灯火の花 第三話


 小島に広がる樹林の中に灯る白い光。戦いの中で薙ぎ倒された木々が無惨に横たわり、斬り裂かれた断面から燃え始める。森の中に突如として上がった炎は逃げ道を塞ぐようにして燃え盛り、確実にホレスを追い詰めている。


「変化の杖…確か、古より伝わりし禁断の秘宝の一つ…でしたか。そんなものまでお持ちとは、侮れませんね。」

 獲物を追う猛獣の如き執拗な追撃を切り抜けた一瞬の合い間を縫って、彼が取り出した銀色の杖。一目見るなりその正体を知ってバロンはそう言い放った。どのように手に入れたのかは知らないが、恐るべき云われからその力の強さも自ずと知れる。
「それで、今更どうしようというのです?」
「!」
 しかし、どれだけの力を宿していたとて、使わせなければ問題ではない。バロンはホレスが身構えるより先に一気に間合いを詰め、横一文字に斬り払った。避ける暇もなく、その体が上下に分かたれる…

「む!」

 が、次の瞬間にはホレスの体は白い靄となって霧散した。
―幻覚…マヌーサか!それとも……
 その空を切るような感覚といい、手応えを全く感じられない。そしていつの間にか、辺りに黒い外套を纏った銀髪の青年が沢山現れている。それらの現象から、一瞬呪文の名が頭を過ぎる。
「あの杖の魔力は…幻術師の杖。それに…」
 魔法使いの中でも、相手の心や感覚を惑わす術に長けた者達―幻術師。ホレスの幻が掲げている杖から発せられる幾条もの蒼い光から、その力を感じられる。気配も視覚も魔力ですらも完全に惑わす幻覚は、極められたマヌーサのような強力な魔術に他ならない。
 次いで、辺りに立つ樹林に溶け込むようにして静かに佇んでいた青年達の一人が杖を振りかざす。蒼い宝玉の内より迸る雷光が集って光弾となって、バロンへと射かけられる。
「今度は雷の杖…と。他の魔力を取り込んでその杖の力となしたのですか。なるほど、変化の杖本来の力でないわけだ。」
 雷を纏った光の矢を炎の大剣で掻き消しつつ、返す刃でそれを放った青年への距離を一気に詰めて一刀の下に斬り捨てつつ、バロンは思うところを零していた。手の内に微かに残る打ちつけた電撃の残滓から、その源泉となったものの正体はすぐに分かった。
 あの銀の杖の中に、冒険者の間でよく知られた魔法の杖の力を感じられる。
「虚に実を持たせる…と。まさに…変幻自在と言ったところでしょうか。」
 そして、今しがた斬り伏せたはずの青年の姿はもうどこにもない。先程彼によって放たれた一矢は紛れもなく実体を持つ攻撃だったが、それを放った当人は刃に触れた瞬間に虚空へと消えた。幻術師の杖の力で呼び込まれた幻に与えられた仮初の実体を掻き消した―ただそれだけのことだった。
「ですが、顕現させるので精一杯のようですね。そんな脆弱な幻如きの攻撃が私に通じると思ったら大間違いです。」
 空を切るような感覚、逆に言えば力を宿した幻影の持ちうる存在の重みはその程度のものでしかない。そんな不確かなものに頼る戦い方など、バロンからすれば取るに足らないものに過ぎない。

「そして、どれだけ幻影を呼ぼうともまとめて吹き飛ばしてしまえばいいだけのこと!!」

 バロンがそう言い放つと共にかざした左手から炎が吹き出し、幻影を飲み込む波となって広がっていく。
「こ、この炎は…!?」
 背後の樹林もろとも全てを焼き尽くす灼熱の中で、普く幻影が尽く消えていく。
―この力、どこかで…
 竜の息吹にも似て弱者を容易く淘汰する獄炎の奔流を、ホレスは以前にも感じた憶えがあった。強く刻み込まれた記憶が、今になって強く思い出される。

「イオナズン、メラゾーマ」
「!」

 その全てを待たずして、バロンは己の巻き起こした灼熱の烈風が過ぎた瞬間、力ある名を二つまとめて口ずさんだ。眩いまでの滅光がホレスを貫いて爆ぜ、そこに更に太陽とも見紛う程の巨大な火球が落ちて、天を衝く火柱が上がった。





「……あーあ、一対一でバロンの奴に立ち向かえば当然こうなるわな。」

 灰燼と帰した樹海に灯る巨大な炎。その中に投じられて骨一つ残さずに焼かれたであろう青年を哀れむように、黒ずんだ深緑の衣を纏った隠密の男はそう一人ごちていた。
「だから言ったろ、おっさん。”ニンゲン”があんなんに勝てるワケねえだろうが。」
 一時は虚構の力をも利用して優位に立っていたように見えたが、逆にそれがバロンを本気にさせる結果となった。樹海を尽く焼き尽くした灼熱の業火、全てを打ち砕く破壊の光、そして凄まじい力が集約された大火球。一度にこの三つの力を同時に受けては、何者であれ無事でいられない。
 そのような者を相手に、所詮人の器しか持たない者達に一体何ができるだろうか。
『ふ…確かに、お前のしぶとさ―生命力を以ってしても敵わんかもしれぬな。』
「おい!!おれぁまっとうな人間だっての!!あいつの方がよっぽどバケモノじゃんかよ!!」
 同意するように頷く中で、騎士が愉悦に満ちた様子でぽつりと零したとんでもない言葉を聞いて、隠密はぎょっとしたように肩をすくめつつ反論していた。
 確かにこの主に対しての失言を繰り返して数えきれない程の天誅もまた賜ってきたが、結局自分は人間でしかない。寧ろ化け物と呼ぶべきは、途方もない程の死地に何度も置かれながらも戦い続けてきたあの青年の方である。その彼でさえもあのような結末を迎えているのだから、自分などがあの強者に挑むのは、無謀を通り越して滑稽でしかない。
『ふん。いずれにせよ、これは心して行かねばなるまい。』
「ああ、流石のあんたでもこいつは……」
 やがて再び敵対するであろう人ならざる者の強さを目の当たりにして、騎士は小山の如き巨躯を微動だにせずに静かに佇み、隠密もまた軽薄な態度を潜めて消え行く火柱を見届けた…


「…!」


 だが、炎が消えたその時、隠密は思わず息を飲んだ。その目は信じられないとばかりに見開かれている。
「あ、ありゃあ…どうしたってんだ!?」
『ほぅ、この勝負…面白いことになりそうだ。』
 爆炎と業火の中で一体何があったのか。驚きを露にしている隠密を尻目に、騎士は白銀の兜の奥に宿る双眸を細めつつ、愉悦に満ちた様子で成り行きを見守った。




 二つの最上級の呪文が織り成した爆炎と灼熱の呵責。爆発の轟きも暗黒の空を貫く火柱も、辺り全てを焼き尽くした後に燃え尽きて、再び元の静寂の内に帰した。

「これは……」

 焼け焦げた匂いを纏った炎の残滓と微風によって巻き上げられる灰燼が霧のように視界を覆い尽くす中に見えた影に、バロンは一瞬呆けたように見入っていた。
「また……幻だと…?いや、確かに我が炎に焼き尽くされたはず…」
 あのような中に巻き込まれては、ひ弱な人間などは元より、粗ぶる巨獣ですらも塵一つ残さずに消し飛んでいるはずだった。その燃え尽きたはずの青年が、目の前に幾つもの幻となって再び目の前に立ち塞がっている。

「!」

 不意に、白煙の中から何か鋭いものが風を切る音を立てつつ飛来してきた。
「これは…短剣…?」
 柄もない地鉄に晒を巻いただけの、大きな矢じりを思わせる刃を持っている。そんな変わった形の短剣がバロンの足元に突き刺さっていた。
「我が力を受けて生きていようとは……。」
 全て掻き消されながらも再度現れた幻も、今投じられた短剣も、あの塵芥の白煙の内に帰したとばかり思っていた彼が呼び起こしたものだった。自分の力を見事に耐えて見せたことに、バロンは驚きを隠せなかった。
「だが、何処を狙って…」
 それでも、肝心の反撃は大きく的を外れてバロンに掠りすらせずに地面に深く突き立てられているだけに終わっていた。あまりに精細を欠いた攻撃に、失望すらも覚える程の疑問を覚える。

「レミーラ!!」

 その時、唐突に力強く呪文を唱える声が、焼き尽くされて静まり返った樹海の跡にこだました。
「何っ!?」
 煙が烈風によって払われると共に、光の玉がその中心からゆっくりと昇り始める。小さな太陽のように白い光を撒き散らすと共に、辺りは昼間のように明るく灯された。
「私を愚弄しているのですか?何故そのような呪文など…っ!?」
 先の灯明としての呪文にも増した輝きは、確かに目くらましとして用いる事もできるものだった。だが、そのような小細工を使った所で、力の差を引っくり返すこともできない。微かにその苛立ちを露にしつつ、光を呼んだ青年を斬り捨てんと一歩踏み出した時、不意に何かに引かれるような奇怪な感覚にバロンは思わず息を飲んだ。
―な…!?足が…!!
 駆け出さんとして前に出そうとした左足が、幾ら力を入れた所で見えない何かに縛り付けられたように全く動かない。
「さっきの光…まさか、この剣は”影縫い”の……!」
 眩い光を遮る左足の影を、先程投じられた変わった形の短剣が縫い止めるような形で突き刺さっている。

「そういう事だ。」
「!」

 その様子から、成された術の正体を知ったその瞬間、それを肯定する青年の声が背後から聞こえてきた。
「光がこれだけ強ければ、影も自ずと濃くなる。それだけ、そいつの力も伝わりやすくなるって訳だ。」
 光ある場では必ず各々の存在に応じた影が伴う。それを縛りつけるという発想から編み出された呪縛の秘術―影縫いの法。それを操って見せた青年―ホレスが突然後ろから現れる。
「残念だが、お前の力は今の俺には通じない。動きも封じた以上、勝ち目はない。」
「……!」
 左足に受けた呪縛を解く暇も与えず、ホレスは再び変化の杖を振るい、集められた力の一つを解放する。すると、杖の先端に銀色の環が現れて、その内から鎖付きの巨大な鉄球がバロン目掛けて飛来した。
「く…!破壊の鉄球!?」
 咄嗟に構えられた炎の剣でそれを受け止めることは叶わず、赤い刀身がバロンの手から離れて回転しながら飛んでいき、焼けた樹林の一つへと突き刺さる。その次の瞬間、凄まじい重みを持つ鉄球が彼の体をまともに打ち据える。

「そうか……。先程も、最初のあの時も…避けるまでもなかったということですか。」

 人ならざる内なる力によって、辛うじて今の一打を凌ぎながら、バロンは破壊の鉄球を手繰る青年の姿を改めて見た。
「呪文封じの力…それをなぜ、所詮は人間に過ぎないあなたが持っているのでしょうね。」
 最上級呪文の内でも圧倒的な火力を持つ、イオナズンの爆炎とメラゾーマの業火。それらをまともに受けたはずなのに、燃え尽きたどころか燃え滓の一つすらついていない。あまりに信じ難いその結果から、人の身でしかないホレスが呪文そのものを打ち消す術を得た事を知り、疑念に双眸が細められる。
「そして……その盾の力で我が炎をも受け止めたと。」
 幻影を打ち消すべくして最初に放った炎も、ホレスの背後にあった樹林全てを焼き尽くす程のものだった。にも関わらず、彼自身は全く傷を負った様子はない。いつしか彼の左手に取られている蒼い盾が、残り火を照り返して微かに光を帯びている。巨悪を討つべくして人々に望まれた伝説の品の力までが、ホレスに味方している。
 呪文も炎も通じず、あまつさえ動きまでも封じられた以上、圧倒的に不利な状況に陥ったことを認めざるを得なかった。

「……バラモス。」

 不意に、ホレスは何を思ったのか、そう呟いた。
「お前の炎はバラモスの……」
 先の炎を受けたあの時、以前にもそうして何もかもを焼き尽くす熱気を浴びせられた記憶が微かに呼び起こされるのを感じていた。そして、最上級の呪文を連続して操れる程の技量もまた、”彼女”の生きる道に最後に立ちふさがった魔王―バラモスの他に憶えがない。
「ああ、あなたは我が兄とも戦ったのでしたね。」
「兄……。やはりお前は……」
 バロンの言葉が微かに浮かんだ予感に頷くように告げられるのを受けて、ホレスはただ眉を潜めた。

「ええ、我が名はバロン。申し遅れましたが、魔王バラモスの弟―バラモスブロスとも呼ばれています。」

 ここまで追い込まれたにも関わらず、丁寧な面持ちを崩さぬままに名乗るその姿から、返ってかつて見た王たる者の威厳をも思い返させる。魔王バラモス縁の者―それが大魔王に仕える騎士バロンの正体だった。
「バラモスも、所詮はゾーマの配下に過ぎなかったのか。」
 血の繋がりのあるバロンがゾーマに下ったとなると、バラモスも同じ道を歩んでいると考えるのが普通である。

「それは違います。」
「何?」

 だが、その考えはバロンの―バラモスブロスの一言によって明確に否定されていた。
「兄はゾーマ様に仕えるどころか、会いまみえたことすらないのですから。せいぜい、私が闇に堕したときに微かに垣間見た程度でしょう。」
「闇に…堕した?」
 ゾーマの片腕となって暗躍しているバロンと違い、バラモスはゾーマ自体の存在を知る由もなかったらしい。その事実を聞かされる一方で、最後に付け加えられた言葉に何か引っかかるものを感じて、ホレスは思わずその言葉を反芻していた。何か例えようのない不安が呼び起こされるかのようだった。
「兄が元より目指していた虐げられし強者が生ける世界を作り上げる最中に、数多くの滅びと絶望は必然です。それが大魔王様の糧となる。」
「手の内で、踊らされていた……と言うのか。とんでもないことだな…。」
 あまりに強い力を持ってしまったがために弱者達に蹂躙される者達の行く末を憂い、バラモスは地上の崩壊を目指した。だが、それもまた、死にゆく者達の嘆きを集めるべくしてのゾーマの思惑の一つでしかない。配下ですらなくとも、結局バラモスは、ゾーマの意志の下に操られているに過ぎなかった。
「兄がもたらした絶望で、私もまた力を増したのですよ。最初は己をも超える強さを得た私を見て、兄は喜びもしました。ですが、その矛先はあくまでも全ての滅びに向いている。それを知った兄は、私を容赦なく斬り捨てました。」
 バラモスが弱き者達を滅ぼそうとした時には、バロンは既にゾーマの軍門に下っていた。勇者が現れるまでの間、人々に齎された重苦の時は、数多の絶望を生み出してゾーマの力となり、バロンもまた同じく力を増し始めた。だが、強き者を生かすべき動くバラモスと、全てを滅ぼして己の糧とするゾーマの―バロンの思惑は互いに反目し、ついには粛清されてしまった。
 そして今は、大魔王の配下の一人として、この闇の世界にいる。

「……バラモスを超える…?全ての滅びに向いている…?」

 ふと、バロンの紡ぐ言葉の一端が強くホレスの耳に訴えかける。
「おい、ちょっと待て……あんたの力は……まさか…!?」
 いかに実力の高い魔族とはいえ、多くの人々が立ち向かってようやく倒すことができた魔王の力を、ただ一人で上回ることができる術などあり得るはずもない。

――何だ…それは…?何だ、その力は!!

 それでも、ホレスはたった一度だけあったバラモスが見るに呆気なく追い詰められている様を鮮明に思い出していた。かつて死の淵に追いやられた時に、最後の最後で超動された究極の力を前にしての、バラモスの驚愕に満ちた声が、再び脳裏に響く。
「そうですね。兄程の力があって尚、私が献上した王者の剣の欠片が無ければ何もできなかったでしょう。」
 表情に何も映さぬまま、バロンは曇りなく言葉を続けていた。その淡々とした物言いとは裏腹に、人々の最大の災厄とも呼ばれた者が手も足も出ないという事実は否応なしに重く伝わってくる。
「丁度、あなたも神器を持っていると…ふむ。」
 忌むべき力を前に、バラモスは不完全ながらもこの世界に伝わる神器を以って退けた。ならば、先の炎を防いだ護甲を携える目の前の若者の行く末は、如何なるものになるだろうか。

「!!」

 不意に、己の思うところを一言零したバロンの体から黒い筋が幾つも現れて渦巻き始めた。それは空間を貪るように膨らみ続け、やがては大きく爆ぜて、灯されていた光を一気に呑み込んだ。
「闇…!?やはり…あの力か!!」
 先程の勇猛な騎士ですら比べ物にならぬ程の重圧が感じられる。それをもたらす闇は、かつて友が絶無の彼方へ消え逝こうとした時に纏った、闇の盟約の力に他ならなかった。