招来 第七話


「あれは、ムー様のお友達?」
「もう回復したみたいだな…。流石はあのお二人だ。」

 寝かしつけられていた部屋を出て回廊へと出ると、この城の住人達の話し声が耳に届いてきた。異国からの迷い人であるレフィルに対して、危ういものでも見ているかの様に落ち付かない者もいれば、好奇の眼差しを向けてくる者もいる。
「……。」
 その様な多種多様な反応を見せるこの国の民達に目もくれず、レフィルは城の中を静かに眺めていた。辺りに漂う空気はとても清々しく、アリアハンの王城にはない静けさが心を鎮めてくれる。そのくせ、整然とした動きで動き回る者達を見ていると、数多くの者達が働いている故郷のその城を思い出す様だった。
―………どうしてるかな、皆。
 そして、あの歓声の中で突如として起こったこの上ない悲劇を前に、王を初めとするアリアハンの民達、祝典に訪れた他国からの来訪者達が何を思ったか。不意にそんな事が心配になっていた。

「お客人、どちらへ?」

 望郷の念を抱いて暫く立ち止っていると、一人の男性が声を掛けてくるのが聞こえてきた。背が低く、立派な口髭をたくわえた様は伝承にある小人―ホビットを思わせる。他の住人達も、時折不思議な雰囲気を纏っているものがおり、底知れない謎が頭に浮かぶ。
「…ムーを、探してます。出かけているとは聞きましたが、いつ頃帰ってくるでしょうか…?」
 ここを初めて歩きまわっているレフィルには、行くべき場を決める事はできない。だが、友人に会いたい気持ちには変わりはなかった。
「ムー殿ならまだだろうね。帰ってくるのは…彼女の事だから夕方頃になるだろう。何でも、その魔力で人助けをして回っているとか。で、その途中でこの城を見つけたそうだよ。」
「そうですか…ムーが、そんなことを…。」
 この城に至るまでにも、ムーにも色々とあったのだろう。彼の言葉から、自分が静かな生活へと還ろうとしている時に、ムーもまた己の道を進んでいた事が読み取れる。
―ホレスも……きっと……。
 もう一人の仲間もまた、きっと同じ様に自分の道をしっかりと歩んでいるに違いない。離れていても力強く生きている二人の仲間に、レフィルは何か不思議な気持ちを抱いていた。
「まだこの城に慣れていないみたいだが、寝覚めの散歩がてらしばらく見て回っては如何かな?ふふ…さぞや皆驚く事だろうさ。」
「??」
 一体自分の何に驚く事を期待しているのか。くつくつと笑いながら散歩を勧める男の顔を、レフィルはきょとんとした表情で見ていた。



 これまで訪れてきた幾つかの城からは感じられない清らかな雰囲気。それは人の王が君臨する王城というよりも、神を祀り上げる神殿が持つものに近いかもしれない。人の子が住まう大地の中に、この様な神聖な場があっただろうか。場の空気に押し潰されそうな気さえ感じる中で、レフィルは宮殿の中で歩き回っていた。
 そうしている内に、いつしか緑の地を踏みしめた事に気がついたそのときであった。

「へ、陛下!?」

 突如として、その様な声がレフィルの耳に届いた。先程すれ違った者達とは違い、明らかな驚きがその中に含まれていた。
「…え?」
 思わず振り返ると、城の本殿の前を守る兵士の一人が、見開かれた目でこちらを凝視している様子が見えた。
「…あ、これは下界からのお客人で…大変失礼しました。」
「な…何?」
 しかし、すぐに自らの思い違いと知ったのか、兵士は慌てて謝意を述べていた。一方のレフィルは、突然の事に言葉が出なかった。
「顔があまりにそっくりなものだから…紛らわしいよなぁ。」
「ホント。ムーさんが連れてきたときはびっくらこいたぜ。」
 そんな彼女を尻目に、近くにいた同僚の兵士が話に加わってきた。彼らはそのまま感慨深そうにある日の事を思い返してわずかな間に多くを語りだした。
「しかし、本当によく似てるなぁ…。まぁ、この子は人間だけど。」
「…え?あ…あの…」
 一体何があったのか気になるものの、二人の間で交わされる話についていけず、レフィルは混乱したままで思わず何かを尋ねようとしていた。
「あまりお気になさらないで下さい。ただ、あまりに似ているからこうして噂になってしまってるだけですから。」
「似ているって…王様…いや、女王様に…?」
「はい。」
 会話の随所で引っかかる言葉はあまりに断片的過ぎて理解し切れるものではなかったが、それでも、この城の主たる者に自分が似ているというまではレフィルにも分かった。
「それより、ここから先は危険です。」
「…あ、ごめんなさい。」
 話に感けていて、先に使用人の女性から受けた注意をすっかり忘れていた。天を仰げば雲一つない蒼穹があり、足元は整えられた庭園が広がっている。外に出てはいけない、と言うのは城の内部であるはずの中庭も同じ事らしい。
「そろそろ中に戻って頂けませんか?また奴らがいつ現れるとも分かりませんので。」
「奴ら…?」
 この国を脅かしている招かれざる客とは一体何者なのか。兵士の勧告の中からその存在を感じ取り、レフィルは首を傾げていた。

「下れっ!!」
「危ない、上っ!!」
「…!!」

 不意に、遠くの方で注意を促す叫びが飛び交うのが聞こえてきた。
「あれは…!?」
 晴れ渡っていたはずの空は、いつの間にか漆黒の雲で覆われて黒く染め上げられている。中庭に降り注いでいた光は遮られて、温かであったはずの雰囲気が不意に底冷えする様な冷たさへと転じていく。
 見回す全てが暗く変わっていく様に、レフィルはただ驚愕していた。
「来やがったか!?」
「その様だな!」
 一方、ここに集まっていた兵士達は、この得体の知れない不気味な存在を前に臆する事もなく、すぐに全員がそれに対して身構えていた。
「…魔物!?」
 遠くで幾度も上がるけたたましい奇声は、紛いなりにも勇者としての使命を背負っていた時に聞き慣れていたものであった。空に現れた闇の中から、蠢く者達次々と舞い降りてくる。

「いや、それだけじゃ……これは…まさか……!?」

 しかし、レフィルが感じ取ったのはそれだけに留まらなかった。
「人間……!?」
 上げられる鬨の声、向けられる殺気、いずれもそうと感じさせない程に大きなものであった。だが、目の前から迫りくる者達は紛れもなく人の姿をしていた。その表情は絶望によって暗く彩られ、迷いない足取りでこちらに真っ直ぐ向かってきている。
「ど…どうして…!?」
「奴らは闇の手の者です。あの時の異変以来、何度か襲来がありました。今度もまた…!」
「闇の手の者…!?まさか……」
 魔物だけでなく、人までもが自分達に刃を向けてくる。彼らをそうまで突き動かしているものは、他に思い当たるものがない。

「だめだ、俺らだけじゃ抑えきれねぇっ!!」
「レフィル様!あぶな……ぐっ!?」

 怒涛の様に押し寄せてくる闇の軍勢を前に、城を守る精強な兵士達でさえもその勢いを止める事は叶わなかった。彼らは奔流に弄ばれるままに城壁へと叩きつけられて、その場に膝を屈していた。
―わたしを…狙ってる!!
 そして、邪魔者を押しのけた次に闇に仕えし者達が、レフィルへと矛先を向けてくる。今の彼女には、魔王を圧倒した闇の力はおろか、命を守るべき剣すらない。この迫りくる闇の中に飲み込まれてしまったら、それこそひとたまりもないだろう。
「……。」
 だが、その様な危うい状況であるにも関わらず、レフィルは静かに正面を眺めていた。驚きに見開かれていたはずの紫眼は浅く細められ、表情を消された顔は氷の様に冷たい雰囲気を帯び始める。
―ゾーマ……!
 この闇の手の者達を招いたのは、アリアハンを混乱に陥れ、世界を闇に覆わんとしているあの大魔王を名乗る存在以外には考えられない。
「ゾーマ…ッ!!」
 今また、望む物全てが失われようとしている。深い敵意を乗せた言葉が零れ落ちると共に、レフィルはその手を正面にかざしていた。開かれた手のひらに、眩い光が集い始める。


「イオラ!!」


 そして、湧き上がる激情に任せて、力ある言の葉を唱え上げた。

「…当たれっ!!」

 集まった光が閃くと共に正面に大きな爆発が巻き起こり、空から舞い降りる魔物達を叩き落とし、迫り来る闇の使徒と成り下がった悪しき人の子達をまとめて吹き飛ばす。これこそが、レフィルが操れる最強の呪文―上級爆発呪文・イオラの力であった。

「……うぅ……っ…」

 だが、それを放った当人は、苦しげに胸を抑えながらその場に倒れた。顔は生気を失った様に青ざめて、体中が急に氷の様に冷たくなっていく。
―やっぱり…もう…
 如何に長く戦いを離れていたとはいえ、ただ一度の呪文でここまでの反動を受けるとは思わなかった。
―こんな…ところで…!!
 そして、先程のイオラの呪文程度では、怒涛の如く押し寄せる闇の者達を打ち払う事はできない。いつしか目の前にまで迫った赤き獅子の魔獣―ライオンヘッドがその口から吐き出した業火に、レフィルはなすすべもなく飲み込まれた。

「…うう……っ…!」

 吹き荒れる熱風に煽られ、炎の欠片が次々と牙を剥き始める。レフィルは恐怖の余り目を固く閉じ、突き刺される様な激痛をその身に感じて消え入りそうな声で呻きを上げた。


―大丈夫よ。さあ、目を開けて。


 そのとき、滅びの現実から心を閉ざそうとする中で、誰かがレフィルにそう呼びかけた。
「……え?」
 怯えて凍りついた心を溶かす様な温もりに満ちた優しい声を感じ取り、レフィルは我に返った。

「わたし…どうして……?」

 焼き尽くされたはずの体には傷一つなく、痛みも何事もなかった様に綺麗に消え去っていた。そして、目の前には炎を吐いてきたライオンヘッドが驚いた様を隠せずに後じさっているのが見える。
「この光…」
 淡い光がレフィルの体に衣の様に纏わりついている。足元を見やると、炎によって無残に焼き焦がされた地があったが、レフィルが立つ場…否、レフィルが存在している空間には炎の残滓一つなく、先に見た美しい庭園そのままの姿がそこにあった。

「光のドレスよ。」
「え?」

 再びあの声が、今度は後ろからはっきりと耳に届く。やはり慈愛に満ちた優しい声であったが、近しさを感じさせる―懐かしさよりも、常に共にある程のものを宿していた。
「あなたを守るために、私が作った品よ。ちょっと急拵えだったけど…気に入ってくれた?」
 そう問われて、身に付けている光の衣を改めて見回してみた。どうやら最初から、闇から迫る厄から身を守るためにこのドレスを与えてくれたらしい。
「光の欠片が……」
「大切に持っていてくれたのね。」
「…え?これは……あなたの…?」
 携えていたあの硝子の様な石が衣の光に呼応する様に静かに輝きを発している。当人の言葉からも、どうやらこの二つの品は、元々は今助けてくれた彼女のものである様だ。

「それより、もう外を出歩ける様になったのね。元気になってよかったわ。守護者の片割れさん―それともレフィルって呼んでいいかしら?」
「…片割れ……?女王様…あなたは一体……?」

 微笑みを返すその姿も、普段から見慣れたそれであった。鏡を見ているかの様な感覚の中で、レフィルは彼女の―この国の女王の姿を前にしながら、投げかけられた言葉にただならぬ疑問を覚えていた。
 炎の如き真紅に灯る瞳の色こそ違えど、黒く長い艶やかな髪と顔立ちはまさに自分自身のそれであった。竜を思わせる意匠の苔色のローブに身を包み、金で拵えられたティアラを戴き、女王たる気品を醸し出している。自分がその彼女の片割れであるのであれば、一体何を意味しているのであろうか。

「それと…お帰りなさい、ムー。」

 話している内に、いつの間にか闇の使徒との戦いは既に終わりを告げていた。女王の登場により活気づいた精兵達は獅子奮迅の勢いで侵略者達を押し返した。そこに丁度外より帰ってきた客人―金色の鱗をもつ巨大な竜を、女王は我が子を迎える様に優しく見守っていた。



「ムー…?」



 そう呟くレフィルの紫の瞳が、金色の竜のつぶらな緑の瞳と合わせられ、互いの友の姿を映し出す。二人は暫くの間、黙したまま静かに見つめ合っていた。



 清流の如く澄んだ平穏の中でも過去に背負った業は消える事はなかったのか。黒き雷が降り注いだそのときより、終焉の中で眠り続けていたレフィルの運命が再び目覚めを迎え、更なる過酷な道へと誘う事になる。
 その最初に辿りついたのは、闇に堕ち逝く中で光を与えてくれた守り神の住まう地。それが、レフィルの最後の冒険のはじまりの場であった。

(第二十五章 招来 完)