偽りの調和 第二話



 樹海の中に続く道を進む最中で突如として巻き起こった地響き。その根源たる城塞の如き巨人がホレスの命を狙って現れ、今にも一戦を交えんとしたその時に更なる足音がここを目指しているように大きくなっていた。

「ようやく大将のお出ましだな。聖堂騎士団長カネル。」

 軍勢を引き連れて暗闇の中から現れた純白の鎧の騎士の登場に、ホレスの双眸に冷たさが帯びる。
 直接まみえるのが初めてであっても、その出で立ちと殺気、そして選りすぐられた取り巻きの騎士達の気迫からすぐにその正体を察していた。
 純白の仮面から覗かせる視線を見返しつつ、ホレスは悠然としながらも真正面から対峙していた。

「…………。」

 土塊の巨人――ゴーレムとその足元に集う軍勢の全部を蹴散らしてでも押し通らんとする彼の威圧感に怯むわけでもなく、騎士の長――カネルはただ沈黙を返すだけだった。
 暫しの間こちらの様子を伺った後に、白い籠手に覆われた右手を顔を覆う仮面へとかける。
「え?」
 乾いた音を立てながら純白の仮面が地面を跳ねたその時、レフィルは思わず間の抜けた声を上げていた。
「ほう、あなたはもしや……」
「ガライさん?」
 目の前で起こっていることが信じられぬと言った様子で呆けているのも束の間、ガライがその仮面の下より見えたものに感ずる所があるのかその思う所を言葉に出していた。
「今は亡き聖騎士ビロドの姉、カーネリア殿では?」
 かつて屈強の騎士団を束ねていたのは、自身もまた比肩無き強者であった聖騎士ビロドであった。だが、彼亡き今に、その跡を継ぐことの出来る者がいないとも噂されていた。事実、彼亡き後のメルキドは兵たちの士気こそ高くとも、この世界を包む闇に溶けてしまったような陰鬱な雰囲気の漂う町へと様変わりしてしまった。
 そうして町の退廃を助長していた聖騎士団長カネルは、事もあろうにそのビロドの姉――カーネリアであった。
「聖騎士の、姉……?」
 その豪奢な鎧と裏腹に背丈も低く騎士としては細身の、先に驚愕したその女性の容貌よりも、町の平穏に徹し続けてきた血縁の者の行動を裏切る行動をとっていることが信じられない。
「それにこの感じ、まさか……。」
 レフィルは更に、カーネリアが纏う雰囲気に深い暗みが帯びていることに気がついた。聖騎士たるものが持つ神の加護とも言うべきものの影に隠れたそれは、誰よりも知っているつもりだった。
「散々魔物呼ばわりしてくれたらしいが、貴様自身はどうだろうな?」
「やっぱりあなたも、ゾーマの……」
 メルキドの城塞の中枢を担う神殿にあって堕落をもたらしてきたその内で、大魔王の手の者と密通して手に入れた力。どこまでも純粋な白の甲冑を覆うように、闇の衣が彼女の身を覆っているのを感じることができた。
「…………滅びの引き金を引いたお前に言えたことではない。」
「先に手を出しておきながら随分な物言いだな。秩序ばかりを重んじるあまり、心の奥底にある大切なものまでも踏みにじる。それが、お前のやり方なのか?」
 破滅をもたらす魔物として殺そうとする相手に逆に魔物と問われたことに対して微かに表情を嫌悪に歪めながらがカーネリアが静かに告げると、ホレスもまたすぐに切り返していた。
「踏みにじる?そんなこと、被害妄想も甚だしいわね。もうメルキドの者達に生きる気力は残されていない。」
 僅かにメルキドを訪れただけで腐敗した街中とその元凶を見抜いたホレスと、それを否定するカーネリア。彼らの間で交わされる応酬は単なる赤の他人に留まらない、心の底から憎むべき敵に対しての互いに譲らないやり取りと化していた。

「まして、お前はかつて異世界で多くの破滅をもたらしてきた。私達の大切な世界のように。」

 だが、カーネリアが発したこの言葉が、辺りを静寂に伏していた。
「え……?」
 その中で、レフィルは己の耳を一瞬信じることができなかった。
「ホレス、あなた、何を……」
 今カーネリアが告げたこと、それは彼女の大切なものをホレスが破壊したように聞こえた。
「奴らもまた、異邦の住人だった。それがゾーマの意思の囚われて化け物と化している。ただそれだけだ。」
「前にも会って、でもどういうこと……?」
 そして、カーネリア自身もまた、こことは存在を異にする別の世界の住人であることも示唆している。だが、その世界が壊されてしまったことによる絶望を見た大魔王ゾーマに招き入れられることとなる。その発端となったのが、異世界へと弾き出されたホレスの到来であるらしい。
 カーネリアが彼に対して粛清を下そうとしたのは、メルキドの平穏を守る公儀の任のみならず、己の復讐の意味もはらんでいたようだ。
「安心しろ。俺は何も後ろめたいことなんかやっちゃいない。あっちの方から俺につき纏っているだけの話だ。」
「うん……。」
 だが、再会してからのホレスにそのような影など見当たらず、仲間達には今の話は単なる妄言にしか聞こえなかった。
彼自身にも憶えのないことであるならば、カーネリアの言を信じる理由などない。
――可哀そうな人……。
 それでも尚、レフィルにはカーネリアを蔑むことはできなかった。経緯はどうあれ、故郷を失った嘆きは果たしてどれ程のものなのだろう。
――けど、まさか……。
 そう思う一方で、レフィルは彼女の発言から何か引っかかるものを感じていた。カーネリアが異世界の住人であるならば、その家族もまた同じ世界に生きるものであるはずであるとすれば……
 だが、その思考が答えを得る程時間は残されていなかった。

「少しも悔いていないようね、いいわ。私の最愛の人と家族を奪った報いを受けると良いわ。」

 誰ひとりとして疑心を与えられることもなく、討つべき仇もまたその深い罪に対して何ら関心を抱いていない。ならば最早釈明の機会などないと同じ。そう受け取ったカーネリアが鞘に納められた細身の剣を抜剣してその切っ先を突きつけてくる。同時に、背後に控えていた騎士たちもまた槍を構えて馬を走らせてレフィル達へと迫る。
「構いやしない。」
 だが、同時にホレスもまた変化の杖を振るい、その内から破壊の鉄球を顕現してそのまま騎士団に向かって放つ。巨大かつ超硬度の鉄球が騎士達を鎧や槍ごと打ち砕き、横に振り抜かれる最中で黄金にも似た輝きの鎖が残りの軍勢を残らず薙ぎ払う。
「自分の手で捲いた種のために憎しみに駆られ、そのはけ口を関係のない他者に向けんとする貴様を、俺も断じて許さない。」
 次々と馬上から落ちていく騎士達を横目に鉄球を引き戻しながら、奥に控えるカーネリアへとそう告げつつ、ホレスは恐れの欠片もない様子で前に踏み出していた。
 如何なる巨大な憤怒をぶつけられようとも己が正しいと解していれば全く怖じることのない彼の強き心が前面に現れていた。
「馬鹿な子。どうやら自分がどのような立場にいるか、分かっていないみたいね。」
 その尋常ならない相手の威圧をカーネリアが嘲ると共に、今しがたまとめて引きずり倒された騎士団の先鋒達がよろめきながらも立ち上がる。鎧諸共砕かれた体であるにも関わらず、未だ闘志は衰えていない。
「こいつらは……。」
「まさかあの人達も闇の衣を……」
 先の応酬から、ホレス達は彼らが首魁であるカーネリアと同じく闇の衣に魅入られた者達であるということを見抜いていた。
 かつてのレフィルに対してはバラモスさえも容易く葬り去れる程の膂力と魔力を命と引き換えに与えていた。今目の前にある者達に与えられている力の詳細は知れずとも、この攻撃を耐え抜いたのは大魔王ゾーマの加護あってのことだとすぐに知ることができる。
「そう知っても、後には引かないか。」
「だが、それは我々も同じ。」
「否…貴様は我々人間ですらない。」
 更にはまだ彼ら以外にも後続が数多く控えている。正直彼らと正面切って戦おうというのは自ら愚かな無駄死にを望むのと何ら変わりはない。
「貴様らが人間だと?ふん、同じだな…奴らと。下らないことを思い出させてくれるな。」
 口々に告げられる騎士達の蔑みの言葉。それを聞きとったホレスに、かつての忌まわしい記憶が呼び起される。
 “悪魔”と罵られて生まれた時より虐げられてきた過去。物言えぬ中で抱え続けてきた悲嘆と憤怒が極限に達して、村を滅ぼさんとする意思に意識を奪われて、唯一自らを慈しんでくれた家族をもその手にかける結果となってしまった。
 残されたのは全てに抗いうる強い心身だけだったが、この運命自体を恨んだことは一度もない。ただ、それを齎したのと同じ者に対する怒りは記憶を失ってなおも根強く刻みこまれたままだったが。
 闇に堕ちて尚もあくまで人であろうとすることは否定しない。だが、それで思い上がって異端の者を排そうとする考えは許すに値しない。
「レミ―ラ」
 内に秘めた怒りとは正反対に至極冷えた一言が、呪文として紡がれる。同時に、ホレスの漆黒の短刀が投じられる。
「な、何!?」
「動けん!何だこれは!?」
 それぞれが異なる光度の呪文の光が騎士達の傍らに灯り、その裏に差す影が交わる一点に術の媒介たる短刀が突き刺さっている。術中に落ちた騎士達はその場から一歩も踏み出すことも敵わずに、ただもがき苦しむだけだった。
 灯明の呪文――レミーラと影縫いの法。一つ一つが他愛もない児戯でしかなくとも、合わされば強者達をも縛る大技となりえる。それを示すかのような情景だった。
「どうした?隙だらけだぞ?」
「お、おのれ……!ぐ……」
 動けぬ騎士達を滑稽に見降ろしつつ、ホレスは更に変化の杖を掲げて、内に封じている杖の力の一つを解放した。
 無念のあまり悪口を垂れる彼らに向けて甘い香りが漂い、強烈な睡魔をもたらしていく。催眠の呪文――ラリホーに類する効果を持つ“眠りの杖”を秘めた魔杖によって、彼らは覚めること無き深い眠りへと落ちて行った。
「壊された秩序が、虚偽のものでしかないことに気付かなかったのは貴様だ。その下らないものに振り回される羽目になった多くの人々の抱える嘆きの声に、何故耳を傾けない。彼らの本当の望みはあんなものではないだろうが。何より、自らその災いの元を呼び込むバカな真似なんかしやがって。それとも騎士団はとっくの昔にゾーマの手先になっていたのか。」
 先鋒の騎士を他愛もなく一掃してのけた後に、ホレスは奥に控えるカーネリアへと捲し立てるようにそう言い放っていた。
 聖騎士がもたらした一時の平穏の中で暗中でも充実した生活を送っていたメルキドの民。そんな彼らの生活を様変わりさせてしまったのはカーネリアと彼女が故意に招き入れた闇の手の者の仕業だった。長き夜の帳と聖騎士を失ったメルキドの者達は疲れ果てており、大魔王に対する途方もない感情を内に秘めていた。それに付け込んでわざと闇の手の者を街中へと誘い、絶望を味あわせた。
「もしかして、もう……」
「ああ。あいつらの殆どは“人間”じゃない。」
 結果、メルキドはかつての聖堂の城塞都市としての姿を失い、人々の絶望が募るばかりの町となり、大魔王ゾーマの力の礎と化した。その事実をはっきりと示唆されて、レフィルは更に戸惑うばかりだった。大魔王の僕たる者達が既にあの堅牢な城塞の内側に蔓延り、絶望の淵に堕ちた騎士達もまた闇の衣の虜となり滅びの時を迎えるまでの間に存分に力に溺れることを選んだ。
 カーネリアの手によって、既に聖騎士はかつての高潔さを排して魔の者とその力に魅入られた者達による悪意の士と変貌していた。

「或いは団長自身もな!」

 未だ騎士の――人の姿を保った闇の使徒達に対して刃を向けることもできずに立ち止まっているレフィルの傍で、ホレスはしっかりと敵の目を見据えつつ腰に帯びた大業物――鈍い光沢を放つ金属を鍛え抜かれた果てに出来た剛剣を抜き放ちつつ大地を蹴る。
「!」
 その腕にはめ込まれた腕輪の青い宝玉が煌めくと共に、彼の姿が霧のように掻き消える。ただ一陣の疾風が騎士の間を過ぎ去ったと思った次の瞬間、甲高い音が響き渡る。
 振り下ろされた剛剣に真っ二つに折られた刀身が天を舞い、強烈な一撃の前に怯んだカーネリアが落とした柄が地面に転がり土に塗れる。そして受け止めきれずに届いた刃がカーネリアに傷を負わせる。
「おのれ……!」
 奇襲によって手傷を負わせられたことに対する苛立ちから一言吐き捨てつつ後ろに下がると共に、傍にいた騎士が鋭い動作で槍を突き出す。その力量を一目で見抜いて深追いせずに、攻めた時と同じ閃光の如く一瞬で元の位置に立ち返る。
「凄い……。」
 いきなり敵将の懐に潜り込みつつその剣と鎧諸共打ち砕いてみせる程の鮮やかな攻撃に、レフィルは終始目を奪われていた。カーネリアもまた例外なく闇の加護を受けていたはずが、道具による工夫と熟練の経験のみで圧倒してみせたその強さで、自分達が及ばなかったあの魔王の影さえも倒したのだろうか。
「馬鹿言え、こいつが弱いだけだ。いくら力が増した所で、少なくとも剣の扱いに関してはド素人なんだよ。俺とてお前に遠く及ばないぐらいだからな。」
「え?」
 しかし、ホレスにとってはそれも大した力ではなく、からくりを明かすようにレフィルへと語っていた。彼自身としては単に腕の星降る腕輪の力を借りて俊足を得て、ただ真正面から斬りかかっただけの話だった。奇襲とはいえ、その単純な動きについていけないようでは戦士としての腕前も高が知れる。
 まして、生きるために剣技を身に付けてきたレフィルに敵おうはずもない。接近を許せばその時点で勝負をつけてしまうことだろう。ホレスでそれができなかったのは技量の不足から一撃で決めることができず、たまたま近くにあった手練れの者の妨害を受けたからに過ぎない。
「それよりも呪文に気をつけろ。」
 この闇の世界にあってその程度の力で騎士の長が務まるはずもない。その裏にあるものを、ホレスは見抜いていた。

「塵と化しなさい。」

 だが、彼が注意を促すと同時に、カーネリアの手のひらがレフィルへ差し向けられる。
「え!?」
 次の瞬間、レフィルの周囲の空間が一瞬にして収縮して一点に集った。その異質な状態に本能的な危険を感じて反射的に後ろに下がったその瞬間、例えようのない程の眩い光が轟音と共に爆ぜた。

「きゃあああっ!!」

 先程までレフィルが立っていた地点を中心とした大爆発が焦熱と爆風を巻き起こし、凄まじい衝裂がレフィル達を襲う。
「うぬぉおお……!年寄りにイオナズンとは何と言う女子じゃ……!」
「爺さん!レフィル!」
「へ、平気……。でも……」
 二人から離れた位置で成り行きを見守っていたガライさえも巻き込む程広域に及ぶ大爆発。それは最上級呪文の一つ――イオナズンによるものだった。爆心から離れていたガライはともかく、ドラゴンメイルとオーガシールドによって守られているとはいえ僅かに離れただけのレフィルが無事で済んだのは幸運だった。それでも、唐突に発生した呪文の力を前に、恐怖の情を禁じ得ない。
「……ち、呪文の名も告げずにやりやがるとは。」
「おあいにくさまね。元々私達は魔法に長けた一族なの。」
 呪文をその名を告げずに行使できる術者は風の噂にすらならぬ程に稀な存在だった。熟練の魔法使いであれ、呪文という人の手に余る力を御する術を目に見える、詠唱であればさしずめ耳に届く形で用いるのが通例である。その範疇を超えて、あたかも呼吸と同じように他愛もなく絶大な力を操っているとあれば、カーネリアが優れた魔法使いであると認めざるを得なかった。
 先程まで纏っていた純白の鎧とは趣を異にして、清純な淑女を飾るに相応しい純白のドレスの如き魔道士の衣を纏ったその姿は、あたかも妖精の女王のように美しくもあった。
「次はお前よ。今度は消し炭にしてあげるわ。」
 圧倒的な力を前に萎縮している一行を前に満足した様子も垣間見せずに、カーネリアはホレスを冷たく見据えつつ更なる力を呼び起すべく念じた。
「ホレス!!」
 恒星が有する万物を灰燼に帰す程の灼熱が三つの火球となって顕現して、三方からホレスへと飛来する。それら全てが同時に殺到したその時、彼を中心として天を衝く程の巨大な火柱が立ち昇る。
 撒き散らされる凄まじい熱気が、内にもたらされる煉獄に捉えた者を一片たりとも残さずに灰と化す……

「!」

 だが次の瞬間、火柱が内側から斬り裂かれて、あらぬ方向へと飛散して虚空に消えた。
「………ふん、自分の力を過信するあまり肝心なことを見落としてるぞ。間抜けが。」
「呪文耐性ですって!?」
 如何に高度であっても、呪文である以上はホレスにその力が通ることはない。テドンの村を滅ぼしたザラキーマの禁呪文さえも退けた彼の潜在能力のなせる技だった。
「そんなものは俺には通じない。このままケリをつけてやるよ。」
 魔法使いとしての資質を強く引き継いで得た高度な呪文であっても、ホレスには傷一つつけることはできない。いかに突出しているとはいえ、人如きの才のみで呪文を掻き消すなどという大逸れたことをなして見せようとは全くの予想外だった。
 茫然とするカーネリアを斬って捨てようと、ホレスは再び一瞬にして距離を詰めて、業物で斬りかかっていた。
「ソリア!」
 自分の唯一の力である呪文を封じる相手に対して打つ手がなく、カーネリアは後ろに下がりつつ、巨人――ゴーレムの御者たる老人に叫ぶようにして命じる。

「!」

 次の瞬間、振り下ろされた刃を巨大な城壁が阻んでいた。打ち下ろされた巨人の腕が、主人へと差し向けられる敵の魔手を跳ね除けていた。
――早い!?
 動きこそ鈍重な外見そのままであったが、カーネリアの命令が届くと共にすかさず動いたその様は、まさに劇に用いられる傀儡の動きそのものだった。天を衝かんばかりの質量と裏腹の反応の速さに脅威を抱いた瞬間、ゴーレムはホレスを受け止めた手を握り締めてそのまま殴りかかってきた。
「ち……!」
 すかさず後ろに下がってその一撃をかわすも、今度は地表そのものを薙ぎ払うように巨腕を振るってくる。畳みかけるような連続攻撃をかわし切ることができずに弾き飛ばされてしまった。
「この……邪魔をするな!!」
「……。」
 よろめきながらも辛うじて体勢を立て直しつつ、ホレスはゴーレムの御者――ソリアに向けて苛立たしげに一喝していた。これ程までの力を何故このような下らないことにしか使えないのか。
 老人は巨人の影に身を潜めたまま何も答えなかった。
「ホレス!!」
 レフィルもまた、ゴーレムの予想外な動きを目の当たりにして焦りを覚えていた。電光石火で軍勢を切り抜けてカーネリアに肉薄したホレスでさえ、動く城塞を前に逃れられずにいる。
「大人しく見ていなさい。偽りの仲間の最期を。」
「!!?」
 だが、助けに入ろうとしたその瞬間、背後からカーネリアの殺気に満ちた冷たい声を感じると共に、急に体に何かがのしかかるような重圧がレフィルを襲った。
――これは、ボミオスの呪文…!?
 全身が鉛のように重くなり、すぐにでも彼の下に駆けつけんとした勢いがくじかれる。その感覚から、レフィルはすぐにその呪文の正体を悟ることができた。
 重力の枷を加えることによって相手の動きを封じ込める呪文――ボミオス。常人であれば己自身の重みを受けて、身動きも取れなくなる程の重圧だった。
「く……!」
「!」
 そのような中であれ、立ち止まっているわけにはいかない。レフィルは腰に帯びた吹雪の剣を抜き放ち、半ば力任せにカーネリアへと振り回していた。力に逆らいながらの無我夢中でありながら、それで尚も鋭さを帯びた斬撃が袈裟に放たれる。
「そんな有様で歯向かうというの?所詮はあの愚か者の買い被りに過ぎないのね。」
 だが、踏み込む距離が足りないのか間合いが届かず、ローブの端を掠めるに留まった。一矢報いると言うには程遠い結果に呆れたように、カーネリアは嘆息しながらそう告げつつ再び剣が届かぬように更に距離を取った。
「……離して。そうじゃないと、わたしは……」
 そうして尚もレフィルに施された術を解かれることはない。強烈な重力の内で満足に動けぬ中で、レフィルは懇願するように弱弱しい声を上げていた。表情はボミオスの呪縛の重圧によって頭を垂れんとする中で見えずとも、前に進めぬもどかしさに震えているのは見て取れる。
 悲しげなその声とは裏腹に、左手に取られた吹雪の剣の研ぎ澄まされた刃は、障害となるものを引き裂かんとするのを待つように構えられている。剣自身から発せられている凍気だけに留まらぬ、冷たい雰囲気が彼女を覆い始めていた。
 そんな彼女の内なる思いを余所に、ゴーレムが力を以ってホレスを押し潰さんとその拳を振り下ろす……

『させない。』

 その瞬間、少女の声がどこからか響き渡る。直後、砕かれようとしていた大地から現れた何かがホレスを守るように土塊の巨人の攻撃を受け止めていた。
「こやつは……」
 それは、黄金に輝く鱗に覆われた巨竜の大きな手のひらだった。かたく握りしめられたゴーレムの拳をがっちりと掴み、一気に押し返していく。突如として現れた金色のドラゴンは唸り声を上げながら、その翆玉の眼差しで巨人を操る老人をねめつけていた。
「……地面から!?何なの、あの魔物は!?」
 抗いながらも滅びの時を待ち続けるしかない痛々しい姿を晒している野生の竜とは違う、確固たる意志を以って罪人を守らんと立ち塞がっている。惑うことなくこちらに牙を剥かんとしている様はこれまで屠ってきた獣達とは比べ物にならぬ程の脅威であった。
 それ程までの力を宿した未知の怪物を目の当たりにして、ソリアもカーネリアもただ驚愕するばかりだった。

「ムー!」

 一方で、レフィルは旅の中で幾度も目にすることとなった金色の竜――友人ムーの化身の登場に歓喜の声を上げていた。誰しも制御しえないはずの竜化の呪文――ドラゴラム。その力は巨大なゴーレムに真正面から対抗できる程のものであった。
『土竜?』
 レフィルが安堵の溜息を零したのも束の間、ゴーレムを退けた金色の竜は小首を傾げながらそう呟いていた。
「え…えっと……その……。」
 その巨大さに似合わぬ滑稽な仕草でひとり語散るムーに対し、かける言葉が思い浮かばない。先程見せた圧倒的な力はどこへやら、レフィルと向き合う竜に今は人を恐れさせる程の気迫はない。土の中から半身だけを現しながらキョロキョロと辺りを見回す様も相まって、本来の姿である小さな少女の時と変わらぬ、おどける中での奇妙な脱力感だけがそこにあった。
「助かった、すまないな。」
『気にしないで。』
 たった一人で立ち向かうには分の悪い中で割って入ってくれたムーへと、ホレスは素直に礼を告げていた。早期に決着をつけるつもりで先走り、誤算がために窮地に陥る。だが、そのようなものであれ、支えてくれる者がいれば覆してくれる。
 助けられたホレスも助けたムーも、今の戦いは自分達――そしてレフィル一人だけのものではないことを実感していた。
『それより……』
 ムーの乱入によって仕切り直しとなった戦いの状況。精強と名高く数も多いメルキドの聖騎士団が行く手を阻み、それを率いるカーネリアもまた優れた呪文の使い手である。
 それ以上に厄介な存在は、魔法による研究を続けてきた求道者――ソリアが作り上げた土塊の巨人・ゴーレムの存在にあった。ドラゴンと化したムーが押し返したが、逆に言えばそれだけで勝負が決まらぬ程の強さを秘めた相手とも言える。
「ああ、分かっている。奴らを残らず殲滅しろ。その間、俺はこのでかぶつをどうにかしてやる。」
 数多くの敵が後ろに控えている中で戦うのは、如何に強大な力を持ったドラゴンであったとて危険極まりない。ならば、引き続きゴーレムを引き止めて、その間にムー自身が敵勢を一掃してしまう。それがホレスの最善の策だった。
「残らず?」
 今の彼の言葉と状況に、レフィルは一抹の不安を感じていた。如何にゾーマの支配下に置かれているとはいえ、敵の中には同じ人間さえもいるのではないのか。そのようなことで躊躇っていては自らも危ういことなど分かっていたが、それでもそう思わずにはいられない。
 しかし、指示を受けたムーは既に頷いて立ちはだかる軍勢を威圧するように睨みつけている。
「躊躇うことはない。化けの皮は、こいつではがす!!」
 これは一体何を意味しているのかと思ったその時、ホレスは磨き抜かれた鏡を天に掲げていた。金色の淵に彩られた緑の額に納められた八つの小さな鏡に囲われた一つの本体。その内に聖騎士達が映し出される。
「ラーの鏡!そうか、その手があった!」
 かつてサマンオサでボストロールと化していたサマンオサの獅子王の正体を見破った、偽りを掻き消す真実の象徴――ラーの鏡。それを見て、レフィルは疑惑に曇らせた表情を晴れさせていた。
「貴様……!!」
 同時に、聖騎士達の間に戦慄が走る。その身に纏う白銀の鎧同様、これまで自分達を覆い隠してきた聖騎士団――人間の守護者という仮面が剥がれ、大魔王ゾーマの手先としての本質が露わになり始める。
 ラーの鏡の九つの輝きが、彼らを照らし出す。

「やはりな。」
「ゾンビ、なの……?」

 眩い光が収まった後に現れたのは、やはり鎧を身に纏った騎士達に変わりはなかった。
 だが、ある者が纏うその鎧は錆と傷によって朽ち果てて、その合間から覗かせる肌も生ける者達が持つそれではなくなっていた。またある者は、その姿こそ人の者であったが、先のカーネリアのように体に纏う闇の衣が前面に現れて、表情もまた邪悪そのものと化していた。そして、彼らの裏で糸を引いている魔の者達――悪魔と呼ぶべき外見の大魔王の手先の存在も露見することとなった。
 先程見た高潔な者達の影など微塵も残されていなかった。
「こんなことが……」
 真実を見破る力のお陰で、メルキドの聖騎士団をようやく倒すべき相手として見なすことができた。できたからこそ、レフィルは悲しみを覚えていた。既に死した者達、自分と同じ心の闇に囚われた者達、そしてゾーマの下に下る者達。
 元々同じ生きとし生ける者だった者と戦い合うこともまた、大魔王ゾーマは予見していたのだろうか。

『邪魔をさせなければいい?』

 メルキドの守護者と言う偽りの仮面を失い、歪んだ敵意をむき出しにして対峙している騎士の亡霊達を見据えながら、金色のドラゴンは足元にいる白銀の髪の青年へとそう尋ねていた。
「そうだな、俺が足止めのはずだがこの際それでも構わない。お前の好きにすればいいさ。」
 確かに先程はゴーレムの前に手も足も出ない状況を見かねて助けに入っていた。だが、ホレスの表情から感じる不敵さからは、ゴーレムを如何にして打ち負かしてやろうかと言わんばかりの気迫を、愉悦さえをも感じる。
 人間であることに拘らずに躊躇いなく竜と化す大胆さに似付かぬ洞察でこちらの真意を見抜いたムーに感心しながら、ホレスは再び巨人に向き合っていた。

「ほう…このゴーレムの拳を受けても尚恐れぬか。」
「あいにく、人間としては頑丈にできてるらしくてな。」

 巨石を積み上げた末に築き上げられた城塞の持つ想像を絶する質量からくる絶大な力。そのようなものを身に受けようとも、伝説の武具・勇者の盾を筆頭とした前に進むためにこそ備えてきた鉄壁の布陣を以って耐え凌いでみせた。
 そして、防いで尚も伝わる力への本能的な恐怖もまた、ホレスを退かせるには足りなかった。
「それよりも、爺さんが重ねてきた研究とやらを存分に見せてもらおうか。あんたも、そのつもりなんだろう?」
 戦いの最中に語ったこの巨人に対して老人が捧げてきたものに、ホレスは純粋な興味を示していた。長い旅に身を置いたとて、人の手によってこれ程までに極められた魔術の傀儡を目にする機会はそうそうあるものではない。
「望むところじゃよ。これが果たし合いでなければ、お主も良き弟子となれたであろうに。」
 老人ソリアもまた、自分の研究の果てに出来た最高傑作たるゴーレムに関心を見せる若者におのずと注目することとなった。一目見てこの巨人の価値に気付き、単なる敵としてに留まらない何かをその表情に垣間見させている。
 惜しむらくは、あくまでも彼が敵ということに尽きた。
「気にする事はない。俺はここで立ち止まるつもりなど毛頭ないからな。」
「その意気やよし。さあ、来るがよい。異世界の若者よ!」
 それも些細なこととして語らう両者の間で交わされる言葉は敵に対するものではなく、邂逅と同時に意気投合した友人同士のやりとりを思わされるものだった。抗いようのない馬鹿げた結果を一笑にふすかのように、ソリアはゴーレムをホレスに向けて駆っていた。
 ラーの鏡に照らし出されて次々と内なる闇を暴かれる聖騎士団をよそに、城塞の巨人を作り上げた老人の背後には暗い影の一片すらもなかった。