灼熱の扉 第五話






「大地の神々よ…」

 行き場を失わんばかりに暴れ狂う解き放たれた光の奔流の中で、更なる詠唱が続く。自らを圧し潰してしまう程の流れに包まれながらも、その心は綻びの一つも起さずに乱れなくそこにあった。

「寄り集いて我らに力を与えん!」

 やがて、全てが唱え終わった時、呼び寄せられた光は掲げられた理力の杖の先端に集い、振り下ろされると同時に赤い光の波となって広がり始めた。

「こ…これは…!?」

 それがこの場を守る兵士や傭兵達の体に触れた瞬間……

「おおおおおおおおっ!!ファイトいっぱぁつっ!!」
「…力がみなぎる…!!」

 皆の体の内側から、噴き上がる炎の様な闘争心が掻き立てられ、全身に力がみなぎってきた。
「これがお前さんのチカラって奴か!!かぁああっ!!粋な事してくれるじゃねえか!!」
 突如として湧いてきた得体のしれない力に恐怖を覚えるより先に、大魔王を前に動きが取れなかった部下達が一気に気力を取り戻していくのを見て、傭兵団の長は歓喜の声を上げた。

「行くぜぇっ!みんなっ!!大魔王を通すな!!」
「「「ぉおおおおおおっ!!!」」」

 高らかに上げられた号令と共に、敵味方なく心身に轟かんばかりの鬨の声が上がる。そして程なくして、炎の如く赤い霊光を纏った傭兵達は、闇に包まれた大魔王に向かって一斉に躍りかかった。
「叩き…のめす!」
 そして、皆に力をもたらしたムー自身もまた、みなぎる力に任せて天高く跳び上がり、理力の杖を思い切り振り回しつつ渾身の力を以ってゾーマへと叩きつけた。

 魔を退けた戦いにさえも姿を現した歴戦の傭兵団―”デスストーカー”と、魔の力を極めた咎人―”メドラ”。この二つが合わさった今、例え大魔王であっても容易く打ち破れるはずであった。


『 無駄と言ったはずだ。 』


 だが、結果は大きく異なった。
「…ば…ばか……な…っ!」
「ぅ…ぐ…くそ…ぉ…っ……」
 闇の中から振るわれた魔王の拳は、ただ一撃で赤き暗殺者達を容易く葬り去っていた。そして、それをくぐり抜けて刃を届かせたはずの者達もまた、余りの手応えのなさに愕然としていた。
「攻撃が…逸らされた!?」
 魔力によって引き出された渾身の一撃は、まともに受ければ遮り様もないはずだった。だが、それはゾーマが纏う闇に阻まれて大きく力を殺がれ、その刃を満足に突き立てる事すらままならなかった。

『 ほう、まだ抗うか。だが、これならどうだ。 』
「………。」

 仲間達をこうもあっけなく殺され、こちらの力は殆ど通用しない。それでもムーと傭兵達は、尚も大魔王へと逃げる事なく対峙していた。それを支えるのは、世界、そして友への思いでもあっただろう。だが…


『 不埒な光よ、消え去るがよい。 』


 不意にゾーマが闇の中から手をかざすと共に、その指先から迸る何かがムー達の間を通り抜けていった。
「…なっ…なん……だ…っ!?」
 身構える間もなくそれをまともに受けた者達の全身に、強烈な悪寒が駆け巡った。
「……っ!!オーラが…消える……!」
 同時に、パルプンテの呪文によって体の内から引き出されていた力が消え失せ、赤いオーラもまた立ち消えてしまった。
「凍える……!なに…これは……!?」
 ゾーマが突如として放ったものによって、皆の生気は一瞬にして失われた。脱力感のあまりその場に膝を屈しながら、ムーは今起こった事が全く掴めず、ただ苦悶に顔を歪めていた。

『 存在ある者はやがて滅びる。その定めは誰しも変えることはできぬ。輝ける光とて、その源を断てば容易く消えうせる。それだけの事だ。 』

 皆に力を与えた魔力の奔流、力を与えられた事で高められた体より立ち昇る赤い霊光。そのいずれも、やがては時と共に虚空に消えてしまう。常に散逸を続けているそれらへと放たれた凍てつく波動は、瞬く間にその力を根こそぎ奪い、完全に消し去っていた。
『 レフィルよ、努々忘れるな。生きとし生ける者全ての絶望が我らが血肉となり、負の心こそ闇の源である事を。なればこそ、絶望の内に滅び逝く世界こそ、最後にして大いなる贄よ。 』
「……さい…ごの…に…え……?」
 自分を傷つけられた友の怒りによって呼び起こされた眩い光を一瞬にして無に帰す程の深い暗黒。それを目の当たりにして、先の恐怖と相まって、レフィルは呆然と大魔王を見上げていた。体には未だ闇が纏わりつき、虚ろに開かれた目は焦点が定まっていない。
『未だ狭間を彷徨うか。そなたも己が宿命を受け入れよ。私と道を共にしたそのときより、運命は定められていた。』
 あのときの様に完全に闇に心を委ねていないのは、今も尚光を手放しきっていないからに他ならない。今また失われようとしている望んだ暮らしを守りたいと願う思いと、何もかもが無くなっていく恐怖から解き放たれるべく闇に再び身を委ねんとする衝動との間で、レフィルの心は揺らぎ続けていた。
『 ……それもよかろう。ならばこれが、そなたへのせめてもの手向けだ。 』。
 力を失って立ちあがることさえもできない中でも、心を喰われない様に無意識に戦い続けていると言ってもいいのかもしれない。宣告にも答えずにあたかも死んだかの様に動かないレフィルへと、ゾーマはそう告げつつ、大地に大きく開けた深い大穴の淵へと立った。
『 感じる…感じるぞ……。我が闇の世界に普く、失われ逝く者どもの絶望を…!! 』
「……!」
 その瞬間、ゾーマの回りに集う闇が急激に膨れ上がり、辺りを覆う暗闇もまたその深みを増した。
「……な、何だ!?」
「地震…!?」
 不意に、大地が激しく揺るぎ、皆の足元をすくった。
「……こ…これ…は……」
 巨人か何かによって踏み鳴らされた様な衝撃の中心たる大魔王を取り巻く闇が、この場に普く暗闇に同化していく様にして更に大きくなっていく。ここにいる誰もが、その圧倒的な存在の大きさを前に呆気にとられて絶句していた。

『 砕けよ…ギアガの大穴よっ!! 』

 大魔王が猛ると共に、大穴を囲う石壁がそれを支える大地ごと一瞬にして砕かれた。
「…大穴が!!」
 そして、ギアガの大穴に一筋の巨大な傷が刻まれ、闇がその内から鮮血の如く鮮やかに溢れ出る様が、傭兵達の目に映った。

『 闇の同胞よ、ここに在りし闇を喰らいて更なる闇となるがよい…!! 』

 穴より現れた闇の中には、数々の蠢く者どもがいた。殺気に満ちた双眸が、守人達へと向けられる。
「ま…もの……!?」
 レフィルが掠れた声でそう呻く頃には、既に彼らは目の前にまで迫っていた。

「な…んだ、こいつ…ら…っ!?」
「強い…、…っ!!」
「お、おい!!しっかり……っ!」

 今現れた大魔王ゾーマに仕えし闇の使徒達の力は、これまで倒してきたそれとは比較にならないものであった。不意を突かれた傭兵達は、瞬く間にその爪牙や刃に掛かり、容易く命を奪われていた。
「くっそぉおおっ!!何だこいつらはっ!!」
 訳の分らぬままに唐突に仲間達が倒されていく様を前に、傭兵の長は苛立ちよりも戦慄を覚えていた。
「生きてるやつぁ全員退けぇえっ!!これ以上の任務の継続は無理だ!!嬢ちゃん達もすぐに逃げるんだ!!」
 ここで戦って犠牲を払ったところで、。もはや与えられた役割を果たす事などできない。仲間と客人を守るべくして必死に戦いながら、彼は仲間達に撤退を指示した。

『 逃しはせぬ。わしに刃を向けた事、闇の深淵にて悔いるがよい。 』
「何ぃっ!?」

 だが、その言葉を冷たく遮る様なゾーマの宣告に、その場の皆が恐怖に凍りついた。先程全力で掛かってもその行く手を阻む事が出来なかった相手のなせる業を、止める事などできない。今度は一体何を仕掛けてくるというのか。

『 我は大魔王ゾーマ。闇と漆黒の覇者、闇の世界―アレフガルドの支配者なり。 』 

 そう告げると共に、大いなる存在が宿す重圧が次第に増し始めた。闇の世界の大魔王たる者に、力を以って逆らう愚を知らしめてくる。既に彼らも、そうした哀れな叛徒として断罪される事で絶望を呼ぶ生贄でしかなかった。

「ど…どわぁああああっ!!!」
「た…隊長ぉおおおおっ!!」
「ぎゃ…ぁあああっ!!!」

 魔王によって刻まれた大穴に更に亀裂が走り、それが傭兵達の足元へと至るなり一気に崩れ始める。ある者は瓦礫もろとも深淵へと落ちて闇に消え、ある者は新たに現れた闇の者の手に掛かり命を落とした。
「――――っ!!!」
 それは、魔王と対峙した時に目にしたものにも勝る程の地獄であった。この世界を守る役目を担っていたはずの者達が次々と容易く死んでいく。レフィルは引き攣った悲鳴を上げながら、彼らの最期を恐怖に見開かれた瞳で看取るしかなかった。


「ラ…ラーミアぁああっ!!」


 このままでは自分も闇の者達に殺されてしまう。レフィルは無我夢中で手を天空へと差しのべながら、恐ろしさのあまり叫喚した声そのままで、ラーミアに助けを求めていた。闇を切り裂くが如く、七色の光に覆われた鳳が勢いよく空から舞い降りて、レフィルを鉤爪でしっかりと掴んだ。
「レフィル!!」
 レフィルを救いだしてすぐに飛び立とうとするラーミアの姿を見て、ムーはすぐにその影元に駆け寄りながら上を見上げて叫んだ。恐怖のあまり絶叫を上げた友は、既に彼女を慕う白き鳥の手によって助けられている。
「い…いそい…で……っ!」
「わかってる!」
 ゾーマを倒すだけの力も情報もない以上、自分ができる事はもう何もない。ムーは脱出を促すレフィルの言葉に従うままに、空高く飛び上がった。そしてそのままラーミアの背中へとしっかりと着地して、そこに跨った。

「急いでここから離れて。」

 あの時から思いの外短い時間で全ての元凶と再び会いまみえる事ができた。だが、その戦いは完全な敗北で終わった。賢者の魂を宿したムーの力でさえも、大魔王にはまるで通じない。魔物達と日々戦い続けて腕前を磨いている傭兵達も、見るに儚く命を散らした。

 今レフィル達にできるのは、ただひたすらに逃げる事だけであった。