生き還りし者 第三話



 城下町のはずれに位置する閑散とした場に聳える城壁。その一端に小さく空けられた入口を、鉄格子の扉が固く閉ざしている。

「ここは牢獄。お前達のような旅人風情が寄るところではない。」

 扉の側に立つ衛兵が、迷い込んできた者達の行く手を阻みながらそう告げていた。
 外敵の侵入を拒む堅牢な作りの城壁は、同時に内から現れた罪人を逃さぬ働きをも果たすことができる。その内に築かれた牢獄の内にアレフガルドの秩序を乱した者を幽閉されていた。
「牢獄……ここに、あの人が……。」
「王者の剣の偽物を作ったと言う刀匠は、ここにいるのか?」
 マイラの村に突如として現れて、急速に頭角を現し始めた一人の男。義侠心溢れ、ひたむきな姿勢を持つ彼の手より、優れた武具が数多く作られてきた。だが、彼はこの世界に対しての罪を犯してしまったが為に投獄されることとなった。
「何を言っている?」
「知らないならそれでも結構。実際にこの目で確かめるだけの話だ。」
 勇者が携えていたという王者の剣の贋作、それも本人の与り知らぬ所での偽りが罪に問われる理由を、レフィル達は何一つ知らない。その理不尽極まりない結果を見届けるべくして、彼らはここに訪れていた。
「……ここの囚人の知り合いか何かか。事情は知らないが、お引き取り願おう。」
 まかり通らんとするホレスの行く手を静かに遮りながら、番兵は抑揚なく彼らへとそう告げていた。来訪者の意図を知らずとも、王より与えられた命を違えるわけにはいかない。
「そこの二人が王の客人と知っても?」
「……!そうか、このお二人はレフィル殿とムー殿か。だが、客人なら尚更ここをお通しするわけにはいかないな。」
「…………。」
 レフィル達の出自を聞いて驚きを隠せぬ様子だったが、それでも結果として答えは変わらなかった。
「ここにいる囚人達は大魔王ゾーマに組みせんとした者達だ。故にこの閉ざされた中にあったとて安全の保証はできん。君達の身に何かあれば、国王陛下に申し訳が立たない。」
 皆が力を合わせねば生き抜くことさえできぬ世界にあって秩序を乱さんとする者達。その多くは大魔王ゾーマのもたらす絶望に身を任せた力ある者達だった。敢えて国に逆らうことを選べるだけの力量を前には精強の戦士や傭兵も手を余し、この牢獄に追放することが精一杯だった。
 そのような輩が数多く幽閉されている中でいつ牙を剥かれるかも分からず、危険極まりない場となり果てていた。
――まさかあいつがそのような奴らと列を並べてるとはな。
 単純に罪人を捕えるものではなく、倒すことすらもできない闇の手の者を封印するために設けられた牢獄。偽物の聖剣を作るということは、彼らと等しい罪深きことなのか。
「……悪いが俺達もそちらの事情を鑑みてる余裕はないんだ。それにあんた達に迷惑をかけるつもりはない。」
「それはこちらも同じことだ。第一、あくまで他国の者である君の言葉を信じようというのが無理な話だろう。」
「承知の上だ。だが今は、ゾーマをどうにかするために、少しでも多くの力への手掛かりが欲しい。」
「どちらにせよ、私にはどうすることもできんよ。大臣殿の首を縦に振らせぬ限りはな。」
 この牢獄の内に踏み入る他“彼”と会う術はない。だが、牢の管理を一任されている者の許しなき今、正面からの進入は拒まれるのが道理だった。
――奴は何故……
 大臣が取り続けている偽りの聖剣を頑なに否定する姿勢。それが見たままの元来の小心から来ているものであることは間違いなかった。だが、今のアレフガルドの状況はロマリアの例のように一国の威信一つに留まる類のものなどではない。一つ間違えれば自国を滅ぼす結果となる中で、仮にも王の命を受けている者が私情だけでこのような判断を下す余地もない。
 純粋に強い武具の作製の機会を、本人の与り知らぬ場面で起こった罪のために無駄にする愚行を犯してまで何を恐れているか、ホレスには分からなかった。
「…………。」
「ム、ムー?」
 如何にして通らんと思考を巡らすホレスと立ちはだかる番兵が対峙する間に張り詰める空気を、突如として小さな靴音が乱していた。

「面倒臭い」
「!!」

 いつのまにか彼らの間に割って入ったのを誰も止める暇も与えず、ムーは瞬時に間合いを詰めて番兵を理力の杖で薙ぎ払った。
「……な、何を……っ!!」
 突然襲いかかってきたムーに思わず後じさるも、それ以上の反応はできずに番兵はあっさりと杖の一撃を受けてしまった。とっさに構えた槍ごと、守るべき扉の側から弾き出されて地面に転がる。
「おい!ムー!手を出すなと言っただろうが!」
「これじゃいつまでたっても埒があかない。だったらこうした方がいい。」
 膠着した状況に業を煮やしたのかホレスの制止も聞かず、彼女はそのまま鉄格子をも理力の杖で突き破り、牢獄の中へと一人踏みこんでいった。
「ムー!!こら、待て!!」
「ちょ、ちょっと!ふ、二人ともっ!?」
 慎重に進まんとする中でのムーの思わぬ暴走を前に苛立ちを隠せぬ様子で怒鳴りながらホレスもすぐに後を追っていく。そうして二人の仲間が唐突に先に進んでいく様に酷くたじろぎながら、レフィルもまた慌てて彼らについて牢獄へと突入した。
「い、いかん!あの先は……!」
「なーに、心配はいらぬ。あの子達とて、ゾーマの手の者とも渡りあった強者じゃ。」
「ガライ殿?」
 番兵が体勢を立て直して引き止める間もなく、三人は危険極まりない場へと足を踏み入れてしまった。牢獄の中の危険をよく知るが故に焦燥に駆られる彼とは対照的に、ガライは心底落ちついた様子で成り行きを見守っていた。幸いにして彼らの力を見定める機会を数多く得られたが故に、彼らの実力が信じるに足るものであると認めることができた。
「ふぇふぇふぇ、しかし、時にこれ程息が合わぬのもまた一興よな。これもまた若さと言うものかのう。」
「は、はぁ……。」
 闇に怯える魔物達や大魔王に仕える刺客達が次々襲い来ようとも、三人はそのいずれの苦境も切り抜けてきた。だが、彼らの間に育まれた友情とは裏腹に、それぞれの思う所はお世辞にも噛み合っているとは言い難いものだった。
 そのような見解の相違から生じる乱れを、ガライはただ微笑ましげに眺めていた。



 独房の一つ一つ、更には区画毎に張られた鉄格子によって幾重にも縛られた地下牢。だが、その堅牢な守りが保っていた静寂はいつしか崩れ去っていた。

「奴が脱走したぞ!!」
「凶拳のバナンめ……ついにやりやがったか!」

 回廊の奥から石や鉄を砕く音と断末魔が幾度も聞こえてくる。手に負えぬが故にこのような場に閉じ込めたとしてもその束縛を破る術があればそのしわ寄せは必ずやってくる。
 凶拳の名に違わぬ膂力と破壊の技で強引に封印を振り払い、脱出を阻むもの全てを打ち砕かんとしている。
「奴の力を侮るな!守護騎士団を出動させろ!!」
 純粋な力技のみでラダトームの兵士達を圧倒できる程の実力を持ちながら、アレフガルドの調和を拒絶して、己の望むままに破壊を繰り返してきた男――バナン。その思う所は、この牢獄に閉ざされて尚も変わらぬばかりか、更に強まる一方だった。
 かつてもたらされた被害からも、既に敵との力の差を知っている。逃れんとする悪意ある者を逃がさぬためにも、兵士達も全力を尽くす必要があると感じていた。

「おい!後ろから何か来るぞ!!」
「何!?」
「まさか入口の方でも脱走が!?」

 助勢を求めるべく伝令を遣わそうとしたその時、今しがた破壊が繰り返されているそれとは逆の方向から、複数の足音と鉄格子が壊れる音が聞こえてきた。

「どいて。」
「!!?」

 一体誰が入ってきたのか、予期せぬ事態を前に兵士達の間で動揺が走らんとした次の瞬間、唐突に目の前に現れた小さな少女がぽつりと一言告げると共に彼らの真横を通り抜けていった。 
「ま、待ってったら!ムー!!」
「相変わらずの力馬鹿め……。」
 直後、彼女を慌てて呼び止めるように叫びながら、冒険者が纏うような鎧を身に付けた長身の少女がその後を追いかけていた。その傍らで、白髪の青年が呆れるように一人ごちている。
「何だったんだ……今のは。」
「お、女の子、だよな?あんな奴ら、囚人にいたっけ……」
「どう見ても違うだろ……。どうやって入ってきやがったんだ?あいつら……」
 凶拳のバナンの脱獄による狂騒に翻弄される中で、まさに疾風の如く鮮やかに通り過ぎて行った三人の唐突な登場を前に、兵士達は今置かれている状況をも忘れて顔を見合わせていた。
「だが、よりにもよってあんな化け物が出てきちまった側で何だって……」
「これも勇者サマの宿命なのかねえ……」
 一体何を求めてこのような危険な場を訪れたというのか疑問に尽きないが、それと同時に厄介者まで現れるのはある種の皮肉に思える。覚悟を決めて進入したであろう彼らに訪れた不運に憐憫にも似た情をおぼえると共に、出自より思い起こされる過酷な中で成長を重ねる“勇者”然とした道を感じさせられていた。




「ったく、無茶苦茶しやがって……」

 先走り続けたムーへとようやく追いすがり、さながら兎を捕える要領でマントの裾を掴んで抑えると共に、ホレスはげんなりとした様子でそう告げていた。
「あなたがもたもたしてたから悪い。」
「……相変わらずせっかちな奴だな、お前は。」
 痺れを切らして急に入口の番兵を薙ぎ倒しただけに留まらず、牢獄の区画を分けるべくして幾つも立てられている鉄格子の扉を力任せに次々と吹き飛ばしていった。その所業は魔法使いと呼ぶには些か乱暴なものには違いない。
 目前まで持ち上げられてじっと見つめてくるムーの視線が、こちらの双眸を捉えて離さない。自分が正しいと言わんばかりに真っすぐに見据えてくる様に、ホレスは肩を竦めて嘆息するしかなかった。
「だが、これは一体……」
「みんな死んでる……」
 むせ返るような血の匂いの中に、多くの兵士達がその屍を晒している。手にした剣や槍は鎧や兜諸共砕かれて、いずれも力任せに薙ぎ倒されたように見受けられる。壁に大きく穿たれた跡から察しても、技巧よりも圧倒的な人ならざる膂力。これがまさにラダトームの兵士の手に負えぬ程の囚人のなせる業なのか。

「レフィル!後ろだ!!」
「え?」

 ふと、灯さえ消された牢獄の闇の中から忍び寄る気配を察してホレスはレフィルへと呼びかけた。
「おっせぇよ。」
「!!」
 それだけで反応し切れるはずもなく、咄嗟に庇わんと立ちはだかるも、襲撃者はそれを嘲笑うようにホレスを殴り飛ばして壁に打ちつけた。
「ホレス!!……!?」
 そして彼へと駆け寄らんとするレフィルの背後に回ってその大きな手で首元を締め上げる。
「おお?こんなご時世でも救いの手が差し伸べられることなんかあるんだなぁ、オイ。」
「うっ……く……!」
 呻きを上げる彼女の後ろに、長身の男が佇んでいる。痩躯ながらも無駄なく鍛え抜かれており、凶拳の名に違わぬ速さと膂力を繰り出せる程に人としての域を極め尽くされているのが見て取れる。
 殺戮の中で狂喜に満ちた下卑じみた笑みに精悍な顔つきを歪めた、黒い短髪の男がレフィルをその手に捕えながら行く手を阻んでいた。
「……お前が件の囚人か。」
 牢獄を守る兵士達を歯牙にもかけずに仕留め、その手を血に染め上げている。この男こそが先の兵士達が囁いていた恐れられし囚人――凶拳のバナンに間違いなかった。
「おっと、てめぇら動くんじゃねえぞ。この小娘の命が惜しけりゃな。」
 ホレスが再び立ち上がろうとした所で、バナンが右手に力を込めてレフィルを更に強く締め上げていく。十分な牽制となりえたのか、二人はこれ以上動けなかった。
「…………。」
 悪戯に手を出すこともできないが、このまま終わるつもりもない。レフィルを捕えた悪辣なる敵を見上げるホレスの双眸には、僅かな諦観の一片さえもなかった。
「ハッ、やろうってのか?できねぇ、できねぇよな!?こんな小娘一人に現を抜かしてるようじゃてめえもド三流だなァッ!!」
 だがその態度が癪に障ったのか、バナンはレフィルを掴んだまま、倒れ伏したままのホレスへと近づいてその体を思い切り蹴りつけた。構える真似ごとさえも許されぬ無防備な中で否応なく受けることとなった痛烈な一撃に、流石の彼も苦悶の表情を禁じ得ずにのたうち回る。
「ホレス!」
「てめぇもおねんねしてな!」
 耐え難い痛手に苦しむホレスを見て思わず飛び出さんとしたムーもまた、あしらうような拳の一撃を鳩尾に受けて牢獄の床に仰向けに倒れ、内側まで伝わる衝撃に幾度も咳き込んだ。
「雑魚共が粋がった所で所詮はこの程度なんだよ!!とっととくたばりやがれ!!」
 最初に隙を見せた時から既に勝負は決していた。揺るぎない敵意を見せながらも、人質一人取られた程度で結局一矢報いることさえできずにあっさりと地に伏すことになった。
 番兵を振り切ってまで牢獄に足を踏み入れたにも関わらず、倒されている兵士達と同様に下らぬ戦いしかできない。そんな愚かな闖入者達へと嘲笑を浴びせながら、バナンは止めを刺さんと二人の下へと歩み寄った。

「……ゆるさ……ない。」

 敗者を踏み抜かんと足を上げんとしたその時、左手に締め上げていた少女が声を引き絞っているのが聞こえた。
「っ!?」
 同時に、首にかけられた手を振りほどかんとするように、レフィルの手がバナンの腕にかけられた。
「あ……!?どっからそんな力が……」
 真っ先に捕まり意識を失わせる程に強く締めて死にさえ瀕していたはずの、それも小娘が持てる力など高が知れている。だが……

「……うげっ!?」

 その不可解な様に捉われたその時、首を絞める手を強引に振りほどかれていた。そのまま背負われるようにして投げ飛ばされ、自分がラダトーム兵達にしてきたように思い切り壁に叩きつけられた。

「レ、レフィル!」
「!!!」

 ほんの一瞬の間に繰り広げられた出来事を前に、ホレスとムーはただ絶句する他なかった。