第二十三章 覇道を征く者

〜魔王バラモスの城 玉座の間〜

「ほぉ…その様な事が。して、報告は以上か?」
「はっ。」

 暗幕によって外からの光を遮られた、薄暗い玉座の間にて、王は目の前で跪く緑衣の魔道士からもたらされる知らせを、特に何と言う事もなしに聞き届けていた。
「ふん…俗物が何人束になろうと、結果は変わらぬと言うに。そなたもそう思うだろう?」
『はい。それ故にあれ程の人数が残る事になったのは予想外でしたが…。』
「そなたの陥穽に墜ちぬとは、それだけ強者もおった事だろう、残念な事に、そやつらも己が身を弁えておらぬ様じゃが。」
 配下の青年―エビルマージの周りを飛び交う幾つかの水晶玉に映し出されている光景を眺めながら、王は苦笑していた。人の身でありながら、魔の王たる自分を討たんと集った者たちが、すぐそこまで迫ってきている。
「しかし、我が道をそやつらなどに些かでも阻まれるものであれば、正直気が済まぬのも確かか。」
『では、いかがいたしましょうか。』
 彼らの力が自分に遠く及ばずとも、小さな障害にはなりえる。王の意思を汲んで、青年はそう尋ねていた。
「我が全軍を、不埒なる烏合の衆へと遣わせよ。何人たりとも生きて帰すな。」
『御意。…それと彼らは…?』
 水晶玉の一つに映るのは、命ある巨像を斬り伏せた少女とその二人の仲間。彼らを見るエビルマージに、バラモスは小さく笑いを零した。
 
「ときに…ユニアよ。そなた程の者ならば、ワシが何をしようとしているか、分かっておるはずだろう。」
「!」

 不意に、バラモスが思い立ったように語り掛けてきたのに対し、エビルマージ―ユニアは驚きを隠せずに顔を上げていた。
「それでなおも逃げ出さず、ワシの下に仕えておるとは…如何なる了見だ?」
 突然の試す様な物言いに一瞬たじろぎながらも、ユニアはローブの奥の目を細めて、暫しの間黙考した。

『俺も…陛下のなさんとしているものの先が知りたい…。それだけです。』

 そして、彼は彼自身の実直な答えを返していた。
「そなたとて、無事ではいられぬやも知れぬぞ?」
『覚悟の上です。』
 王の言葉が更に事の重大さを物語っても、ユニアは怖じる事なくその目を真っ直ぐに見ていた。堕したとは言え彼もまた、莫大なる魔法の知識を修めた高等魔術師の一人として、それは承知の上であった。
『だからこそ、俺はこの先形振り構うつもりはありません。』
「それも弱さか…。だが、面白い…。せいぜい生き延びて見せよ。そして、再び会いまみえる時を心待ちにしておるぞ。」
『はっ。陛下の望みが成就される事を心よりお祈り申し上げます。』
 自らが招く破滅の恐ろしさを知ってなおも抗おうとする気質をもった部下が、己が役割を果たすべく闇へと消えていくのを、王は満足そうに見届けていた。

「さて…。」

 その場に残されたユニアの水晶玉の一つに目を向けつつ、バラモスは傍らに佇む剣の柄へとその右手を掛けていた。
―わざわざそなた自らがここに赴く事になるとはな。やはり、実に面白い。
 小柄で華奢な体を魔女の装いで包み、大きな杖を担いだ赤髪の少女。かつて植えつけられた”悟りの書”の、全てを凌駕する絶対なる力の種は、未だにその底を見せていない。
―ならば、望み通り決着をつけるとしようか。
 王杖の代わりに床に衝かれている伝説を創ったとされる究極の一振り―王者の剣を握る力を強めながら、王はただ座して、来訪者達を待ち続けていた。
「闇が…近づいてくるか…」
 静寂の中、彼は遠くで蠢く巨大な陰りを、その魂で感じていた。
「ギアガ…か…」
 それが表す真の意味は、この時…王にすら読み取る事ができなかった。
 
 
〜魔王バラモスの城 王者の通路〜

「敵の気配はないか…。」
「そう…、でも気をつけないと…。」
「ああ。」

 いつ果てるとも知れぬ程長い回廊の中、レフィル達は各々の武器を携えながら静かに歩いていた。追っ手を振り切るために自ら退路を断ち、前に進むしかない状況も手伝って、彼らは前進に臆する事なく先を急いでいた。
「いつ何が起こってもおかしくないからな…。」
 先程も、変化の杖で兵士達の目を欺いたその後で、荘厳な造りの城の内装に溶け込んでいた石の巨兵に気づかれて、奇襲を受けるところであった。そうして対応して尚も、彼らは三人に確実に痛手を与えるだけの戦力があり、それがまたこの先いないとも限らない。
「レフィル、大丈夫か?」
「…え?…う…うん、平気…。」
 その動く石像との戦いを思い出してのホレスの言葉にレフィルは少し慌てた様子で応じていた。
「ならいいが…焦って無茶はするな。」
「…!…だ…大丈夫…」
―そう…確かにわたしは…
 自らが巨人の一撃を受けるのを代償に、剛剣による一閃で確実に仕留めたあの時、レフィルは確かに気が逸っていた。おそらく魔王バラモスはこの先にいる。そこに到り、魔王を討ち取る事ができれば、自分はこの呪われた宿命から解放される。その様な気持ちが、焦りを生んだのだろう。
―ようやく…全部を終わらせられる…。でも、落ち着かなきゃ…
 しかし、この先待ち受ける者は、これまで戦ってきた者達とは比類できない力を有する魔王である。三人の中で最も力のあるムーですら、その実力の前に刹那でねじ伏せられてしまったと聞いているだけに、底が知れず、そもそも勝機があるかどうかも定かではない。
―絶対に…生きて帰るんだ…
 サマンオサの宿で曝け出した、魔王が自分にもたらす死に対する恐怖は今だ消えていない。だが、今更後戻りもできない。今はただ、全てを終わらせるために、全力を尽くすだけであった。

「これは…二人とも、下がっていろ。」
「…ホレス?」

 迷宮の様に入り組んだ回廊が大きく開けた場に差し掛かった所で、ホレスは二人を制止した。
「デュフューズ・イース・ビヘンド・…トラマナ!」
 そして、彼が扱える数少ない呪文、罠除けの呪―トラマナが発動した。三人の足元に、呪文の力が働き、大地からの干渉が遮られる…。
 
バチンッ!!

「「…!!」」
 目の前の床に歩みを進めたそのとき、足元で行く筋かの閃光が爆ぜた。
「こ…これは…」
「侵入者、あるいは不届き者に対する罠だろう。…随分と手の込んでいる事だな。」
 今はホレスのトラマナの力によって抑えられている目下の罠。だが、不用意に足を踏み入れようものならば、その身を焦がされていた事だろう。
「さて…今度は何が…?」
 床に敷かれたバリアを通り過ぎつつ、ホレスは左手を腰の袋へとかけた。その行動に、レフィルとムーは思わず首を傾げる。

「引っ掛かると思ったか?バカが。」
「「「「………っ!!?」」」

 唐突にその中身を取り出して、投げつけたと同時に、物陰から息を呑む音がホレスの耳へと届いた。
 
ドガァアアアンッ!!

「ぐわあっ…!!」
「うぉおっ!?」

 投じられた爆弾石の爆発によって、数人の兵士達が、床へと転がされた。
 
シュカカカカッ!!

「「……!!」」
 辛うじて爆発を逃れて立ち上がった者達は、レフィルの放った氷剣の楔で壁に縫い留められ、そのまま身動きが取れなくなった。
 
ドカッ!!バキッ!!ゲシッ!! 
 
 最後にムーが何度も振り回した理力の杖が、兵士達を何度も打ちのめし、彼らはこれ以上騒ぐ事もままならず、そのまま意識を失った。
「…お前な……」
 ここに来て、またもや魔法使いらしからぬ力任せの方法で、敵を黙らせたムーを見て、ホレスは呆れた様に嘆息していた。
「でも、ひとまず片付いた。…もういない?」
「ああ…。」
 眼前で意識を失っている四人の兵士の他に、この場を守る者の存在はホレスが感じた限りではいなかった。それを受けて、レフィルとムーもまた、何か違和感を感じていた。
―数が…少ない…?
 方向を違えていなければ、自分達は確実に目指すべき魔王の下へと近づいているはずである。そうなれば当然警戒が強くなると思っていたが、今のところ、動く石像より後で、特に大きな障害はなかった。
「…人手不足?」
「……どうかな…?」
 たかだか三人を追う事に、一体どれだけ多くの人員を咲かねばならないのか。ムーがポツリと呟いた言葉を受けて、ホレスは一瞬、その様なことを考えていた。


 その頃…
 
〜魔王バラモスの城 外壁〜

「もう少しだ!!一気に突破するぞ!!」
「「「おおっ!!」」」

 内海の中央に浮かぶ険しい山道で、幾つもの剣戟が鳴り響いている。上方から迫り来る魔城の兵士達に対し、冒険者達は果敢に戦いを挑んでいた。

「どけやぁっ!!オラァツ!!」

ガァンッ!!

「ぐ…っ!!うああああぁああっ!!」
 巨大な大剣を振るう勇猛なる青年―セレスの一撃が、一人の兵士を横薙ぎに殴り倒し、そのままネクロゴンドの空へと突き飛ばした。

「ルカナン!」
「イオラ!」
「ぬぅううんっ!!」
「………。」

 別の場所では、寡黙なる少女―フュラスが仲間達と力を合わせて道を切り開き、着実に魔城へと上りつめていた。女性神官、老賢者、屈強な戦士、ここに到るまでに共に戦ってきた彼らの助けのもとで、彼女はこの激戦を潜り抜けていた。


「邪魔するなよ…」

 また違う戦線では、一人の少年が剣一本のみで敵陣に切り込みながら、敵兵達に向けて冷たくそう言い放っていた。
「……!!」
「…っ!?」
「が…は…っ!!」
 直後、舞い散る血飛沫と共に、少年を取り囲む兵士達が次々と斬り刻まれ、一瞬で命を落としていた。
「貴様らザコに…俺はずっと…惑わされていたというのか…」
 狂気にも似た想いが込められた言葉と共に、少年―アギスの暴虐は続く。自分を狙うべく攻撃呪文を唱えようとしていた緑衣の魔道士へと一瞬で距離を詰め、幾筋もの剣閃を以って、周りの者達諸共、血祭りにあげていた。
「…下らない。…だったら…全員…殺してやる!!」
 声は沸きあがる憎しみによって震え、歯は怒りによって食いしばられている。その様な彼の気迫に、周りの者達は思わず立ちすくんでいた…
「ライ…デイン…!」
 だが、それが命取りとなった、魔獣の咆哮の如く唱えられた呪文が響き渡ると共に、アギスの周りに幾筋もの天雷が降り注ぎ、全てを灰燼と帰した。


「おーしっ!!俺らも続けぇっ!!」

 前に出て活躍している、”勇者”と呼ばれた若者達の姿を見て、冒険者達の士気は一気に高まった。その勢いも手伝って彼らは、高低差のある不利な状況を覆し、前進し続けていた。
「数が多いですな…。」
「そうねぇ…」
 その様な彼らを後ろの方で補助呪文などでサポートしながら、ニージスとメリッサは冷静に状況を見定めていた。
「確かにこのまま行けば、魔王の城まで辿り付く事は間違いないでしょう。」
「それは…大丈夫よね。…でも…」
 精強な魔城の兵士達も、死地を乗り越えるだけの志を持った冒険者達の勢いを止める事はできなかった。しかし、それでも…

「結局あの子達を助けてあげる事はできない…って事ね…」

 既に魔王バラモスの城へと突入したあの三人に追いつく事は到底できそうにない。それは、そもそも彼らが望んでいた事が、結局叶わなかった事を意味していた。
―いかなる苦しみを受けようとも、君達をこれ以上の危険に晒したくはなかったのですが…
 少女の身でありながら、魔王を倒すことを運命付けられ、苦しみの中で生きてきたレフィルも、彼女を助けるべく共にあるホレスもムーも、臨んでこの危険の中に足を踏み入れている。
―まぁ…君らには単なるお節介でしかないやもしれませんが…
 全てを終わらせるために命をも懸ける想いで戦いに望む三人の無事を祈ってやる事しか、今のニージスにできる事はなかった。
 
 
〜魔王バラモスの城 中庭〜

「なるほど…道理で手薄過ぎるわけだ。」
「ホレス?」

 慎重に先に進む中でホレスが呟いた言葉を解せずに、レフィルは彼を不思議そうに見つめた。
「戦いの音が聞こえる。」
「…え?」
 先程から、彼方からの剣戟や怒号、断末魔といった数多くの戦いの音が、ホレスの耳へと入ってきていた。
「どうやらここまで辿り着いたのは、オレ達だけではないみたいだ。」
「そっか…もしかしたらさっきの雷も…」
 彼の指摘を受けてようやく、レフィルもその背景を知る事ができた。眼前の敵へと意識を張り詰めて気づかなかったが、彼女にもまた、静かな中で時折大きな物音が聞こえてくるのを感じられた。
 
「…さて。」

 魔城の本殿の回廊を抜けた先にあったのは、魔の者が住むものとしては考えられない程、美しい庭園であった。

『ここから先へは通さぬぞ!!』

 そこで立ち塞がったのは、黒い骨の体をもった異形の兵士―地獄の騎士であった。六手に携えた剣を一斉に構え、こちらに向かってくる。
「…これが最後であればいいんだがな。」
 敵を見据えながら、ホレスは懐から調合によって作り出した、独自の丸薬を取り出し、口に含んで噛み砕いた。魔力を含んだ成分が、その薬効をすぐに体に浸透させるのを感じながら、彼は魔物へと一気に距離を詰めた。
「こっちだ。」
『!』
 振り下ろされる六本の剣を、星降る腕輪の力でかわしながら、ホレスは魔物の背後へと回り込んだ。

ギィンッ!!

 至近距離から繰り出されたドラゴンクロウによる攻撃を、地獄の騎士は体を捌きつつ、左半身に持つ三本の刃で受け、力任せに後ろへと押し返した。

ブワァアッ!!

 そしてその口から、生物の感覚を麻痺させる毒の霧が吐き出されて、ホレスを覆い尽くした。
「「ホレス!!」」
 避ける間もなくそれに巻き込まれたホレスの危機を感じて、レフィルとムーがそれぞれの武器を手に、同時に魔物へと襲い掛かった。地獄の騎士は、今捉えた青年を全く意に介さずに、彼女達へと振り返って六の腕に握った剣を以って迎え撃った。

ズンッ!!

『…っ!?』
 しかし、その刃が二人へと届く直前に、魔物は背後からの強烈な衝撃を受けて、訳の分からぬままに前へと突き飛ばされた。後ろには、先程動きを封じられたはずの青年が、巨大な銀色の杖の様なものを突き出しているのが見える…。
 
ドガッ!!ズンッ!!

 体勢を崩した魔物を、ムーの杖が上から叩きつけ、レフィルの剛剣が一刀のもとに斬り捨てていた。
「ホレス!!大丈夫…!?」
 地獄の騎士を倒したのも束の間、二人の少女は、毒霧に巻き込まれた青年のもとへと駆け寄っていた。
「心配するな。オレは無事だ。初めからこれが狙いだ。」
「え…?」
 最初に飲んだ薬、それは地獄の騎士が吐き出す麻痺毒を打ち消すためのものであった。わざと動きを封じたように見せかけて、そこから予想外の攻撃を繰り出すことで、簡単に相手の虚を突く。それはネクロゴンドの山越えの途中でも、何度か使った作戦だった。
「今のが最後だ。さぁ、先を急ぐぞ。」
 既にこの場に敵の気配は感じられないのを見て、ホレスは毒を受けた様子もなく、至極明瞭な足取りで先に進み始めた。

「……。」
「レフィル?」

 そのとき、レフィルが突然立ち止まるのを見て、ムーはきょとんとした様子で彼女を見上げていた。
―どうして…こんな無茶を…
 より速やかに敵を倒すためとはいえ、リスクの伴う方法を進んで選ぶ彼の行動に、レフィルは迷いを覚えていた。
 
「あれは…!?レフィル!ムー!」
「「…!」」

 そのとき、突如として、離宮の扉の前に立つホレスが、急かす様に呼ぶ声を聞き、二人はすぐにそのそばへと駆け寄った。
 
 
〜魔王バラモスの城 宝珠の間〜

「これは…六の光…!?」

 扉を抜けた先にあったのは、光差さぬ薄暗い部屋の中央に、灯火の如く佇む銀色の宝の珠であった。
「どうして…こんなところに…?」
「…罠…なのか…?だが…」
 疑念よりも先に、興味が来たのか、レフィルは台座に安置されている銀の光を湛えた宝珠へと手を伸ばしていた。
「やっぱり…これも…」
 手に取ったそれは、今まで目にしてきたものとあまりに似た雰囲気を醸し出していた。

「オーブが…共鳴している…!?」

 ホレスが携える黄色の光が、銀の光に呼応する様に淡い光を放ち始めた。
「じゃあ…これも…!?」
 ここまでで既に五つ揃った六の光。そして、目の前にある銀の光が意味する事ととは…
 

「然様、それはシルバーオーブ。六の光が一つで相違ない。」


 それに応えたのは、暗闇の奥から響き渡る、威風の如き声が紡ぐ一言であった。

「神話に残りし怪鳥ラーミアの魂を封じたとされる、各々が唯一無二の至高の光。よもやその全てを手にする者が現れようとはな。」

 この広大なる世界の中で、二つとない六つの至宝がこの場に集まっている。その奇跡を、声の主は心底感心した様子でそう評していた。

 そう…この場に、六の光の全てが揃った。
 

「…何者だ…っ!!」

 だが、三人がその悦びに浸る暇はなかった。ホレスは闇から語りかけてくる者に武器を向けながらそう叫んでいた。
「ほぉ…ワシを前にしても全く臆せぬとはな。余程の大器か単なる蛮勇か…。」
 そんな彼の姿を見て、興味深そうにそう呟いた後、不意に辺りの床が光を発し始めた。光に灯されて、部屋の全貌が次第に明らかになる…。
「…!」
 それは、真紅の豪奢な絨毯が敷き詰められた謁見の間であった。そして、王の象徴たる玉座に座しているのは…
 
「バラモス…!!」

 その姿を見て、ムーは思わずそう声に出していた。
 

 魔王バラモス
 
 世界を滅ぼす野望をもつとされる、魔界の王者。
 数ある魔物のいずれも凌駕する程の力を持つとされる。


 ついに、レフィルは宿命の果てに辿り着いた…。