偽りの調和 第五話
踏みにじられた木々と大地に残る数々の巨大な窪み。それらは人ならざる巨大な存在が激しく争ったことを示す証として刻まれている。
そうして蹂躙されつくした中に、砕かれた土塊と拉げた蒼い鋼の破片が無惨に散らばっている。
「相討ちか……。」
激闘の末に互いを砕き合い、無機質なる亡骸と化した二つの巨大な影。それらを思う所があるように見上げる老人がいた。心臓にあたる部分を巨大な剣で貫かれて膝を屈している城塞の巨人――ゴーレムの主、ソリアだった。
「末恐ろしいものよ。よもやこれ程までの兵器が幾つも作られる時代があろうとはな…。」
ゴーレムと対峙するようにして静かに佇んでいるもう一つの影もまた、既に各部を原形をとどめぬ程に打ち砕かれ、不気味なまでの静けさの中で倒れていた。
破壊兵器――キラーマシン。魔術ならざる力によって自律を得て、これまでもひたすらに標的を抹殺し続けてきたのだろう。構成していた一つ一つの作られ方に無駄がないことが、同一の存在を容易く生み出せる程の確立された製法の存在を示唆しているように、ソリアに思わしめる。
「だが、最後に礼を言うぞ。老い先短いわしなどにこのようなものを見せてくれたことをな。」
敵としてではあるもののあの若者と出会わなければ、遥かな未来に作られたであろう産物を目にすることも叶わなかった。死期こそ悟らずとも既に老齢である自分に見果てぬ夢への一つの答えを示してくれた彼に対して、ソリアは感謝の念さえも抱いていた。
「わしも、負けてはおれぬものだ。」
そして、見せつけられた未来の産物の魅力を前に感化されたことで、彼自身の意欲もまた燃え上がるように蘇り始めていた。
焦熱の内に焦がされた道を覆う深き森。煉獄の裁きの如き業火によって、騎士達を亡骸さえも残さずに消し飛ばしたはずの中で、鬱蒼とした木々がざわめきを奏でている。
巨大な足跡や焦げ跡などの竜が存在していた痕跡が数多く残る中で、荒れ果てることなく在り続ける樹林は一見自然に見えようとも、僅かに一考するだけでも不思議なものと容易く気づくものだった。
「面白くない。」
傷一つなく焼け果てた道を軽快に駆けながら、ムーは上を見上げながらぽつりとそう一言零す。
「そう言うな。お前のその力が無ければ、ああして目にする事もなかったんだからな。」
人形のような面持ちから彼女の不満を垣間見て肩を竦めながら、ホレスはすぐにそう返していた。
ゴーレムに太刀打ちするために呼び出そうと彼自身も幾度も試みて、結局果たせずにいたキラーマシンの召喚。それを成したのは、ムーのパルプンテの力にあった。だが、それでもその門を開いたのはホレスであり、キラーマシンを御したのも彼自身の技量によるものだった。
「だったらこれからももっと面白いものを見せて。これで終わりじゃつまらない。」
「こいつも一度限りの手品でしかない。さて、どうなることだかな。」
パルプンテという強大な力こそ手に入れずとも、大きな力を自在に操る術を一体どこで得たというのか。テドンに向かい始めた時より見せ始めた呪文や魔法の才の片鱗が、今こうして別の形で開花している。異世界の中で積み重ねてきた強大な経験が、魔法使いである自分のものさえ凌ぎうるものであると、ムーは素直に感じていた。
自分の知らぬものを前に膨れ上がるムーの好奇心を察しつつも、その期待の矛先が分からずにホレスはただ嘆息していた。小手先の技術で上回った所で、所詮は本職の者の技を上回ることはない。それこそ、常人であれば自滅さえしかねない大呪文を自在に操れる魔法使いであれば……
「これは……」
不意に、道の先から何か不穏な雰囲気が漂い始めた。
「まさか……」
常闇の世界にあって尚、空間が更に暗さを帯びていく。光を根こそぎ呑み込んでいくかの如く、凍てつくような悪寒が二人の間に走る。
「この気配――闇の衣か!!」
「!」
その感覚から、何が呼び起されたのかをホレスはすぐに認識していた。忌むべきものが再び現出したことへの苛立ちの赴くままに飛び出すように駆け抜けて、闇の奥底へと消えていく。
「やめて!!」
それを追わんとした直前、剣戟が一瞬鳴り響くと共に前方からレフィルの悲痛な叫びが聞こえてきた。
「レフィル!!」
騎士達が纏っていたそれとは次元を異にする程の強大な闇の衣。その力に圧倒されただけに留まらず、彼女の心の底からの悲しみが伝わってくる。
レフィルが追い詰められたことを察しながらも、ムーにはこれ以上何もできなかった。
渾身の一撃と共に繰り出された聖銀の槍は、確かな手ごたえと共に竜鱗を穿って、その奥に守られた心臓をも貫いていたはずだった。
「……!」
だが、穂先が鎧を突き貫く刹那、槍に纏わりついた闇を退けるように、光の幕がレフィルの前に現れた。波打つように揺らめくそれによって、ビロドの槍は狙いを大きく逸れて、その先にあった大樹を粉々に打ち砕いていた。
「……な、なんだよ…コレは……!」
砕かれた木片と葉が舞い散る中で、ビロドは再び相手に向き直りながらもその目を信じられずにいた。
自分の技を返しうるものの存在は十分によく知っていた。だが……
「これは……女王様の…。」
隙間の一つもないはずのドラゴンメイルの内側から、木漏れ日の如く柔らかで暖かな光が染み出している。その中心は、レフィルの胸元にあった。
思わずそこを改めてみると、竜の女王より託された宝珠――光の玉がいつの間にか彼女を守るようにして佇んでいた。
「光のドレス、なの?」
闇に覆われた聖なる槍を受け流した幕の雰囲気には憶えがあった。レフィルに降りかかる厄を払いのけるべくして与えられた守護の力――光のドレス。今はあらゆる闇を受け流す光のカーテンの如く、彼女の周りを覆い尽くしていた。
「どうしてお前がそんなものを…!それはあの方のものなんだよ!」
「!」
苛立ちを募らせるばかりで愕然としたまま驚き留まっていたビロドが、不意に激情を吐き出す。その怒りの矛先は、光の玉を携えるレフィルへと向けられていた。
「え!?ま、まさか、あなた、竜の女王様を……!?」
「そいつは聖魔を分かつためにあの方が作り出した伝説の秘宝!!僕達の世界を滅ぼしたお前達が持ってていいものじゃない!!お前達の世界の住人なんか、この闇の中で朽ち果ててしまえばいいんだ!!」
自分に対する殺気を向けつつも、あくまで冷淡としていた彼が突然見せた剣幕を前に、レフィルは思わず後じさっていた。あの方――それはこの光の玉を託した竜の女王のことを指しているとでもいうのか。
――……違う!この人達は、まさか……!?
レフィル自身も光の玉の持つ本当の意味合いなど知る由もなかった。だが、竜の女王と接してきた僅かな間の中で、彼女がそのようなもの望んでいるわけがないと即座に否定することができた。
或いは滅びた異世界というのは、自分達のそれとよく似たものであるのかもしれない。そして彼らもまた、元は……
「黙れ。」
追い立てられる中でレフィルが一つの結論を得ようとしたその瞬間、怒りに任せて捲し立てつつ幾度も槍を振り回し続けるビロドの前に誰かが立ちはだかった。
「お前は!!」
突き出された槍は、金色の不死鳥の紋章が描かれた蒼い盾に阻まれている。それを操る者――自分達の世界を破滅に導いた憎むべき敵の姿を認め、ビロドは更に怒りを増長させた。
「貴様の世界の理がどうだか知らないが、そんな下らん思想で滅ぼされてはたまったものじゃない。滅びを招いたそもそものきっかけは貴様らのそんな悪意だろうが。」
持たざる者、全てを失った者の嘆きも、それを他にも味合わせんとする権利とはなりえない。
勇者の盾で聖槍を払いのけつつ右手に取ったクロスボウから矢を射かけて牽制しながら、ホレスはビロドの言葉を真っ向から否定していた。
「俺だけじゃない。こいつを傷つけた落し前も、きっちりと付けさせてもらおうか。」
「…こ、このぉおおおおおっ!!」
怒りに任せるあまりビロド自身も気づかぬ僅かな隙が生じている。それを明確に見抜いて矢を射かけ、時には影断ちの大刀を以って大きく切り裂いても、闇の衣自体の強さが減殺していく。それでもビロドはホレスに傷一つつけることも叶わず、苛立ちは募るばかりで更に憤怒を増長させるだけだった。
ホレス自身も、自らを貶められたことよりも、友を手にかけんとしたことへの憤りを憶えていた。それを果たせることに一片の愉悦さえ感じぬ憮然とした様子で、彼は己が敵に向き合っていた。
「お前のような輩に打ち捨てられた者が宿していた可能性、今試してみるか?」
拮抗とも優勢とも言えぬ膠着した戦いの中で、ホレスは不意に一つの剣を引き抜きながらそう言い放っていた。
「その剣は!?」
半ばから折られた刀身は酷く痛みつけられていたが、傷の隙間から覗かせる部位から見える鋼鉄の眩さとは程遠い鈍い光沢がかつては名さえ残すであろう名剣であることを示している。
「受け取れ!」
「!」
剣も盾も弾かれて丸腰にも等しい状態のレフィルに呼びかけると共に、ホレスはその折れた剣を投げ放ちつつ変化の杖を振るった。
「凄い、この剣は……!」
剣がレフィルの手に収まったその瞬間、砕かれた刃が変化の杖の力を纏って、往年の姿を再現するように形を変えていく。僅かに残った鋼鉄の部分が傷つけられた刃を覆いながら広がっていき、最後にはレフィルの身の丈にあった一振りの剣へと変じていた。
剣を振るう者が誰であれ、その身を守らんと言う作り手の思いが込められていると感じさせる程に、見事な出来の剣であった。これがホレスが語ったこの剣の本質、新鋭の刀匠が作り上げた伝説にも届く名剣のかつての姿だった。
「そんななまくらで何をするつもりだ!!馬鹿にするなああああああ!!!」
先程まで折れて使いものにならないガラクタに過ぎず、今も何の変哲のない剣でしかない。そのようなものを以って、闇の衣を纏った自分をどうしようというのか。
愚弄としか思えず、ビロドはいきり立ってレフィルへと躍りかかり、喉元目掛けて槍を繰り出した。
「もうやめましょう。こんなこと……」
魅入るように剣を眺める中で襲い掛かってくるビロドの怒り狂った様子を見て、レフィルは心底の空しさを感じていた。劣悪なものを全て斬り捨て続けてきたものの傲慢――それが極まって、彼や姉のような妖精にも似た楽園の住人と信じて疑わせずにいる。その結果、ホレスが訪れた時のように重苦に苦しみ続ける者の叫びを聞くこともなく、何が起こったか分からぬままに滅びを迎え、そのままゾーマの下に流れ着くこととなってしまった。
純然たる敵意を向けてくる相手であるにも関わらず、先程まで抱いていた侮蔑の念は既になく、レフィルはただ哀れみだけをその瞳に映していた。
その想いを乗せるかの如く、レフィルは現出した名剣を左手で取り、交錯と共に一閃した。
「!!?」
風を斬るかの如く軽く一振りされたはずが、剣は白銀の聖槍を真っ二つに断じ、そのままビロドの体をも切り裂いていた。そして、それらを覆っていたはずの闇の衣をも、剣閃の軌道を中心に霧散させていた。
役目を終えた剣は、変化の杖の加護を失ってまた元の折れた姿へと還っていた。
「よくも……!」
怒りに任せて立ち上がろうとするも、レフィルの斬撃によって負った傷は先の吹雪の剣の時の比ではなく、力の源となっていた闇の衣までもが消え失せた今、既にビロドには再起する力など残されていなかった。
「それが当然の代償だろうが。下らない秩序を守るために人を追い立てて、挙句の果てに命を付け狙ったバカ共の辿る運命を知れ。」
「貴様……!」
確かに自分が彼らの滅びのきっかけとなったのかもしれない。だが、ホレス自身の目的を果たすためには降りかかる火の粉を払わねばならず、過ぎゆく世界の行く末になど知ったことではなかった。その最中に突如として異端として吊るし上げられて、巻き込まれた禍根から抜け出る最中に戦いを交えることとなっただけに過ぎない。
立つ力さえ失って尚も怨恨に囚われるままに睨みつけてくるビロドが手向かう意義を、ホレス真っ向から否定していた。
「もう、やめて。あなたまで、怒りに駆られることはない。こんなことは……」
「レフィル……」
引導を渡そうと影断ちの大刀を手にビロドへと迫るホレスの手を取りながら、レフィルは首を横に振っていた。
常よりも感情が先んじているからか、饒舌に剥き出しの嫌悪感を露呈している様に、悲しさを覚えずにはいられない。
「そうだな。俺としたことが、随分と熱くなっちまったようだ。」
不安な表情を露わにしているレフィルとその言葉に、ホレスは自らも知らぬ内に要らぬ激情に捉われていたことに気がついた。如何に理不尽に仇敵とつけ狙う者であれ、感情のままに刃を振るっていては下らぬ存在になり下がるだけである。
「まあ、今更慈悲を以って接した所で悪戯に危険を増やすだけだ。ならば、この場で禍根を断つとしようか。」
「……。」
レフィル達をも傷つけた代償は既に偽りの聖騎士団の壊滅という形で決着を見ている。それ以上憎しみに捉われては愚かなことでしかない。
それを解しつつも、ホレスは手にした刃を止めることはなかった。
「お前が何を考えているかは分からない。だが、全てを受け止めようとすれば、お前もただじゃ済まない。それだけは、心に置いてくれ。」
「ホレス?」
この場を見逃してしまえば彼らは何度でも仇なしてくるだろう。そうなれば再び仲間にも要らぬ危険が降りかかることとなる。レフィルの抱く哀れみも知ってはいたが、それだけで見逃す理由にはならない。それ以上のことを思い悩んでいようとも、ホレスが彼女の意を汲むのも限界があった。
何より、彼女が本来持ち得る優しさが、再び心の闇の源泉となる可能性もある。何も言えずに旅立ちを選ばされたあの時より抱え続けた苦悩のように。
「しかし、少しばかり遅かったらしいな……。」
既に動けぬビロドへとシャドーブレイクの刃を突きつけんとしたその時、不意にホレスは軽く後悔したように肩を竦めながらそう言い放っていた。
「え?……っ!?」
その言葉を怪訝に思うのも束の間、レフィルはホレスの手によって思い切り突き飛ばされていた。
「ホレス!!」
危うく思い切り地面に叩きつけられそうになる程にバランスを崩して体勢を整えた矢先に見えたのは、ホレス目掛けて落ちる巨大な火球だった。
――これは……メラゾーマ!?
程なくして地に衝突して、側に倒れるビロドをも巻き込んで激しく燃え上がる火柱と化す。だが、その術者たる者の気配はどこにも感じられない。
「こちらにおいででしたか。」
「……え!?」
あまりに唐突な幕切れに混乱している所に、不意に背後から丁寧に呼び掛ける声が聞こえてきた。
「あ、あなたは……!?」
「お初にお目にかかります。私はバロン、大魔王ゾーマ様に仕えし者です。」
焦燥と共に取り落とした吹雪の剣を拾い上げながら振り返りつつ思わず身構えるレフィルに、その者は至極落ち着いた様子で名乗りを上げていた。
「ゾーマの……?一体何を……」
「彼は貴女にとって不要な存在です。ゾーマ様が求める貴女は、今のままでいる限りは決して現れることはないでしょう。」
「ゾーマが求める…わたし?」
いつしか炎を背に、蒼い外套を纏った騎士が真紅の双眸を以ってレフィルを見下ろしていた。ゾーマに仕えし人ならざる将の一人・バロン。丁寧な口調に違わぬ気品を以って接する裏には、レフィルに対するゾーマの思惑がある様子だった。
「ふん、やはりまた出やがったか。しつこい奴め。」
それがために排するべき者が、今しがた投じられた業火の中から再び現れていた。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。やはりこの程度では燃え尽きないようですね。」
切れぬ縁に対して嫌悪感を露わにするホレスに対して、バロンもまたすぐさま言葉を返していた。レフィルをゾーマの下に望む形で導くのを妨げる、不死じみた強さを持つ冒険者。彼ら自身が望まずも、守護者の如く立ちはだかる彼の存在をバロンは許せずにいた。
「ホレス!」
何より、呪文に対しての鉄壁の守りが実に厄介極まりない。だが、それを初めて目の当たりにしたレフィルは驚きを隠せぬまま彼の下へと駆け寄っていた。メラゾーマの業火の中にあって一体どのようにして防いだのか、火傷どころか装備にも焦げ跡の一つも残っていない。
「しかし、どうやら今度は俺には用はないようだな。バラモスブロス。」
「バラモス!?」
油断なく身構える中でホレスの口から出た言葉に、レフィルは瞠目した。バラモスの縁の者を意味する名であることはすぐに察することができるが、それがゾーマの軍門に下っていることに驚きを隠せない。
そう認識すると共に、改めて眼前の敵の持つ威圧感に、バラモスのそれと酷似したものを感じ取れる。一度殺気を纏えば、あの時刃を交えたバラモスにさえ匹敵しうるだろうか。
「分を弁えて尚も私の前に立ち塞がるのですか。その蛮勇は評価に値しますが、愚かと言えばそれまででしょうね。」
「俺だけじゃない。」
今それを成していないということは、別の役割を果たすためにここに姿を現したことを意味しているのだろう。
「ほう、大いなる力の奏者・蛇竜の魔女ですか…。」
「レフィルに手を出さないで。」
「早速嫌われたものですね。」
その目的が如何なるものかは知らないが、やがてレフィルの脅威となるであろう相手に対して、明確に敵対したホレスのみならず、ムーもまた一目見て警戒を緩めずにはいられなかった。
「ですが、今は機は熟していない。貴女達には重要な役割を担っていただくことになるでしょう。ええ、今はあなたを倒すつもりはありませんよ。その盾は今暫く預けておきましょう。」
そんな彼らを気にした様子もなく、バロンは悠然と背を向けつつメラゾーマによって焼き尽くした場へと足を運んでいた。そこに先程まで存在していたはずの聖騎士ビロドは、業火の内で灰燼と帰している。
その亡骸があるはずだった所から、冷たさを帯びた青白い炎が灯り、人の姿形を成していく。程なくして、森のどこからか、同じような炎がバロンの前へとあらわれる。
『バロン……。』
「カーネリア、ビロド。あなた達の持つ全て、確かに見届けさせていただきました。ですが、残念ながらこれで終わりのようですね。」
揺らめく炎が転じたのは、先程まで刃を交えることとなった滅びた異世界の姉弟、カーネリアとビロドの姿だった。
――これって……
今しがたホレスに向けて投じられたメラゾーマによって消滅したはずの聖騎士の姿。その魂とでも言うべき存在なのか、既に実体は存在していない。
『ほほほ、お前に連れられてここまで来たと言うのに、結局は無駄骨だったというわけね。』
『そのようだね。全く、あいつは僕らの世界を散々荒らして回った悪魔だというのに。』
敵として戦ってきた者達の魂が、口々に怨嗟の声を告げるのを、バロンはただ黙って聞き届けていた。
『本当なら、僕達がこの手で串刺しにしてやりたかったけど、こうなってしまったらしょうがないね。』
「何とでも言っていろ。所詮はお前らが招いた結果に過ぎない。俺はただ、抑圧された者達の嘆きの声を聞き届けただけの話だ。」
肉体を失って尚も、呪詛の言葉を投げつけ続けるビロドの妄執に眉を顰めることさえなく、ホレスはただ冷徹に言葉を返していた。
『そうするしかなかったと言いたいの?まぁ、何と言い訳染みた言葉かしら。』
「言い訳をしているのは貴様らの方だ。馬鹿げた秩序一つ守るために門を自ら閉ざす。そんなことでは森に逃れた傲慢なエルフ共となんら変わりはない。」
『あの崇高なエルフと例えてくれるなんて光栄だね、ドブネズミ君。この場で裁きを下すことは叶わなかったけれど、どの道お前は滅びへの道を歩いていく。どうせ己を省みることをするつもりもないんだろう?』
「これ以上何を言っても無駄のようだな。だが、それもまた貴様らが敷いた道だ。そんな滅びの運命になど呑み込まれようとも、俺がこの手でその先に続く道を切り開いてやるだけだ。」
遥かなる旅の中で、元より他者を害する意図もなく、ただ過ぎゆく道を振り返る程の暇さえなかった。それを“悪魔”などと下らぬ言葉で断じて、本質も見ようとせずに執拗に追い続ける者にかける情けはない。
「だから二度と現れてくれるな。滅びた異世界の亡霊どもが。」
ここで滅ぼしたとて、次元さえ超えて理不尽命を狙わんとしている輩から逃れることは難しい。だが、それを省みることもただ悪戯に憤りを増すことにしかつながらない。
亡者と化した異世界の敵達が二度と自分の前に立ち塞がらぬことを願いながら、ホレスは彼らから踵を返した。
振り返りながら投じられた二つの聖水の瓶が炎に当たると同時に割れて、共に消え去った。
「……バロン。あんた、俺に言うべきことがあるだろう。」
追跡者の気配が消えたことを感じて嘆息すると共に、ホレスは新たに現れた大魔王に仕えし者へと向き直った。
「そうですね。あなた方を排することにこのような下劣な手段を用いたことはお詫びしておきましょう。」
「あんたはあんな奴らの力に頼らずとも、他にもやりようなどいくらでもあったはずだ。何故あのような暴挙に出た。」
直接は一度刃を交えただけの接点しかないが、それでもその冷静な戦い振りや、メルキドの内部にまで配下を導く程の手腕も含めて、このような下策が自分に通じぬことなど容易く見抜けるはずだった。
憎悪に揺るがされることなどなく、寧ろそれを承知の上で仕掛けたことに対して、ホレスは憤りを垣間見せていた。
「我が主ゾーマ様でも、忌むべき神でもない、更に下らぬ存在が引き起こした災禍です。それは我らの目指す闇の世界とも、あなた方が望む平穏とも反目し合うものだった。」
「更なる存在?」
「更に下らぬ存在……またか。それをたまたまゾーマが拾い上げただけの話ということか。」
異なる空間同士を繋げる力を持つ旅の扉。それに準ずるものが異世界にまで繋がるとあれば、世界を席巻している大魔王ゾーマとは異なる大いなる力があることも頷ける。まして、ホレスにはその渦中に投じられる前に既に告げられた憶えがあった。
「理解が早くて助かります。闇の扉よりこの世界に至ったあなたならば知っていても不思議ではなかったですね。」
幸か不幸か、歪みに満ちた旅路に触れずにいるレフィルとムーが首を傾げるそばで、ホレスとバロンは互いに言葉を交わしていた。
「彼らが現れたことによる歪みを広げぬためには、この世界で役割を演じさせる必要があった。ただそれだけのことです。」
「やはりそいつの仕業だったと言うことか。」
「あなたもまた、彼の者に見い出された存在。今の戦いを引き起こした歪みの一端を担っていたのですよ。最も、もはやそれも全て終わったこととなりましたが。
元よりこの世界の者でさえない者、それも滅ぼされたはずの魂が干渉しようとしていた。無秩序なままに振る舞わせておけば、彼らが歪みを呼び起すであろうことをバロンは既に見抜いていた。ならば大魔王の手勢の内に引き込むことにより役割を与えて監視下に置く。それがバロン自身が描いた策だった。
ビロドとカーネリアと関わりを持ってしまったが故にホレスが背負うこととなった業。それを掻き消すにはバロンがついた勇者の盾を奪う任の達成と共にその命を断つか、今の戦いの終焉を見るかのどちらかしかない。
「幕開けがとんだ茶番となったことは申し訳ないですが、後は最後の希望を打ち砕くための舞台を準備し、あなた方を迎え入れるだけです。レフィル、その結末の鍵はあなたが握っています。」
「え?」
あらゆる要因が入り乱れて呼び起された災禍は既に決着を見た。今ここに残るのは、大魔王の下に下ったメルキドの聖騎士団の長が、レフィル達によって倒されたという事実だけだった。
誰もが望まずとも、その噂は人々の間にたちまち広がることとなるだろう。
「闇の衣があったとはいえ、あなたは我が兄バラモスを容易く圧倒する程の力を手にした。それも一度ならぬ二度、三度までも。それもまた、ゾーマ様が興味を抱かれているところなのですよ。」
「…………。」
背徳した騎士団を殲滅したのはホレスとムーの助力によるものだが、二人とない使い手である団長を倒したのはレフィル自身の成したことであり、その力は人々がこれを機に知るだけではなく大魔王も既に見込んでいるものだった。
吹雪の剣、数々の呪文とそれを有効に活用する術、そして闇の衣。力を得る機会に恵まれながらも、それだけで足りぬ苦境に幾度となく出くわす中で勝ち得た成長を見抜いていたのは、或いはゾーマなのかもしれない。
「貴女にまた会いまみえる日を楽しみにしておりますよ。」
バロンもまた、メルキドの騎士達との戦いを見届ける中で、ホレスやムー、そしてレフィル自身を十分な脅威として認めるまでに至った。戦いを繰り広げるも、再び闇に引きずり込むも、いずれの道で邂逅するとあっても目的の成就に大きな意味を持つこととなる。
出会いに悦びを感じて満ち足りた様子で、バロンは三人の前から立ち去って行った。
「大魔王、ゾーマ……」
不意に生じることとなった脅威は今絶たれた。だが、それも複雑に絡み合った思惑の一つが失われただけのことである。
今の激闘も、過酷な戦いの幕開けに過ぎなかった。一時の充足が、偽りの幻でしかないように……。
(第三十三章 偽りの調和 完)