預けられし定め 第六話



 招かれざる客の手によって巣食う者達が滅ぼされ尽くし、静まり返っていたはずの塔の内部。
 そこに突如として金属の脚絆で床を踏みしめる音がゆったりと響き渡る。
 自ら牙を剥くことなく穏やかに灯りながらも、触れようものならば瞬く間に焼き尽くさんばかりの蒼い炎の如き重圧が、徐々にこの階層全体を満たしていく。

「やはりお前か、バラモスブロス!」

 呪文による炎でムーを急襲したその時から、ホレスはその正体を察していた。
 大魔王ゾーマに仕える第一の騎士――バロン。熟練の剣士であるデビッドを容易く退ける程の実力を有し、兄バラモスと同じく正真正銘の魔王に比肩する実力者だった。
「あなたが音を頼りに我らの気配を察することは先刻承知のことでしたが……気配の消し方が甘かったようですね。」
 いつからその気配を察したのか、ホレスは既に腰に差していた草薙の剣を取って身構えていた。声を荒げながらも、あくまで落ちついた様子で対峙している。
 勇者の盾と持ち前の生命力が与える純粋な頑丈さ、更には呪文封じの性質を宿しているばかりではなく、奇襲による隙を与えない勘の鋭さをも持ち合わせている。或いはそれが彼の異常なまでのしぶとさの本質であり、一番厄介なものであると、バロンは一瞬思い至っていた。
「まだ来るか!!」
「!?」
 共に向き合う側で、不意にホレスはいらだたしげに叫びながら左へと跳んだ。それより一瞬遅れて、奥から床を蹴る音が塔の内に響く。
 レフィルが同じ違和感に気付いた時には、ホレスは既にそれを迎え討たんと飛び出していた。

「甘いんだよッ!!」
「ちっ!」

 だが、ホレスが斬りつけるより先に、奇襲者の拳が罵声と共に牙を剥く。舌打ちしつつも攻勢に乗じるのは不利と本能的に察し、咄嗟に構えた勇者の盾で遮る。それでも勢いを殺し切ることができず、ホレスは盾ごと吹き飛ばされた。
「ホレス!」
 すぐさま追撃をかけようとする敵を牽制するように、レフィルは吹雪の剣を抜剣した動作そのままに振りかざした。その意思に呼応して氷の矢がホレスに仇なす者目掛けて殺到する。
「ハッ、味な真似を!!!」
 無数に飛来する鋭い氷の刃を甘んじて受けることはできぬと踏んでか、男はホレスに振り下ろさんとした拳を引き、後ろに跳躍してかわした。尚も牙を剥かんとする矢は四肢から繰り出される蹴撃や拳撃により正面から粉砕する。
「イオラ!」
「!!」
 だが、それを読んでいたようにレフィルは続けて呪文を唱えていた。掲げたオーガシールドから幾条もの光が矢のように弓なりに放たれて、男の頭上から射かけられる。
「ぐが……っ!て、てめぇ……!!」
 かわす度に床に突き刺さった光が爆発を起こしてその焦熱と爆風によってその身を焼き焦がす。
「舐めやがって!!!」
 爆発に揉まれながらも、背後から突き刺さらんとするイオラの矢の接近を察して、男は前方へと跳躍しつつ、そのまま呪文を放ったレフィルに向けて襲いかかった。
「……逃がさない。」
 それを待っていたと言わんばかりに、レフィルは吹雪の剣を大上段に取って構えていた。いつしかその刀身は氷に覆われた大剣と化して、猛進してくる男を叩き潰さんと勢い良く振り下ろされる。
「ガキが……最初からそれが狙いか!」
 明らかに大振りな姿勢から、力任せの攻撃が来ると分かっていながらも男にそれを打ち破って敵を殺す手立てはない。身の丈に合わぬ程に肥大した氷の大剣が打ち下ろされると共に、塔の床が抉れるようにして断ち切られ、地割れの如き一筋の窪みを刻む。同時に、大剣を形作っていた氷が砕け散り、その破片が意思をもったかのように男へと迫る。
「その目だ……その目が気に入らねェんだったなぁ、小娘ェエエエッ!!」
 舞い散る度に触れるものを凍りつかせていく氷の欠片をかわして下がりながら、男はおぞましい程の怒号を上げた。我を失う程の憤怒からくる殺気だけではなく、戦に魅入られた者の愉悦が混じり合った粗暴なる者がそこにあった。
「凶拳の……バナン。」
 目をそむけたくなる程の剥き出しの狂気を向けられて身を竦ませることもなく、レフィルは目を険しく細めながら静かにその名を口ずさんでいた。

「……やはりまだ死んでいなかったのか。」
「ケッ、あんなクズ野郎どもの牢屋なんかで終わってたまるかってんだ。」

 秩序を乱さんとする邪な心と留め様のない力故に、ラダトームの牢に幽閉されていた武術家――バナン。その奢りが過ぎて、レフィルに返り討ちにされて、あの場で死に絶えるはずの男だった。だが、今際の時に告げた名と共に、その体は闇に溶けるようにして消え去っていた。それが意味する所が何であるか、ホレス達にも概ね分かっていた。
「オラ、とっとと来いやクソガキどもが。この前の礼はたっぷりとさせてもらうからよ。」
「……。」
 大魔王ゾーマの傀儡となる代わりにその加護を得る。忌み嫌う類の者に殺された怨恨と、あの牢に幽閉した無粋な輩によって妨げられた破壊と殺戮。それらの渇望を満たさんがために、闇に身を落としたのだろう。仇敵達が再び目の前に現れたことに対してか、バナンは狂喜に満ちた表情を浮かべながら、挑発するように手招きをしていた。
 先程まで剣を交えている限りでは、力自体は牢で遭ったあの時と然したる違いはなくもも、アレフガルドの兵士達もまるで敵わぬ程の凶悪さは生前と変わらぬものであると知れた。が、闇の使徒の所以たるあの力を使った気配はまだ見られない。
「来ねえって言うなら、こっちから行かせてもらうぜ!!」
「!」
 互いに様子を窺う中ですぐに痺れを切らして、バナンは猛りを上げながら床を蹴り、再びレフィルへと襲いかかった。

「させると思ったか?」

 その瞬間、バナンの背後に突如としてホレスが現れ、草薙の剣で斬りつけていた。星降る腕輪が与える駿足によって瞬時に彼へと追従し、レフィルに気を取られた隙に仕掛けた攻撃だった。
「効かねぇなァ、やる気あんのか、オイ??」
 だが、その刀身が彼の体を切り裂くことはなかった。草薙の剣の刀身を通じて、硬質な何かが刃を阻んでいるのが感じられる。否、それはバナンが無造作に遮るように出した腕そのものだった。
「随分と無駄に鍛えているようだな。」
「ケッ、テメェがヘタクソなだけだろうが!!!あの小娘よりかなまっちょろい剣だな、オイ?」
 バナンが侮蔑と共に告げた事実を思い返しながらも、ホレスもまた逆にバナンの化け物染みた頑丈さを見て呆れ果てていた。刃がまともに入ったにも関わらず、皮一つ切り裂かれることなくホレスの斬撃を受け切っている。それであくまで人間だと言うのであれば、尚更滑稽に思えてきた。
「第一、そんなナマクラでなにしようってんだよなァッ!!」
 いつまでも近場で睨み合うこの状態に飽きたように、バナンは唐突にそう吠えながら草薙の剣の刀身を素手で握り潰さんと空いた手を伸ばした。その直前でホレス間合いを離した瞬間に、バナンもまた同じ速さで迫り、怒涛の如く拳撃を繰り出してくる。
 その裏にある多大な隙を逃さずに再び剣で斬りつけても、やはり鋼鉄の如く練り込まれた体には通じず、反撃を許してしまうだけだった。
「そういうお前こそ、俺如きに手こずっているな?そんな力も宝の持ち腐れだろうが。」
「結局口先三寸だけの木偶の坊かよッ!!すぐにでもバラバラにしてやろうか!!」
 それでも挑発的な姿勢を崩さずにいるホレスに、バナンは憤りを強めていくばかりだった。多くが勇者の盾で受け止められているとはいえ、手傷は確実に積み重なっている。
「逃がすかよォッ!!」
 そのまま追い立てる中で、ホレスは踵を返して吹き抜けの上の通路を駆け抜ける。その後を追いすがるようにして、バナンもまた紋様の床へと足を踏み入れていた。
「バァカ、こんなんで足止めになるとでも……」
 その上の場を歪められていることなど、バナンにも予め知らされていた。その上を如何にして動けばいいかなど、体に覚え込ませるまでもなく直感的にでも解することができる。
 僅かに遅れながらも、すぐにホレスに追いすがり、今度こそとどめを刺さんと全力の一撃を叩き込む……

「……あがぁっ!?」

 そうして紋様の床を抜けようとした刹那、金属同士が擦れ合う音が耳に届く。それと同時に、バナンの側面から凄まじい質量をもった何かが思い切り叩きつけられた。
「て、鉄球だァッ……!?てめ……!」
「ふん、こいつは流石に通じるみたいだな。」
 バナンがほんの一瞬の間、空間の歪みに足を取られている間に、ホレスは変化の杖から破壊の鉄球を呼び起して持ち替えていた。紋様の通路を抜けるべくして右に方向転換しようとした瞬間、猪突猛進に進む中で晒される側面という絶好の隙を突ける。
 斬れない相手であれば、今度は圧倒的な質量をぶつけてみる。それが通用しないとは思わなかったが、予想以上に効果を上げているのを見て、ホレスは微かな安堵を零していた。
「がぁぁああっ!!」
「逃がしやしない。そのまま叩き潰してやろう。」
 破壊の鉄球の直撃を受けて、バナンが大きく体勢を崩した機を逃さず、ホレスは更にバナンを鉄球で打ち据え続けた。身を守る暇さえも与えず、一度振るってはすぐに斬り返し、床に叩き伏せる。そして、そのまま鉄球を大きく振るって天頂からバナンの体に向けて打ち下ろす。
「頑丈な奴め……!」
 だが、その強烈な一撃をも、バナンは生きて受け切っていた。これまで数多の敵を屠り続けたホレスの最強の武器――破壊の鉄球。完全に体勢を崩した上での一撃を受けて尚打ち砕かれぬ様を見てホレスは焦燥を露わに舌打ちしつつ鉄球を引き戻す。

「オイコラ……痛ぇじゃねぇか!!ボケナスがァッ!!!」
「!」

 再び一撃を加えんとしたその瞬間、倒れ伏したバナンが怒号を上げると共に、その体から灯明の光を呑み込む深い黒色の闇が噴き出した。
――くそ!やはり簡単にはいかないか!
 勝負を急いで尚も、恐れていたことが実際に起こってしまった。一度死に逝かんとした果てに、闇の手の者として蘇った際に彼にも与えられているであろうことは最初から分かっていた。
 大魔王ゾーマの力の一端――闇の衣。それを纏うバナンが発する威圧感は、もはや先程までのそれとは大きく逸している。踏みしめる床には罅が入り、暴風の如く立ち上る漆黒の霊光にその欠片が呑み込まれ砕けていく。

「ち……再生か!」

 再び立ち上がるバナンの体に刻まれた傷が彼の呼吸一つ一つの中で徐々に塞がっていくのが見えた。
――……まずいな。
 これがバナンに与えられた闇の衣の力と言うべきか。即座に全てを癒すベホマの呪文程の治癒力はなくも、これまで与えてきた痛手も、無に帰そうとしている。決定的な隙を作った上で初めて攻勢に転ずることができたが、格段に能力を上げた同じ敵を相手に同じことができるはずもない。
――仕方……ないな。
 同じく闇の衣を纏った魔王の影に対しては優位に立てたが、今度は最初から相性の悪い相手である以上、勝機は絶望的と知るに然程時間はかからなかった。

「死に晒せぇ!!ボケがッ!!」
「……!」

 ホレスが一瞬思索に念を置く間に、闇を纏った凶拳の男が瞬時に距離を詰めて渾身の一撃を叩き込んだ。鳩尾へと突き刺さった拳が銀髪の青年の体諸共吹き抜けの中心に突き刺さり、紋様の通路を巻き込んで粉砕する。
「はははははははははははははっ!!!!!ざまぁみやがれぇええええええええっ!!!!!」
 拳を突き出した体勢のまま、バナンは捉えた敵と共に満足そうな高笑いだけを残して階下へと落ちて行った。
 


「……え?」



 その光景が、一瞬何を意味しているのかレフィル達には分からなかった。
「う、嘘でしょ……。」
「ホレスが……負けた?」
 闇の衣を纏っていたとはいえ、数多の敵と渡り合ってきたホレスが、一撃の下に呆気なく倒された。
――わたしはまた……巻き込んで…………
 唐突に訪れた残酷な事実を前に、思考が凍りついて行く。自分のせいで再び彼を危険に晒してしまった。
 そして、今度は取り返しのつかないこととして、ねっとりとレフィルの心を覆っていく。
「……っ!ムー!」
「わかってる!」
 唐突に沸き上がらんとする嘆きを振り払わんと半ば衝動的に突き動かされるままに、レフィルはムーへ呼びかけと共に、通路の砕けた吹き抜けへと駆けた。
――……絶対に、逃がさない。絶対に……助ける。絶対に……
 狂騒の中で、自分が何を思っているのかさえも曖昧になっていく。仲間を手にかけた者への憎悪と、友を救いたいと思う情念が混じり合い、レフィルの心の内がかき乱されていく。

「バシルーラ」
「……えっ!?」

 今も尚下卑じみた哄笑を上げ続けるバナンに上から斬りかからんと、身を投げ出したその時、遠くから呪文を唱える声が聞こえてきた。
「レフィル!」
 飛び降りた落下感が失せるのも束の間、急に何かに弾き飛ばされるような衝撃を受けて、レフィルはムーから遠く離れた場へと吹き飛ばされた。
「誰!?」
 対決を避けたい相手や、招かれざる者に対して用いられる追放の呪文――バシルーラ。それを唱えた声は、すぐ目の前から聞こえてきた。
 そこにはいつしか紫髪の少女の姿があった。ホレスが落ちて行った先に立ち塞がるようにして、その真紅の瞳でいきり立つように構えるムーを静かに見つめている。
「あなたは確か、ムーだったわね。」
 目が合うと、彼女はまずそう尋ねていた。その唐突な質問に答えるわけでも戸惑うわけでもなく、ムーは全く動じぬ様子で杖を突きつけている。
「私はリムルダールの魔術師サファラ。異界のあなた達の耳には入っているかしら?」
 関係ないと言わんばかりのその反応に思わず苦笑を浮かべながら彼女は名乗りを上げた。アレフガルドの者達の中で、有数の魔法使いとして知られていた者。戦士エイメル、騎士ビロド共々、英雄に叙せられる程の名声を得た魔術師サファラ。その当人が、大魔王ゾーマに下り、ムーの目の前に立ち塞がっていた。
「そんなことはどうでもいい。さっさとどいて。」
「必死なのね。でも、私も大魔王ゾーマの命を違えるわけにはいかないの。」
「だったら、その闇の衣ごと吹き飛ばすまで。」
 相手が如何に名のある者であったとしても、ムーに当然退く気はない。だが、相手も本気で行く手を阻むつもりである以上、衝突は避けられない。先程ホレスに襲いかかったあの男と同じ漆黒の霊光――闇の衣。辺りの闇と一体となったかのように重圧を増していく。
「背徳の化身にして神の眷属たる者、其の御霊は我が身を汝が器の代と成さん。」
 理力の杖の石突を床に思い切り突き立てると共に、ムーはその脅威を見据えながら力ある言葉を紡ぎ始めた。

「ドラゴラム!」

 最後に欲する力を宿した呪文を唱えると共に、ムーの体にその力が流れ込む。
 次の瞬間、彼女が身に着けていた外套と帽子が暴風に煽られるように吹き飛ばされると共に、その中心から爆ぜるようにして、彼女だった“者”がその姿を現し、咆哮を上げた。
――竜……ね。
 高みから見下ろす翆玉の双眸は先程と何ら変わりない、しかし確かな敵意を見せている。だが、僅か前まで小柄な少女だったはずの体は、天井に届かんばかりに巨大な金色の竜と化していた。
 最強の種である竜の力を得られる代わりに理性を失う、竜化の呪文・ドラゴラム。その制約を受けぬ特殊な資質をもつムーならではの切り札の一つだった。

 咆哮の余韻が消えぬ内に、ドラゴンは大きく息を吸い込み、サファラ目掛けてその吐息を一気に噴き出した。体内で練り込まれた冷気を加えて、凍える吹雪となって一瞬で彼女を呑み込んでいく。
「フバーハ」
 だが、その直前にサファラはすかさずフバーハの呪文を唱えていた。薄い膜状に広がる暖かな光が彼女の正面に現れ、その冷気を減殺していく。彼女を一撃の下に凍りつかせるはずだった吹雪は大幅に威力を削がれていた。
 それでも決して軽くはない傷を負った彼女の姿を見て、ムーは続けて吹雪を吐き出していた。フバーハの加護を受けているとはいえ、竜の息吹を二度受けた痛手に耐えられずに膝をつく。
「ベホマ」
 そんな己の様子も省みないかの如く、彼女は即座に治癒の呪文を唱えていた。抑揚なく告げる呪文が終わった時、サファラの顔に浮かんでいた死相が消えて、活力が戻る。
『…………。』
 闇の衣を纏っていようが、自分の持てる最高の力に何度も耐えられる相手はそうはいない。倒せずとも、すぐに隙を見い出すことができるはずだったが、リムルダールの魔術師は今も尚立ちはだかっている。
 その小さな体が巨竜と化した今も尚大きな壁と化しているようにさえ錯覚させられた。 
「そんな力任せで、私に勝てると思っているの?それが分からぬ程、貴女は“愚か”ではないはずよ。」
『!』
 動きを封じるように吹雪を吐き出し続ける中で、サファラは不意に不敵に笑みを浮かべるのが見えた。片隅であのような懸念が浮かんでいたことへの悪い予感は憶えていたが、その時には既に思わぬ反撃がムーを襲っていた。
「バギクロス」
 サファラの両手より巻き起こされた巨大な竜巻が、吐き出された凍える吹雪の側面からその力を掠め取り、丸ごとムーへと吹き付ける。
 猛吹雪と二つの大竜巻が巻き起こす真空の刃が堅牢な竜の鱗の一枚一枚を容赦なく切り裂き続けていた。




「う……!」

 塔の壁に叩きつけられて、揺さぶられた意識が徐々に戻り始める。左手に持っていたはずの吹雪の剣はあの吹き抜けの所で取り落としてしまったのか、その床に深く突き刺さっている。
「ム、ムー……!!」
 その側で、巨竜と化して戦っているムーが氷の嵐に巻き込まれて必死に耐えている姿が目に映った。相対している魔道士の少女が、放った呪文を巧みに操って圧倒的な惣菜であるはずのドラゴンの動きを封じている。
 純粋な膂力や魔力をもつ者との戦いに手馴れている相手とあれば、今のままではムーに勝ち目はない。

「手筈通りです。」
「!」

 助けに入ろうと前に進もうとしたその時、紫の外套を纏った騎士――バロンがレフィルの眼前に立ちはだかる。行く手を阻みながら、サファラがムーを追い詰めている様を満足そうに眺めていた。
「……く、邪魔をしないで!!」
 注意はこちらに向けずとも、ムーの下に向かわんとするのを妨げていることに変わりはない。その障害となっているバロンへと突進しつつ、レフィルはもう一つの剣を引き抜いた。来ること自体は予測していたのか、バロンもまたすかさず手にした炎の剣で迎え撃つ。

「むっ……!」

 刀身同士が交錯する瞬間、塔の中全体に響き渡る程の剣戟が奏でられた。それに違わぬ重みが、この一撃の応酬に込められていたことを物語るように、バロンの手にある炎の剣が震え続けている。
「ほう、これが……」
 竜の鎧を纏った少女の携えるもう一方の刃を己の剣越しに見て、バロンは納得したように目を細めた。
「王者の剣、ですか。とうとう再製されてしまったようですね……」
 闇の世界に閉ざされたばかりの頃に勇者と呼ばれし者が携えていた、伝説の名に違わぬ力を秘めた究極の剣。その在りし日の姿とは異なりながらも、ゾーマによって砕かれてから長い年月を経て蘇ったと確信させる。
 魔の者達にとって忌むべき品、王者の剣がレフィルの手にあることはもはや疑いようもなかった。
「ですが、それはあなたにとっての道標となりえましょうか?」
「…………。」
 アレフガルドの民から奉られている程の力を秘めた伝説の剣を前にしても、バロンは微塵も抑揚を乱さずに言葉を続けていた。かつての勇者はそれを手にしたにも関わらず、呆気ない最期を遂げることとなった。十分な意志と力があって尚、決して大魔王には届かない。
 まして、自分などがその道を最後まで歩むことができるか――彼の言葉を前に心の奥底でそう小さく垣間見ながら、レフィルは視線を逸らさぬまま沈黙していた。

 競り合いの拮抗を最初に崩したのはレフィルの方だった。痺れを切らしたように、強引に押しのけんとして剣に力を込める。それに逆らうことなく押されるままに背後に下がるのを見計らい、レフィルはすかさずムーの下に向かわんとする。

「やれやれ、話はまだ終わっていませんよ?」
「!」

 その瞬間、レフィルの背中を斬り裂くが如く、何か熱く鋭いものが過ぎった。
「炎の剣……!」
 振り返ると、バロンの携える真紅の剣がこちらに向けられているのが見えた。その切っ先に僅かに残る炎の残滓が、今しがた放たれた一撃の正体を物語る。刀身に纏わる炎を刃と化して飛ばす――そんなことも容易いことなのだろう。
 炎を受けた外套が、斬り裂かれたように焼き払われた跡を大きく残している。ドラゴンメイルがなければ、或いはレフィル自身も深手を負っていただろう。
「あなたのことは”彼女”から、既に色々と伺っておりましたよ。何でも、心弱きままで過ぎた重荷を背負ってきたとか。」
 開けた距離から様子を窺っていると、バロンがそう尋ねてきた。
「…………あの子のこと?」
 重苦に耐えられぬあまり、無意識の内に抱いていた全てを打ち壊したいという願望。それを己自身――あたかももう一人の自分として体現したかのような声の主にして、今は大魔王ゾーマと共にある存在。それがバロンの口から語られたことに驚きながらも、構えを解かぬまま静かに返していた。
「そう、あなたもよくご存じのはずです。今やゾーマ様に最も近しき存在と言えるでしょう。“彼女”も、あなた自身も。」
「!」
 単なる妄念と振り切ることもできぬまま、レフィルは彼女の存在を心の奥底に刻んでいた。同じように、彼女が二度と目の前に現れなくなった所で、レフィル自身も何も変わっていない。
 死の火山の闇の手の者の群れ、メルキドの聖騎士団、それらの脅威達に対して、レフィルが感じているもの。未だに自分を脅かす者達への恐怖や怒りは消えておらず、駆り立てるものに委ねて戦っている内に完全に激情に捉われてしまう。
 ムーとホレスを傷つけられて逆上した時も、バロンが立ち塞がっている今でさえも、負の感情が爆発寸前のところで押しとどめられていた。
「私もまた、あなた方には及ばずとも、ゾーマ様のお側に仕えし者。そう知りながら、何故全力で戦わないのです?」
「く……。」
 心の闇を糧として自らを高める大魔王ゾーマの力の一端――闇の衣。それを操る素養は、レフィルにもまたあった。だが、仮にもバラモスの眷属たる存在に対して、人間でしかないレフィルが何の加護もなしに一人で戦うことなど無謀なことに過ぎない。
 それが例え、バロンを超えるものであったとしても、発動しなければただそれだけである。
「不本意ながら、剣の勝負は確かにあなたの方に分があるでしょう。何しろあのバナンを歯牙にもかけぬ程のものがあるのですから。ですが、根本的な力の差は埋めようはない。」
 この拮抗も、バロンが純然たる人の姿を取っているからこそのものでしかなく、それに追従できるだけの技量と武器がレフィルにあるだけの幸運でしかなかった。
「さて、どこまでついてこれるでしょうね?」
 言い放つと共に、バロンは再び炎の剣を振るってその切っ先から灼熱の刃をレフィルに向けて浴びせかけた。
「イオラ!!」
 吹雪の剣が手元にない以上、他に打つ手はない。レフィルはすかさずイオラにより呼び起された光の矢でバロンの炎を迎え撃った。光が牙を剥く炎を射抜く度に爆発して霧散させる。互いに捉えきれなかった炎と光の矢が交錯し、それぞれの標的へと殺到する。
 相殺できなかった炎をまともに受けながらも、レフィルは足を止めることなく王者の剣を手にバロンへと肉薄する。
「今のあなたには、その王者の剣など何の役にも立たない。あなた自身が本分を尽くしたところで、応えてはくれませんよ。」
 炎の間を一気に駆け抜けて迫るレフィルへと嘆息しながらそう告げつつ、バロンはその一撃を後退してかわした。そして、それに追いすがりつつ素早く斬り返される王者の剣に、炎の剣を交える。
 その次の瞬間、レフィルの目の前から炎の剣が消えると共に、二条の真紅の軌跡がレフィルに襲いかかる。仮初の人の姿の状態でさえも化け物と言わしめる程の実力の裏にあるもの。バロンが得意とする瞬速の連撃だった。
「!!」
 だが、それらの内一撃目は王者の剣の腹で受け流され、二撃目が届く前にオーガシールドによる痛烈な打撃が加えられた。
――動きが止まった!!
 そして、バランスを崩した所で何かに引っ掛かったように足をもつれさせた所を見て、一刀両断にせんとばかりに、レフィルは王者の剣を荒々しく振りかぶった。
 そのまま渾身の力でバロンの肩から斜めに一気に斬り裂く。手応えは確かなものだった。

「見事です。しかし、これまでです。」
「!」

 しかし、その後に聞こえたのは断末魔の叫びなどではなかった。確かにそこには鎧ごと斬り裂かれて深手を負っている騎士の姿があったが、傷の痛みに呻くことなく左手をこちらに差し向けている。
――イオナズン……!? 
 その指先に集う光の正体を見て、レフィルの表情に驚愕が張りつく。最上級の爆発呪文・イオナズン。今の自分にその力に対処する術などない。
「ああああああああああっ!!」
 バロンの放ったイオナズンに対してもはや成す術もなく、レフィルは爆炎の中心に呑み込まれた。
「ぐぅ…っ!」
 焦熱に焼かれ、爆風によって吹き飛ばされて、勢い良く壁に打ち当たり、そのまま床に倒れ込む。

「力を信奉する、否、素直に力に溺れたと言いましょうか。そのような輩に良い様にされる気分は如何ですか?」

 バロンに負わせた傷も決して浅いものではなかったが、あの隙を突いたところで手痛い反撃を受けてしまうだけのことだった。あの激しい剣戟の中でも、こちらの渾身の一撃を受ける中でも、ずっと機を窺っていられる程の強かさ。
 よろめきながら起き上がるレフィルに浴びせられる言葉同様に、最初から力の差は歴然だった。
「あなたもずっと、そのような理不尽を跳ね除ける力を求めて来たのでしょう。」
 ゾーマの騎士たるバロン、バナンの両名を圧倒する程の剣技。それもまた、魔王バラモスという絶対的な存在に挑まなければならないという状況を生きるためにレフィルが必死に身につけてきたものだったが、レフィルを待ち受ける望まぬ運命は変わることはなかった。
「望むならば、今一度願うのです。さすれば血路は開かれることでしょう。」
 今もまた、バラモスとの戦いと同じように確実に追い詰められている。だが、かつての死の結末を覆したものは今も尚レフィルの手の内にある。


「惑わされるな。」


 それを解き放つように語るバロンの言葉を遮るかの如く、レフィルの背後からそう囁きかける声が聞こえた。
「あ……」
 もはや道に窮した今、唯一の手段と言ってもいい程の安易にして甘美な誘い。それを真っ向から否定する意志と共にレフィルを現実に引き戻した短い警告の声……
「ホレス……う、ううん……生きて……」
 いつしかレフィルを守るように、死地を幾度も乗り越えた頼もしき仲間が前に進み出ていた。バナンの凶拳をまともに受けた跡か、防具は砕け、衣服も土埃に塗れながらも、彼は確かに彼女の側で生きていた。
「全く、あなたの邪魔さえなければこのような傷を負うこともなかったと言うのに……」
 再び目の前に姿を現したホレスに目を向けながら、バロンは王者の剣によって負った傷に触れつつ忌々しげにそう告げていた。あと一足深く斬り込んでいれば間違いなく一刀の下に仕留めている程の綺麗な太刀筋がバロンの鎧と身体に刻まれている。
「本来ならば、そのままそこで真っ二つにされてても良かったんだがな。流石に気がつかれるか。」
 ホレスに明確な敵意を向けてきながら、バロンはその場から動かな――否、動けなかった。その足元より伸びる影を縫いとめるように、黒塗りの短剣が塔の床に突き刺さっている。
――やっぱり、あなたが助けてくれたんだ……
 それを見て、レフィルは一つの瞬間のことを思い出していた。バロンの技に打ち勝った後に一瞬ぎこちなく動きを止めたのを目にしていた。あの好機はホ影縫いの短剣を投げ打ったホレスがもたらしてくれたものと知って、レフィルは落胆よりもむしろ安堵の意を抱いていた。
 そして、実際に後少しで最も望む結果に届いたと評する彼の言を、心から信じることができた。

「随分と大言を吐くものですね。第一、先程バナンに倒されたはずではなかったのですか?」

 生きて再び会えたことへの余韻に浸るような二人の雰囲気に微かに不快感を露わにしながら、バロンはホレスへとそう尋ねていた。
 ホレスの身なりから考えても、確かにあの時の一撃は完全に極まっていた。それを耐えることができた所で、あのまますぐに戦い続けるどころかここまで辿りつくのも不可能に近い。だが、あの拳撃を受けた衣服の部位は大きく穿たれていたにも関わらず、その奥にあるホレスの肉体自体には殆ど傷は残っていなかった。
「ふん、命の指輪ですか。」
 その二つ目の謎に関しては、彼の右手の指にはめ込まれたものを見てすぐに納得した。一体何処で手に入れたのか、そこには桃色の小さな宝石を擁する白色の指輪があった。
 それこそが所持者の生命力を活性化させることで傷を癒し続けていく秘宝――命の指輪だった。
「ああ、ああいう手合いとの戦いには向かない代物だな。」
 呪文や薬の力に依らずに治癒できる代わりに、これらのような即効性は得られない。故に一撃必殺を信条とする者達との戦いでは真価を発揮できなかった。だが、バナンから離れてからの時間にはある程度の余裕が得られる。その間に、あの痛恨の拳撃で受けた傷を十分に治すことができた。
「だから俺も人形遊びをする趣味はなかったが、今はそうも言っていられない。」
「人形遊び?」
 そして、それを決して許さぬであろうバナンへの対処も、さらりと告げてみせた。彼らしからぬあまりに陳腐な言い回しに、バロンは一瞬怪訝に目を細めた。

「がぁああああああああああああっ!!!」

 直後、階下で何かが爆発する音と眩い光が迸ると共に、バナンの憤怒に満ちた断末魔の叫びがここまで木霊した。響き渡る破砕音とは裏腹に塔は然程揺れた様子もない。
「置き土産をくれてやった。それだけだ。」
「なるほど……やはり彼程度ではあなたは倒せないようだ。」
 置き土産――それは彼の言う“人形”に他ならないとバロンはようやく察することができた。バナンと共に落下していく中か、或いはその後での死闘の中でか、ホレスは彼の注意を引きつけるための囮を作りだしたらしい。
 十分に時間を稼ぎ、その果てには相手を道連れにするという流れが成ったと言うべきか。
「面白い……!」
 あの状況からここまでに至れる程の純然たる実力と機転に感じ入り、バロンは不貞腐れたような表情を一転させて、愉悦に満ちた下卑染みた笑みを浮かべていた。