魔境 第七話
〜ネクロゴンド 山道の果て〜

「出口だ…!出口が見えたぞーっ!!」
 
 天高い山々に閉ざされた地上の最果て、それに至る唯一の入り口から、マリウスは感極まった声でそう叫んだ。
「…流石に…もうダメかと思ったわ…。」
「ごもっともで…はっは…」
 続いてニージスとメリッサが、よろめきながらそれに続き、山道の洞窟から出てきた。その顔にはいつもの余裕はなく、完全に疲弊しきっているのが見て取れる。

「良かった…!!皆さん!!出口が…!!出口はすぐそこです!!」
「「お…おおぉぉっ!!!」」

 ハンを中心に集った、ネクロゴンドを旅する冒険者達は、ついに目的の地、魔王バラモスの城の対岸へと到着した。しかし……
 
「でもよぉ…おめぇはもう帰ってこねぇんだよな…エイブ…」
「ゴーガン…見ていて…。絶対に…絶対に…」
「…フィル、ミゲル…、ルーカス…俺は…。」


 皆が払った代償は、あまりに大きい物であった。数多の冒険を潜り抜けてきた歴戦の傭兵や、危険な砂漠を何度も行き来してきた隊商達など、多種多様な熟練の者達からなる数百人の一団は、今では僅かに八十余人を残すばかりとなっていた。
「…あの悪魔野郎…、やってくれるぜ…!!」
 その犠牲者の多くは、洞窟に入って早々に仕掛けられた、バラモスの手先による罠によって命を落とした者達であった。
 
 
―う…うわぁあああ…っ!!
―…もろいねぇ、ニンゲンってのは。
―く…く…くるなぁ…っ!!
―ザラキ…っと。
―ぁ……っ!
―嫌…だ…!こんな…ところで…
―死にたく…な…い…!!
―ホレ、一丁上がりっと。

 緑衣の魔道士と、褐色の悪魔によって仕組まれた陥穽。堅牢な岩壁によって退路を断ち、大地を揺るがして混乱に陥った人間達を死の呪文で一気に追い落とす。それによって、不運な二百もの命が失われた。残された者達も、深い心身の傷を負い、魔の山道の過酷な試練に耐えられなかった数多くの者もまた、その半ばで力尽きて死を迎えていた。
「………。」
 それでもなお生き残り、この死線を抜けてきた者達に、ようやく訪れた神の助けか、この辺りには魔物の一匹もいない。しかし、その平穏を喜ぶ間もなく、彼らは死に別れた仲間達へと黙祷を捧げていた。
「さぁ…皆さん、そろそろ行きましょう。」
 しかし、いつまでも悲しんでもいられない。ハンの言葉に促され、一向は再び前に進み始めた。
 

 
「さ、こっからが本番だぜ。」
「ホンマにここまで来れたんやな…。」


 戦士―彼らが振るい、纏いし鋼は、悪を断つ剣と魔手を遮る盾となり…


 真紅の甲冑に身を包んだ名のある戦士―マリウス。戦に赴き、敵を討つ事を生業としてきた彼が見たものは、年端もいかない少女が分不相応な肩書きを背負い、魔王に挑まされる現実。その歪んだ事象を正すべく、彼は呪われし武具を纏って自ら先陣を切る。

 鍛え上げられながらも艶かしさをも醸し出す、豪放なる女傑―カリュー。彼女らもまた、魔の者の罠へと落ちてなおも生き延び、この一団と合流していた。その想いはやはり、妹のように可愛がってきた少女へのものが占めるところが大きかった。か弱き女として…否、脆弱な人間としての常識すら打ち破る膂力から繰り出される一撃で、全てを打ち砕くその姿は、魔物ですら畏怖を感じさせる。



「おおっ!!神よ…っ!!聖戦へと向かいし汝の子等に、どうかご加護をっ!!」
「私に…どこまでの事ができるかしら。」


 僧侶―彼らの祈りにより舞い降りる神の祝福は、闇黒を照らす光となり…


 熱き想いをその胸に宿した、世界を廻る宣教師―オード。信じる道を進み続ける彼に与えられた圧倒的な力。それはまさに、神の加護とも呼べる者であった。
 
 サマンオサに仕えし聖職者―レン。何事にもその想いを素直に表すその純粋な心は、紛れもなく聖職者のそれである。



「さぁて、ワシも行こうかの。」
「…わたし、頑張ります…!」


 魔法使い―彼らが紡ぎし力ある言葉は、道を切り開き、その標ともなり…


 老いてなおも旅に身を置く魔道士の老人―ジダン。遥かなる旅路の中で、全て失われていたはずのかつての力を取り戻し、今では世界有数の使い手として存在していた。そんな彼との合流は、一行にとってまさに地獄に仏であった。
 
 橙の外衣と深緑のローブに身を包んだ魔法使いの少女―ニル。最も信頼のおける男性とともに、魔境の洞窟をさまよう最中、彼女もまた、一行に救われてそれに加わる事となった。



「ハンバークの皆さん…見ていて下さい…!!」
「もう…賞金どころじゃないわよね……みんな…。」

 
 商人―商才溢れる彼らの機転は、時に何よりも確かなる指標となり…


 小柄ながらも、鍛え抜かれた異人の商人―ハン。その類稀なる体力、忍耐力により得た莫大な資材を全て投げ打ち、彼はこの一行の長となった。その想いはもちろん…彼の愛する町の全てのため。それだけで十分であった。
 
 巨大な錫杖を携えた、桃色の髪の少女―ジナ。ダーマの神殿で培った様々な経験、体格に合わぬ巨大な”正義の算盤”を振るうだけの実力。今や彼女も、この一行の貴重な戦力となっていた。


 
「ふむ、この様な結果は予想できていただろうに。さて、どうしてくれようか。」
「さぁ、どっからでもかかってくるね!!」


 武闘家―自らの体を投げ打ちて戦う彼らの猛りは、魔の者にさえ畏怖を与え…


 武道着の隙間から、鍛え抜かれた鋼の如き肉体を除かせる剛の者―ジン。純粋な力のみを求め続けて道を踏み外した最中に捨て去ったはずの多くの感情が蘇り始める。だが、それは不思議と悪い気分はしない。今はただ、失った友との誓いを交わすために拳を振るうだけであった。
 
 長い黒髪を二つ結びに纏めた小柄な少女―サイ。その線の細い印象とは裏腹に、彼女もまた、れっきとした武人であった。一振りで目に映る全てをなぎ払うだけの代物、破壊の名を冠した無双の武器を、サイは何の苦もなく使いこなしていた。



「は…ハッ…!!ま…魔物なんざぁ…も…ものの数じゃあ…」
「…あら?やっぱりこの中にはいないみたいね。」


 盗賊―彼らの類稀なる数多の技巧は、時に魔の者すら欺き…


 銀色の髪をもつ小柄な少年―ルース。仲間によって半ば強引に魔境へと連れ込まれて彼が生き延びることができたのは、まさに多彩な小技の賜物であった。もう一人の仲間とも合流を果たせたのも、死の匂い漂うこの場で奇跡であるという事も、彼には何となしにでもわかっていた。
 
 誰の目にも留まらぬ場でたたずむ銀色の髪と黒の肢体をもつ女―キリカ。その妖艶で魅力溢れる美しさの裏に、その心には狂えんばかりの嫉妬が渦巻いていた。殺してやりたいあの男に酷似した少年の姿を見て、興が醒めた様に呟いたその声だけを残して、彼女の姿は既にこの場から消え去っていた。




「フフフ…マドモワゼル。君も斯様にあの男が憎いのかね?」 
「さぁみんな。頑張ってきましょ。」


 遊び人―彼らの奇想天外なる発想は、時に進歩の糧となり…


 ”悪魔”と恐れられし遊び人―メフィス。先程虚空に消えた麗しき女豹に囁きかける様にそう零した後に、彼もまた姿を消していた。その言動に込められた、かの少女への愛情は、今は結局誰の心に届く事はなかった。

 娯楽場で一人は見かけるであろう、ウサギの衣装に身を包んだ女性―ミミー。そのふざけた出で立ちと裏腹に、ダーマの賢者を目指すという、彼女の思わぬ機転と快活なる姿勢は、一行の危機を何度も救ってきた。特注のハリセンを手に、皆へと屈託のない笑顔を振りまくその姿は、この先歴史にすら残る程に、皆に強烈な印象を与えていた。



「ふむ、油断は禁物ですな。」
「そうねぇ…。でも、あと少しね。」
「世界の平和を守るのも賢者の務め!!そうだよねっ!!」


 賢者―全てを知りし彼らは、迷える冒険者達を導く。


 蒼の髪と外套に身を包んだ優男―ニージス。その飄々とした姿勢からは想像もつかない程の想い。それはかつて自らの手で運命を決めてしまった友人の少女、そして…悪友と呼べそうなかの青年へのものであった。勇者と呼ばれた少女を救うためにこの戦いに身を投げ出さんとする彼の無鉄砲振り。今度ばかりはそれを許すわけにはいかなかった。

 赤の髪に黒い三角帽子とマント、そして緑のローブを身につけた麗人―メリッサ。彼女もまた、大切な者のためにこの地へと赴いていた。賢者という望まぬ道を歩まされる中で悪しく変化しても、記憶と名前を失って別人の様になってしまっても、あの小さな少女が可愛い妹であるというメリッサの想いは変わらない。

 水色の綺麗な長髪を、金色の額冠で纏めた少女―ファーラ。かなり癖が強いものの、総じて優秀な資質を持つ彼女の力は、皆に大きな助けとなっていた。今では、一足先にネクロゴンドへと向かった仲間達とも合流を果たす事ができ、彼女の意気は高まるばかりであった。



 そして……


「おっしゃああああああっ!!!目指すべき敵は、もう目の前だぁあああっ!!!」
「………。」
「……ようやく…俺の戦いも…」


 勇者―”勇者”たる宿命の元に生きる彼らは、終には巨悪を討たん。


 勇者としての運命を背負った若者達の姿もそこにあった。

 堂々たる体躯に、巨大な大剣を背負った勇猛なる青年―セレス。ネクロゴンドへの道が開かれたと聞くなり、彼は魔法使いのニルと共に真っ先に駆けつけていた、たった二人で魔境の地を生き延び、今では仲間とも再会し、この上ないチームとなっていた。

 短く切った黒髪に、銀色のサークレット、年若い少女とは思えぬほどの風格を有する剣士―フュラス。旅立ち当時からの仲である頼もしい仲間達と共に、この地へとやってきた。多くを語らぬ中でも自然と伝わってくるその心…それは至極穏やかなものであった。

 どこにでもありそうな使い込まれた鋼鉄の剣と、簡素な防具を身につけた孤高の冒険者―アギス。数多くの敵と仲間の死の狭間へと身を置く中で、彼が何を思うのかは誰にも分からない。
 
「いよいよか…」

 魔王バラモスの城は眼前にある。既に彼らの目標は手の届く位置にあるかにも思われた。だが、彼らは理解していない。これからが本当の戦いであるというその所以を…。



 その頃……

〜ネクロゴンド 山道の洞窟 無限回廊〜


「……あ〜…マジかよ…。」

 ネクロゴンドの霊峰の中に続く果てしない洞内の道。その中で、サイアスは至極けだるそうにそうぼやいていた。
「…ったく。どいつもこいつも…俺を差し置いて先に進んでいる頃だろうな…。どうするよオイ。」
 あの地震による落盤で、サイアスは三人の仲間と引き裂かれて、ネクロゴンドの山道洞窟の地の果てへと墜とされていた。
「まぁったくよぉ…。まっさかホントに全部ぶっ飛ばして先に進む羽目になるたぁ思わなかったぜ。」
 その体は、降りかかった土で汚れており、いくつもの傷も負っていた。魔力も、道を切り開くために全て使い果たし、まさしく満身創痍の状態にあった。
「………。」
 ふと、足元で何かがぶつかるのを感じて下を向く。そこには、志半ばで倒れた者達の成れの果てが、物言わずに転がっていた。
「やれやれ…ほんっとに冗談キツいぜ。どこの死亡フラグだよ…こりゃ。」
 危険で凶悪な魔物と戦っている内に被害が広まっていったのか、近くにも命を落とした若者達の亡骸が転がっている。一歩間違えれば自分もその仲間に入ることになるだろうとでも思ったか、サイアスは肩を竦めていた。だが、その顔は恐怖になど一片も染まっておらず、いつもの様に愉悦に満ちていた。
ー俺は俺、お前らはお前ら。所詮そんなモンだろ。
 死を前にしても自らを見失っては、ただ破滅が待ち受けるのみ。それこそ「死亡フラグ」に直結する事となるだろう。サイアスには初めからそれがわかっていた。
「じゃあな、せいぜい安らかにな。」
 もう既に聞こえないと知りながらも、サイアスは死した冒険者達へとそう告げていた。だが…その抑揚は言葉とは裏腹にひどく冷め切ったものであった。



〜ネクロゴンド 霊峰の頂〜

「今日が…本当に最後だな…」
「ええ…。」

 幾多もの魔物との戦いの後、三人は夜明けまで束の間の休息を取り、最後の食糧をその身へと収めていた。
―もう…長くないな。
 これで本当に後に引く事はできなくなった。食糧がない以上、もはや休息に時間を費やしている暇はない。幸い、昨日の激戦によって受けた傷も失われた体力も、回復呪文の力と休息だけでも十分補う事ができた。
―今が…最後のチャンスだ…!!
「さぁ、行くぞ!!」
 そばで屈んでいる光り輝く竜へとホレスがそう告げると、彼女はそのつぶらな瞳を向けつつ身を起こして翼を広げた。すぐに二人がその背中へとよじ登り、しっかりと体につかまったのを確認すると共に、その翼がはためく…。
 
バサッ…!!

 それから小さな羽根の様な光が舞い落ちる中、その大きな体はいとも簡単に空中へと浮かんだ。
 
『しっかり掴まってて。』

 そう告げる声が響くと共に、急に二人の体へと後ろ向きの力がかかり始めるて吹き飛ばされそうになる。次の瞬間、ムーの翼から猛烈なまでの光が発し、その体は一気に前方へと加速していた。
「このまま…バラモス城へ…!!」
「突入する…!!」

 空をたゆとう暗雲を切り裂きながら、光の竜はまさしく閃光の如く、魔城へ向かって飛んでいった。


 ついに…一つの冒険は佳境へと向かう……。


(第二十二章 魔境 完)