生き還りし者 第五話



 死に瀕した今の世界を更なる破滅へと追い込まんとした咎人達が囚われているラダトーム城の牢獄。
 先程までの狂騒ぶりとは打って変わり、最後に腑抜けた叫びの余韻が消えたのを境に、一時の間静まりかえる。

 そして、暴れ狂っていた巨大な気配が消え去ると共に、絶望に満ちたこの場に似合わぬ獄囚の歓喜の声が辺り一面に響き渡った。

「あの子、兄貴の知り合いだったのか……?」
「そのようだが……、何だったんだ?あいつは……」

 嵐のような氷の吐息を吹きつけながら豪快に通り過ぎて行った金色の竜。それは最奥に辿りつくなり魔法使いの出で立ちをした小柄な赤髪の少女へと転じている。そして、その姿を目にすると共に、自分達が奉る男がこれまでと明らかに違う様子で駆り立てられている。
「面白いのか恐ろしいのか分からねえな……。」
「何が言いたいんだよ、お前は。」
 竜と化す呪文を以って強大な力を振るって尚、一人として死すことはおろか、深手を負わされることもなかった。こちらの戸惑いもあるとはいえ腕に覚えのある獄囚達をあっさりと抜いた実力は本物だったが、表情に乏しいことを除けば或いは可憐な少女にも見えよう姿だった。
 あっさりと一蹴されたにも関わらず、その不釣り合いな様についていけないのか、誰ひとりとしてこれ以上何もできずに唖然としていた。

「ムー、お前なのか!?」

 そんな彼らを余所に、最奥の獄中に閉じ込められたまま成り行きを静観していたはずの男は、血相を変えた勢いのままに訪れた少女へと駆け寄っていた。
「カンダタ……。」
 あの時を境に死に別れたとさえ思っていたはずの愛しき者との再会を前に、多くを語らぬはずのムーの口からその名が零れる。今はただ鉄格子を挟んで見える彼の姿を、深緑の双眸で見上げるだけだった。
「無事だったんだなっ!!バラモスの野郎のザキ喰らって消えちまったとばかり……」
「ホレスが……助けてくれた……。」
「あいつが?ともかく、お前が生きててくれて良かったぜ……。」
 ムーの内に秘めたる力を求めて突如として世界樹の里を訪れた地上の脅威――魔王バラモス。その激闘の中で、ムーはバラモスの死の呪文とメドラの覚醒により一度己の意識を封じられ、カンダタは溶岩が煮えたぎる大地の狭間へと放り込まれた。
 共に生きては逢えぬと思わせる程の絶望的な状況だったが、互いに命を救われて再び会いまみえることができた中で、ムーの内には複雑な感情が募るばかりだった。淡々としながらもはっきりと物を言ういつもの言葉の明確さとは打って変わって弱弱しく、双眸もまともに彼に合わせられていない。
 
「へっ、それよりどうしたんだよ。お前、さっきから何だか泣きそう……」
「ばかっ!!」
「痛えっ!?」

 滅多に見られぬしおらしい様を目にして逆に面白く感じたのかカンダタがからかうように告げたその瞬間、少女の甲高い怒号が上がると共に、理力の杖が振り下ろされた。
「よ、よりにもよって鉄格子ごと……じゃねえ!!何しやが……あがっ!!おい待て落ち付……げぇっ!!」
 目の前を阻む鉄格子を一撃の下に砕いた勢いのままカンダタを打ち据えて、有無を言わす間も与えずに再度切り返される。
「うー……!」
 だが、叩きのめしている中で、段々とその力が弱まり、目に見えて動きも鈍くなっていく。いつしか微かに零れる嗚咽と共に生温かい雫が落ちて、牢の床を濡らしている。

「カンダタさん……」
「………無理もないな。」

 再会に際して目にしたものに対して湧き上がる感情を抑えきれず、衝動のままにカンダタへと躍りかかるムーの姿を、二人はただ静かに眺めていた。
 手を出すこともできずにただムーの一撃を受け止め続ける男の姿は、確かに在りし日の豪放磊落な巨漢の面影があった。だが、獄囚としての生活や戦いで受けた傷の療養が続いていたのか些かやせ細り、一回り小さくなったように見える。
「ムーは、認めたくないんだよ。あいつがそんなにまで傷ついている姿をな……」
「……。」
 そして、その身に刻まれた数多くの傷が、深い跡を痛々しく残していた。バラモスとの戦いの最後に業火に呑まれた際に負った大火傷の跡が残る体に、更に聖剣の贋作の罪を問われた中で受けた拷問による傷が刻まれている。
 言われのない罪によってこのような辱めの果ての惨めな姿を晒していることがムーには許せなかったのだろう。

「落ち着いたか…。全く、再会するなり熱烈な歓迎にも程があるぜ…いてて……。」

 いつしかムーの飛びかからんばかりの勢いは失われて、力なく手放した理力の杖が落ちて、乾いた音を立てながら石床を転がっている。殴られた痛みに軽く呻きつつも、カンダタは声を押し殺したまま静かに泣くムーを見て苦笑していた。
「殺しても死なないからまた会えるって信じてた。」
「おいおい……ったく、お前ってばいつもそうだよなぁ。だからって、あの仕打ちはねぇだろが、ははっ。」
 どうしても気に食わないことがあったり感情を高ぶらせる度に殴りつけてくる乱暴な一面も、今となっては懐かしくさえも思える。良くも悪くもそんな性質がムー本人であることを深く再認させて、唐突の永遠の別離によってもたらされた虚しさが消えていくのを感じる。
「ハッ、確かにこんなんじゃ格好はつかねえけどよ、これだけピンピンしてりゃあ幾らでもやり直せるってこったぜ。」
「カンダタ……」
「ま、せっかく男前を隠すはずの覆面も、これじゃあ後ろめたさの塊みてぇで様にならねぇけどよ。なぁに。ダルマにされなかっただけ、マシってこったよ。」
 酷く傷ついた姿には見ているムーの方が悲しい気持ちにさせられる。だが、変わらぬ人柄や元気な様子を見せるカンダタの言が、逆に彼女を元気づけていた。数多の嘆きや絶望に直面してきたにも関わらずそれらを乗り越えてきた姿を見て、改めてこの男の持つ本当の強さを実感できる。
「何にせよ、可愛い娘が生きていたって分かりゃあこんなブタ箱なんかに引きこもってる場合じゃねえよな!」
「だが、カフウはどうするつもりだ?このままだとあいつも無事では済まされないだろう?」
「先生か……あー、確かにこのままじゃまずいわな……。」
 盗賊団の弟分、子分共々最愛の身内とも言える少女を前にして、いつまでもここの獄囚に甘んじている場合などではないというカンダタの思い。しかし、これまで何を思ってここの生活を続けてきたかと思うと、そのような簡単な話では済まされなかった。
 剣の製作の師として、そして義を重んじる盟友として、カンダタはこれまでカフウの身に火の粉が降りかからぬようにずっと耐え忍んできた。ここで脱獄してしまえば彼も無事では済まないかもしれない。
「だったら直談判すればいい。」
「え?」
 そうして頭をもたげている中で、ムーがぽつりと告げた言葉にレフィルは思わず首を傾げた。
「……それしかねぇわな。丁度手間も省けたみてぇだしよ。」
「手間……って、まさか……」
 カンダタもまた罰の悪そうな顔をしながらも動じた様子を見せずに回廊の先を見やっている。

「へ、陛下!ここから先は危険です!」

 その言葉の意味を察すると同時に、来た道から慌てた様子を露わにした声が大きく響いた。
「うるさいヤツめ。そんな下らんことより残った脱走者共の始末を急がんか、たわけが。」
 そんな情けない様に辟易したように嘆息しつつそう吐き捨てながら誰かがこの区画の入り口へと足を踏み入れてくるのが見える。灯に照らし出されているのは、周囲の兵士達と比して一際立派な趣の鎧を纏っている男だった。

「やはりラダトーム王か。」
「王様が……ここに?」

 王の衣こそ纏っていないものの、立ち振る舞いや言葉に込められた威圧感などから、彼の正体はおのずと知ることができた。
「あのバナンの奴を仕留めたか。また腕を上げたな、レフィルよ。」
 囚人達の暴動があったとは言え、一体このような場へ何しに現れたのか。そのような疑問を微かに表しているように目を細めるレフィルへと歩み寄りつつ、ラダトーム王――ラルス一世はそう告げていた。
 大魔王ゾーマの尖兵や凶暴化した魔物達からこの国を守ってきた兵士達や冒険者でも手を持てあまし、ここに封じることとなった最凶の獄囚。そこまで恐れられたバナンと正面から戦って打ち破ったことは称賛に値すると言うことか。
「脱走幇助とは感心せんがな。」
「…………。」
 それでも、立ち入るべき場でないこの牢獄で騒ぎを起こしたことについては良く思ってはいないらしい。
 こちらに明らかな非があるのは認めつつも、ただそれだけの意味に留まらないように思える。期待した一線を超えた行動を許さぬ意図が込められているのか、それを語る王の言葉は何時になく辛辣に感じられる。
 王たる故の傲慢を諌めるわけでも、それにひれ伏すわけでもなく、レフィルは沈黙を保ちながら視線を返すだけだった。
「まあいい。丁度おれも其奴に用があった所だ。」
「カンダタさんに?」
 それを気にした様子もなく、王はすぐさまレフィルから踵を返して、牢獄の最奥に佇む男へと向き直っていた。

「そうだ。さて、贋作者・カンダタよ。こうしてまみえるのは初めてだな。」

 傷つき、長い時に渡って幽閉されて尚も強者たる雰囲気を纏う盗賊団の長に対しても臆した様子を見せず、ラルスは唐突に話を切り出していた。
「ああ。随分と急な御来訪じゃねえか。一体全体どうしたってんだ。」
 王者の剣の贋作を行ったことは耳に入ってくるも、ラルス自身がカンダタを目にするのはこれが初めてのことだった。この騒ぎの収拾も満足につかぬ中で、他を差しおいてまでこちらに赴いたのはどのような了見なのか。
「何、あのような剣を作ったそなたの真意が知りたくてな。」
「ああ、そのことか。こっちこそ、俺の最高傑作がどうしてあんな目に遭わにゃならねぇのか納得行ってねえんだ。」
「最高傑作、か。全くだ。如何様にしたらあれ程の剣が作れると言うのだ。」
 聖剣の贋作の発端となった持てる全てを込めて作り上げた最高の剣、その出自に纏わることを聞き出すことが王の目的らしい。奇しくもカンダタもまた、自らの自身作が単純に王者の剣の偽物という理由で砕かれてしまったことを、閉ざされている間も心の隅で疑問に感じていた。

「“破壊の剣”と同じでしょう。」

 最初に口を開いたのは、王者の剣の贋作を長きに渡って追い求めてきた大臣だった。
「破壊の剣、ってあの……」
「おいまて、そいつは間違いなく呪いの武器じゃねえか。」
「然様。呪いの力を受けし武具は信じ難し力を宿す代わりに自分ばかりでなく周囲に様々厄をもたらす。それはそなた達もよく存じているはずだ。」
 “破壊の剣”、“地獄の鎧”、“嘆きの盾”。そうした品々を初めとする呪いのアイテムの類は、レフィル達も時折見かけてきた。その何れも常識では信じられぬ力を発揮していたが、必ず何かしらの代償が待ち受けている。呪いに体を蝕まれたり、心を失ったり、人の身では到底抗えない危険な代物であることは間違いない。
「それでも、こうして自らの武具に呪いの力を込める輩は後を絶たん。まして伝説の武具の紛い物を語ろうとは言語道断じゃろう。」
「……なぁるほどな。道理で怪しまれるわけだぜ。」
 自らの最高傑作に対する自信故に、呪いの武具と比較されても然程苛立ちは感じなかった。
「やはり、自らの剣に呪いを込めたと言うのか?」
「んなワケねぇだろ。魔法ならともかく、そんな薄気味わりぃ力なんざ借りて何になるってんだよ。」
 だが、それを用いたという事実自体はカンダタ自身も否定していた。使い手を理不尽に破滅に導く禁じ手を用いてまで、力を与えようなどとは最初から考えたこともなかった。
「ほう……では、あの剣は己の手一つで作り上げたと?」
「信じられませぬ。確かにあの時、かの偽物には強力な呪いが宿っていたはず。」 
「ああ。おれもそれは確認した。カンダタよ、そなたの打った剣には確かに呪いがかけられていたのだよ。それも、魔物や闇の者共を際限なく呼び寄せる性質の悪いものがな。」
 そのようなカンダタの意図と逆に、大臣と王が更なる残酷な言葉を告げていた。その剣を持ったが為に勇者の少年に降りかかった破滅、それは闇に魅入られし者を引きつけるものだった。如何に強靭な刃と十分な力量を以ってしても、枯れ果てることなく現れ続ける魔物の群れを退けることは間違いなく至難の業である。
「呪いだと?何を言って……」
「偽りは言わん。紛いなりにもおれも王だからな。」
 それを訝しんで思わずホレスが口を挟むも、ラルス王は有無を言わせぬ様子でそれを遮っていた。真っすぐに見据えつつ告げられたその言葉は決して軽いものではなく、呪いに纏わる一つの事実を明確な形で認めていた。
「おいおい、いつの間に俺の“最後の剣”が呪われちまったってんだ。」
 捕えるための根も葉もない口実とばかり思っていたが、王もまた肯定したことを受けては意味合いが変わってくる。自らが手がけた限りでは呪いの気配など決して感じなかった。自分の手を離れてから、一体何が起こったというのか。
「最後の剣、それが件の剣の本当の名か。」
 カンダタの言葉の一端からラルス王は偽りの聖剣の真の名を初めて知った。何を終わらせるべく“最後”などという大層な名を与えたのか。
 零れた言葉には、微かな疑念とは別の何かが込められているようだった。

「最後の剣……こいつのことか。」

 この世界で旅立ち始めた時よりずっと携えることになった名剣。誰に言われたからでもなく、ホレスはその欠片を取り出していた。
「そいつは、何処で?」
「カフウの仕事場裏でな。」
「そうか、お前さんが持ってたのか……。それに、先生が……」
 ラダトームの兵達の手によって折られて確かに失われたが、目に映った刀身の一部を見て、カンダタはすぐにそれが自分の打った剣であると認識することができた。
 執拗に痛めつけられた上に長い間野ざらしにされていたために錆ついていたが、それでも限界まで鍛え抜かれた鋼鉄の面影は幾分残っている。
「話に聞いた呪いの気配は俺達が使っている限りではまるでなかった。そうだろう、レフィル?」
「……ええ。」
 変化の杖によって仮初の復元された状態でさえ、レフィルの手に渡れば闇の手の者を一撃で斬り伏せるだけの切れ味を持っていた。本質の一端でさえ、呪いの力を借りずともアレフガルドを脅かす輩と渡り合える十分な強さを持った業物だった。

「ふん、やはり呪いは失われているようだな。」

 そもそもホレスがこの刀身を見い出した時点で既に呪いの気配はなく、それを用いたレフィルに災いが降りかかることもなかった。。
 一度謁見の間で最後の剣の一片を見せられた時、かつて見た禍々しい気配が消えていることを思い返して、ラルス王が嘆息する。
「陛下は既にご存じだったのですか?」
「ああ、言っただろう。“今”は所詮屑鉄に過ぎんと。碌に目を通そうともしないなど、頑固なお前らしいことだ。」
 同じくかつて失われた呪いの剣を目にしたはずの大臣がその変化に気づかぬことに呆れながらも、特に咎める様子もない。一度この目で確かめて信じ込んだことを曲げることができる程の余裕が、元より小心者のこの大臣に出来ることなど、最初から期待していなかったのだろうか。
「間違いない……これはあの時折ったはずの呪われし剣。何故、その呪いが……?」
 ようやく己の感覚を疑う気になったのか、大臣もまたホレスの手にある最後の剣の欠片を改める。
 かつてこの罪人を処断せんとした時に見た時のことはよく覚えているつもりだった。拭えぬ程の呪いが刀身に宿っているだけではなく、決して己の罪を認めようとしないカンダタへの憤慨。それに一度は目を曇らせて傲慢に走ろうとも、今ここにある剣の欠片からは呪いが消え失せていることが分からぬ程愚かではなかった。
「大臣よ、お前の見立てを違えるようで悪いが、おそらくこの者に呪いの根源はない。だからこそ、何故あの剣に呪いが宿ったかの原因を追及する必要があるな。」
「確かに調査の必要はありますな。ですが、己の意思に関わらずとも少なくともこの男が呪いを持ち込んだのは否めませぬ。」
 しかし、それだけでこれまで抱いてきた疑念の全てが消えたわけではなかった。カンダタ自身の言を信用したとしても、それでも呪いの武具を結果的に作製してしまう可能性は残る。
「意思に関わらず、か。つまりはこの男が本来呪いの術を知らぬことを認めるということだな?」
「…………。」
 その芽を摘まぬ限り、納得できぬという大臣の言も一理ある。
 それでも、彼自身の口からは確かにカンダタ本人が意図的に呪いを使おうとしていないという分かれ目を確かに肯定していた。
「まぁいい。呪いの武具もまた、我らにとって十分な脅威だからな。それの警戒を促したのは他ならぬおれ自身だ。」
 それを指摘されるなり、急に押し黙る大臣を見て、王は薄い笑みを浮かべていた。己の下した裁定がもたらしたものを考えれば、自分もまた大臣と同じ責を背負っているのは間違いない。が、知る者こそ少なかれど呪いの武具はアレフガルドを確かに脅かしている。その危険に対するがために、調査と排除を命じたことへの後悔は微塵もなかった。

「しかし、己に非がないと信じながらも全く抗うことなく大人しくここに囚われたのはどういうことだ。」

 そのような厳しい武具への監査の体制が敷かれた煽りを受ける形で、カンダタはこの場に囚われてしまうことになった。だが、罪を否定し続けていた姿勢とは裏腹に、彼は結局牢獄から出たいと言う意志の一つも見せなかった。
 最高傑作を貶される形となって尚も、何故それに対して抗おうとしなかったのか。それらを初めとする疑念をぶつけるように、ラルスはカンダタへとそう問いかける。
「いっちょ一暴れしても面白ぇが、先生に迷惑をかけるわけにゃいかねえだろ。」
「ほう、それだけカフウとやらを買っていると見えるな。」
 それで最初に返ってきた答えは、彼の鍛冶の師・マイラのカフウへの敬意だった。最後の剣程の品を作り上げることができたのも、彼の教えと交流があってのことである。逆に言えば、ここで余計な真似をしてしまえば、関係者である彼も巻き込むこととなりえる。
「それに、暴れる元気もなかったもの。」
 カンダタが二の句を継ぐより先に、不意にムーがぽつりと一言そう告げていた。
「変わらねぇ……やっぱりムーだ、こいつは……。」
「なるほど、既に縁の者と引き裂かれていたか。」
 あっさりと言ってのける様にげんなりとしながらも、カンダタはその言葉を否定することはなかった。ラルスもまた、その一言だけでそれが指し示す事実を察することができた。
 元の世界と引き離されて大切な者を失った嘆きは、当人が思っていた以上の深い傷跡を残して、気力をも根こそぎ奪っていた。この闇の世界でもまた、魔物や闇の手の者に命奪われて、その後を追うように死んでいく者達も決して少なくはない。
 そのような世界の中で、生きる意志を留められて遂にはムーとの再会を果たせたカンダタは行幸だった。
「余は彼らより“最後の剣”の欠片を見せられた。純粋な鋼鉄をよくぞあれ程までに練り上げたものよ。」
 カンダタという人物が分かって満足したのか、王の口から別の話を切り出される。呪いによる力を抜きにしてもホレスが見せた最後の剣の欠片からは確かなものを感じられた。

「その技、今一度振るってみる気はないか?」

 それを信じてのことか、ラルスはカンダタに向けてそう告げていた。
「もう一度、俺に剣を打てって?マジか?」
「ああ。贋作の真偽が分からぬ以上、そなたは本来この牢から出られぬはずだった。それを曲げて出してやろうと言うのだ。心して臨むがいい。」
「もうあんたの中じゃ決まってるのかよ。けどよ……このままじゃこいつの二の舞なるかもしれねえぜ。」
 すぐに王の意図を察して、カンダタが怪訝な表情を向ける。無実であることは己自身で納得している中でも、囚われの身であることは変わらない。まして、再度剣を作った所で、大臣との話を聞いている限りでは再び同じ呪いの剣を作ってしまうと言う懸念は払拭できない。
「その点も含めてよく考えるのだな。言っておくが、おれ自身も二度もこのようなことを許す程寛容ではないぞ。」
 再度娑婆へと帰る機を得られる思いが逸る中でも、呪いを危惧する話が出た以上は口を挟まずにいられないカンダタの言葉。それを肯定しつつ、ラルスは更に厳しく釘を刺していた。
 呪いが宿った原因が互いに分からぬ以上、それぞれの過程全てに気を配る他にそれを防ぐ術はない。
「へっ、許すもなにも……。やっぱり何だか随分勝手だが、こんなありがてえ話もねぇし、乗ってやろうじゃねえか。あんたの英断、決して無駄にはしねぇからな。」
 散々痛みつけておきながら、いざ釈放となればあっさりとしたものでしかない。誓うべき事柄こそあれ、それもまた大した意味はなさない。だが、それこそ茶番にも等しい安直にも思える決断も、逆にそうまでして王が自分に寄せる期待の大きさを表しているようにも感じられる。
 ここにきて今更退く程の小賢しさや狭量さなど、カンダタにはなかった。
「異存は無いな?」
「はっ……何故に呪いが宿ったかを見るためにも、或いは何か分かるやもしれません。正直脅威を野放しにすることは如何かと思われますが。」
「どの道、おれ達に残された時間など、その程度で変わる程残されてはおらんよ。」
 未だ納得こそせずとも、大臣もまたカンダタを釈放することを認めていた。それが最悪の事態を招くことを懸念していたが、それは王もまた覚悟の上だった。
 確かに皆の協力の下でゾーマの脅威から耐え抜いているものの、窮地へと追い込まれているこの状況は何も変わらない。ここで重い代償を負おうとも、一石を投じる覚悟を決めるのもまた一つの選択だった。

「或いは、もう一つの伝説を解き放つことができるかもしれんしな。」

 その果てに何が現れるかの最善の形は、王には既に見えていた。今は失われし伝説。それが大魔王ゾーマに対抗するための最後の切り札と成りえる要素の一つだった。
「なるほど。ですが、それならばあの男でも……」
「いや、彼はそのようなものは性に合わん。己の手で道を切り開いてこそ、その真の力が発揮される。奴にも別の形で働いてもらわねばなるまい。」
 この言及に対し、大臣が別の人物の存在を示唆していたが、王は首を横に振りながらその役割を語っていた。

―あの男って?

 ラダトーム王の下アレフガルドを旅してゾーマの野望を食い止めんとする者が、自分達だけでなくとも何もおかしくはない。だが、これまでその存在こそ知らされずに来たことに、レフィルは素直に疑問を感じていた。
 聖剣の贋作に及んだカンダタを見込んだことが自分達の領分であるというのならば、その者が背負う役割は一体何か。
――父さんだったら、もしかしたら……。
 ホレスの口からその生存を告げられた父・オルテガ。レフィル達が魔王バラモスを倒して一時の平穏を得たのも、彼が道を築かなければ成し得ぬことだった。それだけの武勇を以ってすればアレフガルドに一つの変化を齎すことも叶うかもしれない。
 だが、ラダトームの民の間でも長きに渡り行方を晦ましていると言う噂が流れており、今も尚帰ってきたという話は聞いていない。ラルス王の様子を見ても、オルテガと再会したとは思えない。

――まさか……

 それ以外に思い当る人物は、このアレフガルドにも殆ど思い当たらない。回想の中で闇の世界も容易く切り抜けられる程の強者を探る中で、一際強い印象を受けるとすれば……
「……あの男、か。」
 ホレスもまた、自分達とは別に動いている何者かを気に留めているのか、一言零していた。行方知れずとなった英雄達でも近い日に出会った勇者オルテガでもでもない。
 首を傾げさえするレフィルとは対照的に、ホレスはただ鼻を鳴らすように嘆息するだけだった。

「今は関係ない。」

 その二人を一瞬じっと見つめた後に、ムーは前触れなくそう言い放つ。
「二度とカンダタをあなた達の手に渡さないから。」
 そして打ち破られた牢の奥にいるカンダタを守るように立ちつつ、彼女はラルス王と大臣を正面から睨みつけつつそう告げていた。無表情の中でも、その双眸は彼らへと真っすぐに向けられている。
 害なすと言うのであれば容赦しないと言う思いが、これまでにない殺気となって視線に込められていた。
「ああ、そう願っている。おれもお前達のような者が嘆く姿を好んで見る程冷徹ではないからな。」
 冤罪と断じることができぬとはいえ、親愛なる者に対してこのような仕打ちに及んだことはそれを信じる者にとってそれに等しく許し難いことに違いない。幼い少女のそれではない威圧感に思わず一歩退いた大臣を一瞥した後、ラルスは肩を竦めるようにしてそう返していた。

「ま、お互いこれからが本番だってこたぁ変わりはねぇ。気ぃ引き締めていこうぜ!」
「そう、ですね……。」
「あんたらしいな。」
「…………。」

 別れから長きに渡る苦難の時が流れながらも、ここにようやく再会することができた。その間にも様々なものを背負うことにもなったが、力強く生き続ける互いの姿を見て、長く抱えてきた不安や杞憂が消えていくのを感じられる。
 全てが終わったわけではないものの、こうして再び動き出す機会を与えられた。また共に過ごすことができる喜びに満ち足りていた。

「さ、そうと決まれば準備だ!もたもたすんな!」

 ここまで失われた時間を取り戻すかのように、気合という言葉が似合う程に快活に言い放ちつつ、カンダタは力強く立ち上がった。

(第三十四章 生き還りし者)