地上の終焉 第三話


〜魔王バラモスの城 魔殿〜

 魔王の力によって随所が無惨に崩れながらも、その面影からでも荘厳な造りを垣間見せる、魔城の中で―全世界の内でも最も尊い場所…

「……!!」

 そこに響き渡る、神の怒号と等しき重圧を放つ魔王の雄叫びをまともに受けて、レフィルは全く動けずにいた。
「く……!」
 傷つき、力を失った今となっては、魔王の殺意に対して感じられる恐怖は前と比較にならぬ程大きなものと化していた。大気に押し潰されるこの感覚の中で、彼女は思わず手にした吹雪の剣を取り落としそうになっていた。

―でも…ムーのためなら…!!

 しかし、ムーへの想いがその見えざる重圧を跳ね除けて、レフィルを立ち上がらせた。

「ライ…デインッ!!」

 そして、吹雪の剣へと己が力を伝えて、それを一気にバラモスへと振り切った。

バチッ!!

「…ぁ…っ!!」
―痛……っ!!
 そのとき、突如として一筋の雷が刺し貫く様な激痛が全身を一瞬にして走った。

バシュウウウウウウウッ!!
ドゴオオオオオオオオオッ!!

『…ぬ……っ…!!』
 吹雪の剣の内より喚起された黒い雲と共鳴した紫雷は、轟く雷鳴と閃く光を撒き散らしながら一心にバラモスへと牙を剥く。

バチッ…!!バチッ…!!

『ぐ…ぉおお…っ!』
 受け止める事も打ち砕く事も敵わない雷の一撃は、過ぎ去らんとすると共に黒く彩られて、その残滓が幾度も爆ぜて魔王の身を何度も穿っていた。

「そこ…だっ!!」

 レフィルの電撃が確実にバラモスを捉えたのを見て、マリウスはすぐさま破壊の剣を振りかぶり、バラモスへと距離を縮めた。

『かぁあああああっ!!』
「……なに…っ!?」

 だが、そのとき、ライデインの余波を尚も受けているはずのバラモスが、不意に守りを解いて彼を迎え撃ってくる。

ギィンッ!!

「うぉ…っ!!」
 一刀両断の内に仕留めるべく振り下ろされた破壊の剣を、魔王の爪が横薙ぎに打ち払い、マリウスは後ろへと大きく吹き飛ばされた。
―や…べぇ…っ!!
 刀身を見ると、魔王の爪に触れた部分が綺麗に引き裂かれている。それは、かつて彼が手にしていた王者の剣をも凌駕する程の力を示していた。

『まずは…一人!!』
「う…ぉおおおおおおっ!?」

 それをまともに受けては、如何に人の器を越えた堅牢な守りを誇るこの鎧ですら役に立たないだろう。体勢を崩したままその一撃をなすすべもなく受けるしかないこの状況で、マリウスには何もできなかった。

ガッ!!

「!」
 だが、彼の前に黒い人影が刹那で割って入ってきた。それは、魔王が繰り出す爪の一撃を迎え撃つ様に、拳を前に繰り出した状態で止まっている。
―た…助かったぜ…ホレス!
 被った黒い仮面から、禍々しい力を感じられる。そのよく知った呪の力は、人の子に過ぎないホレスへと、バラモスと一太刀交えさせるだけの守りを与えていた。

『あくまで抗うつもりか…面白い…!!』

ドゴォッ!!

『…ぐ…っ!!』
『…どわっ!!』
「きゃ…っ!!」

 一時はその守りによって動きを止めさせられていたが、すぐに目にも留まらぬ蹴撃をホレスへと浴びせ、マリウス共々レフィルの下へと弾き飛ばした。

『だが、所詮はこの程度だ!!』

 そして、そう言い放つと共に、その口の内に炎の紅蓮が灯った。

シュゴォオオオオオオオオオオオッ!!!

 吐き出されたそれは、灼熱の炎と化して、三人へと一瞬で迫り、容赦なく呑み込み始める…

『ぐ…っ!!』
「うお…っ!!」

 その焦熱の内で抗う術もなく、ホレスとマリウスは苦悶の声を零しながら、地面に膝を屈した。
「…っ!ホレス!!マリウスさん!!」
 構えられた吹雪の剣の冷気と、身につけたドラゴンメイルにその命を守られたレフィルは、地獄の炎に灼かれる罪人の如き責め苦を受けている二人を目の前に悲鳴を上げていた。

『さらばだ…!』
「…っ!!」

 しかし、彼らを助けようとした次の瞬間、目の前に突然、黄土色の鱗を持つ醜悪なる獣が現れる。その爪は確実にレフィルの首を獲らんと伸ばされてくる。
―だ…だめ…っ!!
 思わぬところで現れた魔王に対して、体は竦んでしまい、手にした剣も振るえない。レフィルは唐突に訪れようとする呆気ない結果に、深い恐怖を感じていた。


「…見つけたぞ……!!」

 だが、そのとき魔王の背後で、怨恨が込められた様な…低く震えた少年の声がそう聞こえてきた。
 
『ぬ…っ!?』

 直後、バラモスは背中を斬り裂かれる鋭い痛みを感じ、思わず後ろを振り返っていた。
「貴様のせいで…オレは何もかも失った…!!」
 そこには、血に濡れて紅く染め上げられた刃を握り締める、一人の少年の姿があった。纏う雰囲気は、彼もまた魔王へと至る運命に翻弄された者である事を示していた。
 
「滅びろ…バラモスっ!!」

 そして、その首を掻き切らんと、一足の内に間合いを積めて、剣を振るっていた。その一閃に圧倒されて、バラモスは思わず後方へと大きく退いていた。


「…あのガキは…!?」
「…一人で、戦う気か…!?」

 危機に瀕する今となって突然現れた少年が、数多の魔物を葬り去ってきた剣を手に、魔王に一人挑もうとするのを目にして、マリウスとホレスは驚きを隠せずにいた。
「………。」
 そのそばで、レフィルは黙って、魔王へと挑まんとする若者の姿を見守っていた。

―同じだ…。

 勇者であったがために、魔王の手の者に付けねらわれ続け、彼の代わりに数多くの者が死を遂げた事実。それを知る事は叶わずとも、レフィルには彼が心に抱く嘆きと憎しみを、感じ取れる様な気がした。
「わたしも、あの人も………」
 世界を脅かし始めた魔王バラモスを倒すべく、人々が祀り上げた”勇者”というものがもたらすもの。それは、父の死であり、仲間をも傷つける結果であった。彼もまた、全てを失ったと言っている。
「わたしは…」
 そして、自分も彼も、その中で絶望し、最後には力を求め、魔王へと全ての心の闇をぶつけんとする事で、自らを保ってきた。

―だめ……。

 しかし、その終わりが導く一つの結果を見たレフィルには、彼が向かう戦いに、悲しいものを感じる事しかできなかった。


「貴様がこの世にある限り、悲劇は繰り返されるんだ!!貴様だけは…俺の友の、親父の仇である貴様だけは、生かしてはおけないっ!!」


 人無の英雄 アギス

 年若くして、幾多の武勲を上げ続けている少年。
 ”勇者”を育て上げるためにある里の生まれだが、その力を怖れた何者かの手により滅ぼされてしまう。
 旅立ったその後に出会った者達も、彼との縁の中でその多くが死んでしまう。
 人の死にゆく姿に何を思ったのか、いつしかただ一人で旅を続ける様になる。
 その地獄の様な日々で鍛え抜かれた彼の力は、いつしか常軌を逸したものとなっていた。


『ハッハッハッハ、愚か者めが。貴様とて、弱き者共にかような道化をさせられていると、何故気づかない。さすればそやつらの死も、至極当然の事と言えようが。』 
「黙れぇええええっ!!!」

 結局彼を守って死んだ者達も、自らがなせぬ事をさせようと利用したに過ぎない。そう告げてくるバラモスの侮辱に、ついに彼は激昂した。

「決めた…貴様にも、地獄を見せてやる…!!」

 爆ぜ放たれた憤怒によって歪められた顔から、凍てつく様な静かな怒りを秘めた無表情へと転じ、次の瞬間には、紅の剣は魔王の喉元目掛けて突き出されていた。
『…っ!!』
 あまりに早く突き出された、人の域を超えんばかりの神速の一撃に応じる事ができず、魔王はそれをまともに受けた。

ピシッ…!!

 だが、同時に血に染まった剣が、切っ先から全体にかけてその刀身に皹が入り、程なくして砕け散った。
『ぬぅううううんっ!!』
 何も構えぬままに剣に貫かれるはずだったバラモスは、すぐに剣を失って無防備な姿をさらしている少年へと掴みかかろうとした。

「そんなものか?」
『…なに…?!』

 しかし、彼は王の予想を超える動き―捕らわれる前に空高く飛び上がる事で身をかわしていた。
「ベギラマ」
『…!』
 同時に、上空より上級呪文が放つ熱波が、バラモスへと降り注ぐ。
『小癪な…』
 ベギラマの呪文で致命傷は負わずとも、それを放たせてしまったのは、バラモス自身が作った隙にある。

「くらえっ!!」

 相手の力量を量り損ねたバラモスに、少年は携えていたもう一振りの剣を空中で引き抜き、それでそのまま斬りつけた。

ズンッ!!

『…ぬが…っ!?』
 それが有する鋼の重みと鍛え抜かれた刃が、バラモスの外皮を穿ち、その背にもう一筋の傷を刻む。
『こやつ…!』
 たまらずに地を蹴って、この場を逃れて離れた位置へと降り立ちながら、バラモスは少年を見下ろした。

―やりおるわ…

 手にしているのは、何の変哲もない鋼鉄の剣でしかないはずだった。だが、ここに至るまでに一片として欠ける事のない刃は、世にありふれたそれではなく、まさに魔王たる自分を斬るために鍛え抜かれた恐るべき一振りであった。

「覚悟しろっ!!」

 そして、ただ一人で戦い続けた中で高められた、人の限界を超えるまでの腕前を持つ使い手が、それを振るう。少年は目にも留まらぬ速さで、離れた一に立つバラモスへと一気に距離を詰め、己の剣で幾度となく攻め立てた。
『ぬっ…、はぁっ!!』
 堅牢な外皮すらその意義をなさぬ、一撃一撃が必殺の威力を秘めた斬撃の群れを、バラモスは全ていなしていた。だが、そうして守りに徹さなければ、致命傷を負う事の意味は大きい。

『ぬ…っ!』

 少年の攻勢を前に反撃ができない中、取りこぼした一閃が不意にバラモスを捉え、その体に一筋の紅い筋を刻んでいた。

「そこだっ!!」

 止むを得ず再び退いたバラモスを追う代わりに、少年は左手を魔王に向けてかざした。

「ライデインッ!!」
『……!!』

ゴガァアアアアアアアッ!!

 次の瞬間、上空が急に黒雲で覆われて、その中から一つの轟きと共に、金色の雷が舞い降りた。

『ぐぉおおおおおおおおおおっ!!』

 招かれた殺戮の雷は、バラモスを逃す間もなく捉えて、その身を縛り付けていた。

「消えろぉおおおおおっ!!」

 ライデインの力を受けて、バラモスがその身を止めたのを見て、少年は猛りを上げながら己が剣をその身へと叩き込んだ。

ズンッ!!

『…ぐぅ…っ!?』
 鋭く振り下ろされた少年の刃に体を縦に斬り裂かれて血を流しながら、魔王は苦悶の声を上げていた。

『ぉおおおおおおおおっ!!』
「…くそ…っ!!」

 だが、突然に咆哮を上げながら、バラモスは再び立ち上がった。突然に迫り来るその姿を見て舌打ちしながら、少年は剣を横薙ぎに払った。

ズガァアアッ!!

「…っ!?ぐぁあああっ!!」
 しかし、不意を突かれた今、魔王の急襲を避ける術はなく、彼は猛烈な衝撃を体に受けると共に、後ろへと大きく吹き飛ばされていた。
「が…はっ!!」
―浅かったか…っ!!
 口の中から血反吐を吐き出しながら、少年は自らの一閃が魔王の命を断つまでに至らなかった事を悟った。

『ハッハッハ、残念だったな。』

 倒れた少年を眺めながら、バラモスは彼の失望を代弁するかの様にそう告げていた。

「…くそ、おまけに…治ってやがるのか、面倒な…!!」

 与えた深い傷も、今では完全に塞がっているのが見える。
「…ふん、だったら…死ぬまで斬り刻み続けるだけの事だ!!」
 しかし、それを見ても大して動じた様子もなく、少年は電光石火の勢いで魔王へと疾駆して、再度剣を振るった。魔王の反撃を掻い潜り、隙を見い出して、疾風の如き突きがその体を穿つ。

『甘いわ』
「……く…!」

 が、それは僅かに狙いを逸れて、魔王の胸元を捉えた少年の剣はその心臓を貫く事はなかった。そして、手のひらへと光が集うのを目にした瞬間…


ドガァアアアアアアアアンッ!!


「ぁああああ……っ!!」
 彼の体は集束された大気の爆発によって、大きく吹き飛ばされていた。
―この…野郎…!!
 幾度も地面を転がされた末にようやく受身をとって立ち上がると同時に、少年は魔王を睨み据えていた。

「…何故、貴様だけが、こうも生きていられるんだ…!!」

 心臓を外されたとはいえ、致命傷というべき傷を受けて尚、バラモスは何事もないかの様に立っている。その姿から感じさせられる不死性を心から呪う様に、彼は怒りと共にそう吐き棄てていた。

『貴様がたわけた事に命を賭しておる様に、ワシもまた成すべき事に力を尽くしておるだけの事よ。』

 強きが弱きに虐げられ、堕落の一途を辿る理を、世界を滅ぼす事による弱者の殲滅を以って、正しき流れへと戻す。そのためならば、バラモスは命を投げ打つ事すらも惜しまずにあった。その覚悟が、持てる全ての生命を、戦いに向けるものへと至らせて力を増し、体の傷を癒している。

「ふざけるな…!!何が…たわけた事だ!!」

 自分の行いを愚行と断じるバラモスの言葉への憤りで体を奮い立たせるも、負った傷は深く、彼は地面に片膝を屈した。

『よかろう…ならば、その歪んだ志諸共、終わらせてくれる!!』
「…く…そっ!!」

 怒りと苦痛に悶える少年に終焉を告げながら、バラモスは一撃で押し潰さんと、その拳を振り下ろした。


「アストロン」


 だが、それが少年の身に届く直前、その様な少女の声が聞こえてきた。
 
ガァンッ!!

 次の瞬間、魔王の拳は、彼の目の前に立つ緑の鎧を纏った少女の身によって弾き返されていた。その間に少年は再び立ち上がり、目にも留まらぬ突きを放って魔王を牽制した。

バサッ…!

「羽…?」

 魔王が突撃の勢いに押されて後ろに下がったそのとき、上に聞こえた羽音と共に、少年の目の前に何枚もの羽が空からゆっくりと落ちてくるのが見えた。
―不死…鳥?
 空を見上げると、そこには虹色の光に彩られた様な、美しい鳳が優雅に空を回りながら飛び去っていくのが見えた。

「ベホマ」

 いつしか傍らに立っていた魔女の如き風貌の赤髪の美女がそう唱えると共に、少年の体に宿る生命力が引き出され、その傷を癒していた。
「あんたらは……」
 彼が呆然と魔女を見やる側で、もう一人の足音が彼の耳へと入ってくる。

「ふぅ…間一髪だったようで。」
「ホントにねぇ…、ちょっとびっくりだったわね…。」

 直後、魔女の後ろから、もう一人の男―蒼い髪に同色の外套を纏った優男風の青年が、この場に姿を現した。

「ニージスさん…、メリッサさん…。」

 先程自分の身をまもった少女が、申し訳なさそうに儚い表情をしながら、その名を呼ぶのを、彼―孤高の勇者アギスはただ黙って見守っていた。