招来 第六話



「これは…あいつ、いや…ラーミアの…?」

 黒を宿した白の軌跡によってなぞられた空から降ってきて、その掌の内に舞い落ちたそれを、彼は訝しげに眺めていた。
「オイオイ、今度は何だってんだ??」
 明らかな疑問が脳裏を過ったような疑念を醸し出しながらも、青年の口調には動揺した様子は見られなかった。手のひらの上で佇んでいる微かに光を帯びた純白の羽の片隅を、黒ずんだ赤が彩っている。
「やれやれ、せっかく世界を救った勇者サマになったと思えば、また引っ張りだされるってか?迷惑な話だなぁ、おい。」
 傷ついた大きな鳥が落した翼の一片。それを見つめる目を意味深に細めつつ、彼はただ気だるげにそう呟いた。
「ま、手柄立て損ねた分暴れるのも悪かぁねぇな。」
 しかし、その口元は待ち望んでいたものに出会った愉悦によって、不敵な笑みに歪められていた。

「さて、久々に行ってくるとするか。」

 世話になった宿の主人の見送りを背に、サイアスは城下町の外に連なる道を歩みながら、黄昏に掛かる無味なる白黒の虹を仰いだ。



「何かしら…?あれは……。」

 同じ頃、山中にある神殿の一室より、朝空に走る異様な軌跡を見て、赤髪の女性が首を傾げていた。
「まるで白黒の虹…ですな。それにこれは…、何故この白い羽に…。」
 少し前に窓より入り込んできて、自室の床に落ちたもの―血塗られた純白の羽を拾い上げつつ、この場に在ったもう一人―蒼髪の青年もまた、これまでにない不思議な状況の一つ一つを紐解こうと試みていた。

「まさか…ラーミアの?」

 血に穢れながらも、その身に淡く弱々しく虹色の光を帯びている様子ははっきりと見覚えがあった。
「ふむ、何事も無ければ気楽なものですが。」
 世界を守るべくして共に戦った、生まれたばかりの伝説の不死鳥―ラーミア。そして、その主―家族にも親しい程に絆を深めている少女―レフィル。二人の身に間違いなく何かよからぬ事が降りかかっているのは容易に推察できた。
「悪い予感程良く当たるのよねぇ。本当に残念なことだけど。」
「ふむ……まあ、いずれにせよ心配は尽きないでしょうな。」
 鮮やかさを失い、ただ闇を内包した光のみの白黒の虹。不吉さを伝える様な常軌を逸した現象を前にして、さしもの二人の賢人でさえも要らぬ不安を呼び起こされる。彼らはただ、この不気味な運命に巻き込まれたであろう友や家族の身を案じていた。



「……こ…これは……っ!?」

 また別の地にて、驚愕した様子で、一人の青年が呻きを上げていた。
「な…何だ……これ…は…っ!?ぐ……っ!!」
 地に引かれていく様にして、体が重くなっていく。底なし沼に沈んでいく様な感覚の中で何が起こったのか、体中を激痛が駆け巡り続ける。
「ぐ…ぁあ…っ!!く…そ…!!どうなっ…て…っ!?」
 雷の嵐の如く激しく鋭い痛みに苛まれ続ける中で、彼の目の前に白い何かが飛び込んできた。
「ま……さ………か……!?」
 思わず手を伸ばして手のひらに取ったそれは、暫しの間虹色の憐光を帯びていたが、やがて闇の中に吸い込まれる様にして消え去っていた。そして、その残滓たる白い羽は、綻びを広げて地面に散った。

「ラー…ミア…レフィ…ル……。一体…な……にが…??」

 力尽きて地に膝を屈したその時、闇の中から燃え上がる緑の炎が目の前に広がっていく。そうして危うい領域に引きずり込まれんとする中でも、青年は遠くで平穏にかえって幸福に過ごしているはずの少女の身を案じていた。




 平穏な時の中で、何もかもを忘れていた。
 勇者の道という死地を生きるために力を欲し続けてきたことも、そこに自分を追いやった者達に対する微かな怒りも。
 そして、最後に待ち受けていた魔の王によりもたらされる死に対して憎悪を以って抗い続け、ここに訪れた闇の神の御手により全てを圧する力を得たことも、その大き過ぎる代償さえも。
 覚えていたのは、皆と力を合わせて使命を終わらせたその時の喜び。だからこそ、この先に続くのは光と信じて疑わなかった。

―どう…して……こんなことに……

 しかし、その期待はあっけなく裏切られた。あのときの襲来した黒い雷に、幸せの全てを切り裂かれた。
 皮肉にも、あのときに憎んでいた全てを自分に押し付けた者達の命を奪い去り、残った者達には絶対的な絶望をもたらした。そう、確かにあのとき願った望み通りにはなった。だが……後に残るのが虚しさだけと今は知っていた。

―醜い……。

 溢れる激情に任せて世の理をも打ち壊さんとした、それが現実のものとなってしまった今になって、レフィルはまどろみの中で静かに自らの愚かな想いを罵り続けていた。



「ん……んん……。」

 ふと、体を包む不思議な温もりを感じて、レフィルは目を覚ましていた。
「………。」
 天蓋つきの暖かなベッドと上に被さる白い布団、そして頭を休ます柔らかな枕をその身で感じた後、身を起こして辺りを見回す。床に敷き詰められた赤い絨毯もその上にさり気なく置かれた椅子も、細部に意匠が凝らされており、アリアハンとはまた違った高貴さを漂わせている。

「……え?」

 直後、何か違和感のようなものを覚えて、レフィルは無意識のうちに疑念の声を口に出していた。
「…どうし…て……??」
 思わず自らの手のひらを眺めながら、体中の感覚を確かめる。平穏になってからの寝覚めそのままのそれを、それだからこそ、尚更疑問が膨らんでいく。
「どうして…わたしは……」
 黒い雷に貫かれ、消え逝く意識の中で最後に見たのは、ラーミアが必死になって自分を助けようとしてついに力尽きて落ちていく様であった。そのときに自分の命もまた尽きようとしてはず。だが、今は傷の一つどころか、血の匂いの一つさえしない。絶望の時から遡ったかの様な、いつものままの感覚にレフィルは何も答えを得られずにいた。

「お目覚めになりましたか?」
「!」

 そのとき、部屋の片隅の方から声が聞こえてきた。そちらを見やると、王室でもよく見かける仕事着に身を包んだ使用人の女性がこちらに近づいてくるのが見えた。
「私はあなた様のお世話を仰せつかってる者、どうかお気を楽になさって下さいませ。」
 優雅に一礼するその姿は、質素な身なりながらも気品を感じさせる。どうやら彼女達が自分を介抱したらしい。
「ここは…どこなの……?それにわたし、雷に撃たれて……」
 目覚めるやいなや、見知らぬ場で眠りについていた事、何より命を落としたはずの自分がなぜこうして生きているのか。それらを初めとするさまざまな疑問を、レフィルは言葉にし切れなかった。

「はい。酷いお怪我をなさっていたところを、ムー様がお連れになられたのです。私達はそのお言葉に従い、あなた様のご療養にあたらせていただきました。」
「…え?ムーって……」

 困惑している中で、その答えとなる聞き覚えのある名前を耳にした途端、レフィルは目を丸くした。
「はい。今はこの城の大切なお客人としてお招きしています。友人であるあなた様をとても気にかけておいででしたよ。」
「本当に…あの子が……。」
 様付けで呼ばれているからか、いま一つ実感が湧かないが他に友人と呼ぶべき者はいない。空を彷徨う自分達を救ってくれたのは、他ならぬムーである事は間違いない様だ。
「今…どこに?」
「残念ですが、今はおでかけになられています。とても大切なご用事だとお聞きしました。ですが、後できっとお会いできるでしょう。そのときにごゆっくりお話になれると存じます。」
「そう……。」
 話したい事は沢山ある。助けてくれたお礼は元より、新たに現れた脅威―大魔王ゾーマの事、そして…今は既に失ってしまった平穏な日々の事も伝えたい。しかし、今は静かに帰りを待つより他はなかった。
「お体は大分治った様ですね。ですが、あまり無理はなさらぬ様にお願いします。蘇生の呪を施した時より三日三晩眠り続けたのですから。」
「蘇生の呪……?蘇生って……?」
「奇跡的に一命を取り留めましたが……酷いお怪我をなさっていて自力では治る見込みがなかったのです。だから、女王様とムー様が自ら貴女様に呪を施されました。」
「そう…。」
 死者すらも蘇らせる程の生命力を対象へ施す術―蘇生の呪。今自分が生きていられるのは、その高度な魔法があってこそのものであるのは間違いない。ムーは自分をここに連れてきたばかりではなく、死に逝く体に救いの手を差し伸べてこの世に留め置いてくれた。
「そこまで……」
 僅か半年とはいえ、それぞれの道へと戻って行ってから幾分月日が経っている。既に生死を共にした冒険の日々は遠く感じられるはずなのに、かつての仲間のために頑張ってくれた事に、レフィルは胸の中が熱くなるのを感じていた。
「さて、本日のお召し物を……」
 一通りの事情を話し終えた後、使用人の女性は仕事に再び意識を向けて、一度レフィルのそばから離れた。やがて、部屋の片隅にある白い洋服タンスの一つの引き出しから何かを取り出し、それを抱えるようにして戻ってきた。

「金色の、ドレス…?」

 使用人が手にしている服に、微かな温もりを感じさせる光が帯びている。金色を思わせる色合いと裏腹に、あしらわれている装飾は幾分落ち着いたものであった。全てを等しく照らし出す太陽が差し伸べる光の中でも、木漏れ日の様なささやかながらも優しい光。いつしかレフィルはその確かな温もりの中に身を委ねていた。
「……。」
 鏡の前には、身だしなりを丁寧に整えられて、金のドレスに身を包んだ自らの姿が映し出されている。優美と言わずとも、それでもドレス特有の華やかさを帯びている割には、その重みは感じられない。まさに、温もりを与える光そのものであるかの様であった。
「お似合いですよ。」
「あ…ありがとう……。」
 そばに立つ使用人が他意を感じさせない純粋な笑顔で告げる賛辞に、レフィルは少々顔を赤らめていた。王族の服を着るのはアリアハン以来の事で初めてではないが、それでも慣れる程に多くはない。初めてドレスを着たときに感じた、優美な王族の出で立ちへの憧れと実際に着てみたときの気恥しさの差異を思い出す様であった。
「では、ゆるりとおくつろぎ下さいませ。ただ、危険ですので城外にはお出かけにならない様にお願いします。必要とあれば案内の者をお付けする事もできますから、お気兼ねなく仰って下さい。」
 案内の者―と言っている事から、城の中を自由に見回っていいという事だろうか。先程までの待遇といい、単なる客人に対する礼節に留まらない事に、レフィルは改めて疑問を覚えていた。
「あと、ここにいらした時にお持ちになってた品々はあちらにまとめておきました。それでは、失礼いたします。」
 世話役としての役割を終えたのか、使用人は最後に部屋の一角を指し示しながらそう告げて、優雅に一礼しながら去って行った。
「これは……あの時の……」
 彼女が示した先にあったのは、客人用の衣類タンスであった。中には、アリアハンの祝典の際に身に付けていた旅装束と紫のマントが掛けられていた。城の者の手によって補修が行われたのか、黒い雷に貫かれた痕跡は、焦げ跡はもちろんの事、血の跡一つとして残っていない。そして……

「吹雪の剣……」

 近くの壁には、銀色の鞘に収められた剣が掛けられていた。それを手に取って鞘から引き抜くと、根本が三叉に分かれた蒼い刃が姿を現し、その刀身から肌を刺す様な凍てつく冷気が漂い始める。
「………。」
 数多くの魔物の命を奪い続ける事で主の身を守ってきた魔剣・吹雪の剣。それを再び振るわなければならない時は、もはやいつ来てもおかしくないに違いない。生を欲する渇望と命を奪う事を躊躇う気持ちの間にある複雑な想いの中で、レフィルは吹雪の剣を再度鞘に収めて、元の位置に戻していた。
「……?」
 ふと、近くの棚の中に、外からの日差しを受けて一瞬輝いたものが見えた。
「ここにあったんだ…」
 そこに見出したのは、ラーミアと共に目覚めた時にホレスが携えていた輝く石の欠片であった。あの時以来守り石としてずっと肌身離さず持っていた品をようやく見つけて安堵した後、それを身につけていた。今は既に輝きを失い、ただの硝子の破片にしか見えなくても、かつての友人達との日々を思い出させる大切なものであった。
「これで…いいかな。」
 そして、耳元につけたスライムピアスの馴染んだ感触を感じて満足した様にそう呟くと、レフィルは静かに部屋を後にした。