地の命脈 第三話



 ドムドーラの命そのものとも言えるオアシスの潤いを支える水脈。それを利用すべくして地を掘り起こす動きはこの世界が闇に包まれる前よりあり、町の随所で井戸が作られていた。そうして湧き出た水は、人々に快適な暮らしを約束したはずだった。
 だが、いつからかその流れが失われて、皆が利用できる水の量が目に見えて減り始めた。このままでは人々が渇きに苦しむのも時間の問題だった。
 それに危機感を感じた者達が、新たな水源を求めて再び地を耕し始めるも、結果は芳しくなかった。

「……畜生、掘っても掘っても出てきやしねぇ。」

 ここでもまた、工夫達の苦労の甲斐もなく、大地はただ静寂を返すだけだった。
「うーん、ここに確かに水脈があるはずなんだけどな…。」
「確かにあったみてえだが、枯れちまったのか…。」
 掘り当てた先には、水によって削り取られた跡が数多く見られた。そこにはかつて数多くの水が流れていた形跡が残されている。それでも、水そのものは一滴たりともなく、せっかく掘り当てた先にあった大空洞を前に、皆はただ落胆するばかりだった。
「先生、あんたを責めちゃいねぇ。そんなに思い悩むこたぁねぇぜ。」
 ここに水脈の存在を予見していた地質学者が肩を落としたのを見て、工夫達が宥める。
「だが、このままでは本当にここの水がなくなるのも時間の問題だぞ…。そうなったら…」
「考えたくもねえな……」
 が、なまじこの大地の可能性を把握しているが故に、学者はこの先に待ち受けるであろう最悪の結末を明確に予感していた。幾つかの大きな水脈を当たっても無駄に終わり、これから調べられるところも限られている。
 今湧き出ている水源だけを頼りに生きていかなければならない。それが尽きたとあれば、ドムドーラの町は滅びに至るまでに更に凄絶な道を辿ることになるだろう。

「じいさん、見ての通りだ。やっぱ状況はよろしくねぇ。」

 今のやりとりを黙して見守っていた老人へと向き直りつつ、工夫が一言そう告げていた。


「ふむ…」

 目深に被ったフードの奥の双眸を細め、ガライはその光景を見て一息零していた。落胆した様子が薄いのは、一度同じものを見ているが故のことだった。
「ここも、だめなの…?」
「ああ、この町のあちこちでやってるけど、これ以上は出る気配がねぇ。参ったぜ。」
「飲み水を少しでも補給したかったわけですがね。」
 夜でも大地からの熱気が強い砂漠を抜ける中で、レフィル達は多くの水を使ってきた。それを補うべくして各地の水源を訪れてみたが、その多くが水を余所に回せる程の余裕がなく、最悪の場合既に枯渇しているところさえあった。
「ああ、そりゃあな。だったら、あそこに当たっとくといい。この町の南に放牧場がある。そこも確か水通ってるって話だよな、先生。」
「そうだったな。今も十分な量が残っているかは分からないが、行ってみると良いだろう。」
 この先も旅を続けていくならば、水の補給は必要である。それを見越して、工夫達はレフィル達へと次の指標となりうる事を告げていた。あてもなく荒探しを続けるように見受けたが故の配慮だろうか。



 ガライの旧年のよしみで武器屋のオーシン夫妻の下に身を寄せる中で、レフィル達は次の旅立ちへ向けての備えを行っていた。防具の修繕や剣の研磨は、丁度良く武具を取り扱うオーシンへと依頼して、今は食糧と水やその他の必要になる物資の調達を行っている最中のことだった。


「前に一度、本当に水が出なくなったことがあってな…。その時はどうなることかと思ったぜ。」

 一度夫妻の家へと戻り、昼食を共にする中で、オーシンは記憶に焼きついた危機的な状況について語っていた。
「だから今、ここまで徹底して…」
「ああ。お偉いさん方の英断には感謝しなきゃな…。」
 水不足に困る状況は幾度かあったが、特に危険な時の話だった。闇に包まれてから気候すらも変わり、以前にも増して雨も降らなくなる中で、町の水源の中心であるオアシスすらも枯れてしまったことがあった。一時は限られた水の奪い合いになる程の騒ぎとなり、人々にはこの上ない不安が付き纏う日々が続いていた。
 幸いにして、枯れたと思っていたオアシスが再び十分な量の水で満たされ始めたために、この時はドムドーラの町は滅びずに済んだが、死を覚悟する程の悪夢にも似た日々は心に大きな影を落とすに十分だった。

「……やっぱり、まずい。」

 深刻な状況を伝え聞いている中で、ムーは声色に感情を乗せない声で一言ぽつりとそう呟いていた。
「味気なさすぎる、このスイカ。」
 卓を囲んで語らっている中で、その上に乗せられている赤く脆い果肉を輪切りにしたそれを、ムーは先程から一心不乱になって貪り続けていた。
「ム、ムー……」
 淡々としながらも何かを訴えかけるようにはっきりと呟くその言葉に、皆は思わず振り向いていた。が、その口から次に出たのは話の流れを断ち切る個人的なものだった。同意するような意味で”まずい”と言ったことと思いきや、偶然にも口にしていたスイカの話をしていたという奇妙な経緯に、レフィルは思わず返す言葉を失っていた。
「ま、だろうな。けど、何だかんだでちゃんと残さず食ってるじゃないか。」
「好き嫌いはよくない。」
 それに対して、他の者達はその子供のような外見に違わぬ彼女の純真さを見て微笑ましげな視線を送っていた。味が良くないことをはっきりと告げながらも粗末に食べている様子はなく、芯にまで届かんばかりの見事な食べっぷりにオーシンも思わず感心するほどだった。このスイカひとつでも恵みの失われつつあるこの世界では貴重な食べ物であることをムーも理解しているのだろう。
「そういえば、このスイカはどこで?」
「東の浜辺で、どうにか栽培できそうなところがあるんだよ。こいつの水分は中々に重宝するんだ。」
 今はこうしておやつとして切られて並べられているものの、お世辞にもいい味と言えるものではなかった。それでも、水不足に悩むこの町では水分の補給にはうってつけの代物である。その栽培の手段が確立しているのは、不幸中の幸いとも言えた。

「日の光がないなりに育ってくれてるというのは、やっぱりルビス様のお陰だよ。」

 その恵みに感謝する気持ちを向けるように、オーシンは天の遥か彼方を仰ぎながらその名を口にしていた。
「ルビス…これが、精霊神の力だと言うの?」
「ああ、今俺達が生きていられるのは、ルビス様の加護あっての事だぜ。」
「………。」
 あたかも無条件で信じられるような存在のようにもてはやされている様に疑問を感じえなかった。神を騙る者がいたとしても、神そのものたる存在を目にする者は誰もいない。いずれにせよ、そのような曖昧なものの加護を信じることがレフィルには分からなかった。
「ガライさん、あの……」
 ドムドーラを行く最中で感じた夜の砂漠にあらざる熱気。それは地中から湧き上がり続ける熱そのものに他ならない。或いはそれがルビスの加護と関わりがあるとでもいうのか――彼女にはそう思えなかった。
「マイラの村の北西にある地に、精霊神を祀る祠がある話はしましたかの。」
 答えを求めるようにしてぼそりと問い掛けるレフィルの言葉の意図を察したように頷くと共に、ガライは言葉を切りだした。
「…はい。あの時にもう聞きました。」
 ガライの家に一度準備に向かって暫しの間滞在していたその時に、ルビスに纏わる話も数多く聞いていた。世界を創世したとされる神話の時代における所業も、今封じられたとされる顛末さえも。
「ゾーマの奴め…怖れ多くも塔なんか建てて、そのてっぺんにルビス様を封じ込めちまったと来てる!」
「そのお姿を見た者は誰もおりません。ですが、あの日以来、アレフガルドが闇に包まれてしまったのは事実ですな。」
「………。」
 創世の神を奉るべくして建立された聖堂。かつてはマイラの北西の地にあった大きな半島に、多くの人々が訪れていた。だが、あの日突然雪崩れ込んだ不埒な者達によって聖堂は破壊され、代わりに天を衝く程の空高く禍々しい尖塔が建てられた。
 精霊神ルビスがゾーマに封印されたという噂が飛び交っているものの、その様を実際に見届けた者は誰もいない。そんな不明瞭さにも関わらず、人々の間で精霊神が大魔王の手に落ちたと噂されているのは、日の光を失ったからに他ならなかった。
「こうしてわしが同行させていただいておる理由の一つかもしれませんな。一度ご神体を拝見してみたいという下らぬ願望がね。そして、その封印が解かれた時のことを…」
「そうだったんだ……。」
 噂されているように、神と謳われたルビスが悪魔達の塔の頂上に封じられているとすれば、その姿を見ることも叶うかもしれない。人の起源とも言える存在との邂逅こそ、ガライがいずれ望むことであった。
―でも、ガライさんまで…
 詩人という自由気ままな立場からか神と言う存在すら斜に構えたように見るガライでさえも、精霊神の存在に捉われている。そのような姿を見て、レフィルは己の中から何かが崩れ落ちるような感覚を覚えていた。
―本当に、信じていいの…?
 虚構でしかないはずの信仰の対象――精霊神ルビス。闇によって陽光が失われた後にも大地の加護によって、この世界が長らえるきっかけを、或いは彼女が作っていたのだろうか。だが、レフィルにはやはりそう信じることはできなかった。
「別にどうでもいい。ゾーマをやっつければこの闇も晴れるはず、たぶんだけど。」
「ふぅむ、それは残念なことで。」
 一方で、ムーは元より精霊神の存在について興味がない様子だった。この世界の闇を払うことよりも、レフィルを苦しめている大魔王ゾーマを倒す、今はそれだけだった。
「ですがこの際、神頼みとでも思って、一度向かわれてはいかがでしょうかね。」
「神頼み……か。」
「ふぇふぇふぇ。まぁ幸い、あの辺りには良い武具を作る刀匠も数多くいるようですし、決して損はしないはずです。わしの我が侭を聞き分けて下さるならば、どうぞ心の片隅にでも置いて下され。」
 世界そのものを変えてしまう程の神に近しい存在に立ち向かうに、今の自分達では力不足であることは分かっていた。神を信奉することをせずとも如何なる形であれ、もっと強い力を願うのはゾーマを止める目的を果たすにあたって必要と思い知らされたあの時――ムーの全力と歴戦の傭兵の総出で掛かっても、成す術もなく敗北することを余儀なくされたあの光景が、今も深く思い出されるようだった。



 焚かれる篝火が照らす木造りの柵の奥に、牛馬が佇む牧草の生い茂る農園。側に立つ牧舎からは干し草の匂いが立ち込めている。
 その周りを覆うように、水路が敷かれてここに生ける者達全てに潤いを与えていた。


「ここのようですね。」

 地質学者達の紹介でレフィル達が訪れた古くからの水源の一つ。かつて掘り起こされたそれを中心として、砂中の地から考えることのできぬ程の広大な草原が広がり、ひとつの遊牧地として栄えた過去があった。
「やっぱり、水はない。」
「そのようですね……。」
 だが、今三人が目にしている古の水脈は、水音一つ返さぬ静寂に包まれていた。農場の片隅に位置する湧水を湛えていたはずの泉も今では枯渇した跡が大きな窪みとして残っているだけだった。
「無常、とはこの事でしょうな。」
 ここに至る途中、水源を失って、これまで垣間見てきた農場に生ける家畜達も、生い茂る草も、その全てが渇きに苦しんでいるのを目にしてきた。この地の過去を見てきたガライでなくとも、大きく取られた小屋や古びた農具の類から、ドムドーラの遊牧が長きにわたって行われてきたことを察する事は容易であった。それだけに、こうして寂れゆく姿を見ていると、途方もないものを感じえない。

「………え?」

 殆ど枯れ果ててしまった泉を暫く眺めている内に、静寂の中に風の音が響き渡り始める。それがただ一瞬だけ止んだその時、レフィルは不意に首を傾げた。
「レフィルさん?」
「何だろう、この匂いは…?」
 無為に流れゆく時間の中で、誰が発した言葉に対してでもなく何に疑問を覚えたのか。その突然の挙動に二人が不思議そうに眺めるのも気に留める事もなく、レフィルは窪地の中へと足を踏み入れて、中心に向かって歩き出していた。
「どうしました?」
「!」
 地面へとしゃがみ込んで夢中になって何かを探る仕草を見せるところに、ガライは呼び戻すように問い掛けた。
「あ、いえ…。どうもこの辺りの土の匂いが普通と違う気がして…。」
「匂い…ですか。わしには感じ取れませぬが…。それよりも……」
 それでようやく我に返ったのか、レフィルは探っていた辺りの地を指差しながら訴えかけていた。だが、立ち込める土の匂いに大きな変化を感じることはできず、彼女が伝えんとする感覚を解するのも叶わなかった。
 その一方で、ガライはレフィルが示す先に別の何かを見い出して目を細めた。

「水が出てる。」
「ふむ…とはいえ、これでは……」

 地べたにしゃがみ込みつつ顔ごと覗き込むムーの無表情そのものが、明かりの光を照り返してその小さな面へと映し出される。小さな動きも感じられぬ程の一筋の弱々しい流れが、湧水の池の中心で静かにせせらいでいる。
 それが或いはこの農場の最後の水になると思わしめる程の、儚い水面を作り上げていた。既に家畜を養える程の水量もなく、ただ枯渇させぬがために長らえているだけのものでしかなかった。
「匂いが変なのはこの辺なんです。何だろう…。ここだけちょっと土の匂いが弱いような……」
「弱い……ですと?水のせいではなく?」
 最早僅かばかりの水を眺める二人を横目に、レフィルは更に奥へと足を進めていた。誰しも共感し得ない何かに従うままに、水面に竜鎧の脚絆の先を踏み入れる。

「だから、もしかしたら……」

 水の上を進む中で、波紋が幾度も水面を伝う。それが消えていく中でいつしか風も凪いで、辺りは完全な静寂へと包まれる。
「レフィルさん?何を……」
 何かに取りつかれるようにして水の中心へと足を進めるレフィルに、ガライが思わず尋ねんとしたその時、彼女はその声が聞こえていないかのように振り返ることもせず、腰に帯びた剣を静かに抜き放っていた。

「吹雪の剣を……?」

 冷涼な響きを思わせる程の金擦りの音と共に、白銀の刃を宿した深い蒼の三叉の刀身を持つ剣がその姿を現し始める。少女が手にするその凄まじい力を宿した魔剣・吹雪の剣の切っ先を向けるべき相手――彼女に牙を剥かんとする輩はここにない。ならば、一体何をしようと言うのか。
「…………。」
 左手に取った氷剣は、今は水面をなぞることもなく虚空を指し示している。それを取るレフィルは瞑目したまま静かに佇んでいる。


――……見つけた。


 一瞬の間に悠久の時が過ぎ去らんが如き集中によって己の感覚を研ぎ澄まし続けた末に、レフィルは閉ざしていた目をゆっくりと見開いた。同時に、切っ先を宙に遊ばせていた吹雪の剣の切っ先を地の一点を差すように向けて、両手で掲げるようにして強く握り締める。

「アストロン」

 その紫の双眸が見えざるはずの何かを迷いなく一点を見据えるように止まったその瞬間、レフィルは呪文を唱えていた。
「これは……」
 その身を魔鋼と化すことによって全ての脅威から身を守る究極の守りの呪文――アストロン。その力が、これまでもずっと研ぎ澄まされてきた鋭剣の白刃を薄く包み込み始める。そして、この上ない程の至高の刃として集束される。
 何の前触れもなく、レフィルは鈍色の照りを返すその切っ先を地面に突き込んだ。空を裂くかのように、湧水を求めて掘り起こされた末に現れた硬い岩肌をも容易く貫く。

「むっ!」
「!」

 彼女が静かに刀身を引いたその瞬間、貫かれた一点を中心として地面に巨大な亀裂が生じる。程無くして砕け散ったそれらは、冷たく迸る何かによって天高く舞い上げられた。
「これは…!」
 レフィルの剣が切り開くことで呼び起こされたそれらに、ガライは思わず言葉を失っていた。
「水が……」
 打ち砕かれた地面から際限なく湧き続ける水が、天を衝かん程の勢いで吹き上がっている。

「…………。」

 上へと流れる激流を目の前にしても、レフィルは表情を変えることなく静かにそれを眺めていた。暫くして、水かさを増し続けて蘇りつつある泉の底へと視線が落とされる。
 波立つ水面のゆらめきの中で、一層強く明かりを照り返す蒼穹の光へと、その手が伸ばされる。
「……こんなものが邪魔してたから、水が通らなかったのね。」
 それを拾い上げつつ、レフィルは溢れ返る水の中から上がりつつ、二人の下へと戻ってきた。水飛沫を避ける素振りすら見せぬ中で、妙に虚ろな表情を浮かべているように見える。
「それはなに?」
 砕け散った岩床の中から現れたのは、夜空の如く暗い蒼の鉱物だった。小さな剣のように細長く伸びて、厚みのある不思議な形をしている。
「ふむ…これはもしや…?」
 長い間土の中に埋まっていたためか強く曇りがこびり付いてはいたが、微かに見える輝きは磨かれた鏡面のように澄んだ光を照り返している。夜闇の中の星の如きそれは、青白い煌きを微かに宿していた。