預けられし定め 第一話

 弱りつつある木々の間に茂る葉のざわめきと共に、水の雫が落ちるような滑らかな音色が辺りに響き渡っている。暗闇の中を進む松明の灯を照らし返して、何かが炎を帯びた銀色に輝いていた。

「何かが近づいてくるな。」

 美しく奏でられるそれらの音を踏みにじるが如く、別の何者かが降り立つ音を耳にして、ホレスが皆にそう呼びかけていた。
「ほう、これは闇の手の者でしょうな。なるほど、これは逆効果だったか。」
 女神が模られた銀色の竪琴を弾く手を止めつつ、ガライはすぐにその大元を推察していた。
 元々銀の竪琴による魔除けの技とは、魔物の本能に訴えかけて退かせるだけのものでしかない。それに打ち勝つ程の渇望を持つ魔物や、世を貪らんとする闇の手の者には十分な効果はなく、逆に音に引き寄せられることにもなりうる。
 旅をする上での身を隠す術を満足に持たぬレフィルやムーを守るために用いてきた。だが、既に練達した吟遊詩人であるガライ自身の必要としない品であったがために、その欠点を忘れていた。
「闇の手の者って、メルキドの時と同じ……?」
「こんな所にまで?」
「ああ。この辺りは既に、な。」
 アレフガルドの北東に位置するマイラの村を目指して、レフィル達がカンダタと共にラダトームを発って半月。大きく広がる平原や山峡にある森を抜け、砂地を超えた果てにある海路を渡す橋を超えて、既に村を取り巻く樹林の中へと足を踏み入れていた。
 かつてホレスが辿りついた時には既に多くの魔物がこの辺りを闊歩していた。屍となって尚人や生ける魔物を捕食せんと迫る人や魔獣――更には竜までも、大魔王ゾーマの意思によって動いているのだろう。それを監視するかの如く、一際大きな負の力を帯びた闇の手の者の姿も、時折見受けることができた。
 いずれにせよ、相手に退くように働きかけられぬのであれば、一戦交えるより他に道はない。気がつけば、数え切れぬ程の敵に取り囲まれていた。



 様子を窺っているのか、静まり返らんとする空気。だが、その瞬間にホレスの持つ変化の杖が唸りを上げると共に烈風の如き何かが生ける屍――グールを押し潰していた。それに相手がたじろぐ間も与えずに切り返されると同時に、ムーの呪文が唱えられる。数に任せて大挙して襲いかからんとする魔物の群れ目掛けてメラミの火球が直撃すると共に、周囲も巻き込んで一瞬にして灰燼に帰す。
 そうして二人が戦っている背面から皆を襲わんと斬り込んでくる魔物の前へ、レフィルが立ち塞がり、掲げたオーガシールドを伝ってイオラの呪文を発動する、周囲の空間を集束して形成された光の矢が次々と敵を貫いては爆ぜる。それを掻い潜った魔物が爪牙を振り下ろす刹那、左手の吹雪の剣が鋭く軌跡を描いて両断する。

 機先を制したことも手伝って、数の圧力に負けぬ程の優勢を保ったまま、戦いが続いていた。それでも、屍さえも利用するゾーマの手先を相手にしては、長引けばいずれこちらが不利になることは先刻承知のことだった。
「あれか!」
 追い詰められるよりも先に、ホレスは遠くに佇みつつ指示を送っている闇の手の者の存在に気がついた。すかさず振るわれた変化の杖の先から放たれる光弾が、真っすぐにその敵へと命中すると、ホレス共々姿がかき消える。
『!?』
 気がつけば、先程までホレスが立っていたはずの位置に、敵の首魁の姿が現れていた。一際深い闇を纏った人を捨てし男が、驚愕に満ちた表情で辺りを見回している。標的としている少女達が立ち塞がる魔物を蹴散らしている光景が目に映った。
「そいつが親玉だ!!」
『……なっ、何!?』
 直後、先程まで自分がいた位置から、あの白髪の青年が仲間へと指示を飛ばしていた。
『しまっ……!!』
 位置交換――唐突にこの場に引きずり出された術の正体を知ったのも既に遅く、レフィルが放った氷の矢に貫かれて動きを止められて、ムーの唱えたメラゾーマの火球に包まれてその身に纏った闇ごと炎に包まれる。
『おのれ……!!私はまだ……!!』
「……。」
 それでも闇の加護を受けた者が容易く消え去ることはなく、業火を振り払いつつ遅い来る。
「アストロン」
 仲間へと降りかからんとした魔手を阻むべくして前に出て、呪文を唱えながらレフィルが吹雪の剣を振り上げる。全ての攻撃を遮る魔鋼と化した刀身が、敵の急襲を真正面から受け止める。だが、敵は勢いを殺さずに再度レフィルを狙って拳を振り上げつつ襲いかかっていた。レフィルもまたすぐに反応してアストロンの力に覆われた重い刃を素早く斬り返す。

「おっと!そこまでだ!!」
『!!!』

 その衝突の刹那、不意に背後から闇に溶け込むような黒の外套を纏った巨漢――カンダタが大声を張り上げながら飛びかかる。完全に眼前の娘の剣の技量に目を奪われていた敵にそれをかわす術はなく、手にした巨大な戦斧で縦一文字に切り裂かれた。
『……まだ、勇者の他にこれ程の力を持つ者が残っていたとはな……。』
 左右の二つに分かたれんとする中で、闇の手の者は感情なく何かを語っていた。その言葉が途切れた瞬間、大斧によって裂かれた断面から噴き上がる闇に燃やし尽くされるようにして消え果てていった。そして、ホレスの読み通りに魔物や生ける屍達の間で保たれていた統一が乱れていく。
「今ならば、行けますかな。」
 その好機に対して突破口を開かんとする一行を横目に、ガライは再び銀の竪琴を奏で始めた。僅かに生じた隙に乗じて、魔除けの音色が彼らの間に届いていく。狂騒的な殺気が徐々に失せていき、やがて魔物の群れは次々とレフィル達の前から立ち去り始めた。



「なるほど、前よりも酷くなってやがるな、こりゃ。」

 辺りに立ち込めていた不穏な気配が消えた所で、携えた大斧を下ろしつつ、カンダタは嘆息しながらそう省みる。マイラの村で過ごしてきた彼だからこそ、この辺りの状況は良く知っているつもりだった。
「へっ。そんな奴らを相手にここまで戦えるとは、大分強くなったじゃねえか。」
 こうして自分が知るそれよりも厳しい戦いを強いられることになったが、難なく対処して見せたことには素直に感心する。
「いえ……。」
「当然。」
 勇者オルテガの娘であったとはいえ、かつてのレフィルは道を別にする前にはやはり頼りなく見えた。だが、この戦いの中で見せた洗練された剣技や、新たな武器を使いこなせるだけの力量は以前とは比較にならぬ程のものだった。
 そして、ムーもまた相変わらずの力押しではあったが、最上級の呪文も難なく扱える力と状況を素早く判断して戦える冷静さも身についている。

「特にホレス。お前、随分変わったな。あれからたった二年しか経ってねえのに、すっかり漢らしくなっちまってよ。」

 それとは別の意味でカンダタの目を引いたのは、ホレスに起こった変化だった。
「……俺にはかなり永い年月に感じたがな。それでもたった二年か。」
「へぇ。確かにあの無鉄砲なだけの青二才が、今じゃ熟練の冒険者ってのはな。」
 しぶとさだけが取り柄の無鉄砲で生意気な若造に足りなかったものが、今に至っては既に備わっている。余程濃密な日々を送ってきたのか、地獄を見てきたような目をしているのがカンダタには見て取れた。そこで得た経験から、先程のような無茶な戦いが出来たのだろう。
 敵の首魁と位置を入れ替えて指示を飛ばしたその時、ホレスは必然的に周囲を魔物に囲まれることになる。だが、それを承知の上で――否、好機とさえ見なしてすぐさま破壊の鉄球を顕現して、彼らをまとめて薙ぎ払っていた。
 かつての彼にあった身軽さと頑丈さを前面に押し出した捨て身の戦い方も、別の境地を見い出しつつあるのが見えた。

「そして、魔王バラモスを倒して英雄にまでなっちまうとは……たまげたぜ。」

 再び旅を始める中で、元いた世界で起こったことも多く聞かされていた。中でもカンダタが驚いたのは、魔王バラモスが滅びたことだった。その力は、ただ一人で戦うこととなった自分が一番良く知っていると言ってもいい。
 常人には対峙することすら出来ぬ程に、バラモスは人間とは比肩できぬ次元にあった。
「わたしは…何も……」
「それでいいんだよ。あの嬢ちゃんがあんなバケモノに対峙したってだけでも相当すげえことなんだ。もっと胸張っていいんだぜ。」
「カンダタさん…。」
 バラモスとの戦いがきっかけとなって、レフィルは闇への手招きに応じて今の災いを引き起こしてしまった。それを代償として得た神域に至る程の力なくしてはバラモスとまともに戦うことも叶わず、最後は集った勇士達を頼ることとなった。
 それでも、オルテガの娘と言うだけで全てを押しつけられた彼女が本当に魔王の前に立った話を聞いて、カンダタは心底舌を巻いた様子だった。
「でも、たった一人でバラモスを追い詰めたカンダタはもっとすごい。」
「え、ええっ!?」
 だが、ムーがさらりと告げた事実に、今度はレフィルが驚愕することとなった。

「あったりまえだ!!たまにはいいこと言うじゃねえか、ムー!この俺様こそ、無く子も黙る大盗賊・カンダタ様なんだからよ!!」

 力への渇望を露わにしたレフィルでさえもバラモスに止めを刺すには至らなかったが、彼は最後の最後の所まで追い込んでいた。本来の力とは異なるものの、確かにカンダタはバラモスを終始圧倒していた。
「相変わらず無茶苦茶な奴だな。」
「う…うん……。」
 そのような事実を語るカンダタの喜々とした様子から、覆面の下で満面の笑みを浮かべているのが容易く想像できる。魔王と正面切って喧嘩を売って生き延びたばかりか、邪魔の一つも入らなければ十分勝機があったと言うのも偽りではないのだろう。
「相変わらず一歩間違えたら変態?」
「だああっ!?何てこと言いやがる!?」
 良くも悪くもやはりカンダタは只者ではない。そう思っている矢先に、ムーが彼のことを指差しながらぼそりと告げている。相変わらずと聞いてムーの中で連想された意味の危うさを前に、カンダタは思わず転ばんばかりの勢いで仰け反りながら躍起になって否定していた。
「…………。」
 青のタイツと赤い覆面マントと三角パンツのセットからなる、カンダタ本人が正義の味方の衣装と称する一張羅があったのだが、あの戦いですっかり使いものにならなくなってしまった。そして今の出で立ちは、元の世界でホレスが最後に目にした時とさして変わらぬものだった。新調された今の服は黒い覆面マントに黒い三角パンツという相変わらずの荒唐無稽な出で立ちだった。
 ムー自身は目が慣れてしまっているのかからかっているだけなのか、あまり頓着していないが、ホレスが今の彼から受ける印象はまさに彼女の言葉通りだった。
「う、うーん……。」
 一方で、レフィルはその姿を前に何と言えばいいのか分からずに首を傾げるだけだった。肉体美を強調するためにあのような格好をしているという認識の方が強かったからか、かつての旅の時も変態という意識はなかった。
「ふぇふぇふぇ、相変わらず楽しそうなことですな。」
 狼狽するカンダタをムーがはやし立てて、ホレスが眉を顰める側で、困り果てているレフィル。彼らの手によって今一時の平穏を取り戻した樹林の間で交わされる言葉に、ガライは思わず頬を緩めてからからと笑っていた。



 樹海の内の別の道に続く二つの足音。それらは毒の沼と化してぬかるんでいるか、乾ききって砂となり果てているか。いずれにせよ、くっきりと残るそれらは大魔王に踏みにじられたかのような皮肉を感じさせる。
 マイラの村の北に位置する小さな山まで、その足跡の主達は辿りついていた。一人は刀身全体に十字架の意匠が施された抜き身の剣と松明をで携えている傭兵。もう一人は黒い長髪をうなじの辺りで束ねて無造作に垂らし、二本の刀を腰に差した男だった。

「これは……?カフウ先生、この先に一体何が?」
「ああ、おれが探し求めてるモノがあるはずなんだよ、デビッドさん。大体は想像つくかもしれねぇけどな。」

 山の麓に散らばる何かちらついているような小さな輝きが、傭兵――デビッドの目に鋭く映る。その問いかけに答えると共に、先生と呼ばれた男――カフウはその地面と山の奥を指差していた。
「こんな寂れた鉱山にですか?」
 岩山を掘り進めて出来た洞穴の入り口から、中を補強している木の枠がずっと連なっている。おもむろに拾い上げた石をカフウが軽く磨いてやると、村や道中で見かける路傍の石とは違った光沢を返している。そうした雰囲気から、かつて掘り尽くされたはずの鉱山であることをデビッドは容易く察することができた。
 この辺りで転がる石でさえも、それなりに高い純度を持つ鉱石なのは間違いなかった。それを利用して、マイラの鍛冶屋衆が優れた武具を生みださんとしているのは有名な話ではあった。
「ああ。だが、奴をとっ捕まえない事には始まらねえからなぁ…。」
「こんなおっかねえゾンビ共の中、ずっと探してたって言うんですか……。」
「だからこそそいつら相手に戦えるお前さんを呼んだって事だよ。」
 カフウ達もまた、彼らと同じくして刀剣の製作に向けて材料を集めている所だった。だが、闇の世界と化してから既に長い年月が経ち、日に日に危険な魔物達が増えている。特にマイラの周辺に増えたドラゴンゾンビやグールの類は耐久力が高く、それを浄滅することに長けた者がいないことにはまともな探索さえもできなかった
 そのような中では鉱石の採取はもちろんのこと、“奴”を捕獲するなど至難の業だった。初日とは言え、まず見つけること自体が困難なものだった。

「これは……」

 不意に何やら重苦しい気配が近づいてくるのを察して、デビッドは思わず辺りを見回した。
――おい、前にもこんなことが……
 身も凍る程の悪寒と共に感じる圧倒的な力。それと同じものを、かつての旅路の途上でも感じたことがあった気がした。
「やれやれ……また何かマズイのが出て来やがりそうだから、今日はこのへんでふけようぜ。」
「は、はい……」
 単純な魔物の気配に留まらず、感覚そのものを押し潰さんばかりの重圧。それはこの辺りに徘徊する魔物などの比ではないことは否が応にも知らされることになる。
 そのような中にあっても酷く場慣れた様子で、カフウはデビッドを促して村への道を引き返した。

『………。』

 立ち去る二人を追う者は誰もいない。その背を見つめる巨大な影もまた、瞳無き眼窩の奥に光る視線を向けるのみで、静かに見守るだけだった。