覇道を征く者 第五話
~魔王バラモスの城 玉座の間~
「なるほど…とんだ茶番を演じてきたと言うことか。」
床は崩れ、柱は砕かれ、絨毯は燃え盛り…優美な造りであった元の姿は見る影もない。その中心で魔王は、自分を討ちに来た少女と剣を交えていた。
「………ッ!!」
心を閉ざした中で渦巻く悪しき心。それがレフィルへと力を与え、バラモスと斬り結び続けるに至っていた。
「まさに弱者どもの下らぬ幻想に翻弄されし哀れな英雄の替え玉ではないか。全く…これ以上の笑い話がどこにあると言うのだ。」
蒙昧なる人間が抱く儚き理想が求める運命に縛られ、その道を歩まされ続ける― 一度踏み出してしまえばその定めから逃れる事も、死を以って楽になる事も許されない過酷な道…だが、その先にあったのは絶望だけだった。
「だが、残念ながらここにそなたの救いの道はない。せめて死して我が救いを受け入れるが良い!!」
負の感情をその身の内にずっと溜め込みながら、希望の重苦にもがき苦しみ、ついには悲鳴を上げて壊れ始めた少女に向けてそう告げながら、バラモスは体勢を崩すために力任せに弾き飛ばしつつ、距離が開いたところで再び彼女を斬りつけていた。
「そんな救いなんか…いらない…!」
「…!?」
ギィンッ!!
しかし、レフィルは力で圧倒されながらも致命的な隙を晒すことなく、逆にバラモスの虚を突いて斬りかかっていた。それが結果として、再び鍔迫り合いへと持ち込まれる結果となっていた。その最中で告げられた拒絶の言葉に込められた感情に、王は無意識の内に目を細めていた。
「わたしの救いは…あなたが消えてなくなる事だけ。だから、あなたが生きている限り…わたしは絶対に許さない…!!」
「…なにぃ……っ!?」
機先を制してバラモスの力を押さえ込みながら、レフィルは身も凍らせるまでの殺気と共に前へと足を踏み出していた。
「あなたが人間に与えた恐怖が、父さんの様な人を生み出した。そして、父さんが死に追いやられた次はわたし。あなたの存在そのものが、わたしの全てを狂わせたのよ。」
少女に似つかぬ程の力と巧みに剣を操る技もさる事ながら、凍りついた表情から伝わる憎しみ―敵の全てを憎み続けるその怨恨は、もはや例えようのない程圧倒的なものだった。
「はぁあっ!!」
しかし、それがもたらす力を以ってしても、魔物の王と人間との決定的な力の差を埋めるには至らなかった。競り勝ったバラモスの剣が、竜鱗の鎧ごとレフィルの体へと斬り裂いていた。
「………。」
「……!?」
だが、レフィルの剣もまたバラモスの頬へと至り、そこから一筋の赤い血の線を残していた。
―やるではないか…。
更に深く踏み込んでいれば、刺し違える結果となっていたかもしれない。間合いに入ったものを全て断ずるまでのレフィルの剣技の程を見定め、バラモスは思わず感心していた。
―なれば…
王は少女が再び斬り込んでくるのを見据えて後ろに大きく跳躍した。果たして彼女が距離を詰めてくると、それと同時にその手のひらを向ける。
「!」
レフィルは上方で魔王の手の内で閃く光を見て、その意をすぐに察してその動きを止めていた。
ドガァアアアアアンッ!!!
呪文によって喚起された大爆発をかわす暇すらなく、彼女は一瞬でその暴風の内へと巻き込まれた。
「…防ぎおったか!」
だが、直前で唱えられたアストロンの呪文によって、レフィルはそれを耐えしのぎ…
「イオラ」
続けて、現状で彼女が扱える最強の呪文をバラモスへ向けて放った。先程のそれよりも遥かに小さくも、狙い澄まされた上級呪文の一撃がバラモスを打ち据える。
「ぐっ!?」
思わず王がそれに怯んで地に足をつけるのを待たずに、レフィルは剛剣を大きく縦に振り下ろす。切っ先がバラモスを掠め、微かな手応えを彼女へと伝える。
「侮るな!!」
しかし、その直後、バラモスは剣を地面に勢いよく突き刺し、己が力を刀身へと伝えた。
ドゴォオオオオッ!!!
同時に、レフィルの足元から地面が崩れ始め、その瓦礫と共に大地の底より呼び起こされた業火が噴き上がった。灼熱の熱気が鎧を通じて身を灼き、湧き上がる炎の嵐の勢いと、砕けた大地の巨大な欠片の激突に抗う事ができず、彼女は空高く吹き飛ばされた。
「逃さん!!」
それを好機と、バラモスは手のひらを上空へとかざして呪文を発動させていた。火炎の最上級の呪文が、墜ち行く太陽の如き火球をレフィルの頭上から叩き込む。
「ベギラマ」
それに対し、彼女は手にした剣へと意識を集中し、呪文の力を刀身へと伝える。閃熱の呪文の力が、バスタードソードの一振りを覆うように集約し、眩い光がその刃を彩り始める…
ブワァアアアアアッ!!!
滅光を宿した剣が大火球へと振り下ろされると同時に、刀身から吹き出る奔流が切断面を押し広げ、レフィルの前へと道を開いた。
「…なんと…!?」
自ら放った呪文が、よもやあの様な攻撃で防がれたのを見て、バラモスは目を見開いていた。
「…………。」
だが、レフィルが負ったダメージも大きかった。ドラゴンメイルとフバーハが炎の余波を抑えたとはいえ、最上級呪文を前に無傷では済まず、大地の怒りの如き一撃も重なって、確実に傷を深めていた。
「ベホマ」
そのとき、彼女はすぐさま回復呪文を唱えて自らに施した。体の底から湧き上がる力が全身へと伝わり、瀕死にまで追い込まれた体を完全に治していた。
―手加減したつもりはないのだがな。
本来ならば、メラゾーマを放ったあの時点で勝負は決していた。深手などと生易しい事を言わず、跡形もなく葬り去るはずが、彼女は再起するだけの余力を残して立ち上がってくる。
「だが、幾度来ようと結果は変わらぬ!!」
根本的な形勢が変わったわけではない。再びレフィルの真下から爆炎が噴き上がり、彼女を飲み込んだ。
「………。」
しかし、その衝撃を受ける直前でアストロンの呪文を唱えたのか、彼女は吹き飛ばされる事なく悠然とその場に佇んでいた。魔鋼に覆われた表層が徐々に色彩を戻し始め、その中でレフィルは無言でバラモスを見据えた。
「守ってばかりではワシは倒せぬぞ!!」
王の一喝に応える様に、炎の大地は次々とレフィルへと襲い掛かった。迫り来る溶岩流、灼熱の炎、降り注ぐ岩石が主に仇なす者へと向けて次々に殺到する。
「こんな…もので…!!」
大地そのものが敵に回ったかの様な、逃げ場なき紅蓮の障害。レフィルはそれらに向けて、光を宿したバスタードソードを構える…
ゴゥッ!!
それが前に突き出されると共に、溶岩の津波が大きく穿たれ、活路が開かれる。そのまま彼女は煉獄の炎の中を一気に駆け抜けた。そして…
ギィンッ!!
その刃を魔王へと振るっていた。
「ぬぅんっ!!」
だが、王はそれを打ち払いつつ、レフィルへと自らの剣で斬り返した。刃は竜の鎧を斬り裂き、レフィルの体を深く傷つけていた。
「その程度か!」
炎の中をかいくぐった際のダメージが大きかったのか、レフィルの剣はバラモスへと届かなかった。更なる深手を負って思わず地面に膝を屈した彼女へとそう叫びながら、王の剣が再び振り下ろされる。
「ベホマ」
「ぬ…!」
だが、それに対してレフィルはまた回復呪文を唱えて傷を癒しながら、同時にバラモスの剣へと応じた。
「甘いわっ!!」
しかし、十分に対応する事ができずに押さえ込まれ、後ろへと突き飛ばされた。そこを魔王が再び間合いを詰めて、レフィルへと斬りかかる。
ザッ!!
「…!」
そのとき、レフィルもまたすぐに体勢を立て直し、バスタードソードを手にバラモスへと突進した。窮地を好機へと転じ、最高の一撃が魔王へと一閃する。
ズンッ!!
両者の剣が振り下ろされて互いにすれ違う。
「…ぐぉ……!!」
バスタードソードによってその身を深く斬り刻まれ、バラモスは表情を苦悶に歪め、その場に膝を屈した。
「…あ……が……は…っ…」
一方、レフィルもまた、肩から斜めに斬り裂かれ、そこから大量の血を撒き散らしていた。
―そ…そん…な……っ…!
唐突に訪れようとする死の瞬間…次第に失われていく意識の中で、レフィルは愕然と自らの血を目にしていた…
―痛い…苦しい……やだ……!!
消え逝こうとする感覚が鳴らす警鐘…それが彼女の心を追い詰めていく…
―死にたく…ない……!!
「ベ…ホ…マ……!!」
致命傷を負い、混乱する感覚の中、ただ一つの切なる願いがレフィルを動かす。口の血の味の広がり、死への恐怖の如く幾度も痙攣を繰り返す中で、癒しの呪文が紡がれ、死に逝く体を引き戻していた。
「…何だと!?」
確実に仕留めたはずの相手が、再び立ち上がるのを見て、バラモスは驚愕のあまりそう叫んでいた。
ガッ!!
「…こ…こやつ…っ!!」
次の瞬間に振り下ろされたバスタードソードの一閃は、確かな力を以ってバラモスを圧倒していた。
―なんという生への執念…
黄泉へと引きずり込まれようとする中で生の機を逃さず、必死に這い上がった少女の剣の重みを受けながら、王は彼女の支えるもの強さを計り知れずにいた。
「だが、それでワシを…魔王バラモスを倒せるかっ!!」
だが、すぐさま合わせられた剣を強引に打ち払い、再度レフィルを追い込んだ。
ギィンッ!!
しかし、彼女はそれに応じて切り結び、距離が開いたところで再び剣を振るった。
「……。」
そうして幾度となく交えられる王者の剣とバスタードソードが成す応酬の中で、レフィルは氷の様に冷たい表情を保っていた。
―力が…足りない…
だが、それとは裏腹に、胸中ではかつてない程に強い渇望が湧き上がり始めていた。
―わたしに…もっと力があれば…全部……!!
自分の無力のために、幾度となく憂き目を見てきたばかりか、大切なものも、自分自身も守れなかった。今もまた、傷つきながら戦い、死の淵へと立たされている。
―力が……欲しい……!!
「レ…フィル…!く…く…そ……!!」
激しい剣戟の音が、薄れゆく意識と共に遠ざかっていくのを感じながら、彼は心底の悔恨と共に苦悶にうめいていた。
―こんな時に限って…何で…動けないんだ……!!
追い詰められたレフィルを救うべく、その身を盾として王者の剣を受け、爆発の最上級の呪文を受けながらも、ホレスは奇跡的に生を留めていた。だが、仮面の守りを打ち破られた時に負った傷は深く、今…彼は指一本動かす事すらも叶わぬ程弱りきっていた。
―オレも…所詮は人間でしかない…って事か…!くそ…!
不死身やら悪魔やら、色々と言われてきた自分も、いざという時はまさに、非力な”人間”でしかない。
―あのままじゃ…まずいってのに…!!
死に至る程の傷を幾度も呪文で治しながらバラモスと戦っているレフィルの姿を見て、ホレスはこの上ない焦りを覚えていた。今でこそ伯仲した戦いであると見受けられるが、このまま長引けば、彼女の生を繋ぎとめている魔力も尽き、確実に命を落とす事になるのは目に見えている。そして、今は彼女以外に動ける者は誰もいない。
―…何でもいい…!!レフィルを助けられるのなら…!!
それでも、ホレスは絶望に身を任せて諦める事など選びたくなかった。
「力を…寄越せ!!そのためなら…何だってくれてやる…!!」
自らの無力と友の危機に対する行き場のない怒りと共に変化の杖を握る力を強めながら、ホレスは真なる願いそのものを明確な言葉として吐き出していた。
「………。」
そして同じく、崩れた玉座の間の一角に、仰向けに力なく倒れている赤い髪の少女の姿があった。
―守りたかったのに…
彼女もまた、体に負った傷の深さのあまり、その場から動けずにいた。
―このままだと…二人とも死んじゃう…。絶対に…。
レフィルの運命を縛りつけている存在、魔王バラモスと戦うという危険に向かおうとする友の助けとなるべくここに至ったにも関わらず、今は何もできぬまま力尽きている。
―また…一人ぼっち…
自分を狙って現れたバラモスのせいで、これまでずっとそばにいたカンダタはいなくなった。そして今、レフィルとホレスもまた、その手にかかって死を迎えようとしている。そのとき、ムーが共にありたいと思う大切な者達は誰もいなくなってしまう。
―そんな事はさせない…私の命をかけて…
「よろずの道、其が示すは如何なる惨禍か福音か…然れど我は乞う、此処に正しき定めが現る事を…」
息苦しさを押して、唱えられる呪文は誰の耳にも届かない程静かに紡がれ…
「パル…プンテ…」
その終わりまで唱えられた。
「おね…がい…。二人を…たすけて……」
今のムーに、究極の力を御する力は残されていない。彼女はただ、涙を流しながらこれからもたらされるものに、そう願いを告げる他なかった。
此に在りしは昏き絶望
汝が求めしは逸理の約
其を望まば、己が内に在る深淵に問いかけよ
闇に灯りし汝が標、其が道を拓かん
―な…なに…?これは…
― 一体…何が…?
―……?
唐突に訪れた不思議な感覚。何もかもが失われた一様の闇の中で、三人は当惑していた。
―自分の中の…深淵?
―闇に灯る…私達の標…?
遥か彼方から聞こえた様な無音の囁き。
―呼べば来る…そういう事か…?
それが意味するものは明確ではない。しかし…
―だったら…迷ってなんかいられない…!
―何が来てもいい…。だから、私達を助けて…!
―オレ達に…もう他に道はない…!!
三人には、それに従う他に進むべき道はなかった…。
その…に…を…ては…め…!
その声は、今はまだ彼らの心に届く事はなかった。