての精一杯の抵抗だった。

『安心なさい、わたしは“あの子”程気は短くないから。』

 恐怖を叩きつけられながらもまだこちらに歯向かう気概を見せるバナンを見て、ディズはかえって感心した様子で微笑みを返し、紫石を帯びた切っ先を引いていた。その声からは既に、全てをひれ伏させるような異常な威圧感は消え失せていた。
「……ふざけ、やが……って……!何だって……てめぇは……!!」
 先程まで向けられていた重圧への身の震えを隠せずにいて尚も、バナンは最後までディズへと怒りの視線を逸らさずにいた。だが、かつて自分を殺した者と同じ顔を持つ彼女に、これ以上詰め寄ることも叶わず、毒づくだけが精一杯だった。
 下がるまいと身をこわばらせているものの、余人の目から見てもバナンの敗北は揺るぎないものだった。

「フフフ、見事な貫禄ですな。ディズ殿。」

 ふと、直接手を下すことなく狼藉者を御して見せた様に敬意を表する声が一つ闇の中から聞こえてくる。
 群がるように集う闇の一端が、その場に佇む三人の下へと歩み寄り、徐々に人の形を成していく。やがてそこには、紳士然とした意匠の漆黒の衣を纏った道化がその姿を現していた。
 人々に一時の笑いを提供するような人懐っこさはなく、下々の者達を嘲笑わんばかりの――道化を演じている者達を見るような冷たさが表情に滲み出ている。
『大げさね。この子の憎しみまでは変えられなかったもの。全てを丸く収めるつもりならば、この貫禄とやらは褒められたものじゃないわね。』
 道化の称賛の言葉を聞くと、ディズは純然たる力によって場を収めたことを気に入らない様子を露わにしていた。バナンとてこの場に来ることを許される程の存在である以上、魔王に匹敵するだけの能力は有している。力ずくで抑えつけた所で、結局彼から向けられる憎悪は増すだけで、到底御したことには成りえない。
「君らしい考え方だ。元が彼女のような真面目な人間だからかな。まぁ、喜劇たるもの、完璧を目指すのも如何なものと思うがね。」
 他人事のように省みているようであっても、道化はその心の奥にあるものを見逃さなかった。今の彼女を形成している根本たるものを知りつくしたように、助言するような物言いで語りかける。英雄であることを強いられた過去に迫られるようにして、いつからか完全に周囲の嘆願に答えることに終始する。それに惑わされることなど如何に愚かなことだろうか。

『……あなたも含めて、そうそうたる顔ぶれが揃ったというものね。』
「フフフ、全くその通りですな。」

 それに答えることを拒むとも取れるような沈黙の後に、ディズは改めて道化とその背後を見回した。
「このメフィス。お招きに与かり恐悦至極に存じますとも。」
 道化が同意して頷くと共に、その背後で次々と纏う闇を呑み込むようにして、次々と人の姿をした大魔王の下僕達がこの場に現れていく。
「キミも堕落に明け暮れたあの平和に飽き飽きしていたところじゃないのかね、キリカ嬢?」
「……そうよォ。だって、この子が全部横取りしちゃったせいで、あたしの計画は台無しだったし。」
 道化−−メフィスが己が意のままに真っ先に向き直り呼びかけた先に、全身に張り付くような漆黒の衣に身を包み、闇に溶け込む肌の痩身痩躯の女が佇んでいる。メフィスの言葉に答えながらも、その視線と憮然とした表情は最初からディズに向けられていた。
『あなたもバナンと同じみたいね。』
 生前から長い間目の仇にしてきた者のその止め処ない殺気から、彼女――キリカもまた自分に対して良からぬ感情を抱いていることは努々理解していた。そう知りつつも取るに足らぬ存在と見ているのか、ディズはただ一瞥するだけだった。
「ホント、恐ろしい子ね。まさかこんな地獄の底にまでいるなんて思わなかったわよ……。」
 死して最後に縋りついたその先に待ち受けていたもの。それは兼ねてから標的にしていた忌まわしき者の姿だった。
 愛する者の勇者としての道を阻み、そしてその希望を完全に断った存在。それと同じと言っていい少女が目の前にいる。そして彼女が勇者などではなく、勇者の仇敵そのものであったという事実を未だに受け入れ切れていないのか、キリカと呼ばれた漆黒の女は疲れたように肩を落としていた。

「あ?何腑抜けた格好してやがんだ?余裕ぶっこいてるつもりか?ええ?自称“死神”サンよ?」

 表情に影を落としながら失意に耽るキリカへと、不意にバナンが乱暴にそう語りかけていた。
 大魔王に特に目を掛けられた者を前にして同じく萎縮しながらも、バナンはキリカにどこか慣れた様子であるのを見咎めていた。
「アラアラ、そんなに粋がってても返って弱く見えるわよ、ボウヤ。永遠に眠らせて差し上げてもよろしくてよ。」
「そうか……この凶拳のバナン様をそこまでバカにしやがるのか、アバズレが。」
 挑発と言わず、今にも踊りかからんばかりに憤るバナンを見ても、キリカは眉ひとつ動かさずに呆れた様子で軽口を返すだけだった。バナンもまた、その飄々とした様子に憤りを募らせてキリカへと今にも殴りかからんばかりに構えている。

「暴れるのは構いませんが、それなりの代償を伴うことをお忘れなきよう。」

 今まさに殺し合い兼ねない程に空気が張り詰めんとするその直前、バロンがそう口を挟んでいた。
「アラヤダ。そんなはしたないことするわけなくってよ。」
「……へいへい。あんたがしゃしゃりでちゃあ喧嘩どこじゃあねぇよなぁ。」
 遠まわしな警告に対して、キリカは態とらしく苦笑しながらその場を下がっていた。到底逆らいうるはずもない仲裁を前に臆した彼女を見て興が醒めたように、バナンもまた悪態をつきながらも大人しく拳を引いていた。
 如何にゾーマに見い出されたとて、人の身で魔物の最高峰に位置する者を相手にすることなど、無謀以外の何物でもない。
「……ま、そうなったとておれらにはもう失うものなんざ何もねぇはずだけどな?」
 それでも、バナンは純粋に勝負に水を差された名残惜しさからか、嘆息しながらそう呟いていた。
「あながち間違ってはおりませんな。だが、我らにはまだ成すべきことがある。だからこそ、未だ人としてこの場にあるのではないかね?」
 その一言を興味深そうに拾いあげつつ、闇の手の者の一人がバナンに語りかける。小柄ながらも恰幅の良い小太りの男。頑丈にあつらえられた算盤を担ぎ、煌びやかな鎧と衣装に身を包んだ様は、まさに虚栄に満ちた富豪の姿だった。
「上手いこと言ったつもりかよ、成金オヤジのトルードさんよ。理由なんざどうでもいいんだよ。」
「その通りだよ。ここに集った者は例外なく途方もない絶望を抱いていた。大魔王様の望みのままにな。」
 自らが王となったかのような勘違いも甚だしい出で立ちをした商人の男――トルード。死して尚も見栄を切らんとする様は、この場の誰もが持ちえない強烈な欲を醸し出している。
 暴れることそれだけに今の存在意義を見い出すバナンにとって、そんな彼の言葉は確かに下らないものだった。それでも、彼の持てる欲望と自分の衝動も、結局は誰にも理解されぬ意味では似たようなものでしかないこともどこかで理解していた。それが可笑しく思えたのか、反発の言葉と裏腹に、バナンは下卑染みた笑みを浮かべていた。

「そう。彼奴らが我が主――バラモス様を死なせなければ、俺もこんな所にはいなかった……!」

 トルードとバナンが投合して語らう言葉を拾い上げて、絶望を呼び起されたように、静かながらも打ちひしがれた青年の声が鋭く皆の耳を突いた。皆が向き直る先に、この場の雰囲気におおよそ合わぬ深緑の外套を纏った魔道士が憎悪に満ちた眼差しを虚空に向けている。
「そんな体たらくでまだご主人サマの仇討ちを諦めてないなんて相変わらず健気なことねェ。けどね、今から負け惜しみ言ってもアナタのご主人サマはもうどうにもならなくってよ?」
 激情に心を委ねるままに零した魔道士の怨恨を心底嘲笑い、更に怒りを煽りたてるように、女の言葉が彼へと投げかけられた。
「第一、命より大切な人を失っておきながらのうのうと生きてるなんて、ホント浅ましい限りよねェ。」
「くそ、死神もどきめが……!」
 かつて魔王バラモスに仕え共に理想の実現を目指した過去を踏み躙らんばかりに蔑み嗤う女に対し、緑衣の魔道士は憤りを見せながらもそれ以上何もできなかった。悔しさに身を震わせた所で、仇の一人であるこの女を滅ぼすことさえも叶わない。
『そう言うあなただって、わたしに“負けた”のでしょう?あいつを勇者に出来なかったのだから。』
「……ホント、図々しい子。やっぱりアナタなんか……」
 嗜虐的に魔道士を責め立てる中で入れられたディズの一言で、キリカの顔から愉悦の笑みが消えた。今まさに彼に与えていた気持ちを自分に与えようとする意図を隠そうともしない少女に、心底の悲憤と絶望を隠せずに顔を伏せるしかなかった。
『ユニア。“エビルマージ”、だったわね。』
 黙らせたキリカを横目に、ディズは緑衣の魔道士へと目をやった。エビルマージ・ユニア。彼こそ魔王バラモスに仕える最も近しき者の一人に他ならなかった。
――……本当に、貴女は何者なんだ。
 眼前に、魔王バラモスを倒したとされる勇者と同じ存在が立っている。だが、不思議と怨みは沸いてこず、何も感慨を浮かべぬ氷のような表情から、彼は知らぬ内に何かを探そうとしていた。
 追い詰められるままにバラモスに挑んだ勇者が、全てを失おうとした果てに抱いた絶望は、ここにいる誰よりも深いものに違いない。それが魔王すらも歯牙にかけずに滅ぼせる程の力と昇華したことへの驚愕。そして死に瀕して再び戦いに舞い戻った時に見た憎き者達に向けた暖かな癒しの光を目にした時の差異。これらの疑問は、本来仇敵に抱くべき怨恨の念を上回っていた。 
『あなたにはマクロベータがいなくなった後で彷徨える者たちを導いて欲しいの。“ネクロマンサー”としてね。』
 僅かな間に数えられぬ程の様々な疑問を抱く中で、ディズ当人より命が下っていた。
「ああ、憶えている。それがただ一つの我が望みに繋がるからな。」
 彼女の言葉を聞くと共に、ユニアはすぐに了承の返礼を返していた。
「……かくなる上は全てを冥府の彼岸におわすバラモス様の下へ追いやるだけだ。」
 主を失ったユニアにとって、死者の導き手となることは以前から望んでいたことだった。その望み故に兼ねてよりこの話に繋がる興味を抱き続けていたことより知識を深め、既に後任以上の役割を果たせるまでに練達していた。

「……次がある、とでもお思いかな?」

 苦心の果てに破滅的ながらも望みの任に就くこととなったユニアへと、厳かながらも沈着した抑揚で語りかける者があった。
「ボース……」
 司祭が纏うものと同じ意匠ながらも血塗られたような黒に染め抜かれた巡礼の衣に身を包み、魂を吸い寄せるとも錯覚せん程の歪な彩りの蒼白い穂先を持つ禍々しき槍。
「確かに、堕神の下で偽りの平穏を祈るよりは遥かに良いものだ。」
 その出で立ちと同じく、信仰心を神ではなく悪魔へと捧げるような物言いを、何の躊躇いもなく口にしてみせる。神教に殉じながら、死して闇に身をやつした背信者ボース。奇しくも、ユニア――魔道士とは対極に位置する聖職者だった。
「それでも、全てが無に帰した中であなたが求めるものが得られるかを知る者は誰もいないだろう。」
「…………なるほど、或いは他の奴らも同じことだろう。」
 あらゆる存在を滅ぼされた世界。そこには何者の望む価値あるものなど残りはしない。それでも、ユニアは大魔王ゾーマに下ったその時から、元より自分の目的が叶わぬことなど覚悟していた。
「そういや、サファラの奴が裏切りやがったんだっけなァ。……あのチビ、あいつに何吹き込みやがったんだ?」
 迷いを抱かせるようなボースの物言いから、バナンはあの時から行方の知れないかつての仲間だった女のことを思い返していた。彼女もまた、心を閉ざさんばかりの絶望に身を委ねていたはずであり、この場から逃れることなどできようはずもない。
「あの方の仲間のこともあるだろうが……元より彼女は我らとは存在を異にするもの。最初から仲間などではなかったのだよ。」
 その疑問に答えるように、それまで口を閉ざしていた男がバナンへと言葉を投げかけた。苔色の外套に身を包む下に騎士の装束と鎧を纏い、背に一対の大剣を背負った騎士だった。
「あ?どういうことだよ、アイゼン。」
「おや?ソードイド殿は既にご存じでしたかな?」
 闇の手の者となった者に他に道はなく逃れた所で行き場もないはずだけに、この場の皆がバナンと同じことを考えていた。

「生きながらにして此方に迎え入れられた。他ならぬ、ゾーマ様の意思でな。」

 口々に同じように尋ねる同胞達へ、ソードイド――アイゼンは簡潔に答えを述べていた。
 本来、ここに集う者達は皆が死を経ており、その死人となったはずの彼らを繋ぎとめているものは大魔王ゾーマの力そのものに他ならない。万に一つ裏切ることがあれば存在を認める理由などなく、サファラも既にそのまま消え逝くだけのはずだった。
 だが、命ある身で闇に堕ちたならば、呪いにも等しいその力を振りほどくことができれば、再び生ある人間へと還ることができる。それを実証したのが、今回の裏切りより知れた結果だった。
「生きながらにして、ねぇ。」
 アイゼンの言葉を聞くなり、キリカは何か気に入らない様子でそう口に出していた。だが、その物言いと裏腹に何故か喜々とした表情さえ浮かべていた。
「ほぅ?随分と妬ましいかね、キリカ嬢?やはり、彼女が生者たることがキミの職業柄、許せないのかい?」
「そうねェ、似たようなものかしら。少なくとも、制裁は必要じゃない?」
 死神と呼ばれる程の腕前を有する殺し屋としての矜持から、キリカには今度の裏切り者の存在を抹殺してやりたい衝動に駆られていた。ただ裏切りをなしただけに留まらず生ある者へと立ち返ったサファラは、その二つの意味でこの上なく魅力的にして目触りな標的だった。
「天辺にふんぞり返ってるあの目触りな竜と一緒に始末した方が良いんじゃなくて?」
「なるほど、“彼女”もまたキミの願いを踏みにじったと。逆恨みも良い所じゃないかねェ?今更だが。」
「アナタもいずれその口を二度と開けなくしてあげてもいいのよ?」
「おお、怖い怖い。まだ滅びるわけにはいかぬ身だからな。」
 一人に向ける殺意から、更なる怨恨を露わにする黒い女に、メフィスは態とらしく肩を竦める。だが、それに恐れた様子は微塵もなく、彼は薄い笑みを終始絶やさずにいた。
 全てを奪われたが故に、あらゆるものの滅びを望む様は或いは一番闇の手の者らしいのかもしれない。それに至る経緯が如何に下らぬものであるかを知り、嘲笑を押し込めるのが精一杯だった。
「何にせよ、つくづく読めねえ王サマだぜ……。ま、おれとて結局のところ、全部ぶち壊せりゃあ裏切りだってするんだけどよ。粋がってるクズ野郎共をこの手でグチャグチャにしてやれればそれでいいんだよ。」
 暗殺者と道化が実に愉快そうに言葉をかわす側で、バナンは大魔王の向かう先に改めて疑問を憶えていた。しかし、そうした矛盾を感じるのもいつものことでしかなかった。
「…………相変わらず、相手を倒すことしか考えていないのだな。だからこそ、新参の身で”力”の席を得たのだろうが。」
 渇望のままにその障害となるものを力を持って叩き潰す。そうした単純明快な指標を死して尚も曲げることなくあろうとするからこそ、ここに集う者達随一の膂力を誇ることができるのだろう。呆れながらも、そうした一面を見せるバナンに、ソードイド・アイゼンは素直に敬意を示していた。
 
『とりあえず、これで九人の内八人が揃ったのね。』
「ええ。我らの下を離れた彼女を除けば、これで全員と言えるでしょう。」

 人の身でありながら、大魔王ゾーマによりこの地に引きずり込まれた者達。

 ソードイドの名を賜り、古参としてこの場の皆を統率する騎士・アイゼン。
 世界が闇に落とされる前より神に疑心を抱き、死して尚も理に異を唱えんとする異端の司祭・ボース。
 主であるバラモスを失い、おめおめと生きながらえるままにここに辿りついたエビルマージ・ユニア。
 弱肉強食の掟を歪められた憤怒のままに、今度は世界を滅ぼさんと奮起する拳闘士・凶拳のバナン。
 愛する者の栄光を奪われた復讐を果たさんとして、怨恨と共に葬り去られたはずの暗殺者・死神キリカ。
 過ぎたる富を妬まれて、卑しき者達の手に掛かり死した敏腕商人・トルード。
 快楽を極めんがために、大魔王に下る道を選ぶことも厭わぬ悪魔と呼ばれた遊び人・メフィス。
 闇の深みを探らんとして、自ら闇に委ねた果てに再び人の世へ帰還した魔道士・サファラ。
 そして、大魔王により一人の少女が選ばれた時より、明確に存在を得ることとなった“彼女”の影・ディズ。

 一人の例外もなく、一つの道を誤った果てに破滅に身を落とすこととなった逸れ者達だった。
「そして、彼らもまた、全ての光をその手に納めるときがきた。正と負、その優劣を決するというありきたりな話も、また一興かもしれませんね。」
 それぞれの役割を果たしていく大魔王に仕えし人間達と、比類なき力を宿す魔物の王達がこの場に一堂に会することとなった発端。それは、この世界に再び光を取り戻さんと試みる者や、大魔王を止めようとする彼女が旅の中で得たものにある。

『機は熟したかしら。後は……』

 神の名を冠する伝説の武具と、外からの一切の進入を拒む居城へと続く道を開く虹の橋の伝説に纏わる神器。閉ざされた大魔王への道の鍵となるものは全て揃っている。
 こちらから動かずとも、脅威として会いまみえる日が遠くないことは明らかであり、来たるべき時は確実に迫りつつあった。