覇道を征く者 第七話


〜魔王バラモスの城 玉座の間〜

 解き放たれた魔王の力が巻き起こす炎に彩られた空間の中、一振りの名剣の刃が宙を舞い、やがて床へと突き刺さった。

「ば…ばかな…っ!?」

 折られた剣に込められた王の力の残滓も、その刀身に生来宿る神々しい輝きも、闇に呑み込まれたかの様に全てが失われていた。
「貴様は…一体!?」
 自分へ向けて放たれる圧倒的なまでの殺気を前に、心底の恐れを露わに、それでも戦う姿勢を崩さぬまま、王はそう叫んでいた。

「………。」

 そこには、氷の魔剣を手にした勇者の替え玉たる少女が静かに佇んでいた。その体には、彼女の体に流れ込むように、闇を思わせる深い紫のオーラが激しく蠢いている。
「何だ…それは…?何だ、その力は!!」
 人という矮小な器では収まらない程巨大で得体の知れない力が目の前にある。それを与えているものの正体を解せず、王は戸惑いを隠せなかった。
「え…えぇい…っ!!奇怪な!!」
 だが、その強烈な敵意を前に、いつまでも立ち止まっている訳にもいかない。王は気合と共に左の拳を地面を砕くように叩きつけた。

ゴガァアアアアアアアッ!!!

 レフィルの真下より、大地の底からマグマが呼び起こされる。逃れる術もなく彼女は一気にその中へと呑み込まれた。


「…レフィ…ル…!!」

 ホレスはそれを見て助けに入ろうとするも、負わされた深い傷が激痛を以って警鐘を鳴らして彼の動きを制していた。
―くそ…っ!!
 あの灼熱の奔流に人の身でまともに巻き込まれれば、竜の鎧も役に立たず、ひとたまりもないだろう。そして…

「砕けろっ!!」

 それをしのいだとて、王の更なる追撃を前に隙を晒すことになる。

ドガァアアアアアアアンッ!!

 かざされた王の右手に光が宿ると共に、吹き上がる溶岩のすぐ近くで、閃光と共に膨れ上がる大爆発が発生し、全てを吹き飛ばした。

バシンッ!!

「ぐぉ…っ!?」

 だが、その直後、何かが叩きつけられる様な物音が響くと同時に、バラモスの体に猛烈な衝撃がはしった。
―な…なに…っ!?
 それは、先程放ったイオナズンの爆発によるものだった。正面を見やると、先程それをまともに受けたはずの少女が、鈍色に輝くマントの一端を右手で握って翻している姿があった。
―あれで…跳ね返したとでも言うのか!!
 アストロンの力で覆われたマントに身を包む様にして身を固める事で、灼熱のマグマを遮り、その直後に迫った爆発による衝撃は、そのマントで弾く様にして跳ね返す。その様な反撃に転じたレフィルの姿を見て、バラモスはその痛手以上に愕然としていた。

―ありえぬ…!人間如きが…!!

 完全なる防御を約束するアストロンの呪文。だが、その力によってもたらされる魔鋼の重みは人の力で到底御しうるものではなく、必ず自らの動きを犠牲にしなければならないはずだった。しかし、レフィルはマントの表面にその力を極限にまで薄く集約させたためか、何の苦も無く動いている。厚く張れば自らがその重量に押し潰され、逆にあまりに薄く張れば、自らの身を守りきれずに燃え尽きる。まさに、奇跡の領域を狙い澄ました、決定的な反撃であった。

「防げた…。」

 一方、差し迫った魔王の力を、見事なまでに鮮やかに跳ね返したレフィル当人もまた、驚きを抱いていた。だが…

「これなら…勝てる…!!」

 それは恐怖とはならず、一つの確信の様なものへと繋がり、歓びと共にそう力強く呟いていた。同時に、その体をまとう紫の霊気が、昏き闇の如く深みを増し、歓喜の感情に呼応するかの様に徐々に膨れ上がっていた。

「その力は…!!そうか…分かったぞ…!!貴様は…!!」

ゴウッ!!

 その変容に何かを感じて王が言葉を発するよりも早く、レフィルが手にする魔剣から、命を凍えさせる冷辣なる氷の楔が吹雪と共に飛来した。
「かぁああああっ!!」

ドゴォッ!!シュゴォオオオオッ!!!

 同時にバラモスもまた、拳に込めた魔力を地面へと叩きつけてマグマを呼び起こしてそれを迎え撃った。灼熱の溶岩と極冷の楔が互いにぶつかり合う。
「……ッ!!」
 舌打ちしたのは魔王の方だった。吹雪の剣より発せられた凍気は、バラモスの炎の力を上回り、それを貫きつつその身に届かせていた。傷口は瞬時に凍りつき、それによって氷の棘が生まれて更なる痛みを与える。

「何が分かったというの?今何かを知ったところで、何になるというの?」
「…!?」

 苦痛に喘ぐ暇も与えずに、闇を纏った少女が問いかけてくる。…が、その意味は取れても、その意図までを汲み取ることはできなかった。

「結局はわたしを殺したいだけ。それは変わらないんでしょう?」
「…な…何を…」

 何の遠慮も躊躇いもなく吐き出される、凍りつく様な冷たさを宿したレフィルの声。その抑揚こそ静かなものだったが…いや、だからこそ、冷たくなり続ける心の内に宿した昏い闇が余計に感じられる。

「だったらそんな下らない事なんか関係ない。あなたを殺してそれでおしまい。それでいいじゃない。」

 与えられた使命―すなわち魔王バラモスを倒す事。それを果たすためだけに、眼前の敵は存在している。ならば、それを殺してしまえば自分はもう自由である。


「侮るな!!」


 しかし、相手も魔王と恐れられる程の存在。自分を軽視した愚か者に対して怒号を上げると共に、王は右手を地面へとかざした。それに応える様に、そこから炎が吹き上がり始めた。
「そなたが如何なる加護を受けようとも打ち破るまで!!まして…その力、捨て置くわけにはいかぬ!!」
 そして、それらは急速に掌の中へと集い、やがて一振りの剣の形を取った。

「破滅を望む者よ、覚悟するがいい!!」

 王は、具現化した紅蓮の大剣をその手に取りながら、闇の内に佇むレフィルへとその切っ先を突きつけた。
「破滅を望む?そのようにさせたのはだれ?わたしはただ、幸せになりたかっただけなのに…。」
 燃え盛る炎そのものを体現したかの様な刃を突き付けられても特に何の感慨も湧いてこないのか、彼女は表情を崩さない。だが…

「あなたのせいで、わたしはおかしくなった。みんなみんな、魔王を倒せって…そんな事できるわけないじゃない。だって、わたしは父さんとは違う。今だってあなたに殺されそうになっていた。みんなみんな…わたしの気を知らないで…。それとも、あなたのように、わたしが死ぬのを望んでいる?ああ…だからあんなに笑っていられるんだ。」
「……っ!?」

 その言葉に込められた負の感情は更に強くなっていた。あらゆる者達に対する深い怨み、それが彼女の心を闇に閉ざし、標を失わせて暗黒へと堕としていく…。

「でも、それももうおしまい。あなた達の中でわたしが生きていけないのなら、全部なくしちゃえばいいだけの事でしょう?」

 氷の仮面の様に冷たい表情の中にある、紫の瞳から、明確な殺気が読み取れる。まさに、全ての根絶を望む様な、器に収まらぬ憎しみとも言えるだろうか。
「”破滅を望む者”?そうさせたのはわたし自身なんかじゃないわ。全てはあなた達みんなのせいよ。だから…何もかも許さない…」
 憎悪と絶望と共に広がる闇の中でそう告げながら、レフィルは手のひらを正面へと向けていた。

「ライ…デイン…!!」

 そして、伝説に選ばれた者が用いたとされる、雷撃の呪文を唱えていた。同時に、彼女を覆う闇が、炎の如く内側から更に膨れ上がっていた。

バチンッ!!ビシ…ビシビシ…ッ!!

「ぬ…ぐ……っ!?こ…これは…ぁっ!!?」
 レフィルが呼び寄せた力によって、周りの空間が音を立てながら徐々に崩れていくのを感じる中、不意にその体に一筋の鋭い激痛がはしった。
「……っ!?が……!!」
 次の瞬間、王の視界は、黒の閃光によって一様の闇へと染め上げられていた。



「…あれは…!?」

 ホレスはその黒き情景を前にその目を見張り、その偉容がもたらす災禍を目の当たりにしていた。
―何が…起こっている…!?
 普段とはその容を大きく逸する少女の呪文の力。それは、世界を御する理を打ち砕き、瓦解させたその狭間より黒い稲光を呼び寄せ、地の果てより天を射ち貫いていた。

「ぐ…ぉおおおおおお…っ!!」

バチ…バチッ!!…バチッ!!

「!」
 その中心から、王の苦痛にうめく声が耳に届く。黒雷が天を衝き虚空の果てに消え去って尚も、その黒き残滓が彼の身を幾度と無く突き刺して更なる傷を与えている。
「…魔王が…抑え込まれている…?」
 三人でどれだけ戦っても、結局は力の差を見せ付けられた挙句、完全な敗北を喫した相手が、今は呪文一つによってその動きを止めていた。致命傷には程遠くとも、守りを怠れば大きな傷を負う、その様な一撃。
―…強すぎる…!
 それは、レフィルの力が急速に高まり、バラモスへと迫り始めている事と、ホレスはすぐに理解した。その上昇は留まるところを知らず、それに伴い、彼女を覆う闇は、空間を貪るが如く膨らみ続けていた。
―…この力があれば…或いはバラモスも…。だが…これがお前がずっと抱いてきたものなのか…!?
 底知れぬまでの力を与え続けるその影にあるもの、長きにわたる苦しみによって生み出されたレフィルの中にある大きな歪み。その言葉より垣間見せられる心の叫びを受け、ホレスはただただ愕然としていた。
―だめだ…!それだけは…お前まで…!!
 歓喜の刻を求め、願い続けてようやく手に入れたこの力を以って、過去の清算に臨まんとし、戻れぬ道へと足を踏み入れようとするレフィルに、今は何者もその声を届かせる事はできなかった。


「…ぐ…!!やはり…貴様は…!!」


 纏わりつく黒雷を、気合と共に炎の剣で振り払い、王は闇の中で佇むレフィルへと構えた。
「そなたは一体何をしたのか…わかっておるのか…!?」
 そう叫びつつ、王は空いた手の平より炎を呼び起こし、彼女へ向けて放った。

「何をした?そんなことを知ってどうするというの?知ったところであなたにはどうする事もできないでしょう?」

 人の身では耐えるどころか、骨も残さずに燃え尽きてしまう程の灼熱の業火を前にしても全く動じずに、レフィルはまっすぐに魔王を見据えながらそう告げていた。
「もう、あなたなんかに惑わされない。わたしはわたしのやるべき事をなすだけだから。」
 そして、吹雪の剣より呼び起こした力を前方へと集めて氷の盾を築き、その攻撃を完全に遮断していた。

「こやつ…!!」

 その間にも、その足は確実に前へと進んでいる。速さこそ全く感じられない代わりに、その足が一つ踏みしめられると共に、確かな圧力をバラモスへと与えていた。
「愚かな…、己が闇に呑まれているに過ぎないと、何故分からぬ…!」
 突如として招かれた尋常ならざる闇の力を受けたレフィル。それは、先程までとは大きく異なる存在とも言えるものだった。内なる心の闇が完全に表層へと現れたその上で、更なる闇へと染め上げられる事によって、レフィル自身の心がその中へと溶け込もうとしている。

「その闇を広げたのは…誰?」
「!!」

 不意に、身を凍りつかせる様な冷たい視線と共に、静かな怒りさえ感じさせる抑揚なき一言が、王へと投げかけられた。

「イオラ」

ドガァアンッ!!

 次いで唐突に、イオラの呪文による爆発が王を呑み込んだ。
「ぐ…ぬ…!!」
 備える暇も無く突然に襲来した脅威。仮初の人の姿とは言え、魔の者の生命を脅かすには程遠くとも、磨きぬかれた鏡の如く精細な狙いと、光の如く目にも留まらぬ速さで放たれた一撃からは、逃れる術が無かった。一介の魔物であれば、これだけで命を落としていただろう。

ギィンッ!!

「…くっ!?」
 体勢を立て直そうとする王に向けて、レフィルは間髪入れずに手にした魔剣で斬りつけていた。満足に斬り結ぶ事ができずに、バラモスはたまらずに後退していた。
 
「逃がさない。」

 一気に間合いの外へと逃れた魔王に向けてそう告げながら、彼女は吹雪の剣を天にかざした。同時に、凍てつく冷気が蒼い刀身より迸り、空高く吹き上がる。

ズンッ!!

 続けて、魔剣が地面に勢い良く衝き立てられる。全てを貪る闇の力を受けて、秘められた力を増幅させ、大地を凍りつかせ、凍てつく銀嶺が魔王へと迫った。

「我が力を象りし炎帝の剣よ、今一度その姿を現せ!!」

 だが、バラモスはそれらを前にしても臆する事無く、命ずるようにそう叫びながら、手にした真紅の剣を掲げた。

ゴゥッ!!

 同時に、極寒の冷気を纏った鋭剣の如き氷塊が、彼の周囲四方八方から隙間無く殺到した。

「ここに目覚めよ!!獄炎の剣…”灼熱剣・閻魔”よ!!」

 バラモスの言葉に応える様に、振りかざされた炎の剣から吹き上がった猛火が、その真紅の刀身と溶け合い、更なる烈火となって燃え盛り始めた。

シュゴォオオオオオオオオオオオオオッ!!!

 それは、主へと牙を剥く氷の刃を次々と飲み込み、一瞬にして虚空へと帰した。

「ぬぅううううんっ!!」

 獄炎の剣が翻すようにして振るわれると共に、炎を纏った刀身が、自ら獲物を求めるかの様に伸び始め、迫り来る氷の群れをことごとく断じながら、レフィルへとその切っ先を届かせていた。

ガッ!!

「…っ!!」
 炎の一閃は、レフィルのドラゴンメイルを斬り裂き、その下にある彼女の体をも焦がした。激痛のあまり、レフィルは一瞬表情を苦悶に歪める。
「熱い…痛い……!」
 純然たる痛みを感じているのか、彼女を覆う闇がそれを表すが如く小さくなっていくのが見える。

「許…さない…!」

 だが、程なくして、命を脅かされた事による本能的な怒気と共に、闇は再び膨れ上がった。

「…ぬ…!あの程度か…!」

 再び炎に包まれた神剣を振るいながら、バラモスはレフィルに畏怖を覚えていた。
―簡単には…終わらぬのか…?
 ”閻魔”の刃は、確実にレフィルを捉えていた。燃え盛る炎の獰猛な印象とは裏腹の鋭い刃と、その名に違わぬ煉獄の魔炎に触れてしまえば、人の子一人葬り去る事など、造作も無いはずだった。だが、彼女は手傷を負いながらも生きている。人ならざる力が彼女へと与えられ、紫のオーラが炎の威力を減殺した。そう捉えて差し支えない。
 
「ならば、死するまで斬り刻むだけの事!!」

 確かに、レフィルに何らかの変化が生じた事で、人の器に留まらぬ程の存在と化したのは目に見えて明らかであった。それでも、未だ生ある者の範疇を出ず、傷つけばいずれは死ぬ程度の儚い存在でしかない。
「おおおおおっ!!」
 地の底より呼び起こした地獄の炎をレフィルへと叩きつけ、同時に閻魔の刃を振るい、炎の蛇の如き刀身で、その身に纏う闇諸共レフィルを斬り裂いた。

「………こんなところで死ねない…。わたしには…まだ…」

 だが、それもやはり深い傷とはならず、決定打とはなりえなかった。今の手傷によって起こる情動の変化に呼応する様に、手にした魔剣から凍てつく冷気が噴き出し始める。

「イオラ」

 それに手を添えながら、レフィルは呪文を唱えた。その集約させる力により、吹雪の剣を纏う凍気は一気にその中心へと集い、やがて水晶の如き輝きを持つ、一振りの大剣の形へと集約していた。

「やっと全部を終わらせられる。わたしを縛るものはもう…何もない!」

 叫ぶと同時に、霧氷を纏った大樹の如き氷の巨剣が振り下ろされた。その刀身から剥がれ落ちる様に、幾つもの氷の昌石がバラモスへと飛来する。
「これは…!!」
 バラモスはすぐにそれが秘める危険性を感じ取り、閻魔の刃を一閃し、身を翻して降り注ぐ雹郡をかわした。

パキッ…!パキンッ!!

「!?」
 程なくして、氷昌が落ちた所が一瞬にして凍りつき、氷が砕ける音が周囲から絶え間なく聞こえてきた。

ズンッ!!

「…ぐ…ぉ…っ!?」
 そして自らは、そこから伸びる無数の氷の鋭剣に突き刺されていた。
「おのれ…!」
 手にした炎の神剣と、大地からの炎がバラモスの身を守ったのか、貫かれる事はどうにか免れた。

ガシャアアアアアアンッ!!

 バラモスの振るう閻魔の刃が、その身を縛る氷の刃を残さずに砕き、その破片を撒き散らした。

「ライデイン…」
「!」

バチィッ!!

 だが、次の瞬間、閃光の如き黒雷が、魔王の体を痛烈に打った。
「…ッ!ぐ…ぉおおおおおおっ!!」
 度重なる、鋭く刺し貫く様な痛み。体よりもその心―魂をも打ち壊す様なその重苦に、王はたまらずに叫んでいた。

ゴッ!!

「…ぬぅ…!!」

シュゴオオオオオオオオッ!!

 黒き稲妻を退けたバラモスに休む間を刹那も与えずに、レフィルの構えた氷剣の切っ先から、一陣の白く輝く風が飛んでいた。すぐに閻魔の刃を構えて、その獄炎の熱気で相殺していた。
「こやつ…!!」

 ただ二人の仲間と共に魔境を切り抜け、この魔王の下まで至った少女。その彼らが倒れた後も、呪われた宿命を断ち切るべく、望まぬ道を行くその志から来る力と執念を見せつけ、多くの驚愕を与えてきた。
―…今も…また…!
 そして、その”勇者”であるための全てを棄てて、更なる闇の力を得て自分を追い詰めるまでに至っている。或いは魔王に匹敵する程の存在となったとも言えるだろうか。破滅を招く闇の使徒と化した、紫の霊光を纏うレフィルに、バラモスは知れず知れずの内に戦慄していた。