地の命脈 第二話



 大地の加護によって日の差さぬ夜においても熱気に包まれた夜の砂漠。その一角にあるオアシスを中心として築かれた礎の上に、外からの砂塵や魔物の襲撃に備えるための大きな石壁がそびえ立つ。

「これは……」
「ふむ……。」

 外と内を隔てる石壁の内側には、交易都市の名に違わぬ程の装いだった。大通りには丁寧なまでに石の道が敷き詰められ、多くの店屋が立ち並んでいる。

「見る影もない。」

 かつてはこの町を訪れる多くの隊商達や何も知らずに無邪気に遊びまわる地元の子供達まで、様々な人々による喧騒に包まれていたはずだった。だが今は、僅かばかりの人々が閑静な商店街の中で、魔物退治を生業とする傭兵達が戦の際に必要な武具や道具を買いそろえるためにさまよう姿が良く見られる程度に留まっていた。
 闇の世界と化してから多くの者達が死に、外に蔓延る魔物の群れを前に商人達も動くことができない。外からの物流が衰退している今、かつての繁栄を目にすることは叶わない。
「本当に、オアシスの町だったの?」
「はい。闇の帳に閉ざされるより前は、もっと潤い豊かな街でしたな。」
 そして、何より二人の目についたのは、枯れ果ててゆく大地そのものだった。砂漠という環境であることを差し引いても、オアシスにある地としてより一層の育みを見せているはずの緑は色褪せて、今にも命尽きそうな弱々しい姿を晒している。その生を支えているはずのオアシスも、今は浅い水たまり程度の深みしかない。
「いずこに赴いたとて、既に罅割れた氷床と同じこと。滅びゆくのももはや時間の問題ですな。」
 瑞々しさを失い、今また不毛の地へと逆戻りしようとしているドムドーラの町から、滅びの運命を垣間見られる。それはドムドーラばかりでなく、ラダトームの王城も、メルキドの城塞も、はたまたマイラやリムルダールも例外ではない。ガライはこれまで歩んできた道を顧みるように空を仰ぎながら、思うところを言葉に出していた。
 日の光を失ってより、アレフガルドにはもう未来はない。

「でも、何だか騒がしくない?」

 閑散とした空気の中で、レフィルは遠くの方から伝わる人々の話声に耳を傾けつつ思わずそう尋ねていた。
「お祭り?」
「ふむ、これは何かいい知らせでもあったかの。」
 静まり返った大通りの方とは対照的に、ひとつの路地裏から笑い声と共に明るい会話が聞こえてくる。祭りのような大きな代物でこそなかったが、美味い肴を囲んでの一つの宴のような雰囲気が感じられる。

「おお、ガライさんじゃないか!」

 そこまで足を運ぶなり、ガライの姿を見た誰かが親しげにそう呼びかける。
「ほっほ、久し振りじゃな、オーシンさん。」
 その声の主がかつての知己であると、ガライもまた微笑みを浮かべながら応じていた。
 実り少ないアレフガルドで育ってきた他の住人達と同じように、些かやつれた中背の男だった。だが、仕事着の皮の前掛けは幾分煤に塗れ、火に近しい生業を行っていることが伺える。どうやら武器屋の主人らしい。
「まぁ、立ち話も何だし、うちに来ておくれよ。」
「うむうむ。この子らを連れての旅は、思いの外疲れるものでな。」
 周りの酒場や食堂の類は、近隣の住人達が多く押しかけてきて歓談する者達でごった返している。かの武器屋の男――オーシンもまた、いくらか酒を飲んだのか、微かに顔に赤みが差して愉快そうに振る舞っている。
「つかれる?」
「ふぇふぇふぇ、特にあなたのような元気のいい娘に合わせて動くのが大変なものでしてなぁ。」
 男の言葉に対してちらと零した言葉が少々気に掛かったのか、ムーが思わず鸚鵡返しに呟く。それを受けて慌てることもなく、ガライは苦笑を浮かべながらムーの肩をぽんと叩きつつ答えを返していた。
 記憶の彼方の頃の経験があったお陰か、長旅にも苦することない体力が子供のような体にあることは、誰の目から見ても驚嘆するべきことだった。
「でも、まだまだ元気。」
 が、ムーもまた、ガライ程の老体で吟遊詩人を続けられる程の気力があることを不思議に思っていた。
「そりゃあ、ガライさんはもうずっと昔から旅を続けてるからね。何事も経験の積み重ねって奴だろうさ。」
「確かにのぅ。昔はすぐに音を上げる軟弱者でしたわい。そういう意味では、ムーさんが羨ましいのですよ。」
 古木のように皺を刻み体躯も縮みつつある中でも、これまでの旅の経験が生きている。生気あふれた若き頃であっても、心弱ければ旅路になど赴けようはずもない。その頃と同じくして既に気力体力共に充実しているからこそ、ガライにはムーの姿が幾分眩しくも感じられたのかもしれない。
「もちろん、レフィルさんもですよ。これ程の素質、戦士としてだけで終わらせては勿体ない気がしてならぬのですよ。」
「戦士として…だけ?」
 次いでガライが告げた言葉に、レフィルは思わず困惑の表情を露にしていた。旅の経験のみならず、魔物を打ち払う剣技や呪文については望まぬながらも幾分進んだところまで来ている自負はある。だが、逆に言えばそれ以外は特筆すべきところを何一つ持たない自分に何を期待しているのか。
 言葉を投げかけた老人は、小脇に抱えた竪琴をさすりながらにこやかな笑みを返すだけだった。



 オーシンの案内の下、宴が繰り広げられている中を横切り、この近隣の者達が住まう長屋へと辿りついていた。皆が出払っているからか、遠くに聞こえる騒がしさが鮮明に聞こえる程に静まり返っている。

「子守唄……か。」
「ええ。」

 その中で、女性の愛でるような優しい歌声が流れるようにして届いてくる。それを耳にして得心したようにレフィルが呟くのを拾い上げるように、ガライは頷きを返していた。
「こんな世界であっても、歌は途絶えることなく語り継がれているという事ですな。ふぇふぇふぇ、結構結構。」
 彼もまた、歌に通ずる者として、語り継がれている遺産にただならぬ興味を示していた。それは、このような他愛もない子守唄でも例外ではなかった。闇にこの世界が包まれて、もはや人としての営みを保つのが精一杯である中で、容易く失われ逝く文化を見届けてきたからこそ、その喜びも一層強いものなのかもしれない。

「お帰り、お前さん。」

 来客と共に帰ってきたオーシンの到着を察して、女性は歌を止めると共に向き直りつつ労うように微笑みを浮かべた。
「おお、アキナ!どうだ!?体の具合は?」
「もう、しつこいねぇ。あたしは大丈夫だよ、ほら。」
 顔を合わせるなり、オーシンは差し迫った危機の中にあるような剣幕で妻へと詰め寄っていた。
「この人ったらこの子が出来たと知ってから、皆に言いふらしたりして。」
 その様子にアキナはやれやれと肩をすくめて暑苦しそうに後じさりつつ、レフィル達へとそう愚痴を零していた。その手でさすられている腹の部分は、微かに膨れ上がって丸みを帯びている。新しい命を帯びているのは、よく見ればすぐに察することができた。
「迷惑?」
「ううん、そうじゃないさ。ただ、ちょっと呆れたかもしれないねぇ。」
「はは……。」
 突き放すような仕草を見て嫌気がさしているように見受けたのか、ムーが首を傾げながら尋ねる。それを否定するように首を振りつつ、アキナは意地の悪そうな苦笑を主人へと向けた。少し小馬鹿にされたような気がするも、反論する余地もなく、オーシンはただただ曖昧に乾いた笑いを浮かべるだけだった。
「これでお仕事の方までおろそかにならなきゃいいんだけれど。」
 皆を席へと誘い、迷いない仕草で茶の支度をしつつ、アキナはそう一人ごちていた。
「仕事どころじゃないぜ、これは。この子の名前だってまだ決めちゃいないんだからなぁ。」
「あんたが働かなければ、誰がこの子を養うんだい?あたし一人で幸せにしてやれる自信なんてないんだからね。」
「まぁ、そりゃあそうだけどな、うん。」
 子供が出来たことが分かってから、オーシンが落ち着きを失うのも無理らしからぬことだった。身ごもった妻を慮る気持ちや人の生一つ左右するとさえ言われる名前への懸念は抑えようもない。が、ともすれば仕事すら投げ出さんばかりの勢いであるというのもまた、アキナにとっては不安なものだった。
「けど、この子がここまで大きくなったのもあんたのお陰だよ。こんな日の差さない世界なのにね。」
「ああ。お前とこの子のためにも、もっと良いもの食べさせてやりたいんだけどな…。」
 闇の世界に蔓延る魔物を相手に戦うことを生業とする者達からの稼ぎで、彼ら夫婦とその子供の日々の糧が得られている。それでも、太陽のないこの世界に実るものは数も限られている上に質も良くない。母子共に健やかに生きるための糧としては幾分心許無い。

「……もう動いてる?」

 ふと、アキナの腹の膨らみをムーが不思議そうにずっと眺めているのが目に映った。話が途切れたその時に、彼女はぽつりと首を傾げてそう呟いていた。
「え?本当?」
 その言葉に思わず問い返すレフィルもまた、ずっとアキナの方を見ていた。
「ああ、時々動いてるよ。触ってみるかい?」
 珍しいものを見るような少女達の姿を見て微笑みつつ、アキナは二人を手招きした。温もりを帯びた腹の内から伝わる胎動が、微かな揺れとして伝わってくる。
「色々苦しかったり気恥しいこともあるけど、子供が出来るってのは良い事だよ。まぁ、大変なのはこれからだろうけどね。」
「………。」
 この闇の世界の中で、選んだ相手と結ばれて子を成したことに悔いはない。それでも、やがては我が子共々生育の厳しい環境に身を置かなければならない。闇しかない過酷な世界でも、我が子を不幸にさせないかどうかは自分達――両親の働き次第だろうか。
「無事に産めればいいんだけどな。」
「またまた、そんな度の過ぎた心配は返って迷惑だよ。全く、この人ったらねぇ。」
 産中の苦しみは過酷なもので、時には難産で命を落としてしまう者もいる。オーシンが心配しているのはそこにあった。まだ先々の話であるにも関わらず、当人である自分以上に憂いている夫に呆れ果てた顔をしつつも、アキナは不快な思いを抱くことはなかった。
 色々と弱音を吐きながらも、自分達のために成すべきことを成している以上、この身を預けることに何の迷いもない。他愛のないやりとりの中で、この夫婦は確かな信頼を垣間見せていた。

「ところで、君らはどうしてこんな町まで来たんだい?」

 一息置いて茶をすすった後に、オーシンはレフィル達へとそう尋ねていた。魔物の力も凶暴性も増したために、旅人の数も減り続けている。そのような中で、彼女達のような女子供が未だに旅を続けている姿はかなり異質にも思えたのだろう。
「この世界に来たばかりなので、わしが案内して差し上げているまでじゃよ。」
 レフィルが口を開く前に、ガライがオーシンへとまずはそう答えていた。
「案内?」
「うむ、王様からのお使いの途中でな。とりあえず今は雨の祠へと向かっておるところじゃよ。」
「へぇ、それは随分遠くまで。」
 事実を伝えはしたが、レフィルの思惑までは言及していない。それでも、オーシンは明確な指標――雨の祠へと向かう目的を聞いて得心したのか、満足したように頷いていた。
「道理で随分と良い武器持ってるわけだ。そいつは吹雪の剣だろ?」
 何より、目の前で気弱そうな表情を見せている彼女が、立派な武器を携えている理由も納得がいった。剣の銘を言い当てられると共にレフィルは吹雪の剣を静かに取り出して、手招きをするオーシンへと手渡した。
「君も中々良い腕してるみたいだな、大切に使い込んでるのがすぐに分かるぜ。」
 身を守るべくして多くの魔物を斬ってきたにも関わらず、水の如く澄んだ光沢を返す白銀の刃。武器そのものの強さもさることながら、その主たるレフィルにそれを傷ませることなく用いるだけの腕前があることを、オーシンは刀身を一目見ただけで当てて見せていた。
「それだけ長く使ってるだけあって、ちょっと刃毀れもしてるみたいだがな。後でサービス価格で処置してやるよ。」
「あ…ありがとうございます。」
 アリアハンでようやく封を解かれてから、その魔力でレフィルの危機を救い、バラモスやネクロゴンドの魔物達、闇の手の者達との戦いを経た今も共にある。激戦の中で多くの敵を斬ってきたことによる刃の劣化は免れ得ない。
「ただ、精霊石がちょっと欠けてるのは直せないな。」
「精霊石?」
 レフィルの剣に関する言及はまだ続いていた。吹雪の代名詞にもなっている氷の力の源泉となるところ、刀身の根本に位置するところにあしらわれた翠玉の如き宝珠を聞き慣れぬ言葉で示すオーシンに、レフィルは一度首を傾げていた。
「ああ、君が魔石と呼んでるであろうこいつの事だよ。感覚としては分かってるかもしれないが辺りに点在する魔力を吸い取って蓄積させる力がある。こいつの場合はさしずめ、水の精霊の力を借りてるとでも言うんじゃないかね。」
「そういう性質だったんだ…。」
 吹雪の剣に宿る氷の魔力は、辺りの空間にある魔力を取り込むことによって掻き集められている。これまで用い続けて尚も枯渇した試しが無いのは、世界そのものに魔力が循環していることと、それを吸収する機構が備わっているが故だった。吹雪の剣の魔力を司っているのはその精霊石と言えるだろう。
「水の精霊か。ほっほ、中々に良い例えじゃのう。」
「ガライさんのせいだぜ。いっつも妙な言い回しをしてるから俺にも移っちまったじゃないか。」
 
「こうした剣で半ば無尽蔵に魔法を使い続けることができるのはそのためだ。と言っても、あんまり乱暴に使ってるといずれは壊れちまうんだがね。」
 レフィルの戦いを支える氷の魔力の源となっているのが、その精霊石のお陰であった。だが、幾分度を超えて酷使されてきたために、精霊石の方に負荷が掛かり始めているらしい。
「やっぱり剣の魔力にもずいぶんと頼ってきたみたいだ。刃もこいつもボロボロってのはどんだけ戦ってきたんだかなぁ。」
「そんなことまで……」
 己の魔力を用いずして、強力な氷魔法を発動することができる吹雪の剣の力に、レフィルは幾度となく依存してきた。時には自分の扱える呪文と絡めることによって、結果的に新たな才能を開花させることにもなった。
 自らだけでは不完全な発動しかできなかった雷撃の呪文ライデインも、吹雪の剣との干渉によって巻き起こる雷雲によって本来のそれを上回る紫の稲妻として発動され、逆に吹雪の剣自身の力の一端である氷の矢に対してアストロンを付加することで、如何なる障害も容易く貫く魔鋼の槍と化したこともあった。
 そうした子細そのものは分からずとも、吹雪の剣の力そのものに頼って多くの戦いをくぐり抜けてきたことを見抜いたオーシンの眼力に、レフィルはただただ驚くばかりだった。
「いやいや、俺ができるのは他にはせいぜい武器を掻き集めて売り続けることだけさ。以前はメルキドの聖騎士団にも色々売ってたんだ。クレームも散々あったけどな。」
「メルキドの聖騎士団?」
「ああ、君らはまだ良く知らないかもな。相当の手練ばかりで腕は立つけど、どうにも鼻持ちならない奴らが多くてな。強けりゃ何でもいいってもんじゃないぜ。」
 謙遜するように自らの本分を告げる傍で、オーシンはかつての得意先であった相手の名をちらと零していた。その不穏な言い様にレフィルが思わず問い返すと、彼自身が抱く悪い印象の下が語られる。
「もうメルキドもおしまいだな。」
「………。」
 数多くあったはずの恵みを失った今、魔物達の間では既に弱肉強食の過酷な戦いが始まっている。オーシンの語るメルキド聖騎士団の振舞いはそれを体現した上で、更に悪意に満ちたものであるかのようだった。
 強きが弱きを守ることの義務の範疇を超えて、その弱みに付け込んで侵されざるところにまでずけずけと踏み入る傲慢さを耳にして、レフィル達はきつく口を閉ざしていた。

「しかし、また乾きが酷くなってきたものじゃな。」

 オーシンが零した愚痴によって短くも重い静寂が過ぎる中で、ガライもまた重苦しい表情を浮かべつつ窓の外を眺めていた。そちらを向いたまま、オーシンへ語りかけるようにそう言い放つ。
「ああ、もう水もあまり出ないって話だ。他の小さいオアシスを探し始めてる奴らがいるくらいだ。」
「そこまで行くとはよろしくないのう。」
 遠くに見える小さくなったオアシスの周りの草。先程も目にしたように、やはり乾きを帯びているのがここからでも分かる。水が失われつつある町で、生を留めるのが精いっぱいと言った具合だった。
 今も宴で酌み交わされている酒も、この場に並んでいる茶の席も、いつなくなるか分からない。大地からの恵みによって常夜の中で凍てつく事こそなかれ、水が枯渇してしまうのは時間の問題だった。
 
「ドムドーラ・オアシスの名水と云えば、我ら旅人の浪漫の一つであったのにのう。」
「全くだぜ。これも、大魔王のせいで台無しになっちまってるけどな。」

 闇に包まれるより前に交易都市として発展したのは、レフィル達の世界にあるイシス王国にも匹敵するほどの大きなオアシスにあった。闇に包まれるより前にはあったはずのそれも、今はもう見る影もない。
 乾きによる滅びの影が色濃く映らんとする中で、ドムドーラの住人達はその憂いと嘆きを闇の根源たる大魔王に向けるようになっていた。

 それがもたらす更なる悲劇を知る者は、誰ひとりとしていなかった。