灼熱の門 第九話



 大地の底より吹き上がり続ける星の命に灼かれ続けて、紅く彩られた岩窟の果てにある渦巻く炎。

「熱い……」

 その内に足を踏み入れたとき、真っ先にその様に感じられた。護られている中で尚も牙を剥く炎がこの身を焦がし、その度に鋭い痛みが走る。

「この先に…何が……」

 誘われるままに足を踏み入れた灼熱の秘境。それは、人間達にとって大きな因縁を有する場……英雄が命果てたと伝えられる煉獄の深淵。その呵責の前においては、人など骸も残さずにこの星の中に還る事となるであろう。

「……確かに…続いている………」

 しかし、その渦の先に確かに、人の存在を許さぬこの禁断の地獄とは違う何かが感じられる。

「……っ!!」

 だが、そうして道を見い出そうとしようとする最中、体を覆う守護が、この場の力に耐えられずに亀裂を走らせながら壊れ始めた。

「…う…ぁああ…っ!!」

 硝子が砕け散る様な音と共に光の破片が飛び散ると同時に、遮断されていた熱気が一斉に押し寄せる。

「…ぁあああああああああああああああっ!!!」

 この世にある如何なる罰をも凌ぐ煉獄の炎に包まれて、その喉から最期の時を告げるが如き断末魔の悲鳴が上げられた。



「……ん、あぁ?」

 小さく揺らめく赤い光が、漆黒の闇の中に微かに色づく。目を開くと、微かに温もりを伝える蝋燭の光が視界に入ってきた。
「うぇえ…俺様とした事がざまあねぇな…。いくらあんなバケモンが相手っつってもな……。」
 目覚める前に起こった一連の予想外の出来事が、彼の頭の中を再び過ぎる。余りに唐突なあの漢の登場を思い返し、呆気なく振り回された自分の情けない姿が目に映り、罰が悪そうにそう呟いていた。

「あっ、気がついた!!」

 半身を起き上がらせてから程なくして、灯火の方から甲高い歓喜の声が聞こえてきた。
「耳元で騒ぐなよ。そんなうるさくしねぇでも、寝覚めが良い事が自慢でね。」
 気づけば寝床に寝かしつけられていたが、あんな事があった後とあっては今更驚く事ではない。彼は面倒臭そうに頭をぼりぼりと掻きながら、大袈裟に感じられる程に喜びを見せる小さな少年のあどけない姿に苦笑していた。
「……んぁ?どうしたよ?」
 だが、急に明かりが消えたかの様に、少年の顔はすぐに暗く沈んでいた。自分が倒れていたという理由だけではないと、何となしに感じられる。
「……。全身血だらけで倒れてたから、死んでたと思ったのに…凄いね。」
 少年は彼の問いには答えずに、再び目覚めた青年を見てただ肩を落としてそう告げていた。答えられない程の事情でもあるのか、それでも助けた者が目覚めるのに対して純粋に安心している様だ。
「血だらけだぁ?俺が?」
 一方、青年はその言葉を聞いて怪訝に思い、全身を改めていた。だが、芯まで残る鈍い痛みが全身に微かに残る以外は、特に傷ついた様子はない。
「ああ、それ多分、全部バケモノどもの返り血だ。俺様はこのとおり、怪我一つなくピンピンしてらぁ。…そう、怪我一つなく…な。」
「え?」
 行く手を阻む闇の魔物達などいくらかかろうとも青年の敵ではなかった。だが、降りかかる血を気にせずに戦い続けたのでは怪我人に思われても無理はない。……そして、最後の最後であの様な目に遭っても結局傷を負ったわけではなく、ただそのときのささやかと言えるか分らぬ恐怖と疑問が残るだけだった。

「ん…よいしょっと。何はともあれ久々にぐっすりと寝て良い気持ちだぜえ。流石に100も200もバケモノを相手にしておまけにあんなんが出りゃあ俺でも気が滅入るわな、そりゃ。」
「そ…そんなにたくさん…??」

 難なく蹴散らしてはみせたものの、性懲りもなく立ち塞がる雑魚の群れに正直うんざりとした気持ちも覚えていた。だが、生半可な強さではその数の並の魔物に無傷で生還することはおろか、勝つことすらも危ういのは明白である。それだけの敵を苦なく屠って見せたとばかりに豪語する青年に、少年は不思議そうに目を瞬かせていた。
「あったりまえだ。命かけりゃこの世の魔物どもをすぐにでも滅ぼせるくらいの意気込みがなけりゃあ”勇者”なんざやってらんねえぜ。」
 青年としても、あの程度の戦いで本分を発揮したつもりではなかった。望んで背負った輝かしい名に恥じぬ働きをする力は、まだ育てる余地がある。そして、如何に強大な怪異と出会おうとも、人々に仇なす者を相手に退くつもりはなく、いつでも立ち向かう覚悟はとうの昔に決めていた。
「え?ゆ…勇者?」
 彼が胸を張りながら告げた言葉の一端を返しながら、少年はその顔色を大きく変えていた。この暗がりの様にどこか沈んだ表情が、不意に希望を帯びた様にも見受けられた。

「おうよ。元・サマンオサの勇者サイアスとは俺様の事よ。」

 そんな少年を気に留めた様子もなく、サイアスはただ自らの勇名を誇らしげに告げていた。逆立つ様に天を示す長い黒髪と、黒の瞳を宿した鋭い目つき、そして口元には不敵に笑みを浮かべている。
「…勇者……ほんとうに…勇者なの…?」
 その堂々とした姿を前に、少年はそれまで抱いていた暗い感情と今湧きあがってきた希望との狭間で迷っているかの様に、歯切れ悪くそう尋ねていた。
「ウソなわきゃねえだろうが。なんならサインでも一つくれてやろうか。いずれ大魔王を倒して世界を救う勇者サマのとっておきをな。」
「大魔王を…倒す…?本当に…!?」
「あったぼうよ。俺様を誰だと思ってやがる。」
 乱暴な物言いも掲げている無謀な目標も、彼が言うともはや嘘には聞こえない。ほとんど会ったばかりだというのに、この凄まじいまでの輝きを見たのは、幼い少年のこれまでの短い一生の中では初めてであった。

「お父さん!!あ…あの人、勇者だって!!」

 皆に深い嘆きと絶望を与える大魔王を討たんとする勇者がついに現れた。歓喜の声と共に駆け出す少年の顔に、もはや暗い影などなかった。
「……おいおい、どうしたんだよ急に。全く、せわしない奴だな。」
 ドタドタと床を蹴る足取りはやかましくも、どこか軽快にも聞こえる。誰もいなくなった部屋で軽口を叩きながらも、サイアスは今の少年の振舞いから、この世界に起こっていることの一端を知った様な気がした。
「さ…てと。こんな良い寝床を準備してくれた礼はたんまりしとかねぇとな。」
 それはともかくとして、世話になった人間に対する恩義を返さないのは自らの信条に反する。サイアスは掛けられている布団をどかしながら、ベッドから降り立った。





 夜の帳が空を覆い、日の光が届かない中で尚も咲く小さな花を擁する花畑。だが、それらの花弁も茎も葉も弱々しく、今にも枯れてしまいそうな程に儚いものだった。

「大変よ!!そこに二人倒れてるわ!!」

 その中心で、大きな二つの影が地に横たわっている。それを見かけた一人の女がそう叫んでいた。
「行き倒れか…。」
「そのようだが…意識はないようだな。」
 彼女の呼びかけに応えて、近くの兵士達が駆け寄って様子を見る。
「生きて…いるのか…?」
 倒れていたのは、兜にも似た蒼と銀のサークレットを戴く黒髪の少女と、大きな三日月型の先端の鈍器を思わせるバランスの杖を抱きかかえている赤髪の少女であった。二人とも目を閉じたまま、死んだように動かない。
「よかった…ちゃんと息してるし、怪我も酷くない。」
 だが、女が体を改めると、脈はしっかりと通っており、温もりも失われていない。冒険者らしい服装から察する通りの過酷な旅路からか傷も幾つか負っていたが、致命傷には程遠かった。
「そうか…。だが…休ませる必要があるな。おれは応急処置を施しておこう。お前は城に戻って人を呼んでくれ。」
「ああ。」
 命に別状はなくても、呼びかけても目覚めぬ程弱っているのは間違いない。兵士達はすぐに迅速に行動を始め、それぞれの役割に移り始めた。

「……火傷?」

 ふと、そのままこの場に残って兵士を手伝い、二人の介抱をしている女が首をかしげながらそう呟いていた。
「…確かに、火で焼かれた跡があるな…。」
 よく見ると、少女達が纏う衣服や外套に、黒く焦げて穴が空いてしまった箇所が幾つも見受けられた。
「それに何だか…硫黄臭いな……。まてよ?前にもこんな事が……」
「…前にも?」
 そして、それに染みついている鼻を突く様な独特の臭気が兵士の嗅覚を刺激する。それらの状況から、以前にあった出来事の記憶が呼び起こされる様な気がした。

「連れてきたぞ。」

 兵士が奇妙な巡り合わせを感じて過去を思い返していると、同僚が手の空いている運び手となる者達を連れて戻ってきた。担架を担いだ男四人が二人一組でそれぞれ少女の傍らに赴き、医女達がすぐにその体を担架へと乗せる。
「ご苦労。おい、”あの部屋”は確かまだ空いていたな?」
「ああ、丁度あの人達が旅立った後だから、当分空いているだろうよ。」
 兵士達の間で意味深に交わされるその”部屋”の存在に、首をかしげる者は誰一人としていなかった。ただ、感ずる所が違うのか、ある者は懐かしさを現わし、ある者は忌まわしい思い出の苦渋に顔を歪め、そしてある者は希望の光を双眸に映し―それぞれが思い思いの表情を浮かべていた。
「そうか。よし、この子達を客人用の寝室まで連れて行ってくれ。」
 ともあれ、その特別な部屋の存在は誰もが分かっている事であった。彼らはすぐに二人を担架で担ぎ上げ、花畑から足を踏み出した。そして、その先に続く大きな城を目指して歩き始めた。
「あの方が来たときの事を思い出す様だよ。」
「あの方…?ああ……そう、ですね……。」
 運ばれていった二人の少女が携えていた荷物が、花畑の中に残されている。それらを拾い集めながら、兵士と女はかつて同じ場所で起こった出来事を思い返していた。先程みた火傷の意味が、ここにきて女にもようやく分かった様な気がした。

「オルテガ様……。」

 手の施しようのない程の火傷を全身に負いながらも息を吹き返したが、全ての過去を失い―それで尚も運命に縛られ続ける逞しくも悲しい男。今はもうこの場にいない異国から来た勇者の名と共に、二人は目に焼きついたその姿を明確に思い出していた。


 通るべき道を閉ざされて、彷徨った果てに辿りついた灼熱の門。
 その内に広がる歪みをくぐり抜けた先に広がる新たな世界が、レフィル達の目覚めを待っている。
 更なる旅路の入り口は、既にすぐそこにあった。

(第二十六章 灼熱の門 完)