地上の終焉 第八話


〜魔王バラモスの城 魔殿〜


「…ふむ、今のはまさに…神の声とでも言うべきものですかな?」
「うーん…分からないケド、終わり方としては悪くなかったかしらね。」


 三人の勇者の剣によって倒され、サイアスがとどめを刺した魔王バラモスの亡骸。それを前に聞こえてきた天からの言葉。それと共に光が皆を包み、戦い傷ついた体を癒し、それぞれの帰るべき場所へと送り出さんとしているのを見て、ニージスとメリッサはそれぞれ不可解かつ関心をそそられた様子で目を見合わせていた。

「へぇ、これが神サマの贈り物ってワケか。」

 その光の中に故郷サマンオサを見い出しながら、サイアスは魔王討伐の完遂に対する”彼女”の”せめてものお礼”の偉大さを感じていた。
「…ふぇふぇふぇ、さぁ…皆がおぬしの帰りを待っておるぞ。」
「そうだなぁ、なんつっても俺は勇者様だもんなぁ…期待にゃ添えなかったけどよ、はは。」
 結局バラモスとの戦いの中に入る事はできなかったが、最後を締めた事による誉れは大きなものだろう。それをつまらぬ茶番として彼自身が納得せずとも、帰ればサマンオサの国民達が、新たな勇者としての自分を待っている。

「あばよっ、レフィルちゃん。お前さんの活躍を見れなかったのが残念だったぜ。」
 
 サイアスは彼の仲間達と共に、全てを白く染め上げる眩い光の内へと消えて、国へと帰っていった。
「レフィルちゃん、達者でなぁっ!!ほな…、さいならっ!!」
 最後に聞こえてきたのは、女戦士カリューの涙にむせびながらの叫びであった。ポルトガで出会ってからずっと共にあった彼女もまた、レフィルの仲間であり、良き姉貴分であった。そして、その情の厚さ故に、今となって別れが惜しくなったのだろう。レフィル達は彼女に頷きを返しつつ、黙って見送った。


「…どうやら俺らも、そろそろ行かなきゃならねぇみてぇだわな。ともかく、お前らが無事で何よりだぜ。じゃあ、元気でな。」
「あの子によろしくね。たまには私達のところに帰ってきてって…。」
「では、私も失礼させていただきましょ〜。君達が成長していく姿、実に楽しませて頂きましたとも。」

 そして、この旅の中でずっと自分達の世話になってきた者達とも別れの時が来た。真紅の鎧の戦士マリウス、ムーの姉たる智謀の魔女メリッサ、そしてダーマに選ばれし行雲流水の賢者ニージス。彼らの庇護と導きが無ければ、レフィル達三人に道を開く事はできなかっただろう。光の中に消え行く三人の恩人達の帰りを見届けながら、レフィル達はその感謝の気持ちを思い出していた。

「今回の勝利はあなた方がもたらしたものと言って相違ないでしょう。本当にありがとうございます。」
「ハンさん……。」

 魔王バラモスの手の者によって混乱の渦中へと落とされた町―ハンバーク。その町の名にもなった様に、自身が人生を賭けてまで創り上げてきた大切な地、そしてそこに集う人々を守るべくして立ち上がった男、行商人ハン。

「魔王が倒れた今、ハンバークの脅威は消え、また再興の道に乗り出せる事でしょう。あなた方には二度も助けられてしまいましたね、ははは。」
「そ…そんな……」

 共に東の地へ向かい、黒胡椒貿易を成功させるきっかけを作った感謝からか、彼はレフィル達にとっていつも大きな助けとなっていた。巨額で取引されるはずの船舶を捧げ、ネクロゴンドに向かう有志を集った事で、奇しくも勇者と呼ばれる若者達が集ってこの戦いを勝利へと導いた。それは、レフィルが命をかけただけでは決して掴み取れるものではない。

「それでは…いつか、また…」

 そして彼もまた、レフィル達へと別れの言葉を告げて、帰るべき場所へと去っていった。


「…帰っていくな…。」
「うん…。」


 皆で力を合わせて魔王を倒した英雄となった者達は、それぞれが望郷の喜びと共にこの場から光の内へと立ち去っていく。そんな彼らを、レフィル達は静かに見送っていた。


「…これが、最後か…。」


 やがて、この場には、何者の声も聞こえなくなっていた。既に全員が光の導きの内で故郷へと帰されたらしい。

「皆、行っちゃったね…。」
「……ああ、だが…何故だ…?」

 眩く照らし出す光が収まり始めると共に現れる光景は、魔王の骸が静かに佇んでいる魔城の神殿だった。皆が傷を癒されて帰るべき地に戻されている中で、自分達だけが何の変化もなくこの場に残されている。

「…今は、何も聞こえないか…。」

 そして、先程まで天より響いていた”彼女”の声も今はもう聞こえない。一体何故、自分達だけがその恩恵を受けられないのか。


「………む…?」


 それに疑念を感じようとしたそのとき、金色の竜が倒れている場所から、小さく少女の呻き声が聞こえてくる。

「ムー…」

 そこには、良く知った赤い髪の魔法使いの少女の姿があった。彼女もまた、全身に傷を負ったそのままで、この場に取り残されている。

「…ホレス、レフィル……」
「…ムー…!」

 だが、ついに再び友に会う事ができた。魔王との戦いで傷つき、力を使い果たしたその体で、ムーはレフィルへと抱きつき、その体を胸の内に埋めていた。レフィルもまたムーをしっかりとその腕で抱きしめていた。

「生き…てる……」

 レフィルがバラモスを倒すべくして得た闇の力に自ら飲み込まれ、一度死に等しい傷を負って力尽きた姿を、ムーははっきりと見ていた。しかし、今はこうしてその胸の内から鼓動を感じられる。

「やっと…会えたな……。」

 抱き合う二人の少女の肩に手を乗せながら、ホレスはそう呟いていた。



「全部…終わったのね……。」
「ああ…。」

 戦いによって崩壊した魔殿の瓦礫の上に腰掛けて向き合いながら、三人は傷ついた体を休めていた。
「お前は、こんな運命から逃れる事なく乗り越えられたんだ。苦しかっただろうが、少なくともお前は救われた…。だから、これで良かったんだ。」
「ホレス……。」
 ムーの内に眠るメドラの力を狙い、レフィルの死の運命の果てに君臨していた魔王バラモスはもういない。そして、約束していた再会も果たす事ができた。

「そうね…。でも、あのときには…もう戻れないかもしれない…。」

 父が死す前にあった多くの幸せ、それが自分の元に戻ってくる事はないとレフィルは心のどこかで感じていた。魔王の下に至るまでに、自分はどれだけの魔物をこの手にかけてきた事だろう。幼き日の寂しさを紛らわしてくれた多くの友たる動物達は、この血塗られた手を見て尚も友であってくれるだろうか。そして、魔王を倒す一つの光となった自分を、アリアハンの国民達はどの様な目で見るだろうか。

「大丈夫。」

 そうした不安の内に物思いにふける彼女へと、ムーははっきりとそう告げていた。

「あなたはあなた自身が思っている程弱くはない。どんなに周りが変わってもあなたは望みをつかめる、きっと。」
「そうだと…いいな…。」

 確かに、魔王を倒さんとするこの旅路の中で、レフィルを取り巻くものは大きく変わってしまった。だが、それと共に彼女自身も成長している。ムーの言葉通りでありたいと望みながら、レフィルは少々照れ臭くなって小さく苦笑した。

キュウウウウウウウウウ……

 ふと、いつしか彼女のそばに、七色の光に包まれた大きな鳥が寄り添っていた。

「大きなトリ肉…!!」
「…って、ちょっ……ムーっ!?」

 その姿を見たムーは、大きく目を見開いて、レフィルに体を摺り寄せている巨鳥を凝視した。その瞳に込められた意図が、発する言葉と違わないものであると感じ取り、レフィルは焦って彼女を引き止めようとした。

「相変わらず…だな。」

 思えばムーもまた、様々な変化の内で生きてきた。何より、咎人と呼ばれた前身の力をバラモスに付け狙われた果てに、育ての親であるカンダタを失ってしまった。その様な中でも、彼女はいつも通りに無表情ながらも、よく喜び、よく悲しみ、ときにはよく怒りながら、天真爛漫に生きている。

「この子が、私達の旅の果てで待っていた?」
「うん…。」

 全ての光が揃ったときに、ムーによってレイアムランドに送られたホレスが…レフィルが目にしたもの―不死鳥ラーミア。闇に墜ちようとしたレフィルが見た光の先にあったその卵は彼女に慈愛の心を思い出させ、生まれてすぐにレフィルへと今一度の生を与えた。それが或いは、本当に望んでいた事なのかもしれない。



 ……フィル……。




「…!」

 不意に、どこからともなく、再び声の様なものが三人の耳へと届いた。
「…誰だ…!?」
 誰かに呼びかける様なその声は、先に聞いたものとはまた別の者のそれであると、ホレスはすぐに感じ取れた。

「あなたは…あのときの……」
「…?知って、いるのか…?」

 一方で、レフィルにもその声に聞き覚えがあった。思えばアリアハンに一度帰り着いたときも、夢の中で微かにその声を聞いた気がする。
「ずっと…わたしの事を見守っていてくれた……」
 そして、力を欲して闇に融けようとしていたレフィルの意識へと語りかけてきたのもまた”彼女”であった。



 レフィル、私の声…届いたみたいですね。ようやく、あなたは…



 そして、今度ははっきりとその声が聞こえてくる。
「あんたは…一体。」
 三人の丁度中心から発せられるその声の主に、ホレスはそう尋ねていた。



 私はレフィルの道を見守りし者。そして、共に行くあなた達の事もずっと見ていました。



 それに対し、”彼女”は静かにそう返していた。
「ここにも、か。つくづくお前は読めない連中と縁があるらしい。」
「ホレス…?」
 自分達の旅を、そしてレフィルの生をずっと見届けるのはその使命であろうか。そして、その中で何を思っているのだろうか。ホレスはレフィルを救うべくして手渡された光を思わずその手に取っていた。



 神の僕たるあの方もこの子と同じ様に長きに渡り悩み、今もなおその宿命に苦しみ続けています。だからこそ、あなたにその光を託したのでしょう。



 レフィルと良く似た姿を持つ名も知らない女王。彼女もまた、倒れたレフィルの力となるべくして光の欠片をホレスに手渡した。何故、勇者の子というだけに過ぎない一人の少女に、誰も彼もがそこまでの事ができるのか。その様な事を心中で考えながら、ホレスは黙って”彼女”の言葉に耳を傾けていた。
 


 闇は見えざる恐怖を与えて光差さぬ絶望を増す。だから誰しも近づく事もない。ですがレフィル、あなたはそれに手を差し入れて、その力を得ようとした。その結果、あなたは更に深い闇を求めて誰よりも辛い道のりへと足を踏み入れる事になってしまった。



「………。」
 幾度となくこの身を襲った死への恐怖。理不尽な宿命を押し付けたアリアハンの者達や、惨めな自分に対しての怒り。そして、友を傷つけられ、自らも殺そうとした魔王への憎しみ。それらが力への渇望と繋がり、レフィルは膨れ上がる心の闇に任せるままに与えられた剣を振るい、全てを滅ぼさんとした。その中で小さくも大切なものを失った気がする。



 闇を生まない光はない。光を求め続ければ、あなた自身に宿る闇を深める事になるのかもしれない…。でも、忘れないで。どんなに辛い事があっても、あなた自身が希望を捨てなければ、きっと生きていけるから…。



 光が差せば影は必ず生じる。逆に、闇の内では光は現れない。それでも、差し込んだ光を絶やさない限り、暗闇の中に迷う事もない。レフィル自身が光を消さない限り、闇へと墜ちてしまう事もないだろう。



 今は、ゆっくり休んでください。長い戦いの果てに傷つき壊れてしまったあなたには、休息が必要です。



 魔王バラモスとの戦いで、レフィルは幾度となく死に至る程の傷を負い、求めた闇の力に心をも蝕まれてしまった。心身ともに限界に達している以上、もはやこれ以上戦えないのは自明である。



 彼女に代わり、私があなた達を望む場へと送りましょう。さぁ、心に帰るべきところを思い浮かべて…。そして、あなた達に…今一度の安息があらん事を…。



 レフィル達に対して”彼女”が最後にそう告げると、三人の足元から蒼い光が現れ始める。

「旅の…扉……。」

 そこに渦巻く光の渦が現れて、やがては泉の形をなした。それは、入った者をこの地上の何処かへと送る魔法の道―旅の扉に相違なかった。


「もう…お別れ……なのね…。」


 それを見て、レフィルはすぐにそう悟った。魔王バラモスの討伐の完遂、それはそれぞれにとって一つの終焉であった。レフィルはアリアハンから与えられた使命を全うし、ムーはその力を求めるバラモスとの戦いに決着をつけた。
「残念だが、オレ達それぞれにやらねばならない事がある。そうだろう?」
「ええ…。」
 まずは、帰りを待つ者の下へと向かわなければならない。風来坊のホレスはともかく、レフィルには家族とアリアハンの民が、ムーにはカンダタ盗賊団の面々がいる。そして、その後も各々が向き合わなければならない事がある。

「………。」

 ふと、ムーが黙って見つめてくるのに気が付いて、レフィルは彼女へと向き直った。

「やだ…泣いて…いるの…?」
「レフィル…だって……。」

 表情こそなくとも、その目から涙が零れ落ちるのを見ている内に感じる寂しさのあまり、レフィルもまた涙を流していた。

「長く会えなくなるかもしれないが、二度と会えなくなるわけじゃないさ。きっとまたどこかで…。」
「ホレス…!」

 思えば世界を巡る旅路にしては短い付き合いだったが、その中で築かれた絆は確たるものに違いない。三人の互いを思う気持ちが薄れない限り、ここでの別れで終わりにはならないだろう。

「ずっと……ありが…とう…」

 しかし、それでも長い間の別れになるかもしれない。仲間として、友人として、二人に伝えたい事など山とあるが、もう時間がない。レフィルはその伝えきれない思いを一言に乗せて、そう告げていた。

「ああ、オレも…お前達に出会えてよか…っ!?」

 ムーも、そしてホレスも、レフィルと同じ様な心境だった。ホレスもまた、レフィルへと何かを伝えようとしたそのとき、不意に横から強烈な力で引っ張られた。

「…ムー…っ!?何を…」
「………。」

 気づくと彼は、ムーの目の前へと引き寄せられていた。そして、そのまま抱き寄せられていく…。

「ちょ…ちょっと…!?ムー…!?」

 かなり強引にホレスに抱擁しているムーを見て、レフィルは思わずムーの肩を掴んだ。
―え?え?え?…な…何を…!?
 単なる触れ合いとも割り切れないそれから感じられる危うさの様なものに、何か焦りが生じてくる。その気持ちの正体が分からずに、彼女はただただ赤面していた。

「………っ!!?」

 ホレスもまた、いつになく間近に感じられるムーを前に、言葉が全く出てこなかった。

「今は、一緒にいられない。…でも、いつかは…。」
「…!」
「お前…。」

 だが、直後にムーが呟いた言葉に二人ともが我に返った。同時に彼女はホレスから離れていた。その顔には、僅かに赤みが差しながらも、どこか寂しそうな印象が見える。

「…そう…だよね。いつかは…。」

 確かにここで全てを告げてしまえば楽になれるかもしれない。だが、別れようとしている今に伝え切れる程、この思いは安いものではない。

「…今度もまた会える。絶対に。」
「…ああ、また会おう。二人とも。」

 そう、必ずまた再会する事ができる。だからこそ、また会えるその時にまでそれを心の内にしまっておくべきである。そう思わされた。


「さようなら……ホレス、ムー。」


 互いの最後の温もりを伝え合うために、三人はその手のひらを取り合って旅の扉の流れに身を委ねた。それが静かに離されたそのとき、レフィルは、ホレスは、ムーは、それぞれ別の方向へと流されてゆき、やがて仲間達の姿は、辺りに星々の如く普く光の中に溶け込んで消えていくのが見えた。
 

 人類に仇なす巨悪の死を以って、レフィルの、ムーの宿命は完結を迎える。
 だが、背負いし運命の終焉と共に訪れたのは、親友達との別れであった。
 そして、再び巡り会わんと新たなる縁を望む。例えそれが、再び運命の奔流を呼び醒まさんとするものであっても…。

(第二十四章 地上の終焉 完)