覇道を征く者 第四話

〜魔王バラモスの城 玉座の間〜

「……っ!?なんだ…このデタラメな力は…!!」
「熱い…焼けそう…」
「…あれが…わたしの…倒すべき相手…」

 追い込まれ、驕りを捨てた魔王バラモスの力―それは、眠れる大地を呼び起こし、全てを焼き尽くす深淵の獄炎をここに招いていた。
「…く…!」
 この場に存在しているだけで、地獄の如き灼熱が身を焦がし、体力を奪っていくのを感じて、ホレスは焦燥感と苦痛に顔を歪めた。

「トラマナ!!」

 すぐさまトラマナの呪文を唱えて、大地からの干渉を抑える事で、三人を襲う熱気はいくらか和らいだ。
 
「フバーハ」

 続いてムーが唱えたフバーハの呪文が、三人へと光のオーラを与え、更に炎からの力を押さえ込んだ。
「ほぅ…そう来たか。」
 王は、三人が自分の炎に抗おうとしているその姿に、小さくそう零していた。
「だが、それで我が力、しのげるかな?」
 しかし、いつまでも黙って見ているバラモスではない。彼は、前に踏み出しながら、左の拳を突き出した。
 
ゴォオオオオオオッ!!

 同時に、猛烈な熱風が吹き上げて、それに巻き上げられた溶岩が飛礫となって三人を襲った。

「来るぞ!」
「く…!」
「イオラ」

ビュオオオオオオオッ!!
ドガァアアンッ!!

 溶岩の雨を、レフィルの魔剣から迸る吹雪と、ムーの爆発の呪文がことごとく打ち払っていく…
 
「ぐっ…!」
「……!」

 だが、触れただけで燃え上がってしまう程の激しい熱気は防ぐ術はなく、ホレスとムーは焼け付く痛みにうめき声を上げた。
「ホレス!ムー!!」
 熱気に耐え切れず苦しむ二人を見て、レフィルは思わず一度振り返っていた。
「…くそ…!」
「熱過ぎる…」
 二人は、この人智を超えた灼熱地獄の中で、早くも限界を迎えようとしていた。備えなければ、ここで命を落としていてもおかしくはない。
―これが…あんたらが言っていた魔王の炎とやらか…!?
 バラモスを討つべく、メリッサ達から数多く聞いていた話の一つ―人の身では到底耐えうるものではない灼熱の炎。それは、フバーハの力が無ければ、すぐに燃え上がってしまう程の威力であった。
―レフィルだけでも…準備しておいて正解だったな…
 トラマナとフバーハの守護の力で減殺されて尚も残る炎の残滓をことごとく弾き、煉獄の熱気を遮る竜の鎧。その助けもあって、レフィルはこの中にあっても、大きなダメージを受ける事はなかった。
「…ここで退くわけにはいかない!!行くぞ!!」
 それでも、この焦熱の場で時が経つにつれて不利になっていく状況は変えられない。ホレスは身が焼かれる苦痛に耐えながら立ち上がり、一気にバラモスへ向けて疾駆した。
―早く…終わらせなきゃ…!
 レフィルにも、この状況が意味する事は既に飲み込めていた。この場に居続けるだけで、体力を奪われて、やがて死に至る灼熱地獄。このまま戦いが長引いてしまえば二人の仲間は間違いなく死んでしまう。
「私が隙を作る。とどめをお願い。」
「…うん。絶対に…決めるから…!!」
 もはや勝機は多く望めない。杖を構えながら指示を出すムーを背に、レフィルは吹雪の剣と共に、前で戦っているホレスのもとへと急いだ。

「愚か者め!!ワシが斯様な真似を許すと思うたか!!」
「!!」

 だが、その目論見はすぐに悟られてしまった。王は、ホレスを追いながらも、ムーの方へと意識を向け…
 
ドゥッ!!

 同時に、彼女の立ち位置から、炎が噴き出して空高く突き抜けた。

「其は動を縛りし極地の…」
「…!」

 しかし、ムーはそれを軽快なステップでかわしながら、呪文の詠唱を始めていた。

バチッ!!ドゴォッ!!

「…ッ!」
「…くそ…っ!!」

 同時に、雷の力を纏ったホレスの魔杖が、王に向けて力任せに叩きつけられた。だが、それは当たる直前で、噴き上がる魔炎に阻まれてその勢いを失った。
「こしゃくな…!」
 剣を振るい、後ろに下がらせたところで再び爆炎を呼び起こす。回避が間に合わず空高く吹き飛ばされるホレスを尻目に、離れて呪文を詠唱しているムーに向けて、王は一気に距離を詰めた。
 
「ライデイン…!!」

 そのときレフィルの唱えた呪文によって呼び起こされた紫雷が、吹雪の剣の先から迸り、バラモス目掛けて飛来した。
「ぬんっ!!」
 しかし、バラモスはその雷と衝撃波を、手にした剣で切り裂いていた。レフィルの放った雷撃は、あらぬ方向へと飛んで行き、そのまま砕け散った。
「…させないっ!!」
「!」
 だが、彼女は間髪入れずにバラモスの前に出て、その懐へと斬り込んでいた。
「ぐ…ぬ…っ!!」
 自らが傷つく危険をも省みずに放たれたレフィルの魔剣を避ける術はなかった。蒼の軌跡が王の剣をすり抜ける様に鮮やかにその体へと一太刀浴びせていた。与えられた傷から氷の棘が幾つも生み出され、傷口を広げていく…。
 
「齎されるは零の静寂…」
「…しまった…!」
「マヒャド」

 そして、ムーの呪文の詠唱が完成した。

ゴォオオオオオオオオオッ!!!

 魔王の力が支配する灼熱の地に、突如として強烈な冷気が吹き付ける。やがて地表から、巨大な氷の刃が幾つも現れ、魔王へと殺到した。
「ぐ…!はぁああああああっ!!」
 無論、バラモスも黙ってそれらに貫かれはしない。自身の周りに炎の壁を築き、極冷の氷塊と相殺する。

「今だ…っ!!」

 バラモスの炎と、ムーの氷がぶつかり合い、激しく爆ぜるのを見て、ホレスは雷の杖の力を解放し、左手の変化の杖を握り念じた。
 
バチッ…!!バチ…バチ…バチッ…!!

 全ての事象を変容させる変化の杖の力を受けて、雷の杖の形が変わり始める。それは、解き放たれた雷と一つになり、やがて…それはいつか見た、金色の槍の形へと集約されていた。
「これでも…喰らえぇっ!!」
 持てる全ての力を込めて、ホレスは金色の神槍をバラモス目掛けて投じた。それは、炎の壁を突き破り、バラモスの身へとその刃を届かせていた。

「ぐ…ぬぅうううう…!!」

 ホレスの槍を肩口に受け、王は苦痛を露わにその場に片膝を屈した。
 
「とどめ!」

 ここに、決定的な隙ができた。それを見たムーがそう呼びかけるのと同時に、レフィルは氷の魔剣を地に伏した王へと全力で振り下ろした。
 
「させぬわっ!!」
「…!」

ドゴォォオオッ!!

 しかし、不意にレフィルの前で地面が爆ぜ、その衝撃が彼女の剣の軌道を逸らした。必殺の一撃は狙いを大きく逸れて、王の体を浅く掠めただけに留まった。
「言ったであろう。斯様な真似は…許さぬ…とな!!」
 今度は逆に、全てを捨てた渾身の一太刀を放ったレフィルの方が、無防備な状態に陥った。その身を鎧ごと断たんと、王者の剣が迫る…
―…い…嫌…っ!!
 
「…アストロン!!」

 バラモスの剣が、今まさにレフィルを切り裂こうとしたその時、彼女は無我夢中で守りの呪文を唱えていた。

ギィンッ!!

 刃金がぶつかり合う音と共に、蒼い刀身を持つ魔剣が宙を舞い、離れた床へと突き刺さった。
―…え…っ!?
 その時、レフィルは自分の体が魔鋼と化しておらず、呪文の守護を得られていない事に気がついた。
―ど…どうしてっ!?
 一体何が起こったのか解せぬまま、彼女はただ混乱していた。
 
「終わりだ…」
「……あ……あ…!!」

 あるのはただ、死の刻を告げる魔王の宣告だけであった。

「そなたの死を以って、全ての弱者どもの根絶の序曲の初めとなさん!」

 そう言い放つと共に、王は剣をレフィルの首元へと落とすべく振り下ろしていた。
―死……死……死ぬ……っ!?嫌ぁあああああっ!!!
 今度こそ迫り来る死の気配を前に、レフィルはもはや成す術もなく、恐怖に目を閉じる他なかった。

「させない!!」

ドゴォッ!!

「…!?」

 だが、そのとき…突如として、バラモスの背後に、何か巨岩が落とされた様な強烈な衝撃が走った。後ろを振り返ると、そこには巨大な杖を構えて真っ直ぐにこちらを見据えてくる、赤い髪の少女の姿があった。
 
「だから言ったはず。あなたの思い通りにはさせない…!レフィルも…死なせない!!」
「ム…ムー……!」

 かけがえのない大切な友人を守る。その想いだけを胸に、ムーは空高く跳躍し、理力の杖を旋回させながら、再びバラモス目掛けて飛び掛った。遠心力の加えられた得物が、上空から一心に叩きつけられる…

「邪魔立てするなっ!!」
「……っ!!」

ドゴォオオオッ!!

 だが、それが直撃する寸前に、バラモスの正面で憤怒の如き噴炎が上がった。それを避ける術もなく、彼女はその奔流にまともに巻き込まれて高く投げ飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられた。

「「ムーッ!!」」

 二人の仲間の悲痛な叫びもむなしく、ムーはもはやぴくりとも動かなかった。同時に、彼女の力によってもたらされていた封魔の霧が徐々に薄れて、やがて完全に消え去っていた。
 
「バラモス…!」

ギィンッ!!

 次の瞬間、レフィルの叫びと共に、一合の剣戟が鳴り響いた。
「抗う気になったか…。」
「…ぁああああああっ!!」
 何の前触れもなく繰り出された一閃の主は、レフィルのものだった。その眼からは止め処なく涙が流れ、紫の瞳には狂わんばかりの激怒の光が宿っている。だが、彼女の剛剣の一撃は、バラモスの剣によって難なく受け止められていた。

「…っ!!」

 それも程なくして打ち払われ、レフィルは地面へと転がされた。
「無駄な足掻きだったな!!」
 立ち上がる暇すら与えずに、バラモスは再びその命を断つべく、王者の剣をレフィルへと斬り下ろした。

『レフィルッ!!』
「……!?」

ガッ!!ギ…ギギギギ…ッ!!

「…ホ…ホレス…っ!?」
 だがそれは、彼女の命を奪う前に、黒い仮面を身につけた銀髪の青年の両の手のひらに挟まれる様にして受け止められていた。

『やらせるか…!!やらせるかよ…っ!!あんたなんかに……こいつを…っ!!!』
「き…貴様…ぁああ!!」

 これで何度目であろうか、勇者でも咎人でもないこの男に道を阻まれたのは。もはや、完全に憤っていた。その激情に任せて、王は剣に込める力を強めて 、強引に刀身をホレスの体へと捻じ込んでいた。

ギ…ギ…ギギギギギギ…ッ!!

 仮面による守りの力が王剣を押し返すように働き、激しく火花を散らしている。だが…
 
ガシャァアアアアアアンッ!!!

『…ッ…!!…がぁああああああああああああっ!!!!』
「―――――――――――――――――ッ!!!!」

 程なくして、その拮抗は破れ、ホレスはバラモスの剣によってその身を切り裂かれた。彼の凄絶なまでの叫びを前に、レフィルは声にならない悲鳴を上げていた。
 
「砕け散れっ!!」

ドガァアアアアアアアンッ!!!

 直後、魔王から放たれた閃光と共に巻き起こされた大爆発が、血に濡れたホレスの体を大きく吹き飛ばした。
「愚か者めが…!!」
 彼方で倒れ伏しているホレスの哀れな姿を見て、バラモスは嘲る様にそう言い放っていた。
 
「嫌ぁあああああああああああああああああああああっ!!!!」

 度重なる悲劇を前にレフィルはその心を完全に砕かれ、その身すらも壊れるばかりの慟哭を上げていた。


―…魔王を倒さないと…わたしは……自由にはなれない…。
―でも今のわたしじゃ…殺されに行くのと…同じ…だから……
―…だ…だって……だって……わた…わたしは……!!
―自分から魔王退治に出てるわけじゃない!!
―なのに…どう…して…!?なん…で…わたしなの!?
―わ…たしは…わたしは……!!ふたりを…ずっと…巻き込んで…いずれは…!!

―…醜い…!!

 
 脳裏を過ぎる、自らへの呵責の記憶。それは現実のものとなってしまった。その自責からくる昏い感情が、もはや取り留めのないものとなるのにそう時間は掛からなかった。

「――――さない…。」

 少女が小さくそう呟くのを耳にし、王は振り返りつつ、怪訝に表情を歪めた。

「ゆる…さない……もう…何も…かも…!」
「…!」

 その場にへたり込んだまま、体をわなわなと震わせて、彼女は内なる感情を呪詛の如く吐き出していた。
―こやつ…!!
 その言葉と同じ様に、前髪に覆い隠された光無き紫の双眸に宿された尋常ならざる怨恨を感じ取り、バラモスは一瞬畏怖の念すら覚えていた。
―…えぇい!!所詮は弱き者の戯言に過ぎぬ!!
 だが、すぐにそれを払拭し…
 
「ならばその下らぬ想い諸共、断ち切ってくれる!!」

 王は、打ちひしがれる少女へ向けてその剣をこれで三度振り下ろしていた。
 
ギィンッ!!

「…ッ!!」

 しかし、それはまたも、人の手によって創られし最強の剣によって受け止められていた。
「…………。」
 死をもたらすべく放たれた一撃を超える力で、レフィルはバスタードソードを振り下ろしていた。下に座した体勢であるにも関わらず、彼女は王の剣と切り結んでいた。
 
「下らない想い…?本当に下らないのは…なに?」

 不意にレフィルは、剣を交えたまま王に対してそう問い掛けていた。
「………!?」
 それは、先程までのか弱き少女が…死に怯える者が、或いは仲間を傷つけられて打ちひしがれる者が発する言葉ではなかった。絶望のあまり、一切の感情を閉ざしたかの様な昏い声に、王は思わず一歩後に下がっていた。

「わたしはただ…こんな運命から解放されたかった…。そのために、今まで色んなものを捨ててきた…。」

 死した父の責を負い、今度は自分が魔王を討つ冒険に出なければならなくなってから、彼女はずっと望まぬ道を歩まされてきた。
「でも…その中で、もっと大切なものを得た。ずっと一緒にいられると思っていた…。なのに…!」
 旅の中で出会った仲間。彼らは自分の宿命に対する恐怖を知って尚も、それを理解し、助けとなるべくここまで同行してくれた。だが…
 
「あなたが…奪った…。あなたがわたしの…全てを奪った!!!」

 その全てが今…失われようとしている。

「あなたさえいなければ…こんな事にはならなかったのに!!!」

 魔王バラモスさえ現れなければ、勇者として旅立つ事を強要される事もなく、仲間も失わずに済んだ。だが、もはやレフィルの心の内に、それらの希望がもたらす光はなく、全てが絶望の闇に閉ざされようとしていた。