偽りの調和 第三話
巨石を組み上げて創られた巨人の拳が、ホレス目掛けて振り下ろされる。が、それが地面を砕くと同時に、彼の姿は幻と化して掻き消える。
同時に、いつの間にか巨人の足元へと潜り込んでいた青年が手にした変化の杖の先端を地面へと叩きつける。変化の魔力が地面へと染み渡るように伝うと共に、乾いた道であったはずのゴーレムの足元が汚泥に満たされた沼へと転じていく。
巨大で何者も押し潰してしまう圧倒的な質量を持つが故に、こうした軟らかい地形には否応なく足を取られることとなる。その弱点を狙った一手だった。
「残念じゃが、その手も通じぬよ。」
だが、ゴーレムはその両足をしっかりと沼地の上に降り立たせて尚、沈むことはなかった。
「トラマナか。……とことん対策を練られているようだな。」
「所詮は付け焼刃に過ぎぬよ。まぁ、効果は見ての通りだがな。」
当然、と言わんとするかのように告げるゴーレムの御者たる老人の言を耳にしながら、ホレスもまた然程落胆した様子もなく改めて目の前で起こっていることを刮目していた。
重量ある石の巨像をこのような不安定な地に降り立たせている礎、それはホレス自身も多用するトラマナの結界だった。大地からの干渉を抑えることで地形による障害を避ける力を機構に組み込むことで、悪路でも運用できるようにしたのだろう。
ソリアが僅かに言葉を濁したのは、それにかかる負担や手間が用いる彼にとって不釣り合いであるからか。それもまた、彼自身の研究に開発の余地があることを物語っている。
――まったく、大見栄切った結果がこれだとはな。
当初はこの巨人を自らの手で倒し、その後に別所で戦っている二人の友に助太刀するつもりでいた。しかし、力に奢らずに対策を尽くしているソリアを見て、考えを改める他なかった。重力と言う抗いようのない理に対しても真摯に受け止めて、それに応じたものを惜しげもなく与えている。
むしろ自分の力を過信していた結果、先程追い込まれた時と同じ状況に陥っていることに自嘲することとなるのは皮肉なことだった。
――ある意味で、あいつに似ているな。
そして、その鈍重さに似合わぬ鋭い反射性がホレスにとって一番厄介だった。主であるソリアに隙あれば容赦なく狙いこそしたが、その度に動きを察知したゴーレムが防ぎにかかり、そのまま手痛い反撃を加えてくる。
敵を葬るだけの力があれば、如何なる不利を抱えた所であとはそれを磨き上げていく、そうあり続けた結果……
突出した速さこそなくとも、敵の動きを全て読み取り、殺意あるものを尽く斬り捨てる戦い方を得手とする友人を連想させた。
「少年よ、降伏するんじゃ。お主程の才能をこの場で潰すにはあまりに惜しい。」
「心遣いはありがたいが、そうはいかないな。いくらあんたでも俺を救える程の権限はないはずだ。」
ホレスの如何なる攻撃も、城塞そのものを思わせる巨人には通じない。このまま戦っても力尽きるのは時間の問題である。己の研究に対して僅かでも理解を示してくれたこの青年を手にかけることなど正直できなかった。
だが、仮に生かして捕えたとしても、カーネリアが許さないだろう。こちらに興味を抱く素振りを見せるソリアの意思を汲みながらも、ホレスはその言を受け入れることはなかった。
「それに、まだ手は尽きちゃいない。あまり、使いたくはない手だがな。」
「何じゃと?」
そして、彼自身もまた、圧倒的不利なこの状況にあって、未だ諦めてはいなかった。
「!」
その自信がどこから来ているのか、と怪訝な表情を浮かべるソリア目掛けて、何かが風を切って飛来した。
「……この精度と威力、ただの弓ではないな。それを一体どこで…。」
反射的に老人の前を覆い隠した右腕に、大きな矢が突き刺さっている。巨人を構成する一つ一つが頑丈な石を貫く威力もさることながら、矢の位置からそれが老人の持つ書物を狙って放たれていることを察することができた。
兵器としての巨人を研究する中で、あらゆる武器を知りつくしてきたつもりだったが、これ程の性能のものを目の当たりにしたのは初めてのことだった。
「それが知りたいなら教えてやろう。今暫く時間が必要だがな。」
未知なるものに驚きと共に関心を示す老人の視線は、いつしか青年の右手に取られているクロスボウに類する武器にあった。
弦を張った弓も放たれた矢も、それを支える台座も、見たことのない材質の金属で拵えられており、意匠もこれまで目にしてきたものとは大きく異なっている。
その違和感の正体は、今はまだこれを手にしているホレス本人以外には分からなかった。
聖騎士という称号という偽りの仮面の裏に隠れた闇を暴かれて、本性と殺気を剥きだしにした騎士達。変わらぬ一糸乱れぬ統率された様も、人々のためなどではなく、滅びを招くただそのためだけにある。
彼らの携える槍の切っ先は、今は地面より現れた金色の竜に向けられていた
「ゴーレムを押し返したとはいえ、所詮はただの竜だ!彼奴らを仕留め続けてきた我らの敵ではない!!」
地面より半身を出したまま様子を窺っている竜へと、騎士達が一斉に襲い掛かる。如何に力があろうと、所詮はこれまで屠ってきた竜達同様、命を奪ってしまえば同じことである。
アレフガルドの魔物や猛獣達をこれまで数多く仕留めてきたことを示すような、鋭く躊躇いない刺突が金色の鱗を貫いて体を傷つける。
だが、それに対して竜は痛みに喘ぐことも怒り狂うこともなく、素早く飛び上がって空を舞い、大地を見降ろした。
「今だ!撃て!」
同時に、指揮官と思しき騎士がそう命じると共に、傍に控える兵たちが長弓を構えて空を舞う竜へと一斉に矢を放つ。
「!」
だが、それらは竜の翼の一回の羽ばたきで尽く吹き飛ばされていた。それでも構わず射かけ続ける中で数本が刺さり或いは掠める、然程の傷にはならない。
『もぐら叩きの方が楽しいのに、なに、この仕打ち。』
騎士達の猛攻を受け流した竜が、唐突にそう語りかけてくる。
「なにを言っている?」
「くく、気でもふれたか!」
恨めしげな視線を向けているものの、自らが負った矢傷をいたわるように舐め回しているその姿は、竜と言うよりは約束を違われて憤る子供の姿に近かった。
「奴もまた生ける者。闇の世界には不要な存在。」
「そうだ。招かれざる者を血祭りに上げようではないか。」
そのような滑稽な有様を見せられて、騎士達はその奇妙さを嘲り、更なる攻撃を浴びせた。呪文の心得あるものが次々と呪文の詠唱を始める。飛来する矢の雨と共に、火球や氷塊が次々と襲いかかる。最後に大爆発が幾度も炸裂して竜の姿はその爆炎の中へと掻き消えていく。
「終わりだな。」
一点に向けられた精鋭達の容赦ない攻撃を前にはさしもの金色の竜も空中に踏みとどまることができず、最初に現れた穴の中へと力なく落下していた。
空を飛ぶこともままならぬ竜など、騎士達からすれば翼を失った哀れな小鳥でしかない。
『反省してない。だったらもう、遊びはおしまい。』
「!」
だが、踵を返そうとしたその時、再び竜の声が穴の中から聞こえてくる。
「ふん、しぶとい奴よ。」
「そのような体で何ができる。」
先程叩き落としたはずの穴の中から、あの金色の竜が再びこちらを睨んでいる。しかし、既に呪文や矢の応酬によって鱗はすっかり光沢を失い、こちらに報いるより前に今にも倒れてしまいそうな程満身創痍だった。
『そろそろお仕置きの時間。覚悟は良い?』
そのような痛々しい姿を晒しても声には澱み一つなく、穴の中から這い上がってくる。そして負った傷を思わせぬ程にしっかりとした動きで立ち上がり、再び騎士達と対峙している。
傷つきながらも彼ら邪悪なる騎士団から大切な者達を守らんとする思いが、緑の双眸に宿っている。
「お仕置きですって?いけない子はお前達の方でしょう?」
粛清されるべき異世界の男がために、深手を負って尚も立ちはだかろうとする竜へと、騎士の長である魔道士カーネリアの侮蔑の眼差しが向けられる。
呆れたように嘆息した後に、彼女はその手のひらを竜に向けながら一瞬念じる。ただそれだけの動作で、呪文の力が彼女の周りに集まり始める。言葉の一つもなく、最上級の攻撃呪文――メラゾーマの力が、三つの巨大な火球が現出しようとしていた。
「……させない。」
「…っ!?」
だが、それが投じられる直前、冷たさを帯びた銀色の一閃がカーネリアの背を掠める。
「まったく、あの男に対してそんなになってまで無理して、とんだおばかさんだこと。」
咄嗟に前方に飛んで交わしつつ振り返った先には、吹雪の剣を構えたレフィルの姿があった。ボミオスの重圧によって抑えつけている中で二度までも刃を向けんとする愚かさを嘲り笑い、放とうとしていた呪文の矛先を彼女へと転じる。
「……っ!アストロン!!」
その直前、一つ一つが巨大な灼熱の火球が差し向けられたことを感じて恐怖にひきつった様子で息をのむも、レフィルはすぐに守りを固めていた。何者も砕くこと敵わぬ鉄壁の呪文・アストロンの力が、レフィルが身を隠すオーガシールドを覆い、更なる強さと大きさを持った鈍色の盾が顕現する。
今にもレフィルを呑み込まんとした業火は、アストロンの力に包まれたオーガシールドに遮られて、粉々に砕け散ってその残滓たる炎が辺りに撒き散らされ、木々を一瞬にして焼き尽くす。
「でも、わたしは立ち止まるわけにはいかない。ホレスだって、とっくに覚悟を決めてるんだから…。」
燃え盛る森に舞う火の粉の中から、鋼の盾とその主たる少女の姿が現れる。獄炎を正面から真正面から受けても盾は溶けるどころか赤熱した様子すらなく、その影で身を守っていた彼女自身も傷を負った様子はない。
如何に辛い状態に陥ろうとも、圧倒的な力を見せつけられようとも、レフィルは諦めるつもりなど微塵もなかった。自らの宿命に向き合って尚、途方もない道を行く自分に手を差し伸べてくれる彼がいるから……
動きを縛られながらもカーネリアの前に立ちはだかるレフィルの後ろで、金色の竜が大きく息を吸い込む。
「な、何をしている!!敵は死にぞこないのトカゲ一匹だぞ!!すぐに仕留めろ!」
巨躯と爪牙からくる純粋な力による破壊の他に恐れられる、竜のもう一つの能力。その兆しに気付いたその瞬間、騎士達の間で戦慄が走る。
半ば罵声のように声を荒げる指揮官の叱責も、心に響くものはない。確かに相手は自分達が仕留めてきた魔物達と同じ運命を辿ろうとしている程に傷ついているはずである。だが、幾ら槍で突き刺し、矢を射かけても、双眸から発せられる眼差しは、傷つけられた憤怒や悲哀などとは程遠い、純然たる殺気を以って騎士達を威圧している。
「来るぞ!備え……!?」
逸早く誰かが竜の動きに気付いて皆に呼び掛けるのも遅く、竜の吐息と共に現れた紅蓮の炎が、仇なす騎士達を一瞬にして呑み込む。それは程なくして、警鐘を鳴らした騎士自身にまで迫っていた。
「ば、馬鹿なっ!?こんな力がどこにあ……!!」
「貴様如きに我らが……!!」
竜の足元に群がっていた者達は、灼熱の炎を真正面から受けて堅牢な鎧諸共燃え尽きて紅蓮の中へと消えていく。そしてその勢いは聖騎士達の予想を遥かに超えて、後ろに控えていたはずの彼らにまで届いていた。
津波のような勢いと速さで広がる竜の息吹に触れると共に、大魔王から与えられた闇の力が抗うように顕現する。しかし、それも束の間、打ち破られた次の瞬間には先に切り込んでいった者達と同じ運命を辿っていく。
次々と同志達が焼き尽くされていく中で、僅かな間生きながらえた者達は、予想の上を行く竜の力にただ驚愕する他なかった。大魔王の加護さえも上回る程の業火、或いは魔王に匹敵する程の……
「おのれぇえ……!!」
そのようなことも感じる由もなく、かつて誇り高き騎士であった堕したる者達は、金色の竜が見届ける中で跡形もなく消え去っていた。
『大体終わった。後は……』
大魔王の手の者となり下がり、友を傷つけんとした者達を看取るつもりなどないのか、金色の竜――ムーは改めて辺りを見渡していた。メルキドの守りさえもものともしないホレスを仕留めんと集めた騎士達の殆どは先程の炎の中へと消えた。
残っているのは、首魁であるカーネリアを取り巻くほんの僅かな手勢だけだった。
「ムー……。」
傷つきながらも闇の手の者達を全力を以って瞬時に葬り去ってのけた力に驚かされながらも、レフィルは辺りに舞う灰燼を眺めながらその表情を憂いに染めていた。如何に堕ちたと言えども、彼らも元はと言えば同じ生ける者であったはずである。
彼に力を添えるためにはそれを承知の上で戦わなければならない。それが如何に辛くとも……
『レフィル!危ない!』
「!」
そのような感傷に浸る間もなく、彼女自身にもまた別の敵が襲いかかってくる。ムーが注意を促すと共に吹雪の剣を振り上げて、鋭く迫る殺気に合わせるように打ち下ろす。
暗中から矢の如く飛来する白銀の聖槍と吹雪の剣が交錯し、青白い火花と共に甲高く金属音を響かせる。
「…………。」
だが、槍の穂先と剣の鎬は互いに一合を交えたままそれ以上動くことなく、初撃の余韻が死臭漂う森の中に木霊する。
「…………。」
力の拮抗がもたらした静寂の中で、レフィルは奇襲を仕掛けてきた新手の敵の姿を静かに見据えていた。カーネリアが纏っていたものと酷似した純白の甲冑に身を包み、兜の隙間から覗かせる殺気で研ぎ澄まされた蒼い瞳がこちらの動きを油断なく見定めている。
――ただの敵じゃない。この人は一体……
純粋な膂力も技量も然程離れていない。しかし、レフィルはこの者から単に強敵として以上の何かを感じ取っていた。差し向けられた槍の技には憶えがなくとも、今もこの身に受けている殺気は粛清するべき者に対するそれではないことを自然と察することができた。まるで、自分達に、ホレスに対して狂おしいまでの憎しみを抱いているように、駆り立たせる何かを孕んでいるように感じられる。
「邪魔だよ。」
突如として顔面をも覆う騎士の兜の内より幼さを残した少年の蔑むような声が聞こえると共に、交わされていた槍が引かれて再び素早く繰り出される。
「この……!」
短くも自分など眼中にないと言わんばかりの物言いを感じて、レフィルは僅かな苛立ちを見せながらも今また命を奪わんと迫る槍の動きをすぐに見切っていた。オーガシールドの表面を刺突の軌道に合わせて構えて迎え撃つ。そうして受け流した所で隙を晒している若き騎士へと、吹雪の剣が一閃する。
「だから邪魔なんだよ。」
「!」
しかし、それに一刀両断される直前に騎士は攻撃の勢いを止めて、纏った重装備を思わせぬ軽やかな跳躍でレフィルの頭上を飛び越えて、そのまま彼女の背後を駆け抜けていた。
「やっぱりムーが狙い!?」
彼が目指していたのは、焼かれた森の奥に佇む金色の竜だった。
重力の干渉もあって思うように動けぬ中で、今のレフィルに出来ることは剣が届く範囲に入り込んできたものを打ち払う程度に留まり、それ以上の何も望むことができない。
呆気に取られるレフィルを横目に、騎士は聖槍を手に高々と跳躍して一気に竜の喉元に槍を突き立てる。
「誰?」
「!」
刹那、頭上からの問いかける声を聞き、彼は思わず上を見上げていた。そこにあるはずの竜の姿は霧の如く掻き消えて、代わりに赤髪緑眼の小さな少女が現れていた。
「お前……!!」
形振り構わずドラゴラムの呪文を解いたのか、その体には身を守るものなど何も纏っていない。だが、その手には華奢な体躯に似合わぬ巨大な戦鎚――理力の杖があった。こちらの思惑の更に上を行く反撃の兆しを前に、騎士の双眸が憤怒に歪められる。
次の瞬間、渾身の力で振り下ろされた理力の杖が、騎士を一気に地面にまで叩き落としていた。
「……できる。」
敵がこちらの手の届かない所に落ちていったのを見計らって、すぐさまドラゴンローブと帽子を纏いつつ、魔女の姿へと戻ったムーは、残った感触を省みるように利き手を一瞥した後に、口惜しそうにそう呟いていた。
こちらの攻撃が完全に届く直前に手にしていた槍で勢いを反らしたのか、鎧を尽く砕かれながらも特に体を損ねた様子もなく再び立ちあがっている。
魔法使いを名乗っていても、力比べでも並大抵の使い手に後れを取らないと自負していたつもりだったが、今対峙しているこの男もまた只者ではない。
「紹介しましょうか。この子はビロド。私の可愛い弟よ。」
レフィルとムーの両方が唐突に現れた若き騎士に脅威を感じたと見て満足そうに笑みを浮かべながら、カーネリアは愛おしげに彼の手を取りつつその名を告げていた。
「ビロド!?この人が……!!」
兜から脚絆に至るまでの全てが砕かれて、その内に隠されていた姿が明るみに出る。姉とは異なるも優雅で軟らかな気風を漂わせる金色の短髪に宝玉を思わせる蒼い瞳。そして身に纏う衣はやはり穢れの一つも認めぬ程の白。その姿は、妖精の女王の寵愛を受けた選ばれし者を思わせた。
「ふむ、神官達の長にして聖堂騎士団の前団長でもあった聖騎士ビロドまでもが、闇の軍門に下っておるとは……。」
「前団長、ってことはやっぱり……!」
その若者の姉と非常によく似た雰囲気を目の当たりにして、レフィルは先に抱いていた疑問の答えをようやく得ることが出来た。体面上は秩序を保っていたはずの聖騎士ビロドも、最初からそれを崩した現団長カネル――カーネリアと同じ世界の者であり、それを滅ぼされた怨恨に突き動かされているだけの存在でしかない。
彼らが降り立ったその時から、既にメルキドは大魔王の、否、それ以上に厄介な思惑によって破滅に誘われていた。
「気をつけなされ、彼がビロドその人であるならばこの上ない猛者。真っ向から立ち向かうのは危険ですぞ。」
如何に偽印の救国主と言えども、積み重ねられた武勲が無ければ信頼を勝ち得ることはできない。先に見せた実力の一端も相まって、メルキドのみならず、アレフガルド全域で一、二を争う程の武勇を誇るのも頷ける。
「……ムー、ホレスを助けてあげて。」
だが、そうしてガライが注意を促すのを余所に、レフィルはムーへとそう告げていた。
「レフィルさん!?まさか……!!」
言葉通りであれば、レフィルはただ一人で目の前の強者を相手にしようとしていることになる。先程の邂逅のように甘いものではないことなど、本人も承知しているはずである。
「ホレスが助けを呼んでいるんでしょう?わたしなら大丈夫。だから先に行って。」
「……。」
それで尚も、態々危険な道を選んだのはムーの意思を汲んでのことだった。先程交わしたゴーレムを倒すまでの間、騎士達を食い止めて欲しいというホレスとの約束だったが、それが思わしくない方向に進んでいることを彼女は既に察していた。
――彼のために、そこまで……。
すぐにでも助けに向かいたいムーもさることながら、残ることしかできないレフィルの思いに、ガライは胸に熱いものを感じていた。呪縛によって満足に身動きが取れない中で強敵を相手にしてでも希望を繋げたい。それを託せるのは、魔法使いとして人知を超えた力に長けたムーしかいない。
そう悟るなり迷うことなく自ら困難に向かう程の覚悟を見て、ガライはそれを支えるものの大きさを計りかねていた。かつて仲間として旅したあの青年との絆は、或いは彼女達が思っている以上に大きなものなのかもしれない、と。
「お願い。」
尚も行くのを躊躇うムーの背中を後押しするように、レフィルは短くそう告げていた。
やはり友を敵前に置いて去ることでもたらされる最悪の結果――失うことを恐れているのか、それでもムーから迷いが消えることはない。その願いを聞き入れることは、同時に彼女の危機をも招くことになる。
「……あなたを信じる。だから絶対に……」
レフィル一人ではこの場から逃れることはできないだろう。だが、この得体の知れぬ闇の手の者を前にしてレフィルは既に覚悟を決めており、恐れを見せぬ様子で向き合っている。その思いを無駄にしないためにはすぐにでもホレスの元に向かわなければならない。それが彼女に振りかかる危険に対する備えを完全に無としても。
ムーは意を決して、城塞の巨人が蹂躙している樹林の奥を目指して駆け出して行った。
「逃がさなくてよ。覚悟なさいな。」
殺すべき相手を助けに行こうとする動きを当然捨て置くはずもなく、背を見せるムーに向けてカーネリアが手のひらをかざす。先にも同じく放たれた最上級の爆発呪文・イオナズンが再び放たれようとしている。
「ライデイン」
「!」
だが、その瞬間、轟く雷鳴と共に紫光を帯びた雷が迸り、僅かに遅れて空間そのものに叩きつけられるような衝撃が走る。イオナズンの力が発動する直前に割って入った一撃に、カーネリアの意識が呪文の対象としていたムーから逸れる。
「ムーに手出しはさせない。」
奇襲をかけられた方向を見やると、そこには紫の雷を帯びた深緑の盾を右手に構えたレフィルの姿があった。
「ライデイン……そう、お前がこの世界での勇者のつもりなのね。でも、そんな子供だましが通用すると思って?」
「……。」
動きを封じられて剣も届かない中で彼女が繰り出した雷の呪文を見て、カーネリアはすぐにその正体を察していた。勇者と呼ばれた者のみが使いこなすことのできるとされる雷の呪文・ライデイン。だが、レフィルの放ったそれは所詮は不完全なものに過ぎない。痛烈に打ちのめしたはずのその一撃は、カーネリアに傷一つ負わせることなく終わっていた。
雷そのもので敵を焼き尽くす本来のそれを知っているのか、こちらを否定するような物言いをするカーネリアに対し、レフィルは何も言わずに吹雪の剣の切っ先を向けていた。
「まして私達を相手に、そんな有様でどうするつもり?目障りな子だこと。」
ボミオスの力を振り払うことができない今、剣だけでまともに渡りあうことも叶わない。呪文による勝負に持ち込んだ所で、魔法使いとしての技量に長けた者相手に未熟者が太刀打ちできる道理もない。
そのような状況の中でまだ抗わんとする彼女に呆れ果てて嘆息しつつ、聖騎士だった男の姉は侮蔑に目を細めながらそう告げていた。そして、先に邪魔されて投じずにいた呪文の力を今度は眼前に立ち塞がる少女へと向ける。
「守りを固めた所で無駄よ。諦めなさい。」
カーネリアがそう告げると共に、レフィルの周りの空間が徐々に収縮を始め、大爆発が巻き起こされようとしている。逃げ場全てを塞ぐようにして発動された呪文に対して辛うじて身を守ったとしても、それ以上何もできない。
絶望的な状況の中で、レフィルの周囲の随所で、目を焼く程の光が次々と発生する。
「この時を待っていた。」
だが、レフィルはそれらを恐れた様子もなく静かに呟くと共に、吹雪の剣を眼前へと構えていた。同時に刀身から吹雪を思わせる凄まじいまでの凍気が迸る。
「血迷ったか!!」
先程のようにアストロンで身を固めずに、捨て身で攻めようとでもいうのか。
そもそもイオナズンから逃れられて刃を届かせる程、今のレフィルに動く力はない。氷の刃を顕現して放ったとしても、所詮は僅かに降りかかる小雪と変わらぬ些細な一撃に留まる。
カーネリアから見れば、一矢も報いることさえできない無謀に見合わぬ最後のあがきでしかない。
「イオラ」
それを否定するように、吹雪を纏う魔剣の切っ先に意識を集中しながら、レフィルは小さくも明確に呪文の名を口ずさんでいた。
「!?」
自分が唱えたものと同じ系列の、それも下位に位置する呪文を己の剣に施したことに、カーネリアは瞠目していた。イオラによって引き起こされた引力によって、刀身から発せられた吹雪が吸い寄せられて氷を思わせる結晶を形作っている。やがてそれらは吹雪の剣全体を樹氷となって覆い尽くし、一振りの大剣と化していた。
呆気に取られるカーネリアを余所に、レフィルは周囲に点在するイオナズンの光に向けて、その大剣を大きく薙いでいた。次の瞬間、光は吹雪の剣の氷の中へと吸い込まれるようにして消えていく。そして、大爆発が起きる気配もまた失われていた。
「わたしの力がだめなら、あなた自身の力を利用すればいい。」
代わりに、吹雪の剣が纏う氷の内に危うい程の輝きが封じ込められている。それこそが、レフィルを焼き尽くすはずだったカーネリアのイオナズンそのものだった。こちらの力が通用せずとも、相手自身が誇る最大の呪文を防げるとは限らない。それが己自身に還ってくることを知らぬ者であれば尚更である。
「き、貴様あああああ!!!」
何が起こったか分からぬまま、ただ憎い敵に好きなようにされる様に対する憤怒を露わに叫ぶカーネリアへと、レフィルは大剣を振るった。刀身を形作る氷の一部が、滅光を帯びた氷の矢となって剥がれ落ち、そのまま仇なす敵に向かって飛来する。
レフィルの放った氷の矢が敵将の傍を掠めたその瞬間、内に封じられたイオナズンの力が解放されて、凄まじい灼熱と爆炎の内に彼女を呑み込んだ。
「姉さん!」
大爆発に揉まれて弾き飛ばされて地面を転がる姉を見て、ビロドはすぐに駆け寄っていた。辛うじて生きてこそいるものの、自らが放った呪文の衝裂をまともに受けて深手を負っている。純白のローブも、今は煤と土埃に塗れて、優美だった姿は見る影もない。
「そ…そんな……!最上級の呪文が……どうし…て、イオラ如き…に…!」
同じ爆発を司る呪文でもこちらは最上級、敵は所詮は上級。純粋な威力からみても最初から勝負は決まっていたはずだった。だが、イオラの力を纏った吹雪の剣のただ一振りで、それを上回る力を持つはずのイオナズンの光を根こそぎ貪り尽くされたのは何故なのか。
それを裏付けるものを知るより先に、カーネリアは意識を失っていた。
「…………。」
傷つき倒れた姉を気遣いながら、こちらに対して殺意を以って睨みつけてくるビロドの視線を、レフィルは全く怖じた様子もなく真っ向から見返している。
どうあっても友を粛清せんとする思惑に対して、容赦をかけるつもりなど彼女には毛頭なかった。