壁中に伏す 第五話



 排すべき異国の闖入者が起こした猛火の扉によって正門を閉ざされた堅牢な城塞より幾許か離れた北の森林。その巨木が重く悲痛な断末魔の叫びの如く倒壊音を立てて圧し折られて、地面へと沈んでいく。それを踏み越えて現れるのは、一つの大きな騎士団だった。
 だが、彼らが纏う鎧は所々がひび割れて、錆ついてさえいる、そんなものでしかない。それもまた、戦を重ね、幾多もの死線をくぐり抜けた果てに受けた傷、そして経験を物語っている。その様な強力な相手が目の前に、それも騎士団としての大群が一丸となって命を狙ってくる。これほど恐ろしい敵はいないはずだった。


「邪魔だ、そこをどけ。」

 しかし、ホレスは恐れた様子もなく、こちらの様子を窺っている騎士の先鋒達へと逆にそう一喝していた。ただ一人で大軍を前にしては、その激流の如き流れに呑まれてその存在ごと掻き消されるだけである。だが、ホレスの意志はそれに容易く溶け込む程脆弱ではない。
 一斉に襲い来る騎士達が間合いを詰めるより先に、彼は手にした金色の鎖を掴み、それに繋がれた巨大な鉄球を振りまわして前方を薙ぎ払った。

 破壊の銘を与えられる程の強靭さと重量を併せ持つ鉄球は、突進してくる兵士達に回避する暇も与えずにまとめて吹き飛ばし、その鎧ごと打ち砕いていた。純粋な力による応酬によって、ホレスは数で勝る騎士達を一時圧倒していた。
 もちろん、その大振りな一撃による隙を見逃すはずもなく、軍勢はすぐに押し寄せる。だが、次に迫った騎士達が目の当たりにしたのは、巨大な鉄球が飛来してくる様だった。あろうことか、振り回した超重量の鉄球の勢いを一瞬の間に強引に捻じ曲げて、軽やかな斬り返しを放っていた。
 まとめて飛びかかれば一網打尽で仕留められ、散らばってかかっても間合いに入れることすらなく、着実に一人ずつ倒していく。

「奴め、本当に化け物か!」

 一振り一振りが素早く鋭く、そして逆らうことのできぬ重みを纏った攻撃の連続。重みのある鉄球を自らの手足のように自在に扱って尚も、疲弊した様子もない。たった一人で先鋒隊程の数とは言え、大勢の敵を全て倒すその姿は、あたかも大鎌を携えた死神のようでさえあった。
「矢を射かけろ!あいつを貫け!」
 近づけば破壊の鉄球の餌食となる。ならば、その鎖が届かぬ位置から無数の矢で遠くから射かけてしまえばいい。
 指揮官の命と共に、兵士達は携えた弩弓や長弓に矢を番えて、一人佇む青年に向けて構え、そして一斉に放つ。

 幾千もの矢が、周りに倒れている騎士達もろともホレスに驟雨となって打ちつける。如何に素早く動いたとてかわすことはできず、打ち払う術もまたないはずだった。

「ふん…味方もろともか。形振り構わずもいいとこだな。」

 だが、地に突き刺さる矢が巻き起こす土埃の中から、感情を乗せず冷淡にそう告げる声が聞こえてきた。
「馬鹿な……!」
 容赦なく降り注ぐ矢は、確かに倒れ伏す味方共々、辺りの地面に突き刺さっている。しかし、ホレスの体、そして彼が前に掲げる蒼き盾には、矢が貫くどころか、傷の一つすらついていない。

「それは…やはり、勇者の盾!!」

 究極の守りの力を有した伝説の武具の一つ、護甲・勇者の盾。今の矢雨の勢いを尽く逸らしたかのように、ホレスの周りには矢の一本も刺さっていない。決して砕けることなき盾そのものの頑強さも勿論のこと、所有者を守る不思議な力が働いているかの様だった。

「見ろ、あの忌まわしき盾を!あの紋章が今まで幾度も希望を呼び、生者どもに抗う心を与えてきた!」

 皆が眼前で起こった現象を認めることができずざわめき始めた所で、誰かがホレスの盾を指差しつつ皆にそう呼びかけた。

「あの盾こそ、奴らの希望だというのか!」
「ならば奴もまた、我らが怨敵!!」
「大魔王ゾーマ様の御心に反する存在を、許しおくわけにはいかん!」
「奴を殺せ!!」

 その声色に乗せられた憤怒と怨恨が、騎士達の間に広がっていく。程なくして、皆が内に抱える憎悪と殺意を吐露するように一斉に罵声を上げ始める。
「この盾のせいか。お前達が俺に立ち塞がろうとするのは。」
 さながら地獄の亡者達が奏でる絶望の楽曲の如き怨嗟を耳にしても全く動じることなく、ホレスは改めて己の手にしている盾を見やった。
「その勇者の盾を呼び込んだのは貴様自身だ!」
 盾に施された金色の不死鳥の紋章。そして、その上に刻まれた力ある者の名前。全てがゾーマの僕たる彼らにとって忌むべきものでしかない。

『貴様の血を以って、希望の終焉を成してくれる!』

 勇者の盾を見い出したホレスへの憎しみと恨みが募ると共に、騎士達の間でどす黒い煙が腐臭と共に立ち昇り始める。投げかけられる言葉もまた、いつしか先程までの肉を通した声などではなく、空洞より響き渡るような虚ろなものへと変わっていくのが感じられる。

「ふん、やはりどいつもこいつも”もはや”人間ではなかったか。」

 人の子を模した仮初の姿を捨て、本性を現した途端、騎士達の肉体が腐り始めていく。壊された鎧が示す死に際に受けた傷、ある者は首を落とされて、ある者は鎧ごと貫かれたり引き裂かれたり、ある者は骨まで焼き尽くされてこの世から完全に消滅して、そうして死んでいった者達に、再び意思を与えられ蘇ったゾンビの軍勢。
「なるほど。お前らが糸を引いていたと。」
 メルキドの聖騎士団の向かうべき道を惑わす者達の存在は、この町を訪れた時から既に漠然としながらも感じることができた。確かに、元が人である者達をメルキドの中に送り込んだとておかしくはない。これまで魔物がメルキドの城下へと突然出現してきたことも、或いは彼らの手引きかもしれない。
 何れにせよ、人ならざる者がメルキドの町にいるとはっきりと実感した事で、ホレスは納得したように鼻を鳴らす。

「どの道、躊躇うつもりなど毛頭ないがな。」

 だが、彼らに扇動されてしまうようでは、人も所詮心弱い生き物でしかない。理不尽な理由で目の前に立ち塞がるのであれば、例え彼らが魔物などでなくともまかり通るだけの事だった。
 それでも、相手が既にこの世の者ではなく死に縛られている亡者に過ぎぬあると分かった以上、命を奪うという懸念を抱えることなく存分に蹴散らすことができる。もはや迷いを感じる必要など、全くない。

「分かってるぞ、間抜けが。」

 不意にホレスは、そのままの姿勢で鉄球を後ろに軽く放り投げる。振り返ることなく投じた鉄球は、彼の背後から忍び寄っていた一体の騎士の屍へと直撃していた。
 先程の乱戦でホレスの鉄球を受けて吹き飛ばされた者が、ゾンビとしての力によってしぶとく這いずりまわり、後ろからホレスの動きを封じんとした所だった。だが、聴覚を主軸とした気配察知能力を持つホレスにそのような手段が通じるはずもなく、今の一撃で呆気なく潰されていた。

 特に剣に秀でた者が骨だけの魔物と化して、漆黒の骸骨・地獄の騎士として転生した者がその六本の腕それぞれにとった刃を振りかざしつつ、ホレスへと躍りかかってくる。それに対してすかさず、ホレスは破壊の鉄球を正面から投じていた。狙い澄まされた一撃が一体の地獄の騎士を粉々に砕く。
 次いで、襲い来る軍犬のなれの果て・バリイドドッグもまた、鎖を引き戻されると共に素早く繰り出される横薙ぎの攻撃で、他の正面に立つ魔物共々まとめて薙ぎ払われた。

「マクロベータ…か。お前が親玉だな?」
『!』

 ホレスの目に、仮面をつけた呪術師の姿が映る。不死を司る神を崇め立て、自らも人外と化した異端の者達・マクロベータ。ゾンビ達を操り、世界を混乱に導こうとしている者の一人がここにいる。
 敵が身構えるより前に、ホレスの鉄球の一撃がマクロベータの体を容易く粉々に砕く。


『ベホマ』
「!」


 だが、その身を失ったはずのマクロベータが、断末魔の悲鳴の代わりに呪文を唱えていた。
―回復呪文か…。
 圧倒的な質量と速度を持った超硬の鉄球をまともに受けて破壊されつくしたはずのゾンビ達の体が土塊より再生を始める。粉々にされたはずの地獄の騎士は瞬く間に再生し、肉体を砕かれたマクロベータもまた何事もなかったかのように立ちあがる。
 元より死して痛みを感じず通常の戦い方では致命傷を負わせられない相手ではあったが、戦えなくする事は容易かった。だが、塵となるまでに打ち砕かれ、もはや再起不能であるはずが、回復呪文一つで完全に復活している事態は流石に予想外だった。

「ち!」

 そして、今まで倒してきたはずの敵が地面から襲いかかってくるのにも対応し切れない。足を掴まんとする亡者の群れをかわし続けているうちに、半身まで再生した地獄の騎士の六振りの剣が一斉にホレスへと牙を剥く。
―くそ、まずいな…!
 致命傷こそ免れたものの、このまま破壊の鉄球で叩き潰す戦い方では際限なく再生されて、勝負をつけることができない。とはいえ、敵の数そのものも多く、悠長に戦っていては追い込まれるだけである。

『メラゾーマ』

 ホレスの内に焦りが生じ、一瞬判断が鈍ったのを見逃さず、マクロベータは杖を振りかざして呪文を唱える。闇夜の空から、業火の巨球が発生してホレス目掛けて落下する。地面と激突すると共に爆ぜて、その高温によって大地を融かし、倒木を一瞬で灰燼と帰していく。
『!』
 だが、ホレスはその全てを焼き尽くさんばかりのメラゾーマの火球を避ける素振りも見せず、それがもたらす火柱に向けて自ら猛進していた。炎がホレスを舐め回さんとするその時、触れた先から炎が掻き消されていく。ホレス自身が持つ、強力な呪文に対する耐性が成せる技だった。
『く、貴様!?』
「捨て身の攻撃がお前らだけの専売特許とでも思っていたか?」
 炎の余波を完全に遮ることはできずとも、前に進むだけの血路は開けている。ホレスが振るう鉄球が、再びゾンビ達を粉砕していた。
『くくく!だが、愚かよなぁ!わざわざ我らが懐に入り込んでこようとは!!幾度なそうと、貴様に我らを打ち砕くことなどできん!!』
 無論、それで倒せぬことを知らないはずはない。マクロベータが唱える回復呪文によって、魔物の騎士達は次々と再生を始め、再び元の姿へと戻っていく。そして、蘇ったその瞬間に再びホレスへと一斉に刃を振るう。

「砕けないと言うならば、滅してしまえばいいだけのことだ。」
『!』

 その直前、ホレスは変化の杖から再びその内に内包している武器の一つを召喚していた。青白い光沢を返す異形の剛剣・影断ちの大刀――シャドーブレイクだった。正面から襲い来るバリイドドッグをその重厚な刃を以って上段から斬り下ろす。二つに分かたれた犬の屍は、切り口から融けるようにして実体が薄れ始め、やがては光の中へと消え去った。
「…っ!」
 だが、続けて蘇った騎士のゾンビ達が振るう剣や槍による猛攻をさばき切ることはできず、そのまま防戦一方にもつれ込んだ。
『甘いわ!そんな拙い剣技など、我らに通じ……』
「確かに、そうだろうよ。だが、こいつの使い方は十分心得てる。」
『何…??』
 勇者の盾とシャドーブレイクの二つを以ってしても、”彼女達”のようなこれだけ大勢を同時に相手にできる程の剣技など、ホレスは持ち合わせてなどいなかった。が、そのようなことなど、ホレス自身が一番よく分かっていることだった。肝心なところはもっと別の所にある。

「まず塞ぐべきは、貴様らが蘇る大地だ!」

 ホレスが叫びを上げると共に、青白い刀身が不気味な光を帯びる。そしてその切っ先を、気合と共に地面へと突き立てる。

『な、何ィッ!!?馬鹿な…!?何故!?』

 シャドーブレイクが大地を穿つと共に、宿った光がその刀身を通して伝わっていく。それは、地面に這いずりまわり再生を待つばかりとなった手負いのゾンビ達へと一気に襲いかかる。光は瞬く間に魔物を切り裂いて、その傷痕から存在が失われるように消滅していく。
 不死のゾンビと言えど、倒されたらほぼ例外なく地面に堕ちることとなる。ならば、その大地からの恩恵を封じ込めてしまえばいい。

「こいつには破邪の聖剣の因子を組みこんである。不死者とやらのお前らにはうってつけの武器なんだよ。」

 元よりこのシャドーブレイクの剣は、闇の手の者との戦いに備えて用意した品の一つに過ぎず、影断ちの大刀と呼ばれる所以となった特殊な力を与えられているだけのはずだった。だが、ホレスは無間の旅路を切り開くべくしてこの剣の力を最大限に活用する術を見い出してきた。
 他の剣の持つ要素を与えてやることで、その鍛度や特性を吸収させる。破邪の聖剣・ゾンビキラーに準ずる力が、この大刀に宿っているのは、今虚空へと消え逝くゾンビ達が示している。

『お、おのれ!!歪みを招く不届き者めが!!』

 ただ一人でメルキドの町中を、アレフガルドの過酷な旅路を切り抜けただけにとどまらず、ゾーマの手の者である自分達へと逆らい、常軌を逸した力を用いることに何のためらいも見せぬ様に、苛立ちを覚えずにはいられない。何より、己の不死性を奪われてしまった事に戦慄を禁じ得ない。これまで機械的なまでに統率が取れていたはずの、ゾンビの軍勢の間に、明らかに動揺が走っている。
「バカが。己が歪みに気づいていないのはお前達の方だろうが。」
 何もかもをかなぐり捨てて前進してきたホレスにとって、既に大いなる力の代償として重くのしかかる歪みの問題はもはやよく知ったことだった。だが。それを悪戯に恐れるだけで、逃れるが故に辿ってきた道を疑うことで足を止める真似もまた、致命的な歪みを生むことになる。
「このままゾーマに縋っているようではお前達はどの道終わりだ。」
 ゾーマが全てを闇に閉ざすことで、大地は死に至ろうとしている。だが、そうして滅んだ大地の上で、誰もが生けるはずもない。自ら大地を貪りつくしてやがては自滅の道を辿る。
 その前に引導を渡してやらんとばかりに、ホレスはシャドーブレイクの剣を一閃した。
『不覚…ッ!!』
 再生できず、朽ちてゆくだけのゾンビ達に、大刀の攻撃を受ける術などなかった。ホレスの道を阻むマクロベータや地獄の騎士達は、青白い刀身に容易く切り裂かれて、やがて聖なる力に浄化されて虚空へと消え去っていった。

「!」

 亡者達の断末魔を背にして、更なる敵へと刃を向けようとしたその時、不意に大地が小さく揺れた。
―この地響き…只事ではないな。
 揺れは一度に留まらず、韻を踏むように二度、三度と鳴り響く。そして、回を重ねるごとに徐々にその大きさを増していく。こちらにまで伝わってくる重圧によって圧されたのか、亡者達の動きも止まっていた。
「先を、急がないとな。」
 遠くから聞こえてくる音が知らしめる怪しい気配。それが何であるかは知らないが、危険なものを感じ取り、ホレスはただ先を急ぐのみだった。




 先に戦を繰り広げていたのが嘘のように、辺りは再び静けさに覆われている。斬り倒された木々が佇む中で、この滅びゆくアレフガルドでは考えられぬ程の軍勢が出揃い、彼らを率いる将たる者の前に膝まづいている。


「カネル様、申し訳ございません。彼奴は我らを突破し、旧街道へと逃れました。」

 既に戦いは終わりを告げ、その経緯が将・聖堂騎士団長カネルの耳に報告として入る。

「く…逃したか。」

 報告を受け、将は純白の仮面の下で唇を噛む。取り繕うことも、余計な言葉もなく、完結に告げられる内容は、これだけの規模の騎士団が犯し得る失態とは思えなかった。ただ一人の対象を、取り押さえることができなかったのだから。
「残念ながら、実戦で確かめる術はなかったな。よもや、我らが追いつくより先に逃げおおせようとは、やはり忌まわしき者の力か。」
「!」
 白い兜と外套に身を包んだ騎士の長が、追っていた怨敵の実力を認めるように語ると共に、その背後から何か巨大なものが地面に落とされたような地響きが辺りに響き渡る。
「これが、あの……」
「我らの新たな……」
 闇夜の中で灯される篝火に照らされたそれは、石を積み上げられて築かれた巨壁だった。今しがた打ち立てられたばかりであるかのように地面に大きくめり込み、押しのけられた土が盛り上げられる様は、それが有する圧倒的な重量を物語っている。

「だが、申し分ない。これなら、すぐにでも役立てるでしょうね。」

 カネルが見上げる先に、そびえ立つ影。それは一見して城塞とも、巨神とも、或いは荘厳な神殿とも見て取れる。その末端が大きく上がり、全体が小さく傾いで再び地面に打ち下ろされる。それが繰り返される度に、木々は無残に踏み潰され、大地には巨大な足跡が刻みこまれていく。

「ソリア博士、あなたの鬼才には恐れ入ります。」

 闇の中でもその巨大さから圧倒的な存在感を醸し出している巨人の歩みを満足そうに見届けた後、カネルは傍らに控える男へと向き直る。土色を基調とした魔道士のローブに身を包み、大樹から削り取られた杖を持つ、気難しそうな気風を持った老師。彼こそが、この巨人を創った主たる者だった。
「勿体ないお言葉です。」
「いえ、この辺りに住まう竜どもなど、物の数ではないでしょう。ここまでの質量を御そうとは。そして、魔法という不定形な術をどうしてこのような整然とした形に収められたか。」
 老師ソリアが謙遜して頭を垂れるそばで、カネルは巨人の持つ凄まじいまでの力を、それを作り上げた彼の技術を讃えていた。魔法によって、単なる土塊をこのような兵器と成すことが如何に難しいことかを熟知しているような物言いだった。
「”温床”が完成すれば、これを量産する事もできると。心強いことです。」
 そして、次の研究にも既に着手されていることに、一層の期待が寄せられている。この巨人を更に作り出すこととなれば、闇世界で凶暴化した魔物はもちろん、如何なる力を身に付けた強者であろうと容易くねじ伏せることができるだろう。
「はい。しかし、恐るべき品を作ってしまったものです。」
「それだけ、兵器としての完成度は高いという事でしょう。あなたが気に病むことではありません。」
 開発を続けている張本人、老師ソリアはこの巨人に対しての危険性を熟知し、それに対する罪悪感も少なからず持っている様子であった。だが、カネルはその危険性を、危うい願いすら叶える程に無機質で破壊的な力こそを望んでいる。

「この戦人形―”ゴーレム”があれば、守るも攻めるも思いのままね。」

 仮面を外すその手の指は細く、外されたと共に長い髪が兜の中から零れ落ちる。
 炎を照り返すような真紅の髪に、切れ長の緑の瞳。聖騎士を統べる将たる者は若い女の姿をしていた。

 穏やかな雰囲気を纏う柔らかな顔つきは、一見すれば厳つい印象を与える騎士のそれとは思えない。だが、その瞳に見える陰りは敵意に満ちており、醜くも見せている。
 その矛先は、異界渡りを続けるホレスに強く向けられている。それはまるで、騎士としての務め以上に生来の嫌悪に依るものであるかのようだった。




 降りしきる雨が、深き森の葉を打って幾度も乾いた音を立て続ける。滴る水が土に染み込んでぬかるみを作り出し、死にゆく大地と合わさることで生を許さぬ死の沼と化している。

 その毒沼の中に、何者かが叩き落される。それは、骨のように白い甲冑を纏った一人の騎士、否…かつて騎士であった悪魔と言うべきだろうか。金色の鎖の鉄球と青白い刀身を有する大刀の二つの武具を手にする若者が、その翠玉の双眸で何の感慨もなく見下ろしている。
 鉄球によって砕かれた鎧に叩き込まれた大刀の一撃により斬り裂かれた跡から、焼き尽くさんばかりの眩い光が迸る。悪魔は怨恨の声を上げながらその光に切り裂かれ、闇の塵と化してこの場から完全に消滅していた。

「レフィル、ムー、お前達も或いは……」

 今の最大の切り札とも言える二つの武具を収めながら、かつての仲間二人の名を思わず口ずさむ。ようやく一つの終着点に至らんとしたこの日もまた、闇の手の者に追われることとなった。彼女達もまた、大魔王の到来と共に暗躍し始めた者達につけ狙われることとなっているのだろうか。

「さて、あんたもここに来ていたとはな。探す手間が省けて丁度いい。」

 古に建てられてよりその姿を残し続けてきた小さな祠。その周りに讃えられている清き水。ホレスが目指すべき場であった聖地に、一足早く辿りついた者がいる。
「…………。」
 鍛え抜かれた雄大な体躯に漆黒の外套を纏った一人の戦士が祠の入り口を守るようにして佇んでいる。白髪が混じった漆黒の髪の隙間から覗かせる暗い紫の双眸には生気がなく、それが返って記憶すらも失った中でも戦い続ける程の強い生きる力を感じさせられる。
「あんたもゾーマに挑む気ならば、あいつの借りを返したいなら、俺の話を聞いてくれ。」
「!」
 彼が発する圧倒的な重圧に怯むことなく、ホレスは旅の友から託された命の指輪を手に取る。それを目にした時、その男の目が一瞬だけ細められていた。

「勇者オルテガ。」

 全てを失くして尚も大魔王を倒すべくして王都を旅立ったかつての英雄の下に、ホレスはようやく至った。

 ただ一人で永き時を彷徨い続けてきたが故に学んだ指針と身に付けてきた力。例えそれが通じぬ場面に遭おうとも、新たな道を切り開き続ける。そして、幾千幾万もの軍勢に行く手を阻まれようとも恐れることなく進むべき道を貫き、ただひたすらに前へと歩む。
 この目標もまた、ホレス自身にとっては通り過ぎるだけの道の途中に過ぎず、更に先を見据えていた。

 全ては、来るべき時のために……

(第三十一章 壁中に伏す 完)