魔境 第五話

〜ネクロゴンド 霊峰 小さな洞穴〜

「変化の杖で…?」
「ああ。」

 果たして三人はどうにか合流を果たし、休息を取れそうな場所を探している内に、小さな洞穴を見つけて、そこで体を休めていた。焚かれた火の熱気と光を受けながら、先程までの事を話し合っていた。
「オレの外套の一部を取り込んで変化の杖で変形させたんだ。即興だったから浮力は不十分だったが…」
「…よくわからない…。でも、そんな事ができるって、すごいな…ホレスは。」
 話を聞いていたレフィルは心底感心した様子でうなずいていた。身に纏っていたドラゴンメイルは近くに丁寧に置かれており、今は黒の鎧下のみを身につけた楽な状態であった。年相応の少女のものでしかないその体からは、”勇者”と呼べる要素は殆どなかった。
「…おいおい、オレはコイツの力を引き出したに過ぎない。別に大した事をしたわけじゃないさ。」
―第一…コイツの力はこんなモノじゃないはずだしな。
 禁断の呪具とまで言わしめる程の力を有した魔杖・変化の杖。人間を魔物へ、罪人を王者へと変えるだけの力を秘め、今度はホレスに翼を与えてその窮地を突破する道を示した。しかし、彼が引き出した力も所詮は氷山の一角、それも本質とは離れた一つに過ぎなかった。

「あなたを信じて良かった。」

 ふと、話の途中で焚き火にその掌をかざしているムーが、ホレスへとそう告げていた。
「…やれやれ、逆にオレはお前を信じてやれなかったというのに。」
「違う、あなたの指示は私を信じたものだった。」
「…まぁ、だといいがな。」
 後ろからスノードラゴンに襲われた時、余計な事な一切語らず、声と合図だけでその意思を淀みなく伝えたのが、逆に奇襲を避けるプラスの要因となった。それはムーの能力を信じていたからこそ起こった一つの奇跡ともいえるものだった。
「わたしも…二人のことを…。」
「大丈夫。きっとあなたも…」
「ムー…」
 そんな事から、レフィルもまたここにきて、二人の大切な友人に、”旅の仲間”としてこの上ない信頼を心に抱いていた。各々がなすべき役割や、自分の出来る事も自ずと分かる様になっているのもその表れかもしれない。

「…吹雪…か。」

 ふと、ホレスが外を見ながらそう呟くのを受けて、二人もまた洞穴の外を眺めた。
「…これは…進めそうにないね…」
 雪を纏って吹き荒れる暴風は強まるばかりで、いたずらに表に出れば凍りついてしまう程に危ういものと化していた。
「そうだな…。しばらくここでやり過ごす事にしよう。」
「わかった。」
「うん…。」
 ムーのフバーハのおかげで、洞窟の内部に差し込む冷気はさしたるものでは無くなっていた。これならばとりあえず、暫しの時を過ごすに苦労する事はないだろう。
「…オレは入り口近くで見張りに立つ。二人ともゆっくり休んでおけ。」
「…でも、それじゃホレスが…」
 あの山道の入り口の様に、何者かに塞がれてしまう様な事になれば元も子もない。そして、魔物の進入の事も考えると、どのみち誰かが見張りに立つ必要がある。しかし…それをいつも、そして全てホレスに押し付けてしまう事に、レフィルは強い抵抗を覚えていた。

『そうじゃ。おぬしも休まねばならぬだろうが。』

 その時、彼女に呼応する様に紫の光が灯り、その内側から艶のある女声が聞こえてきた。
「分かってる、だが、一人はすぐに動けた方が良いだろう。」
 もう既に慣れた事なのか、それを聞いても特に慌てる事無く、ホレスは冷静にそう返していた。
『むぅ…頑固な奴よのぉ。まぁ好きにするが良い。…だが、わしもついて行こうかの。』
 忠告にも相変わらず消極的な様子であったが、ホレスはそれを否定する様な事はしなかった。素直でない彼の様子に、大蛇は呆れた様子で嘆息した。
「大蛇、お願いね。」
『うむ、任せておけぃ。』
「ホレスも…ちゃんと休んで…。」
「心配するな。…何も遊びで起きてるんじゃない。無理はしないさ。」
 レフィルを安心させる様にそう告げた後、ホレスは大蛇と共に洞穴の入り口の方へと歩いていった。

「…うーん…」

 ホレス達を見送ったあと、レフィルは先々から感じていた重苦しい感覚に頭をもたげていた。
「けほ…けほ……けほ………。…だめだな…。」
 相次いで起こる体の不調に、ネクロゴンドで体験してきた数多くの苦難を思い出してきた。
「疲れてきてるのかな…」
 魔王討伐の最後の旅に出るまで、彼女は旅から長く離れていた。それで、今のような無茶をした為にそのツケが今になって回ってきたのだろう。程なくして睡魔が体中を覆い、彼女は深い眠りへとついた。

「………。」

 しかし、このとき彼女は知る由もなかった。

「寒い。」

 近くでムーがじー…っと眺めている事も……。



「……ん……」

 翌朝、レフィルは妙な息苦しさと共に目を覚ました。
「……?」
 毛布の中にくるまって暫しの眠りについたまでは覚えている。しかし、目覚めるやいなや、妙に体が重く…中々起き上がれない…。
―…なんだろう…?
 目覚めたばかりで体が上手く動かない中、毛布の中で何か違和感を感じる。不思議に思い、覗いてみると…

「…えっ…!!?」

 そこには、赤い髪の少女が自分に抱きつく様にしてぐっすりと眠っていた。それはもう…幸せそのものを表わしているが如く気持ち良さそうな寝顔をさらして。
「ム…ムー…っ!?」
―ちょ…ちょっと……!!
 その体は、レフィルへと上からしっかりと密着しており、頭は彼女の胸にうずめられている。それはさながら、母に甘える小さな子供の様でもあった。だが、レフィルは全く想定外の事態に、ただただどぎまぎしていた。
「……むー……。」
「……!!」
 不意に、小さく唸り声を上げながら、ムーは小さく体を揺すった。

ぎゅぅううううう…

「わ…っ!?や…やめ……ムー…!!」
 同時に体を締め上げる様に、腕の力が強くなるのを感じて、レフィルは更に動揺を深めていた。このまま握りつぶされてしまうとも錯覚させる程の力強い抱擁に、心臓が早鐘の如く鳴り響く…。

「…ったく、何か騒がしいと思ったら凄い有様だな…」

 その時、自分達を見下ろす位置から、呆れた様にそう言い放つ青年の姿が目に入った。
「いつまで寝ぼけているつもりだ、ムー。いい加減に目を覚ませ。」
「!」
 そして、彼…ホレスはムーの頭に十本の指を立てて一瞬の圧迫をかけた。すると、ムーは鳩が豆鉄砲を喰らった様に飛び上がり、バッチリと目を見開いた。
「…痛い、でもスッキリ。」
 そして、先程までとは打って変わって、至極明瞭な動作でレフィルの体から飛び降りた。
「ホレス…。」
 レフィルはようやくそこで我に返り、ホレスを見上げた。
「ああ。十分休めたよ。…これもあいつのお陰だな。」
 その顔はいつになく生気に満ち溢れていた。どうやら必要なだけの睡眠を取る事ができたらしい。彼は入り口の方を見やりながらそう応えていた。
『ほほ…交代で睡眠を取れば、一夜程度どうという事もないわ。』
「ホントに…便利な体だな…」
 そこにいる八岐の大蛇を見て、ホレスは呆れた様に溜息をついた。よく見ると、八つの頭のうちの半分が目を伏せて地面にへたり込んでおり、睡眠をとっていた。
「吹雪は止んだ。どうにか先に進めそうだな。」
「うん…。」
 魔境の内で奇跡的に得る事ができたひとときの休息。それももう、終わりを迎えようとしていた。
「装備を整えたらすぐに出発するぞ。…まずは食事が先か。」
 荷物の中にある心許ない食料を眺めて、ホレスはそう呟いていた。


〜ネクロゴンド 山脈の尾根〜

 天上の世界と見紛う程に足元に広がる雲。誰しも足を踏み入る事なく純粋な白の雪に彩られし霊峰が指し示す天空の道…。

「足元に気をつけろよ。」
「うん…。」
 その様な神々しさとは裏腹に、レフィル達が進むその道は、どこまでも険しいものであった。降り積もった雪に足がめり込み、その進みは限りなく重い…。
―尾根になっていたからよかったが…。
 空には無数の魔物が佇んでいるため、再びムーに乗って空を飛んでもいたずらに危険を増やすだけであった。それでも前に進みたければ、この山道を通るしかなかった。
「…案外、ツイているかもしれない。だが…」
 おそらく、自分達より先に進んだ者達は、あの洞窟の中に閉じ込められて、後戻りも出来ず追い詰められている事だろう。その意味では、最後に出発した事がプラスに働いたとも言えるかもしれない。そう思いながらも、ホレスは銀嶺の一角を険しい表情で注視していた。

「散れっ!!」
「「!!」」

シュゴォオオオオオッ!!

 不意に、ホレスが叫ぶと同時に灼熱の熱波が三人へと飛来した。
「…うっ…!!」
 だが、少しタイミングが遅かったのか、レフィルはその炎をまともに受けてしまった。水鏡の盾で咄嗟に身を守ったが、その勢いを殺しきる事は出来ず、彼女は炎に嘗め回された。
「レフィル!!」
「位置は…分かった。」
 遠くから放たれたベギラマの炎を受け止めたレフィルを見て駆け寄るホレスを横目に、ムーは呪文が飛んできた先…獅子の風貌を持つ六つ足の魔物―ライオンヘッドへと視線を向けていた。

「天の最果てに普く光球…其は総てを灼き、総てを灰燼に帰せ……メラゾーマ…!」

 彼女の呪文に呼応する様に、上空から想像を絶する程の巨大な火の球が、流星の如く霊峰の一角へと落下し、辺りの雪もろとも全てを焼き尽くした。その莫大なエネルギーの奔流に飲み込まれ、ライオンヘッドは骨も残さずに燃え尽きた。
「ごめんね…ムー。」
「気にしないで、怪我はない?」
 後ろを振り返ると、先程ベギラマを受けたレフィルの姿を確認できた。水鏡の盾が減殺した熱をドラゴンメイルで遮ったお陰で、ダメージは然程ではないらしい。
「ありがとう。大丈夫よ。」
「よし、先に進もう。」
 レフィルが無事である事を確認すると、ホレスは頷きつつ空を仰いだ。
「…手始めに、上から来る魔物の迎撃だ!」
「ええ!」
「了解。」
 先程のメラゾーマによって本能的な恐怖を感じて多くの魔物が次々に逃げていく中、残った数体の魔物が空からレフィル達へと襲い掛かった。ホレスは変化の杖を手に取り、レフィルはバスタードソードを抜き、ムーは理力の杖を構え、彼らを迎え撃った。


〜ネクロゴンド 山脈の尾根 九合目〜

 空の果てにも連なりそうな、遥かなる道へと足を踏み入れる事七日…。
 
―…まずいな…。
 ホレスは置かれている現状を鑑みて焦りを隠せなかった。
「…はぁ…はぁ……。」
「……。」
 強大な力をもった数々の魔物との戦いと、険しい道を行く過酷な山越えに、三人はいよいよ疲弊し始めていた。幾度と無く続く戦いで傷を負い、難所によって体力を奪われ続け…
―もう…食料が尽きる…か…。
 永木に渡る旅を続ける上で持ち込んだ食料は既に底をついていた。疲労や負傷による衰弱、空腹による精神的な苦痛、それらは三人の心身へと十分なダメージを与えていた。
 
「だが…あと少しだ!」
「そう…ね…。あと…すこし……!」
「たどりつく…。ぜ…っ…たいに…!」

 しかし、死すら呼び起こしそうなそんな状況においても、彼らは後には退かなかった。


 地獄の騎士
 
 三対の腕をもつ、骸骨剣士の上位種。
 そのおぞましい外見に違わず、非常に危険な魔物。
 
 
 三人は、いつしか現れた脅威へと身構えていた。漆黒に彩られた骨の体、錆び付いた六振りの剣。それはまさしく冒険者達を黄泉へ誘う死神と呼ぶにふさわしい風貌であった。

 ゴウッ!!
 バチバチッ!!ドゴォッ!!
 ドガァーンッ!!
 
 その悪魔が動き出す前に、三人はそれぞれの力を振るい、一気に畳みかけた。
「く…!効いてない!!」
 ムーのメラミ、ホレスの雷の杖、レフィルのイオラをまとめて受けても、地獄の騎士の勢いは止まらない。
「…っ!?」
「う…っ!!」
「……ぇえい…!!」
 魔物はレフィル達の中心へと切り込み、その六本の剣を振り回した。満足に体勢を整える事もできず、三人は分断された。
 
ブワッ!!
 
「「……!!?」」

 不意に、その髑髏の口から、毒々しい色の霧のような吐息が放たれた。
―これは…毒…!?
 ホレスはすぐさまそう判断してその場を飛び退いた。
「…ぁ……ぅう…っ!!」
「レフィル!!」
 しかし、レフィルはそれを避ける事が出来ず、まともにその毒霧を受けた。
―体が…動かない……!!
 それはすぐに彼女の体を冒し、程なくしてその効果を及ぼした。
 
ガシャッ!!
 
「…!!」
 同時に、黒の死神が振るう六の刃が、無防備なレフィルの首を目がけて殺到した。アストロンを唱えようにも声が出ない。動けぬ体で彼女は死を目前に感じた。

ギギギィンッ!!

 しかし、その直前に一筋の影がレフィルの前に立ちはだかり、その死神の六の一閃を全て弾き返した。
―ホレス…!?
 眼前に、ありとあらゆる武器を手にした銀色の髪を持つ青年がいる。
 
ギャンッ!!

 地獄の騎士と同じ数の腕に握った武器を一斉に振るい、その魔物を打ち据えて吹き飛ばした。
 
「…キアリク」
 
 ホレスが目の前で戦っている最中、横からムーが回復呪文をレフィルへと施した。
「体が…動く…。」 
 失われそうな意識と感覚が元に戻り、レフィルは再び立ち上がった。
「…ちぃっ!!」
 そのとき、ホレスの顔に死神の一撃が掠めた。頬を軽く切り裂き、僅かに血が滲む…。
 
―もう…終わらせよう…。全部…。
 
 それと同時に、レフィルの心の内に、暗き闇の様な感覚が膨れ上がる…。いつしかその左手には、あの蒼い魔剣が握られていた。
 
ビュォオオオオオオオオッ…!!
 
 すぐにその剣に秘められた力が解放され、刀身を中心に極寒の凍気が廻り始める…。
「……イオラ」
 そして、それに右手を添えながら彼女はそう唱えていた。
 
パキ…パキパキパキパキ……!!
 
 すると、氷剣を覆う吹雪が一気に収縮し始め、細かな氷晶となり…辺りの随所で固まり始めた。
「………。」
 それらはやがて、レフィルが手にする蒼の刀身へと集い、氷の魔力を集約した一本の大剣と化した。
 
ゴゥッ…!!
ピシッ……!!

『……!!?!?』
 剣先から噴出した小さな白き塊が地獄の騎士へと直撃すると共にその動きを止め、黒い体は瞬く間に雪の白へと染め上げていた。
「…………。」
 完全に動きを止めた死神へと、レフィルは氷の大剣を手にゆっくりと歩み寄り始めた。そして、剣が届く範囲へと届いたその時…
 
ズンッ!!
 
 その切っ先は、地獄の騎士の体を貫いていた。瞬間…魔物の体に絶対の凍気が流れ込む…。
「………。」
 レフィルはその闇を思わせる紫の瞳で、ただ黙って目の前の敵を見守っていた。黒き死神は、全てを滅ぼす極冷の魔剣を受けて完全に沈黙し、風の塵となって消滅した。
「レフィル…。」
「……。」
 役目を終えた氷昌の剣は静かに虚空に消え、あるべき姿―元の蒼い魔剣の姿へと戻った。
「…先を急ごう。」
「うん…。」
 心の闇を込めた一撃を見て、僅かに動揺を見せるホレスの言葉に頷きながら、レフィルはすぐにその後を追った。



 そして、更に幾日もの時が流れた……。
 
 
〜ネクロゴンド 霊峰の頂〜
 
 太古より何者も到り得なかった幾多の山が織り成す魔境の山脈の頂上。普く雲はいつしか消え失せ、世界の全てが見渡せた。
 
「…やっと……!ここまで着いた…!!」
「ええ…!!」

 黄昏へと落ち行く山吹色の光に照らされ、切り裂くような冷たい烈風をその身に受けながら、レフィル達はその光景に目を奪われていた。それは、風光明媚と言うには役不足なまでに、神々しい雰囲気に満ちていた。
―…思えば…最大の冒険だったな…。
 最後の旅立ちからおよそ一ヶ月…しかし、この僅かな時の間に、これ程想像を絶する過酷な道を踏破し、魔城さえ見下ろすこの地へと到る事ができた。だが…これで終わりではない。
―ここから…バラモス城へ……。
 数多の絶望と死線を乗り越えてたどり着いた神々のみが到るこの秘境も結局は通過点に過ぎない。決戦はまだ始まってすらいない…。
 
「…来る…!!」
 
 不意に、前方からの蠢く者どもの気配が増し、三人は幾多もの殺気をその身に受けた。
「バラモス城は目の前なのに…!!」
 レフィルはそれを見て苦しそうにそう呻いた。一体何処から現れたのか、これまで戦ってきたネクロゴンドの魔物達がネクロゴンドの山脈の頂へと続々と集まっていた。その数は十や二十では済まない。
「空からも…か…。」
 集まる気配に引かれたか、空からも続々と魔物達が集まってくる。空を覆いつくさんばかりの影が、三人へと迫っていた。
―ふん…手間が省けたな。
 どのみちバラモス城に行くに際して、これら全ての魔物が障害となる事は間違いない。ホレスは鼻を鳴らしながら武器を構えた。
 
「…これが最後だ。一気に突破するぞ!!」
「邪魔しないで。」
「…全部…終わらせるまではわたしは……!!」
 
 ネクロゴンドの霊峰の頂に広がる尾根の上で、三人は正面から迫り来る魔物達―この銀嶺における最後の試練へと真っ直ぐに向き合った。