灼熱の門 第二話

 レフィル達が女王の部屋を訪れてから、暫しの時が経った。

「わたしは…いったい何をしてしまったんだろう……。」

 全てを語り終えたレフィルは、今はただ消え入りそうな声でそう呟くだけで、力なく佇んでいた。

『ムーがあなたを助けようとして唱えた究極の呪文は、あなた自身の心に従って力を求めて世界を巡り始めた。助けを求める声は…わたしの元にも届いたわ。けれど……それは闇が現れると共に途絶えてしまった。』
 あのとき、仲間を倒されて自暴自棄になり、ただ捨て身でバラモスに挑み自らも倒れようとしているのを見兼ねて、ムーは傷ついた体で究極の呪文―パルプンテを唱えた。
 
 此に在りしは昏き絶望
 
 汝が求めしは逸理の約
 
 其を望まば、己が内に在る深淵に問いかけよ
 
 闇に灯りし汝が標、其が道を拓かん


 二人を傷つけられた怒りと、運命を捻じ曲げられた憎しみに任せて力を求めた結果、この様な言葉が聞こえてきた。
「ゾーマ……」
 それは、大魔王ゾーマの闇からの誘いに他ならなかった。
『ゾーマ…というのね。きっとその者が、力を欲するあなたの意思に呼応して来たのでしょう。……いずれは生贄…闇の糧とするために……。』
 自らの運命の元凶たるバラモスに一矢報いたいという願いに応えて力を与えた。それが、確実な破滅の約定もある事などレフィルには知らなかった…否、或いは知らず知らずの内に認めていたのかもしれない。少なくとも、何よりも大切なものを失おうとした絶望は、想像を絶するものであったに違いない。
『でも、それを拒絶すれば今度はバラモスにあなたは倒されていた。結局、あなた自身が行く道はそこしか残されていなかったのよ。あなたが勇者である必要などないはずだったのに、それが歪められてしまったのはいつからかしら…。』
「………。」
 人の子が御する事のできない強大な力によって狂わされるか、力の差そのままに押しつぶされるか。父の跡を継ぐにそぐわない程に弱いレフィルに全てを背負わせた時点で、無事では済まないのは目に見えていた。
『こうなってしまうまで、何も分からないものね…人の子達だけでなく、わたし達も。だから、あまり気に病んではだめ。』
 オルテガの死を以ってすぐに英雄を継ぐものとして引きずりだされたのも、そもそもは多くの物事が積み重なった結果誘発したものである。最後に旅立ちを決めたのはレフィル自身であっても、決断までの時間はあまりに短過ぎ、そして…勇者を担う子として生まれ変わるにはあまりに遅過ぎた。にも関わらず、レフィルが新たな勇者とされたのは、父から数多くの才能を受け継いで”しまった”事にあると言っても過言ではないだろう。
 あるいは、きっかけの一つが欠けてしまえば、レフィルが勇者である必要はなかったのかもしれない。しかし、それを見抜いて善き未来へと導く力は誰にもなかったのだろう…もちろん、地上の守護者たる竜の女王でさえも。

「でも…だったらわたしはどうすれば……」

 一度は勇者という使命から解き放たれたが、更なる脅威たる大魔王の思惑に巻き込まれ、闇の中に進むべき道を失ってしまった。今のレフィルには、自力でこの混迷を切り抜ける術はない。できるのは、ただ救い手たる女王に助けを請う事だけであった。
『大魔王ゾーマ…それ自体が未知の存在なの。正直、私達にも殆ど分かっていないと言ってもいいかしら。』
 地上の守護者として長い間この世界を見守ってきた女王でさえ、突然現れた異界の大魔王の存在はまだまだ捉え切れていないらしい。
『あなたの十八歳のお誕生日に闇から現れた巨大な存在。あなたのアリアハンばかりでなく、希望に映える国々にも現れて、多くの人々を殺めて絶望をふりまき続けているみたい。』
「じゃあ、もう他の国も……?そんな……」
 既にアリアハンだけでなく、世界の名のある国に絶望の影が色濃く焼き付けられたいる。その事実を知らされ、レフィルは心の底に恐怖が湧きあがるのを感じていた。
『人の心の闇に付け入る様にしてゾーマは次々と現れたそうよ。』
「やっぱり……このままじゃ……」
『……あなたが聞かせてくれた通りね。このまま捨て置いては、この世界は絶望によって生きる力を失い、容易く滅びを迎えてしまうでしょうね。』
「………。」
『私も悲しいわ。人の子同士が血で血を洗う様な戦乱も、魔王バラモスによる世界の崩壊も乗り越えてきたこの大地が再び理想郷へと還ろうとする中で、更なる闇に覆われようとしているなんて。』
 バラモスが倒れて平穏が戻ったのも束の間、更に恐るべき時が来ようとしている。

「ゾーマを、止めなきゃ……。」

 皆の生きる気力を失わせる事で世界を少しずつ侵食し、やがて最後にはこの世界を完全に闇に包みこむ。それがゾーマの目論みに違いない。そうなれば、人や動物達はおろか、魔物ですら生きていけなくなるだろう。レフィルは震える声で、誰にでもなく小さくそう口ずさんでいた。
『…できるの?あなたに?』
 恐怖に怯え、戦う力もない彼女が告げた言葉に、女王はその様に尋ねる。
「……わたしはもう…後戻りできない。わたしの居場所を取り戻さなきゃならないから…。」
『……そう。本当に…辛いのね……。』
 大魔王の闇を払わんと新たな英雄を求めるアリアハンには、既に以前の様な待ち望んでいた平穏な生活はない。それを取り戻すためには闇の呼び声に応えて深淵に赴き、全てに決着をつける必要がある。勇者として備えていた何もかもを失ってなおも戦わざるを得なくなったレフィルが背負うものの大きさに、女王は切なさを覚えた。

「私も連れてって。」

 そのとき、死出の旅にも等しい道に踏み入れようとしているレフィルの袖を引きながら、ずっと側にいた赤い髪の少女がそう告げてきた。
『そうね、レフィルに付いて行ってあげて。この子にはあなたの力が必要よ。』
「ムー…。」
 後戻りしても、前に進んでも絶望的な状況しか訪れない。それでも前に進もうとする自分を心から案じてくれる友人がいる。そして、自分には足りない力を差し出して、助けとなろうとしてくれる。
「………。」
 それが同時に、彼女までも自分のつまらない運命へと巻き込んでしまうのを意味している事を悟り、レフィルは感謝の一言すらも出ず、渦巻く迷いに頭をもたげた。
「………。」
 複雑な思いに翻弄されるレフィルを、ムーはただ無言で見上げている。静かな光を湛える緑の双眸に淀みはなく、何があろうとレフィルと共にあろうとする思いが乗せられているかの様であった。
「ありが…とう……。」
 メドラの件もあるとはいえ、できればこれ以上バラモスの時の苦しみを味あわせたく…味わいたくなかった。だが、仲間として助けになる事こそが望みであれば、どうしてそれを止める事ができるだろうか。その元となった自分に対する思いやりに自然と目頭が熱くなるのを感じながら、レフィルはムーに礼を告げた。
『決まったようね。』
 二人の少女の旅立ちの決意を聞き届けた姿に、女王は力強く頷いていた。しかし、その瞳はどこか悲しげに寂しく冷たい光を帯びていた。

『レフィル、あなたの心もまた、再び深い闇に覆われようとしているわ。だから…』

 別れへの憂いを微かに声に乗せながら、女王はその大きな手をレフィルの胸元の近くまで差出し、手のひらを広げた。

「ペンダントが……!」

 すると、掛けられていたペンダント―それに埋め込まれていた硝子の欠片が、強い光を自ら発し始めた。思わず胸元から取り出すと共に、欠片は緑の大きな手のひらの中へと飛び込んで行った。
「……この光は…」
 初めは目を覆う程に眩しかった光が、段々と弱くなっていく。 ―光のドレスと同じ……
 焼けつく様な光から、温もりを与える木漏れ日の様な柔らかな光へと転じていく。それは、女王がレフィルへと与えた守護の衣が纏うそれと同じものであった。或いはこれが、その力の源泉だったのだろうか……。
「それは…」
 いつしか女王の手の中には、一カ所だけが零れ落ちた光輝く宝珠があった。その失われた部分に、ペンダントから飛び出た欠片が吸い込まれ、満たしていく。強い光が迸った一瞬の後に、そこにあるのは…

『かつてこの大地に光を呼んだとされる伝説の至宝―光の玉。絶望の闇に呑み込まれそうになったら、その力を借りなさい。きっとあなたを助けてくれるわ。』
「光の玉……」

 透きとおった水晶の様な宝珠の中心に、不思議な光が集まっている。弱々しくも暖かな光はレフィルの顔を優しく照らしている。

「あのときの光は…これの欠片だったんだ……。」

 それはまぎれもなく、闇に沈んで消え逝こうとする自分を照らし出し、この世へと呼び戻した光と同じものであった。それが今、完全な形を保ってレフィルの手の中にある。

『…っ……く……』
「女王様!?」

 光に見入られている側で、突然竜の女王がうめき声を上げながら体勢を崩した。手はバラモスによって穿たれた傷痕を抑えている。
『…ふぅ、少しはりきり過ぎたかしらね…。』
「大丈夫…ですか……?」
 その息使いは先程よりも幾分荒くなっている。やはり傷は未だに癒えていないのか、苦しみに声を震わせる女王の姿は、先の威厳と比して小さく見える。神とも呼ばれる程の存在が崩れる予兆を垣間見てしまったかの様に、レフィルは悲しさを覚えていた。
『ええ、苦しいけれど…大した事はないわ。…それより、私が助けてあげられるのはこれまでよ。』
 心配そうに見つめる二人の少女を落ち着かせる様に優しく告げた後、女王は少々名残惜しそうにうつむきつつ、後ろにある卵を振り返った。

「……そうか、大切なものを守るために……」

 そもそも、大いなる力を持つ地上の守護者として人に多く干渉するのは望ましい事ではない。だが、今はそれ以上に、間もなく生まれるであろう我が子の下につき、母親として守る役目を果たさねばならない。
『大丈夫、困った事があったらまたいつでもおいでなさい。ここにいなければならないだけの事だから、おもてなし位はしてあげるわ。』
 子から離れられない以上、女王がこの城を出る事はない。それでも自分達のためにできる限りの事をする事は約束してくれた。
『それに、この子もきっと…喜んでくれるでしょう。とても素敵なお客様ですもの、あなた達は。』
「女王様……ありがとうございます。」
 卵の中で眠る竜の子供と共に、女王はいつでも待っている。失ってしまった帰るべき場所をここに見いだせる様な気がして、レフィルは少しだけ気分が軽くなった。同時に、女王にこの上ない感謝を抱いていた。