第二十二章 魔境

 ネクロゴンド―その最果てに魔王バラモスが君臨していると云われる魔境…
 
ズンッ!!
 
 その入り口にあたる平原で、大地を揺るがさんばかりの轟きが鳴り響いた。
ザッ!!
 同時に、蒼い刀身を持つ三叉の魔剣が宙を舞い、回転しながら離れた場所へと突き刺さった。
「…ぁ…っ!?」
 その主…深い緑の竜鱗に覆われた鎧を身に纏った少女は、身を守るべき武器を弾き飛ばされて思わず息を呑んだ。
『ゴァアアアアアアアアアッ!!!』 
 目前に立ちはだかる山の様な巨体を持つ土色の怪物―トロルの咆哮が大気を揺るがす。その雄叫びと共に、魔物は手にしたトゲ付きの棍棒を少女へと振り下ろした。
 
「させるかっ!!」
ガンッ!!
 だが、それが彼女を弾き飛ばす寸前で、一筋の影が割って入った。
「…ホレス!」
 銀色の髪に黒いコート、背には様々な武器を背負った冒険者…彼はトロルの棍棒を受けても全く吹き飛ばされる事なくそこに立っていた。
『ムー!!』
 棍棒を受け止めた体勢のまま、彼は空に向かってそう叫んだ。
 
「ルカニ、バイキルト」
 すると、そこから小さくぽつりと呟くような声で呪文が唱えられるのが聞こえてくる。
ドゴッ!!
『グ…ガァアアアアアッ!!』
 程なくして、黒い三角帽に緑の衣に身を包んだ赤い髪の少女が、手にした鈍器の様な杖を、落下の勢いそのままにトロルの脳天へと叩きつけた。その衝撃があまりに大きかったのか、魔物は大きく悲鳴を上げながら地面へと膝を屈した。
「今だ!レフィル!!」 
「…ええ…!」
 それを合図に、少女…レフィルはゆっくりと立ち上がる。
「……これを、使うときが…。」
 何かをためらう様子を表情に出しながら、彼女は右手を開き、それを肩の後ろへと運んだ。
 
 
 
〜アリアハン城 謁見の間〜

「よくぞ戻った!!アリアハンの勇敢なる若者よ!!」
 アッサラームで再会した酒場の女主人―ルイーダの言葉に従いアリアハンへと戻り、城へと赴くと、謁見の間にて、アリアハン国王が歓迎の意を込めてレフィル達を出迎えた。
「こうしてまみえるが三度、ますます活躍しておるようじゃの!!」
「……。」
 レフィルの旅の記録の全てが記された書物―冒険の書をめくりながら、王は彼女へと労いの言葉をかけた。
「今、世界は変わろうとしておる。それも元を辿れば全てそなたらの働きに拠るもの。そなたは我が国の誇りじゃ!レフィルよ!」
 確かにレフィルが訪れる所々で多くの変化が起こっていた。ロマリア王国の金の冠騒動、バハラタの町の婦女誘拐事件、ジパングにおける理不尽な生贄、移民の町の革命、そして…サマンオサの暴君など、数多く起こった事件の解決をきっかけに、世界中で勇者の名が囁かれる様になっている。 
―…違う…。わたしのおかげなんかじゃない…
 王はそれらをレフィルの功績として語っている。しかし、彼女自身はその場にただ居合わせていただけで、特に大きな事を成したわけではない。その様な背景と所詮は弱い少女の身でしかない自分の正体…この二つを知られぬままに広がっていく名声を、王の言葉は更に広げる結果となるだろう。
―…やめて………
 自分の不安を他所に次々に膨らんでいく望まざるものによって、レフィルは心の内が張り裂けるような不快感を感じていた。
「さて、既にそなたも聞き及んでおるであろう。ついにネクロゴンドへの道が開かれた。サマンオサの勇者…サイアスの手によってな。」
 レフィルの精神が揺さぶられている事など構わぬ様子で、王は言葉を続けていた。
 
 
 話は少し遡り…
 

〜ネクロゴンド 死の火山〜

「…あ〜…マジ暑いのな、ここ…。」

 円形に開いた赤熱した大きな岩の空洞を眺めて、サイアスは気だるげにそうぼやいていた。
「…ここが、死の火山…。」
 勇者オルテガが命を落としたと云われる”死の火山”…。その火口は巨大な裂け目を大地に穿ち、冒険者の行く手を阻んでいた。
「…ふむ、いずれにせよこのままでは通れぬか。」
 空を舞い…大地を乗り越える術も、眼下に広がる灼熱の溶岩を渡る術もない。ゆえに、人の子にこの火山を越える事は到底不可能であった。
「そうだわな。…さぁて…っと!」
 皆が火口の前で足を止めている中、サイアスは腰に帯びた細身の剣―ガイアの剣を引き抜いた。
「…サイアス…本当にいいの…?」
 大地の淵へと歩みを進めようとするサイアスを、レンがそう呼び止める。その顔には悲しげな表情が映し出されていた。
「今更何言ってやがる。ここで立ち止まってちゃあいつまで立っても前には進めねぇぜ。」
「…でも…それ……サイモンさんの…」
 
「あばよ…」
 
 レンが言い終るのを待たずに、サイアスはガイアの剣…大地を切り開く鍵を、火口へと投げ入れた。
「…これでいいんだよ。んな錆び錆びの剣なんざ…持っていても仕方がねぇんだからな…。」
「サイアス…。」
 勇者サイモンの唯一の形見、サイアス自身もそれを手放す事に多少なりとも抵抗を感じていたに違いない。しかし、大地の鍵を使わなければネクロゴンドへの道を開く事は出来ない。だからこそ、サイアスはガイアの剣を躊躇なく火口に投げ入れたのだ。
「何辛気臭ぇ顔してんだよ。…ぼやぼやしてると…」

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ…!!

「「「!」」」
 形見を簡単に捨てた事に対する不安感を感じる三人の仲間に対してサイアスが注意を促しているそばで、不意に猛烈な地震が発生し、地面を揺るがした。
「…来やがったぜ!!」
 その揺れに臆する事なく、サイアスは死の火山の火口を真っ直ぐに見据えた。
「…む…おおおお…っ!!」
「…死の火山が…!!」
「噴火…する…っ!!」
 揺れの勢いで火口へと落ちまいと、三人の仲間は必死に地面にしがみつく。
 
ドガァアアアアッ!!!

 そうしている間に、溶岩が死の火山から天高く吹き上げられた。
「オラァッ!!何ビビってやがる!!気合入れろやお前らぁ!!」
 数多の命を灰燼に帰す煉獄の炎…それを前にして物怖じせず、サイアスは仲間達へとそう叱責した。
「そう…ねっ!」
 その言葉に、レンは揺れ動く大地からゆっくりと立ち上がり、掌を天へとかざした。
「フバーハ!」
 呪文が唱えられ、サイアス達の体を外部の厄より守る光の衣がやさしく包み込んだ。それは、降りかかる火の粉を払い…彼らに大いなる守護をもたらした。
 
「行くぞぉおおおおおおおおっ!!!」
 
 灼熱の炎の内に住まう、紫の体を持つ巨大な火蜥蜴―サラマンダー、同じく火山の内より生まれし炎の精霊―溶岩魔人、それらを中心とした魔物達が、溶岩と共に空から襲い掛かってきた。
 

「アブスロート・ニール・スクアル・セロン・ラング・ネニトゥ・デリク・リースイノ・レジア・フィベイクザ…」

ドドドドドドドドドドドドドドッ!!!

 唱えられた呪文によって巻き起こされた空からの無数の雹が、炎の魔物達を容赦なく貫き、死の火山の火口へと叩き落していく。
「マヒャドか…やるじゃねぇか、じじい。」
「ふぇふぇふぇ、ようやく思い出せたわい。」
 至極感心した様子のサイアスの言葉に、呪文を発動した張本人…緑のローブに身を包んだ老魔法使いは笑みを浮かべた。
「せぇええいっ!!」
「どぉりゃああああっ!!」
 氷の嵐を潜り抜けてきた一体の紫のドラゴン―サラマンダーへと、レンとカリューが踊りかかった。
 
ガッ!!
 
「…く…!硬い!!」
「ちぃい…なんちゅうパワーや!!」
 しかし、彼女らの力をもってもサラマンダーは止まる事は無く、その場へ留まっていた。
 
ガァアアアアアアッ!!

「…!!」
 ウォーハンマーとモーニングスターによる攻撃を受けきったサラマンダーは大きく口を開けた。
「だめ…!これじゃフバーハが…!」
 その口腔より、灼熱の炎が吐き出されようとしている。死の火山の熱気に加え、魔物が獲物を焦がさんと吐き出す高熱のブレスに耐えられる程、レンのフバーハは強くはなかった。
 
「俺を忘れてんじゃねぇぞぉ!!」
 
 だがその時、そう叫びを上げながら、サイアスはその魔物に飛び掛った。
「でぇりゃあああああああっ!!!」
 振り下ろされた黄金の剣がサラマンダーの体を真っ二つに切り裂き、その内で雷光が爆ぜて跡形も無く敵を粉砕した。
「…道は開けたぜ。クソ親父。」
 次々と湧き出す魔物と引き続き戦っている仲間達を横目に、サイアスは死の火山のふもとを眺めた。火山の目覚めによって地形が大きく変わり、閉ざされていたネクロゴンドへの道が、大きく開かれているのが確認できた。


〜アリアハン城 謁見の間〜

「ついに時は来た!!」

 アリアハン王は、謁見の間一杯に響き渡るように、その場に居合わせる者達に対してそう叫んだ。同時に、周囲の兵士達より歓声が上がる。
 
「レフィルよ!!これがそなたの最後の使命じゃ!!見事魔王バラモスを討ち取って参れ!!」
 そして玉座から腰を上げて、王は自ら、跪くレフィルの額へと手を添えてそう命じた。
「最後の…使命…!」
―こ…これが…終われば……わたしは……
 オルテガの娘として旅立ちを余儀なくされてからずっと背負わされてきた勇者という宿命。その呪われた運命からついに解き放たれるのか…。
 
「然様、これが終われば…そなたは永遠にその名をこの世に残す事となろう。」

「…え……!?」
 しかし、次の王の言葉が、レフィルの心をかき乱した。
―…そ…それって……
 巨悪を倒した英雄が名を残すのは当然の事である。勇者の代名詞とされるオルテガ、それと双璧をなすサイモン。彼らは悪を征伐し、死して尚も皆に語り継がれている。レフィルが魔王バラモスを倒す事が出来たならば、彼女もまた勇者の称号を持つものの中に名を連ねる事は間違いない。そして、それがこの先の人生にどの様な波紋を生むか…全く予想できない。
―で…でも……!!
 それでも、彼女には前に進むしか選択肢は残されていなかった。
 
「…例の品をここへ!」

 ふと、王は従者に命じて”それ”を運ばせて、その手に取った。
「魔の内より解き放たれしサマンオサと共に創り出した至高の品じゃ!今のそなたにできる、我らのせめてもの餞じゃ、受け取ってくれい!!」
「…こ……これ…は……!!」
 レフィルは、目の前に差し出されたものを見て、目を見開いた。
「さぁ、立つがよい…レフィルよ。」
 最後に、王は餞別の品を眺めるレフィルに手を差し伸べた。そして、その耳元へと顔を近づける。

「辛い思いをさせたな…。じゃが…もう少しの辛抱じゃ。」

「……え…?」
 思いがけぬ王の優しい囁きに、彼女は驚きを隠せずにその目を見開いた。
―…王様……。
 レフィルは王のその言葉の中に、途方も無い程の疲労感を感じられた。彼もまた…自分の勇者としての旅路にずっと悩んでいたのだろうか。
 
「皆の者!!我らが勇者に祝福を!!この旅を成就し、無事に我らの元に帰りつく、それが我が国の総意であろう!!」

 レフィルの最後の旅立ちの直前、アリアハンの王城から熱狂的な歓声が上がり、大空へとこだました。
 


〜ルイーダの 酒場〜

捕り物貼 
魔王バラモス 1000000G


「ひゃ…百万ゴールド…!?」
「おお…っ!!こりゃすげぇ…!!」
「魔王…って、どんなヤツだろうな。」
「…きっと凄い魔物でしょう?でも…これは大きいわね!!」
「…魔王…か。興味深いな。…俺も…行ってみようか。」

 ルイーダの酒場の掲示板の中央にある貼り紙の周りに、数多くの冒険者が集っている。

「うっへぇ…なんだこの馬鹿みてぇな賞金は…。」
 彼らの目をたちまちにひきつける程のその莫大な賞金に、赤い鎧に身を包んだ屈強の戦士―マリウスは、呆れたようにそう呟いた。
「安いぐらいじゃないかしら。…あれは、人間がまともに戦って勝てる相手じゃないわよ。」
「…確かにな。どいつもこいつも…魔王を拝む機会なんかねぇだろうしな…。」
 魔王バラモスの名を知っても、その姿、その強さまでを目の当りにした者はこの中には自分たちを除いて皆無である。彼らが戦った時でさえも全力でないに違いない。
―たどりついたとしても…こいつらじゃダメだろうな。
 この中に腕に覚えがある者がどれほどいるかは知らないが、実際に剣を交えた所で、おそらく人間が勝てる相手ではないだろう。

―…あいつの言うとおり、手の内は知っておく必要はあるだろうぜ。

 先日、ホレスは魔王討伐に備えて自分達にバラモスに関する情報を求めてきた。
―……いっそのこと、俺が出ても良いんだろうな。
 情報を集める事で戦いを有利に進められるというのであれば、今の時点では或いは自分が一番バラモスに対して勝機があるとも言えるかもしれない。
「ふむ…まさか、こんなに早く開かれるとは思いませんでしたな。」
「あんたでもそう思うか…。」
 レフィル達の最終目的地―魔境ネクロゴンド。つい先程までそこに赴くべく準備していた矢先に道が開かれる事になろうとは何の皮肉か。
「さてはて…いかがしたものでしょうな。レフィル達はまだ戻りませんか。」
「ああ。…マダムの話じゃあ、アリアハン王に呼び出されたとか言ってたな。」
「…そうねえ。これは…イケナイわねぇ…。」
 今のタイミングでアリアハンに呼び戻されるとすれば、それは魔王討伐の件に他ならない。これにより、レフィルの運命の変化は急加速していく事だろう。
「レフィルちゃん…大丈夫なのかよ…。」
「ふむ…ホレスもやはりついていくのでしょうな。」
「…うーん、メドラも…ねぇ…。」
 
「「「………。」」」

 世代は違えど料理で意気投合した仲として、叡智を求める者同士…その年上の盟友として、そして…姉として、彼らは勇者とされた少女と、命知らずな青年冒険者と、無邪気な魔法使いの三人からなる仲間達の身を案じた。
「…おい、俺ら…同じ事考えてねぇか?」
「はっは、その様で。」
「ええ、気が合いそうね。ふふふ…。」
 思い入れの方向は違えど、結局自分達はあの三人の事が可愛らしくて仕方が無いらしい。
「…では、私達も行ってみます?ネクロゴンドに。」
「それは、楽しそうねぇ…。」
「そうだな…まぁ、たった三人でどう戦えって言われても困るけどな。」
 レフィル達に代わり、自分達がネクロゴンドに向かい、魔王バラモスを倒す旅に出る提案を出したものの、僅か三人では確かに問題も多いだろう。そもそも、戦士として熟練したマリウスの剣も、ダーマの歴代の賢者にも匹敵する程のメリッサの呪文や魔法も通じる相手ではなかった。ニージスが加わった所で五分の戦いに持ち込む事は絶対に出来ない。

「そのためのルイーダの酒場、というものではないですか?お三方。」

 そうして三人が考え込んでいると、後ろから懐かしい声が聞こえてきた。
「…あ、商人さん。」
「おおっ!ハンの旦那!それに皆来てたんか!!」
 そこにいたのは、開拓者の町の名にもなった、その発展の功労者の一人、屈強の旅の商人ハンその人であった。その背後には、ハンバークで出会ったかつての仲間達が出揃っている。
「私達の目的は同じ。そうでしょう?」
 守るべきもののために、脅威をもたらすバラモスに戦いを挑まんとする。その大きさこそ違えど、ハン達も…自分達も求める結果は一致する。即ち…魔王バラモスを倒す。
「ああ!!その通りだぜ!!」
「はっは、決まりですな。」
 彼らと共に歩めば、魔王バラモスまでの道のりに心強い仲間がつく事となる。
「では、共に参りましょう!!」
 ハンを中心に、屈強な開拓者達や腕の立つ冒険者や傭兵、傷の治癒や死に瀕した者の救命に通じた神官や医師、ありとあらゆる職の者が集った動く町とも形容できるこの大きな集団。程なくして、マリウス達はその中に加わる事となった。


「遅かったわね…レフィル。」

 大きく遅れてこの場に現れた三人に、ルイーダは寂しそうにそう言い放った。
「誰も…いない。」
「うん…。」
 前回ここに訪れた時は、数多くの冒険者達で溢れかえり、大層な賑わいを見せていたのに対して、今は誰の姿も見当たらなかった。

「皆ネクロゴンドに向けて出発したわ。…流石に1000000ゴールドは効いたかしらね。」
「そのようだな…。だが…」

―ニージス…メリッサ、あんたら…一体何処に行った…?

 この時、彼らもまた自らの手で魔王バラモスを倒さんとする者達が集う一行に加わっているという事は、ホレスには知る由も無かった。
―まぁいい…。今はそれよりも…
 魔王バラモスを倒しにネクロゴンドへ赴いた冒険者の数は数え切れない。しかし、彼らの存在があろうとも、結局は勇者の宿命に従い、ネクロゴンドへと向かわなければならない事には変わりない。

「さぁ、オレ達も出発するぞ。」
「ええ…。」
「……。」

 ”アリアハンの勇者”としての最後の使命…それを果たすための旅が、ついに始まった。