壁中に伏す 第二話



 そびえ立つ城壁の前で、巨竜や怪鳥の群れが傷つき、ぐったりと横たわっている。町を守る騎士達と激しい戦いを繰り広げた末に力尽きた者達のなれの果てだった。命を賭して生を掴もうとするのも虚しく敗れ、万に一つ生き永らえたとて、もはやどうする事もできず、ただ死を待つだけとなっていた。

「……ふん、もはや使える兵は一握り程しかおらんか。」

 そんな魔物の群れの姿を眺めつつ、白銀の甲冑に身を包んだ騎士の一人がそう一人ごちる。確かに魔物の猛攻を跳ね返すことはできたが、それに伴う犠牲もまた大きなものだった。竜の炎に焼き払われて灰燼と帰した者、魔物の爪牙に掛かり身を砕かれた者、更には呪文の力に中てられて命を落とした者もまた、倒された魔物の群れに混じって、死地の礎と化している。
「ええ、部隊長。ビロド殿が御存命であれば、この魔物の群れ如き、然したる苦もなく討ち果たせたことでしょうに。」
「ふん…聖堂騎士に属すると言え、所詮は下級僧兵。金目当てでその世界に踏み入ったばかりの傭兵もどきとなんら変わりはない。」
 かつてこのメルキドを守護していた聖堂騎士団長――聖騎士ビロド。その肩書に相応しく魔の者を一体たりとも許さぬまでの苛烈な戦い振りによって騎士達の士気を上げて、メルキドに降りかかる火の粉を残らず払ってきた剛の者である。だが、彼もまた大魔王ゾーマに挑まんとして、彼が信頼を寄せる精鋭もろとも闇の内に消え、未だ戻ることはなかった。
 その遺志を継ぐ形で聖堂騎士団は今も尚魔物と戦い続けているものの、重なる戦によって多くの者が次々と命を落とし、新たに加わる者達の力の質が落ち続けているのも明白だった。
「もはや、腐敗は止められそうにないですな。もっとも、これだけの備えが無為と知れば無理な事ではありませんが。」
「使える者は百人がいい所か。今の小競り合いの中で、どれだけ生き延びたかね。」
 既にかつての強さは微かに面影を残すばかりとなり、それを支える古参の精強な騎士も次第にその数を減らし続けている。そして何より、闇の世界という環境の中で、如何なる強者が集まったとて超えることのできない限界――現実を前に誰しも苦悩していた。そんな己の無力さを噛み締めて絶望する者も後を絶たない。

「時に、博士が作っているという人造の巨兵の制作については何か聞いているか?」

 崩れゆく前兆を垣間見せる騎士団の現状を省みつつ嘆息しつつ、部隊長は部下へとそう尋ねていた。
「まだ人の域を出ない程度のものですが、徐々に完成しつつあるそうです。」
「そうか。ならば後でわしも見てみるとしよう。今度こそ、実用できるものであって欲しいものだ。然すれば、我らは街中の守りに専念できるからな。」
「はっ…」
 この程度の魔物の群れを撃退する事ができなければ守護者を――騎士を名乗れるはずもない。だが、目先の魔物を倒したとて、その守りを掻い潜って町へと侵入した魔物に対してはどうしようもない。日に日に数を減らしつつある聖堂騎士達にとって、それは半ば運命にも等しい程に頼みの綱であった。己が役目を十二分に果たせるかが、それによって決まると言っても過言ではなかったのだから。



 巨壁によって隔てられた町の内部。連なる敷石の道、建ち並ぶ多くの店屋や家屋、そして神像が随所に立つその景観は、守らなければならぬと自負させる程の神聖さを帯びていた。聖堂騎士と城壁の守護の下で、厳粛ながらも人としての営みを以って活気に溢れた町並みが続いていたはずだった。


「どうなってやがるんだ。この町は…。」

 だが、ホレス達が見る光景に、在りし日の栄光はその面影すらも見せていなかった。
「おい店主、仕事はどうした。」
「仕事ぉ?馬鹿言ってんじゃねえ。もうじきこのメルキドも落ちちまうんだ。こんな立派な城壁だって、向こうからすればハリボテも同じなんだぜ。」
 旅を続けるための物資を補給するべくしてホレス達が訪れた店屋。だが、そこでまともな取引を行うことはできなかった。商品が陳列されている棚には埃がたまり、店内も酷く汚れている。既に長きに渡って仕事を行っていないのは明らかだった。
「ガライ…これは一体?」
 もはや気力を失くしたような店主の言葉から、ホレスはふと気に掛かることがあった。メルキドを囲う堅牢な城壁が、あたかも役に立たぬような物言いは一体何なのか。
「こちらに来ている方は、他から逃れて来た者が幾分多いのです。ですが、ここに居ても幾度か闇の手の者の侵入を許して、多くの市民達が犠牲になっているのです。」
「それはまずいな……。どこに逃げても無駄とはよく言ったものだ。」
「ええ、これは本当に酷い。」
 世界が闇の帳に覆われてより、小さな集落は闇夜の下で凶暴化した魔物の手によって常に脅かされることとなった。その命の危険に耐えかねて己の故郷を捨て、城壁によって守られたメルキドの町へ逃げ込むことで少なくとも魔物の脅威から逃れんとする者は今でも後を絶たない。だが、この町にあっても守りを掻い潜ってきた魔物の手に掛かる知らせを聞いて、結局彼らは旅が徒労に終わってしまったことを知って絶望する事となった。

―だが、そうも簡単にこの城壁を超えられるものなのか?

 既に城壁の内側であっても、魔物がいつ現れるか分からない状況となっているのはここにくるまでに語らう人々の話からすぐに察することができた。確かに城壁をものともせずにメルキドの街中へと侵入できる魔物など幾らでもいるに違いないが、それでもこの町を守る騎士団がいる限りは好き勝手はできないはずだった。外の城壁、内の騎士団。先に見えた戦いぶりからも十分に役目を果たしているはずのそれらの守りだけでは、まだ不十分なのか。それとも……
「それよりも兄ちゃんよ、闘技場の方に行ってみろよ。面白いモンが見られるぜ。」
「面白いもの?」
 当然のはずの現状の中で僅かに納得できぬ部分にホレスが思考を巡らせていると、店主が何かを勧めてくるのが耳に入ってきた。
「あんなんでも見てねえと、やってらんねえ。せめてもの欝憤晴らしだよ。」
 生業を――文字通り生きる術を捨てて尚も、まだ楽しみとできるものが残っているらしい。だが、その顔にはやり場のない怒りを含んだ下卑じみた笑いが浮かべられており、大分心を歪められているのが見て取れた。絶望の一端ですらも、こうも人を変えてしまうのか。
 絶望のあまり怠惰に堕した者達が抱く暗い心の底は、誰しも知る由もなかった。



 失意に落ちて、町全体が鈍重な空気に押し潰されたかのような静寂に満ちている。街中にすらも闇の手の者が現れたという過去の事実に怯えてのことか、人通りも非常に少なく、僅かな精強な騎士達が巡回するだけだった。
 とある宿の主人は己の最後の仕事を成さんとしてか、無償にも等しい程の額でもてなしてくれた。だがそんな暗闇の中の善意も、荒んだ治安と人々の心の裏返しのようであり、メルキドの町が破滅への道を歩んでいる事実を知らしめることに変わりはなかった。

「元は聖騎士団の練兵場だったと聞いてます。今も、その役目を果たしているのは確かですが。」

 もはや気力を失ったあの道具屋の男が告げた快楽の場。そこだけが確かにこれまで歩んできた暗き道とは一線を成す程までの活気に満ちているように思えた。焚かれる灯は、地下に拵えられた空間を照らし出している。あたかも昼のように明るくなった所に群がるように、多くの人々が押しかけている。暗がりの中に灯る炎に集まる虫達のように…。
「形骸化しつつあるとはいえ、まだメルキドには多くの強者達がいます。彼らが弱った魔物を捕らえて、こうして見世物としているのです。」
 炎に囲まれた中心に、互いに牙を剥き合う二体の獣の姿がある。一体には鋭く斬り裂かれた跡が額に残り、もう一体は炎で焼かれて毛を焦がされ剥き出しになった半身が見える。彼らこそ、聖堂騎士達に捕らえられた魔物の群れだった。
「…………。」
 人々の目は、その囚われの魔物達が喰らい合う様子に釘づけとなっていた。常ならば自分達を脅かす爪牙が、今は座興を成す道具として使われている。その滑稽な現実をあざ笑うかのような歓声が、地下の闘技場の中に響き渡っていた。
 その熱狂も、世界全体を闇の牢獄と化されたことの嘆きと怒りが裏付けるものでしかない。そんな事でしか己を満たせぬ哀れな者達に何かを感じたかのように、ホレスはただ俯いていた。


 一つの敵たる者の命が刈り取られ、生き残ったもう片方の魔物が咆哮を上げると共に、不意に喇叭と太鼓の音が闘技場の中に響き渡る。次の獲物が現れたことに対して再び獣の感覚が研ぎ澄まされる。
 向かいにある鉄格子の方から、金属が打ち鳴らされる音が幾度も聞こえてくる。鉄格子が開くと共に、一段と豪奢な金細工の施された白い鎧に身を包んだ精悍な騎士が現れる。彼らに率いられるように、鉄の甲冑を纏った騎士達が続いていた。

「いいか!手負いとはいえ、魔物は魔物だ!一瞬の躊躇が命取りとなることを努々忘れるな!」

 先頭に立つ白銀鎧の騎士が、先の戦いで生き延びた魔物へと剣の切っ先を向けつつ、後ろに控える騎士達へ向けてそう檄を飛ばしていた。それに応えて一斉に剣を抜くも、魔物が向ける睨みを前に一人が思わず後じさる。だが、その瞬間、鉄格子の扉は閉ざされてただ一つの逃げ道は失われた。

「では、はじめっ!!」

 引き攣ったような声が甲冑の中から零れるのが全く聞こえていないかのように、騎士の長はその剣を振り下ろした。それを合図として、鋼鉄の騎士達が次々と手負いの魔物へと攻撃を仕掛けていく。
 退路が失われたのは魔物もまた同じだった。どのみち途方もない程に飢えているからこそ、この戦いから逃げる理由は毛頭ない。逆に襲い来る騎士達を返り討ちにし、残らず喰らってやるべく再び立ち上がり、足を竦めた騎士のひとりへと躍りかかった。



 次の瞬間に上がったのは、狂乱に満ちた人々の絶叫だった。



「……とんだ道化だな。」

 嵐のように吹き荒れる人々の叫びに対して煩わしさを感じているかのように耳を塞ぎつつ、ホレスは不快感を隠さずにそう呟いていた。
「ええ。崇高な心に従えた古の高潔な騎士団はどことやら。」
 闘技場の中からも、勝利に打ち震える騎士達の勝鬨がこだまする。魔物を仕留めた槍を掲げる騎士に、観客達の歓声が惜しげもなく与えられる。精鋭の騎士達が魔物を捕らえ、新たな騎士達が己が技の糧とする。そうすることで、徐々にその数を減らしつつある聖堂騎士団の存続を図っているらしい。
 だが、人ならざるものとは言え、捕囚に対しての扱いは騎士達のものではなかった。骨までしゃぶり尽くす程の見るに堪えない凄惨な光景を前に、人々もまた目を背けるどころか、憎き仇が同じ人の手によって命を奪われている様に完全に見入っている。在りし日より語り継がれていた、まさしく聖騎士の名に恥じぬ清廉なる者達の姿など、どこにもなかった。

「なあ、ガライ。妙だと思わないか?」

 死した魔物に対しての罵声と、それを見事に討ち果たした騎士達への喝采が未だに続く中で、ホレスはガライへと耳打ちした。
「一体誰が、こいつらを煽りたててると思う。こんな絶望の縁にある町で。」
「煽りたてる…ですか。気のせいであって欲しいものだと思いますが。」
 確かに、自分達ではどうしようもない魔物に脅かされ続けることに対してのやり場のない怒りは想像もつかない。それでも、この寂れゆく町がこのような茶番によってしか奮い立たなくなってしまったことに、疑問を覚えずにはいられない。そもそも、こんな下らぬことを一体誰が、どのような真意を以って始めたのだろうか。


「おいおっさん。この町を守ろうとしている奴らにそんな言い方はねぇんじゃねえか?」


 ここで繰り広げられていることそのものに対して疑念を露にしている中で、後ろから年若い少年が咎めるように告げる声が聞こえてきた。
「お前も騎士団の一員か。」
 特に驚くわけでもなく、ホレスは静かにその声の主へと向き直っていた。騎士が纏う礼服に、腰に帯びた長剣を帯びた茶髪の少年。彼もまた、騎士の端くれであることは一目見てすぐ分かることだった。
「ヘッ、おれはなぁ、さっきの戦いでメイジキメラ五体仕留めたんだぜ。その武勲を以って今度からようやく小隊持ちよ。ま、ドラゴンを片付けたおっさんから見れば、そんなものは大した手柄じゃあねえんだろうけどよ。」
 だが、その最初の言い振りとは裏腹に、先程までホレスが好き放題言ってのけたことに対する苛立ちなどは微塵も感じられなかった。それよりも、このメルキドに辿りついた時の戦い振りを見てのことか、好奇心さえも露わに親しげに話しかけてくる。
 
「一つだけ聞こう。お前は、何のために戦うんだ?」

 己の武勲を鼻に掛けるような少年の言葉が気になって、ホレスは彼へとそう尋ねた。
「決まってんだろう。おれの家族をひでえ目に遭わせた魔物共に一泡吹かせてやるためさ。そんためには命だって惜しくはねぇ。」
「……。」
 闇に閉ざされてより、魔物の手に掛かって死んだ者、生き永らえたとて深い傷を負ってしまった者、先立たれて残された者達は数知れない。少年もまた家族との絆を魔物の手によって引き裂かれて、その復讐のために聖堂騎士の道を歩み始めた。彼だけに留まらず、魔物に対して憎しみを募らせるのは誰しも同じことであり何ら不思議ではない。だが、だからこそ、彼らもいずれここに集う観客達のように歪んだ形でしか生きる道を見い出せなくなってしまうのではないだろうか。
 そんなことを感じながらも、ホレスは少年の生きる道を止めることなどできなかった。

「だが、ここだけの話、おれもお上のやり方がわかんねえんだ。あんたが言ってたこともあながち間違いじゃねえ。」
「何?」

 ふと、騎士の少年は不意に己が抱く疑念をホレスに向けて吐き出していた。相手が他所から来た旅人で、この町に対して明らかな疑念を覚えているのを感じられたからこそ、そのような言葉が口に出てきたらしい。
「と言っても、おれ達騎士団の内輪話になるけどな。ビロド様がいなくなっちまってから団長に新しく就任したカネル様が本当に分からねえ。」
「一体何があったんだ?」
 前聖堂騎士団長―ビロドはゾーマの討伐に赴いたまま帰ってくることはなかった。その後を継ぐ形でカネルと言う者が新団長となってから、騎士団全体が大きく変わることとなったらしい。
「ついこないだまで死人のようだった奴が、どうして前線で狂ったように戦いだしたか未だに分からねえ。その殆どが、カネル様御自らが選ばれた奴らなんだよ。一体何を吹き込んだんだかな…。」
「何だと…?」
 それを問い質すホレスに答えるべく、少年は更に言葉を続けていた。
 聖騎士ビロドという心の支えを失ってより、騎士団全体は失意の中に落ちて士気も日に日に下がり続け、一時期は城壁内にまで魔物の侵入を許してしまう程であった。だが、カネルがその座についてより、完全に戦意を失っていたはずの騎士の何人かが人が変わったように前線に立って魔物達を圧倒し、時には壮絶に刺し違えることさえもあった。
「さっきの戦いも見ての通りだ。おれ達とは次元がまるで違う。ま、そんな奴らを差しおいて、おれが小隊長ってのが逆に嬉しいもんだけどな。」
 そんな死を恐れぬ戦いを繰り広げる者達を前にしては、どんな自信家であっても実力の差を痛感せざるを得ない。だが、彼らが持たぬものを以ってより上位の身分を与えられたことに対する喜びもそれだけ大きなものとなることは確かだった。
「ご武運をお祈りします。しかし、恐ろしい方ですね…。まるで死人さえも生き返らせるような……。」
「だろ?けど、あんな捨てばちな戦い方、何か気に入らねぇんだよな…。絶対に負けられねえぜ。」
 聖騎士亡き後に突如として現れた狂戦士とも呼び得る剛胆の士。それを呼び起こした新団長カネルとは一体何者なのか。だが、己の死をも求めるかのように闇雲に魔物へと襲いかかる彼らの姿はどこか痛々しく、また見るに堪えないものがあった。少年が彼らへと対抗意識を燃やしているのも、或いはその人とかけ離れた意識が元となっているのかもしれない。

「…………。」

 闇の帳が落ちてから既に二十余年、聖堂騎士団の要が消えてからもそう短くはない。にも関わらず、未だこの町があり続けているのはなぜか。
 以前とはその姿を異にした騎士団――聖騎士の下であくまでも高潔であり続けたあの時と違い、今は死者に等しいはずの者達が中心となって魔物を駆逐し、更に生き延びた魔物までも痛めつけるような残酷な一面を強く見せつけるようになった。
 今のメルキドが存続しているのは品格を代償して得た力の賜物なのか、それとも……

「ホレス、どちらへ?」

 何を思ったか、ホレスは沈黙のままに立ちあがり、そのまま闘技場の喧騒から去って行った。後を追いつつ尋ねるガライの言葉にも答えることもなく……。