預けられし定め 第八話



 闇の帳に閉ざされた空にあって、金色の輝きと雷鳴の轟きを放ち続ける黒い雷雲が揺蕩う空。吹き荒れる高所の風に、雷によって焼き尽くされた灰燼が吹き飛ばされている。

「……へっ、何だか下でドンパチやってるみてぇだな。」

 塔の最上階の中央に位置する祭壇。それに続く道に転がる大魔王の手先の亡骸の間を事も無げに通り過ぎる一人の男。彼は階下から聞こえる轟音と剣戟を耳にしていた。
「ま、俺様が出るまでもねぇか。第一、ここでくたばるようならそれまでってモンだしよ。」
 その音から、殲滅を逃れた闇の手の者の手練れと、ここを目指す別の一行――おそらくは自分がよく知る“彼女”であることを察していた。それでも、助太刀する義理などあったものではなく、むしろ煩わしそうな様子でそう吐き棄てる有様だった。
「お前もそう思うだろ?――ス。」
 人間として、はたまた勇者としての行いに反することは自分でも努々分かっている。だが、こればかりは自分にはまだ関わりのないことに過ぎない。同意を求めるように、彼は背後の祭壇に佇む者へと振り返った。
「―――ルトとか呼ばれた日にゃ驚いたが、俺もお前にはビビッと来たぜ。これが一目ぼれってヤツかねぇ。輪廻だの前世の繋がりだの関係ねぇし、受け入れられねえモンでもねぇ。乱暴な言い方になるけどな。」
 ここに蠢く闇の手の者が全て滅ぼされたことを示すかのように、天の稲光は一瞬の間、塔の最上階を綺麗に照らし出していた。祭壇の上に安置されている美しき神像の影が闇に溶ける。その直後、男の言に応えるように、そこから清らかなまでの白い光が瞬間の灯の残滓として零れ出ていた。
「さて、まずは俺の夢を叶えてくるぜ。コイツと一緒にな。」
 それを見て心の底から愉悦を感じたように唇を笑みに歪ませながら、男は黒い天を仰いだ。
 再び閃く雷が、深い蒼の輝きを纏うものを照らし出していた。





 ただ一度でも、巨獣すらねじ伏せる程の威力を秘めた最上級の呪文。その内でも最も強力な部類に入る爆裂の呪文――イオナズン。その力の中心たる光の矢が三つ、同じ対象を目掛けて射かけられる。
 それを唱えたはずの術者――バロン自身の闇の衣に触れると共に、光の矢は凄烈な熱波と共に烈日の如く爆ぜた。

「マホカンタか。なるほど、こいつにも効くんだな。」

 ムー達の間近にまで迫ったはずのその矛先を逸らしたものが、彼女の前に微かに見える。光を照り返す薄い硝子のような実体なき壁。そのような儚げなものが、一瞬で練り上げられたバロンの三つの最上級呪文を跳ね返し、これまでにない破壊を目の当たりにさせたことに、ホレスは妙な感慨さえ憶える気がした。
「過ぎた力は己を滅ぼす。それはあなただって例外じゃない。」
 そして、その力は文字通りバロン自身の下へと帰した。闇の加護を受けて尚、高められた呪文の破壊を防ぎきることができず、手傷を負っている。己自身も含めれば尚のこと何者も敵わぬ境地など存在しない。
 爆炎の中から再びその姿を現したバロンへと、ムーは短くそう告げていた。

「……確かに私としたことが、迂闊でしたね。」

 闇の衣といえども、誰しも敵わぬ力の一端に過ぎない。その程度のものを過信した先にある慢心を示唆したムーの言を、バロンは認めざるを得なかった。
「それに、彼もまだ生きてる。」
 そして、彼女の背に最初に仕留めたはずの男が戻ってきているのを目にしていた。比類なき武器も神話の盾も手放して尚、無手でもバロンの一撃を耐え凌いで見せた。おおよそ非力で惰弱な人間の範疇に収まらぬことは理解していたが、それがこれ程のものとは思わなかった。
「……当たり前だ、この程度で倒れている場合じゃないからな。」
「ホレス……」
 ともすれば死に至ることになっていた状況が幾度訪れようとも恐怖も感慨もない。倒れることさえなくただ死線を何度でも潜り抜けていく。
「だから、心置きなく暴れて来い。」
「ええ……。」
 類稀なる強敵に出会いながらも怖じた様子一つもなくその戦いへと身を投じつつ、今も自分達の助けとならんとしている。その奮迅に感謝しながらも、レフィルは命さえも省みないその姿勢に言い様も知れぬ不安を禁じ得なかった。

「話はそれだけですか?」

 マホカンタを張ったムーを先頭に待ちの姿勢を崩さずにいることに痺れを切らしたのか、冷たくそう言い放ちながら瞬時に間合いを詰めた。そのまま動じずにいるムーに向けて紅蓮の軌跡が三度繰り出される。
「ルカニ」
 その瞬間、理力の杖を構えたままムーが呪文を唱えていた。
「むっ…!?」
 ルカニの呪文が引き起こす蒼白い光が全身を覆うと共に、体中に漲る力を根こそぎ奪い始める。炎の剣の一撃をムーの理力の杖が迎え撃った瞬間に、剣を通してバロンに衝撃が伝う。
 直後、振り下ろされた炎の剣の剣閃を伝って二度の爆炎が巻き起こる。だが、その狙いは彼女から大きく逸れてムーの背後の床を打ち砕くだけに留まる。
「今だ!」
 ムーの一撃の影響か、バロンが一瞬怯んだのを見逃さずレフィルはすかさず斬り込んだ。
「小賢しい……!」
 押された所をそのまま畳みかけようとせんと突進してくる。僅かな好機にこれ見よがしに飛び付かんとする様に無意識に忌々しげに吐き棄てながら、バロンは王者の剣を受け止めんと炎の剣を構えた。
 闇の衣によって後押しされている今、まともな剣戟など成立するはずがない。

「バイキルト!」
「!!」

 だが、二振りの剣が交錯せんとしたその時、レフィルに向けて唱えられた呪文が真紅の霊光と化して彼女の身に纏わりついた。ムーの十八番の一つとも言えるバイキルトの力が、今度はレフィルに与えられて、その膂力を増す。
「ぐっ!!?」
 力の差を瞬時に埋められるという予想外の不意を突かれて、バロンは手にした炎の剣ごと一気に押し返された。
―― 一体、何が……!?まさか……!
 そのまま攻勢に転じさせる暇も与えられず、一撃一撃の重みは更に増していく。バイキルトの呪文によって身体能力が向上しているとはいえ、闇の衣を纏った今でさえも先程以上に追い込まれつつある。一度反撃を許せばひとたまりもないはずが、その隙を見せる間もない程の絶大な力が彼女の剣から膨れ上がり続けている。
 気づけば暗闇に溶けるような鈍色に沈んでいたはずの刀身は、極星の如く蒼く眩い輝きを帯びている。

「ベギラマ!」

 その危ういまでの光にバロンが圧された瞬間、レフィルは王者の剣を天頂に掲げながら叫んだ。王者の剣の発する光に呼応するように、ベギラマによって呼び起された閃光もまた蒼白く彩られていく。
「!!」
 満足に魅入るより先に、閃光を纏った王者の剣が無造作に振り下ろされる。咄嗟に構えていた炎の剣は二つに断たれて瞬く間に燃え尽き、バロンの目の前を光輝く切っ先が過ぎる。
 次の瞬間、その光が辿った軌跡に沿ってベギラマの炎が集束して、翼の形をなしていた。それは陽光の如き色彩の残影を引き連れてバロン目掛けて飛来して、そのまま塔の隙間を抜けて天に舞い上がった。

――……これは、やはり……!!

 先に受けた一撃と交わる形で、闇の衣諸共引き裂かれた傷が焼かれる重苦に思わず膝を屈しながら、バロンは一つの確信を得ていた。
 伝説と謳われるからこその業物などではない。秘めたる本質を引き出した末に比類なき力を見せるからこそ、伝説と呼ばれる。今がまさに、後者の証明とも成り得ることだった。 
「これが王者の剣本来の力……ですか。」
 纏った者達の力を飛躍的に引き延ばし、あらゆる攻撃を呑み込むかのような闇の衣の加護。それを丸ごと斬り裂き、更には有数の業物である炎の剣をも断ち切り、尚も上位の魔族相手に深手を負わせる程の威力を秘めた蒼い光。
 元はオリハルコンという比類無き材質から元より凄まじい強度を持つとはいえ、ただそれだけでしかなかった。だが、今の不可思議なまでの現象とその結末は、かつて魔物達の脅威となった伝説の品がもたらしたそれに相応しいものであった。
「……ち、まだ生きてやがるのか!」
 既に致命傷と言える程の傷を受けて尚現状を静かに省みんとするバロンに、ホレスは舌打ちした。
「元より私の命など、兄との戦いの折に失われたもの。その時と比べるならばこの程度の傷、些細なものでしかありません。」
 その苛立ちに対する皮肉のように、バロンはすかさず言葉を返していた。闇の手の者となる際に、既に一度命奪われた身――形はどうあれ生ける屍として蘇らされた以上、死など恐れるに足らないものでしかなかった。
「あなたもまた本来光の者に属する以上、その忌むべき品を操れることに何の不思議もない。その可能性を鑑みなかった私も迂闊でしたね……。」
 得物は消し飛ばされて傷の深さそのものは否めぬ中で、よろめきながらもゆらりと立ち上がりながら更に語り続ける。今の尋常ならざる力を引き出すためには、彼女が持ち得る天性の勘などではない。光の者と呼ばれるだけの資質があってこそ、伝説の品の真価を引き出すことができた。
「光の者……」
 王者の剣の存在を忌む者達当人から語られるそんな話を前に、レフィルは戸惑うばかりだった。勇者と名乗らされたことはあっても、自らそうあろうとしたことはない。だが、この剣を操れるということは、やはり勇者として大魔王ゾーマと相対する他ないのか。そして……
「だが、それもまた予見できることでした。何度挑もうと、過去と同じ結果が繰り返されるのみです。」
 レフィルの心中に疼く不安そのままを、バロンが代弁していた。かつて同じ力を以って挑んだ勇者も、ゾーマの前には赤子も同然に縊り殺されている。この剣の示す先だけを頼りに生きていては、やがては彼の者と同じ末路を辿ることとなるだろう。
「それを今、ご教授いたしましょう。」
 死に瀕する程の傷を負っているとも思えぬ静かな抑揚でそう告げると共に、バロンはおもむろに手を正面に差し伸べる。

「大魔王ゾーマ様、今一度我に更なる力を!!」

 そして、主の名を高らかに告げると共に、かざされた手のひらから暗い波濤が迸った。
「!」
 津波の如く呑みこまんとするそれから逃れる術はなく、レフィル達は打ちつける奔流にされるがままに立ち止まっていた。
「こ、これって……まさか……!?」
 バロンの放った闇が体中を突き抜けんとする瞬間、全身を貪るような激しい悪寒が襲い、体中の力を根こそぎ奪っていくような違和感を憶えた。本能が訴えかけるような恐怖のあまり思わず地面に両膝をつきながら、レフィルはそれがかつても感じたものであると思い返していた。
「う……!」
「…………来たか。」
 ムーもまた急に浴びせられた闇の力に中てられて怯んだのか、縮こまるようにして身を庇っている。共に圧倒されている彼女達の側で、ホレスだけは過ぎゆく風を眺めるかのように悠然と佇んでいた。
「さて……」
 過ぎ去る闇の中で急に襲う違和感に二人が怯んだのを見計らったように、バロンは再び手を彼女達に向けてかざす。空間の一点が燃え上がり、紅蓮の巨球を形作る。
「メラ、ゾーマ……?」
 最上級の火炎呪文――メラゾーマが再び投じられるのを目にして、ムーは反射的に受け止めようとレフィルの前に踏み出ていた。ただそれだけでも、体は鉛と化したように重く感じられる。
「避けろ!ムー!!」
「…?!」
 火球を正面に臨んだ時、不意にホレスが焦燥を乗せた声色で警鐘を鳴らした。呼びかけられて初めて、ムーはその言わんとしていることに気がついた。
「レフィル、伏せて!」
「え?!」
 だが、既に閉じた距離まで迫るそれをかわしようなどない。背後に控えるレフィルへと有無を言わさぬ抑揚でそう告げながら、ムーは自らメラゾーマの火球に向かって大きく跳躍した。
 打ち割るように理力の杖を上下一杯に振り下ろした、杖に裂かれた火球が二つに分かたれてその両側で火柱となって立ち上った。
「ムー!!……っ!きゃあああっ!!!」
 打ち砕かれて尚も撒き散らされる炎の嵐に巻かれるムーの姿を目の当たりにするのも束の間、レフィルもまたメラゾーマの熱気が起こす嵐に煽られた。

「……彼女達は囮、ですか。」

 炎に巻かれる二人の標的を横目に、バロンは手の内で練り上げていたもう二つを新たな敵に差し向けた。
 こちらに迫りくる白髪の青年にもまた、メラゾーマの力が迫りくる。だが、彼の表面を掠めると共に呪文の力は掻き消えて、その残滓たる熱気も彼の足を止めるには至らない。
 一つを力任せに掻き消し、もう一つを放たれるより先にホレスは担ぎ上げた深い藍色の大刀――シャドーブレイクをバロンへと叩きつけた。
 咄嗟に身をかわすものの、影断ちの力を込められた刀身が闇の衣を掠めると共にそれを霧散させていく。
「ほう、ただ一度で見抜こうとは……。」
 三つのメラゾーマの矛先がムーに向けられることを察して、ホレスはこの展開に運ぶように動いていたのだろう。つまりは身体の底から凍てつかせんとする暗い波動を身に受けたその時から、あの場で何が起こったのかを瞬時に理解していることになる。初めて目の当たりにしたはずが、その本質を知って瞬時に打開策にまで至れるまでの機転に、バロンは感心の意を露わにしていた。
「……ふん、下らない悪あがきをしやがったものだな。」
 レフィルにより深手を負わされて炎の剣すら失っている今、最早この貧弱な武器――影断ちの大刀を持つ自分だけでもバロンを仕留めることは難しくない。それでも最後の力を振り絞って二人の仲間を道連れにしようとする執念に、ホレスは苛立ちを微かに乗せてそう吐き棄てていた。

「マホカンタが……消えている?」

 それぞれが纏う防具、ドラゴンローブとドラゴンメイルにより熱気と炎を遮り、二人はメラゾーマの力を耐え凌いでいた。だが、自分達を襲った闇のもたらした脱力感を前に、ただただ困惑するばかりだった。
――わたしのバイキルトも……ゾーマの時と同じ!?
 かつてに憶えがあるとはいえ、まさか今起こるはずもないとばかり思っていた。
 ギアガの大穴にて傭兵達と共に大魔王ゾーマと戦わんとした時に差し向けられたものもまた、彼らとムーから気力を根こそぎ奪い去っていた。パルプンテにより与えられた至高の加護を掻き消したのを目の当たりにした時と同じように、今もまたムーと自分から呪文による力が失われていることが感じられる。

「それに、この剣の光も……。」
「命あるものが持てる輝きはやがて失われ、闇の内へと帰す。それが万物の理において避けられぬ運命。全ての物はやがて滅びを迎える。そう、例え神の武具の力であれ例外ではありません。」

 そして、闇の衣に対抗する程の雰囲気を纏っていた王者の剣の蒼い光もまた、何事もなかったかのように消え失せている。あらゆるものの儚きを体現したような凍てつく感覚――それがゾーマの闇の本質であり、その深みが如何程のものであるのかを物語るように、レフィル達の力を奪い去っていた。
「まして命など、もっと容易く消え去るが道理。試してみたい所ではありましたが……」
 アレフガルド、そしてレフィル達の住む世界の全ての滅びを望む大魔王ゾーマにとって、あらゆる命を奪うこともまた目指す所である。纏う力などと生易しいことを言わず、生命そのものを根絶せんとする意志は闇の手の者達が代行している。バロンもまた、その例に外れぬままに戦わんとしていた。
「ふん……。その前に貴様を滅ぼしてやるよ。もう戦う力など残っていないだろうが。」
 だが、今となっては目の前に立ちはだかる人間一人に勝つことすらままならない。それを見抜いてのことか、ホレスは冗談とは到底思えぬ程の怒気を交えた抑揚でそう言い放っていた。
「クトルの受け売りですか?確かに今のあなたならば或いはできるやもしれませんがね。」
 仲間に仇なす敵を容赦なく薙ぎ倒さんとする無謀な有様も、人の身に過ぎぬくせに闇の手の者と正面きって喧嘩を売らんとしている。そのような気概や成長もさることながら、分を弁える真似ごとすら拒むような在り方がバロンには何より気に入らなかった。
 忌々しげな視線を向けながらそう吐き捨てるも、ただそれだけのことだった。

「レフィル、ひとつだけ最後に申し上げておきましょう。世の理は、総じて異端を許さない。今のあなたのままでは、いずれは拒まれるが道理。」
「…………。」

 バナンもサファラも敗れ、自分もまた潮時を迎えたのかもしれない。最早これ以上の戦いは無意味と言わんとするように踵を返すその餞の如く、バロンはレフィルへとそう諭していた。
「あくまで生きて幸せを掴みたい、そのようなあなたの願いは既に失われたのですよ。異端を是とする世と成さぬ限りは。」
 勇者として人々の期待を背負うなどできず、闇の手の者と堕ち切ることさえもできない。まして、平穏を望むだけの一人の人間としてこの旅を往くことも敵わない。力を欲しなければアレフガルドに赴くより前に押し潰され、その力を以って比類なき闇の手の者達との戦いでも必ず一手が及ばない。
 光と闇のどちらに組みするかを決断したわけでもない。全てに行き詰った果てに闇に身をやつすことを気まぐれに選んだ。そのような者が光の伝説に謳われる王者の剣を手にするなど、滑稽極まりない話だった。
「そう、そうなのかも…しれない。でも、ゾーマは絶対に止めなきゃだめだから……。」
 ただ一つ決めたことは、ゾーマを止めて、再び元の静穏の時を過ごしたいという曖昧極まりない願いだけ。これでは結局は先の一つも見えない蒙昧極まりない愚者でしかない。
 そう看破されて言い淀み、表情に影を落とすも、レフィルの双眸はバロンから決して逸らされることはなかった。
「いずれにせよ、また会うこととなるでしょう。それが、せめてもの救いと言うものです。次こそはあなたには……」
 それを一瞥するだけで、バロンはすぐに背を向けつつ、灯無き暗い回廊に向けて歩みを進めていった。闇に溶けるように気配が薄れ、やがては完全に消え去った。
「……。」
 精霊神や神の武具が与える希望と、大魔王や闇の手の者が与える絶望。英雄かその礎、或いは闇に身をやつしし生贄。いずれの道も己の望んでいたものとかけ離れた結果しかもたらさない。
 それでも、突如として脅威が舞い降りたアリアハンに安穏と過ごすこともできない。英雄としての名を背負ってしまったからこそ、その期待を裏切ってしまった今、どうして戻れようか。
「何も気にするな。お前のやりたいようにやればいい。」
 自らの道に対する否定に反論の一つさえできない。だが、ホレスはバロンの言葉など気にも留めていない様子でレフィルへと短くそう告げていた。
「ホレス……。」
 事の風向きがそちらにあると言え、先の先のことまで憂う姿勢を見咎めたのだろうか。それでも、敵に対して向ける冷酷さは微塵もなく、地の底に沈まんとしている自分を拾い上げんとする意思を感じられる。
――わたしも……甘えている場合じゃないな。
 如何なる脅威が立ち塞がろうと、ここで立ち止まってしまえば全てが無に帰すのは少し考えれば分かることだった。己を決定的に否定するものであれ、ただそれだけでレフィルの守りたいものが消えるわけではない。
 突き進み続ける道を後戻りできぬことに不安感を覚えながらも、レフィルには今の道を是とすることを改めて心に決めていた。

 将たるバロンが退いたからか、精霊神を封印の内に鎖すために集っていた魔物の気配は全て消えていた。
 全ての主を失った封印の塔の内に響くのは、ここに踏み入った四人の闖入者の足音だけだった。
 その静けさの中で先へ行く中で、レフィル達に埃が微かな風に乗って静かに吹きつけた。

「ここも……。」

 だが、すぐにそれがただの埃などと異なることに気付いた。それは焼き尽くされた果てに残る僅かな存在の残滓。それはまともな屍の一つを残すことすらも許されず、灰燼と帰した闇の手の者達の成れの果てだった。
「雷撃……」
「随分と大層な力だな。こんなに滅茶苦茶にしてくれやがって。」
 ここを守っていた者達も、ルビスの塔の外で殲滅され尽くしたゾーマの手の者と同じ運命を辿ったのか。壁や天井が焼き焦がされたように貫かれ、一際灰の気配の濃い場の床もまた大きく穿たれている。
 その一つ一つの焦げ目を帯びた痕跡から、それが雷によってもたらされたものと見ることができた。
 
「!」

 不意に、どこからともなく蒼い光が現れて、レフィル達の視界を一瞬覆い尽くした。
「あれか。」
「そのようじゃな。」
 光が止んだ後も暫し茫然と立ちすくむレフィル達を横目に、ホレスはガライと共に塔の外を眺めていた。
「流れ……星?」
 それに気付いて、レフィル達もすぐにそちらに向き直ると、先程目の前に現れたものと同じ光が、漆黒の空に輝きの尾を引いていた。
「ルーラ?マイラの方に飛んで行ったみたい。」
「一体ここから誰が……」
 塔の頂から飛び立つ様子から、ムーはそれがルーラの呪文による飛翔と察していた。ここの魔物達が残らず滅ぼされている中で、気まぐれに生き残りがいるとも考えにくく、纏う光は闇の手の者が身につけられるものではない。
「やはり、来てやがったか。」
 状況から鑑みて、今しがた飛び去って行った者は、闇の手の者を殲滅した先客と見て間違いなかった。そう分かるなり、何かを解したようにホレスが言葉を零す。
「やはり……って?」
 それにレフィルが思わず疑問の声を投げかけると、彼は何を言うより先にレフィルの手元を指差していた。
「王者の剣が、また……。」
 そこには暗闇の中で、うっすらと淡い蒼を帯びた王者の剣の刀身があった。先程バロンによって根こそぎ奪われたはずの光が、再び芽吹かんとするように発生していた。いつしかホレスの手に取られた勇者の盾もまた、同じように淡く発光していた。
「共鳴しているんだ。」
 その光が互いに韻を踏むように明滅していることに気付いた時、ホレスがそれが意味するであろう事象を告げていた。
「ここに全てが揃っていたということでしょうかな。」
「ああ、そう考えるのが妥当だろうよ。」
「揃っていた……って?」
 光から感じられる雰囲気は輝きこそ異なれど、視界を覆った蒼い光と同じものに相違なかった。
 剣と盾が揃って尚も、これまではこのような現象を目にしたことはない。引き金となったのは、残り一つの足りないものだった。

「最後の神の武具・“神鎧・光の鎧”がここにあったってことをな。」

 レフィル達が携える人知を超えた二つの力――“王剣・王者の剣”、“護甲・勇者の盾”。それらの神の武具の最後の一つが先程まで近くにあった。仔細を目にするよりも先に、ホレスとガライは直感的にそう知ることになった。
「さっきまで、ここに?」
 神鎧・光の鎧。先程の蒼い光は、それが源だったのだろうか。或いは、鎧を纏う者の持てる力の残滓か。
「持ち去られた後のようじゃな。」
 いずれにせよ、その僅かな光を置き土産に残していくだけで、既に鎧そのものはこの場にはない。それでも、この場に最後の神の武具が“在った”と推測できただけでも、奇跡に近いものを感じることができた。
 あらゆる災厄から選ばれし者の身を守り、活力を与えるとされる蒼き究極の鎧――光の鎧。それが精霊神と共に安置されていることもまた、共に恐れるものを封じるがためだろうか。

 再び前に進まんとする一行と別に、レフィルは先程の戦いで取り落とした剣を拾い上げんとその側へと歩み寄る。白銀の刃を持った蒼い三叉の剣――吹雪の剣が、床を深々と貫いていた。
――やっぱり、こっちの方が馴染むな……。
 剣の力に振り回されこそしなかったが、自分にもまた王者の剣を使いこなすことはできないと実感させられていた。バロンの闇の衣を貫ける程の力から、確かにこれからの戦いに最も有用な武器と言えるかもしれない。
 それでも、これまで扱い続けてきたこの吹雪の剣に慣れ親しんできた感覚は否めなかった。斧や槍も含め、あらゆる武器を操る術を得てきたが故に武器を選り好みする趣味はなかったが、ここまで違和感を覚える武器はやはり王者の剣が初めてのことだった。

「え?」

 拾い上げて扱い慣れた感触と共に、不意に同時に何か別の感覚が手に伝ってきた。
 王者の剣に拒まれている漠然とした感覚から、吹雪の剣が自然と手に吸い込まれるような錯覚さえも憶える。だが、それよりもこの剣を象徴するような凍てつく冷気とは無縁な不思議な温もりを感じていた。
「どうしてわたしの剣まで……。」
 気づけば、レフィルの剣――吹雪の剣にもまた、淡い光が帯びている。異なるのは、それが赤と紫の境に位置する鮮やかな彩りの輝きであることだった。目を突くような妖しい危うさがありながらも、同時にレフィルに何かを訴えかけるような感覚も憶えていた。
――このままじゃ、いけない……。そう言いたいの……?
 剣が問いかける――などと言う馬鹿げたことより先に感じたものを思い出す。闇の手の者との戦いを共にくぐり抜けたこと、その中で思っていたこと。そして、自分が何がために戦い続けているかという目的。
 そのような中で確かなものを感じながらも、ここまでその思いに従って生きることなどできなかった。

 自分の意志も持たぬ人形にも等しい道を行くことに、どれだけの価値が見い出せるだろうか。
 迷走する思考の中で、レフィルは何も答えを出せずにいた。

 ただ一つ、生半可な思いで臨んだ所で破滅にしか続く道がないことを除いては……。