覇道を征く者 第六話

〜魔王バラモスの城 玉座の間〜

「まだあがくかっ!!」

 炎に包まれる魔城の王の領域で、レフィルは王と剣を幾度となく交え続けていた。その技量は、魔を統べる王に全く退けを取らないものだった。
「っ!!」
「もろいわっ!!」
 しかし、絶対的な力の差は覆せるものではなく、戦いが長引くにつれて、彼女の体は限界へと一歩ずつ確実に近づいていた。

ガキンッ!!

 今もまた、王の剣がレフィルの守りを打ち破り、竜の鎧を砕いてその体を傷つけていた。
「ベホマ」
 それに対し、すぐに回復呪文を唱えて深く刻まれた致命傷を癒した。だが…
―勝てない…!
 何度剣を振るおうとも、自分の剣が魔王を死へと近づける事はなかった。逆に自分は幾度となく魔王の剣を受けて斬り裂かれている。
―このままじゃ…
 その傷こそ呪文の癒しによってすぐに拭い去られていたが、それももう長くはもたない。

―…苦しい…

 そして何より、これまで与えられた痛みと、死への恐怖は消える事なくその心身へと焼き付いていた。剣を交え、斬り裂かれ死に瀕して、自ら癒してそれを逃れ、また傷つけられる。その輪廻の如き繰り返しの中で、いつ彼女の心が砕け散ってもおかしくはなかった。


―あなたが…奪った…。あなたがわたしの…全てを奪った!!!
―あなたさえいなければ…こんな事にはならなかったのに!!!


「……許さない…!」

 そんな彼女を支えていたのは、純然たる魔王への怒りと憎しみだけであった。

―力が…力が欲しい……!!

 生命が消え逝こうとする中で、レフィルの渇望はますます強くなりつつあった。



「…く……!」

―もう…時間がないんだ…!!
 守りたい者が近くで戦っている音を耳にしながら、ホレスは必死に身を起こそうとしていた。持ちこたえられる時間ももう長くはない。先程から思考を覆い尽くしている大きな焦りは膨らむばかりであった。
「え…ええい…っ!!」
 ここに来て、手段も選んでいられない。彼はひび割れた骨董の如く危うく、動かぬ体を無理に動かして立ち上がろうとした。

ビキッ…!

「……ッ…!…ぐ…あ…ぁあ…っ!!」

 そのとき、剣によって斬られ、爆発によって打ちのめされた末に壊れた体が悲鳴を上げ、ホレスは全身を引き裂かれる様な激痛に襲われた。
「…こ…こんなもので…!!」
 だが、彼はそれに耐えて、再び倒れそうになる体を手にした変化の杖を支えに無理矢理持ち上げた。

―これが…オレに与えられた力だと言うのなら…!!

「今…行くぞ…!レフィル…!」
 先程まで全く動けぬはずの体を再び動かし、魔王に抗うだけの気力を蘇らせたのは、彼方からの声を聞いたあの闇の中であった事と何か関係があるのか。それを一瞥するかの様に思い返した後、ホレスはよろめく体を崩れた王の間へと一歩踏み出させていた。
 
「……ん?」

 ふと、近くに何か違和感を感じて彼は立ち止まっていた。
―冷たい…?
 魔王が起こした大地の崩壊によって招かれた炎が普く中で、ホレスは氷の如き冷たさをその身に感じていた。その感覚を辿ってそちらを見やると…
 
―これは…吹雪の剣…!

 そこには、主のもとを離れた蒼い三叉の刀身を持つ氷の魔剣が突き刺さっていた。王剣からレフィルを守って弾かれたにも関わらず、その刃は一片も欠ける事なく佇んでいた。



「………。」

 同じ頃、ムーは仰向けに倒れたまま、全く動く気配を見せなかった。
―魔力…切れ……、力も…入らない……
 先に唱えたパルプンテの呪文の負荷は、傷を負った彼女にはあまりに大きなものであった。
 
「もう…何もできない……」

 流れる涙も既に枯れている。その目に映る大切な友も傷つき、今にも命を奪われようとしている。そして自分はもはや力を使い果たし、何を以ってしても助けに入る事もできない。
 
―其を望まば、己が内の深淵に問い掛けよ。

「……!」

 そのとき、不意に脳裏に声なき言葉が響き渡ったのを受けて、ムーは思わず息を呑んでいた。
―これは…?
 記憶にすらない、それでいてどこかで聞いた様な静寂の囁き。それが意味するは分からず、声すら聞こえないそんな無音の啓示。
 
―何が来てもいい…。だから、私達を助けて…!
 
「………。」
 だが、その存在に対して念じる事で得られるものを強く望んだ事を、心のどこかで憶えている。その様な気がしてならなかった。
 
 
 
―今のは…?

 ホレスもまた、例え様のない感覚が蘇る様に意識の表層に出て、それに対して違和感を覚えていた。

「…違う!ここの誰でもない…!」

 耳を澄ましても、魔王の鬨の声と、レフィルの呪文の詠唱しか聞こえてこない。

―オレ達に…もう他に道はない…!!

「まさか…さっきの…?」
 記憶にすら遺されぬ薄い感覚、それは現とも虚ともとれぬ領域に足を踏み入れた事の証明にすらならない。だが…
 
―呼べば来る…そういう事か…?

―呼べば…来る…?
 それだけは、何故かはっきりと憶えていた。そして…
―ムー…。これは…お前が……?
 誰がこの感覚を呼び起こしたのかも、薄々感じ取る事ができるような気がした。

「だったら…お前の想い、無駄にするわけにはいかない…!!」

 最後の力を振り絞って自分達へと好機を託した友人のために、今自分が戦わなくてどうするのか。
 
「道はここに示す…!!だから…オレ達に…レフィルに…力を…!!」

 ホレスはそう叫びつつ、身の支えにしてきた変化の杖を左手にとって掲げ、意識を集中し始めた。



「ベホマ」

 これで何度目か、レフィルは回復呪文の癒しを受けて、再び死の淵から立ち上がっていた。
「ぬぅ…!こやつ…!!」
 死を拒むかの様に、彼女が幾度となく抗い続ける姿を見て、バラモスはここにきて苛立ちを覚えていた。

―何故…こうまでして苦痛を選ぶ…!?

 レフィルの剣もバラモスに幾度か届いて傷を負わせていたが、バラモスもまた少女の命を数え切れぬ程奪い続けているはずだった。それを証拠に、一度死に瀕するたびに唱えられる最高位の回復呪文で体内に秘めた生命力を引き出し続けた果てに、レフィルは目に見えて衰弱し、その動きを鈍らせているのが見えた。
―こやつ…!!
 だが、その様な中で、彼女は未だ死してはいなかった。何度体を裂かれようとも、それによって死を迎えないように動き回り、レフィルはただ一人、魔の王と対峙し続けていた。このまま戦い続ければ間違いなく自分が勝つ。にもかかわらず、生に妄執するが如き彼女の姿に、バラモスは畏怖の念を抱いた。
 
―哀れな……

 同時に、人類の希望としてあり続けながら”勇者”としての道を生きてきた少女に、心底の憐憫の感情を覚えていた。
 
「ならば受けるがいい!!これがそなたに捧げる、我がせめてもの慈悲よ!!」

 そして、そう告げると共に、魔王は己が全ての力を剣へと捧げていた。
 
ゴォオオオオオオオオオオオッ!!!

 刀身から、彼の力の形であるかの様な燃え盛る炎が噴き出し始めた。
 
「浄罪の炎のもとに、逝けいっ!!」

 炎を纏った王者の剣が天高く掲げられ、振り下ろされる。同時に込められた力の奔流が、滅光と共にレフィルへと殺到する。
「ベギラマ」
 彼女もまた、自らの力を剣へと込め、それを迎え撃った。構えられた剣から発せられる閃熱が、王の力を吹き払っていく。

「かぁああああああああっ!!!」

 だが、それで終わりではない。今度は魔王自ら王者の剣を手に、レフィル目掛けて猛進していた。
「……!」
 大きく振りかぶられた、至高の力をその刀身に宿した聖剣。それがひとたび振り下ろされれば、竜の鎧など用をなさず、この体も一瞬のうちに光の中へと消えてしまう事だろう。
 
「さらばだ!!替え玉よ!!」

 次の瞬間、レフィルの視界は滅びの光によって白く染め上げられた。


―自分が自分でなくなるのが怖い?


 圧倒的な力を前に押し潰されそうになる中で、レフィルは内なる声の囁きに耳を傾けていた。
 
―わたしは怖くなんかない。だってわたしは…全てを失ってるもの。
―それはあなただって同じ事。今更何をためらっているの?
―自分を取り戻す。そのためなら今の偽者の自分なんて…捨ててみせる。

 一つの回想をきっかけに、次々と巻き起こる思念の数々…
 
―やめてっ!!

 それらが望むもののもたらす破滅の気配に耐えられず、その一つが悲鳴を上げていた。
 
―やめて?そうして自分を破滅に追いやったのは、あなた自身じゃない。
―…!?

 しかし、それも残酷な現実によって沈黙させられていた。

―だから全部を捨てる。これ以上、わたしの心を誰の自由にもさせない。みんな…みんな……!!

 これまでにずっと、そして今もまた与えられている数々の絶望によって、急速に昏い闇が広がり、その心を黒く染め上げ、憎悪の炎が内に灯った。




 見えた……




「…?!」

 そのとき、突如として…不気味なまでの深みのある”声”がレフィルの脳裏に響いた。
―……?
 再び呼び起こされた不思議な空間、その内に彼女の心は飛ばされていた。そこに、大地に穿たれた巨大な大穴が見える。その周りを囲うように、三対六つの燭台が安置されている。それは、神聖な盟約を執り行う祭壇の如く崇高で、何より異質な空間であった。


 汝らが標、我が目に届いたり


 その闇の底から、再びあの声が聞こえてくる。それと共に、穴の周りに置かれた燭台に火が灯り始めた。奔放なる真紅、誠実なる翠、そして…

―あれは…わたしの……?

 レフィル自身の心を表すような、深淵なる紫の炎が六芒星の頂点の位置でそれぞれ灯っていた。


 そして、そなたが嘆き、しかと聞き届けた


 その三色の炎に導かれるように、何か大きなものが闇の中から急速に近づいてくるのが感じられる…。やがて…

―これは…?

 目の前に、闇に包まれた一振りの剣が現れた。水晶の様に透き通った刀身を、闇の如く深い紫の結晶が蝕む様に彩っている。
―すごい…なんだろう、これは…。
 儚く、脆そうな外見をよそに、レフィルはその剣から、深淵の闇の如く底知れぬ力を感じていた。
―逸理の約か…。これがあれば…本当に……
 それは、彼女が心のどこかでずっと望んでいたものをもたらしてくれる力であった。自分を壊した者達へとその刃を向け、死を与えるこの時を、ずっと待っていた。


 それに手を出してはだめっ!!


 剣へと手を伸ばそうとしたそのとき、闇からのものとは違う声の主がそう叫んでいた。

―何を言っているの?これを手放したら、わたしはずっと変われない。もう、あなたなんかに惑わされないから。

 しかし、その存在がレフィルの手を止める事はなかった。彼女は闇の中へと手を伸ばし、氷の如き刀身をもつ魔剣を手に取っていた。
―そう、もう迷わない…。わたしの道は…誰にも…!!
 ずっと押さえつけられていた想いと共に、レフィルはその剣を天へと掲げた。すると、それは徐々にその姿を薄れさせ、最後には光を湛えた黒水晶の形となり、彼女の胸の内へと消えていった。




「………ぬ…っ!?」

 バラモスは眼前の光景を疑い、思わず目を剥いていた。
―莫迦な…!?何故…!!
 相手が人の身であれば、その存在すら消し去ってしまう程の一撃必殺の奥義。それは、少女の携えた最強の剛剣によって、正面から受け止められていた。そして、今もなお魔王に牙を剥かんと、王者の剣の刃を押している。

「……。」

 レフィルの表情は、王剣より放たれる滅光の影に隠れて窺い知る事ができない。だが、彼女は声一つ上げない静寂の中で、バラモスをも上回る力をその華奢な体より醸し出していた。
「…ぐぉ…っ!?」
 不意に、力の拮抗が崩され、バラモスは剣ごと弾かれて後ろへと吹き飛ばされていた。そこに、剛剣による突きがその喉元目掛けて放たれる。
「…おのれ…っ!!」
 応じる事すら叶わず、魔王は身をよじってその攻撃をかわした。
「まだ抗うか…!!ならば…!!」
 剣を繰り出したレフィルと身をかわしたバラモスの双方が互いに隙を作りながら交錯する。そして、再び振り返ると同時に剣が交えられる。

「ワシに向けられるその牙、打ち砕いてくれる!!」
「…!!」

 次の瞬間、王者の剣に一瞬の滅光が宿り…
 
バキッ!!

 その刃は、込められた大いなる力を以って、レフィルが手にしていた最強の剛剣―バスタードソードを叩き折り、粉々に打ち砕いていた。
「ここまでだ!!」
 刃の破片が嫌な音を立てながら地に落ち行く中、バラモスは炎の煌きを宿した聖剣を構えて突進してきた。武器を失った今、レフィルにこの一撃に抗う術は残されていない。


「レフィル!!」


 だが、同時に彼女に呼びかける声が届くとともに、蒼い三叉の剣が空高く投げ上げられ、それはそのままレフィルの手に収まった。その先には、左手に銀色の杖を携えたホレスの姿があった。
「無駄なあがきを…!!だが、終わりだっ!!」
 無粋な真似をしたホレスに苛立ちを覚えるのも束の間、再び吹雪の剣を手にしたレフィルに向けて、バラモスは必滅の気迫を込めた王者の剣の一撃を放った。

―終わらせない…。

 レフィルの左手に握られる吹雪の剣から迸る触れた者全てを凍てつかせる極寒の冷気が、白銀に輝く小さな氷の群れに彩られていく…。
「あなたなんかに、わたしの道を終わらせはしない…」
 そして、そう告げると共に、レフィルは王を迎え撃つように、その魔剣の切っ先を静かに王へと構えた。

―邪魔するというのなら…全部壊してしまうだけ…

 滅びの光と共に迫り来る魔王が振り下ろさんとする聖剣。それを見やるレフィルの紫の瞳には、邪悪な魔力さえ宿ると思わせる程の研ぎ澄まされた刃の如き殺気が映し出されている。それに呼応するように凍気を増していく左手の吹雪の剣を己が心に導かれるままに一閃する…
 
「アストロン」

 それと同時に、レフィルはそう唱えていた。如何なる攻撃も跳ね返す絶対防御の力が、呪文と共に呼び起こされる。だが…それが守った者は、レフィルではなかった。振るわれた魔剣の刃が切っ先から鈍色の鋼に覆われて、極限にまで鋭利に成されて行く。そして…


キンッ!!


 次の瞬間、その全てを斬り裂く魔鋼の刃は、王者の剣を半ばから断ち斬っていた。

「な…なに……っ!?」

 王の驚愕の声が響き渡った直後、折られた剣の光り輝く刃が空高く弾き飛ばされていた。
 
「………。」

 目の前には、大気を凍てつかせる極冷の凍気と共に、昏き闇を纏った少女の姿があった。