生き還りし者 第二話



 行き交う人々の顔に見える笑顔。対岸に大魔王の城が聳える重苦しさも感じさせない程に、城下町は活気に満ちていた。長い間闇に呑まれてしまう中で多くの者達が打ちひしがれた傷跡が見えるものの、ラルス王の手腕によるものか今では突如として訪れた絶望を乗り越えて生きようとする人々の姿が見える。

「如何ですかな、このラダトームの城下町は。」
「ああ、悪くない町だな。じいさん。」

 この暗い中にあって尚、人々は己の役割を果たして街の安寧へと尽くしている。マイラの村から始まって、リムルダール、メルキド、そしてドムドーラをも巡ってきたホレスから見ても、ラダトームの持つ雰囲気はいずれのそれよりも人々に好ましいものに思えた。
 その影で歪んだ陰謀に囚われている者がいるなどと感じさせない程に。
「ふむ、もう若いつもりはないが……」
「メルキドでも別の吟遊詩人に会った。あいつもガライ、と名乗っていたからな。」
「ほう。あの子に会ったのか。」
 名前で呼びかけぬことに疑問を投げかけると、ホレスはガライにとって懐かしい者のことを告げていた。
 メルキドに向かう折りに出会った優男もまたガライと名乗っていた。丁寧で礼儀正しい裏に漂う飄々とした雰囲気も、名前と血と共に継がれているかのようでもあった。
「その人、ガライさんの……」
「孫?」
 ガライの一族と聞いて、レフィル達は旅立ち前に会った彼の家族のことを思い出していた。ガライの他にも、闇の世界へと足を踏み入れている一族の者がいる。それが彼のもう一人の孫であった。
「ふぇふぇふぇ、元気にしておったようじゃな。これならばいつ死んでも安泰じゃわい。」
「ええっ!?」
「なに、安心しておるだけですよ。わしら吟遊詩人の担う役割がこの闇の世界でも廃れずにあるという事に。」
「は、はぁ……。」
 戯言に振り回されるレフィルを微笑ましく思いながら、ガライは自分の名を継ぐ孫の成長と健勝ぶりを感じていた。元より危険な旅を続ける吟遊詩人の定めも、闇の世界の中にあっては本来のそれさえも霞む程の脅威ですらあった。だが、若き日の自分の抱えてきた苦難を超えうるものと向き合う中で、今も生き続けている。
 家族として純粋に安心すると同時に、この闇の世界の中で逞しく育ったことへの喜びが染み渡る。

「……何だか騒がしいな。」
「あの先から……」

 ガライの案内の下、冒険者や傭兵の間で贔屓にされている武具店や今尚残る名物と謳われる飲食店、そして歌として残る歴史の傷跡を巡る中で、一行は一際大きな喧噪へと辿りついた。
「ああ、あれは傭兵の方々が集まる酒場街じゃな。」
 兵士のものとは違う見慣れぬ鎧を身に纏い、各々の武器を携えた戦士達が軒先の内外問わずに語らっている。より強い魔物を仕留めたこと、他の街より訪れる商人について守り抜いたこと、はたまた大切な友を失って嘆きにくれる者。そうして様々な言葉が行き交っている。
 ここはこの世界に訪れた厄に立ち向かうことを生業とする者達の集いの場であり、安らぎの場でもあった。
「かなりのやり手がいるようだな。」
「勇者を目指して日々精進している強者達もおります。或いはあなた方にも勝るとも劣らない実力者でしょう。」
「アレフガルドだからこそ、こんな戦士達がいるのか。」
 闇に閉ざされてから二十余年、多くの者達がその中で弱り行く中でその逆境を超えて更なる力を得て生き抜いてきた強者も少なくない。ここに集まる者達の力量も、一目見ればその片鱗をすぐに察することができる程のものだった。
 道を極めた達人と遜色ない程の力を持ち、人々の間で噂されている者達もまた、ここを訪れているようだ。
「ですが、これだけの力があったとて、大魔王の下に辿りつくことすらできない。彼らは道を開く術を持たぬのですから。」
「だが、このアレフガルドの王都はこいつらの手によって守られているようだな。」
「うむ。それは我らのように旅の中で己を守ることよりも難しいことかもしれぬ。」
 今や闇の深部と化した魔の島へ生身の人間が正面から渡ろうする無謀を行わんとして還らぬ者の言葉も囁かれていた。だが、凶暴化した魔物や人々を絶望に落とす闇の手の者にも遅れを取らぬ実力者が集いながら、未だ闇が晴れる気配はない。
 それでも、彼らの語る言葉の一つ一つから、如何に闇のもたらしたものへと向き合っているかが窺える。彼らの働きあってこその今のラダトームの平穏がある。それを臆病と蔑むことなどできようか。
「でも、閉じこもってるだけじゃ何も変わらない。」
「然様です。なればこそ、彼らがこの平和を支えてくれている間に、我らが皆の期待に応えなければならないのです。」
 大魔王ゾーマに挑まんとする者達の活躍が訃報と、或いは噂と消える中で、ラダトーム王より太陽の石を授かり、雨雲の杖を携えるレフィルのことが語り草となり始めていた。異世界より現れて、アレフガルドの魔物にも引けを取らぬ力で自分達とは異なる道へと進んで行く。
「皆の期待……」
 これまで倒れた数多くの挑戦者達の後に現れた新たな勇者としての噂など、一体何時広まったのか。かつて背負わされることになった勇者という耐えられぬ重みを思い出すようで、レフィルは内に何かがくすぶるような釈然としないものを感じていた。
 勅命でなくとも王が下した言葉は、誰の耳にも容易く程の響きがあるということか。何より、既にこの世界で名声を高めているオルテガの子であるという事実も既に広まりつつある。何処に行ったとしても、人々が抱く望みが逃れることのできない程のものになりつつあるのは否めなかった。
「関係ない。私はレフィルのためにただ前に進むだけ。」
「ムー……。」
 だが、そのような他者のかける期待など、何ら意味をなさないものに過ぎない。ガライへと返されたムーの言葉は、レフィルに更なる重苦を与えんとすることを好ましく思わぬように感じられる。
「そうだな。お前が気にすること何かじゃないさ。奴らがどう思おうが、俺達には関わりのないことさ。」
「……ありがとう、ホレス、ムー。」
 バラモスとの戦いの果てに世界の破滅の脅威を一度終えた時より、レフィルの勇者としての役割は既に終わりを告げているはずだった。そして、今度の旅はオルテガの娘だからと送り出されることとなったあの時とは異なり、今度は自らの意思でゾーマを止めることを選んだ。どこの誰とも知れぬ輩の背負えぬ期待を担う必要などどこにもない。
 かつて根強く刻まれた勇者としての使命に未だに捉われている節のあるレフィルを、二人の友は心から心配していた。彼女は闇の世界へと行かんとする覚悟を共に背負ってくれる仲間の存在に感謝すると共に、その思いに報いることのできぬままの後ろめたさも憶えていた。
「とりあえず、今はあいつに会いに行くのが先だろう?」
「ええ……。」
「…………。」
 歩み続ける中でいつしか酒場街も終端へと差しかかる。その先に目指すべき場所がある。
 ホレスとの再会と共に知らされることとなったレフィルもよく知る男。今一度会いまみえたいと急く気持ちと、その影に何故か進みたくないという重い気持ちとがせめぎ合っている。ムーもまた、美味なるものの気配が漂う中にあってもそれを満足に堪能している様子ではない。
 別の意味で足取りを重くする二人へこれ以上何も告げることもなく、ホレスはガライの案内に続いて静かに歩を進めていた。

「ところで聞いたかよ?」

 側の酒場の店中で語る冒険者が、仲間に注意を向けるように話を切り出す。
「東の方の魔物共の黒コゲ死体が幾つも見つかったんだとよ。随分とド派手にやってるねぇ。」
 人伝に聞いた話によれば、東に位置するマイラへ続く森の中を旅する者が雷鳴の轟きを聞きつけ、その先に駆けつけたら半ば消し炭と化した魔物の亡骸があったという。
 興奮気味に語る男の言葉に心当たりのない者は驚きと共にただただ耳を傾けて、一度でも噂に聞いた者は共感の意を示す。今勇者として語られている少女が向かった先はこのラダトームから南に位置するドムドーラの街と聞き及んでいるが、雨雲の杖を入手したという報せの他は何も聞かされていない。
「ああ、もう一人いたじゃないか。もしかしたら……」
 その話に繋がり得るものを見い出した者達が一つの結論を口ずさむ。
「勇者……」
 魔物同士での喰らい合いだけで到底起こりえるものではなく、まして並みの呪文で出来る芸当でもない。闇の世界にも道を極めた者は数いれど、これだけの力を有するのは勇者と呼ばれる者達の他に類を見ない。
 多くが大魔王ゾーマに挑んで散って行った中で、彼女の他に勇者が生き残っていたというのか。深まるにつれて、疑問よりも希望が膨れ上がるかのように皆の会話が弾み始めていた。

「…………。」

 既に闇の世界においてこれ以上術もなく、救世主の存在を待ち侘びたかのような人々の歓喜の感情が少しずつ表れ始めている。
 酒場街を後にする中で、ホレスは人々の語る言葉を遠くに聞いていた。



 苔生した石壁と天井。外を隔てる鉄格子越しに見えるのは灯もない暗い回廊しかない。
 そして後ろに空けられた小さな窓を見上げても星一つない夜空が見えるだけで、ここに満ちた暗闇と何ら変わりはない。そんな皮肉も何の慰めにならぬ程に厳重に閉鎖された牢獄の中で、一体どれ程の時が経ったことだろうか。

 静けさを保っていた空間の奥から靴音が韻を刻むようにつつしまやかに鳴り響き、回廊の内に何度も静かに反響していた。それが聞こえてくる先から、蝋燭の炎の橙色の光が見え始める。程なくして、給仕らしき出で立ちの少女が籠と燭台を携えて牢の前へと現れていた。

「お食事をお持ちしました。」

 淡々と仕事をこなす姿勢を示すかのように表情に乏しい様子で、彼女は籠の内から一つの袋を鉄格子の隙間より差し入れていた。
「お、もうそんな時間か……。」
 その声に応えるようにぼそりと気だるそうに野太い声色で呟きつつ、牢の奥で横たわっている影がゆらりと起き上がる。
「……いつも、すまねえな。ミレーヌの嬢ちゃん。」
 ゆっくりと体を起こしながら、男は少女へと感謝の言葉を告げ、運ばれてきた食糧へと手を伸ばした。
「お陰様で、俺も随分と生き返ってきたみてえだぜ。」
「……。」
 暗がりの中で姿は明確には見えないが、鍛え抜かれて隆々とした巨漢の体がうっすらと見える。だが、その随所に広がっている火傷の跡と、まだ真新しい責め苦の跡が痛々しく残り、長い幽閉生活の中で逞しい肉体がどこか小さく縮んでしまったような儚ささえも感じさせる。
「……タ様、あなたはどうして何も言わぬままに……」
「幾らこっちに非が無くたって、先生に迷惑はかけられねえよ。それが俺の漢を廃らせるとしてもな。」
「…………。」
 表情にこそ大きく現すことがなくとも、仕事としてだけ徹しきれずに給仕の少女が思わず尋ねたこと。それは理不尽を許すような眼前の状況そのものについてだった。
 自らの大切な者のためならば、己の信念を曲げてまで牢に閉ざされることも厭わない。そう語る男の度量の広さを、長らく世話人を務めてきた少女は良く知っていた。そして彼がこの世界で生業としてきたことも。
「折角返そうとした恩が逆に仇となるなんざ、正直ツイてなかったなぁ。けどよ、俺が打った剣が例え偽物でも、神サマが寄越した聖剣と呼ばれた時はビックリしたもんだぜ。先生も喜んでたぐらいだからよ。」
 師と共に喜びあえる程の無二の剣であり、常識を覆す程の強さを持った代物。それはまさに会心の出来だった。だが、あまりの強さを持たせてしまったが故に、その力を奢った男の手によって偽りの銘を与えられることになった。
「確かに俺の剣は一人の剣士をバケモノとの戦いに誘って死なせちまった。」
 最後にはその男の手から、間抜けとも純真とも言える心から勇者を目指す者の手へと渡った。しかし、武器の力だけではアレフガルドの魔物達を相手取るにはあまりに力不足だった。やがて彼はゾーマに仕える闇の手の者にかかって死んだ。
 そして、勇者と呼ばれた少年の死の尊厳の問題へと発展し、その矛先は既に失われたはずの王者の剣へと向けられた。結果、偽りの聖剣を作った咎を責められ、ラダトーム王都へと連行されることになってしまった。
「けどよ、それでも奴らに折られるまでは無事に帰ってきたんだ。その上、アレを折ろうとした時の奴らのあの必死さと来たらねぇ。それだけ滅茶苦茶頑丈に鍛えられたって事なんだからよ。」
 彼が携えていたその剣には刃毀れ一つなく戻ってきたが、その刃は勇者の死を盾に取った輩によって、嗜虐的と言っても過言ではない程に徹底的に打ちのめされた。だが、刃を潰さんと鎚で思い切り叩いても、火にかけても、更には毒に漬けても、一向に砕ける気配を見せなかった。

「俺の、”最後の剣”がな。」

 この身に受けた責め苦よりも遥かに苛烈な仕打ちに耐え続けること七日間。ついに半ばから砕け散り、辺境の剣の墓へと打ち捨てられることとなった。それでも、己の誇りを懸けて作り上げた剣の強さは紛れもないものであると確信に至る結果となった。
 悔いの残らぬ最高傑作に刻んだ”最後の剣”の銘は、投獄された今も誇りを支えるものとなっていた。
――最後の剣……。それが今は……
 魔の者にも十分に通用する威力を有する業物。それがあのような形で再びラダトームへ戻ってくるとは如何なる皮肉だろうか。

「やはりあなたに非はないはず。なのにどうして……」

 王の側に仕える侍女として、剣とその製作者たる男の双方を間近に見る機会を得たからこそ、今続いているこの状況にどうしても納得することができない。その思いを零すように静かに吐露する言葉は、今は誰の耳にも届くことはなかった。