地上の終焉 第七話


〜魔王バラモスの城 魔殿〜


 レフィルが唱えたベホマズンの力によって再び立ち上がった三人の勇者達の剣が、バラモスの体へと食い込む。それは確実にその身を斬り裂き、魔王は断末魔の悲鳴を上げながらその口より血を吐き出す。だが、その途上で戦いの負荷に耐え切れなくなった三つの刀身が半ばから折れた。それらと同じ様に、完全に力を使い果たした勇者達もその場に膝を屈して動けなくなる。
 

「やった…のか?」


 折れた大剣を取り落としながらセレスは、三本の刃と一本の槍をその体に突き立てられたまま動かないバラモスを見た。


『ぐ…ぉおおおおお…!』



「何て…こった…。」
 しかし、不意に彼は、その傷より血を流し、呻きを上げながら動き出した魔王の姿を目にして、愕然とした様子でそう弱弱しく零していた。
「くそ…っ!!まだ…生きて…!!」
 最後の一絞りとばかりに死力を尽くして戦ったにも関わらず、未だに魔王は生きている。その事実に、アギスはその姿と折れた剣とを交互に見やりつつ苛立たしげに舌打ちした。

「いや…、これは…もう……」

 だが、そのとき後ろから歩み寄ってきた蒼い髪の青年―賢者ニージスは、もはや動けぬ体で身構えようとする三人の若者達に言葉を投げかけ…

「もう、終わり…ですとも、はっは……」

 そして、酷く気が抜けた様にそう告げていた。

『ぐ…ぅう……』

ズゥゥウウウウウウウウウウウウウン……

 彼の言葉から程なくして、目の前で尚も生きている魔王が苦悶の声を漏らしながら、地面へと片膝を付いていた。

「マジ……か…?」
「…いやはや、まさしく死中に生を…見い出せましたな…。」

 こちらも力を使い果たして何もできないが、もはや魔王からも…何の力も感じられず、死に逝こうとしているのが見て取れる。

「…俺達が…勝った、のか…!」

 その事実より、セレスの口から歓喜の声が弱弱しく出る。皆が力尽きてその場に倒れている中でそれが大きく響き渡る事はなかったが、その歓びは辺りへと広がり、やがて勝利を歓ぶ声が小さく弱弱しくも随所で巻き起こり始めた。


『…もはや、これまで…か…』


 全力で抗い続けた末に勝利を掴み取った人間達を前に、バラモスは実に口惜しい様子でそう呟いていた。
 
『よもや…人の子の希望たる者達がここに寄り集った事が、斯様な結果を生む事になろうとはな…』

 自らが人間達へと与えた混乱がそれに抗う意思を生み出し、勇者と呼ばれた若者達をこの場に呼び寄せた。

『強きを虐げんとする今の現世…変えられなんだか……』

 そして、互いに死力を尽くして一戦を交えた結果、弱者と蔑んできた彼らによってこれまで犯してきた罪と共に死を与えられ、成さんとしていた本願も打ち砕かれてしまった。


「もう、いいよ…」


 不意に、そうして無念極まりない様子でその場に膝を屈するバラモスに、レフィルは何の構えも取らずにただ歩み寄っていた。その顔には、今の彼と同じ様な底知れぬ悲しみが張り付いていた。
「レフィル…!」
 まだ、バラモスは完全には倒れておらず、今近づこうとするのは危険極まりない。そんな彼女に、ホレスは思わず咎める様にその名を呼んだ。だが、レフィルは首を横に振ってバラモスのそばへと立ち、目を合わせていた。

『そなたに…何が分かると言うのだ…。』

 自らに共感しようとしている素振りを見せる彼女を見下ろして、バラモスは掠れた声でそう言いながら睨みつける。その紫の瞳に大きな憐憫の情がこもっている事は感じられるが、今の彼には意味をなさない…不快ですらあるものだった。


「…あなただって、ずっと苦しんできたのね…。魔王…どうしてそんな名前を背負ってまで、あなたは…」
『!』


 だが、レフィルは怯まずに言葉を続けていたなぜ魔王となるに至ったのか。それを疑問に思う彼女に、バラモスは不思議なものを見るかの様にその口を小さく開けていた。
 
「そう…か。あなたは…魔王に上り詰めたんじゃなくて、させられた…。ならなければならなかった…のかな…。わたしだって…オルテガ父さんが生きていたら、勇者になんかならずに済んでいたのかもしれない。…本当はすごく嫌だった、でも…生きる道はそこしかなかったから…。」

 魔王バラモスを倒しうる人類の希望―勇者オルテガ。だが、彼はネクロゴンドの死の火山の内に消えてしまった。その希望の替え玉として、娘というだけで何の力も持たないレフィルが選ばれた。
『……。』
 バラモスとて、遥か昔より力があるが故に心弱き者達に怖れられ、幾度となく死を望まれてきた。そして、神とやらに見放されたのか、現世から排斥されていつしか魔王として生きるより他に進むべき道はなかった。

「それを全部あなたのせいにして、わたしはあなたを倒す力を求めた。でも…なんか虚しい。あなたを倒しただけじゃ何の解決にもならないって、どうして分からなかったんだろうな…。」

 父オルテガが死に、レフィルが望まぬ道を歩まされたのは、決してバラモスの暴虐のせいだけではない。仮に理を逸する力で魔王を討ち取る事ができたとて、そして…自分へと勇者の道を強いた者達を皆殺しにしたところで、自らを滅ぼす事となんら変わりはない。結局は流されるままに自分を見失う事になるのだから。

『業の連鎖は止む事はなし…か。報われぬ話よ。』

 心無い弱者達によって虐げられた果てに、バラモスは二度と世界を滅ぼそうと企て、それを止めるべく勇者達が立ち上がり、彼らが死ねばまた新たな勇者が選ばれる。思えばこの下らない怨嗟はいつから始まったのだろうか。

「ああ、あなたが世界を…弱者達を滅ぼす事にこだわったのは、あなたと同じ様な人を作りたくないから…?」
『ハッハッハ、とんだ戯言を…。だが、悪くない…』

 レフィルの言う事そのままだと、でき過ぎた話であるのは明らかである。だが、それと同じ様な感情を理解できないわけではない。

「だからこそ、本当に悲しい…。せめて、安らかに…」
『そなたとは、別の形で会いまみえたかったものよな……』

 目を伏せて、その額に手をあてながら儚く告げる少女に、バラモスもまた穏やかに返していた。勇者という肩書きの内にありながらも、失われずに残った彼女の本質である慈悲の心、その暖かさを最期に感じられた事が、彼の心を満たした様な気がした。

『しかし、そなたとて…もはや後戻りできぬ道へとその足を踏み入れておる。』
「………。」

 だが、これで全てを終わらせるわけにはいかなかった。バラモスの言葉に、レフィルはうつむいたまま何も言わなかった。


『なれば最期は…死を以ってそなたを呪縛より解き放たん!!』


 理を逸する力を与えるあの盟約。その恐ろしさはバラモスが一番良く知っている。このまま放っておけば、世界が滅びる…その理由はこの場では彼しか知る由がない。

「「「!」」」

 まもなく死を迎えるというその体を一気に立ち上げてレフィルへと襲い掛かるバラモスを前に、既に力を使い果たした人間達にはどうする事もできなかった。

『これがワシがそなたにしてやれる…せめてもの餞よ!!』
「バラモス!!やめろぉおおおっ!!」

 もはやバラモスの拳はレフィルを捉えようとしている。ホレスは最後の力を振り絞って彼女を庇わんと走りながら、叫びを上げていた。



「あーあーあー、黙って聞いてりゃ何デタラメ抜かしてやがんだ?魔王サマよぉ?」



 そのとき、不意にその様な聞き覚えのある声が聞こえると共に、バラモスとレフィルの間に金色の影が割り込んだ。

ドガガガガガァアアンッ!!

『…ぬ…っ!!』

 黄金の刃が一閃すると共に、正面で幾度もの金色の光が爆ぜ、バラモスの巨躯を吹き飛ばしていた。

「引導渡されるのはてめぇ一人で十分だろうが。」

 そして、その爆発が巻き起こす土煙が晴れた先に、彼が現れた。


「 混沌の禍根に在りし昏き深淵に届くは、幾多の福音を彩りし光の半身 」
『!!』

 神韻の如き呪の文を紡ぎ始めたのは、雷光の如き煌きを宿す黄金の大刀を背負い同色の額冠を身に付けた、黒髪の青年だった。

「 其は闇を払いし巨神の如き光明の腕、大魔の根絶を、永久の亡びを求めし破滅の光華 」

 淡々と綴られているだけに過ぎないはずの一言一言が、神の音の如く辺りに幾度もこだまして響き渡る…。

「 此処に創られし色なき希望の守手とならん事を、我は誓う 」

 彼が神聖なる誓約の言葉を告げ終えたと共に、不意に暖かな流れと冷たい風が同時に吹き荒れ、互いにぶつかり合うと同時に金色の光を宿した黒雲が辺りを一気に覆い尽くした。



「ギガ…デイィイイイイイイイイイインッ!!!!」



 そして最後に、彼は天にかざした右手をバラモスへと下すと共に、高らかにそう唱えた。


ズガァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!


 全てを呑み込むが如く広がる黒雲が発する金色の光、それら全てが雷鳴よりも疾く魔王を射抜き、一瞬にしてその体を灰燼と帰した。


『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』


 地獄の如き重苦に押し潰された断末魔だけを残して、バラモスは今度こそこの世から完全に消滅した。

「やーれやれだぜ…、とどめと言っても、これじゃあオイシイとこだけ持ってっただけみてぇでカッコ悪ぃじゃねえか、オイ。」

 白き屍と化したバラモスを呆然と眺めているレフィルのそばに歩み寄りながら、金色の剣を背負った青年は先程とは打って変わって砕けた調子でそうぼやいていた。
「サイアス…!?」
『よーぉ、久しぶりだなぁ。お前らも無事で何よりだぜ。』
 その姿を目にして駆け寄ってくる仲間である女戦士を見て、彼―サマンオサの勇者サイアスはそれに応える様に手を挙げていた。

「お前…ゆうりぇい…とかちゃうよな…?」
「あったりめーだ。俺ぁ”勇者”サイアス様だぜぇ?そうカンタンにくたばるわきゃねぇだろうが。」

 サマンオサの勇者サイアス、彼はネクロゴンドの山道洞窟の中で魔物の陥穽に墜ちて、一人はぐれてしまったはずであった。だが、その窮地を一人無事で脱してきてここにいる。その事実が信じられなくて取り乱しているカリューへと、サイアスは不適に笑ってみせた。


「…にしても、大したモンだぜ。本当にバラモス倒しちまいやがるの。」

 今はもう動かない魔王の亡骸を見やりながら、サイアスは面白そうにそう呟いていた。如何に多くの者が集おうと、魔王と呼ばれた力の前に膝を屈する事になるのは彼にも予想が付いていたが、皆が極限状態になってまで勝利を掴み取った事実には非常に興味をそそられる事だろう。
 
「………。」
「悪ぃな、色々と水差しちまって。けどよ、流石にお前さんがあいつと心中する筋合いはねぇ。気にしちゃあダメだぜ?」

 そうして笑みを浮かべているところに、レフィルに無言で見つめられて、サイアスは肩を竦めながらばつが悪そうに弁明していた。 

「サイアスさん…。」

 レフィルはサイアスのその様な表情を、以前にもどこかで見た様な気がした。彼とてレフィルへの悪意でバラモスを倒したわけではない。
―わたしは……
 確かに初見から、彼にはいい印象は持てなかった。だが、ここで何か昏い心を表に出した自分に、レフィルは途方もない虚しさを感じた。

「…まぁ、生きてりゃどうとでもなる。死んじまったらそれだけの話になっちまうからな。」

 サイアスは純粋に、レフィルを守るためにギガデインの呪文を放ったに過ぎない。ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、彼の言葉がそれを物語っていた。

「…で、今のは無かった事にしてくれや。ホントにとどめだけ刺したダメ勇者で後世まで名を残されちゃあ、俺としても嫌なんでね。」


 ふと、サイアスはそばで倒れている、魔王を倒した三人の勇者達へと目を向けてそう告げた。

「まぁ、このまたとない機会を逃すのも残念だが、これはお前らの手柄だボウズども。堂々と胸を張って帰りな。」

 倒しきれこそしなかったが、皆と力を合わせて戦い続けた果てに勝利を掴み取ったのは、あくまでアギス、フュラス、セレスの三名の功である。それを掠め取ろう真似をするのは、栄光ある勇者を目指すサイアスの趣味ではない。

「俺には…帰るべき場所なんか……」
「それならそれで好きな様にしな。俺としちゃあ、折角こんな事を成し得たからには立派に生きてもらいてぇ所だけどよ。」
「……。」

 故郷を失ったアギスには、栄誉を称えてくれる者達も帰りを待つ者達もいない。彼の生き方を変える事は容易くなく、そうする事を強要する事もできないが、この旅の終わりにまで生き延びる事ができた。その強さでこそ、己の人生に新たなる道を見い出してほしい。そうしたお節介が、サイアスの口から思わず出ていた。

バサッ…バサッ……


キュウウウウウウウウウウウウ……


「ラーミア……」
 ふと、レフィルは上空から羽音と共に七色の鳳がサイアスのそばに降り立ったのを見た。

「そうそう、そいつが俺をここまで連れてきてくれたんだよ。まっさか”伝説の不死鳥”にお目にかかれるたぁよ。」
「…え?」

 レフィル達を助けるために冒険者達を連れてきた様に、サイアスを導いたのもまた、レフィル達の旅の果てにレイアムランドにて蘇った不死鳥ラーミアだった。サイアスがその云われを知り、最後の最後で現れたのも、勇者であり続けた彼に訪れた奇特な運命の導きだろうか。

「さて…と。俺ぁそろそろ行くぜ。一応あのボンクラ王に報告入れなぁあかんからな。」

 ラーミアの首を軽く叩きつつ、サイアスは踵を返してその場から去ろうとした。その顔には本懐を果たせずに残念な思いがありながらも、至極すっきりした表情が浮かんでいた。



 アギス…フュラス…セレス、そしてサイアス…。私の声が聞こえますね?


「……!!」

 そのとき、突如として暖かな光が辺りを包み込むと共に、天から慈愛に溢れる優しさに満ちた女神の如き声が聞こえてきた。
「何…だ?」
「…これは……?」
 自分達を照らし始めた不思議な光に、彼らは皆、思わず天を仰いでいた。


 あなた達は本当によく頑張りました。



「……!!」
 ”女神”の労わりの声と共に、皆の体に変化が起こり始めた。

「…傷が…」
「体に力が……」
「戻って…くる……」

 レフィルがベホマズンの呪文により最後の力を引き出した事で、起き上がれなくなる程に弱った体に生気が戻り始めるのを感じられる。



 これがわたしがあなた達にできる、せめてものお礼です。



 皆が不思議に癒えていく体を眺める姿に微笑む様に、”女神”の声が聞こえてくる。



 さあ、お帰りなさい。あなた達を待っている人々のところへ…。



 そして、”彼女”が優しくそう告げると共に、皆を光が包み始めた。
「…これは……サマンオサ…!!」
「…私達の町…。」
 彼らの瞳に、それぞれの帰るべき場所が映り始める。

「俺の…村……か…?」

 アギスにもまた、廃墟と化した故郷の光景が見えていた。
―…そうだ、そうだったな……。
 全てを失ったが、彼は己が使命を全うする事ができた。それを支えたのは亡くなった村の者達と旅の仲間達である。彼らの元に帰りせめてもの礼を告げるのも、アギスがやるべき事である。


「みん…な…?」
 それぞれの故郷を光の内に見る彼らに、レフィルは何も分からない様子で首を傾げていた。

「どうなっている……??」

 ホレスもまた、自らと彼らの体を見比べて、疑問の声を零していた。二人の体には祝福の如き光はなく、その瞳には何も映っていなかった。