第二十九章 灯火の花



 元は一つの大陸であったはずが、大魔王の力によって聖域への道もろとも大地を沈められ、東の孤島となってしまった樹海の地。北に位置するマイラの村から続く森の道を南下していくと、命を失った生物達の成れの果て―数多くの亡者達がひしめく死地の草原を経て、腐臭漂う沼地の洞窟へと至りつく。
 中に入ると、奥の方から何度も岩を砕く音が洞穴の内壁に響き渡る音が何度も木霊するのが聞こえる。篝火に照らし出される岩肌は、まだ拓かれて新しい鋭い断面を露にしている。それは、この辺境の地が少ない人の手を借りなければならない程に、重大な意味を持つものであることさえも思えた。

 その洞窟に、今もまた一人の男が訪れてきた。今しがた魔物と戦ってきたばかりなのか金の十字架を刀身全体にあしらわれた銀色の剣を右手に取り松明を左手に持ち、長身の体に簡素な鉄製の鎧をまとった戦士らしき冒険者だった。

「何だってぇ?まぁだ繋がってねえってのか?」

 岩を穿つ音が繰り返される洞穴の深部に赴いた先で投げかけられた結果に、彼は肩を落としながら思わずそう言い放っていた。
「うるせえ奴だな。俺らだって命がけなんだよ。」
 その彫りの深い精悍な顔つきからは想像もつかない程の間の抜けた声に、闇の中で各々の役目を果たしている者達の一人が呆れたようにそう返していた。
「くっそぉ…ゾーマの奴さえいなけりゃこんな工事なんざすぐにでも…」
 外でひしめく魔物や亡者の群れが迷い込めば死に物狂いで撃退せねばならないが、この場を守る戦士の数も心許無く、削岩作業も満足に集中できない。そんな厄介なものを呼び込んだ元凶である大魔王への怒りも強まるばかりだった。だが、当の大魔王を討ち取ったという果報は愚か、それをもたらすべき勇者達の近況さえも知る術はない。
 それだけ大魔王が途方もない存在である事も解しているからこそ、闇の世界に住む者達は絶望を抱かずにはいられなかった。

「ところでお前さん、何をそんなに急いでるんだ?」

 そのような暗き道を、明かりを得たように明確な足取りで歩み、南への道に繋がるここに足を進めてきただけに、その目的が気になる。工夫の一人が、旅の戦士へと唐突にそう尋ねる。
「…まぁ、三か月も経っちゃあ忘れられてるかもしれねえけどな。」
「恋人か何かか?」
「まぁ、そんなトコだ。」
 故郷で待つ者―それも大切な人のためにこの地で成すべきことがあったらしい。本来ならば遠くないはずの旅路も、闇の中で力を増した魔物の危険のためにより慎重に進まざるを得ない。その中で自然と過ぎていく時を憂うように、戦士は溜息をついていた。

「しゃあねえから他をあたるとするよ。」

 ここを通れない以上、もはやこれ以上時間を無駄にするわけにもいかない。戦士は踵を返しつつ工夫達へとそう言い放った。
「他って…おい!?あの海を渡るつもりかよ!?」
「……ここが潰れちまった以上、そこしか道はねぇだろ。」
 アレフガルドの大陸の内海と外海を繋ぐ海峡の下に続くこの道はいつしか崩れてしまった時より通る術はない。かと言って、残る手段を選んでいる暇もない。どのように言われても、既に彼の覚悟は決まっていた。
「じゃあな、邪魔したな。」
「待て!!」
 制止する工夫達を振り切って、戦士は洞穴を後にした。


「他に通り道があるのか?」


 態々死にに行くような真似をする戦士が去りゆく様を前に唖然とする者達に、奥でずっと黙したまま成り行きを見守っていた者が、誰にともなくそう尋ねていた。
「流れついたあんたにゃ分らんだろうな…。ここから更に東の海岸を進んでいくと小島があるだろ?干潮の時を待ってりゃそこへの道が通じるんだ。」
「なるほど、そんな道があったのか。」
 この島の南東、南にある大陸との境に、森に覆われた小さな小島があり、それを中心として島と大陸を繋ぐように浅瀬が続いている。時が経てば、その浅瀬の海が引いて、人が通ることのできる道ができると言う。
 風も弱まり、徐々に冷え続けていく中でも潮の満ち引きは未だに続いているのか、そのような道が残っているらしい。それを司る月は天に見えずとも、この闇の外で変わらずその力を世界に齎している様を思い浮かべると、その偉大さも自ずと知れる気がした。
「けどよ、問題はこっからだ。その島にゃ悪魔が住んでるってんだ…。下手に踏み入ったら食い殺されちまうぜ。」
 道の存在を知って関心を示す青年に、工夫達は更に言葉を投げかけた。確かに辛うじて通れる道であることには変わりはないが、同時に最大の障害の存在が示唆されており、それによって命を落とした者も数多いらしい。
「……悪魔、ね。そいつもゾーマの手の者なのか。」
 悪魔という単語から、彼―ホレスは一つの連想を口にしていた。
「バ、バカヤロウ、わざわざ大魔王に喧嘩売るバカがどこにいる!?」
「…確かにな。だが、他に道はないだろう?」
 ゾーマがこの世界に現れてより、それに仕える魔の者達の話も各地で耳にするようになった。この辺りの魔物の動きが活発になり始めているのも彼らの仕業ではないかと噂されており、その小島に居を構えているような話から自然とそのような話が出来上がっていた。
 最も、そこに住む悪魔とやらが単に人々から恐れられている獣であったとしても、この夜の内で更に凶暴化しているために危険な事は変わりはないが。
「…ちくしょうが、俺らがこんなモグラ生活やってるワケを考えやがれってんだ。」
 抜け穴を掘り続けている一方で、命を落としかねない危険な道を選ぶ旅人達は後を絶たない。修復までにかかる時は決して短いものではないが、それを待たずに急いだとて死んでしまっては元も子もない。
 待つ事のできぬ事情に駆られて次々と闇へと消えていく冒険者達にぶつけるように、工夫達は落胆を露にしていた。




 灯明の光に照らされて、漣が幾度も這う浜辺の砂地が白く色づいている。だが、いつか感じた時は香しかったはずの海の匂いは些かの死の匂いを纏っていた。遠くに聞こえる水音に混じって、咆哮や断末魔が耳に届く。それは、光を失って彷徨う者達同士が互いを喰らい合っているものとすぐに分かった。


―そろそろか……。


 レミーラの呪文の力によって視界を確保しつつ先に進んだ果てに浅瀬が見え始める。波が引いていくと共に、僅かに白い砂地が海上に浮かびあがる。これがやがて、彼らが言っていた”道”になるのだろうか。

「おお、さっきの兄ちゃんか。」

 暫く黙々と浅瀬を眺めていると、後ろから砂を踏みしめながらこちらへと歩み寄ると共に親しげにそう語りかける声が聞こえてきた。振り返ると、そこには先程洞穴を訪れた戦士の男の姿があった。浜辺に押された足跡の先に、焚き火の炎が闇を赤く彩っている。潮が引きこの浅瀬が道になる時を、彼もまた待っているらしい。
「あんた、この道には詳しいのか?」
「まぁな、何しろガキの頃にはよく来てたからな。」
「ガキの頃…か。」
 誰かに道を尋ねるまでもなくここに至っていると言う事は、既にここを通った事があるかその道の存在を知っているかのどちらかであると見えた。実際にこの戦士は幼い日よりここを通ってきたらしく、道筋は体で覚えている様子だった。
「せっかくマイラの村に着いたは良かったけどよ、船が出なくなってな。帰るに帰れなくなっちまったんだよ。」
「ああ。確か、船頭が死んだと聞いたな。」
 この海峡を渡るならば船で真っ直ぐに横切った方が早いのは分かっていたが、次第に凶暴さを増していく魔物がひしめく中で渡されていた船も少なく、今に至っては全く出なくなっている。そのために、慣れているとはいえ危険な、悪魔が出るとまで噂されるあの小島を介して渡るよりほかに術はない。
「で、ここはここでおっかねえ魔物どもがウヨウヨしてるしよ。やってられねぇぜ、こりゃ。」
「……確かにな。」
 マイラからの旅路でも、何度魔物に襲われたか分からない。気配を察知する術もなければ更に多くの魔物と戦う事にもなる。いずれにせよ、このような物騒な大地の中で旅をする者達は限られており、残った彼らですらも鬱積するものを感じざるを得なかった。

「なぁ、お前もリムルダールに向かってるんだろ?ここは一つ、手を組まねえか?」

 潮が引き、徐々に小島へと続く道が露わになり始める。それを遠くに見やりながら、戦士はホレスへとそう持ちかけた。
「…確かに、一人じゃ骨が折れそうだ。」
 開かれた道と共に、砂の中から数多くの手が這いずり上がり、やがてその姿を現し始めた。
「全くだ、こんだけ大量のグールどもに出遭っちまうなんてよ…。こいつが無けりゃ相手するのもご免こうむるぜ。」
 淡々とした様子で現状を一人ごちながら武器を取るホレスに同意しながら、戦士もまた腰の剣を引き抜いた。刀身に十字をあしらった白銀の刀身がその右手に収まる。
「ゾンビキラーか…。」
 十字と言う神性を強く宿したシンボルを宿すことで、不死者の類を浄化する力を得た銀白の剣―ゾンビキラー。今しがた現れたグールも例外なく浄化の対象であり、不死の魔物が数多く現れるこのマイラの地での装備としては良い選択だった。
 牙を剥いてきたグールを一刀の下に斬り捨てると、刻まれた軌跡から死者をこの世に留めるべくして吹き込まれた魔気が一気に浄化され、骨一つ残さずに滅却した。
「おれはデビッド。お前は?」
 一体のグールを斬った返す刃でもう一体のグールを斬り払う鮮やかな太刀筋を見せながら、戦士は名乗ると共にホレスにも名を訊いた。
「ホレスだ。」
 答えると共に、ホレスもまた手にした業物の剣でグールの群れの一体の掴みかからんとする腕を斬り飛ばした。そのまま蹴散らすと、開かれた砂浜の道へと共に駆け出し始めた。
 今は広がり続けている道も、やがては狭まって完全に沈んでしまえば海の魔物との戦いで勝てる道理はない。ここは切り抜けるより他はなかった。




 欝蒼と茂る森に覆われた小島の高台から、干潮となった折に現れた浜辺の道がこの島を貫くように南北に走っているのが見える。北の道が繋ぐ先は樹海が広がる大きな島、南に見えるのはこのアレフガルドの大部分を占める大陸への入り口。
 それらを隔てるようにして佇むこの小島は、船もなしに島から大陸へと渡る者達にとっては避けることのできない道であった。


「んー?あいつって確か、サマンオサで会ったヤツだったよなぁ?」

 北に開かれた道を広く照らす灯明の中で亡者や海の魔物と戦っている二人の冒険者を遥か彼方から見下ろして、男は誰かに尋ねるようにそう言い放っていた。
『そのようだな。あやつもこちらに来ておったとは、ふむ。』
 直後それに応えるように、野太く低い声がそう語ると共に金属の擦れ合う音と大きな足音がした。
『また変わった品を用いて戦っておるな。どこで手に入れたのだろうな、あの剣は。』
「へぇ…ありゃあ中々の業物だぜ。…つっても、肝心の使い手がヘッポコじゃあ話にならねえワケだが。」
『ふむ…。』
 浜辺で繰り広げられてる小競り合いを眺める大小二つの影。辺りに立つ木々にも届く程の体躯に、白銀の鎧兜に身を包んだ人ならざる巨漢の騎士と、森の陰りに溶け込むような暗い深緑の隠密の衣に身を包んだ長身痩躯の男。彼らは悪魔が住まうとされるこの小島を訪れようとする者達―とりわけこの世界にない気を纏った青年を評し合っていた。
 破邪の力なくして亡者を一刀の下に斬り捨て、海の魔物の触手を剣の背で打ち払いながら着実に前に進んでいる。だが、共に歩を進めているもう一人の男、この世界に元よりいた戦士はより洗練された剣技を以って襲い来る魔物の群れを屠っている。聖別されているとはいえ市場に流通しているゾンビキラーだけであれだけの動きを見せる達人と比すれば、業物を以ってしてもそれを上回る動きをできない一介の冒険者の腕など高が知れている。
 隠密の男の評価を聞いて、騎士は微かに思うところを垣間見せるように兜の奥の双眸を細めた。
「……で、あのいけ好かねぇ野郎に鉢合わせでもしたらどうなるだろうな?あいつら。」
 闇の世界を渡り歩くだけの力を持っているとはいえ、この魔の地へと態々足を踏み入れる愚を犯していることには変わりはない。その先に訪れるやもしれない可能性を示唆するように、男は飄飄とした様子を崩さずそう言った。
『ほぅ、仮にも神にも近しい者の片腕をそう呼ばわるか。相変わらず口だけは達者な奴め。』
 それが元々の性なのか、或いは他人事でしかないと思っているのか、騎士は軽口を叩いてのける彼に呆れとも感心ともつかぬ様子で嘆息していた。男が言う人物は、理すらも歪めた大魔王に仕える者に他ならない。それを微塵も怖じた様子も見せずに軽々しく言ってのける根性は賞賛にさえ値する。
「あんただって人の事言えた口じゃあねえだろ、おっさん。その神に近しいヤツに刃向かおうってどんだけトロルしてんだよ。」
『………。』
 すると今度は、男の方が小馬鹿にしたような面白可笑しい調子で言葉を返していた。
「ほぉら、今だってこんなにぼーっとして…」
 手先と言えども、巨悪の下で動いている上位の者に対して、自分のように遠くから野次を飛ばすだけに留まらず、自ら挑もうとする主の蛮勇を通り越した愚かさは確かに大きい、が……

 次の瞬間、漆黒しか映さぬはずの天の遥か彼方から、一筋の雷が隠密を強かに打ちつけた。甲高い雷鳴が辺りに飛び散ると共に、焦げ臭い匂いが鼻をつく。

『…全く、身の程をわきまえぬか。』

 その身を天雷に焼き焦がされた男を一瞥しつつ鼻を鳴らしながら、騎士は呆れ果てたようにそう告げていた。いつの間にか雷の残滓が金糸の如く纏わりついている巨剣が彼の手によって天に掲げられている。
「お…おほほほ……口が滑りましたかしら、あたくし。」
 直後、雷を受けたはずの男が、奇声にも近いふざけた調子の声でそう呟いていた。体に付いた煤を払ってよろよろと立ち上がっている。
「つーかやっぱ相変わらずあんたオニだわ…。人間相手にそんなん使うか、普通?」
 言葉が過ぎたとはいえ、天罰とも言うべき凄まじい雷を人の身である自分にぶつける様には理不尽さを感じえない。だが、相変わらず軽い調子の言葉を続けている様には、そんな命すら掛かっている他人事ではない事態ですら達観して面白可笑しく感じているようにも思えた。
『我らを侮辱するような言葉は慎むことだな。』
「だーかーらー…そうやってすぐ力に訴えるところがトロ……」
 自分の部下でありながら誇りを傷つけるような真似をする男に対しては当然の罰―騎士のそうした力ずくな姿勢がかえってその正体に違わぬ印象を与えている。そのような矛盾を前に嘲わずにはいられなかった。が、男の言葉は再び天から落ちてきた雷の音にかき消された。