地上の終焉 第二話

〜魔王バラモスの城 魔殿〜

「結界…!?野郎、あそこかっ!!」

 魔王の居城に相応しからぬ、清らかに澄んだ湖の中心へと連なる道。その表面を覆う稲妻の如き光が、侵入者を阻む様に通路上に走っている。

バチッ!!

「…っ!!」
 その中へと足を踏み入れたそのとき、床から神経を焼き切る様な痛みが伝わり、マリウスの全身へと激痛が伝播した。
「な…めんなっ!!おぉおおおおおっ!!」
 だが、その身に纏う呪具が稲妻を吸い込み続け、結界の力を減殺し続けていく。その中で、マリウスは通路を一気に駆け抜け、その終着へと辿り着いた。

「…痛て…っ。また、こいつがここで役に立つとはな…。」

 地獄の鎧に嘆きの盾、そして破壊の剣。赤く妖しく光るそれら三つの武具を眺めながら、彼は静かにそう呟いていた。何の因果かいつからか身につける事となってしまった忌むべき力が、今ではマリウスの道を切り開く一助となっているのは何の皮肉か。

「ま…お前らに頼るしかねぇ…って事か。せいぜいよろしく頼むぜ。」

 この先で待ち受けるであろう魔王バラモス。ただ一人でここまで切り込んできたマリウスが、それに打ち勝つためには、どうしても力が必要だった。彼は三つの呪われた武具に、友の様に頼るが如くそう告げながら、湖の中へと続く通路へと急いだ。




「…く…、何だこりゃあ…?」

 突き進んだその先にあったのは、燃え盛る炎と赤熱した大気、そして、儀式を執り行うべくして造られた祭壇の様なものだった。
「メドラは…あの先か…!?」
 地下の内に急に広がる開けた空間へと足を踏み出しながら、マリウスはバラモスに囚われた金色の竜の姿を捜し求めた。

『ほぉ、即座にここに至るとは…。ともあれよくぞ来た、メドラの縁者よ。』
「!!」

 そのとき、マリウスの意思に応える様にして、正面からあの”王”の声が呼びかけてくる。
「バラモス…!!」
 炎によって赤く彩られ、熱気によって歪み続ける大気を通して、地下にある魔王の空間が徐々にその視界へと入ってくる。それは、地下に開けた広大な空間の中に築かれた巨大な祭壇の上に立つ魔王バラモスの姿であった。だが、その姿は先の怪物とも形容できる偉容の姿と比べて明らかに小さくなっており、その身は草色の法衣を纏い、血色の宝石を埋め込まれた首飾りが下げられている。

『じきに時が満ちる。そのときこそ、こやつはかつてあるべき姿へと戻り、我が本願を叶えるだろう。』
「…っ!!」

 王たる姿に戻りきれず、未だに人のそれと比べて遥かに大きな巨躯を有する魔王が語りながら見上げる先を見て、マリウスは絶句していた。
―メドラ!!
 魔の儀式の中心たる祭壇の頂に捧げられていたのは、先程目にした聖なる金色の竜だった。だが、静寂の内に佇む巨大な体からは、一片の威圧感も感じさせられず、今はただ水の中に揺蕩う様にして、力なく佇んでいるだけだった。そして、赤色の魔法陣がその身を縛る拘束具の様に、旋回し続けている。

「くそったれ…!!そうはさせるか…!!メドラを返せ!!」

 その光景が一体何を意味しているのかは分からないが、魔王の思惑の内の一つである事は明らかである。それが人に…自分に、そしてメドラへと害を成すものである事が分かっている以上、迷う事はない。彼女の姉であるメリッサのため、そして親友であるホレスとレフィルのため、彼はバラモスへとそう叫びつつ、破壊の剣を構えた。
『また、ワシに手向かうか。それもよかろう。』
 世界樹の樹海で相対したときも、彼はバラモスと一戦交える事となった。そのとき十分に味わったはずの敗北の度合いの深さをも鑑みないかの如く、再び戦いを挑んでくるマリウスを見下ろして、バラモスは無意識に感心の念を示していた。

『脆弱なる人間共の根絶やしの手始めに、そなたを血祭りに上げるのもまた一興よな。ハッハッハ。』

 人の世にその名を轟かせるほどの戦士と言うだけあって、彼はたった一人でここに至った。それを仕留めたとあれば、ここに集う烏合の衆となって刃向かう弱者達も静かになる事だろう。バラモスは実に愉快そうに笑いながら、石段の上より跳躍し、一気にマリウス目掛けて急降下した。

『ぬぅううううんっ!!』
「おらぁああああっ!!」

バキィイイイイイインッ!!

 戦士と魔王との距離は瞬く間に縮まり、その邪剣と魔拳がぶつかり合い、金属音を撒き散らす。

「…っ!!」
 その直後に弾かれたのは、戦士―マリウスの方だった。 
『どうした、その程度か?』
「野郎…っ!!」
 以前、この悪魔の鎧ごと、我が身を斬り裂いた王者の剣は今はない。にも関わらず、今の一撃のやり取りで受けた力の応酬は、そのときの比ではなかった。
『確かに腕は上げた様だ。だが、そなた一人では何度挑もうが、ワシを倒す事など叶わぬわっ!!』
「…く…そっ!!化け物めっ!!」
 人の剣技と言うものが、児戯にも見える程の殺意が、魔王の全身に張り巡らされている。上辺だけの事ではなく、まさに正真正銘の化け物と呼ぶに相応しいまでの力の差を感じ、マリウスは思わず感じた畏怖のあまり、歯を食いしばっていた。

『ハッハッハ、さて…すぐに終わらせてくれようか。』
「…!!」

 マリウスが身を固める暇も与えず、バラモスは唐突に笑いながら両手を前にかざし始める。

ドガァアアアアアアアアンッ!!

 その内で光が閃くと共に、地下に作られた神殿の中で膨れ上がる大気が爆ぜ、その衝撃に内壁が悲鳴を上げながら砕け、上から崩れた天井が雨の如く降り注いできた。




〜魔王バラモスの城 瓦礫の山〜


「これは……」

 数多の敵を斬り伏せて、紅に染め上げられた刃を握り締めたまま、彼は目の前で起こった事を振り返っていた。
―間違い…ないっ!!
 突如として、聖なる水を湛えた湖の底に亀裂が入った次の瞬間、その下から噴き上がる爆風が水と瓦礫を突き上げて、辺りへとぶちまけていた。

「ついに…現れたか!!魔王…バラモスッ!!」

 これ程の力を操る使い手は限られている。これまでずっと探し求めてきた最強の魔物にして、旅の中で死んでいった仲間達の仇とも言うべき存在―魔王バラモス。そこに倒すべき敵がいると、彼にはすぐに理解できた。
 
「貴様のせいで…誰も彼も、皆…っ!!」

 膨れ上がる激情と共にその顔が険しく歪められる。少年は怨嗟を露わにそう叫んでいた。


キュアアアアアアアアアアアッ!!!


「…?!」
 だが、彼が剣を手に前へ進もうとした次の瞬間、天を裂く様な甲高い鳴き声の様な音と共に、上空から強烈な風が吹き付けてきた。
「…なん…だ…?」
 いつしか目の前に、光り輝く羽の様なものが幾つも舞い落ちてくる。その先に見たものは、七色の煌きをその身に宿す、巨大な鳳の姿であった。



〜魔王バラモスの城 魔殿〜


「あが…っ!!げほっ…!!」

 魔王によって投じられた力が引き金となって起こされた圧倒的な暴風が全てを押し潰さんとする中で、マリウスは激しく咳き込んでよろめきつつもどうにか立ち上がっていた。

『耐えたか…!』

 両の手よりそれぞれ放たれた、空間さえも軋らせる爆発の最上級の呪文―イオナズン。呪いの武具で身を固めているとは言え、人の身でその直撃を受けて尚も生を留めているマリウスを見て、バラモスは小さく一驚していた。
『だが、それ以上はどうにもなるまい。さすれば戦士への手向けとして、ワシ自ら、そなたを丁重に葬ってやろう。』
「く……そ…ぉ…っ!!」
 しかし、一度耐えたとてそれも魔王の力の片鱗に過ぎない。ただそれだけに終わらない魔王の力を受けて、既に戦闘不能に陥っているマリウスには、抗うだけの力は残されていなかった。
 
シュゴォオオオオオオオオオオッ!!

―や…っべぇ……!!
 大きく開かれた魔王の口より吐き出される灼熱の炎。それは、呪具が主を守りきれる威力を、遥かに上回っていた。
―だ…だぁああ…っ!!こ…ここまで…なのかよ…っ!!
 迫り来る紅蓮の吐息を前に、切り抜ける術もない。万事休すのこの状況の中で、マリウスはついに訪れるであろう死を覚悟していた。


バサッ!!


 だが、予想していた焦熱の呵責は降りかからない。
「…?!」
 その瞬間に、彼は確かにその耳に羽音を聞いていた。
「…な…なんだ…っ!?」
 同時に巻き起こった烈風が、魔王の炎を吹き払う様を目の当たりにして、マリウスは驚きを隠せずにいた。


キュアアアアアアアアアアアッ!!!


「と…鳥ぃいいいっ!?」
 威嚇するかの様にけたたましい鳴き声の様な音が聞こえると共に目の前に現れたのは、鮮やかな色彩をその身に宿す、大きな体を持つ不思議な鳥であった。


『こやつは…!!』

キュウウウウウウウウウウウッ!!


 その姿を満足に見せる暇さえ与えずに、巨鳥はいきなり魔王へと襲い掛かっていた。低く飛び上がりつつ、その足に生えた鋭い爪が、魔王の体を鷲掴みにする。
『ぬぐ…っ!!なめるな…!!』
 だが、すぐにバラモスも、爪を身に喰い込ませんとする鳳を振り払わんと、その拳を握り締めて巨鳥へ向けて一心に放った。

ズガァアッ!!

キュアアアアアアアアアアアッ!!

 魔王の一撃が、鳥の体を抉る様に深く直撃し、そのまま遠くへと弾き飛ばした。それが効いたのか、七色の鳥は悲鳴を上げながら地面へと崩れ落ちた。

「…ぐ…っ!!」
「…ぁ…う…っ!!」

『!!』
 次の瞬間、その背から二つの影が苦しそうに呻き声を上げながら現れるのを見て、バラモスは再び目を見開いていた。

『貴様らは…。あのとき、確かに息絶えていたものと思っていたが…』

 巨鳥の背に跨っていたのは、冒険者の出で立ちをした銀色の髪の青年と、力を求めた故に自らの命を絶ったはずの竜鱗の鎧を纏った少女の姿だった。



「ラーミア!!しっかりしろ!!」

 王の渾身の拳撃をまともにその身に受けたラーミアに、ホレスは励ます様に必死に呼びかけた。

「ベホマ…!!」

 バランスを崩して地面に無理な体勢で落ちたがために、更に傷を深める結果となっている。すぐさまレフィルがラーミアへと回復呪文を施す。
「ラーミア、ごめんね…。生まれたばかりのあなたに…こんな無茶をさせて…。」

キュウウウウウウウウウウウ……

 傷を治しながら、申し訳なさそうに物憂げな表情を浮かべるレフィルを見つめながら、ラーミアは悲しげに弱弱しい鳴き声を零していた。
「あとは、オレ達がやる。お前はすぐにここから逃げるんだ、いいな?」
 伝説とまで謳われるほどの優美な姿でありながら、小鳥の様な儚さを感じさせる仕草を見せるラーミアに、ホレスは言い聞かせる様にそう告げた。

『………。』

 それに従う様にして、その足を地面に下ろしてゆっくりと立ち上がろうとする…
「…どうした?早く…」
 が、ラーミアはすぐには飛び立とうとしなかった。それを怪訝に思い、ホレスが促そうとする…

『…ヨンデ…ク…ル……』

「「…?!」」
 そのとき、不意にラーミアが、たどたどしく二人へとそう言っていた。
「ラーミア…何を…?」

バサッ…!

 その伝えたかった事が何であるかを彼らが解する前に、ラーミアは大空へと翼を広げて、上に開けた天への大穴へと飛び去って行った。

「生きて…いたのか、二人とも…」
「マリウス…さん…。」

 ラーミアが去りゆく空を見上げる二人へと、聞き慣れた声が話しかけてくる。
「ベホマ」
 必滅の気迫を込めた魔王の力を受けて、瀕死となったその姿を見て、レフィルはすぐにその呪文を唱えていた。
―酷い…怪我……
 癒しの光が、深手を負った彼に力を与え、強大なる奔流の中で威光を失いつつあった、よく見知った歴戦の戦士としての姿を取り戻させる。

「ありがとな…、というか…無茶しやがって。ったく、君が死んじまったら…俺達どうすりゃいいんだよ…。」
「ごめんなさい…」

 元より彼―マリウスは、望まぬ使命の前に散ろうとするレフィルを救うために、ネクロゴンドへと踏み出した。が、その当人が死んでしまっては意味をなさなくなってしまう。そうして心配をかけてしまった事に、レフィルは心から申し訳なくなって、弱弱しい声を絞り出しながら、頭を下げていた。
「だが、話は後だ。」
「そりゃ…しゃあねえな。流石に。」
 互いに話したい事など山とある。しかし、ホレスの言葉ですぐに気持ちを切り替えて、マリウスは再び魔王へと身構えた。

『ほぅ、まことに死より現世に舞い戻ったか…。』

 再び会いまみえる事となった、人の希望たる勇者という存在を、バラモスは静かに見下ろしていた。

『誰とも知らぬ者が敷いた道に戻るべく、死の理をも超えたか。そう…丁度あやつの様にな。』

 そして、命失わんとする程の深手を負い、今も尚その傷に苛まれているレフィルに、王は何者かの面影を見ていた。
「…え?」
「”あやつ”…だと?」
 しかし、それを三人が解する事はなく、ただただ当惑していた。


『だが、今更何をしようと、我が道を阻む事など叶わぬわ!!見よ!!』


 そんな彼らに、バラモスは背後にある祭壇を指差しながら命じるが如くそう叫んだ。

「「……!!!」」

 それを見て、レフィルとホレスはこれまでにない驚きのあまり、大きく目を見開いた。

「「ムー!!」」

 祭壇の上で佇む光の正体は見た事もない様な神聖さをその身に宿した金の巨竜であった。だが、彼らにはすぐにその存在が、これまで苦楽を共にしてきたかけがえのない親友のものであると感じ取れた。

「ムーを…放しなさい…っ!!」

 すぐさまレフィルが前に出ながら吹雪の剣を抜剣し、その切っ先をバラモスへと突きつける。その声は、仲間を傷つけられた事による動揺と怒りで震えていた。
 
『そうはいかぬ、既に我が道が果てまであと僅かを残すばかり。今更邪魔立てする事など許さぬ。』
「…!!バラモス…っ!!」

 その想いを否定するバラモスに、レフィルは更に感情を昂ぶらせ、怒りと共に前へと踏み出していた。だが、一度死に瀕するまでに弱り、力を手放したその体には、然程の気迫は感じられず、弱弱しさと共に虚しさが込み上げてくる。

「下らない…そんなあんたの事情なんか知ったこっちゃない。」

 しかし、それに続けるように、ホレスも彼女の傍らに立ち、バラモスへとそう吐き棄てていた。
「世界を滅ぼすとか抜かしたな?だったらその道を止めないはずもないだろうが。」
『それで最後の抵抗を試みると?ハッハッハ…希望と呼ぶにはあまりに脆すぎるではないか。』
 バラモスが世界を滅ぼすと言うのであれば、もはや戦って止める以外に道はない。しかし、今の二人に…そして人間達に一体何ができるというのか。そんな儚いものでしかない状況を、バラモスは一笑した。
『しかし、わざわざ我が元に戻って来ようとは手間が省けたわ。』
「…え?」
 ふと、バラモスが唐突に目を合わせながら告げた言葉に、レフィルは戸惑いを隠せずにその動きを止めた。

『かの盟約を受けしそなたを野放しにしては、いずれは我が脅威ともなる。』
「…!」

 元よりレフィルの事を捨て置くつもりはなかったらしい。確かに、ただ一度とは言え、魔王たる自分を上回る力を発揮して、死そのものを突きつけてきた闇を受けた存在は畏怖する対象となりえる。それが今力を失っていたとしても…。

『そして、彼奴と同じくして、死して尚も我が前に立ちはだかる宿命を背負いしそなたを、許すわけにはいかぬ!!』

 加えて、死に等しい程の傷を負いながらも、彼女は息を吹き返し、再びバラモスへと挑もうとしている。目指す結果はどうあれその姿は、かの宿敵、そして、先にみた鳳の如く、悠久の過去より定められた皮肉な運命の様なものをバラモスに思い出させていた。



『もはや再び生き返らぬよう、はらわたを喰い尽してくれるわ!!』



 だが、それも全てここで断ち切る。その様な気迫と共に、バラモスはレフィルに向けてそう一喝すると共に、魔の獣と呼ぶに相応しい、おぞましいまでの咆哮を上げた。