覇道を征く者 第八話

〜魔王バラモスの城 玉座の間〜

「…まさか…これ程とは…」

 ぶつかり合う力は互角。闇の力を受けているとは言え、人の身で自分と対等の力を有する目の前の少女に、王は恐れを深めていた。

「痛い…?」

 ふと、突如として、彼女は王にそう問い掛けていた。
「痛いでしょう?でも、わたしが受けてきた痛みはこんなものじゃない。」
「…っ!?何を…!」
 湧き上がり続ける闇の中で、物憂げな表情を浮かべながらレフィルが告げる言葉に込められた昏い感情に、バラモスは言葉を返す事ができなかった。

「そして、それももうおしまい。わたしが受けてきたこの苦しみ、今度はあなたが味わう番よ。だって、全部あなたの…あなたのせいなんだから。」

 その存在を以って、自分の運命を縛り付けた魔王への怨みを、レフィルは今一度口にしていた。だが、今度は全く感情のこもらぬ静かなものであった。

「味わってみる?絶望を…」

 そして、最後に…首を小さく傾げながら王へとそう告げていた。そのとき、闇に覆われた中にある少女の、氷の様な表情が不意に変わり始めた。それは、この旅の中で、彼女が一度も顔に出した事もなく、感じた事もない様な、心の底からの”悦び”を前面に醸し出していた。


「レフィル…」

 先程から繰り広げられている、絶対的な力の応酬を前に、ホレスはただ立ち尽くしていた。
―これじゃ…近づけない…!
 その戦いに割って入ろうものなら、助けとなる前に、ただ巻き込まれて翻弄されるだけに終わるだろう。目の前に助けたい仲間が戦っているにも関わらず、手出しできない。激化する戦いに、余人の入る余地はなく、後は、レフィルの力がどこまで通用するか…ただそれだけとなっていた。
―だが…お前は…
 しかし、それで終わりではない。祈りと共に得た絶大なる力を代償に、彼女の中で決定的な何かが大きく変わってしまった。ここまでの過程で、レフィルが目的のために打ち捨ててきた慈悲の心。だが、今はその根底にあるものまでもが失われてしまった様に感じられた。

―…お前自身すらも捨てた結果がこれか!!

 打ちひしがれ、苦しみ抜いた末に、ついに彼女の心は、音を立てて崩壊してしまった。既にここには、”アリアハンの勇者”も、心優しい少女の姿もなく、あるのは心を失い、狂気に囚われるままに、ただ破壊を繰り返すだけの抜け殻の姿だけだった。
―オレ達は…何を…一体何を呼び寄せた!?
 ムーが呼び起こし、ホレスがその道を開き、そしてレフィルが望んだ、”逸理の約”を果たすための闇の力。それを手にしたとき、レフィルはその闇に呑み込まれてしまった。人の心を容易く暗黒へと引きずり込む深淵の深み、それは如何程のものなのだろうか。

「何て…ことだ…!!」

 結局、レフィルを守ってやるどころか、更なる破滅へと導いてしまった。それがホレスへと与えた衝撃はあまりに大きなものだった。
「…くそ……!!」
 だが、ホレスはその失意によって地に屈する事はなかった。少なくとも、まだレフィルが生きているという意味では希望は失われていない。ホレスは彼女を救い出すために自分がなすべき事をする、その来るべきときに備えて、ただ目の前の戦いを見届けていた。


「ぐ…ぬ…!!おおおおおぉおおおっ!!」

ギィンッ!!

 極寒の魔剣と獄炎の神剣が、氷昌と猛火の刃を交えて互いを喰らい合っている。

「取った!!」

 その一合を制したのは、魔王だった。灼熱剣・閻魔の刃が吹雪の剣を押し返し、そのままレフィルの闇を斬り裂いていた。

パキッ!!…パキパキ…ッ!!

 だが、彼女もまた、ただ一撃を受けるだけには終わらない。弾かれた氷剣の刀身から、極寒の昌石が飛び散り、地面へと突き刺さる。その力は、先程身を以って味わっている。
「ぬんっ!!」
 すぐさまその場を飛び退きつつ、地より追いすがる氷の刃を、閻魔で残らず叩き落す。

「甘いわっ!!」

 そして、光り輝く右手を、レフィルへと向ける。その瞬間、彼女の頭上で一筋の光が閃いた。
 
「させない」
「!」

 だが、レフィルは―イオナズンの力を受けた大気が爆ぜる直前に、空を断ち切らんばかりの勢いで、魔剣を天高く振るっていた。

ピシッ…!!

 直後、イオナズンの光の中心から、何かに亀裂が入る様な音が聞こえてくる。

ガシャアアアアアアアアンッ!!

 そして、光り輝く水晶の欠片が破砕音と共に降り注いできた。それらは砕ける度に、ささやかな閃光と共に、小さな爆発を起こしている。まるで、呪文を…否、空間そのものを凍りつかせたような、異様な光景だった。

「かわしたか…だが、逃がしはせん!!」
「逃げはしないわ。あなたを殺すまでは…」

 小さな爆発の群れの中で佇むレフィルにそう告げながら、バラモスは一気に間合いを詰め、閻魔の刃を振り上げた。
「その剣…砕かせてもらうぞ!!」
「!」
 イオラの力により収束された、極寒の魔剣の魔力そのものである氷の刀身。その厄介なものを当然いつまでも放っておくはずもない。
 
ピシッ!!ガシャアアアンッ!!

 予想外の剣閃が、極限の零に近しき冷厳なる刃へと叩き込まれると共に、その刀身に亀裂が生じ、次の瞬間には粉々に砕け散っていた。
「そこだっ!!」
「…!!」

ギィンッ!!

 そこで生じた小さな隙を縫った攻撃に、レフィルは元の形に戻った吹雪の剣諸共弾き飛ばされた。

「そなたが力、全て出し切る前に一気に終わらせてくれる!!」

 次々と絶え間なく機先を制し続け、このまま倒す。それがバラモスの狙いだった。地面に倒れ伏している少女に向けて、王は獄炎の神剣を斬り下ろしていた。
 
「アストロン…」

ガァンッ!!

「……ッ!」
 だが、それに断ち斬られんとするその刹那、レフィルはアストロンの呪文を唱えて、同時に剛き鋼と化したマントが真紅の剣を弾き返していた。

ギィンッ!!

 次の瞬間、レフィルはそのまま蒼い魔剣を以って、バラモスへと斬りかかっていた。
「…こやつ…!!」
 一度目の当たりにした、アストロンの呪文による力の反射。レフィルはそれを以って窮地の一撃を弾き返し、あまつさえ勝機も逃さずに刃を突き付けてきた。
 
「だが…力は足りぬな!!」

 しかし、合わせられた刃を通じて、バラモスはレフィルを強引に押し返した。纏っていた霧氷の如き氷昌が失われた魔剣では、閻魔の大振りな刃を受け切る事ができない。
 
「そのまま…燃え尽きよ!!」

ゴガァアアアアアアアアアッ!!
シュゴオオオオオオオオオッ!!

 かざされた左手が放つ呪文が、天より恒星の如き煌きを招き、右手の閻魔の刃がレフィル目掛けて飛び、大地は砕けて巨大な大穴を穿ち、そこから灼熱のマグマが噴き出す。三方からの魔王の炎が、レフィルへと一斉に殺到した。 魔王に匹敵する程の力を得たとはいえ、これらの攻撃を全て受けて無事でいられる保障はない。冥府の門の如き焦熱の巨穴へと墜とされ、天からの灼熱の大火球に追われ、王が振るう獄炎の神剣によって今まさに斬り捨てられようとしている。

「………。」

 だが、その様な中でもレフィルは沈黙したまま、全く動じた様子はなかった。


「――――――ッ!!」

 瞬間、誰かが悲痛な叫びを上げていた。
 
―やめろぉおおおおっ…ムーッ!!!!
―…ふん!!
―…ッ!!!!

ゴガァアアアアアアアアアアアッ!!!!!!

―ぐぉああああああああっ!!!
―…ぁ……っ!!!!!!!!

―カン…ダタ…!?
 目の前の光景から、大切な家族だった男が断末魔の叫びと共に炎の中へと消えていくあの時の悲劇が思い返される。
―…い…や…!!レフィル…!!
 今度はかけがえのない友人が失われる…この戦いが始まってから想定されていた最悪の事態が目の前で起ころうとしている。だが、ムーは身動きできぬまま、ただ炎に包まれていくレフィルを見守るしかなかった。


「ぐ…っ!!」

 丁度同じ頃、ホレスは地面に倒れこみ、その衝撃と激痛のあまり、うめき声を上げていた。
―ダメだ…っ!!動けない…!!
「くそ…レフィ…ル…!!」
 もはや先程の様に助けに入るその真似事すらもできない。彼もまた、何もできぬまま、目の前で起こる事を見届ける他なかった。



―感じる…

 大罪を犯した者を焼き焦がす様な煉獄の炎の中に墜ちようとする中、レフィルはすぐ近くから、不思議な感覚を拾い上げていた。
―…死ぬ…?…わたしが…?
 これまでにない奇妙な感覚。その中で、心の外から言葉にならない二つの想いが入り込んでくる。
―何を言っているの?もう…わたしに…
 だが、それらが伝える事を、彼女は意に介さずに、正面を見据えていた。

「恐れるものなんか…ない」

 光を思わせる白く迸る波動が、闇を纏ったレフィルを中心に静かに速く広がっていく。それは、触れたもの全てを凍てつかせ、白く染め上げていた。

「…ぬ…!?」

 下から競り上がったマグマが一瞬にして固まり、土塊と化したその上に降り立つレフィルを見て、バラモスは思わず顔をしかめた。

「イオラ」

ドガァアンッ!!

 続いて、かざされた右手の方向にある火球の内側で爆発が生じる。バラモスのメラゾーマの炎は、今また内側から砕かれて四散した。

ギィンッ!!

 最後の閻魔の刃は、蒼い刀身を持つ魔剣によって弾かれ、主のもとへと舞い戻った。

「かぁああああああっ!!」

 攻撃を防がれて尚、バラモスは攻撃の手を休める事なく、次の手に打って出ていた。

シュゴオオオオオオオオオッ!!

 その手のひらより、竜の息吹と見紛う程の、紅蓮の炎が前方へと広がっていく。程なくして、レフィルはその全てを押し流し焼き払う、灼熱の奔流の中へと呑まれていた。

「もう…終わりにしましょう。」
「…!」

 しかし、彼女はそれに吹き飛ばされる事も、焼き尽くされる事もなかった。魔鋼に覆われた外套が烈風の勢いを殺し、闇のオーラと竜の鎧が、灼熱の熱気を遮ってレフィルの身を守っていた。
―これ程…容易く…
 常人ならば、受けて生を留める事なき地獄の炎を受けきったばかりでなく、その機に攻勢に回るべくこちらへと近づいてきている。

「いいだろう!闇に呑まれ、自らを失ったそなたの引導、今こそ渡してくれる!!」

 体勢を崩せぬ様であれば、これ以上の小細工は無意味。バラモスは獄炎の神剣―灼熱剣・閻魔を大上段に構えて前進し始めた。同時に大剣の刀身に、これまでにない程の勢いの炎が巻き起こり始める。それは、先に一度見た王者の剣の一撃と重なって見えた。

「アストロン」

 レフィルもまた、呪文を唱えて手にした刃へと力を伝えた。何よりも堅牢にして、鋭利なる魔鋼の刃が、左手に握る吹雪の剣を覆い始める。

ガァンッ!!

 直後、それぞれの力が込められた二振りの剣が互いに激突し、剣戟を轟かせた。

「同じ手は二度は通じぬわ!!」

 だが、レフィルの魔剣は、閻魔の刀身を断ち斬る事はできなかった。獄炎の神剣は、横薙ぎに払われた吹雪の剣を叩き落す様に振り下ろされている。全てを切り裂く魔鋼の刃も、触れなければその力を発する事はない。互いに振るわれた形のまま、レフィルと王は剣を交えた。
「このまま…潰れよ!!」
 やがて、上を取ったバラモスが、そのまま力を以ってレフィルを抑え込み始めた。獄炎の剣の焦熱が、徐々にレフィルへと近づき、その身を灼こうとしている。

「捉えた…!」
「…っ!?」

 だが、レフィルの口からは意外な言葉がこぼれ出ていた。その状況を狙ったかの様に、歓喜の声が上がる。
―な…に…っ!?
 危険をかえりみず、諸手で握られていた魔剣から右手を離し、虚空を”握る”と共に、その内に鈍色の輝きが宿る…

キィンッ!!

 次の瞬間、いつの間にか右手に収まっていた”剣”によって、灼熱剣・閻魔の真紅の刀身は、根元から折られて宙を舞っていた。

―二本目…だと…!?

 身を守るべく握り締めていた剣を手放した右手に、魔鋼の輝きを宿した剣が握られている。全てが鋼によって創られた、彼女自身が抱く最強の剣のイメージ。背負った聖なる”称号”とも、その身に纏う”闇”ともかけ離れた、ただ”斬る”ための剣…

ズンッ!!

「ぬ…っ!!がぁあああああああああああっ!!」

 程なくして、レフィルは手にした二つの剣を振り下ろし、王者の体を斬った。
「………。」
 おびただしいまでの量の血を流しながら仰向けに倒れたバラモスを黙って見つめたまま、レフィルは口元を歪に歪め、昏い闇の中で笑いを浮かべていた。

「滅びなさい。それでやっと…わたしも…」

 そして、右手の魔鋼の剣が消え去るのを見届けた後、レフィルは左手に握る吹雪の剣の切っ先を、王の心臓の位置に突き出しながらそう告げていた。
 
「ぬ…グ…ググ…!!よ…モや…こノ…ワシ…ヲ…こコ…まデ…!!」
「…?」

 だが、その直後、深く刻まれた傷に苦しみ悶えているバラモスに、異変が生じた。

「ガ…ぁぁあアアアアアアアアアッ!!!」
「…!!」

シュゴオオオオオオオオオオオオッ!!!

 次の瞬間、断末魔とも慟哭ともとれるような、凄絶なまでの雄叫びと共に、その体が燃え上がり始めた。炎は爆発的に膨れ上がり続け…

ズゥウウウウウウウンッ!!

『…ぐ…ぅうう…!!この傷では…もはや人の容を保つことはできなんだか…』

 やがて、それが収まると共に、再び王の声が、その耳に届いた。
「……それが、あなたの正体…?」
 しかし、その姿は既に、人ならざる巨大な怪異のものへと変貌していた。猛禽を思わせる様な大きく裂けた口に、漆黒の爪を鋭く伸ばした三本指の手足、そして、あまりに肥大した黄土色の体躯。醜悪を極めたこの怪物こそが、世界を震撼させる彼の”魔王”の正体であった。

『死ね』

 唐突に、その口からレフィルにその様な言葉が投げかけられる。

ドンッ!!

「……っ!?」
 例えようのない圧力と、死のみを求める殺気を受けたその直後、体全体が巨大な戦槌で打ちのめされる様な衝撃を受けていた。
―……え?
 気がついたら、その身は何て事なく宙へと浮かんでいた。口の中に血の味が広がる中、体は何処までも天へと昇っていく…

ズガァアアアアアアッ!!!

 そして、不意に目の前に影が差したと感じられた瞬間、魔王の巨大な手のひらが、レフィルを地面へと思い切り叩きつけていた。あまりの強烈な一撃に、周囲の地面さえ砕け、轟音と共に瓦礫を撒き散らしていた。
「―――っ!!?」
 その尾によって払い上げ、その腕によって叩き落す。ただそれだけの動作で、レフィルの体は容易く弄ばれていた。

「くる…しい……」

 しかし、その様な圧倒的な攻撃を受けて尚、彼女は死する事なく再び立ち上がっていた。
「…いたい……体が…壊れ…そう…」
 今の一撃で深手は免れず、その足取りは鉛の如く重かった。だが、その体に纏わりつく闇は消えず、受けた痛みによって怨みは更に募り、憎しみも増すばかりだった。

「許さな…けほ…っ………?」

 魔剣へと力を集めようとしたそのとき、ふと、その口から小さく咳が零れた。
「こんなときに…なにが…、…………っ!!!?」
 怪訝に満ちた様子で、反射的にあてがわれた手のひらをみたその瞬間、レフィルの表情に驚愕が張り付いた。

ボタ…ボタボタッ…

 直後、紅い雫が雨の如く止め処なく地面へと落ち始めた。同時に、口の中に広がる血の匂いがむせ返るほどに大きくなり始める。

「げほっ…!!か…はっ…!!…ぐ…ふ…っ!!」

 次いで、突如として彼女は激しく咳き入り始めた。体内から絞り出されるかの様に、血が吐き出される度に、全身に気持ち悪い感触と、耐え難い内面の痛みがはしる。
―い…嫌っ!!

「ベ…ホマ…!!」

 急に訪れた謎の苦痛に耐えかねて、レフィルはすぐに最高位の回復呪文を自らへと施した。

ピシ…ッ!!

「……ッ!?」
 そのとき、不意に何かが崩れ逝こうとする様な音が、どこからともなく聞こえた様な気がした。
―体が…治らない…!?
 異変はそれだけで終わらなかった。癒しの光がその体を包み込むも、それらは行き場を失ったかの様にただ辺りを漂うばかりであった。
「う…嘘……」
 それは、回復呪文が引き出すべき生命のエネルギーがない事を示していた。つまり…

―死ぬ…の…?

 命の灯火が消えようとしているこの体から、温もりが急激に失われていくのが感じられる…


「――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!」


―嫌ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!


 死を迎え、大地に還る。自分という存在がこの世からなくなってしまう恐怖が、突然堰を切ったかの様に溢れるあまり、レフィルは天を裂く様な悲痛な慟哭を上げていた。
「ど…どう…して…っ!?」
 唐突に突き付けられた現実に翻弄されて、混乱している中でも、レフィルの体中の生気が消え去り続けていく。そして、彼女にそれを止める術はない。
―これから…だっ…た…のに……!!
 まもなく魔王バラモスを倒し、呪われた宿命から解き放たれ、それを背負わせた者達へと報いを与えようとした矢先に訪れた死の気配。それがもたらす理不尽な結末に、レフィルの紫の瞳から、嘆きと絶望を乗せた、純粋な無色の涙が流れ落ち始める。


「…レフィル…!?」

 目の前で、レフィルが突如として悶え苦しみだしたその光景に、ホレスはただ愕然としていた。
「こんな…事が…!?…ッ!!冗談じゃない…!!」
 レフィルの一助となるべく求めた力が、逆に決定的な破滅―死を招く事となった。力を得た事で、彼女の心身を完全に狂わせてしまった事に、ホレスは強い自責の念を感じていた。
 

「…死…!?」

 友の、心の底からの叫びを聞いていたのは、ホレスだけではない。
―そ…んな……!!だ…め……!!
 必死にこれから起こる事象を否定しようとするも、もはや自分にできる事は何もない。ムーはただ、レフィルが死に逝こうとする姿を、恐怖に震えながら見届けるしか道は残されていなかった。


『当然の結果だ』

 いまや巨大な怪物へとその姿を変えたバラモスは、レフィルに対して冷ややかにそう告げていた。
『こうなってしまっては、もはやただ死を待つより他に道はない。ならば苦しむ暇すら与えず、ワシが楽にしてやろうではないか。』
 人の、しかもか弱き少女の身で、闇の絶大なる力を行使していれば、自ずとその反動は返ってくる。そして何より、自分の身すらも棄てた代償は、あまりに大きなものだった。

「…えて…しまえ…」
『…何だと?』

 しかし、その直後、地面に力なくへたり込んでいるレフィルが、何かを呟いているその言葉が聞き取れず、バラモスは一瞬動きを止めていた。


「消えて…しまえ!!わたしをこんなことにした…何もかも…みんな!!!!」
『……っ!!』

 すると、彼女は消え入りそうな声でそう叫びながら、命失われようとしているその体を立ち上がらせていた。同時に、闇がその体からこれまでにない程激しく立ち昇り始めた。

「 選定を司る理を逸するは、数多の訃音を奏でし清雅なる光の片割 」

『……!?その…呪文は…!?』

 次いで、詠唱を始めると共に、遠くに響く轟きが聞こえ始めるのを受けて、バラモスは驚愕に目を見開いていた。


〜魔王バラモスの城 城門周辺〜

ゴ…ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!


「何だぁ…っ!?」
「雷雲…!?」
『…コレハ…!?』
『……尋常ならない魔力の波動…、馬鹿な…!?』

 その頃、魔城の外で戦っている者達は、突如として轟音と共に現れた、漆黒の雷雲に驚きを隠せずに立ち止まっていた。

「…え…!?な…なに…、これは…!?」
「…サイアスめのものでは…ない…!!」

 サマンオサの勇者、サイアスが得意とする、雷を操る”勇者”の呪文。それを連想した老魔道士ジダンの考えはすぐに払拭されていた。

「な…に…あれ…?怖い…」
「…ッ!!何が起こってやがるってんだ!!」

 全てが黒く染め上げられたかの様に、それからは光というものが全く感じられなかった。雷の轟きが耳に入っても、雷雲の中は一様の黒のまま、何の変化も見られない。

「…一体…何が…?…メドラ…」
「レフィル…これは…君の力、なのですかな…?」

 この謎の怪異の威容を呼び寄せたのはこの場にいる誰でもない。彼らは例え様の無い不安を抱えながら、ただ成り行きを見守るしかなかった。


〜魔王バラモスの城 玉座の間〜


「 其の招来が此処に齎すは、絶無の彼方に在りし虚空に轟く遠雷の慟哭 」

 遥か遠くに聞こえる黒雷の猛りが響き渡る中、レフィルは長きに渡る詠唱を続けていた。
『く……!?』
 ここに至るまで、バラモスは闇で滅びを招く旋律を詠う少女を前に、全く動けずにいた。

『させるか…!!』

 押さえつけられる様な、無音の圧力を振り払い、王はその偉容とも言える巨躯を動かし、レフィルへとその腕を振り下ろした。

ビュオオオオオオオオオオオオッ!!

『…!?』
 だが、その瞬間…彼女が手向けた右手から、白く輝く氷が普く烈風が吹き荒れた。
―何だ…これはっ!?
 それは、怪物と化したバラモスを容易く包み込み、瞬く間に氷の内へと閉ざしていた。

ビキッ…!!ビキ…ビキ…ッ!!

―ぬ…抜けぬ…!!何だ…この冷気は…!!
 先程レフィルを空高く打ち据えて叩きのめしただけの、巨躯に宿る膂力を以ってしても、この呪縛の冷気が成す氷塊の檻から逃れる事はできずにいた。亀裂が生じてはいるが、壊れるには至らない。

「 総ての亡びを求めし怨嗟の果てに我は在り 」

 もがき続けるバラモスを前に、非情にもレフィルの紡ぐ、怖れられし言の葉は既に終わりを告げようとしていた…


「ギガ…デイン…!!」


ビシッ…ビシビシビシ…ッ!!!


 その瞬間、今また空間が悲鳴を上げ始めた。それは、天に普く星々の如く、一瞬にして随所で巻き起こり始めた。


「灼き尽くせ……全てを……!!!」


 レフィルから立ち昇る闇が天を衝いたその瞬間、上空に揺蕩う禍々しき黒の雲が爆ぜた。