預けられし定め 第七話



 力任せに打ち砕かれた吹き抜けの通路を背に、紫衣の騎士が立ちはだかっている。再製された伝説の剣によって、身に付けた鎧共々斬り裂かれた一筋の傷を抑えながらも、その表情は苦悶よりも愉悦に満ちていた。

「間に合った。」

 ゾーマの騎士――バロンと対峙するレフィル達の後ろから軽快にこちらに走ってくる足音が段々と大きくなる。それがすぐ後ろに至ったその時、少女がぽつりと告げる声が背後から聞こえてきた。
「ムー……」
 レフィルを守るようにして、彼女はその前へと進み出ていた。身に纏ったローブには幾つも焦げ目がつき、赤い髪や白い肌も土埃に塗れている。
「丁度いい所に来ましたね、ムー。」
 強敵との戦いを斬り抜ける中で激しく傷ついているにも関わらずすぐに駆けつけてくれた。その姿に言いようの知れぬ憂いをレフィルが抱くのと同時に、バロンはムーの到来を歓迎するように笑みを深めていた。
「流石は我が兄が目をかけた逸材。魔導師サファラを退けるとは見事なものです。」
 今この場に現れたということは、レフィル達を分断するために放った刺客――魔導師サファラを倒してきたことに他ならない。その事実から、兄が見込んだ者の力量をより近くで感じることができ、バロンの口から自然と称賛の言葉が告げられていた。
「…………。」
 それに対してムーは何の答えを返すわけでもなく、黙って相手の双眸をねめつけながら理力の杖を構えていた。





 吹き荒れる氷の嵐がその内に閉ざされた竜の姿を白く覆い隠していく。バギクロスの呪文により招来された大竜巻の力により斬り裂かれた金色の鱗が同じく抉り取られた塔の床に散っている。次いで魔導師が立て続けに唱えるイオナズンの呪文と共に、巨大な光球が幾つも嵐の中に投じられ、ぶつかる度に大きく爆ぜる。大爆発が氷の嵐諸共辺りをまとめて吹き飛ばし、巻き起こされる爆炎が一気に焼き尽くさんと燃え盛る。
 更にイオナズンの光球が迫らんとしたその時、金色の竜の姿が掻き消えてすり抜けて、その足元にあたる位置に緑色の光が集まる。
「元に戻ったのね。」
 竜から人の姿に戻ってみせるのを見て、サファラは無感動にそう呟いていた。
「でも、それが私に通じると思って?」
「!!」
 差し向けられる呪文をかわすために竜化を解いて対象を失わせて、理力の杖による直接攻撃に切り替える。だが、そのような作戦など、サファラには何も恐れることはなかった。
 ムーが唱えたメラゾーマの火球は即座に返された同じ呪文で相殺され、懐に斬り込んだ瞬間にはマヌーサの呪文による幻影でかわされる。
「仮にもあなた、賢者と呼ばれた子なのでしょう。それでもその程度の力しかないのね。」
 満足に振るえぬとはいえ竜の力を借りた息吹や膂力も、恵まれた才に任せた呪文や体術も、跳ね返されるまでもなく容易くいなされる。闇の衣の力を借りているからこそ、今の純然たる力の差は明らかだった。

「何故闇に堕ちたの?」

 サファラが攻撃の手を止めてこちらの様子を眺めるように泰然と佇む間に、ムーは不意にそう言葉を投げかけていた。
「……あなたにはどう見える?」
「そんな力はあなたに必要ない。あなたも必要とも思っていない。違う?」
 メルキドで遭遇する羽目になった聖騎士団や、先程暴れ狂っていた凶拳のバナンは己の思うままに大魔王より授けられた闇の力を振るい続けてきた。だがムーには、サファラに最初からそれを以って望む何かがないように見えた。
「そうね。私はあなた達とは違う。心からの救いを求めて願ったあなた達とは……。それに、途方もない欲望を満たさんとしている彼らとも……」
 深い絶望に捉われた者が、最後に抱いた願いを叶えるべくして手を伸ばすもの――それがゾーマの闇の衣だった。それは友を手にかけたバラモスに対する激怒のあまり力を欲したレフィルも、同じことでしかない。
 だが、サファラはバナンのように明確に叶えたい己の願いは持ち合わせていないらしい。最初からこの場に存在していること自体に疑問を抱いているかのようにも見える。
「いずれにせよ残念だわ。竜の女王の寵愛を受ける程の子と、こんな形でしか会えなかったのだから。」
 その人形の如き虚ろな雰囲気のままそう言い放つ中で、サファラは手にした杖をおもむろに掲げた。杖のから紅蓮の波濤が呼び起されて、塔の床を伝って一気にムーの頭上から押し寄せる。閃熱の最上級呪文――ベギラゴンの熱波だった。
「後悔なんか、させない。」
 それを迎え撃つようにムーもまた最上級の呪文を唱えて力を呼び起す。サファラのものとは違うイオナズンの光球がムーの理力の杖の先に顕現し、一瞬にして肥大すると共にベギラゴンの中心へと叩きつけるようにして放たれる。波濤と爆炎が勢いを押し殺し合いながらもすれ違い、互いの術者へと牙を剥く。
 そんなこともお構いなしに、ムーは一気に間合いを詰めてサファラの眼前にまで迫っていた。そして、渾身の力を以って理力の杖を頭上から打ち下ろす。

「力任せなら、無駄なことよ。」

 魔獣を叩き伏せる程の威力を持った一撃も、サファラは己の杖だけで受け止めていた。力の差のある相手に対して愚行に走ったことを冷淡な抑揚で告げるも、口の端は僅かに疑念に歪められていた。
「そんなことは分かってる。それができるのは、“彼”だけだから。」
 それを見据えながら、ムーは杖を交えたままそう語る。力の差を見せつけられている以上、そのまま戦った所で勝てないことは重々承知のことだった。それでも、レフィルがバラモスを追い詰めた時のように、分を超えた領域に足を踏み入れずして、力を以ってこのような状況を打開する場面には出くわしてきた。だからこそ、ホレスのようなに格上の者相手に立ち向かう芸当が自分には到底成し得ぬことも薄々感じていた。

「最果てに伏したる数多の蠢く者共よ、創世の光の奔流と化して我が元へ集え。」
「!」

 交えた杖に力を込めながら、ムーは不意に力を呼び起す言葉を唱え始める。


「パルプンテ」


 それを引き止める間もなく、最後に呪文の名が告げられた瞬間、ムーの周りの空間が歪み、彼女の中心に吸い込まれるように渦巻き始めた。吹き抜けの通路に罠として仕掛けられていた敷石の一つ一つからも、何かがそこに向かい流れ込んでいく。
「これは……」
 辺りに立ち込める闇も、サファラが灯していたレミ―ラの光も、突如として帯び起こされた不思議な渦の中心に立つムーの体に吸い込まれていく。 
――闇の衣が……
 渦の勢いが増し続けるにつれて、サファラを多く漆黒の霊光が徐々に薄れ始めた。灯を失って暗闇と化したにも関わらず、彼女の周りだけが微かに明るく感じられる。そしていつしか、消え行かんとする闇の衣そのものがムーの方に吸い寄せられていた。
「マホ……トラ……?」
 それを支える礎の役割を果たす魔力が奪われていると気付いた時には、サファラ自身の魔力もまた吸い尽くされていた。



 打ち砕かれた上層の通路の瓦礫がルビスの塔の最下層に転がっている。ただ一撃でこれ程の破壊を巻き起こす中心にあっては、無事ではいられないはずだった。
 塔の通路ごと苛立たしい輩を粉砕できた確かな手応えを感じて、バナンは狂気的な哄笑を上げ続けていた。

「!?」

 そうしていると、不意に下方から引きずり込むように足を掴まれる感触がした。
『ふん、ざまあみろか。』
 直後、もはや聞くはずもない声が、冷淡に嘲笑うように投げかけられた。
『それはこっちの台詞だ。』
 思わず見下ろすと、そこには渾身の一撃の下に砕かれたはずのあの仇敵――ホレスと呼ばれていた青年の姿があった。
「バ、……バカ……な…………。」
 一瞬の不意を突いて放たれた一撃は確かにホレスの肉体に極まっていた。だが、今ここにある者は彼の――まして人間のものですらなかった。
「分身だと!!?てめ……!」
 薄れていく彼自身の姿の影に、砕かれた塔の石の一片が見える。丁度人型にあつらえられたように削り取られた鳩尾から下が砕け散り、残った胸元より上の部分がバナンを逃がさぬよう、その足を掴んでいる。

『メガンテの腕輪だ。冥土の土産にでも持っていけ。』
「!!?」

 元が単なる石でしかないとは思えぬ程の力で抑え込まれて動けぬ中、石人形からホレスの声が耳を突いた。次の瞬間、バナンを掴む人形の腕にから目を焼かんばかりの光が一瞬にして視界を覆う。
 術者の生命力を用い、自らの肉体諸共敵を殲滅する云われから、自己犠牲と名高い呪文――メガンテ。その力を宿した秘宝の存在を知る由もなく、条件は満たされる。

 命失いし者の最後の灯を感応したその時に……

「がぁああああああああああっ!!!」

 そして、分身体を中心として全てをなぎ倒さんばかりの暴風と共に白い爆炎が立ち上り、その中心に引き寄せられていたバナンは成す術もなくそれに貫かれた。一点に集中された呪文により体の内側から焼き尽くされ、憤怒に満ちた断末魔だけを残して完全に灰燼と帰した。

『ふざけ……やがって!!ぜってえ……ぶっ殺してや…………!!』

 小さくも烈日の如き焦熱と爆発によって溶融して大きく穿たれた場。爆発の轟きの余韻の中で舞い散る灰の内に微かに乗せられた怨嗟の声を聞く者は誰もいなかった。



 大いなる力によって巻き起こされた渦。その内に呑まれていくように淡く色づく闇――それはサファラの闇の衣“だった”ものに他ならない。中心に向かうにつれて闇を構成するものが魔力と化して分解され、灯の光の内に消え失せていく。
 そして、最後に残されたゾーマとの繋がりを示すかの如く彼女の体内に残っていた闇を吸い上げて、この場に残る全ての暗みを消し去っていた。

「………ふふ、まさか、根こそぎ力を奪われるなんてね。」

 魔力をも根こそぎ奪われた脱力感と共に、サファラは力なく地面に膝を屈していた。
「でも、あなたはまだ生きている。」
 だが、バロンと共に現れた時の人形のような押し殺された表情はなく、疲弊しながらもどこか満ち足りた顔があった。力を奪われたにも関わらず、心なしか先程にも増して生気に満ち溢れているように見える。
「分かってたのね。私がわざと闇に身を委ねたことを。」
 見透かしたように告げられるムーの一言を聞いて、サファラは薄い笑みを浮かべていた。バナンやバロンにしても、死の運命を逃れることはできずにあくまでゾーマによって生きながらえさせられているに過ぎない。
 だが、サファラはそれを果たすはずの闇の衣を奪われて尚、滅びることなくそこに存在していた。
「だから結局はバナンがやったことと変わりはないわ。己の望みのために大切なものを捨てようとしたのだから。」
 逆に言えば、彼らが辿った死という極限に立たされるより先に、自らの望みを叶えるために闇に身を投じたことになる。死生を懸ける意を汲めば、彼らに遠く及ばない。そう自嘲しながら、サファラは更に言葉を続ける。
「それが例え、敵状視察のためといえどもね。でも、それも殆ど無駄だったわ。」
 世界が闇に鎖されてから幾十余年経った今であっても、大魔王ゾーマについて詳しく知る者、間近で目にした者は殆どいなかった。

「既に私達アレフガルドの民に、大魔王ゾーマを止める術はなかったのよ。例えあの子が持ってる王者の剣が真の力を取り戻したとしてもね。」

 熟練の勇士さえも圧倒する程の実力を持つ闇の手の者。彼らの己の力の一端を与えている大魔王ゾーマのそれは、サファラから見ても絶望的な程の高みに位置していると分かった。
 在りし日の王者の剣と神の武具を携えた勇者でさえもまるで敵わずに敗死したという事実を否応なしに確信させられる。それが結果的に絶望を深めることとなってしまった。
「でも、私達はそれだけじゃない。だから、やってみなくちゃ分からない。」
 サファラの言から、王者の剣が持ち得る力にまだ先があることが窺えた。不完全と言われる今でさえ、ラゴンヌを一撃で斬り伏せられる程の威力を発揮していた以上、他にはない特別な剣であることは間違いないだろう。
 だが、レフィルも最初から王者の剣の力などあてにしていない。ゾーマを如何にして止めるか、その答えもまだ見い出せてはいないが、その意志を支える者は確かに彼女の背にある。
「強い子ね。あなたも彼女も。オルテガ様のことを思い出すわ。」
「オルテガを知っているの?」
「ええ。私はあの方の力になりたかった。けど、それももう……。」
 伝説の力など最初から関係ない。旅を厭っていた最初と異なり、明確な信念に基づいて動いているからこそ、一度呑まれた闇に呑まれずにあれるのだろう。その姿を、サファラはよく知る人物に重ね合わせていた。
 ホレスから聞かされた勇者――オルテガの話。彼が会ったと言う話を最後に、再び姿をくらませている。サファラもその行方を知る由もなく、闇から立ちかえった今でも再会はほぼ叶わないだろう。
「……気が早い子ね。」
 話の中で、いつからかムーが既にここから立ち去っているのを知り、サファラは呆れたように嘆息した。後に残る激しい剣戟の音と、大爆発の轟き。それだけで、彼女を駆り立てるには十分だったのだろう。
「私も、もう自由……なのよね。どうしたものかしらね、バロン。」
 果たすべき目的に向けて駆け出していったムーの姿を遠くに眺めながらそう一人ごちつつ、サファラもまたゆっくりと身を起こした。ようやく呪縛から解放されたとはいえ、今となってはかつての目的は失われている。
 それでも、彼女の顔にはもう絶望の表情は張り付いていなかった。




 先駆者の手によって鏖殺されて、もはや誰もいないと思わせる程の静けさが支配していたはずの魔物の塔。
 激戦の中で床の随所が抉り取られ、吹き抜けの空洞を渡す通路もまた破壊されている。
 そして辺りには土埃が舞い、つい先程に巻き起こされた爆発の余韻が響き渡っている。

「兄との戦いから、また腕を上げたようですね。まずはあなた方に対する侮りの非礼を詫びましょう。」

 凶拳のバナンと魔導師サファラ。紛れもない実力者である彼らを退けたホレスとムーの実力を見誤っていたことは認めざるを得ない。
 そして、並みの使い手を容易く屠れると自負していたバロンの剣を打ち破れる程の技量をレフィルが持っていることも実感させられた。常人に見切れぬ連撃にさえも反撃してみせた以上、剣技だけならば間違いなくレフィルに分がある。そして、バナンを追い立てるように用いた呪文の使い方やその威力も、類稀な感覚がなせる業だろう。
「やはり、私も本分を発揮せねばならぬようです。」
 想定を遥かに超えているという誤算こそあれ、ここまでの激戦によって実力を量るという思惑は成った。が、彼らもまたこちらの望まぬ目的を以ってここを訪れている以上、脅威として看過するわけにはいかない。
 それでも、先程から対峙してよりずっと浮かべられている不敵な笑みは崩されることはなかった。左手が何度も傷口を伝うようになぞられている。そんな姿は、寧ろこの状況を楽しんでいるようにさえ思えた。


「理を逸せるものならば、超えてみせなさい。」


 不意にバロンが笑みを消し、冷たくそう言い放つと共に静かに息を吸い込んだ。
 次の瞬間、幾条もの漆黒の炎がバロンの体から渦巻き、空間そのものを焼き尽くすように一気に広がり始めた。その中心から黒炎が波打ちながら静かに広がり、ホレスが灯していたレミ―ラの光を呑み込んでいく。

「来たか!」

 いつしかレフィルから負わされた傷が完全に癒えているのを見ながら、ホレスは破壊の鉄球を手に身構えた。
「闇の衣……!」
「こ、これが……!?」
 先程までとは比にならぬ程の圧倒的な威圧感と殺気を真っ向からぶつけられるのを感じる。それこそが闇の衣を繰る者達の持てるものであることは重々承知のことだった。だが、その度合いはこれまで戦ってきた者達のそれとはまったく比較にならなかった。
 一足踏み出すごとに起こる足音の残響の一つでさえ、塔全体を揺るがさんばかりの重みを感じさせる。だが、人と然程変わらぬ体格の者が発するそれの不可解さに首を傾げる間もなかった。

「まずは、あなたからです。」
「!」

 その時には既に、バロンはホレスの眼前に現れて炎の剣を振りあげていた。
「ちいっ!!」
 前に一度その威容と一戦交えていたのが幸いしてか、ホレスはそれより先に既に勇者の盾を構えつつ迎え撃っていた。迫りくる連撃の一つ一つを見切り、確実に受け流さんとする。
「っ!」
 だが、一撃目が掠めただけで、ホレスはその剣圧に押し潰されるようによろめいていた。炎の剣に纏った熱気が振り下ろされるごとに爆炎となって爆ぜて、盾を通して衝撃を伝える。
「く……!」
 続けて繰り出される二撃目に対しても満足に身を守ることができなかった。狙い澄まされたように繰り出された突きを正面から防ぐより術はない。
「ぐあ……っ!!」
 切っ先が盾の表面を撃ち抜かんとすると共に再びその一点を中心に爆ぜて、衝裂を受け切れずに勇者の盾がホレスの手元から弾き飛ばされる。勢いを殺しきれずに足をもつれさせ、ホレスは無防備とも言える程に体勢を崩していた。
「呆気ない。」
 そして、、最後の一撃が振り下ろされる。凄まじい質量の鉄球の重量を支える程の硬質な鎖の一つが一瞬で両断されると共に、炎の剣の剣閃を境にホレスの目の前の空間が炸裂した。
 先のイオナズンにも匹敵する程の爆発が膨れ上がると共に、破壊の鉄球とその柄があたかも羽の如く宙に舞った。
「ホレス!!」
「失望しましたよ、レフィル。」
 爆炎の中に呑み込まれたホレスの下に駆け寄るより先に、バロンがレフィルの眼前に立ち塞がる。見下ろす双眸は蔑むような視線をこちらに向けている。
「邪魔しないで!」
 唐突に行く手を阻まれたことにも構わず、レフィルは半ば激情に任せるままに斬りかかった。
 身構えている相手に虚も突かず、進んで先んじて攻めにかかる。身を守るために用いてきたレフィル本来のそれとは異なる純粋に相手を滅ぼすための捨て身の一撃がバロンへと放たれる。
「……!流石……!」
 連撃によって迎え撃つも、レフィルの突進の勢いに追いすがることはできず、懐にまで潜り込まれて深く切り裂かれる。レフィルもまた掠めた炎の剣からの爆炎によって双肩に手傷を負いながらも、そのまま駆け抜けてすかさず振り返る。
「ですが、その程度では足りないのですよ。」
 決して浅くない反撃による炎に身を焼かれながらレフィルが見たのは、斬りつけたバロンの体と鎧がすぐに修復されていく様だった。諸刃の一撃で刻んだはずの元の傷そのものも、闇の衣の加護のせいか然程のものではない。
「ベホマ」
 それを見て落胆するわけでも、構わず背を向けるわけでもなく、レフィルはただ次の手を打っていた。再生を待つだけでこちらの出方を窺っていることを読んで、彼女もまた自らの傷をベホマによって癒す。
「…………。このような技を扱いながらも、そしてあなた自身の情に流されずとも、理解できなかったようですね。」
 友を傷つけられた一瞬の憤慨から始まったにも関わらず、脅威たる自分との一合を生き延びる技量に感心を見せるも束の間。バロンは先の言葉を表すかの如く、失望の眼差しをレフィルに向ける。
「それが……何だって、言うの……!!」
「それが本来あるべき姿勢なのですよ、レフィル。自らの置かれている立場も分からないですか。その程度ではもはやどうしようもないのです。」
「…………。」
 少しずつ己の身を省みなくなろうとしているのも、足りない力を渇望せんがためとバロンは見抜いていた。だが、その最も間近にあり、かつ最も有効な答えを選ぼうとしないことには納得がいかなかった。
 バラモスを容易く斬り伏せられる程の絶大な力を持ちだされたら、闇の衣を纏ったバロンとて勝ち目は全くない。それは対峙しているレフィル当人が一番良く分かっていることかもしれない。
「かくなる上は死に瀕するまで追い込むまでです。あなたが本来のあなたであるために、ね。」
「!」
 それでも一向に解放しようとしない、或いはできないのか、こうして蟷螂の斧を振り上げているに過ぎない。そんなレフィルに苛立ちを垣間見せながら、バロンは手のひらを天に掲げた。
――また……イオナズン!?
 辺り全てを呑み込むような流れの渦中に押し込められた空間が、目を焼かんばかりの強烈な光を発している。同じイオナズンの呪文によるものでありながらも、それを練り上げる力は先の比ではない。
 先よりも小さくより眩く輝く光球が三つ顕現して、バロンの手のひらの中で力を集め続けながら互いを引きあうように廻り続けている。

「灰燼と帰すがいい。偽印の勇者よ。」

 そう宣告するバロンの声と共に、イオナズンにより呼び起された三つの光は一斉にレフィルに向けて飛来した。
――まずい……!
 それら一つ一つが最上級の爆発呪文を秘めている以上、ここでまともに受ければ塵も残さずに消し飛ばされてしまうことだろう。だが、迫りくる三つのイオナズンの光を乗り越えて反撃に転ずる術はレフィルにはなかった。

「……甘いな。」

 集束された最上級呪文が今まさに殺到しようとしたその時、不意に誰かがレフィルの傍らに姿を現していた。
「え??」
 自分を守るように広げられる黒い外套を羽織った背中に、レフィルは思わず目を奪われていた。暴漢の手によって体を突き抜ける程の衝裂を受けた跡が、衣服と防具が外套もろとも破れた隙間から覗かせている。
 バロンの放った滅光が“彼”の目の前で爆ぜる……

「……!??」

 刹那、こちらに突き刺さるはずだった光はそれより前で進路を真逆に転じ、バロンの下へと返った。
 そのまま闇の衣へと触れた瞬間に、三度の轟きが彼を中心に炸裂した。重なり合う爆炎と衝撃が、これまでの激戦にも耐えてきた塔の床を容易く打ち砕いていく。
「ムー!」
 いつしかそこには、赤髪の少女が佇んでいた。  眼前で燃え上がる業火を、硝子の如く透き通った壁のようなものを通して眺めていた。