第二十三章 覇道を征く者

〜魔王バラモスの城 周辺〜

「全員いるな!?」
「おうよ!!」

 高き山々の中心にある盆地。それを更に中心部と外郭へと隔てる大きな湖。そして…魔王バラモスの居城を戴いた高き山の周りの切り立った崖。それらはまさしく、自然が築き上げた一つの難攻不落の城塞とも言うべきものであった。

「あとは、これさえ登り切っちまえば…」

 ハンを中心に集まった魔王を討たんとする冒険者達は、その大きな城の堀、魔境の湖を越えて、バラモス城のある島のふもとにまで至っていた。彼らは皆、目指すべき魔城が建つ遥か上空を見上げている。
「ここまで来ると…どんな無茶でもやってける気がするのよねぇ…。」
「はっは…確かに。」
 その中には、ニージスとメリッサの姿もあった。湖を渡る確実な方法に欠く中で、こうして見事に渡り切ってしまった事に、二人は可笑しそうに笑っていた。
「…ま、本当に今更この程度でビビッていちゃあいられねえって事だろ。」
「そうですね…後は、前に進むだけです。」
 冒険者達を支えているのは望まぬ犠牲、志半ばで散っていった仲間達の死であった。それがもたらした想いはあまりに大きく、もはやいかなる困難も、彼らを止め得るものではなくなっていた。
―ふむ、あの子の気持ちが少しは分かった様な気もしますな…。
 背負う者は違えど、後に退く事を許されない意味では、今の自分達が置かれている立場が、ちょうどレフィルと同じものなのかもしれないと、このときニージスは何となしにそう感じていた。
「よぉしっ!!このまま一気に魔王城まで乗り込むぞ!!」
「おおぉっ!!」
 誰かが切り出したのをきっかけに、一行は魔城へと続く険しい山々を登り始めた…

ゴォオオオオオッ!!
 
「…!?…うぉ…っ!?」

 しかし、そのとき…眩い光が辺りで閃くと共に、凄まじいまでの烈風が、上から叩きつける様にして吹き荒れた。
「な…なんだ…っ!?」
「…敵か!?」
 突如として皆を襲った閃光と強風に、冒険者達は戸惑いをおぼえて、皆がその場で足を止めていた。
 
「おいおいおい…冗談じゃねえ…!!」

 その中で、マリウスは歯軋りしながら上空を見上げ、苛立たしげにそう吐き棄てていた。
「……来てしまったので……」
「…メドラ……」
 ニージスとメリッサもまた、今の突然の事の中で、金色に輝く巨竜の姿を目認して、落胆した様子で弱弱しく言葉を零していた。
「何やってんだ!!皆、目的地はもう目の前だぞ!!今更あんな光が何だってんだ!!!とっとと進め!!」
 今の光は、守りたかった者達が―出発を待たずして置いてきたあの三人が、あろう事か先に魔城へと至った事を示している。一体何が起こったのか満足に理解する暇もなく、その場で立ち尽くす皆に対して、マリウスはそう怒号交じりに叫ぶ事しかできなかった。



〜魔王バラモスの城 上空〜

 霊峰の頂より上がった光は、このネクロゴンドを統治する魔王バラモスの城へと向かって、流星の如く尾を引きながら飛来していた。途中で道を阻む黒雲がその光に貫かれると、程なくしてバラバラに散り、空の塵と化して消え失せた。
 
『『『マヒャド』』』

ゴォオオオオオ…ッ!!

 突如として、遥か下の方から呪文が唱えられる声が響き渡る。直後、幾百もの氷の巨槍が魔城より次々と舞い上がってきた。それは上空より降下してくる光へと次々に牙を剥く…
 
ガガガガガガガガガガガッ!!!

『『『…!!!?』』』
 しかし、次の瞬間、空に向かったはずの無数の氷の刃―唱えられたマヒャドの力がそのまま魔城へと降り注いできた。それらを放った張本人達、魔王バラモスの尖兵と成り下がった高位の魔術師、エビルマージ達は、自らが唱えた呪文によってことごとく、その命を奪われていた。



『マホカンタか…』
 離れた位置で、同胞達が自らの呪文に貫かれて絶命していく光景と、大空から降り注ぐ巨大な雹の嵐を交互に見やりながら、緑衣の青年はそう呟いていた。
『これが魔王様が仰っていた、”咎人”とやらの力なのか?』
 目が慣れてくるにしたがって、降り注ぐ光の正体が見えてくる。それは大きく広げられた光の翼を持つ、金色の輝きを湛えた鱗に覆われた巨大な竜であった。
 
コォオオオオオオ…!!

 竜は、その口から冷厳な輝きをそのうちに秘めた極寒の息吹を吹きつけてきた。それをまともに受けた者達は、その身のうちまで一瞬にして凍りつき、塵と化して白い流れの内に消え失せた。
『これは…もはや止められるものではないか。』
 神の如き姿の竜に向けて、魔城を守る魔物達が襲い掛かるが、力の差はあまりに歴然で、ことごとく殲滅されていた。
―まぁ…この場で仕留められてしまう様では、バラモス様のお望みには適わないだろうがな。
 周囲の魔物や地上からの迎撃者達を倒し続ける光の竜を、彼は緑のローブの下の表情を愉悦に歪めながら眺めていた。
―さて…俺は俺のやるべき事をしなければ。
「まさかあのネズミどもがここまで来ようとは。懲りん奴らだ。それとも…」
 周囲を飛び回っている小さな水晶玉に映し出された数多くの人間の姿を目にした後、彼は静かにその場を後にした。


『もうすぐ…時間切れ…』
「「!!」」

 魔城の光景が回転しながらだんだんと近づいてくる中、ムーが呟いた言葉を聞き、ホレスとレフィルは思わず息を呑んでいた。
「…着地までは、もたないのか?」
 追ってくる魔物と迫り来る魔城の狭間でそう尋ねるホレスに、ムーは沈黙を以って答えた。つまりはこのままでは変身が解けて、三人は自然に身を任せるままに魔城へと墜ちてしまう。
「…それなら仕方ない。二人とも…とにかく生き残る事を考えろ!!」
 ホレスがそう叫んだ瞬間、金色の竜の姿が掻き消えて、その背に乗っていた二人は空中に投げ出され、ムー本人もまた同じ様に下へと落下していった。
 
「…く…!アストロン…!」
「変化の杖よ!力を寄越せ!!」
「召喚…」

 しかし、そのまま身を任せるのを良しとせず、レフィル達はそれぞれが持てる力を解き放った。レフィルが唱えたアストロンの呪文が彼女自身の体を磐石の鋼の像へと変え、大気の抵抗を押し退けて急速に落下していく。ホレスが掲げた変化の杖が発する力が彼自身の体を包み込み、その姿を巨大な大鷲へと変え、ムーが呼び出した魔法の盾が、彼女の足場となって中へと浮かんだ。
 
ズガァアアッ!!

 魔城の中心へとレフィルの体が落下し、その質量と高度と勢いで屋上を砕き、彼女はそのまま内部へと落ちていった。
「「レフィル!!」」
 それを見て、ホレスとムーもまた彼女の後を追い、一気に魔城内部へと舞い降りた。城の大広間の中央に巨大な亀裂がはしり、それを囲むように兵士達が散開している。その中心には、緑の鎧を纏った少女がたたずんでいた。
「………。」
 武器を構える兵士達に応える様に、彼女は沈黙したまま背中と腰に差した二振りの剣を両方抜き放った。同時に、ホレスとムーもそのそばに降り立つ。
「ザコの相手をしている暇はない、あまり深追いはするな。」
 元の姿に戻りながら、ホレスは二人の仲間へとそう告げ、雷の杖と草薙の剣を手に取った。そして、何を言うよりも早く、敵に切り込んでいく二人を援護するべく、彼は神剣に込められた呪力を解放し、彼女らの無防備な背中を狙う者達に対しては魔杖の電撃を容赦なく浴びせていた。その間に、レフィルの剣とムーの呪文が包囲を打ち破り、血路を開いていた。
「さぁ行くぞ!!これがお前の最後の戦いだ!!」
 三人は魔王の兵士の間をまかり通り、城の回廊を駆け抜けていった。
 

〜魔王バラモスの城 本殿〜

「…く!!何処へ逃げた!?」
「奴らは…一体…?」

 地上の彼方のこの地にあるにも関わらず、地上にあるいかなる王城にも勝る豪奢な内装の城内で、兵士達は、三人の侵入者達を探して駆け回っていた。
「まだ近くにいるはずだ!!何としても探し出せ!!」
「ここは我々に任せろ!お前達は外を!」
 激しい戦いの中で突如として姿をくらませた敵を探し出そうとするも、この場には味方以外の何者も見当たらない。止むを得ず、彼らは三人の兵士達へとこの場を任せて去っていった。
 
「………よし。」

 その三人の中の一人が、安堵のため息を零しながら右手を掲げる。すると、彼らの姿が一瞬薄れ…
 
「どうにか…やり過ごせたな。」
 程なくして、銀色の髪の青年、緑の鎧を纏った黒髪の少女、赤い髪の小柄な魔法使いの姿へと転じていた。
「…あとは、入り口さえ閉じてしまえば…」
 ホレスは今しがた兵士達が出て行った大きな扉へと歩み寄り、それにつけられている鍵をかけた。これで当分の間はあの追っ手を足止めする事ができるだろう。無論、自分達も引き返す事ができなくなったが。
「まだこの先にもいるだろうな…。気をつけていこう。」
「そうだね…」
「安全第一」
 変化の杖の力で城の兵士になりすまして、ひとまずは当面の危機をやり過ごす事ができた。だが、この先に何の苦難もないとは考えられない。注意を払うホレスを先頭に、三人は城の広間の中央を通り過ぎようとしていた。
 
『愚か者め!!』

「「「!?」」」
 しかし、その時…突然、体のそこに響く様な野太い声が三人に届いた。
―…く…!?音もなく…潜んでいたのか…!?
 ホレスはすぐさま声の聞こえた方向を向き、腰に帯びていた草薙の剣を取り、身構えた。
「…こいつが…!?」
 そこにあったのは、人の身の丈の五倍はあるであろう、神の姿を模した巨大な石像であった。左右に同じ形のものがもう二体並んでいる。今も尚動かずにいるが、声は間違いなくここから聞こえてきた。
 
 
 動く石像
 
 物言わぬはずの石が、大地の力を受けて命を宿したとされる魔物。
 その圧倒的な重量から繰り出される一撃は、万物を粉砕すると言われている。


「これでも…喰らえ!!」
 ホレスは草薙の剣の呪力を解放しながら、石像の魔物の一体へと斬りかかった。呪いの力が動く石像の体の硬度を下げて、鋭利な刀身がその左腕を容易く切り裂いていた。
『甘いわっ!!』
「…!?」

ズンッ…!!

 しかし、次の瞬間…その切り口からまた新たな腕が現れて、ホレスを真っ直ぐに突いていた。
「…が…は…っ!!」
「ホレス!!」
 大きく吹き飛ばされて広間の床を転がるホレスに、レフィルが慌てて駆け寄って回復呪文を施した。
「…く…!再生能力か…!!」
 先程の一撃は、間違いなく巨像の腕を切り落とした。だが、大地の力を受けて活きている石の巨人の土くれの体が有する再生能力は、その程度のダメージなど問題なく治せるものであるらしい。
「ホレス!!危ない!」
 ホレスが起き上がろうとしたところで、追撃をかけてくる動く石像の拳撃を、ムーの理力の杖が迎え撃った。彼女本来の力に加えて、杖の重量と魔力による膂力を加えられ、巨人の一撃を打ち払った。
「ムー!!後ろ!!」
「!」
 しかし、ムーに対しても、背後から別の石像が襲い掛かってきた。持ち上げられた巨大な足が、彼女を踏み潰さんと真っ直ぐに降ろされる。
「させるかっ!!」

ガンッ!!

 その瞬間、ホレスが間に割って入り、仮面の力で動く石像の攻撃を遮っていた。
『くそ…!こいつら…!!』
 仮面の守りを通して伝わってくる圧力に歯を食いしばりながら、ホレスは苛立たしげにうめいた。
「イオラッ!!」
 それを前にして、レフィルはすぐさま爆発の呪文を唱えた。巻き起こされた爆発が、ホレスを襲う魔物を打ち払い、レフィル達を囲む他の二体の石像の表面を穿った。
「ダメだ!やはり再生してしまう!!」
 しかし、イオラの呪文によって与えた傷も、みるみるうちに塞がり、全くダメージにならずに終わっていた。
―やはり…元を断たなければダメか…!!
 おそらくは、再生される前に跡形もなく消し飛ばすか、致命傷となる一撃を与えるなどしなければ、動く石像は何度でも再生してしまうだろう。戦いを長引かせないためには、どうやらこちらも死力を尽くさなければならない様だ。

「………。」

 その様な中、突如として…レフィルは目の前の三対の動く石像の前へと歩き始めた。
「…!?…レ…レフィル…っ!?」
 まるでホレスの言葉も聞こえないかの様に、彼女の歩みはまるで止まらなかった。
―……終わらせる…
 彼の叫びも、前から迫り来る石像達の足音も、今のレフィルにはただ煩く感じるだけのものであった。
―全部…終わらせる…!!そのためなら…わたしは…!!
 いつしかその右手は、背負った最強の剣の柄へとかけられていた。同時に彼女の周りを覆う空気が一瞬にして変わった。
 
「………。」

 その瞳からは一欠片の輝きも消え失せ、表情には温もりの残滓も残らず、ただ氷の様に張り詰めた無機質なものとなっていた。
 
キンッ!!

 次の瞬間に正面に薙がれた剛剣は、武神の如き巨像の一柱の両足を、確実に切断していた。支えを失い、それは呆気なく地面へと崩れ落ちる。
『…小癪な…!』
 次いで別の動く石像がレフィルの体を叩き潰さんと、その腕を振り下ろしてきた。
「アストロン」
 しかし、あろう事か、剣を構えなおす事すらせずに、彼女はそれに合わせて左手を石像の腕に合わせて天にかざしながらそう唱えていた。全身が不壊の鋼と化した少女のか細い左手に、動く石像の巨拳が叩き込まれる…
 
ゴガァッ!!

 砕け散ったのは巨像の腕の方だった、アストロンの呪文により、剣にも似た硬度と鋭利さを帯びたレフィルの左手は、石像の体など難なく切り裂いていた。魔物がそれに怯んで後じさったと同時に、少女の体に彩りが戻り始める。

「………。」

 すると今度は、レフィルは剛剣を正面に構えながら、残った一体へ向けて自ら距離を詰め始めた。そして…剣の間合いへと入った瞬間…
 
ズンッ!!

 レフィルの体は、動く石像の拳を受けて風に吹かれた花びらの様に呆気なく空へと舞っていた。程なくして地面に叩きつけられ、その口からは僅かとは言えぬ量の血が零れ落ちていた。
 
ピシッ…!!

『……!!?』
 だが、レフィルを打ち据えた動く石像に、突如として縦に亀裂が入り、そのまま左右へと分かれて倒れていった。そして、それらはもはや二度と動く事はなかった。
「レフィル!!」
「……。」
 一方、吹き飛ばされたレフィルもまた、身じろぎ一つせずに、壁のそばで倒れていた。
 
「ベホ…マ…」

 しかし、程なくして、彼女は血の味が広がる口から、消え入りそうな声で回復呪文を唱え、自らに施した。癒しの光が自身を包み込み、痛みも内なる傷も癒されていく中で、彼女は剣を杖にゆっくりと立ち上がった。
―まだ…終わらない…!
 本来ならば、巨神の一撃を受けていた時点で、ただの少女に過ぎないレフィルの体など、バラバラに四散していてもおかしくはなかった。だが、職人の威信を賭けて作り上げられた頑強なる竜鱗の鎧が、その命と意識を留めていた。

ズンッ!!
 
『…ぐあ…っ!!』
 目の前で、黒い仮面をかぶった青年が床に叩きつけられて転がってきた。吹き飛ばされた方を見やると、先程腕を砕いたはずの一体の動く石像の姿があった。
「……ぅ…っ!」
 それは、今度は呪文の詠唱を行おうとしていたムーへとその腕を振り下ろし、敷石の破片を撒き散らしていた。
「………。」
 目の前で二人の仲間が傷つくのを見て、レフィルの心の内に、微かに小さな炎が灯る様に…小さくも激しい感情が目覚めていた…。それに身を委ねるままに…レフィルの中で何かが壊れようとしていた…


―自分が自分で無くなるのが怖い?
―わたしは怖くなんかない。元々わたしはもう…自分を失っているもの。
―自分を壊す覚悟の無い者に、成長は訪れない。それは今まであなたも無意識にそうしてきた。
―でも、それを否定しているあなたに、今の自分を変えられる??そして、望むあなたになれる?


 段々と心を保つ意識が黒く危うい何かに染め上げられる様な感覚の中で、レフィルは空いた左手を腰の吹雪の剣の柄へと添えた。そして…

パキ…パキパキパキ…

「アストロン…」

 それを抜き放つと共にそう唱えていた。
 
ズガガガガガガガガガガッ!!!

『!?』
 次の瞬間、吹雪の剣より放たれた氷の楔が、全てを貫く鋼の魔槍と化し、動く石像の体へと幾つも突き刺さり、そのまま壁へと縫いとめていた。
「…これは…」
 離れてそれを見ていたホレスは、思わず呆然と動きを止めていた。全てを受け止めるアストロンの呪文を付加された、氷の魔剣より迸る無数の鋭利な氷塊。それは、最大の防御の力が、攻撃へと転じた瞬間であった。
 
「………。」

 右手の剛剣を下げて、左手の魔剣を正面に構えながら、レフィルは二体の動く石像へと目を向けた。その眼差しにはやはり、慈愛に満ちた普段の暖かさなど微塵も存在していなかった。
 
「…ライ…デイン…!」

バシュゥウウウッ!!!
ドゴォオオオオオオッ!!!

 小さく紡がれた呪文が唱えられると、雷鳴と共に巻き起こった二筋の紫雷が、片や足を切り落とされて動けない、片や絶対の強度を有する楔に繋ぎ留められた、二体の動く石像へと直撃し、一撃で粉々に砕いていた。