預けられし定め 第二話



 森の内にひっそりと佇む温泉と工芸の村。そう知られるマイラの中でも、一際有名な宿が町はずれにある。
 客足が薄れつつある今でも、変わらぬもてなしの心を以って旅人を迎え入れることを信条とする様は、この世界の中で失われつつある暖かな何かを垣間見せている。

「デビッド、お帰り!」
「よお、メラニィ。」

 敷かれた小石を水面と見立てた異国の趣漂う庭園。それを通り抜けて、旅籠の内に傭兵が足を踏み入れると共に、愛する者が出迎える。
「ここで働こうなんて、随分と無茶してるな。」
「誰のせいだと思ってるのよ。あんたがここで用心棒を請け負ってなければねぇ。」
 デビッドと呼ばれた傭兵が笑うとも労うとも取れる様子で軽口を叩くと、それに呆れた様子でメラニィが言葉を返す。
 リムルダールで暮らしていたはずの彼らがここマイラにいるのは、デビッドが受けた傭兵の仕事故のことだった。
「お前はおれの女だ。どこに連れてこうとおれの勝手だぜ。第一、久々にこんな所にくるってのも良いものだろ。」
「だからって、強引過ぎるわよ。あたしの選択は無視ってワケねぇ。」
 闇の手の者の勢力の増長により、これまで長い間危険とされて触れることさえできなかった鉱山。その探索にはどれ程時間を要するかも分からない。ならば、と懐かしい地へ今一度戻ろうという意味合いを兼ねて、彼は恋人を伴ってここまで来た。
 そのようなある種の暴挙へとメラニィは口を尖らせたものだが、まんざらでもないのか、その表情に不満はなかった。
「まぁ、こんな時勢でも猫の手も借りたい程だったからな。カミさん共々礼を言うぜ、メラニィさん。」
「こちらこそ、こんな私でもお役に立てているならば嬉しい限りですわ、カフウさん。」
 そして、彼女もまたここで望まれる仕事があった。旅籠に来る客の十分なもてなしに足る人手が必要だった。他になすべきこともなく不安な気持ちで引き受けながらも、思いの外上手く馴染むことができた。
 役者不足であることは否めずとも、それでも満足してくれる宿の主――カフウの言葉がメラニィには心から嬉しいものだった。

「あ、お客様が見えたわ。いらっしゃいませ!」

 ふと、別の誰かが門をくぐってくるのを察して、彼女は再び出迎えに上がっていた。
「あら、ホレスさん!久し振り!」
 すると、来客がかつて見知った者であることに気づいて、思わず声を弾ませていた。恋人デビッドと道中を共にして、降りかかる危機を共に潜り抜けたという彼のことを、メラニィは記憶の奥底で鮮明に憶えていた。ただ一人で旅立てる程の力量でデビッドを守ってくれた恩人として。
「ホレス!やっぱり生きてやがったか!」
「ああ、あんた達もここに来てたのか。」
 その後ただ一人でリムルダールの南西にあるメルキドを目指して旅立つという無謀な試みをした彼を、デビッドもまた時折思い浮かべていた。そしてこうして再び会いまみえられたことを嬉しく思い、組みつかんばかりの勢いで迫っていた。
 ホレスもまた、この場に彼がいることを不思議に思いながらも、再会の喜びを表していた。遠くから聞こえていたが、彼らもまた、各々の事情で来ているのだろう。用心棒とは、旅の道連れのために蟷螂の斧までする程のお人好しなデビッドらしいことだと密かに思った。
「そういや……オルテガのおっさんには会えたのか?」
 ふと、ホレスの左手にはめ込まれている指輪を見て、デビッドは思い当たったようにそう尋ねていた。
「ああ。あんた達への恩は今でも忘れちゃいないようだったよ。」
「おいおい、何年も前だってのに、相変わらずのお人よしだなぁオイ。」
 それは、オルテガが彼らに託した貴重な品――命の指輪だった。身につけているだけで傷を癒し続けてくれると言う守りの力を有した、冒険者垂涎の指輪である。この二つとない物を見せれば、長きに渡って身に付けた者にならばそれと縁ある者の名を思い返さぬはずはない。
 闇の世界の踏破にまで迫ろうとするばかりか、この中での探し人にも辿りついてみせたホレスには感心せざるを得ない。同時に、彼から聞かされたオルテガの変わらぬ様子を聞いて、苦笑と安堵を禁じ得ないデビッドであった。

「というかお前、いつからこんな可愛い子二人も連れてんのかよ。」

 語り続ける中で、デビッドはいつからか彼の側にいた二人の少女の姿を認めた。
「……。」
 一人は竜の意匠が施された緑の外套を羽織った赤髪の小柄な少女だった。何も感情を乗せていないような無表情でありながら、辺りを見回しては駆けずり回っているその姿は、何よりも無邪気に見えて、可愛げを感じさせる。
「ん?な、なんだ……?」
 そう思っていると、不意に彼女がこちらへと近づいてきて、その双眸でじっとこちらを見つめ始めた。吸い寄せられるような真っすぐな視線を前に奇妙な迫力を感じて、デビッドは思わず後じさっていた。そのまま互いに沈黙が続き……

「変態?」
「…!?」

 そして最後に唐突に告げられた一言を前に、訳も分からずに凍りついていた。
――…………はぁあああああっ!?
 向けられる双眸には侮蔑も憐憫の欠片もなく、首を傾げながら呟くその言葉にも純粋な疑問しか乗せられていない。心を酷く抉るようで悪意の欠片もないムーを前に、二の句も継げなかった。
「ちょ、ちょっとムー!初対面の人に……」
 唖然としているデビッドを見て焦ったのか、もう一人の少女――レフィルがムーを諌めていた。
「い、いや、気にしな………………。」
「え?」
 気遣いの言葉に我に返るも、レフィルに返礼しようとして向き直った瞬間、デビッドは再び動きを止めて、その姿を凝視していた。
――何だよその剣は……
 首を傾げながら怪訝な表情を浮かべるその顔は、確かに可憐にも思える少女のものだった。だが、紫の外套の下に纏われている竜麟の鎧は並みの力で身につけられるものではなく、背負った盾も摸されている鬼神の如き力があって初めて使いこなすことのできる代物と知れた。
 そして、腰に帯びた長剣からは、鞘に収められた今でも禍々しい程の冷気が宿っているのが感じられる。柄の部分だけでも、他に帯びた武具よりも更に使いこんでいるのが見て取れた。
「なあ、ホレス……前言撤回だ。お前、こんな怖い子二人もよく連れ回してるな……」
 人形のような面構えからいきなり強烈な物言いをするムーにも、押しの弱い性格に見えて一流の戦士の操る武具を使いこなすレフィルにも、畏怖すべきものが感じられる。
「…?」
「??」
 そうして恐れられていることに対して嫌悪感の一つも感じられない訳も知れず、レフィルとムーはただただ互いに顔を見合わせるだけだった。
「伊達にこの世界を旅しちゃいないさ。だが、こいつらを怖いと言っているようではまだまだだな。上には上がいる。正真正銘の化け物は他にいるんだよ……。」
「な、何言ってんだよ、お前……。」
 若くして冒険者として成熟したが故に年若い娘らしからぬ力を身につけているということは、確かに畏怖すべきものであると共に不思議に思う所でもあるだろう。しかし、ホレスはそれを認めながらも、全く気に留めた様子もなく別の何かを省みるように言葉を零していた。
 彼の言葉の意図も知れず、ただその恐れているよりもうんざりとした様子で呟く様に、デビッドは例え辛い何かに押されるような気がして思わず後じさっていた。

「ほらほら、立ち話なんかしてないで。ホレスさん、チェックインお願いね。」

 会話の内容からは知れずとも、再会した折りに気兼ねなく話せる様子を見て、何か安心できる気がする。命の指輪を託したことも、自分達の知る“宝物”について語ったことについても、誤りではないと。
 その安堵のまま微笑みながら、メラニィはホレスにそう促していた。
「そうだな。部屋は十分空いているだろうから、俺一人と後の二人で分けて、二部屋を取ろう。」
 一度とはいえこの宿に世話になったことのあるホレスにはその一言だけでおおよそ事足りた。手馴れた様子で宿帳に必要事項を書き込んで、何処からか通貨を取り出してカウンターへと置く。
「お前さんも随分と元気そうで何よりだぜ、ホレスさん。」
「あんたもな、カフウ。」
 手続きを済ませるなりメラニィがレフィルとムーを案内しに連れて行ったのを見送った後に、カフウが語りかけてくる。アレフガルドに迷い込んでから最初に知りあい、一度会っただけと言える程に浅からぬ縁を得ることとなった。刀鍛冶としてホレスが携えた武具の価値や力を的確に測り修繕や調整も行える。それら全てを存分に扱って戦うスタイルを取る彼にとってはこの上ない助けと言っても過言ではなく、やがて再び立ち寄ることになるのは明らかだった。
 そうして再会した今、互いに変わらず健勝な姿を見せることに、偽りない気持ちを告げ合っていた。
「アレフガルドは何処も変わらなかったよ。こんな田舎にまで、ゾーマの手が回っているようではな。」
「へぇ、流石に言うことが違うねぇ。」
 マイラの村に不死の魔物が数多く蔓延るようになってから、徐々に暮らしがまた瓦解しつつある気配はあった。だが、それはホレスが見てきた他の地も然程変わりはないという。つまり、アレフガルドのほぼ全ての地を知りつくせる程の旅路を超えたと豪語している彼が告げたとあれば、その意味もおのずと知れる。
 未知の世界に足を踏み入れて怖気づいた様子一つ見せぬ客人にして友人の変わらぬ姿を見て、カフウは更に感心を深めていた。

「さて……ようやく出てこれたかい、カンダタの旦那。」

 ホレスと入れ替わりで宿の手続きを済ませるガライに続かずに、こちらに向かってくるもう一人の来客へとカフウが労いの言葉をかける。
「よぉ、カフウの先生!今帰ったぜ!!」
「ああ、待ってたぜ。」
 この世界で失われつつある仁義溢れる人情に惚れこんで“旦那”と呼び慕い、また逆に鍛冶の腕前とその伝承の巧さより“先生”と仰がれてきた。そう称え合う程に深い絆を培ってきた盟友――カンダタの帰還に、カフウは声に乗せている以上の感慨深さを覚えていた。



――既にこの者達の手中には一つ、神器があるではないか。

――護甲・勇者の盾……。

――そして、これが例の神授の鉱石・”オリハルコン”であろう。

――こいつが……



「オリハルコン……か。」

 再出発と意気込む中で告げられた事実と推測が回想の中で過ぎる側で、レフィルの耳にあの鍛冶屋の男の声が入ってくる。部屋に落ちつくのも束の間、いつしか彼女は旅籠の裏庭に置かれた木のテーブルを囲んで皆が座している最中にあった。
「ふむ、わしの見立てではな。」
「なるほどな。その盾といい、流石に地上で勇者の称号を得ちまっただけのことはあるってことか……」
 一つの鋭く穿たれた跡を残す深い青色の鉱石を手に取り眺めるカフウと、その正体を伝説になぞらえるガライ。そしてそのような話を聞きながら、ホレスの手元にある伝説の盾を一瞥して、カンダタが感ずるままに一人ごちる。

――……偶然、だよね?

 共に神の武具と謳われし伝説の品、勇者の盾と王者の剣。前者はそのものと疑うに難い代物がホレスの手にあり、失われたとされる王者の剣の材質と思しき鉱石もここにある。これらが揃ったのも、カンダタの言葉通りの奇跡と見なすことさえできる。
 だが、勇者と呼ばれているのはあくまでも何も知らぬ他者からであり、その宿命まで背負った憶えは今でも毛頭ない。それでも決して見つからない程のものがこれ程容易く揃わせることに何か大きな意思が絡んでいる可能性を否定できず、複雑な面持ちを隠せずにいた。
「確かに、ホレスさんから預かったこいつと同じものみてぇだけどな……」
 鉱石を注意深く覗き込み続けた果てに、確信し切れぬ様子ながらもカフウは一つの答えを提示しつつ、卓上に置かれた品を指差した。全てが終わったバラモス城の中でホレスが見い出した、バラモスが操る至高の剣の媒体。それは紛れもなく、失われた王者の剣の欠片に相違なかった。
「ああ。それで、他に何か分かったか?」
「そうさね、こいつを刀剣の形に仕上げる方法は考えてたぜ。そんでもう大体目処は立ってるんだよ。」
 元々それを明確に断定する術もカフウにはあるはずである。それとは別に調べるべきことはホレスにも大方見当がついていた。既に王者の剣の欠片はカフウの手にあり、分析を重ねるつもりでいることも分かった。その果てにあるのは、当然王者の剣と同じ材質の武器の作製だった。
「本当か?仮にも王者の剣の材質として使われた代物だ。耐熱性も剛性もただの鉄とは比べものにならないはずだが。」
「ああ。おれの竈でなら、こいつらを融かしてやることができた。それだけでも随分時間はかかるけどな。だがそれが終われば後はただひたすらに叩き直して不純物を取っ払ってやればいい。」
「出来るのか?」
「ああ。自慢になるがこいつはあの火山にも負けねえぐらいの高熱にできるんだ。」
「なるほど。道理であんたの武器屋にはこれまでにない材質の武器が鎮座してたわけだな。」
 既に高熱の竈を初めとして、鉱石を加工する術はある程度確立できているらしい。その裏付けとなるものを目にしてきたホレスだからこそ、カフウの言葉を信じることができた。それは彼と仕事を共にしてきたカンダタもまた同様だった。
 鋼鉄以上に扱いにくい材質でさえも武具の形に仕上げてみせることこそが、カフウの持つ類稀な強みであった。
「じゃあ、これで本物の王者の剣を直せるの……?」
「ああ、丁度旦那も戻ってきたんだ。それくらい朝飯前だろうぜ。」
 バラモスが所有していたそれは、折れているものの間違いなく王者の剣そのものだった品である。その元となった鉱石がある今、それを在りし日の姿に戻すことも夢物語ではなくなる。この場の皆が少なからずそう思っている中で、カフウもまたそれを確信していた。

「おうよ、先生!今度は誰にも文句を言わせねえ剣を作ってやろうぜ!!」

 失われたはずの王者の剣の修復という形であれ、一から再び作り直されたそれは紛れもなく自分達が作り上げた品である。与えられた僅かな品を用いての一世一代の大仕事へ携われるという響きに酔い痴れるように、カンダタは盟友にして師である男の言葉に応えて、拳を力強く突き出していた。