魔境 第四話


〜ネクロゴンド 霊峰〜

 夜明け…そびえる山々の隙間から差す朝日が辺りを照らす中、岩山の洞窟の前で、大勢の人の子が慌しく動き回っていた。

「最後尾!!準備整いました!!」


「よぉし!!他も大丈夫だな!?」
「はい!!後は斥候隊の帰りを待つだけです!!」
 幾つも立てられていたテントは全て片付けられ、冒険者各人の物資の補充や馬車の整備等も全て完了し、既に彼ら一行はいつでも出発できる状態にあった。その顔にはいずれも志からくる活気に満ち溢れていた。

「戻ってきました!!どうやらこの先にバラモスの城があると見て間違いないとの事です!!」
「「「おおぉっ!!」」」

 その伝令を聞くなり、集いし者達の間に一気に歓声が広がった。これまで歩んで来た道、そして、これから行く道に誤りはなかった。それにより、士気は更に高まるばかりだった。
「では、参りましょう!!目指すはバラモスの城です!!出発!!」
 この最高の雰囲気の中で、行商人ハンの号令のもと、一行は山道への入り口へと次々と足を踏み入れていった…。

『くくく……』

 しかし……

『愚か者どもが。まんまと我が罠に墜ちてこようとはな…』

 山道の入り口に誰もいなくなったその時、一つの影がそこへ降り立った。
『お前達は魔王様の下にたどり着く事も、生きてここから出る事も叶わぬわ。』
 それは、毒々しいローブに身を包んだ一人の青年であった。フードの隙間から、紅く輝く瞳がその妖光を覗かせていた。
『では、仕上げと行こうか…』
 嘲笑を浮かべながら、彼は掌を天にかざして念じ始めた。同時に、洞窟の入り口にルーン文字が描かれた光の円が幾つも姿を現し始める…
『ボルディ・サイザー・ウェラ・セロン……』

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 彼が不可思議な言葉を紡ぐと共に、激しい地鳴りが巻き起こり、大地は大きく揺るがされた。同時に…洞窟の入り口が、血塗られた様な赤の扉によって閉ざされ始める…。


〜ネクロゴンド 山道の鍾乳洞〜

 ゴゴゴゴゴ…

「…!?おいおい!!一体どうなってやがる!!」
 松明の灯りを頼りに、洞窟の中を進んでいたサイアス達にもそれは予想外の事であった。湿った石の足場を歩む最中に起こった猛烈な揺れに襲われ、彼らはなす術もなく地面に伏した。
「…な…なに!?地震!?」
「ひ…ひぃいいい!?なんじゃあ…!?」
 急に発生した不可解な現象に、仲間達は混乱の中へと引きずり込まれた。サイアスもまた、突如として起こった
地震に戸惑いを隠せず、稲妻の剣を杖に必死に身を起こそうとしていた。

ガラガラガラッ!!

「あ…あかん…!!う…え…っ!?」
 突如として天井が崩れ落ちてくるのを最後に揺れは収まり、後には静寂が支配するのみだった。


「テテテ……!!皆、大丈夫かっ!?」

 一方、洞窟の入り口付近でも、いきなりの大地の轟きに…冒険者達の間で動揺が伝播していた。
「前方で落盤を確認!!…中に数人が閉じ込められました!!」
「すぐに救助を!!…まずいですね…。」
 地震によって引き起こされた被害の情報が交錯する中、ハンは悪化し続ける事態を懸念し、顔をしかめていた。
「ここも危ないかもしれねぇ…。」
「そうですね…。一度撤退を…」
 かなり激しく揺れたせいか、内部は大分不安定になっている。このまま混乱したまま中に留まっていれば、被害は更に広まるかもしれない。そう判断して皆に指示を出そうとしたその時…

ガコォオオオン……

「…っ!?何が…!?」
 再び轟音が響くと共に、入り口から差し込んでいた光は完全に途絶えた。
「な…入り口が…!?」
 松明が照らす先には、扉の様な形の赤い岩壁があった。
「えぇい…!魔法の球を持って来い!!」
 これのせいで外に出る事ができないならば破壊してしまうだけの話である。誰かがそう大声で指示する声が洞内に響いた…

『ザラキ』

「……ぁ…っ!?」
「が……っ…!!」

 不意に、不吉を告げるかの様に死の言葉が囁かれると共に、彼は周りの者達共々、力無く地面へと転がってそのまま動かなくなった。

『けっ。まんまと引っ掛かってくれやがったぜ。やっぱニンゲンなんざちょろいモンだな。』
 そして、そこに残ったのは褐色の肌を持つ悪魔―バルログが息絶えた者達を見下ろしている様だけだった。


『たわいもない。』
 宙に浮かぶ水晶玉に映っては消える、幾つもの悲劇を眺めながら、緑衣の青年はそう呟いていた。
『さて…、まだネズミがいる様だが…』

バシュウウッッ!!ドゴォオオオッ!!

 彼が後ろを振り返ると同時に、轟く雷鳴と共に、紫の雷光が凄絶なまでの力を纏って突進して来た。
『まぁいい。…俺の役割もこれまでだ。』
 緑のマントが翻されると共に、青年の姿は掻き消えて、紫電は空を切り、それはそのまま石窟の入り口を塞ぐ赤石の壁へと牙を剥いた。

「……!!……これは…!?」

 遅れてこの場に現れた、魔獣の背に乗った緑の鎧を纏い、蒼の魔剣を携えた少女は、目の前の光景を呆然と眺めていた。彼女が放ったその渾身の一撃を受けても、壁は砕け散る事なくそこに悠然とたたずんでいた。
『無駄だ。幾度砕こうがこの壁は魔王様の力を受けている限り、消える事はない。』
「…え……?…そんな…」
 先程まで開かれていた道は、不朽なる赤の障壁によって、今まさに完全に閉ざされた。


〜ネクロゴンド 閉ざされた山道前〜

「さて…どうしたものか。」

―ルカナン、バイキルト
―ライ…デインッ!!
―ぬぅ…っ!?…我が炎を受けて融けぬとは…!?

 レフィルの剣やムーの理力の杖、大蛇の炎を受ける度に、壁は確かに削り取られていた。しかし、その傷も時と共にすぐに元通りになっていた。

―壊せない…っ!!どうして…こんな時に…!!
―ぬかに釘…のれんに腕押し…馬耳東風…
―ぐぬぬぬ…!!?たかが壁相手に手も足も…牙も出ぬとは…!!
―手…あるの?
 
 魔境の中心、魔王バラモスへの居城へと繋がる道を閉ざす赤壁。それは、レフィル達の持てる力の全てを以ってしても、崩れる事はなかった。

―もういい三人共。これ以上は時間の無駄だ。
―ホレス!?
―…このままじゃ、壁を崩す前にお前達がバテるだけの話だ。

 おそらくこの壁を突破する方法は皆無ではない。しかし、このような所で悪戯に時間と体力を浪費しては、この先長くはもたないだろう。そして…突破できたとしても、その状態で探索を続けられるだろうか。
「…でも、この山を越えないとバラモス城には…」
 この山を抜けた先に目指すべき魔城がある。しかし、その道は目の前で閉ざされてしまった。
「確かに。…ったく。面倒な事になったな…。」
 困惑するレフィルに共感しながら、ホレスは顔を下の方へと向けた。
「…ムー?」
 その視線の先にいる少女、ムーの姿を見て、レフィルは首を傾げた。先程からしきりに空を眺めている…。

「山を越えればいいの?」

 そして、彼女はホレスへと向き直り、目を合わせつつそう尋ねてきた。
「この際…形振り構っていられないからな…。」
「…??」
 ホレスの返答に何か含みがあるのを感じて、レフィルはまた首を傾げた。どうやらこの山を越える方法を、二人は知っているらしいが…。
「使っていいの?」
「ああ、頼む。」
 そんな彼女を横目に、ホレスとムーの話はすぐに終わった。
「どうしたの…?ホレス?」
 直後、ホレスは罰の悪そうな表情をしていた。それを疑問に思い、レフィルは彼へと歩み寄った。
「……ああ。…なんでコイツは…」
「…ムーが…どうしたの…?」
 諦めにも似た視線をムーへと向けるホレスの言葉に、レフィルの疑問は深まるばかりであった。

「我…人の裡を棄て……」

 その時、ムーは理力の杖を地面に突き立てながら、詠唱を始めていた。

「ドラゴラム」

―ドラゴラム…!?…まさか…!!
 レフィルはその呪文の名を聞いて、ようやく二人の意図を知った。

グ…ググググググ…ッ!!
ブチブチブチィッ!!
グォォオオオオオオオンッ!!

 緑の欠片が爆ぜる様に飛び散る中、金色の竜がその中心からその姿を現した。
―空を…飛んで……??
 既にドラゴンと化したムーは、その大きな翼を広げ、今にも飛び立とうとしている。つまりはこのネクロゴンドの山脈を、空から飛び越えようと言うのだろう。

『乗って』

 ムーはその体を屈めながら、二人をその背へと誘った。
「ああ。」
 促されるままに、二人はすぐに彼女の背へと跨った。
「じゃあ…行こうか。」

バサッ…バサッ…

 翼がはためき大きな羽音を鳴らすと共に、少しずつ空へと浮かび上がっていく…。
「ムー、レフィル。気を抜くなよ。」
「…うん…。」
『しっかり掴まってて。』
 旋回しながら徐々に高度を増していき…やがて、山道の洞窟の遥か上まで飛び上がっていた。
「あれが…魔王バラモスの城…」
 天上から見下ろせるネクロゴンドの大地の最果てにして、その頂点に位置する最後の目的地。それは天然の試練とも言うべき幾多の険しい山々に囲まれた中心に佇んでいた。
「…そうだな。しかし…やはり無茶があったか。」
『ホレス?』
 彼方に見える魔城を目にして嘆息しながらも、少々の不快感を露わに頭を抑えるホレスに、ムーはその長い首を後ろに回して振り向いた。
「…うん。わたしも少し…苦しいかも…」
『私は慣れてるから平気。でも、本当に苦しくなったら言って。』
「ああ…。これでも、あの壁を壊すのに比べればマシだからな…」
 ドラゴンに変身して大空を飛ぶ事に慣れているムーはともかく、ホレスやレフィルは急激な高度の変化に体がついていかなかった。それでも、この飛行による負荷とつり合う程に、彼らは着実に前に進んでいた。
『このまま一気に城まで飛ぶ?』
「ああ。…そうできればいいが…」
 このまま飛んでいれば、おそらく一日と経たずにバラモス城まで辿り付くだろう。ホレスもできる事ならば何事もなく前に進みたかった。しかし、下方から怒涛の如く押し寄せる魔物達の気配を感じ取り、険しく目を細めていた。


〜ネクロゴンド 霊峰上空〜

『…邪魔』

シュゴオオオオオオッ!!

 全く抑揚のない声色が、かえって一瞬の怒気を感じさせる。その様な短い一言の後に吐き出された竜の息吹が、彼女へ仇なす者達へと吹きつけられた。
「…やったか…?いや、まだだっ!!」
 放たれた灼熱の業火の中を生き延びた魔物達が、上空へと飛び上がる。
「ガルーダにヘルコンドル…スノードラゴンと来たか…」
 巨大な怪鳥とその亜種がなす群れ、そして、細長い体で空を舞う蒼の鱗をもつドラゴン。彼らは、空を行くレフィル達の行く手を阻むに十分な脅威であった。
『トリ肉…!!…でも、あんなに食べたくない。』
「喰う気だったのか…。」
 ヘルコンドルとガルーダの群れを見てムーが一瞬嬉しそうに目を見開くのを受けて、ホレスは呆れた様子で嘆息していた。

ビュォオオオオオッ!!!

 そのとき、頭上からスノードラゴンが吐く極寒の吹雪が猛烈な勢いで吹きつけてきた。
「イオラッ!!」

ドガガガーンッ!!

 しかし、それが三人を飲み込む直前に、レフィルはイオラの呪文を唱えて爆発を発生させた。それは氷の息吹の中で爆ぜてその勢いを逸らし、それを放った龍達をも打ち据えた。

ギェエエエエッ!!

「鬱陶しい」

ドガァーンッ!!

 次いで接近してきたガルーダとヘルコンドルを、ホレスは爆弾石で迎撃して撃ち墜とした。
―戦い難いな…。
 それに耐えて襲ってくる怪鳥の群れを隼の剣で斬り伏せながら、彼は今の状態をそう評した。空を飛びながらの戦いで足場が不安定である中で、ホレスは他の二人に比べてこの中で戦う術は少ない。
―さて…どうしたものか…。
 レフィルの呪文や、ムーの炎や吹雪のお陰で、今はどうにか持ちこたえている。だが、ここを切り抜けてもおそらくは次の魔物が来るだろう。
―このままでは…時間の問題か。
 元々空は人が在るべき領域ではない。ムーの背中から足を外してしまえばそのまま落下してしまうのは当然の事である。この限られた戦いの場において、自分に一体何が出来るというのか。ホレスはいつしか右手に握っていた変化の杖を握る力を強めながら、周囲へと注意を向けつつ成り行きを見守っていた。

ドガァーンッ!!
シュゴオオオオオッ!!

 その様な中、レフィルが放つ爆炎と、ムーが吐き出す炎が目の前から迫る魔物の群れを再び焼き焦がす。
「…耐えたか…!」
 しかし、彼女らの攻撃の中、ただ一体残ったスノードラゴンの一体が、もうすぐそこまで迫っていた。

ドンッ!!

 スノードラゴンは、その泳ぐように軽やかに空を舞う姿からは想像できない程の威力の体当たりを仕掛けてきた。それにより、ムーは大きく吹き飛ばされたが、すぐに翼を大きく広げて体勢を立て直した。
「…ぐっ!?」
「…きゃっ!!」
 しかしその時、今の衝撃でムーの背中に乗っていたホレスとレフィルが空中へと大きく投げ出された。
『……!!』
―ホレス…!レフィル…!!
 二人がネクロゴンドの大地へ向けて堕ちゆくのを見て、ムーはすぐさま彼らを追おうと降下しようとした。

「ムーーーーッ!!!」
『!?』

 だが、ホレスは彼女が近づこうとするのを遮る様に右手を差し出しながら大声で叫んだ。
―後…ろ…?
 その手が指し示すムー自身の背後へと注意を向けると、そこには蒼い龍の牙がすぐそこまで迫っていた。
『…バイキルト』
 直後、ムーはすぐさま自分に強化呪文を唱え、すぐに竜の爪を振りかざした。
―あなたを…信じていい…?

ズンッ!!

 直後、振り向き様に放たれた一撃は、スノードラゴンを確実に捉え、その身を引き裂いていた。
―あなたが…全部…なんとかしてくれるって…
 本来、今は死の危険に瀕した大切な友達を助けなければならなかったはずである。しかし、彼はその様な状況の中でも、自分達よりもムーの事を案じた。おそらく彼にはわかっていたのだ。今助けに入ろうとすれば、間違い無くムーの身は危険にさらされていた。ならば、信じてやる事が自分に出来る事ではないか。


「…ぐっ…ぉおおおおおおっ!!」
 落下の勢いが増すにつれ圧力は強くなり続けて、ホレスは苦悶に満ちた声で呻き声を上げた。
―レフィルは…気を失っているか……。
 離れた位置にいるレフィルは、既に意識がないらしく、理に身を任せるままに落下している。防御呪文アストロンにも頼る事ができない今、このままでは地面に落ちて、そのまま命を失うのも…
―こう…なったら…!!
 しかし、ホレスはその結末を認めなかった。

「お前の出番だっ!!」

 彼は、右手に握った変化の杖を前へとかざした。その瞬間、先端に取り付けられた魔法の宝玉が妖しく光りはじめる…。
―よし…!
 不意に、ホレスは急に自分の体が軽くなる様な感覚を感じた。そのまま急降下し、目を伏せたまま落下しているレフィルの体を抱きとめた。
―まだだ…!
 レフィルを助け出す事はできた。しかし、このままでは自分も無事に着地する事が出来ない。体は軽くなっていても、自在に空を飛びまわれるレベルには程遠く、二人は今も尚落下し続けていた。

「もっとだ……!!もっと力を寄越せ…!!」

 変化の杖に意識を集中して念じると共に、体はどんどん軽くなり…やがて浮き上がろうとするも、落下の勢いはいっこうに収まらない。地面までもあと僅か…。それでも彼には…ここで諦める事など許されていなかった。
―そう簡単に終わってたまるか!

「デュフューズ・イース・ビヘンド・セロン・デリク・アール…トラマナッ!!」

 体が捻じ切れてしまいそうな圧力の中、必死に意識を保ちつつ…彼は素早く呪文を唱えた。直後…彼らは地面へと激突した。

「…っ…ぅうううううっ…!!?」
 その瞬間、大地からの衝撃が、全身を突き抜けた。
「…くっ…!!」
 数々の呵責によって意識は朦朧とし、視野の焦点も定まらず、体は痛みに喘ぐようにして言う事を聞かない。その様な中でも、彼は確かに生きていた。
「…レフィルは……!?」
 着地の拍子に手離してしまったのか、そばにレフィルの姿はない。彼は混濁する意識の中で強引に体を起こしながら、辺りを見回した。

「…う…うーん…。」

 視界がはっきりしない中、近くで小さなうめき声が聞こえてくる。
「レフィル!無事か!?」
 ホレスがすぐさまそちらへと駆け寄ると、そこにはぐったりと倒れている少女の姿があった。
「…い…いたたたた……、また…頭打っちゃった…。」
 落下の衝撃で意識を取り戻したらしい。彼女は頭をさすりながらゆっくりと起き上がってきた。
「…え…?」
「…どうした?」
 ふと、レフィルはホレスの姿を見るなり、不思議そうに表情を固まらせていた。

「…その翼…どうしたの……?」

 その出で立ちに、彼女はそう尋ねてきた。それは、普段のものと殆ど変わらず、ホレスその人であると容易に判った。しかし、その背中には…虹色の光を帯びた羽が連なる、大鷲の様な翼が広げられていた。
「ああ。だが…話は後だ。」
 レフィルの質問には答えずに、ホレスは落ちてきた方向を見上げていた。大空にもまた、幾つもの羽がゆっくりと舞い落ち、それは辺りに静かに降る雪と溶け合う様にしてこの場に調和していた。
「今は…ムーをここに呼ばないとな…。」
 右手に握られている変化の杖が、淡く光を帯びている…。それが消えると共に、ホレスの翼は虚空へと消え去っていた。

「リグ・オ・デリク・レイド・セロン……」

 右手の指先に意識を集中しながら、ホレスは複雑な詠唱を違える事なく唱え上げていた。直後、上に向かって一筋の光が伸び、天を衝いていた。